セクション4 人類文化継承連帯/世界最終戦 その2 航空型都市襲撃機
キュプロクスに燃料を十分に補給したあとマルボロはTFSSチームの面々に今は休むようにと命令して、客間に押し込めた。
廃滅の極地にて、生涯を全うする。考えてみれば、そんな過酷な使命を背負ったTFSSの面々が、死体を燃料代わりに炉に放り込む程度のことでここまで動揺するのは奇妙だ。
マルボロは彼女たちの疲労は見た目より濃いのだと判断した。
実際客間のベッドに座り込んだ少女たちは緊張が途切れたのか四人とも腰が抜けたようになっていた。
煙草を咥えたまま家の中を歩き回った。本棚と同じぐらい家族写真が多かった。廊下に並ぶ無数の額縁と名も知らぬ一家の肖像。あちこちの棚を物色したが興味を惹く物資は無くどの引き出しを開けても拳銃は見つからない。
リビングに辿り着くと窓の防弾シャッターを上げて燃え上がる街の光を室内に取り入れた。人影が過った。同化も掃射も免れた幸運なあるいは不幸な不死病患者が複数名呆然とした顔で道路を歩いていた。どこかの地下シェルターで集団感染か暴動が起こって死んで蘇り、纏めて外に迷い出たのだろう。向かう宛てがあるのではなく死亡する前に抱えていた無意味なタスクを蘇ってからも続行しているだけだ。何事もなければいずれ立ち止まって動かなくなる。
過ぎ去っていく背中にマルボロは自分自身を重ねていた。
「俺もあれと大して変わらないんだ」人工脳髄の搭載されたヘルメットをさする。「生前の習慣に従って同じことを繰り返しているだけのゾンビ野郎だ。誰も救えねぇ。人を死なせるだけの能なしだ……」
擬似人格で稼動するスチーム・ヘッドは永遠に立ち止まることが出来ない。あの不死病患者の歩みは転ぶだけで終わる。マルボロは世界が終わっても死ねない。ぐらりと眩暈がするような錯覚があった。リビングを見渡して革張りのソファに体を預けた。対面にある壁掛け式のテレビモニタに向かい合う。揺らめく炎の影に浮かび上がる自分の曖昧な輪郭の影を眺める。マルボロは面をあげるとバトルライフルを抱えたまま煙草を吹かしソファに居心地悪そうに座っているガスマスクをつけた兵士の影をじっと見つめた。
リビングテーブルの上にデジタルビデオカメラが置かれているのに気付いて手に取った。電源ボタンを押した。反応しない。継承連帯が乱射している核兵器の電磁波と衛生帝国の電子戦用変異体が放射している電磁波によって永遠に動かなくなっていた。スロットルを開けて記録媒体を抜き取りラベルを見た。日付が書いてある。十年ほど前だった。この家の寝室で死んでいた子供が十歳ぐらいだったことを思い出した。今は炉の中だ。
キッチンに行った。煙草なり葉巻なりがあるかと期待したが無かった。テーブルに蝋燭の溶けきった燭台やコペンハーゲンの皿が置かれていてここに住んでいた家族は最期に食事を摂ったのだと分かった。煙草を口から離して皿を手に取り匂いを嗅ぐと生クリームの香りがした。また別の皿には冷凍のクリスマス・チキンが置かれていた。解凍が不完全で大部分が残っていたが取り分けた痕跡がある。蝋燭の火で炙って食べたのかも知れないがどの文化圏と照らし合わせてもその日はクリスマスではなかった。アルバムが無造作に置かれている。ページをめくった。家族写真。家族写真。家族写真。愛らしい子の成長の記録……。マルボロはこの家の子供は承知の上でチョコレートコーティングの青酸カリを飲んだのだろうかと考えた。夫婦は何を考えてそれを飲ませたのだろう? 家族写真。家族写真。家族写真。見知らぬ一家の笑顔と凍り付いた時間。幸せの残骸がそこかしこに転がっておりそして完全に破壊されていた。面をつけた。見ないようにした。マルボロは気が滅入り始めていた。ガスマスクで素顔を隠したこの兵士は生きていた頃は安宿を転々としあるいは塹壕であるいは駅のホームで眠った。誰かが安住の地と定めた場所に居座るとマルボロはいつも落ち着かなくなった。安住の地が壊れてしまった痕跡はさらに見るに堪えない。それこそは最愛のコルトを育成していた日々の残骸でもあるからだ。
すぐ手持ち無沙汰になった。TFSSチームの様子を見にいくと彼女たちは遺留品の燭台に火を灯して変異対抗波展開装甲を外し肌着だけになりベッドの上で四人で身を寄せ合っていた。扉は完全には閉まっておらずマルボロは一瞥したあと気まずくなりすぐに身を隠し耳を澄ました。「だいじょうぶ」「私たちなら出来る!」「もう少しだよ」「最後まで四人一緒だよ」。大方そのような会話が聞こえてきた。もう一度だけ扉の隙間から室内を覗き見たが最初に考えたような光景はそこに無かった。子猫がじゃれ合うような穏微な接触をしながら四人は恐怖に強張った肉体を互いの肌で温め合ってほぐしている様子だった。
暗がりで手巻き式腕時計の針を手甲の指でなぞり現在時刻を確認する。資源略取用膨脹母機を完全に不滅の青薔薇に変換し終えるにはまだ時間が必要だった。
家屋を破壊したときに出来た開口部の傍にビニール張りの椅子を一脚持ってきてそれに腰掛けた。
破壊された都市、そして屋外で発電を続けているキュプロクスの大型蒸気機関から燃え盛る空へ薄く煙が登っているのをぼんやりと眺めた。
