セクション4 人類文化継承連帯/世界最終戦 その3 緊急任務:弾道降下強襲鞘部隊迎撃戦(後)
ゲルミルが機能停止したことを確かめるためにキュプロクスは背中側から接近し回転弾倉式滑腔砲のアンダーバレルの大斧で胴体に切り込み入れて蹴り倒して乱暴に解体を始めた。
ゲルミルとパペットの仕様は大まかなところで共通しており胴体中央の最も装甲が厚い部位に人格記録入りの肉体が装填されている。個体ごとに差がありスチーム・ヘッドに由来するゲルミルの場合は人間で言うところの心臓の位置に存在する。スチーム・パペットに由来するゲルミルなら生体CPUがある胴体中部だ。どちらも改めて念入りに潰し尽した。
断面から接合先を求めてのたうつ再生組織が芽吹き火の町で仄暗い風に揺れていた。
ゲルミルは無反応だった。
『……怖がらせやがって! マルボロ大丈夫?』
「げぼ……あが……」
マルボロは咳き込んだ。
ガスマスクを外して新造された肺から溜まった血と肉の混合物を吐き出し伝声管を叩いた。
「ああくそ。バターになるかと思った」
『その時はパンに塗って私が独り占めにしてあげるよ』
「お前さんの腹を破って再生するだけだがな」
『あはは。そしたら私がママになっちゃうね』
「気持ち悪いこと言うなよ。あと胃袋から出産する女はいねぇよ」
マルボロは不意に押し黙って架台に跨がるセルシアナを見上げた。
「……さっきのやつ、すぐに応射してきやがった。まずいな」
『うん。まずいね。二発も使わされた。……ゲルミルの足音!』
曲がり角から増援のゲルミルの骨針砲の砲身が覗くよりも前に、セルシアナとマルボロは一騎のキュプロクスとなって跳躍していた。
二人の間に事前の合図など不要だった。真の騎士は愛馬が戦場の只中で突然嘶いて猛然と駆け出したとしてもその理由を問うことなどしない。あるいは真の軍馬は騎士が前触れ無く乱暴に手綱を振るってもその理由を問うことなどしない。
有機的に結合した異なる二つの精神は互いを己の全てとして疾駆する。
永遠に不滅であることを約束された鋼鉄の巨人はスラスタから蒸気を吹き出しながら月面歩行じみた奇怪な動きで異形の巨人への接近を図る。
戦闘では常に先手を取った側が有利でありそれはゲルミルとの戦いでも同様でキュプロクスは躊躇なく先制した。
ゲルミルはと言えば肉の槍に備わった照準器を通してようやくキュプロクスの接近に気付いた様子だった。そのまま槍を伸ばし建造物を遮蔽物としながら砲門を向けてきたがキュプロクスの右腕の拳銃じみた滑腔砲は反撃を許さず爆炎を吐いた。
不朽結晶弾頭が建造物ごとゲルミルを貫通した。
命中したと思われた。砲口が重力に引かれて下がった。
有効打にはなっていまい。これだけではとどめに至らない。互いに不死。互いに巨人。これしきのことで沈むならばパペットもゲルミルも脅威ではない。
とは言えども、場の流れを掴むという目的に関しては概ね成功していた。
相手を完全に無力化することが前提の戦闘では、一瞬でも反応が遅れた側が敗北する。
キュプロクスは基本スペックでゲルミルに劣っている。だから躊躇しない。短時間でも相手を混乱させれば押し切るのは容易いのだから、初手を甘くする理由が無い。
このままスラスタで加速し曲がり角の向こう側まで躍り出て至近距離からさらに一発撃ち込めば決着は付くかと思われた。
しかし。
『今だよっ!』
伝声管から声が響くと同時にマルボロは即座に減速のための噴射操作を行った。
セルシアナも撃ち抜いた建造物を回避するような形で進路を変えた。
その瞬間に射撃で穿った空洞からおぞましい影の群れが噴出した。
挽き肉の大波じみたそれは炎の赤を粘着質の液体で照り返す触腕の大群だ。
キュプロクスが進軍していれば機体の全身を拘束されていただろう。
ゲルミルの構える浸食捕縛盾の機能だ。
盾に似たこの装備は板状に纏められた数千の触腕の集合体であり接近してきたパペットを絡め取って機能停止に追い込む。ただ捕縛するのみならず触腕はさらに微細な凶器を備えた触手を放出しパペット内部への侵入を試みる。
侵入を許せばその場で生体CPUの人格記録が発狂するまで続く凄惨な拷問が始まる。
単純撃破は困難と判断した際にゲルミルが投入してくる悪辣な兵器だ。ただし触腕を解放すると元の板状には戻せないことが判明している。
盾となる装備を犠牲にする場面は限られ通常は悪あがきに近い状況でしか使用されない。
だが、このゲルミルは先んじて使ってきた。
外形的に趨勢が決したとは言えないタイミングで展開してきたのは奇襲に他ならず、敵の練度の高さを物語っていた。
『こいつもやっぱりエース級……! きっつい!』
「きつい、な」
急制動の衝撃で吐血しながらマルボロが同意した。
キュプロクスがこの攻撃を回避出来たのは偶然ではない。
セルシアナもマルボロも平然としていたが内心では状況を重く見ていた。
一体目を倒した時点で異変に気付いていたのだ。軽薄に言葉を交わしたのは声のトーンでお互いの認識を確認するためだ。
最初に遭遇したゲルミルは一般的なゲルミルと照らし合わせてあまりにも高性能だった。
結果的に高所からの射撃で撃破したがこれは正攻法では無い。
並のゲルミルなら一発目を撃ち込まれた段階で状況を理解出来なくなり混乱して動きを止める。キュプロクスとしてはその動揺を狙って接近し、滑腔砲にマウントした大斧でとどめを刺すのが理想であり、二射目は本来無い工程である。
トップアタックを狙うのは初回だけで後は弾丸を温存しながら速やかに接近し、近接攻撃を主として殲滅。射撃するにしても必中を確信出来る距離からに限る。これが対ゲルミルの基本戦術だ。
上方から撃ち続けられるならそれが理想だが不朽結晶の弾頭は弾倉内の六発だけだ。セルシアナが射撃の名手でも無闇に消費出来るものではない。
それでも一体目を敢えて射撃だけで仕留めたのは相手が精鋭だとすぐに分かったためだった。
