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アフターゾンビアポカリプスAI百合 〜不滅の造花とスチームヘッド〜  作者: 無縁仏
セクション4 殺戮の地平線  世界生命終局管制機 アルファⅣ<ペイルライダー>
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リタリエーション:第百番攻略拠点接収作戦 その13 コルト・スカーレットドラグーン(7)

 男は天井を見上げていた。自分がそのような身体操縦を行っている理由に思い至らず数秒の空白が思考に生まれたが目元に不快な熱感が湧き出てくるのに気付いてようやく合点がいった。

 泣くとき必ず上を向くよう訓練していた。どうしてそんな動作を体に焼き付けたのか、もう覚えていないが、いずれにせよ肉体がそう動くのを実感するのは久々だった。歴戦のスチーム・ヘッドにとって血以外の何かを流すのは困難極まる。

 人格記録媒体が加熱して、ありもしない風景、もう終わってしまった時間の残滓を呼び覚ます。


「この柵が囲っている範囲ならどこでも走っていって良いんだよね」「ああ良いとも」「二人乗りは重くないかな」「こいつらは何百年か前に甲冑騎士を乗せて走り回ってた偉大な一族の末裔だ。二代前なんてスチーム・ヘッドを乗せて鉄風雷火を潜り抜けていた。それに比べりゃお前さんはイソヒヨドリよりも軽くて静かだろうな」「そうだと良いけどね」「そうさ」「これでも私だって結構筋肉は付いたんだよ。トレーニングしてるんだ」「でも鎧騎士よりは軽いだろ?」「そうだけど。マルボロ、私が落っこちそうになったら絶対に助けてね」「落っこちやしないさ。馬のやつ、お前さんが大好きみたいだから、暴れない。そのまま。落ち着いて、まずはゆっくりと走らせてやれ」「どう、どう……。本当に私のことが好きなのかな。マルボロは馬の考えてることが分かるの?」「いいや。でも馬のほうが人間を分かってくれるんだな。馬という生き物は、そのままでも飛び切りに早い。だが人間が乗るともっと上手く走れるんだ。自分を愛して乗りこなしてくれる何かを、いつでも探しているもんだ」「それが私だったら良いけどね」「いいや、まさしくお前さんだよ」「ねぇ君、そうなのかい」「馬に聞いても分からねぇよ」「じゃあマルボロはそういう馬の知識を誰から聞いたのかな」「馬に詳しい人から聞いたのさ」「ふうん。マルボロの生まれた場所には馬って結構いたの?」「昔はいたらしい」「それじゃあさ、あの柵を越えたら」「ああ、越えたら?」「どこかにこの子と友達になれる馬はいるのかな?」「……」「私みたいな子供と一緒に、どこかにいるのかな……」「わからん」「君ともあろうものが、見たことないのかい?」「いるのはいると思うな」「私もそう思う。いつか出会えると良いんだけど」「出会えるさ」「そうかな」「そうだとも」「ねぇマルボロ。君、私を離さないでね。本音を言ってしまうと、私はいつでも怖くて」「お前さんは皆の先頭に立って、馬の上から行く先を示してやらなきゃいけねぇんだ。そんな弱気じゃ立派な保安官にはなれねぇぞ」「そうだけどさ。でも、まだ、その時じゃないのは確かだよ。ねぇ、お願いしたからね、マルボロ。落っこちたことはないけど、きっと落っこちるというのは、怖くてたまらないと思うんだ」


 記憶領域がバーストを起こしている。

 ノイズが奔ったのは、瞬きほどの時間。考えるべきことではないと分かっているのに、これはいつ頃の記憶だろうと、滲む視界で考えを巡らせてしまう。

 まず間違いなく言えるのは、人類文化継承連帯が保護していない地域より外に『馬』などという生き物は残っておらず、彼女が自分と似た見ず知らずの誰かと出会うことなど絶対に無いということだ。

 マルボロはあの時こう言った。「大丈夫だ。いつもこうやって傍にいる」出来るはずも無いと思いながら、こう言った。「落っこちそうになったら、すぐ捕まえてやるとも、コルト」

 意識が、蒸気の煙が渦を巻く粗末な天井に戻ってくる。不死の肉体の内側で何かが急速に乾いていくのを感じた。

 マルボロはまだ燃え尽きていない煙草を握り潰した。そして震える手の中で灰の塊がまだ熱を帯びているのを確かめた。タクティカルベストのポケットに吸い殻入れを捨てた。息を吸う。吐く。落ち着かない素振りでまた別のポケットを漁って新しい煙草を一本抜き出すと粗悪品の拳銃に使い古しの弾倉でも叩き込むようにして乱暴に口に咥えた。ジッポを取り出す。馬のエンブレムが刻まれた記念品でいつでも持ち歩いていたがこの終わりの時代では補修部品が無い。だから使うのが怖くていつでも使い捨てのライターで済ませていた。ロザリオのようにジッポを握り、蓋を開き、ホイールを回す。火を着ける。