巨人の装甲が軸に沿って回転し胴体部のレンズと同じ材質の視察窓がマルボロの方を向いた。
不朽結晶製の硝子の奥に不死となった少女の息吹を感じた。
『やあマルボロ。サボってないか見に来たのかな。あいにくだけど私は何の仕事もしてないよ』
「保安官ともあろうものがなんてザマだ。俺もボーッとして共犯者になってやらねぇと」
『いいね。同じ気持ちで嬉しいよ』
一緒になって火の燻る終わりの都市を眺めた。
もはやここに未来はない。悪性の不死が徘徊しており規定の手順が終了した後には死と破壊しか残らない。そういう運命の、破滅の都市だ。しかし沈黙して炎の弾ける幽かな音が風に乗って聞こえてくるだけの風景は存外に気分の良いものだった。
前線基地に戻ると怒号と内容の錯綜した緊急アナウンスが聞こえてくるばかりで否が応でも神経が昂ぶる。死地でしか本当の意味での安息を得られないのは生前からだったがマルボロのその症状は悪化の一途を続けており鉄火場の只中にいるときだけ精神が安定した。
何とはなしに離席して停止した冷蔵庫からウィスキーを拝借してきてグラスに注いで手に持って再び椅子に座った。生前なら戦場の只中でもアルコールを摂取していたが現在のマルボロは酒など飲まない。飲もうとも思わない。不死の肉体が飲食を拒絶するにしても口に含む程度なら可能だろう。それなのにガスマスクを外す気にならない。自分でも何故飲みもしないウィスキーを持ってきたのか分からなかった。
『マルボロ、TFSSチームの子たちはしっかり休んでいるかな?』
「さっき見てきたが装備を脱いで四人で互いをペタペタ触りあってたな」
『だけどそれって逆に疲れるんじゃない?』
「子猫がなめ合いをするような、ささやかな、ちょっとしたもんだよ。お前さんの期待ほどじゃない。四人で生まれて、四人で生きてきたなら、ああいう健気な触れあいが良いのかもしれねぇな」
『何それ可愛い。私も混ざって色々教えてあげたいな』
Tモデルは大抵そうであるがセルシアナの欲望は倒錯的だ。セルシアナの庇護欲や守護者としての気骨は捻れ曲がって、より根本的で、即物的な情欲へと直接に接続している。
彼女にとって弱いものを守ることは欲望のはけ口を増やすことに他ならない。暴力的であるとして断罪されないのは、セルシアナがそれを糧として十二分の働きを示し、また配下と硬く結束しているからだった。
どうであれ彼女を四人と合流させてしまうとそれこそTFSSチームは疲労困憊とある種の急性中毒によって任務どころではなくなるかもしれなかった。戦争装置への意趣返しになって愉快かも知れないが。
しかし世界の終末に関わる任務の最中であった。
「お前さんは作戦の要だ。帰還してから、ゆっくり遊んでやれば良い」
『……それは無理だよ』
巨人は僅かに機体を振り向かせ戸惑ったような声を響かせた。
『あの子たちはここで死ぬんだから。帰還はしない』
マルボロは卒然として黙り込みキュプロクスを見た。
「それもそうだったな」
『……変な冗談を言ってごめんね』
「良いさ。俺も悪かった」
無言の時間が来た。
グラスを回して持ち上げウィスキーを空にある火の海に透かす。焼け付いた琥珀の色。人類種の黄昏にうってつけの色。
アド・マザーバルーンの鎮圧が済めばまた立ち上がってTFSSチームを護送しなければならないが許されるなら世界が終わるまでこうしてずっと座り込んでいたかった。
ここで四人ほど娘を使い捨てて自分たちだけ前線基地へと帰還するのだという事実が虚無感を増幅させていく。
何もしたくなかった。
『……マルボロもかなり疲れているね。こうした任務は、やっぱり嫌なのかな』
「人でなしの仕事は散々やってきた。生前からのなりわいだ、今更嫌になったりするもんかね。今は……質の悪いヤニが頭に回ってるだけだ。最近は粗悪品ばかり回ってくるしな」
『これは誰かがしなければ行けない任務だよ。生存者がいないとことの確認。TFSSチームを<鹿殺し>まで護送すること。兵士の本分は仲間と団結し、敵と戦い、弱い市民を守って助けてあげることだ。強がりを言ったって、生粋の兵隊である君には、もちろん、こんな作戦は、嫌なことだとは思うよ。だけど戦争装置だって好きで汚れ仕事を用意してるわけじゃないんだ』
「分かってるとも」
『それなら、せめて誇りに思わないと。私は平気だよ? あの子たちも私も、ドグマはたぶんあまり変わらないからね。だけど……君は違う。どう言い繕っても、本当は正義を愛する人だ。滅んだ世界から脱出してきて、新しい戦場で、自分とは関係の無いみんなのために戦ってる。容易いことじゃないよ』
「……流されてるだけだ。正義を愛するならセルシアナの製造をむざむざ認可したりしない。戦争に行くためだけのクローンなんて認めるべきじゃなかった。俺は流されてこの地獄を許している」
キュプロクスは溜息を吐くようにして蒸気を漏らした。
『そう。そうなんだね。だけど、私とコルトは、君や、それにスカーレット小隊の皆と戦えて、光栄に思っているよ? ……そんな言い方は悲しいよ』
「ああ、違う、お前さんが憎いわけじゃない。ごめんな。セルシアナ、悪かった」
マルボロは俯いて煙草の吸い殻を握りつぶしポケットに入れた。