マルボロもセルシアナも意識の外側から攻撃を受けた直後に即座に反撃してくるゲルミルなど見たことがなくその瞬間には酷く動揺していた。
最初のゲルミルが被弾に対して怯んだように振る舞ったのもおそらくブラフだったとマルボロは見ている。
間違いなく精鋭中の精鋭だった。
着地の隙を狩られる危険性を考えれば連続砲撃で仕留めるのが最も理に適ったのだ。
最初の一体は難敵だった。一体目だけが例外中の例外で弾道降下してきた他のゲルミルは精鋭ではない。そう期待するのは愚か者の行いである。
単眼の巨人は二体目のゲルミルの戦術を読み解くために思考を巡らせる。
視察窓投影鏡を回してマルボロが状況を確認する。
背後。触腕の群れは射線に対して真っ直ぐに展開されていない。
回避しなくても十分キュプロクスは振り切ることが可能だった。
奇襲ではなく牽制。本命は意識をそちらに引き寄せること。
最初から敵はこの一撃での勝利を意図していない。
キュプロクスの射撃と同じく先の先を奪わんとした一手だ。
そこまで読めていれば浸食捕縛盾を捨てたゲルミルが無傷で姿を現しても驚きは無い。
砲身は角から出た段階で既にパージされ、粘着質の液体を帯びた穂先が露出している。
猛然とした突撃。加速力から見て二倍程度の破壊的抗戦機動に途中している。低倍率ではあるが全身の崩壊を前提とした複雑な強化を補助無しで行える上に全ての動作がスムーズなのがゲルミルの強みだ。
ゲルミルは悪性変異体の部品で構築されたスチーム・パペットだとしばしば誤認されるが実態としてはスチーム・ヘッドの亜種に近い。人間由来のパーツで人間由来の動作を行うことからスチーム・ヘッド用の拡張装備としてはむしろパペットよりも正統ですらある。
下半身に四足を持つ異形ではあるにせよ動作の滑らかさはまさしく生身の人間と大差無い。
敏捷性に裏打ちされた格闘能力も当然に高次元のもので、技巧のぶつかり合いではキュプロクスが完全に不利だ。
『三匹目に使うつもりの技だけど、ここで行くよ、マルボロ!』
しかしパペットにも独自の利点がある。
キュクロプスは走行を継続しながら大ぶりな凶器、滑腔砲のアンダーバレルにマウントした斧を振りかざす。これらの重量級装備に引き摺られて張り子の巨人はバランスを崩す。
これに対しマルボロは足首から腰までの関節から順繰りに余剰蒸気を噴出を開始。
巨人の纏う煙はますます濃くなり一拍遅れて上半身腰椎部の姿勢制御用スラスタから圧縮蒸気の噴射が開始されバランスを崩しかけた機体へ強引に制御をかける。
補助されるに任せて強引に突撃していくキュプロクスの動きはゲルミルの洗練された身体動作と比較して無様で異様だ。
だが滑らかな身体動作が即ち有利であるわけではない。
完璧に制御された不安定さ。この異常な機動は瞬時に対応出来る人間などこの世に存在しない。
螺旋掘削刃を回転させて刺突姿勢に入っていたゲルミルだったがその切っ先は曖昧に揺れている。
キュプロクスの人間離れした動きに眩惑させられているのだ。
スラスタを最大限に利用した常軌を逸した姿勢制御。いつ転倒するか分からないのみならず、そもそも何故前に進めるのかも外観からは理解出来ない。敵を殺す道具を操る『人間』としてあり続ける道を選択したものどもの合理的狂気の具現。
それが却って歴戦のゲルミルに対して有利に働く。心理的威圧感を与えるという点でキュプロクスは主導権を得ていた。不死病の恩寵を受けた怪物どもの戦闘とは、どれほどの規模になろうとも互いの存在の持続を賭けた化かし合いだ。かたや結晶工学。かたや生命加工技術。どれほどの叡智でも敵を殺すことに執着している以上は野蛮な威圧の有効性から逃れられない。
さりとて敵も精鋭である。
優勢を失ったとみるやすぐに覚悟を決めたようだ。
ゲルミルは被撃を顧みず螺旋掘削刃を触手の蠕動で高速回転させながら真っ直ぐに突き込んできた。
キュプロクスの不規則な関節の動きを読み切った鋭利な一撃だ。
先んじたのはマルボロだった。
ペダルを蹴りレバーを倒して圧縮蒸気を噴射しキュプロクスを前触れなく針路右側の建造物に叩きつけた。
打ち合わせのない制動である。
ゲルミルにはこの誤動作としか思えない奇怪な機動を合理的に解釈出来ない。
骨肉の槍は何も貫ぬかぬまま虚空へと飲み込まれる。
一方でセルシアナは瞬時にマルボロによる不規則動作の意図を汲んでいた。
空振りさせてしまえば隙がそこに生まれる。単純な戦術である。
このゲルミルに敗因があるとすれば操縦者が二人存在すると想像していなかったことだろう。
ゲルミルの認知機能が復帰するよりキュプロクスが飛びかかる方が早い。
槍がほどけ不朽結晶化した切っ先と螺旋刃蠕動用の触手の群れが展開されたが緊急避難的な防御行動にすぎない。単眼の巨人はセルシアナに由来する重々しくも巧みな足さばきでこれをすり抜けゲルミルの脳天から股下へと重厚な銃斧を振り降ろし両断した。
胴体中央部を破壊。
ゲルミルは未だ健在。
間髪入れずにマルボロが再びスラスタに蒸気を回しゲルミルを押し倒す。
純粋蒸気駆動方式に特有の出鱈目な蒸気出力が眼前の怪物を拘束した。
そこから始まるキュプロクスによる破壊は生命の略奪行為と呼ぶに相応しい凄絶なものだ。
セルシアナはキュプロクスを操ってゲルミルの胴体に向けて一心不乱に斧を振るい続けた。上気した歓声を上げながら肉を割り骨を砕く感触に猛り狂う。瞬間的な出力で押し返されないようマルボロもスラスターで適宜拘束を強めゲルミルの自由を奪った。
斧が振るわれる。血肉が吹き飛びゲルミルが潰されていく。怪物が悲鳴を上げる。キュプロクスに容赦など無い。敵を殺すための動作を何度でも繰り返す。
そのうちゲルミルの胴体は斧によって押し潰されて二つに割り立たれた。
斧で切り潰されたかつての衛生帝国の勇士は見る影も無い。
今や路上に散らばる肉の破片である。
