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アフターゾンビアポカリプスAI百合 〜不滅の造花とスチームヘッド〜  作者: 無縁仏
セクション4 殺戮の地平線  世界生命終局管制機 アルファⅣ<ペイルライダー>
164/197

幕間 Into That Good Night マルボロ(1)/牧場にて

 男は馬の肌にそっと触れた。

 手甲越しでも分かるほど猛烈な体温が指先をじわりと熱した。不滅の肉体をすら冒す、荒々しく野蛮な体温。

 さきほど厩舎から拾ってきた藁屑を口に咥えながら、馬のごわつく肌を撫でて回る。よく調教されており、男の背負うバッテリーから響く耳障りなコイル音を嫌がらず、低品質な不朽結晶にありがちな金属臭にも不死病患者に特有の甘い体臭にも反応しなかった。

 かつて見てきた多くの聡明な馬と同じだった。四足で歩く小さな山嶺、あるいは獣の形に押し固められた原初の神秘。不死とともにあるこの生物は、幾千の夕暮れと夜明けを追いかけてきた一族の末裔であった。

 戦士たちを乗せて獣を追い、あるいは鎧騎士と共に嘶き、一心不乱に敵陣に突撃していた、勇敢なる友であった。


 わしわしと撫でる。すると、この稀なる自然の化身は、心地よさそうに目を細くした。

 男はますます口元を綻ばせる。賛美の言葉をかけながら目を覗き込み馬の首に手を当てる。たくましい脈拍を味わう。

 数え切れない死と再生を経て肉体を強化し、そして外骨格を身に纏ったこの兵士には、人間の首程度なら容易く折り砕くことが出来るほどの膂力がある。しかし筋骨と頑強な皮で覆われた神々の作りたもうた野生の芸術品、この馬なる生き物に同じことをするのは、無理だと思えた。

 かつてありこれからもある壮麗たる自由の化身。

 善とも悪とも繋がりの無い純真なる獣。

 千里を疾走する彼らは、万里を駆けるための道具として、人間を選んだ。選んでくれた。誇らしいことに。

 もっとも、人間がおらずとも、彼らは最果てまでを駆けていくだろう。

 暮れなずむ荒野で倒れ伏せ、朽ちたりとても、天然の墓標として、白骨が厳然と地に残るだろう。


 高い位置にある太陽が、その人知の及ばぬ自然の均整を克明に描き出している。間近に居るだけで人間の一六倍もの大きさを持つ北方の平原が如き雄大なる彼らの心臓が力強く脈打っているのが聞こえてくる。

 馬という生き物の外観は人間とは似ても似つかないが目元に睫毛が揃っているせいなのかどこか人間的知性を備えているように見え、そして実際には、人間よりも遙かに多くの物事を理解している。

 人間は世界を言葉で分節し解体して並べることで辛うじて世界という(そび)え立つ理不尽に相対しているが馬は違う。彼らの眼窩には大ぶりの宝石じみた巨大な眼球が埋め込まれていてそこに映る世界には継ぎ目というものが存在しない。

 彼らは継ぎ目のない一繋がりの世界を駆ける野生であり、彼らと世界を区切る境界線もない。


「俺の目を通して何が見える?」

 男はヘルメットのバイザーで目元を隠したまま問いかける。

「俺の演算された精神が見えるか? 俺の偽りの魂が見えるか? 俺の故郷は見えるか? そこにあるか……?」


 彼の戦闘服は飛行機乗りが着ていたスーツの転用品だったが、それというのもこの物資欠乏の時代では既に空を飛ぶ機械は翼をもがれた鳥のようになっており、かつて『パイロット』と呼ばれた兵士たちも必然めっきり少なくなったためだ。行き先を無くした大量の在庫が標準的なスチーム・ヘッドの制服の代わりになっていた。

 ただし、普段から酸素マスクの代わりにガスマスクを首元に下げているのは、男だけの特徴だった。古い時代から戦ってきたこの古強者は毒ガス攻撃を極度に恐れていた。

 とは言え、この時代では、この牧場の只中では、さしもの彼もそうした防毒装備を付けていない。馬の臭気と藁をしがむのに、鼻も口も忙しかった。

 そうして嬉しがって撫でている間にも、男の耳は、黒髪を三つ編みにまとめた少女が背後から忍び寄ってくるのを察知している。


 そろりそろりとした足取りも、不敵な笑みを隠した幽かな吐息も、聞き逃しはしない。何もかもそのかすかな気配から読み取れるとまではいかないにせよ、宿舎から出て芝を踏み始めた段階から男は彼女の接近に気付いていた。

 体重。身長。動作の癖。平均的な熱量。どのように成長して、今朝はどんな食事をしたのか。男は全てを熟知している。

 飛びかかられる寸前に、男は馬に向き合ったまま言った。


「どうだ。馬って良いもんだろ、コルト。賢くて気高いんだ。この立ち姿……惚れ惚れするぜ」


「……気付いてたのかい? もう。意地悪だね」


 少女は男の腰に後ろから抱きついた。

 そして半ば彼の体に隠れるようにして馬を見上げた。


「思ったよりも大きくて怖いね」


「怖くないさ。敬意をもって接すれば、同じだけ返してくれる」


拳銃(コルト)みたいに信頼出来る?」


「拳銃みたいに信頼出来るな」


「ふうん。何だか嬉しそうだね、マルボロ」


「百年も前の友人に再会したって感じの気分だ」


「お馬はどれぐらい良い友人なんだい」


「そうだな」男は少し考えた。「まだ生きていて、安全で、しかもお前さんに会わせてやれるという点では、一番良いな」


 生きている馬に触るのは久しぶりだった。

 もうとっくに滅んだと思っていた。


 人類継承連帯に、こうした牧場があること自体、知ったのはつい先日のことだ。

 ある知己の権力者の厚意で、SCARの名を与えられた娘たちを、招待することが出来たのだ。

 無論、今回ばかりの案内だ。

 来年も、再来年も、というわけにはいかないだろう。

 これらの馬は近く処分される予定だった。


 高高度核戦争と不死病の災禍は、おおよそ全ての生命体の活動圏を、致命的に狭めた。消滅させたと一定も良い。

 全自動戦争装置の端末たちは雨嵐と砲弾を降らせながら狂気的に進軍し、歩兵であるパペットとスチーム・ヘッドの混成部隊が二代目スヴィトスラーフ率いる衛生帝国の怪物どもとぶつかりあう。