 炎を見る。煙を吸う。吐いた煙の形を見て息を整える。肉体の迷妄を落ち着ける。

 開かれた部屋へと煙草の煙と銃の硝煙が流れ込んでいく。硝煙。硝煙、とマルボロは繰り返し思う。マルボロは何度かその匂いを確かめようとして、その煙が自分の吐く息に混じっているのを見つけた。

 彼は、既に煙を吸い込んでいた。

 マルボロはその奇異なる空気の流れをしばし眺めた。蝋燭を吹き消すかのように注意深く煙を吐き出す。煙草の煙は、白々とした硝煙に巻き込まれて、室内へと流れ込んでいった。部屋に窓はなく気流はリーンズィが構造を解除した通路へと向かっているはずだが全てが逆さまに動いていた。

 沈黙する。覗き込んで室内を見た。沈黙するコルト、プロトメサイア、二人の姿を見た。古びているが目立った崩落の無い壁を見た。それから床に散らばる弾丸を見た。

 実包だ。薬莢も弾頭も揃っている。発射された形跡が無い。

 煙草を吸う。吐く。また吸う。全ての音が遠く感じられる。弾丸を数える。一発。二発。三発。四発。五発。あと一発どこかにあるはずだと思ったがどうしてそう思うのかマルボロにもすぐには分からなかった。あるとして、いったいどこにどのようにして存在するのか考えた。

 それからすぐ側で蒼白の顔をしているリーンズィを、自分の思考を覗いているそのライトブラウンの髪の少女を見た。


『……どうした。ここはお前さんの仕切りだぜ。お前さんが指示を出さないとみんな動かない』


 無感情な通信が脳髄に書き込まれても、リーンズィの精神は、まだ現実に追いついてこない。

 他者の思考と自分の思考の区別がつかず、それというのも彼女には、コルトが破壊されたという現実の是認が出来なかったからだ。

 アルファⅡモナルキアはしきりに戦術ネットワークに対して不正アクセスを繰り返し、コルトの端末に相当する機体の視覚や思考を覗き見て、目の当たりにした現実を否定しようとしていた。リーンズィは否定の言葉を求めていた。コルトは破壊されていない。コルトはまだ元に戻せる。コルトはこの世界にいると、そう信じたくて何か都合の良い奇跡を待っていた。

 マルボロは浅い息を繰り返すライトブラウンの髪の少女に近寄って、肩を叩いた。


「あいつは、やりたいようにやった。それだけだ。これで良かった。良かったんだ」


「これで良い? 良いとは……?」リーンズィは呆然として呟いた。「何が?」

 

「良くないなら、じゃあ、何なんだ? ああそうだとも。何も良くはねぇよ。良いわけがない。だが、じゃあ、どうしてやればよかった? 時計の針を巻き戻して救いの手でも差し伸べてやれるってのか? なら、いつ、どこでそれをやれば良かったんだ?」


 ねぇ君。私を離さないでね。マルボロの脳裏に遠い声が木霊する。

 棘のある言葉を浴びせられて、リーンズィは塞いだ様子で目を落とした。マルボロが自分の吐き出した言葉に後悔の念を抱いたのも読み取っているはずだった。紫煙を燻らせる兵士は謝らない。思ってもいないことは、言えやしない。本心を偽る余裕がない、焦げ付くような煙を吐いて、横たわる現実を見据えていた。

 リーンズィの心理的ダメージは相当だった。ミラーズが寄り添っていなければ座り込んでいたかもしれなかった。今にも泣き出しそうな顔をしている。マルボロは溜息をつく。室内にいる漆黒の騎士甲冑に視線を注ぐ。ざわめき戸惑ったままの仲間たちを振り返る。誰も状況に対応出来ていない。状況を理解しているものは見当たらなかった。


「俺が仕切らないといけねぇのか。伸ばせる腕も、駆けつけられる脚もない。半端な功夫で人を殺すぐらいしか能の無いこの俺がか……」呟いてから自嘲した。「そうだとも。ガキにやらせる仕事じゃない。いつだってそうだ」


 マルボロは一歩部屋へ踏み込んだ。

 フリーズしていたプロトメサイアが不意にヘルメットのレンズを向けた。

 両手でかちゃりと刃が鳴った。


「プロトメサイア、スリープは終わりか? 変な気を起こすんじゃあねぇぞ」


『……機体識別。エージェント・クーロン。ようやく再会だ。祝福する』


「めでたくねぇよ」煙を吐いて吐き捨てる。「二度と会いたくなかった。会わない方が誰にとっても幸せだった」


「プロトメサイアが……動いた。全機突入、全機突入して!」


 一拍遅れで反応したリーンズィが対感染者用拳銃を向けながら号令を掛けた。


「プロトメサイアを包囲せよ! して! せめて、コルトが望んだように!」


 個人ではなく、群体としての使命感が、完全武装の兵士たちを惑乱から解き放つ。

 移動は瞬時だ。待機状態からオーバードライブを起動した解放軍兵士たちにとって、一刹那は十秒にも値する。

 彼らは疾風の如く駆け抜けて、瞬きのいとまさえ与えずに、狭い室内に多種多様な武器を構えて居並んでいた。一機一機が精鋭中の精鋭。三〇倍加速を実現し得る、人間の形をした殺戮機構である。