砕かれた道路には血の濁流が生まれて瓦礫に埋もれた側溝へと流れ込み尚も溢れ続ける。
過熱した血潮から湧き上がる蒸気が炎上する都市の発狂した気流に巻き込まれ複雑な白い奇跡を描いて闇夜へと飲み込まれ溶けて消える。
ゲルミルは人格を失った。
『あははっ! やった! ブチ殺した! ゲルミルを殺すのはこうじゃなきゃね!』
「……殺し甲斐のある敵だったな」
『強い相手を屈服させてクズ肉にするのって最高!』
マルボロもセルシアナも高揚していた。
彼らは衛生帝国のゲルミルを嫌悪していたが人間同士の駆け引きを感じる瞬間だけは愛していた。
知性のない怪物ではなく敵として屠るに相応しい相手と戦いたかった。
そういう意味で精鋭ゲルミルとの戦闘には喜びすらある。
「まぁ余韻に浸るのは後だ。次が来てるぞ。物陰に隠れてる」と視察窓投影鏡を回しながらマルボロ。
三体目のゲルミル。骨針砲の照準器だけを物陰から突き出して様子を伺っているように見えた。
「蒸気を使いすぎだし時間も無い。お前さんの言ってた通りトップアタックを狙っていくのは無理だな」
『どこ? うわ、あんなところ? 気付かなかった。今の多段階不規則機動は見られちゃったかな』
「さっきの頭の回るクソムシは捨て石にされたのかも知れねぇ」あるいはその役目を引き受けたか。
『滑腔砲が牽制にしかならないのやだなぁ、斧で潰すなんてガンマンらしくないし』
単眼の巨人兵士はスラスタを使って高速で反転し即座に射撃を敢行した。
遮蔽物を貫通して本体を狙ったはずだった。
あろうことかゲルミルは発砲炎を視認した段階で遮蔽物から身を乗り出して応射してきた。両者ともに命中弾とはならなかったがキュプロクスも射撃体勢を維持出来ず初動での優勢を失った。
恐るべきはゲルミルの判断力。これまで以上の手練れだ。
キュプロクスが次弾を放つ前に敵の二射目が来た。
装甲の肩に骨針弾が命中し滑腔砲の照準が妨げられる。
『ああもう! 妨害されたら撃てないでしょ! やめろ、死ねっ!』
セルシアナの理不尽な怒声が聞こえたわけではないだろうが敵ゲルミルも射撃は決定打にならないと悟ったようだった。骨針弾は低純度ではあるが不朽結晶弾に分類されており低品質な装甲なら容易く貫通する。その一方で、高純度不朽結晶製の単眼巨人にとっては大きな霰に降られた程度でいささかの痛痒も無く、接地状態なら衝撃も致命的では無い。
『もう二発しか無い、接近戦やるよ!』
キュプロクスはスラスタから圧縮蒸気を噴射しながら駆け寄り、刃を横方向に引き絞った。腕関節が蒸気を吐く。脚のシリンダーが収縮するときの姿勢制御の破綻を利用して巨人は大きく身を翻して前進しながら旋回。前傾姿勢の生み出す惰性を精妙にコントロールしつつ脚の関節を固定化。
時計の針のように上半身だけを回転させて大ぶりの一撃を見舞う。
ゲルミルは後退しながら砲身のパージを始めていた。
応戦などさせない。
スラスタによる加速まで載せた銃斧での一文字の斬撃が胴体目がけ叩き込まれる。
骨肉を割り断つ感触がマルボロにまで響いた。
痛打となるはずだった。
『くっそ、まぁこれぐらいは読んでくるわけだね……!』
刃を受けたのは浸食捕縛盾であった。
しかも微妙な傾斜によって斧の刃筋が逸らされている。
防御装置としては健在。
キュプロクスの一撃で割断にすら至っていない。
ゲルミルは避けられないとみるや信じがたい技量で的確な防御を行っていたのだ。
やむを得ずゲルミルの盾を蹴って軽量な自分自身を後方へ押し出して退くキュプロクス。
純粋蒸気駆動方式故の高出力も質量差で負けている状況では危うい。
飛び退きつつ着地の隙を消すために怪物の滑腔砲による射撃を試みた。
最初は胴体を狙った。しかし人格記録媒体の正確な装填位置は不明。身の捌き方の鋭さから、元スチーム・ヘッドと考えるのが自然だったが、確実にそうだと断定することは出来ない。
これほどの練度のゲルミルだと人格記録媒体さえ無事なら胴体をいくらか削られたところで意に介さないだろう。致命の一撃を狙って逆に外してしまったとなれば、貴重な砲弾が無駄になり射撃の反動が却ってキュプロクスを形勢不利へと運ぶ。
着地するまでの動きに合わせて不朽結晶の螺旋槍を繰り出してくる可能性は高い。
キュプロクスは瞬時の判断で照準を変え十六連の目玉を持つ巨大な頭部を首元から吹き飛ばした。
補助用の眼球はあるにせよゲルミルはパペットと異なり感覚については然程の拡張性が無い。
これで視界は大きく損なわれたはずだ。
間合いを取って仕切り直す。
短期的には優勢に推移していたがどこかにさらにもう一体の騎士が潜んでいるやも知れない。
眼前の一体にしても頸がないだけで後は無傷だ。
セルシアナの歯軋りが聞こえてくるかのようだ。浸食捕縛盾さえなければ斧による一撃で勝敗は決していたというのに。
この難敵が硬直したのは頭部を失った瞬間だけだった。すぐさま四足で駆けて追撃を開始し螺旋掘削刃を向けてきた。
頭部への砲撃がなければ押し倒されていたのはキュプロクスだ。
半ばまで砕かれていたが浸食捕縛盾も未だ健在。
展開する素振りがなく白兵戦を重視し搦め手や敵の捕縛などは特に考えないタイプのようだった。予想を超える動きはしてこないとも言えるが守りは硬く攻撃は慎重でマルボロもセルシアナも感嘆していた。
敵は間違いなく偉大な騎士の一人であった。
残る一体と合流されたならキュプロクスは圧倒的に不利に立たされるだろう。
そもそも奇策を弄さない場合キュプロクスは性能で劣位だ。短期決戦以外の道が無い。
回転弾倉式滑腔砲の斧と骨肉の槍の穂先がぶつかり合い燃え上がる街に火花を散らす。
ゲルミルは滑腔砲に十分な警戒を払い射線が通る状況になる度に過敏な回避行動を取った。
そのおかげで破壊的抗戦機動の速度に任せた乱打が無いのが救いだが、同時に不朽結晶の一撃を叩き込めるタイミングもない。
押し切られるのは時間の問題だった。