 鉄によって、肉によって、周辺環境を無差別に汚染しながら、神話の如くに暴れ狂う。

 地表が根こそぎに掘り返され、汚染された怪物の血肉で大地が埋め尽くされ、一回の軍事衝突で山が一つか二つなくなるのが日常となった。

 臨界点はすぐそこにある。人間以外が生きる余地など残されてはいない。おかげで、人類は紛れもなく霊長のうち最も優れた存在となった。サルと呼ばれていた生き物が死に絶えるか全く違う何かに変異して久しいからだ。


 その人類にしても、日々狭くなる生存圏で限られたリソースをやりくりして、辛うじて文明を維持しているに過ぎない

 文化保護の名目で馬を保護して世話しているのも、いずれ許されなくなる。

 人類文化を規準に置いた世界で、馬の地位は決して高くない。

 人的資源の維持に費やすべきリソースと、いてもいなくても変わらない馬を生かしておくためのリソースを比較して、後者こそ重要であると言い切れるほど、男は人類の今後に楽観的ではなかった。

 究極的破滅。究極的絶滅。世界最終戦は、人類が滅びても続くだろう。


「ねぇマルボロ。君の友人は、私を蹴ったりはしないかな? なんだか、すごく蹴りそうな見た目をしているけど」


「そんなことない。よしよし。大丈夫、優しい馬だ」

 

 ブルルル。馬は鼻を鳴らしながら、風の無い平原にでも立つような優雅さを醸している。


「でも後ろに立つのはオススメしないな。たいていの馬は後ろに立たれるのを嫌がる」


「それは奇遇だね。私もそういうところがあるから」


「あとは人の恋路を邪魔すると蹴られるってコトワザが東の方にあるな」


「それはちょっと分からないかな」少女は首を傾げた。「マルボロは今日の私の服装をどう思う?」


 男はまじまじと少女を見下ろした。

 着古しのエプロンドレスを加工したと思わしき濃紺色のライティング・ジャケット。燕尾服のような造形の腰の布飾りが風に揺られて尻尾のように揺れている。

 長くしなやかな脚はタイトなデニム地のズボンでタイトに締め上げられ、臀部から内股にかけては、肌を保護するためにシリコンの似た生地に置き換えられていた。ダイビングスーツか何かの転用に見える。スタッフの誰かが気を利かせて用意したハンドメイドのコスチュームだろう。

 マルボロがコメントを考えていると、少女は所在なさげに体を揺すった。邪魔にならないよう三つ編みに編んだ髪が、胸のあたりでぴょこぴょこと跳ねて、存在をアピールしている。

 それが馬の尻尾のように見えて男は思わず笑ってしまった。


「なんで笑うの。どうかな、保安官の見習いっぽいかな?」などと恥ずかしそうに尋ねてくる少女の頭を撫でて「似合ってる、美人さんは何を着ても似合うもんだが」と嘘偽りない本心を告げた。


 偽りではないが、残念ながら保安官には見えなかった。異邦の貴族の令嬢が、騎士ごっこのために仮装している。そんな印象だ。

 いずれにせよ、長年観察と指導をしてきたせいで、贔屓目が混じっているにせよ、少女はまさしく少女として美しかった。威圧感や厳めしさといったものとは、まだ、今は無縁だ。

 少女は甲冑の手で撫でられらながら、どこか不満げな顔をした。


「……マルボロはいつも私のことを誉めてくれるけど、本当にそう思ってるのかい?」


「俺だって、今や死んでもくたばらないゾンビ野郎だが、元は人の子でね。普通のことしか考えられん。だから他のやつが考えるように、お前さんのことを本心から美人さんだと思ってるわけだ。スタッフの連中だってそうだ、その乗馬服を作るのは、大した手間だと思うぜ」


「でも、マルボロは誰にでも、特にSCARの子には誰にでも美人だとか可愛いだとか言っているんだよね。私は知っているんだよ」


 ご機嫌斜めだな、という言葉をわざわざ形にするほど、男は間抜けではない。

 研究者以外の成人と接する機会が少ないせいか、少女は時折、私的な付き合いのあるこの男にとって、特別でありたがるような素振りを見せた。

 思春期にありがちな一過性の反応であると熟知していたが、拘られると、いくらかこそばゆいのも事実だ。こそばゆさに我を忘れるほどの生命力など、もう尽きているにせよ。

 情熱を秘めた黒曜石の瞳を、男はじっと見つめた。

 何を遮蔽にしても無駄だ。まっすぐ、魂までも覗かれてしまう。おべっかやお世辞が通じないのはいつものことだ。


「他のSCAR……シグも、レミィも、ハルハラも、お前さんとあんまり見た目変わらんからな。一人が美人さんなら、全員が美人さんだ。それなのにお前さんだけ褒めるのは不公平ってもんだよ」


 他の三人の少女のことを想起して、真実だけを話した。

 むぅ、と目前の少女は納得と不満がぶつかりあっているような顔で黙った。


 馬と少女は、ある意味で似ていた。嘘を言っても簡単に見抜いてしまうし、真実をはっきりと見据えている。

 何より、正直だ。姉妹の中で一番真実を愛している。

 それこそが男が、この少女を愛する理由でもあった。


 実のところ、SCARとして生み出された四人の少女は、まるきり違う人間である。素体は同じだ。しかし体の動かし方が違う。肉付きも、思考の癖も違う。顔が似ているだけで、内面が違う。