「同じ間違いを繰り返して何にも反省してない俺自身が嫌なんだ。コルトのとき散々後悔したことを延々引き摺って、何も悪くないセルシアナにまで酷いことを言ってる。ごめんな……」
『……あんまり精神の摩耗が酷いなら、代役を立てるべきじゃないかな。君が小隊の皆のまとめ役だとしても、全ての負担を背負い込む必要は無いんだから。合流してきたエウレカ隊なんかも人心掌握は得意だし。TFSSチーム護送だって、他にも出来る機体が居る』
「このEMPの嵐の中でまともに活動出来るのは、俺みたいな旧式と、お前さんみたいな純粋蒸気駆動方式のパペット、それもとびきり強力なやつだけだ。俺の代役つっても、数は多くない。他の連中は俺と違ってまだ他の使い出がある。こんな疲れるばかりの仕事で消耗させたくねぇ……」
『そう思うのなら最後まで君が責任を持って遣り遂げないと。みんなマルボロに頼ってるけど、みんなに負い目が無いとは思わないでね。信頼と心配が君に注がれてる。君がやるべきなのは、過酷な任務をいくつもこなして「なんてことないさ、やっていこうぜ」って皆の前で笑い飛ばすことだよ。私もそれが見たい』
「ああ。ここが無理のしどころだ」
『あくまでも心配しているんだよ。それを忘れないでね。私やコルトも、君をとびきり頼りにしているんだから。君が欠けた世界を、私たちコルトに連なる筐体は想像出来ない。誰だって永遠に無理は出来ないんだからどこかで割り切らないと駄目だよ。スチーム・ヘッドとしての稼働年数が三百年を超えてるんだから実感が薄いのかもしれないけど』
「お前さんがそう言うなら、そうなんだろうな」と頷いているうちに異変に気付いた。
グラスが震え始めた。
濁り腐っていくだけだったウィスキーの水面はいつしか波紋でいっぱいになった。
そのうち防刃能力を持つ分厚い布地越しにでも空気の震動が伝わるようになった。
キュプロクスも『何か来てるね』と緊張した声音を発した。
「地鳴り……敵のバカデカいのが歩いてきてる……って可能性は低いな」
『うん。さすがにそのレベルの変異体をこっちまで通すほど、防衛ラインは崩壊してないと思うよ。いつそうなっても、おかしくはなさそうだけど。でも、どちらかと言ったら、これは航空型都市襲撃機が近付いてくるときの震動に似てる』
「同感だ。しかしまだ巡回に来る時間じゃねぇぞ」
マルボロは手巻き式腕時計の文字盤を燃える炎で照らして再確認した。
「予定だと次はもう三時間ほど経ってからだ。生存者がいないのを確認してから、襲撃機の掃射に乗じて俺たちは安全に脱出する。そういう段取りだったのにな」
『じゃあどこかで段取りが狂ったんだろうね。ほら、見てよ』
大型蒸気甲冑の指先が持ち上がった。赫赫と輝く雲を示した。マルボロがつられて見上げると雲という雲が急速に吹き散らされて剥ぎ取られていく最中で、数秒後には一糸纏わぬ夜の黒々とした滑らかさが晒された。
航空型都市襲撃機は都市焼却機や都市砲撃機と同じく山嶺と見紛うほどの巨体を持つ。
それが強引に飛行しているために純粋に移動するだけで周囲の雲の流れに大幅な影響を及ぼすのだ。
こうした異様な天候変動は、まさしく彼女たちが現れる予徴だった。
「侵攻が始まって以来、狂ってばかりだな」
『嫌になるね』
自棄になって二人して笑った。同時に息を止めた。
「……合図を出しておかないと撃たれるな」
マルボロはウィスキーをグラスごと投げ捨てて破壊された家屋から跳んだ。
アスファルトを転げて飛び起きキュプロクスに取り付いた。
張り子の脚部から多目的ストレージを引き出して発煙筒を抜き取り頭薬を擦って着火した。
緑色の煙が吹き出し始めると家の前に投げ捨てた。
航空型都市襲撃機は信頼出来る端末だが地上の様子を徹底的に精査して攻撃するわけではない。味方に似た敵。敵に似た味方。彼女からすればどちらもただの射撃目標であり友軍がここにいると明確に示さなければ無差別攻撃に巻き込まれる可能性がある。
「予定より早すぎるのだけが気がかりだ」と呟きながらキュプロクスの手を借りて屋内に戻ると半裸のTFSSチームが慌てて駆けつけて「どうしたんですか?!」と悲鳴のような声を出した。
マルボロは「こら」とすごんだ。
「服を着ろ、異常事態に素っ裸で走ってくるな、装備を付けろ、年頃の娘が恥ずかしくないのか」
「裸じゃありませんちゃんと着てます!」「銃は持ってきました!」「敵襲ですか!?」「がんばります!」
「いいから上も下もつけて変異対抗波展開装甲を着込んで、起動させなさいと、そう言ってるんだ。これはお嬢さん方のためだ。気持ちは切り替えてくれ」
マルボロは、彼女たちのような使命に殉ずるために生み出された聡い少女たちが、想定外の事態に対しては幼い子供のように振る舞うのが苦手だった。
不死ではなかった時代の幼いコルトを思い出すからだった。
「いいか、どうやら航空型都市襲撃機が接近してきてるみたいだ。俺たちスチーム・ヘッドは最悪撃たれても死ぬだけだが、お嬢さん方は生身だ。死んだら次はない。念のため赤外線ビーコンで位置を知らせとけ」
「都市襲撃機《MT》ですか! それは危険ですね!」
少女たちは大慌てで引き返していきすぐに装備一式を着込んで戻ってきた。早着替えも良いところだ。