『マルボロ、スラスタはもう駄目!?』
「貯蔵無し、供給と消費も釣り合ってない。駆動装置の電力まで使って余力があると見せかけるのがやっとだ」
パペットとゲルミルがぶつかり合う衝撃は凄まじかったがサブプロセッサ席においては移動時ほど大きく目まぐるしいものではなくなっている。
マルボロも微妙な操作しか出来ない状況であるため発話が可能だった。
『クソッタレだよ、まだ三匹目なのに……』
「俺が仕掛けるぞ。セルシアナ、こいつでもたぶん引っかかるだろ」
『危険だよ。生命汚染は嫌だ』
「お前さんにはロッカーがあるだろ」
『君には無いね』
「俺なら幾らでも逃げられる」
『ああそう。反論しても聞かないでしょ。……じゃあ開放するよ!』
キュプロクスは突如として前面装甲を展開して内部の操縦機構を晒した。
ゲルミルの限定された視覚にも立ち上る蒸気の中に生命汚染防護服に固定されている汗ばんだ肉体が見えたはずだった。瑞々しく美しい、不死病による久遠の安定を約束された少女。優秀な母胎と成り得る。スヴィトスラーフ衛生帝国においては至上の生命資源だ。
骨肉の騎士の動きが鈍る。
期待が動きを鈍らせた。浸食捕縛盾を展開すれば一挙に眼前のスチーム・パペットを無力化できるかもしれないという思考が生じたのだろう。
もちろん無策で防御を解き急所たる生体CPUを晒す機体などいるはずもない。
罠だと見抜いている。それでも捕縛の選択肢を考えずにはいられない。
盾を持てば防御が選択肢としてつきまとう。銃を持てば殺人が選択肢として付きまとう。手段を持つとはそういうことだ。
二人の目論み通り理性と期待の一瞬のぶつかり合いがノイズとなって、ゲルミルを僅かに混乱させていた。
二流のゲルミルなら生命資源の獲得に向けて欲望を剥き出しにしていた筈であり、実のところそうなればキュプロクスには対抗手段が無かった。
堅実さを尊ぶらしいこの異邦の騎士は、皮肉にもチャンスを目の当たりにして、その優秀さ故に一手を見誤ったのだ。
そして次の行動で、さらにもう一手遅れた。
ゲルミルはキュプロクスから血だらけのガスマスクの兵士が飛び出したことを瞬時に評価出来なかった。
衛生帝国の機体に共通する欠陥だが低脅威度目標に対しては反応が極端に遅くなる。
大抵のゲルミルはまともな武装の無いスチーム・ヘッドを交戦対象として認識していない。
特に非戦闘用に偽装されているマルボロのような機体は。
着地する。骨が軋む。
ガスマスクの兵士は地を踏みしめ体を捻り己の知る全ての功夫を込めて拳を繰り出した。
分解されて蒸発しつつある内臓片や血液を煙として吸って吐き出し肺に循環させている。
拳打を放つ準備は終わっていた。
雷鳴が轟くような炸裂音が響きゲルミルの巨体が揺れた。
戦闘服の内側で腕が折れ砕け背骨まで損傷したが苦痛は押し殺す。
ゲルミルの胴体の副眼が自分を見ているとマルボロにははっきり分かった。
その眼球は明確に驚愕の徴候を示している。
マルボロの拳と一緒にゲルミルの脚部装甲も吹き飛んでいた。
異様な光景だ。
取るに足らぬ歩兵が、単純な殴打で巨人の分厚い肉の鎧を完全に破壊したのだから。
無論のこと、大型目標を容易く破壊出来るならマルボロは最初から単独で行動している。
彼の拳法家としての技量は限界に達しておりパペットやゲルミルのような単純に巨大な目標は簡単には破壊出来ない。
セルシアナのサブプロセッサに甘んじているのも自然な成り行きだ。
実状としては腕を犠牲にする覚悟で撃ち込んでも牽制が限界。本質的には脅威たり得ない戦力。論理的に考えればそれは明らかだ。
しかし混乱したゲルミルは正答に至れなかった。可能な動作はいくらでもあった。所詮はマルボロもスチーム・ヘッドであり、ゲルミルの膂力で踏み潰せば無力化出来る。あるいは見るからに損傷が激しいのだから即座に配置転換を実行すれば追撃は無い。
一秒足らずの状況判断の失敗。
一秒の遅れは致命的だ。
キュプロクスがハッチを閉鎖して襲いかかるには十分すぎた。
マルボロが最後の力を振り絞って進路上から飛び退くとキュプロクスは倒れ込むような動作で突進してゲルミルの胴体中央に刃を叩き込んだ。
スラスタを使わない状態での最高出力での斬撃。半ばまで切り込まれたところで我に返った様子のゲルミルが後方へ逃れようとしたが悪手だった。
状況を挽回するには決死の突撃を敢行する以外になかったのだ。もはやどれだけ距離を取っても仕切り直しなど通用しない。
大斧で胸部中央を抉られて機能停止していないなら人格記録媒体の格納場所は明らかだ。
人格記録媒体の位置が分かっている状況で射撃を躊躇する必要は無い。
骨肉の騎士は右胸を不朽結晶弾頭で撃ち抜かれ、その演算された魂を破壊された。
『残弾無し……。マルボロ!』
キュプロクスは敵の沈黙を見届けつつ焦躁に満ちた声でガスマスクの兵士を掴み上げた。
生命管制を極限まで酷使したマルボロを胴体に放り込み生命汚染防護服の上に載せてハッチを再閉鎖した。
「大丈夫!? 悪性変異進んでない!?」
「げぼ……うおえ……」
血反吐で透明な防護服を汚しつつマルボロは頷いた。
「マルボロっ!」
悲鳴を上げる少女に向かって首を振る。
「し、心配ない。だが生命管制が……腕が全然再生しない」
『今は休んで! どこかに身を隠そう、残り一匹だもん、治癒さえ終われば対抗するのは難しく……』
『こんにちは、人類文化継承連帯の勇士たち。見事な戦い振りでした』
都市の狭間に聞き慣れない声が響いた。
キュプロクスが硬直する。
マルボロもセルシアナも卒然として音源の位置に気付いた。
建ち並ぶ高層建築物の屋上部。
通常の戦闘では決して意識しない場所に陣取る異形の影があった。
『新規に育成した部隊のBDAS実地試験のつもりだったのですが、まさか降下に成功した個体を全て撃破してしまうとは。驚きました、称賛に値します』