 内面の差異が、さらに外観や振る舞いに差異を生む。

 全員が同じ服を着て同じ髪型をしていても、男には四人ともを見分けられた。こ

 の少女に関しては、生きてさえいるなら、どれほどの群衆からでも見つけられると確信していた。


 ただ、そうした評価は全てを口にすることはない。

 男は多くの感情を摩滅させていたが、面と向かって愛しているだの、特別に思っているだの、歯が浮くような言葉を告げることには抵抗がある。


「不公平だからだなんて、酷い嘘をつくものだね」


 やはり、気に召すような回答ではなかったらしく、少女は依然として、少しばかり拗ねた状態だった。


「どうせ、あっちに立ってるお姉さんにも同じようなことを言ってるんだよね。私には分かるよ」


「……お姉さん?」


 思いあたる人物がいない。

 男は少女の指差す方向を見て、そこに一人の女が立っているのを見つけた。

 ほんの一瞬、緊張が走った。

 暗殺については、実行も防衛も慣れている。男の修めた技は極限状態でもなければそれぐらいにしか役立たない。未知の人物の接近に勘付かないはずがない。

 だというのに、気付けなかった。

 遙か背後の木陰に、こちらを見遣る影がある。その女は何時の間にかそこに立っていた。

 男は僅かに警戒したが、すぐに不要だと分かった。


 仕立ての良い、喪服じみたドレススーツに身を包んだ女だ。

 まだかなり若い。あるいは、若く見える。傍らの少女と似た顔つきをしていたが、髪の色素が幾らか淡く、幾分か女性的な肉体をしていた。

 人間味の薄いこの少女よりも、その乙女には一層人間味が無い。人形めいた冷厳なる無表情で佇んでいる。

 肩に羽織った黒いストールは可憐さと優美さを備えて風に靡き、騎士の外套のようにすら見える。

 背丈は男と比べて少し低い程度で、平均的な女性よりも幾らか高い。陰の気を色濃く纏っており、自己主張の少ない立ち姿だったが、上品なスーツで身を飾っているせいで、女性らしいボディラインが却って引き立てられていた。木陰に咲いた山梔子のような仄暗い色気があった。


 無視しては居られない、気品ある美貌の持ち主だったが、とりわけ目を引くのが、真っ白な首筋に嵌められた首輪のような黒い機械と、左腕部を覆い尽くす独特な形状の甲冑だ。

 見間違えようも無いはずがない。

 ()()だ。

 男は思わず微笑した。

 口から藁を離して、手を振った。

 すると、そのドレススーツの乙女は、びくり、と怯えたようなリアクションを示した。


「そんなところで何してるんだ。俺たちのほうが挨拶に行くべきか?」


「い、いいよう! わた、僕が、そっちに行くよう!」


 乙女は上ずった声で返事をした。

 それから少しだけ咳き込んだ。

 大きい声を出すのにあまり慣れていないようだった。何年かかれば慣れのだか、と男は内心でさらに笑みを深くする。

 女はぎこちない小走りで二人に向かって近寄ってきた。ハイヒールを履いていればそうもなろうという速度だ。


「誰なの?」

 親しげな気配を感じ取ったのか、少女はますます不満げな顔をした。

「マルボロの知り合い?」


「あれは今日ここに俺たちを招待してくれた人だよ」


「じゃあ、あのお姉さんが……」


「そうだ」


 男は馬から身を離し、少女の背中を触って、背筋を伸ばさせた。


「『プロトメサイア』様だ」


 こちら側へたどり着いた頃には、女は、酷く息を切らせていた。

 大した距離ではない。疾風の如くという速度でもない。

 二人を前にして、へにゃ、と表情を崩した。


「え、えへへ……。よく考えたら、走る必要はなかったネ……」


 霧か霞かでも従えているのかという神秘的な雰囲気は、すっかり散り失せていた。

 二人が乙女を見つめていると、乙女の方はさっと視線を落とした。

 青ざめたような白い頰が見る間に赤く染まる。

 顎を引き、鍔を飲み、それからまた、どことなくしまりのない笑みを浮かべて、二人を見た。

 神経質そうでいて、みっともなく媚び諂うような表情だ。

 身なりと釣り合いの取れていない、強烈な卑屈さが、乙女の清廉なる気配を濁らせていた。


「おいおい、シャキッとしろ、今は俺よりお前さんのほうが遙かに偉いんだから」


「えへ、えへへ……」取り繕うような不自然な笑みが相変わらず顔に張り付いている。「言詞編纂での不可視化、自信あったのに……バレちゃったネ……見つかるとは思って無くて……」


「お前さん、そっちの適性は本当に何にも無いからな。どんだけ稽古させても体重乗せて人を殴ることが出来ないって、すごいぜ」


 ただし腕の力だけで人間を撲殺出来た。

 Tモデル不死病筐体とは、そのようなものである。


「はうあ……自覚してるけど面と向かって言われると傷つくよ。そ、それにしても、えへへ……ひ、久しぶりだね、エージェント・クーロン……」


「直接顔を合わせるのは何年ぶりだかな、エージェント・シノノメ」


 予想外の来訪ではあったが、男も喜びに息を弾ませていた。

 世界が終わる前からの長い付き合いであり、世界が終わった後も結託していた。

 傍らの少女はと言えば、急に現れた乙女との距離感を掴みかねているらしく、どことなく眉を潜めていた。


「いや、今はエージェントじゃないか。メサイアプロジェクトの主導者だもんな」


「えへへ。でも、買い被りだよう、僕なんて、メサイアプロジェクトには、本当はいらないんだから」


「そう言うなよ。九割九分まで他人に任せられるにせよ、核になる仕事はお前さんしか出来ないんだから。しかし、どうやってここへ? 今日もお偉いさんがたと会議会議会議、じゃねぇのか」


「ヘルメットを設置して、あとはちゃんと名義さえ立てておけば、あとは頭の良いタルトちゃんとか、押せ押せのバアルちゃんが上手いことやってくれるから、本当に僕はいらないんだ。だから隙間時間を使って、アーク・コアのオーバードライブ使って遊びに来たよう。とは言っても、すぐに、うーん、十分ぐらいで帰っちゃうけどネ……」


「空間構造連続体の離断と強制連結……とんでもない機能を簡単に使うようになったもんだ。濫用してバッテリーは大丈夫か? 電力不足なら融通するが」


「平気だよう。間に合わせの出来損ないだけど、稼動開始から半世紀でヘバるような雑なバッテリーは積んでないから……クーロンのヘボいバッテリーじゃそもそも足しにならないしネ」


「減らず口を叩けるようになったのは良い傾向だ」


 言われながら、へらへらと卑屈な笑みを浮かべていた乙女は、自分を見上げている不愉快そうな視線に気付いて、体を硬直させた。

 男は、この乙女が、いかにも脆弱そうな見た目とは裏腹に、数々の鉄火場を生き延びて敵対者を死の渦へと叩き落としてきた人間の形をしているだけの災厄であると心得ている。

 しかし、そんな彼女も、自分よりも年少の女子を扱った経験はさほど無いと見え、敵意を向けられて、あからさまに狼狽していた。


「ええと! ええと……えへへ。そうそう、君にも挨拶がしたくてね。えへへ……あんまり睨まないで。取って食べたりしないよう。えへへ……コルトちゃん、だよね? 違う子かな? ねえ、()()()()()()()