生まれてこの方この装備しか身につけたことがないといった手際でおそらくそれは現実だった。マルボロの目では判別不能だったが言われた通りに赤外線ビーコンも起動させているはずだ。
キュプロクスに頼んで屋根と壁をもう少し余分に壊してもらい上空から彼女たちが見えやすいようにした。
発煙筒の煙と合わせてスヴィトスラーフ衛生帝国の一部の変異体に発見されるリスクはあったがそれが可能なほど高度な敵は現在この都市にはおそらく存在しない。
都市襲撃機の方が余程危険だった。一時間に百万のオーダーで殺戮を実行する浮動要塞の弾幕を突破して変異体が突撃してくる可能性は僅かだ。誤射によって粉微塵にされる可能性の方が圧倒的に大きかった。
やがて地平線の彼方で雷が群れを成して咆哮しているかのような凄まじい音が轟き雲の散った空を無数の赤い光が切り裂いていくのを観測するに至ってマルボロは自分たちが考えているのとは異なる事態が起きていると理解した。
「断熱圧縮された空気が赤く光ってる。電磁加速砲の弾か? セルシアナ、この辺の担当の襲撃機は、こんなバカスカ砲弾を撃ちまくれたか……?」
『<ヒュプノス>は都市掃討に特化してるから、ああいうのを積んでるのはおかしい。たぶん違う端末が飛んで来てる』
「違う端末って何だ」
『とにかく違う端末。コルトならともかく戦術ネットワークに接続できない今の私には断言が出来ないよ』
近隣地域を巡回している航空型都市襲撃機は<ヒュプノス>という個体名だったが彼女には長距離狙撃が可能な設備が存在しておらず都市を強襲して対地掃討射撃を働く以外の任務はない。
つまり長距離狙撃を実施しながら接近しつつあるのは、全く違う機体と考えるのが自然だ。
兵器としての破壊力は凶暴であるにせよマルボロたちにとって<ヒュプノス>は馴染みの襲撃機だった。言葉を交わす方法も無いが兵士たちは例外なく強力無比で完全な彼女に尊敬と親近感を抱いていた。彼女の系譜にある襲撃機は基本的に精密な仕事をするというのが大凡共通した評価だった。
一方でマルボロは砲戦が可能な別な襲撃機とは全く面識がない。
より上位の<ニュクス>系列かもしれない。全自動戦争装置<ウラヌス>に近しい彼女たちが何をドグマにして活動しているのかは見当が付かない。
戦争での勝利という大目的を最優先し友軍の被害など考慮しない可能性がある。
情報共有無しで緊急的な配置転換が行われたと仮定するならば敵味方識別については楽観的な見方をするのは悪手だ。
しかし様々な事柄が常にそうであるように『他に有効な手段が無い』。
予定を変更してTFSSチームを屋外に降ろした。その上でキュプロクスが家屋にもたれかかって四人を包み込むようにして被さり関節をロックした。即席だが不朽結晶製の分厚な盾だ。不明な襲撃機の武装にもよるが無差別攻撃が始まっても最低限度彼女たちを守れるはずだった。
ガスマスクを装面しマルボロもキュプロクスの傘に入りTSFFチームの四人を抱き寄せて守ろうとした。もちろん何の意味も無い行動で何千発という弾丸が突入してくれば彼の体は盾にもならない。かつて雷に怯えるコルトに対してしたことをTFSSチームにもしているだけだ。彼女たちは安心したような素振りを見せた。マルボロも少しだけ安堵した。
一行は固唾を呑んで航空型都市襲撃機の襲来を待った。
散発的に上空から都市の地表へと光が突入するようになり爆音が響き始めた。少女たちは恐怖の限界とでも言いたげに震えていたがここからが本番だった。
程なくして敵を殺すための願いが込められた鋼鉄の流星が雨嵐と降り注いだ。
一瞬一秒ごとにより過激により強烈に都市へと砲撃が撃ち込まれていく。応射は無く鉄と熱の暴風が一方的に空から降り注いだ。光の全てが焼灼用のレーザーと五十口径の重金属弾で不朽結晶以外のものとぶつかればそれを跡形も無く千切り飛ばしてしまう点を無視すれば殺戮をもたらす光の雨が降り注ぐ光景は幻想的であった。黒々とした夜の闇から絶え間なく飛来する光の群れは例外なく必殺の精度で放たれており無機質な殺意の狂乱が燃え落ちる街に不吉な彩りを添えていた。
砲声はますますけたたましく都市を震わせるようになり暫くしてマルボロたちの頭上にそれは現れた。
雲と煙を衣を剥かれた裸の夜を這って都市の空に滑り込んできたのは異形の浮動要塞だ。ありとあらゆる兵器を満載にしたジェットエンジンと空間斥力転移装置の複合装置。
厄災の雨をもたらす乱気流の化身。
肋骨の奥の心の臓、さらには地に散らばる瓦礫までもが跳ね上がるような凄絶極まる爆音が、都市に響き渡った。
航空型都市襲撃機の外観を表現するための適切な言葉は存在していない。彼女たちは諸々の力学を半ば無視して空を移動する全自動戦争装置の攻撃端末であり外観に人間に友好的なシンボルや整備性の向上に貢献する細工は見当たらず屑鉄の山嶺とでも言うべき出鱈目な構造体の全貌を地表から詳細に観察することは不可能に近かった。ましてや夜間では空に蓋が成されたという程度の観測が関の山だった。
自分たちの上には砲弾が降ってこないことを確認してマルボロはキュプロクスの傘から出て上空を確認した。砲火が煌めく一瞬に僅かだけ浮動要塞の凶悪な武装群が見え隠れする。