対ゲルミル戦で水平方向の外側を意識しないのは継承連帯側のパペットも同じだ。
女の声で話すそのゲルミルは意趣返しのようにキュプロクスの手口を踏襲していた。
マルボロは反吐を飲み下して震える手で伝声管を掴み外部に出力した。
「……ずいぶん高いところから人を見下してくれるじゃねえか、ええ?」
『これは失礼しました。いささか興奮してしまったようです。降りてお話をしましょうか。大事なお話です』
そのゲルミルは盾を壁面に突き刺して減速しつつ鮮やかな身のこなしで降下してきた。
同時に高初速骨針弾が絶え間なく撃ち込まれキュプロクスは行動の自由を奪われた。
軽やかな足取りで着地したのはこれまでに見てきたゲルミルと大差無い機体だった。
頭部の眼球の数も装備の状態も同じだ。
しかし優雅な佇まいや狙撃精度がそれまでの精鋭たちを熟練度において何段階も上回っていることを如実に物語っている。
そのゲルミルは落下してくる勢いのまま移動しようと藻掻くキュプロクスを蹴打し、転倒させ、仰向きになった胴体の大型レンズを脚の一本で踏みつけにして、抵抗の意思を文字通り踏み躙った。
同時に左腕の触腕捕縛盾を展開。キュプロクスは瞬く間に触腕によって縛り付けられた。拘束は緩いが脱出はもう出来ない。
ゲルミルの生体装甲の色は純白。
異形であるにせよ、お伽噺に登場する白馬に乗った騎士のよう、そう思わせるほどに動作の全てが優雅だ。
精鋭だけで構築された部隊という認識は間違いだった。
マルボロは嘔吐感を覚える。
エース・オブ・エースだ。
パペットを壊さないまま鹵獲して連れ帰ることすら可能なレベルの。
「マルボロ」と泣きそうな声を漏らすセルシアナに向かって「大丈夫だ」と語りかける。
『二人乗りとは珍しい。貴公らのような形式は初めて見ました』
十六対の眼球が触腕に縛られたキュプロクスのレンズを覗き込んでくる。
自身の優勢を確信した者特有の余裕に満ちた態度だ。
『男女のペアですか。生殖単位をもとにして、思考の有機的な連結体を?』
「答えてやる義理はねぇな」
マルボロは狂犬のように唸った。内心では焦っている。優位を取られたときのセルシアナは精神的に脆い。守れるのはマルボロだけだった。
「お前、散々ひとを踏みつけにして、こんな汚いもんで縛るたぁどういう了見だ? 礼儀がなってねぇようだが」
『礼儀って……貴公の口ほどではないつもりですが……。ふむ。とにかくこのような形での運用も可能なのですね。私もどうせ試験部隊ならペアでの結合を強化するべきだったかもしれません。勉強になります』
「お勉強といや、さっきの虫けらどもはお前の家族か? 団体でおいでなさったようだが……核弾頭で迎撃されるとは思ってなかったようだな。飛んで火に入るなんとやらだな」
『想定の内ですよ? 全自動戦争装置の迎撃網は乱数での迎撃ですから、降下鞘の軌道制御装置を使えば被弾する蓋然性の低い場所を狙えます。現実に当機は無傷での弾道降下に成功していますね。ゲルミルである限りいつかは直面する洗礼です。焼かれてもいずれどこかで復活しますので、お気になさらず。ああ、その件について私は全く怒っていませんよ。貴公らにはあんなことが出来るほど上等な装備でも無いですから怒りを向けるのはお門違いというもの。憎むべきは戦争装置。ええ、私はかなり分別が付く方です』
ゲルミルの物腰はどこまでも穏やかで何の敵意も感じさせない。
戦えば勝つと確信しているからだ。
マルボロも完璧に理解させられてしまっていた。
現在のキュプロクスの装備では打倒の手段が無い。
拘束されているのも生体CPUが疲労しているのも問題では無い。
おそらく万全の状態でぶつかっても負けていた。
キュプロクスは、あるいは最初から敗北していたのだ。
このゲルミルが物見に徹していなければ三機撃破すら不可能だった。
もはやマルボロにも何をすれば良いのか分からない。
相手が即時破壊の選択肢を取らない理由を探りつつ、挑発混じりの問いかけで『次の一秒』を引き延ばすしかなかった。
「……それじゃその試練とやらを生き残った精鋭を残らず潰されて、怒り心頭ってところか?」
『そこは非常に遺憾に感じています。彼らは当方の教え子の中でも選りすぐりでした。ふむ。しかし、いくら戦闘技巧に優れるとは言え、貴公のような旧態依然の機体に破壊されてしまうとは。この関節などは、何世代前の造りですか? すごく古いような……』
異形の騎士が槍の切っ先を引っかけてキュプロクスの脚を持ち上げようとした。
『さ、さわるなっ!』
神経接続しているセルシアナが嫌悪感に耐えきれず悲鳴を上げてキュプロクスの銃口を向ける。
ゲルミルは『装弾数は六発でしょう。次弾は存在しない』と素っ気なく反応して単眼巨人の手元から銃だけを正確に弾き飛ばした。
厳密には蒸気機関の保管庫には他の弾頭があるが再装填など不可能だ。
『我が子らと貴公らの戦闘は、全て見ていましたよ。十全であれば、そうですね、私にも勝負は見えませんでしたが、今なら確実に言えます。貴公らは蒸気貯蔵量も限界で、生体CPUは疲れ果てている。現在の貴公らは、私に遠く、遠く及びません』
十六対の眼球がレンズ越しに舐め回すようにセルシアナを覗き込んでくる。
セルシアナは恐怖で上ずった声を上げた。
抱きしめてやりたかったが生命汚染防護服が二人の邪魔をした。
『ああ……美しい筐体ですね。Tモデル不死病筐体の系列ですか、きっと良い母胎となるでしょう。帝王様の手にかかれば、貴公も子を成す喜びを取り戻せますよ』
「こ、殺すなら殺せっ!」少女は叫んだ。「お前たちの培養装置になんかならない!」
『殺すなどとんでもない。私は、貴公らを、あなたを、とても評価しているのですから。手塩に掛けて製造したゲルミルを単独で三機も破壊するほどの勇士を、どうしてそう易々と破壊出来ましょうか? あまりにも惜しい。そんなことをすれば帝国にとっての損失です』
ふふ、とゲルミルは笑った。