 他者を服従させる命令言語の発動だ。

 男は目を剥いた。

 問い質す視線で乙女を睨むと、当の乙女が「やってしまった」という顔をしている。やってしまった、ではなかった。


「はい。コルトです」

 脳髄の報酬系を操作された少女は上気しながら礼をした。

「本日はお招き頂き……」


「あああ、違う違う! そんなつもりじゃなくて。いいよう、そんな他人行儀な喋り方しなくても構わないよ」


 幽玄なる乙女は顔を真っ赤にして、何か遠ざけるように不格好に両手を突き出した。

 少女から恍惚とした表情が消えた。

 男と乙女を横目で見ながら、不思議そうに自分の胸に手を当てている。


 コルトも、人体実験や生命資源の供出に際して、様々な薬物の投与や器具を用いた特殊な神経活性を幾度となく受けている。

 その経験から、自分の神経系に何かただならぬ操作が与えられたことを自覚しているはずだった。

 言葉一つで他者の心理を塗り潰してしまえる。

 そんな恐ろしい存在と相対しているという緊張感が、にわかに少女の貌に滲み始めた。


「怖がらないで。ごめんね、安心していいよ、僕と君の仲だからネ……。形態素複写型の合成体……クローンとはまた違う、もっと深い、僕にとっては、えへへ、なんていうのかな……難しいねえ、作りはしたけど、僕が出産したわけでもないしネ……。えへ。小さいね、可愛いネー」


 乙女はすっかり顔色を悪くした少女を、恐る恐ると言った手つきで撫でた。


「えへへ……。僕は君に楽しんでほしくて、こうして牧場に呼んだんだよ。ちゃんと生きてるうちに楽しまないと、ちゃんとした経験値にならないからネ……。ごめんね、びっくりしたネー……。もうしないからネ……」


「は……い……」

 少女は体の違和感にただならぬ不快さを覚えているようだったが、しかし眼前の機体の卓抜した性能は理解したと見え、敵を見るような目つきを向けることは無くなった。

「えっと、プロトメサイア様も、スチーム・ヘッドなのですよね」


「えへへ……そうだよう、スチーム・ヘッド……んんっ、プロトメサイアだって?」


 乙女は腰を曲げて、困った顔で少女と目を合わせた。

 同系統の顔だが、似ているかどうかで言えば、やはりあまり似ていない。

 明らかに年上なのに、この乙女のほうが、少女よりずっと気弱そうに見えた。


「そう呼ぶ人もいるけれど、僕はその通称、好きではないんだよネ……」


「でもマルボロが、プロトメサイアだって……」


「良いじゃねぇか。プロトメサイア。響きのゴツゴツした感じが、足りない威厳を補ってくれてるぜ」


 男の言葉に、乙女は「知ってるくせに……大仰だし、あっちの子(支援AI)と被ってるし、ダジャレみたいだし、恥ずかしいんだよう……」としょぼくれた声を返した。


「では、何とお呼びすれば良いですか?」


東雲(シノノメ)か、賽夜(サヤ)で良いよう。でも音を繋げたり伸ばしたりするのはやめてネ……。とにかく、そんなに改まらないで。仲良しでいこうネ」


 少女は頷き、素っ気なく言った。「じゃあシノノメ、今日は牧場に呼んでくれてありがとう。嬉しく思っているよ」


「えっ急に態度変わるね。いきなりタメ口で呼び捨てにするなんて」

 乙女は怯んだ。それから、また引き攣ったような笑みを浮かべて、上辺を取り繕った。

「え、えへ……。い、い、いちおう年上だし、僕がご先祖? っていうかオリジナルなんだし、敬意がほしいカナーって……ど、どうかな、えへへ……」


「じゃあ、シノノメお姉さんでいい?」


「お姉さんかぁ。えへへ……良いね。良いよ良いよ」


「シノノメお姉さん。折角だから聞いておきたいんだけど」


「え、えへ?」


 少女が、毅然とした眼差しで、卑屈な笑みを浮かべる乙女を見据える。

 そして、躊躇を振り切るような速度で尋ねた。


「君がオリジナルなら、私も同じように、それぐらいに育つのかい?」


「え、えっとぉ……? 何が?」


「あの」仄かに顔を赤らめる。「胸とか……」


「はわ。そっちの方かぁ」

 思春期に特有のセンシティブな話題だと直観したのか、乙女も恥じらいを示した。

「ううーん、どっ、どうかなぁ……君たちは、僕が素体なだけで、細かいところはもっと良い感じに改良されてるし、生育環境もかなり違うし……。僕は君たちの時分には、もっとヒョロッとしてたよ……え、えへへ……僕は、なんていうか、考え得る悪いことを全部されてきて、こんな感じになったわけで……えへへ……君は、こうはならないんじゃないかナーって……」


「コルト、何て言うかこいつは、Tモデルの中でも特殊個体なんだよ」と男は補足した。「自業自得って言ったら言い過ぎだが、こいつは人を簡単に狂わせちまう。その報いで散々酷い目に遭ってきた」


 Tモデル不死病筐体は、基本的に成長するとスレンダーな体型になる。

 男が記憶している限り誰しもが彫刻のような美貌の持ち主であり、性別問わず対手を魅了して惑わせるような魔性を持っていたが、この乙女の外観は明らかに女性的にすぎる方向に寄っていた。


「環境への過剰適応であちこち成長してるんだ、こいつの場合」


「本当にネ、卵が先か鶏が先かってところではあるんだけど、たくさん酷いことをされて、たくさん殺しちゃって……逃げ出して、隠れて、捕まって、そういうのを繰り返して、死んで生き返って死ねないゾンビになって……やっとちょっとマシになったんだ。えへへ……参考にならなくてごめんネ……」


「……何か、つらいことがあったんだね。私はそこまで過去に踏み込むつもりじゃなくて。ごめんなさい。興味本位だったんだ」少女は肩を落とした。「オリジナルだというのなら、聞いておきたかった。見た目に威厳がないというのは、私も同じだから、どうしても気になったんだ。もうちょっと柔らかい輪郭か、さもなければがっしりとした体格が欲しいんだ……。背丈はどうなるんだろう」


「え、えへへ。背丈は、今までの僕の複製体からすると、たぶん、僕と同じぐらいにはなるよ、そこは心配しなくても構わないよう。えっと、えへ……今は痩せっぽちで、小さくてもね、三次性徴まであるんじゃないかって言われてるぐらい、すごく体型が変わるから……。それにしても、コルトは人に気がつかえる良い子だネ。僕に似てなくて、お姉さんは嬉しいよう」