こうした大量破壊兵器は元は連帯非加盟の敵対国家の都市を選択的に殲滅するためだけの端末で、さほど戦略的な地位は高くなかったのだが、衛生帝国との最終戦では重要な戦力の一つだった。投入すればどんな都市も短時間でまっさらに出来る。無辺のサイズで飛翔しそれが通り過ぎた後には草一本残らないという狂気的な殲滅性能からジェノサイダル・キュムロニンボス(根こそぎ積乱雲)などと呼ばれることもあった。
このおぞましい浮動要塞の下部には何万基もの機銃とレーザー照射器が並んでおり、あだ名に違わずスーパー・セルの如く都市を蹂躙する。劣悪な環境下でも正常稼働する高性能観測機器が設置されているため今回の襲撃でもセンサー探知内に存在する全ての移動体を致死の暴風で粉砕していると見て間違いない。
奇妙なのはこの襲撃機が継続的に機体上部にあると思しき電磁加速砲で絶えず長距離砲撃を行っているということだ。そしてその弾丸は少なくともこの都市を標的にしていないのだ。
間近で砲撃の有様を見ても目標が不明だった。単なる航空近接支援や定時殲滅に現れたのではないらしい。遥か前方に存在する高脅威度目標に砲撃を行うついでにこの都市の掃討に現れたと言った風情だった。
散々に警戒していたがスモークのおかげかマルボロたちの周囲には弾丸が降り注ぐことは無かった。攻撃の終わり頃にはマルボロたちには手を振って航空支援をねぎらう余裕さえ生まれていた。
しかし安心したのも束の間のことで一通りの射撃が終わったあとになって突如として襲撃機からマルボロたちへと眩い光が投げかけられた。
レーザー走査だ。
周辺が青い光で照らし出されたときには照準されたかと思ったが何の害も無かった。ただTSFFチームの一人が恐怖で失禁したらしく「せっかく履き替えたのに……」と泣きそうな声を出した。
死と殺戮と砲弾を振り撒いた都市襲撃機はゆっくりと方向転換してどこか違う座標へと前進を始めた。
その間も電磁加速砲を連射しており機体のあちこちから対地誘導弾を吐き出していた。
「何だったんだ……?」
まるで意図が分からない。<ヒュプノス>が来なかったのも重兵装襲撃機がわざわざこの防衛ラインにまで出張ってきたのも全て理解不能だ。
しかし敵味方識別は正常だったらしくキュプロクスもTFSSチームの面々も無事だった。
アド・マザーの状態を確認しに向かったが襲撃機によって<不滅の青薔薇>への変換が終わるどころかレーザー照射で解体された後であり最早憂いは何一つ無かった。
残存する敵も念入りに潰された後のはずだ。ひとまず清潔で脅威が少なく安全な状態になったと言える。
トータルで言えば今回のアクシデントはプラスに働いた。
出立の準備をしているとTFSSチームの一人が「あ……」と声を上げた。
マルボロも気付いていた。
近隣の高層建築物。
誰かが屋上の淵でストロボライトを点滅させていた。
航空移動型都市襲撃機の接近を観測した誰かが誤射をおそれてライトを必死で点滅させたのだ。
スヴィトスラーフ衛生帝国の虐殺と都市襲撃機の掃討を受けたこの都市は壊滅したと判定されていたが間違いだった。
生存者がいた。
奇跡的なことだった。襲撃機の攻撃を二度乗り切り衛生帝国からも逃げ延びた。
あまりにも無意味な奇跡だった。
『あの人たちは、どうしようね』とキュプロクスが尋ねた。
「どうしようもねぇと言いたいところだが」
「それでは困ります」とTSFFの隊長。「規定では<鹿殺し>は市民が活動している環境では起動出来ません……危険すぎます」
『どうせ死ぬだけだから放っておいても良いんじゃないかな?』
「だけど、市民を救うのは兵士の義務です! ……私たちは正しいことをして死にたい!」
TFSSチームの隊長格は声を荒げた。
「私たちの目的地は、もうすぐそこです。私たち四人だけでも突破出来ます。護衛を切り上げてでも彼らの救難をお願いできませんか!」
マルボロは黙考した。
マルボロ――エージェント・クーロンはかつて正しい者を志した。義人を目指していた。今は違う。もはやそんなものにはなれない。拳を血で染めただけではない。彼はとうの昔に頭の先まで血の海に沈んでいる。正しさなど求められる立場にない。
だが今回は少女たちのためにそうあろうと決めた。
どうあれ死ぬしかない存在が、せめて善くありたいと願うのを無碍にするなど、到底耐えられなかった。
「……お嬢さん方。護送任務は続行する」
そこは譲れなかった。
死ななかっただけの市民とTFSSチーム。
エゴを尽して考えても価値の重大さが比較にならない。
「だが、お嬢さん方の意向も考慮して、あの市民も無視しない。まずは状態を見にいく」
「ありがとうございます、クーロン大尉。どうか助けてあげてください」
「……可能な範囲でな」
可能であることはおそろしく狭い。スチーム・ヘッドが一機。純粋蒸気駆動方式のスチーム・パペットが一機。ステルス行動で最小限の敵を倒し陥落した都市に決死隊を送り込むためだけの装備だ。敵を倒すのも人間も殺すのもマルボロは素手で実行出来る。
だがこの極限状況下では入念な用意が無ければ子供一人救えない。
「救出は想定してないがやるだけはやろう。構わないな、セルシアナ」