『貴公らにスヴィトスラーフ衛生帝国に仕える名誉を与えようと思います。私が取りなして差し上げますから安心してください。歓喜に満ちた未来です。きっと二人揃って多数の子を持つ素晴らしいゲルミルになるでしょう』
「ひっ……。え、衛生帝国の傀儡め! 私は屈しない!」
『屈しない? 勘違いをしないでくださいね?』ゲルミルの触腕がレンズを小突いた。『今は過程の話をしています。屈するのは確定事項なのですよ。貴公は母胎となり子を育み洗礼を受けて我らが帝国の礎となるのです。そんなに怖がらないで。降伏するというのならば、私は隷属させるための苦痛は与えません』
マルボロはガスマスクの下で歯を剥いて唸った。
「……この子に触れるな」
『失礼しました。神経で繋がったいたのでしたか。怯えさせたくはないのですよ』
「三匹も教え子を潰されておいて寛容なこった」
『あの三人を破壊されたのは本当に残念です。許せない気持ちは、少しあります。ですが、貴公らの優秀な因子を掛け合わせて倍する数の兵士を産み出せば、最終的にはプラスですからね』
薄々気付いてはいたがゲルミルはキュプロクスの鹵獲にかかっていた。
マルボロは生命汚染防護服に寄りかかりながら片腕で起き上がりレンズ越しにゲルミルを見上げた。
箱の中に拘束された少女と視線が合う。
「ま、マルボロ……やだ……」
大丈夫だと囁きながら兵士はゲルミルに問いかける。
「おい、拒否すればどうなる?」
『最終的にはもちろん喜びが。しかし最初には苦痛があるかもしれません』
「苦痛ね。やれるもんならやってみやがれ、生命汚染防護服はお前らには開けられねぇ」
『確かに頑丈そうな箱です。我々では破壊が出来ないかもしれません。しかし神経パルスを流し込めば肉体に干渉が可能ですよ』
「出来ねぇよ。こいつの人工脳髄のセキュリティは万全だ」ロッカー越しにセルシアナの背中を叩いた。「外側から何を流し込んでもブロックする。どうせ呼吸のために通気性はあるはずだとか言って毒ガスを脅しに出すんだろうがとっくに耐性がついてる。お前にそいつを汚すことは出来ねぇ」
『毒ガスなど使う必要はありませんよ』ゲルミルは笑った。『知っての通りスチーム・ヘッドはフェロモン剤に対しては耐性を持たない。毒物ではないからです』
「…………」
『密閉空間で高濃度のフェロモン剤に暴露させ続ければ衝動に負けて貴公らは自発的に鎧を脱ぎ去ります。人格演算が高度であるほど本能的な欲望には抗い難いでしょう』
事実だ。生命汚染防護服は敵に奪取されるまでの時間を引き延ばすだけで加害とは言えない干渉まで遮断するわけではない。
高知性個体には、衛生帝国には幾らでも手段がある。孤立した状態で鹵獲されるとどうしようもないのだ。
「……お前らは開ける手段を知らねぇ。俺が開けなければ、こいつには手を出せねぇよ」
『貴公は開けてしまいます。密接な関係に見えますよ、悶え苦しむ愛しい雌性体を放置しておけますか?』
「そんなやわな精神だと思うか?」
『思いません。並外れて強靭な兵士だと見込んだからこそ、帝国に迎え入れようとしているのですから、そうでなくては困るぐらいです。ああ、きっと最初の一ヶ月は、いじらしくも耐えて見せるのでしょうね。ですが一年も続けばどうなるでしょう? 不死病患者は肉体を損壊される苦痛には耐えて適応します。でも欲望と快楽には抗えません。不死の洗礼を受けた肉体は、それを悪意ある刺激と認識しませんから』
「わ、私はそんなの平気だもん!」
『泣きそうな声で何を言うのですか。ああ、可愛らしい。教育のしがいがありそうです』
「で? クスリ漬けにされて苦しみたくなかったら降伏しろってのか。大人しくお前らの狂った軍団に鞍替えして、気味の悪い化け物に改造されろって?」
ゲルミルは目の幾つかを不服そうに瞬きさせた。
『誤解がありますね。我々はあくまでも苦痛のない同化を望んでいます。我々が提供するのはあくまでも心身の幸福。我々は不死となった貴公らに失われた喜びの全てを与えます。睡眠、食事、子を成すといった基本的な欲求を蘇らせて満たすだけではありません。芸術やスポーツを楽しむ心、新しい知見を生み出す意欲、愛する者と暮らし子を育む穏やかな生活まで、何もかも与えます。人間としての尊厳を取り戻す手伝いをすると、帝王スヴィストラーヤの名の下に確約します』
「どこにもない楽園みたいに胡散臭い話だな」
『まさしく楽園です。スヴィトスラーフ衛生帝国とは真実永久に続く楽園なのです。我々は貴公らをここに招き入れたいのですよ。喜びに満ちた文化的な生活の果てに、貴公らは楽園に暮らす人々を増やすことに更なる喜びと使命を見出すようになります。こうした精神的な位階の上昇を経て貴公らは望んでゲルミルとなるのです……』
欲望を目覚めさせ快楽を注ぎ続けることで衛生帝国による洗脳は完了する。
待っているのは人類文化継承連帯に向けて進軍し続ける狂気の兵士としての終わらない地獄だ。
「そりゃめでたいな。それにしてもお前、頭がおかしいのか? 遠足が失敗したら、今度は狂った信者の勧誘か」
『結果的にはそうなりますね。思わぬ損失であり、運命的な出会いでした。この都市にはもっと大きな意味があるようですが、探索は後回しにしましょうか。情報源をこうして捕まえているのですからね。他の継承連帯のクズ鉄と同じく、貴公らも遠からず秘めている言葉を私に聞かせることになりますよ。初恋の相手から軍事機密まで、余すことなく……』
<鹿殺し>やTFSSチームの情報が漏れているのは間違いない。マルボロは心が折れかけていた。
異変を察したTFSSチームの少女たちが独自に移動を開始してくれれば幸運だが、彼女たちには自発的に高度な判断が下せる成熟度では無い。
どうにもならない。
多いとは言えなかった策の全てが尽きてしまった。
コルトは、果たして見切りを付けて都市消却を行ってくれるだろうか?