 何度も何度も優しく撫でられて、すっかり気を良くしたようだった。

 まだまだ子供だ。無条件の愛情には、無垢な愛情を返してしまうものである。


「うん、私は立派な保安官(シェリフ)になるんだよ! そのために頑張ってるんだ。だけど、まだまだ精進が足りなくて。さっきも不躾なことは聞くべきじゃなかったのに聞いてしまった……。でも、辛い目にあってきたことは、理解したよ。お姉さん……私がコルト・スカーレット・ドラグーンとして完成したら、お姉さんがまた辛い目にあっているときは……絶対に助けてあげるよ。それが保安官としてのあるべき姿で、なりたい自分だから」


 未だ、武器は無い。

 SCAR運用システムは図面上の存在だ。未成熟の肉体には、悪漢を一撃で撲殺出来るほどの膂力も無い。デチューンされているため、完成してもそれは備わらないかもしれない。

 だが少女の紡ぐ言葉には、きっとそうなるだろうと思わせるだけの力強い意志が、確かに装填されている。


 乙女は、少女の言葉に感じ入ったようだった。

 陰気な鳶色の瞳を潤ませて、少女に抱きついた。


「うん。うん。うんうん。本当に、わたしなんかとは大違いだ……」

 乙女は少女に軽く接吻して、また頭を撫でた。

「わたし……僕、僕はね、本当にどうしようもない出来損ないで、それだから、ポイント・オメガに辿りつくには、色んな人の手助けが必要なんだ。だから、ああ、コルトみたいな子がいてくれたら、どれだけ助かるだろう! いつかきっと、僕のことを助けてネ? コルト……?」


「もちろん助けるよ。それが保安官の仕事だからね」

 くすぐったそうにしながら、少女も乙女に抱擁と接吻を返した。

「弱い人々を助けるために夜通しで番をして、悪いやつが来ないか見回りをするし、弱っている人がいたら駆けつけて、いつでもどこにでも、安心出来るところまで連れて行ってあげるんだ。それが僕の理想の保安官さ。お姉さんぐらい助けられなきゃ、僕は真の保安官になれないだろうね」


 少女の瞳は静かに、しかし爛々と燃え上がっていた。

 銃など無くても心意気だけは既に銃士であり、群れを守る者だった。

 悪を討ち、弱卒を守る保安官だ。

 それが見果てぬ夢、到底実現しようもない未来だったとしても。

 そんなことは騎乗服に身を飾る少女には、くだらない物事だ。彼女は何度でも困難に挑もうとするだろう。自分自身が壊れ果て、進むべきただ一つの道などないのだと思い知らされるまで、止まることは無いだろう。


 理想への接近が成長を意味するのかどうか、男には分からない。多くの旅路を見てきた。多くの末路を見てきた。彼の師父も同門の拳士も理想を掲げ無様に死んだ。

 多くの死を見届けて、それでもまだ、分からない。

 だが蒙昧な未来絵図に、意志の力で以て夢の輪郭を確かにしていくこの娘の表情が、明るく輝いていると、腐り果てていた自分の心臓が、強く波打つのを感じるのだ。


「えへへ……本当に会えて良かったよ、コルト」

 乙女はぐすぐすと泣くような素振りを見せつつ、少女から体を離した。

「それでね、クーロン。僕は君にも話というか、報告があってネ……」


「だいたいのことは聞いてるぜ。クヌーズオーエで理想都市(モデル)アイデスの建造が始まるんだろ。アーク・コアが取り込んで複製していく都市の雛形が、いよいよ完成するわけだ。おめでとう」


「えへ……」乙女は照れて頭を下げた。「荷が重いけどね。その、これに伴って、資源の配分状況が変わるよ。各地の戦線で採用されてるパペットはフルドド系列だし、都市焼却機なんかの大型機との連携を重視した彼ら、ヘッドやパペットこそが守りの要だとは思うんだけど……でも、正しい形での人類の再発展を目指すんなら、メサイアプロジェクトにリソースを注ぐので決まりになっちゃうよネ……。そういうわけだから、君たちや現場には負担をかけるよ……」


「謝ることじゃねぇさ。衛生帝国とまともにやりあっててもキリがねぇ。俺は采配は妥当だと思う。しっかし、この時間枝の全自動(オートマチック)戦争装置(ウォーマシン)は、仕様の割に柔軟な判断が出来るよな。代替世界を扱えるぐらいの水準に達してても、普通は衛生帝国との無制限戦争以外の択は生まれてこねぇと思うんだが……」


「そうそう。突き詰めると、あの子も僕と一緒のはずなんだよネ……。損害を最小限に留めながら敵と交戦し、それ以上に自軍の最大限の利益を追究する。他にはなんにも出来ない。『経済戦争』というフレームの外側には手が出せない。えへへ、それが『生存競争』という形に経済戦争の定義を変えて、他に人類存続を外注するという決定をしてくれる分だけ、僕と比べればずっと良いんだけど……」


「……? 二人とも何の話をしているのかな。いや、寂しくなんてないんだけどね」


 少女は除け者にされているのが気に食わないらしく、しきりに男の戦闘服の袖を引っ張った。男は少女を抱き寄せて肩に手を乗せた。目配せすると、乙女は少女に「僕は新しい都市の市長さんになるんだよ」とそっと耳打ちした。少女は「それはすごいことだね」と目を見開いた。


「ともかくだ。理想都市、お前さん、アルファⅢアスタルトにアスタルトⅢバアル。これで『フォーカード』は揃った」


「当初想定の第一段階はクリアだネ……」


「この調子で戦争装置が穏当な舵切りをしてくれるなら、こっちの時間枝は陥落せずに済みそうだな。問題は時間の猶予か。『工廠』も新型を作ってるみたいだが、戦争装置の端末とそれで、どれだけ衛生帝国を抑えられるか。本当にあのクズ肉どもは狂ってるぜ、抑えるにしたって何をどうしたいんだか分からねぇ。こっちのスヴィトスラーフのやつ、どうしちまったんだ? 掲げていた新世界秩序の保全と献身はどうした? あいつの軍団は何て言うか、狂気の動物園って感じだ。どんな論理展開をしてもああはならんだろ……」