『もちろん。私は賛成しないけど君ならそう言ってくれると思っていたよ。仲間や市民を守ることほど大事なことはないもんね』
キュプロクスから響く声は大層嬉しそうだった。
『今ならリスクは低いし敢えて反対する理由も無い。襲撃機が掃除してくれたし。TFSSチームが急がないなら時間はまだあるよ』
「蒸気甲冑が無いから登攀は無理だな。いつもの頼めるか?」
『お望みとあらば。でも、あれ毎回成功すると思ってるなら君はビョーキだよ』
「俺はボールよりも頑丈で、ユリカモメが着水するよりも綺麗に着地出来る。墜落しても死ぬだけだ。それにお前さんの腕前を信頼してるのさ」
『こそばゆいね。下手をすると君を殺すことになる私の気持ちも考えるべきだけど』
「そう言うなよ。何より、飛んでる間このままだと落ちて死ぬかも知れねぇって思えるのが最高に気持ち良いのさ」
『ビョーキだよやっぱり』
TFSSチームが状況を飲み込めずに一人と一機が軽口を叩くのを見守っている間にキュプロクスはガスマスクの兵士を掴み上げ関節から蒸気を噴出させながら振りかぶった。
そしてマルボロをストロボライトに向かって思い切り投げた。
放物線を描きながらマルボロは飛翔した。スチーム・パペットがスチーム・ヘッドをこのようにして投擲するのは然程珍しいことではなかった。無音かつ高速で不死の歩兵を高所に移動させられるのはメリットしかない。ただしマルボロには空中で姿勢制御するどころか減速するための装備すら無くそういった意味では異常だった。
キュプロクスの言とは裏腹に狙いは正確で、投げ飛ばされたマルボロは屋上に完璧な形で到達した。着地の衝撃を殺すために肩口から前転して全身を捻って姿勢を制御する。困難な身体操縦だ。只人が真似をすれば即死するだろう。凡百のスチーム・ヘッドでも全身を複雑骨折して再生を待つことになる。
マルボロは以前いた違う世界では重機関銃を抱えて落下傘無しで敵陣へと降下していた。
それと比べれば楽な仕事だった。
抱えたバトルライフルに傷一つ付けることなくマルボロは直立姿勢へ復帰した。
「きゃあ!」
ストロボライトを点灯させていた煤まみれのスーツ姿の女性が突如乗り込んできたガスマスクの兵士に悲鳴を上げた。
「な、何ですか?! 誰!?」
「ち、近付くな! 撃つぞっ!」
もうひとり十代半ばの少年が立っていて女性を庇うようにして寄り添いバトルライフルを向けてきたが当の女性は立ち上がることも逃げることもしなかった。彼女は両足を欠損していた。新しい傷ではない。機械義肢用のソケットが露出していた。EMPによって機能停止した義足を切り離した後なのだろう。
姉弟とも親子とも取れなかった。
マルボロは戦闘服についた埃を呑気に払っていたが返事をしなかったせいで首元を撃たれた。大動脈が破損して傷口から血が噴き出した。
「リカルド、待ちなさい!」
「黙ったままなんて怪しい! どっかの国の工作員だ! 殺さなきゃ殺される!」
マルボロは傷口を押さえて咳き込みながらガスマスクを外し素顔を晒した。血を吐きながら「よう少年、敵かも知れないと思うなら躊躇せず頭を撃つもんだぞ」と言った。銃創を負うことについては十分な経験があり傷口は程なくして繊維化して結合し元の完全な肉体に戻った。
「さ、再生能力……!? あんたスチーム・ヘッドか!?」
「そうだ。全く、言われた通り近寄ってねぇのに撃たないでもらいたいもんだ。とりあえず俺はお前さん方の敵じゃあねぇ」
肩口の継承連帯の記章を示すと少年は肩で息をしながら脱力し銃口を降ろした。
「紛らわしいんだよ! 殺すところだった!」
「そうだな、人間なら死んでたな。スチーム・ヘッドじゃなければ裁判沙汰だ」
マルボロは悪びれた様子も無く返した。
実のところ撃たせたのは意図的だった。精神状態が極度に張り詰めた状態だと会話が成立しない可能性がある。都市襲撃機や変異体の群れを見たあと、人間は高い確率で恐慌状態に陥る。
どんな冗句でもその緊張を解すことは出来ない。
しかし殺しても反撃してこない相手に対して殺意や緊張感を持ち続けるのは不可能である。
「……いや、撃って悪かった。ごめんなさい」
「息子が失礼をしました」女性は頭を下げた。「三日もこの混沌の中で藻掻いています。混乱しているのです」
「誰だってそうなる。気にするな」ガスマスクの兵士は頷いた。「義人参上ってな。生き残りがいるとは思わなかった。お前さん方は運が良い」
「では、やはり、救援に……」言いかけて、スーツの女性は目を細めて首を振った。「いいえ、その記章は対都市粛清部隊のものですね」
「そうだ。期待に添えなくてすまねぇがお察しの通り人間を助けるのは任務に含まれてない」
「救援じゃないって、じゃああんた、何しに来たんだよ」少年は不機嫌になった。「なんでどこぞの国の生物兵器が襲ってきてるのに粛清部隊が来るんだ!」
「やめなさいリカルド。戦争装置の端末まで来てくれている、見捨てられていたわけではないわ。そうでしょう、スチーム・ヘッドの方。申し遅れましたが、私は市長補佐を務めておりましたエリザと申します。立ち上がってご挨拶をすべきところ、着座のままで失礼を」
「市長補佐……問題ありません。楽にしてください」