『さぁ、勝敗は決しています。戦力補充の観点からも私は一刻も早く処置に移りたい。貴公らは最初の苦痛を免除されたい。利害は一致すると思いますが』
「同化なんかされてたまるかよ」
『ふむ……。その損傷で変異を起こさないデッド・カウント、私のような機体を前にしても怯まない勇壮さ。さぞ稼働年数の長いスチーム・ヘッドとお見受けしますが、では、何故同化を拒むのですか?』
ゲルミルの心底不思議そうな声は、最終的な処置はともかくとして、こちらに悪印象を持っていないことの裏付けだ。
マルボロはまだ時間を稼ぐことは出来ると考える。稼いでどうなるかは分からない。
奇跡は起きず、願いは叶わない。
神などいない。
兵士はそれをよく知っている。
「……人間をお前のような不死の化け物にはさせねぇというのが戦争装置様のお考えだ」
『人類文化継承連帯も不死の恩寵を利用しているではありませんか』
「お前たちとは違う」
『違うのは効率だけでしょう? まさか我々の方法論を残虐だと思うのですか? 人間をコンピュータ代わりに機械に詰め込む方がよほど残虐に見えますよ』
「かもな。しかし人間を馬鹿デカい不死の肉塊に変えるのとは比べ物にならねぇ」
『貴公ほどの熟練兵ならば、私が結合しているこのアーマーと貴公らのパペットにそこまでの差異は無い……というのは分かっていると思いますが? どちらの陣営についても最終的に大して違いはないことまで理解しているのでは?』
「ま、マルボロ、そうなの……?」
二人の問いかけに兵士は押し黙った。
『美しい乙女よ、聞きなさい。戦争装置の施策と衛生帝様の施策もルートと効率が異なるだけです。貴公らの悪夢は、貴公らの内側から生まれたもの。実際の我が帝国には生命の歓喜しかありません』
「それしかねぇんだろ。快楽漬けにして人間を飼い慣らす……」
『それだけで良いでしょう? 平等なる不死化だけが人類に恒久的な安寧と悦楽をもたらすのです。乙女よ……セルシアナ、というのがあなたの名前ですね? 怖がることはありません。幸福に満ちた未来が待っています。そこの男性に保護具を解除するよう懇願してもらえませんか?』
「お、お前たちの自由にはならないよ! お前たちとまぐわうなんてありえない!」
『我々が怖いのなら、そうですね、そこの雄性体と、これまでに捕獲したそちらの陣営の個体にあなたの処置を任せます。それならば何も怖くありませんね? ええ、だけど、すぐに帝国の仲間たちとも仲良くなれますよ。さぁ、スヴィトスラーフ様の愛を受け入れるのです。さもなければ……不本意ながら激しい苦痛が待っています。確かにあなたにはフェロモン剤を浴びせるぐらいしか出来ませんが、まずは、マルボロというのですか? そこの彼から切り刻み、すり潰し、ぐちゃぐちゃにし、蘇生させ、愛を与えます。乙女よ、彼が苦しみ、屈服し、他の個体と愛し合う姿に、どの程度耐えられるのでしょうね』
「マルボロも、私も、仲間を裏切るなんて、絶対にしない……」
『健気ですね。気持ちは分かりますよ。乙女よ、しかし、あなたがどんな選択をしても裏切りにはなりません。この状況からも理解出来るでしょう? この戦争は我々スヴィトスラーフ衛生帝国が勝ちます。つまり、いずれあなたの仲間も全て我らの友愛に溶け込むのです。そうですね、あなたが衛生帝国の栄光に服したならば、同化の工程に送られてくる友人や恋人に帝国の愛を注ぐのは、あなたの手に任せましょう。嬉しいですか?』
「そ……そんな、そんなの……」
『ね? 諦めてください。遅いか早いか、しかないのですよ。私への対抗手段が無いのですから』
「ま、マルボロ、どうしよう、マルボロ……」
マルボロは呆然と帝国の巨人からの降伏勧告を聞いていた。
どんな拷問を受けてもさほどの問題にならない。その自信はあったがセルシアナの精神状態が気がかりだ。
自分のせいでセルシアナが悶えて狂い果てるところなど見たくは無い。
もう結末が決まっているなら軍門に降るか?
コルトたちを裏切って?
TFSSチームを放り出して?
不幸にも襲撃と掃討を生き残ってしまったあの三人の家族を見捨てて……?
変わり果てたセルシアナがかつての仲間を拷問しているところが見たいか……?
それに耐えられるか……?
都市のどこかで爆発音がした。
建物の崩落が地面を揺るがせて、巨人の虚ろな胸の中にまで響いた。
マルボロは視察窓の向こうの死んだ街並みを見た。
気高い異形の騎士を見上げた。
動じていない。都市の残り火に照らされた純白の立ち姿は神々しくさえあった。
黙考した。
そして左手しかない体でぎこちなく体を動かして生命汚染防護服から固定具と神経接続用のプラグを抜き始めた。
一つ引き抜かれる度にセルシアナは小さく悲鳴を上げた。
「ひぐうっ!? はうっ、あぐっ……ま、マル、ボロ……?」
無言で黙々と保護具を解除していく。服を一枚一枚脱がすように。
都市が崩落していく音が聞こえている。
爆発音が響いている。
遠雷のように。
かつて永遠であると思われたもの全てが崩れていく……。
『ふむ。物わかりが良くて助かります。私も苦痛よりは喜びを与える方が好ましいです』
嬉しそうに声を弾ませるゲルミル。
プラグの大部分を抜かれとうとうロッカーから引き出されたセルシアナは裸体を滝のような汗で濡らしながらマルボロを横目で見た。
「降伏……するの……?」
青ざめながらマルボロに縋り付く。
「や、やだ、嫌だ、酷いよ、怖いよ……! 私たち何されるの? どうされちゃうの? コルトたちを殺すことになるの? みんなに憎まれて、敵として殺されるの?! やだ、やだよう、そんなのやだ……」
崩れていく。何もかもが壊れていく。
信じていたはずのものが。
爆音が轟く……。
兵士は「セルシアナ」と優しく呼びかけて背中の肌を撫でて囁きを吹き込んだ。
黒髪の少女がびくりと体を硬直させて涙をにじませながら頷く。
そしてキュプロクスの前面装甲が開かれた。
都市の凍てつく大気が熱を掻き分け内部へと一気に押し寄せてくる。
『ああ、聡明な兵士よ。協力に感謝します。まずは親愛を深めるために交歓の儀式を行いましょう。恐怖も薄れるはずです。フェロモン剤を吹き付けて全身の神経を麻痺させて、然る後、都市から退避し、基礎的な処置を行います。この辺りの設備も長持ちしそうにありませんからね、崩落に巻き込まれる前に……』
ゲルミルの触腕が伸びてくるのを見た。
セルシアナがぎゅっと体にしがみついてくる。
爆音が聞こえる。
壊されている。
壊れていく。
全てが……。
マルボロは左腰に吊るしていた拳銃を左手で抜いた。
『ふむ?』という怪訝そうな声を銃声が掻き消す。
『それは何のつもりですか?』
「降伏するなんざ誰が言った。勝手に話を進めるんじゃねぇよ」
一発、また一発と弾丸を打ち込む。
どこかで爆音が縦横に低く響く。
それに覆い被さるようにして銃声が鳴った
『不朽結晶弾のようですが、私には通じませんよ』
「そりゃ良かった」
三体目のゲルミルへの奇襲でマルボロは消耗しきっていた。
損傷は甚大だ。
この近距離でもマルボロは正確な照準が出来ない。目の前の巨人にまともに弾丸を当てられない。