「<吊るされた十三人の男たち>っぽいのも出してきたしネー……。僕もびっくりしたよう、あれ人為的に造れるんだね。こっちが普通に新型のパペットを作ったところで意味ないんじゃないかな?」


「ああ、その新型のことなんだが……」


「新型?」黒い瞳が二人を交互に見た。「新型って、あの、アルファⅡとかいう子たちのこと?」


「そうそ……」相槌を打った直後、ドレススーツの乙女は硬直した。「え、アルファⅡ? 知らないよ。わたし聞いてない」


 虚飾の存在しない、呆然とした声だ。

 乙女は続けざまに二人に問いかける。


「アルファⅡを作ってるの? えっ? なんで? なんで? もうあるよね? それともわたしが素人だから分からないのかな? アルファⅡ、もういらなくない? 系譜がめちゃくちゃだけど、発展系のアルファⅢの量産が始まってるのに。どういうこと? アルファⅣの研究じゃないの? あっもしかしてわたしの知らないうちにアルファⅡモナルキアを基地から奪取して解析したのかな? それでアルファⅡの名前を? でもでも契約違反だけど? どういうことかな?」


「落ち着け落ち着け。あのパンドラの箱、モナルキアは関係ない。どうにも、工廠が進めてる計画は、元来のものとは丸きり違うものらしい」


 男は無意識に手に握っていた藁を咥えて、煙草代わりに吸い込み、溜息だけを吐いた。


「……傍系に流された技術者たちが、散逸した計画書から断片的な情報をかき集めて、それっぽいのを作ってるだけみたいだ。純正のアルファⅡじゃない。アルファⅢ量産の情報も、開発現場にはどの程度伝えられてるんだか……たぶん知らないんじゃないか」


「あー……。戦争装置(ウォーマシン)って、たぶん『手脚は、首から上が考えてることを理解しなくて良い』と思ってるもんネ……。現場は知らないまま研究を進めちゃってるんだ。上手くいっても車輪の再生産になっちゃうネ」


「少なくとも、純粋なアルファⅡの研究をやる必要はねぇな。こっちではもう完成品のアルファⅡ(戦争装置)をさせちまってるわけだから」

 

 男と乙女は、何とはなしに通じ合い、牧場の外側に聳える山を見た。

 否。山ならざる山、山を抉って鎮座する忌まわしき人工物を眺めた。

 細部までは見透せない。

 あまりにも巨大すぎるため、全く知識が無ければそれが超弩級の建造物だということさえ理解出来ないかも知れない。


 一本一本が高層建築物を凌駕する規模を持つ八本の構造体を脚の如く連動させて移動する、全自動戦争装置の端末。

 弾道砲撃対応型地対宙迎撃特務移動要塞都市。

 その大威容。

 山嶺を抉り取り脚を深々と突き刺して射撃姿勢を維持している姿は冒涜的という言葉すら似つかわしくない。

 男の故郷には山を七巻も八巻もする大蛇の伝承があったがまさしくその伝承に違わぬ。

 それは、神である。

 人造の神である。

 戦争の神である。

 神の指先である……。


 近隣地域はこの戦争の神の、そのほんの指の一本によって一分の隙もなく完璧に警戒されており、狂気の深遠に浸かりきった兵装の数々が接近する大型変異体を悉く蠢く肉片へと造り替える。

 探査用のマイクロ波照射だけで射線上に存在する生命体は蒸発する次元だ。

 山岳地帯をも容易く踏破する巨体とは言うが、これを創造した全自動戦争装置は、無論のこと、さらに巨大である。


 北米大陸の七割を自己拡張用の資源に当てている全自動戦争装置は、もはや人間の認知機能のスケールでは全容を把握できない。

 神話の時代において、神とは大地であった。

 あらゆる意味で、戦争装置は、神以外の何物でも無い存在へと成り果てていた。


「神様がいるからね。それは、神様を使うよネ……」


「とは言え歩兵戦力は必要だ。工廠には新型がどんどん要求されてて、その一環が例のアルファⅡってわけだ。ある伝手でカタログだけ見たが、既存のアルファⅠとは比べ物にもならねぇスペックだった。確かにⅠってよりはⅡの方がしっくりくる感じだ。アルファⅡの名称で認可下りてるらしいから、戦争装置としても『正解』なんじゃねぇのか。そもそもこっちには、正式にはアルファⅡは存在してない。俺はあのデカブツがアルファⅡだとは思ってない」


「うーん、そう戦争装置が割り振ったなら文句はないけどネ……」


「……聖歌隊方式で素体の練成をしてるところまで含めて、織り込み済なんだろう」


「待って。今、聖歌隊方式、と言った?」


 媚びるような笑みが、跡形もなく消え去った。

 乙女は、凍てついた声を吐き出した。

 男は藁をしがみ、心底苦々しい気持ちで息をしていた。


「……どういう意図かは分からん。捕虜への加害率が異常に高い実戦部隊に、デチューンしたTモデルを非武装で放り込んだらしい。それを素体にするんだと」


「試練は、望む結末への担保にはならない。屍を積んでも玉座は造れない。結果の分かりきった陰惨な実験を何度も繰り返す必要は無い。どうして阻止しなかったのか、教えてほしいな、エージェント・クーロン。命令されないと口を割れないなら、命令してあげるよ?」


「よしてくれ。お前さんは……俺に夢を見すぎだ。ヒーローじゃないんだ」男は俯きがちに首を振った。「今も昔も大したクリアランスは持ってない。いや、立場は昔よりもっと悪い。継承連帯の客人の身分で何が出来る? お前さんだって戦争装置の決定に横槍は入れられないだろ……」


「昔は、局の決定に逆らってでも、わたしのことを助けてくれたのに。カルト教団を拳一つで全滅させたカンフーマスターはわたしが見た幻だったみたいだね。見損なったよ」


「ああ、幻だ。夢だ。忘れてしまってくれ。あれは、煙に映った影みたいなもんだった。俺もお前さんと同じ夢を見てた。でもな、あれが、お前さんが生きてたあの時代が、俺が何かをどうにか出来る限界のラインだった。もう、どこを見たってハイテク武装の不死ばかりだ。ここは八極の言葉じゃ括れない地獄だ……」

 

 二人は視線を交錯させた。悪意や敵意を見透すという点では乙女は誰よりも優った。空気が張り詰める。一触即発と言うほどではない。お互いに本気で殺戮の技巧を浴びせかけることなど考えてはいない。そうした遣り取りをするには、二人は互いを知りすぎていた。