マルボロは態度を切り替えた。
社会的身分の高かった人間なら事務的な会話の方が対応しやすいだろうと配慮したのだ。
「市長はどちらに?」
「死にました。市庁舎が陥落する寸前、私に権限を委譲して、自分の口にプラスチック爆弾を詰めて……」
「頭を吹っ飛ばして死んだと。手順通りだ。立派な方だ」
<鹿殺しの>が設置された都市では、市長は絶対に捕獲されてはならない。
脳髄の一片も相手に渡すべきではない。
悲惨な死に様だが正しい終わりだった。
「しかし、市長補佐がどうしてこんなところに? 自害もせず逃走もせず救助待ちなら、規定通り、地下シェルターに行けば良かった」
「私は脚がこれなものですから、避難に手間取りまして」市長補佐の女はタイトスカートから覗く脚のソケットをさすった。「息子が背負子を持って助けにきてくれなければ市庁舎に取り残されて死んでいたでしょう」
「ほう。孝行者だ」
「……僕はあらかじめ市長に命令されてたんだよ」
「それでも見捨てて逃げる選択肢もあったんだから偉いもんだ。それで、さっきから年齢差が微妙だなと思ってたんですが親子でいらっしゃる?」
「実の親子です」
「母さんはテロメア延長手術を受けているんだ」少年がむくれた様子で言った。「俺と違って優秀だから生きているべきだと認めてもらえた。……見た目よりずっと年寄りなんだぜ」
「リカルド。やめなさい。ええと、それに、標準仕様書に書かれた場所に最寄りシェルターの入り口が無くて……仕方なしに自宅に戻って、息子に階段を塞いでもらい、高所に立てこもっていたのです。と言っても、死ぬ間際に市長が地下シェルターよりも高所の方が安全かも知れないとアドバイスしてくれたからなのですが……」
合理的な判断だった。
衛生帝国の装甲化器官兵士スケルトンは、スチーム・ヘッドと同じく人格記録によって活動しているが、継承連帯の戦力と比較して遙かに劣った存在だ。
知的活動の自由が殆ど無く、行動も単調で、犠牲者を探索する行動も完全にパターン化されている。動きやすい平地を虱潰しで歩き回る。閉まっている扉はこじ開けようとする。だが通れない階段を踏破するための工夫はしない。立て籠もった人間にまで手を出すのは効率が悪いし、いざとなればガスを散布して燻すなり飛行艇を使って窓から襲うなりすれば足るからで、そうした仕様外の行動を決定するのは極めて数の少ない指揮官レベルの個体の仕事だ。
歩兵クラスの装甲化器官兵士の認知特性をハックしてやり過ごす。
一時凌ぎの対策としては非の打ち所がない。
「……それで、市長は他に何か?」
「ここは囮だからその本分を全うしなければいけないと言っていました。第一防衛ラインよりも後方で、第二防衛ラインより前方にありますから、敵の侵攻があったときはここに敵戦力を集中させて、堰き止めなければならないのだと」
「その通りです」
この都市の真の役割については慎重に言及を避けた。
「他には?」
「何も。戦局はどうなっていますか。第一防衛ラインは突破されたとして……第二防衛ラインのあたりで押し返せているのでしょうか」
「第二はとっくに抜かれました。どうも聞こえてくる噂じゃ第三防衛ラインが主戦場らしい」
二人とも絶句したようだった。
第一防衛ラインには数十機の移動要塞が駐留している。それらが突破されることすら信じがたいというのに第三防衛ラインまで敵の浸透を許しているとなれば当然の反応だった。
「第三防衛ラインって……戦争装置は何してるんだよ」
「俺も知らん。第二より先にも襲撃機が出てるから、放棄したわけじゃ無いのは確かだ」
「私たちの不手際ですね。限界まで自動迎撃機械とラジオヘッド、無害化変異体を使って対抗してはみましたが、我々が不甲斐ないせいで……」
「いいえ、これはおそらく……物量の問題です。気に病まないようにしてください。それで、ここにいる生存者は貴方が二人で全部ですか?」
「……まさか、私たちで全部なのですか? 他に生存者は!?」
「市長補佐、まことに遺憾ながら、今のところ、他に救援信号の類は確認出来ていません。市街へ脱出出来なかった市民は全滅したとみるのが妥当でしょう」
「そうですか……」
「だが二人だけというのは運が良い。我々は現在、別の任務に従事していますが、しばらく持ち堪えて頂ければ帰路でピックアップして……」
「ママ? お兄ちゃん? その人は、だあれ?」
マルボロはぎょっとして声のした方を見た。
屋上へ通じる避難階段の扉の陰から幼い少女が顔を覗かせていた。
「バカ、ニコラ、危ないから出てくるなって言っただろ!」
「だって銃の音がしたんだもん……」娘は泣きそうな声を出した。「ママかお兄ちゃんに何かあったらと思って……」
「三人目」息を詰まらせる。「あなたの娘ですか」
「はい。私と市長の娘です。人口動態調整センターの主導で製造しました」
暗くてよく見えなかったが声質や顔貌がコルトやプロトメサイアと類似している。
「市長は……」
「お察しの通りTモデルです。女性同士ということになりますが、ここはクヌーズオーエに先んじて建造されたモデル都市ですから、そういうこともあります。どちらも私の可愛い子供たちです」スーツ姿の女性は瞑目して頷いた。「助けられるのが二人だけというならば、どうか息子と娘を連れて行ってください。私は都市と運命を供にします」