トリガーを引く。
地鳴りが聞こえる。
撃鉄を起こす。
また一発撃ち込む。
銃声が……。
都市が崩れていく……。
『最後の抵抗、といったところですか。簡単には降伏しないと。仲間に操を立てようという態度は好ましいですよ』
「俺もお前さんのことは割と好きになってきたな。きっと快適に話が出来るいいやつだったんだろう。来てくれたのがお前さんで良かった」
『ええ。お互い愛し合えそうで良かったです』
「でもな、お前さん、もうどうにもならねぇよ」
『ふむ?』
セルシアナが残されていたプラグを介してキュプロクスを操作した。
単眼巨人の駆動音に、白馬の騎士が油断なく後退する。
そして十六対の目を瞬かせて首を傾げた。
キュプロクスが、中指を立てていた。
『中指を立てるだけ、ですか。何の意味が?』
「知らないのかい?」
少女は泣きそうな声で勝ち誇った。
「ファック・ユーっていう意味だよ」
『この期に及んで何を……』
銃声が轟く。
地鳴りが近付いてくる。
マルボロの合図でキュプロクスは前面装甲を閉鎖した。
次の爆音は、遅れてやってきた。
レンズの向こう側で何か恐ろしい速度の物体が飛来して異形の騎士を打ち据え騎士が姿勢を崩す猶予すら与えずに周囲の建造物を跳ね回り色の付いた暴風となって吹き荒びゲルミルの槍を砕き盾を潰し四本の脚を切断した。
マルボロにも視認は出来ない。
軌道と結果が分かるだけだ。
コンマ一秒未満の時間で解体された巨人が路上へと崩れ落ちる瞬間はしかし視認出来ない。
ようやく追い付いてきた衝撃波が何もかもを吹き飛ばしたからだ。
セルシアナはマルボロが耳打ちしていた通りにレバーを握り、必死の操作でキュプロクスの指を路面に突き刺し、衝撃波に巻き込まれるのに耐えた。
「本当に良かったよ」
マルボロは衝撃と耳鳴りに眉を顰めながら呟いた。
「お前さんが最新鋭の戦闘用スチーム・ヘッドの接近してくる音を知らないでいてくれて」
先ほどから散発的に聞こえていた爆音は破壊的抗戦機動に突入したスチーム・ヘッドが発していた音だ。
音速の数倍の速度に達した彼らはただ移動するだけで都市を揺らし単なる方向転換のためだけに建造物を蹴りつけて崩落させる。視認することすら許さない。それが非戦争装置系の技術的到達点に位置する超高性能機たちのスペックだ。
人類文化継承連帯でも最高峰の領域に達したスチーム・ヘッドは基本的に敵を逃がさず決して敗北しない。そして友軍にすら詳細な仕様を明かしていなかった。
どのような形で情報を獲得していようと彼らの異次元の戦闘能力と移動速度はゲルミルには決して感知が出来ないのだ。
だがマルボロは彼らの中に友人すら持つ。違う世界においてさえ知っている。
彼らの異常極まる移動音と都市が爆発炎上していく異音は、厳密に聞き分けられた。
ばん、と甲冑の手がレンズを軽く叩いた。
仰向きに倒れた巨人を覗き込んできたのはやはりスチーム・ヘッドだった。
正規部隊のヘルムに金属質のネックガード。人類文化継承連帯の記章が輝いていたがあまり見覚えの無い意匠があった。
分割された盾にも、無数に連なる都市にも似ていた。
「あなたたち、無事ね? 拘束は全て斬っておいたから」
澄んだ声でスチーム・ヘッドは言った。
年若い女の声。
おそらくはTモデル不死病筐体。
最上位機種の証だ。
「助かった」マルボロは拳銃を掲げた。「気付いてくれると思ってたぜ」
オーバードライブによる移動音のおかげで接近には気付いていたが音源はあちこちを移動していた。
マルボロは自分たちの位置を把握していないのだと判断した。援軍ではない可能性もあったが一縷の望みをかけて銃を撃って知らせた。
元よりゲルミルへのダメージなど期待していない。
スチーム・ヘッドが銃声を感知して位置を特定してくれることに賭けただけだ。
装甲を開放したのも音を外部へ響かせるためである。
「はぁ……。不甲斐ないわね。そのやたらしょぼい装備、あなたが『クーロン』でしょ。『不死殺し』だとか呼ばれてるんじゃないの? あんなクズ肉に良いようにやられてるんじゃないわよ」
「は? なんつった」マルボロは急速に不機嫌になった。「『不死殺し』なんて呼び方をするやつはあんまりいねぇんだがな」
「どうしたの。何だか知らないけど喧嘩は後だよ。とにかくありがとう、本当に危なかった!」
「それで、あなたがキュプロクスで、セルシアナよね?」
「えっ? うん、セルシアナ、いやキュプロクスだ」黒髪の乙女はきょとんとした。「誰? 知ってる人?」
「いいえ、初対面よ。会いたかったわ」
『な。んだ!?』
認識不能な速度での攻撃を受けて四肢を破壊されたゲルミルがのたうちながら叫んだ。
『何……何が!?』
「何が、じゃない。お前、よくも私の大事な妹の装甲に、汚い手で触れてくれたわね」
『な』
巨人の言葉は次の爆音で掻き消された。
スチーム・ヘッドはキュプロクスの上から一瞬で消えてしまった。
再びオーバードライブに突入して攻撃に向かったようだった。
レンズに制限された視界では何が起きているのか観測出来ない。艦砲射撃でも行われているような凄まじい音が耳を劈くばかりだ。もっともマルボロですら相手が二十倍以上の速度に達すると視認不能だったが。
触腕の残骸を振り払いながらキュプロクスが姿勢を復帰させてレンズを音の方に向ける。
その頃には全て終わっていた。
崩れ落ちていく高層建築物を背にして優美なシルエットをした細身のスチーム・ヘッドがこちらへ歩いてくるところだった。膝部分の装甲と一体化した鋭利な不朽結晶刃が特に目立った。
ゲルミルは最早影も形も無い。
おそらく瓦礫の下だ。
肉の欠片すら残っていないのは確実だった。
「最近の戦闘用スチーム・ヘッドのオーバードライブはこれだからな……」
セルシアナの細身を抱えるようにして生体CPU用の座席の座らせてもらいながらマルボロはぼやいた。
「何したってもう敵わねぇ。こうして見せつけられるとキツい……」
「EMP環境下でオーバードライブ使えるってことは相当な機体だし比べても仕方ないよ」
「そうだけどなぁ……」
「終わったわ、思っていたよりあっけないものね。二人とも聞こえてる? あのクズ肉の他に敵はいないのかしら」
スチーム・ヘッドは驚異的な戦闘機動を見せた直後にもかかわらず息も切らさずに呼びかけてきた。
「そう、あれが最後だよ。たぶん指揮官クラス。四匹落ちてきて、三匹まではやれたんだけどね」
「他のゲルミルはあなたが潰したの?」
「私とマルボロの二人でね」
「ふうん。そんな機体でよくやったと言っておくわ、セルシアナ」
「……は? 何。偉そう。知り合い?」
小声でマルボロを振り返って尋ねてきたが彼にも心当たりが無い。
「あー、まぁ、助けてくれたのは本当にありがたいと思っているが、それで、お前さんはどこの誰だ? 所属は? 何でここにいるんだ?」
「私は自己複製型要塞都市クヌーズオーエ所属の特務型スチーム・ヘッド」
両脚に不滅なる鋼の槍を携えた真なる不死の騎士は朗々と名乗りを上げた。
「――メサイアドール、<エリゴス>。領域殲滅機アトロポスの非常呼集に応じて参上したわ」
この断章は次で終わるはずです。