 少女は自分の乗馬服の裾をぎゅっと掴んで、泣きそうな顔で二人に声をかけた。


「よ、余計なことを言ってしまったかな……?」少女は少し落ち込んでいるようだった。「アルファⅡは私たちSCARの妹みたいなものだって聞いたんだ。だから、彼女たちとも近々会わせてもらえるのかなって……何かワガママを言ってしまったのかな。怒らせてごめんなさい。喧嘩しないで……」

 

「ああっ。えへへ、ごめんねコルト。えへ……違うよう、全然怒ってなんかいないからネ」乙女はにへら、と表情を崩して、また少女に抱きついた。「このおじさんがみっともないこと言うから、つい怒っちゃったんだ。君には関係ないから、お馬さんとちょっと遊んでてくれるかい? 大丈夫だよう、こうやって傍に付き添って、撫でてやっていれば……」


 実践しようとした女が不用意に背後から近寄った。

 そして思いきり腹のあたりを蹴り飛ばされた。

 転がった。土にまみれた。

 映画に出てくるような見事な飛ばされ方だった。


 男も少女も絶句した。

 乙女は、無言で起き上がった。


「……この子、ユニコーンか何か?」


「お、おお、冷静だな……」


「慣れてるから……十四の時、ろくでなしに思いっきりお腹蹴られた時のこと久々に思い出した……」


「えっ……なんで二人ともそんなに落ち着いてるの!? シノノメお姉さんすっごく飛ばされたけど大丈夫?!」


「平気だよう、死なないし。コルトはね、私の二の舞にならないよう、こう、付かず離れずで、優しく声をかけてあげて」


「今のを見た後で中々それ出来ないよ!?」少女はいつになく困惑していたが、「でも二人の邪魔みたいだから、私はお馬さんと遊んでいるね……」


 少女の関心が馬に移ったのを待って、二人はひそひそと言葉の応酬を続けた。


「聖歌隊なんて。一報をくれていればわたしが動いてたのに」


「……言いにくいが、メサイアプロジェクトの評判、めちゃくちゃ悪いぞ。現場には大して貢献しないくせに、安全な後方で貴重なリソースを食いまくってるんだ。有力視されてた洋上都市プロジェクトまで潰れたしな」


「それは、でも、前線とは関係な……」


「関係大ありだ。懲罰部隊の連中みたいに、嫌々戦争犬やってる輩ばかりじゃねぇ。自分たちが命を張れば……死ぬことすら出来ない兵士になれば……家族や恋人が、安全で清潔な都市に住める。そう信じて、それだけを糧にしてるやつらだって多い。お前さんのプロジェクトのせいで家族が移住予定のアーコロジーが立ち消えになっちまった、そういう兵士の気持ちが分かるか?」


「……分かるつもりでは居るよ。でもプロジェクトが軌道に乗れば……」


「そんな先のことは知ったこっちゃねぇんだ。最終的にアイデスを幾らでも複製出来るようになって、市民を収容出来るようになっても、『今』は違うわけだろ。それだけでも必死で戦争やってるやつらには不満なんだ、現場のための新型の開発まで邪魔されたら支持層(スポンサー)も黙っちゃいねぇ」


「それは……そうかもだけど……」乙女は視線を下げた。「でも、わたしの失望も分かってほしいよ。あなたは恩人なんだ。あの血のカルトの監禁部屋から連れ出される前まで、わたしはあそこで死んでも良いと思ってた。だけどクーロンが、こんな世界にもヒーローはいて、知らないフリをしてきた希望が、わたしの傍にもあるんだと信じさせてくれた。しょんぼり装備で基地から叩き出されたときも、あなたが護衛してくれたから安心が出来た。だから、わたしと似た境遇の子を見捨てたって聞いて、冷静でいられるわけないんだよ」


 男は藁をしがんだ。何の味もしない。

 くたくたになった藁を潰して畳んで戦闘服のポケットに入れて、溜息を零す。


「……俺はとっくに堕落した。正しい道から堕ちて、クソみたいな兵士になって、死んだ。死んで蘇った。邪道でも、功夫の道に戻って……そこからまた堕ちた。もう一度戻れるとは思えない。失望されて当然だ。だが、かつては俺にすら正しい行いが出来たんだ。人を助けることが出来た。それをもっと上手くやってくれる誰かがいると、俺は信じてる。例えばプロトメサイア、お前さんなら、もっと大勢を救えるはずだ。助けてやれるはずだ。そして……コルトなら、正義の天秤を、しっかりと担ってくれるだろう」


「だと良いね」


 乙女は皮肉っぽく呟いた。

 それから、少しの間考えて、取り繕うように「本当にそうなれば良いと思ってるよ」と言い直した。

 そうして、大きな馬の前に立ち、怖々に触ろうとしたり止めたり、鼻先で突かれて楽しそうにしている、その愛らしい少女を眺めた。


「……さっきは言い過ぎたよ。失念してた。君だってコルトたちの面倒を見ている。無茶は出来ないよネ……」


「いや、言い訳だ。分かってる。言い訳なんだ」


 男は奥歯を噛みしめた。

 何も口には残っていないというのに、ひたすらに苦かった。


「俺じゃなくたって、あいつらの世話は出来る。俺は、その気になれば、もっと、やれるだけのことをやれた。だが、もうすっかり腑抜けになっちまったんだよ。怖じ気づいて、言い訳に言い訳を重ねて、試す前からどうしようもねぇって諦めてた」


「やれるだけやれば、どうにかなったのかい?」


「……素体の行った先はオーバードライブ対応のパペットの小隊だった。俺には潰せない。とても敵わない。無理だ」

 男は言い切った。それはただの事実だった。使われている技術に二世紀ほどの差がある。敵うわけがない。

「だが、それも言い訳なんだ。別に潰さなくたって娘っ子ひとり攫ってくれば良いだけだ。かのアルファⅠプルートゥは、それをやってのけたエージェントの、その妾の腹から生まれたんだ。……俺は正しい道を見て、しかし見ないフリをした。侮蔑に値する男だ。犬死にするほどの覚悟が、俺にはもう無い……」


「……ごめんね」乙女は口籠った。「自分自身をそうまで言わなくて良いよ。わたしのためにも、ここは自分を許して」


「いや。お前さんが正しいからな」


「分かるつもりでいるよ。僕も時々変な感じがする。多くの人を助けられる立場になったのに、むしろ見捨てなきゃいけない命ばかり目に付いてネ……。えへへ……だからプロトメサイアと呼ばれるのが厭なんだ。そんな大した存在じゃ無いんだから。クーロンにも、わたしと同じ思いをさせてしまったね……本当にごめんね」