「くそっ。来るんじゃなかった」マルボロは俯いて毒づいた。「来るんじゃなかった……」
その時、マルボロが背にした空で襲撃機が晴らした闇夜に閃光が迸った。
突然に朝日が昇ったかのような莫大な量の光だった。
生存者たちは悲鳴を上げて顔を背けたがマルボロは三人の顔を真正面からはっきりと見てしまった。都市ごと見捨てられあらかじめ死亡者リストに載せられているはずの市民たち。まだ息をしている。ありもしない希望を信じて生きている。
このうちから一人だけ殺さなければならないと考えると嘔吐感が込み上げてきた。
マルボロは人間を殴って殺すことに疲れ果てていた。
憔悴している余裕はなく爆音が轟いた段階に至ってマルボロもまた振り返った。
空に無数の太陽が生まれつつある。光源が何かは分かっていた。核爆発だ。
おそらくは全自動戦争装置の端末が核兵器を乱射している。いずれも上空で爆発していることから迎撃を主目的とした核攻撃だろう。電磁加速砲での狙撃では対処しきれない異常な物量の投射が敵側からあったのだと予想出来た。
最早見慣れてしまったという印象すらある破滅的な光景だが、マルボロはこれまでにない危機感を覚えた。EMPの嵐が一層強まった点は問題無い。
だが、方角が先ほどの不明な襲撃機が執拗に砲撃を行っていた方向と一致している上に、爆発の距離がかなり近かった。
凶兆である。
「眩しい……今回の防衛戦では、核兵器の濫用が……酷いですね……」
市長補佐が呻くのをマルボロは聞いていない。
光を睨みつける。視覚野へのダメージを強引にねじ伏せながらガスマスクのレンズの奥で目を凝らしてマルボロは爆発を突き抜けてくる影がないかを探した。
杞憂で終わってくれと願っていたが思った通りの災厄が到来した。
弾道起動を描く円錐状の肉塊が閃光を背にして飛来するのを見た。
目で追うと、それはこの都市にまさしく突き刺さった。
ここからそう遠くない。
「弾道降下強襲鞘だ……冗談じゃねえぞ」
弾丸の如き円筒状の肉塊は合計して四発が飛来して高層建築物を貫き周辺へと着弾した。
一発なら偶然だが四発となれば<鹿殺し>が狙われている可能性を排除するのが難しい。核兵器が投入されるほどの量を投射されたのであれば、焼き払われる前は小隊規模だったと考えるのが妥当で、懸念はほぼ現実のものだった。
「ビー、……何……何ですか?」
「バリスティック・ドロップ・アサルト・シース。精鋭の攻撃性大型変異体を詰め込んだ砲弾です。デカブツが四匹も直接乗り込んできやがった。我々は今すぐあのクソどもバラして来ます。詳しい話は後ほど。どうにかして隠れてやりすごしてください」
「か、勝てるのか?」
眩んだ目で瞬きをしながら少年が問うた。
「あんたたちもEMPの影響で機械を使えないんじゃないか? 甲冑を着けてないのもそのせいだろ。オーバードライブ無しなんだ」
「当たりだ。賢いな」
「俺の父さんはEMP環境下でゲルミルと戦って死んだんだ。ゲルミル一匹に、前住んでた街の守備隊が壊滅させられた。あんたたちも隠れた方が良いんじゃ……」
「舐めるなよ。何で粛清部隊が来るんだよ、ってお前さんは聞いてたな。良い質問だった。継承連帯のスチーム・ヘッド部隊は世界で一番強い。それは分かるな?」
「あ、ああ」
「つまり、何かあればその世界で一番強い連中を殺せる俺たち粛清部隊は、世界一の軍隊でもとびきり強いってことだ。俺たちは誰にも負けたことがない。安心して待て」
「……!」少年は涙を浮かべた。「頼む、母さんと妹を助けてくれ……」
「また後でな。ほら、お前さんの妹が後ろでべそをかいてる、慰めてやれ。母さんを守ってやれ。俺の首筋を狙ったのは見事だった。大抵のスチームヘッドは首筋には装甲がないからな。いいか、お前さんが守ってやるんだ」
「うん……」
「三人とも無事でいろよ」
「スチーム・ヘッド、ご武運を」
マルボロは女性に向かって頷いた。
屋上から飛び降りて両足の骨を粉砕させながら待機していたキュプロクスの手の中に着地した。
『あーあ。ゲルミルが来ちゃったね。TSFFチームはとりあえず近くの建物に隠したよ』
「生存者は三人だ。帰路で拾って帰るぞ」
『三人は難しいね』
「頭が痛いな。その前に巨人狩りだ。四匹もいる。キツい仕事になるぞ」
『えっ、四匹? 下からだと二発しか見えなかったよ。さすがに殺せるかなぁ』
「殺すさ。生存者のガキに威勢の良い嘘を言っちまった。勝てなきゃ恥ずかしい」
粛清部隊が継承連帯のスチーム・ヘッド部隊で最強であるというのは真実ではない。
粛清の二文字はコルトの持つ都市焼却装備であるSCAR運用システムに由来するものだ。
だがマルボロ自身その嘘を信じようとした。キュプロクスもマルボロもEMP環境下では強力な機体だったが二機だけで四匹ものゲルミルを同時に相手にした経験は無い。それでもやるしかなかった。不朽結晶装備を持ち地表掘削まで備えるゲルミルを排除しなければTFSSチームの仕事は完遂出来ないからだ。
数えることすら飽いてしまった絶体絶命の危機が数日ぶりに到来していた。