「不甲斐ないのは分かってる」

 男は幾つか言葉を飲み込んだ。そして、確かめるように頷いた。

「それでもまだ終われない。夢を見て、歩き続けないといけない。次の誰かが上手くやってくるって無責任な想像をしながら、希望が続く限りは……。そうだよな?」


「そうだね。希望が続く限りは。……ねぇ、クーロン。えへへ……いつか僕の理想都市が完成して、もっともっと人手が必要になったら……その時は助けてくれる?」


「コルトが優先だが……」男は頷いた。「助けになってやりたいよ」


「それを聞きたかったんだ」乙女ははにかんだ。「どうか、僕の前で、昔みたいなヒーローになってネ」


「ヒーローは必要ないだろ。メサイアがいるんだ」


「いや、要るよ、わたしは絶対にやり方を間違えるから。……ほら、僕って、こんなのだよ。自分を偽るための言葉じゃないと、満足に誰かと話も出来ない……。失敗するのが、今から怖いんだ。その時は、君でもコルトでも良い。どうか、せめて僕を、罰してほしいんだ。わたしを止めてほしい。わたしを止めて、都市の未来を修正してほしい」


 その呟きを、男は、聞かなかったことにした。無言を貫いた。

 乙女の心臓に掌底を撃ち込むところを想像しようとしたが無理だった。

 どれほどの狂奔が必要になるだろう? 

 十数年面倒を見ただけのコルトにすら、並々ならぬ情が湧いている。

 数十年を供にした調停防疫局の生き残りに対しての未練は、もはや筆舌に尽しがたい。


「俺は、むしろお前さんに助けて貰いたいよ、プロトメサイア……いや、アルファⅠサベリウス。俺とお前さんでは、技術に三世紀の差がある」


 苦し紛れにそう呟くと、乙女はそれもそうだね、と曖昧な笑みを浮かべた。

 だけど、と唇が言葉を紡ぐ。


「……え、えへ。気持ち悪く思われるかもしれないけど、僕はね、クーロンも家族だと思ってるんだよ。ちゃんとしたお父さんがいたら、こんなのだったのかも、って……」


「そんな柄じゃねぇよ俺は。根無草のまま死んだくだらねぇ傭兵が父親で嬉しいか?」


「家族はやっぱり嫌かな……?」


 男は乙女の方を見なかった。しかし言った。


「まぁ家族ぐらいの仲だとは思う」


「それは良かったよう。僕はね、他の複製体もみんな、家族だと思ってて。僕の生前の暮らしが悪かったせいなんだろうけど……不死になってからはさ、あの頃欲しかったものが、次々手に入るような気がして……」


 乙女は目を伏せて、悲しげに呟いた。


「みんなで、幸せになりたいよね……」


 男は黙して言葉を受け入れた。

 長年の連れ合いの嘘を見抜いていた。

 彼女はそんな未来を信じていない。求めてはいても、そんな未来を信じられない。

 二人は、同じだった。

 二人は、信じてもいない言葉を同時に呟く。


「みんな、幸せになりますように」

    


 乙女が黒い光で空間を引き裂き、どこか知らぬ重要施設へと帰還すると、男と少女は改めて今日という一日を楽しみ始めた。

 殆ど馬に少女の世話を押し付けるような形になってしまっていたが、少女はすっかり馬に慣れてくれた。

 奇妙なことに、牧場には、調教師も、他のSCAR、彼女たちの担当官も見当たらない。

 プロトメサイアが気が利かせてくれたのだろう、と二人は合点した。

 だから、遠慮なしに乗馬を楽しむことにした。

 男が鞍の後ろ側に座り、少女を引っ張り上げて前側に乗せて、抱え込むようにして姿勢を安定させる。

 それから、ゆっくりと馬を走らせた。

 芝生が息づく牧場は春先の陽気で満ち満ちており、生きとし生けるもの全てが色づいている。

 男としてはこんな環境で馬に乗れるだけで幸せだった。

 慣れない少女に手綱を握らせて、その小さな手を甲冑の両手でさらに握って、サポートした。

 少女は勘所をすぐに掴んだ。夢中で馬を走らせるようになった。

 鐙に脚を乗せて体を浮かせ、馬の負担を減らす技術も、おそらくは西部劇ものの映画の受け売りだが、自ずから示すようになった。


「この柵が囲っている範囲ならどこでも走っていって良いんだよね?」


 さほど広くはない。

 だが、普段狭隘な施設で訓練と勉学に励んでいる彼女には、よほど自由な世界に見えたことだろう。


「ああ良いとも」と囁くと、少女は保安官らしからぬ笑顔で男を振り返った。

 ……可愛らしく思う。

 同時に、不憫に思うのを止められない。

 少女はもっと自由であるべきだった。

 この牧場の馬とどう違う、と男は憂鬱になる。

 自由なつもりでいるが、自由ではない。現実には何の自由もない。

 運動も食事もカリキュラム通り。思想の方向性、得るべき特性は生まれる前から決まっている。

 どこで何をするのか。何を見させるのか。何を作らせるのか。何を学習するのか。誰と交配するのか。何人子供を『製造』するのか。数年後の細かな未来まで機械によって決められている。

 幼年期の夢や願望のブレは、ただのノイズだ。

 不要と断じられた記憶は、スチーム・ヘッドにされた頃には全て忘れ去っていることだろう。

 そして最終的には、戦火の中を駆けずり回ることになるのだ。

 得体の知れぬ怪物と、敵味方の区別をせず降り注ぐ砲弾の下に放り込まれるのだ。


 まるで檻に閉じ込められている囚人だ。否、生き死にの自由があるだけ囚人の方がまだ良い。馬の方がまだ良い。死ねるのだから。

 彼女は将来死ぬことすら出来なくなる。

 そして彼女に永劫の虜囚の辱めを与え、未来を奪おうとしているのは、紛れもなく彼だった。


 嘆いている男自身も、彼女に業を押し付けている、許されざる者の一人だった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 「みんな、幸せになりますように」 本当に本当に、みんなそう願って祈っているのに、しんどいですね。 コルトも、クーロンも、メサメサも、みんなその願いは変わらなくて、その当時の約束を抱えている…
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