 プロトメサイアは、包囲陣の形成を沈黙で以て迎えた。

 蒸気の渦に巻かれて些かの動揺も無かった。

 ただ、リーンズィとミラーズが自分の脇を擦り抜けていくのを頭だけで追い、跪いて事切れたコルトを抱きしめるのを、じっと見ていた。


「……さしものお前さんでも、閉所で戦闘用に囲まれたときに切れるような、都合の良い鬼札は無い」


 部屋に踏み込んで、マルボロは吸い殻を床に落とした。リーンズィはその視界を覗き見る。実際は、マルボロは弾丸が床に転がっているのを観察している。靴の爪先で弾丸を転がす。弾丸は吸い付くようにして床の上を移動する。何と言うこともない動作だ。それを試行することの意味が、リーンズィには意味が理解出来ない。

 新しく煙草に点火する、煙の動きを確かめている。

 煙草とは関係のない空気の流入は、なおも続いていた。

 プロトメサイアは刃を携えたまま平然と応答した。


『……貴官は当機の戦闘能力を過小評価している。オーバードライブを使用すれば、脱出は容易だ。鬼札は常に我々の手中にある』


「その代償に何時間、何日間、そしていったいどこで、システムダウンをする気だ? ええ? こっちでの一秒はあっちの何秒に相当する? いいか、変な気を起こすんじゃあねぇぞ」


 マルボロは苛立たしげに繰り返した。殺気立つ兵士たちにも煙草の先を向けて、小さく怒鳴った。


「誰も彼も、そうだ。変な気を起こすな」


「このまま潰せるぞ」と消火斧を握るスチーム・ヘッド。「そうせよと命令されなかったからやっていないだけだ。こいつの本領は、広所でコアを起動して、逃げ隠れしながら戦うことだろう。この閉所、この間合いでは、どう強がろうと、こちらに分がある」


「何度も言わせないでくれ」忌々しげに吐き捨てた。踏みしめられた床が、軋みを上げて砕けた。「そういう段階はもう過ぎちまったんだ。これからこの腐れ救世主崩れから何を聞いても……妙なことを考えるんじゃねぇ。リーンズィ、良いな?」


「異論はない。即時の破壊はメリットがない」コルトのバイタルを確認し、体のあちこちを触りながらリーンズィが答える。「今は何よりコルトの方が大事だ」


「どういうことだ? 問題でもあるのか? 俺には好機にしか見えない」


「問題はあったのさ。そしてこれからもあるわけだ。かつてあったものは、これからもあるもの。よく言ったもんだ」


 そしてコルトが事切れているという現実もかつてあり、これからもある。マルボロの言外の嘆きを読取り、リーンズィの胸の奥で心臓が軋む。


「コルト、コルト……私がきた、リーンズィが来た……みんなもいる、君を待ってる、起きて……コルト……」


 リーンズィは無反応な、くずおれた矮躯に寄りかかり、何度も彼女の名前を呼んだ。軽い接吻を繰り返し、首輪型人工脳髄、そして義眼型の簡易脳髄の様子を改めた。


「どこにも、傷一つ無い……なのに、どうして……」


 ミラーズがリーンズィを背中から抱きしめ、首筋にキスをした。振り向いた彼女の、蒼ざめた頬を撫でてやり、優しく遠ざける。そしてコルトに覆いかぶさって接吻した。

 緩く波打つ金色の髪が生気の失せたコルトの顔を隠す。

 ミラーズは、切なげに吐息を零し、耳元で囁きかける。

 するとライダースーツで身を飾るその女は、ゆっくりと起き上がった。

 歓喜の声は上がらない。

 皆、ミラーズが何をしたのかを理解していた。

 ミラーズは目を伏せながら、奇妙な韻律の歌を口ずさんだ。


()()()()()


 コルトだったものは、言われるがままにその場にぺたりと座り込んだ。


「……聖句で命令を与えました。少しでも魂がここにあるのなら、こうも簡単には、私の息を吹き込めません」


「完全に、機能停止している……人格記録のサルベージも不可能だと思う。連続性が壊れてる」ユイシスがハッキングを試みていたが、整合性のあるデータは何一つ回収できない。「コルトは……もう、全部……揮発してしまっている……」


『……コルト・スカーレット・ドラグーンは、我々プロトメサイアが破壊した』


 漆黒の救世主は、無数の刃、無数の銃口、爛々と輝く無数の眼光に晒されながら、一切の躊躇を見せず、淡々と告げた。

 充満する敵意が臨界点に達する。

 僅かな火花で、兵士たちは命ある暴風となって彼女を八つ裂きにするだろう。

 それでも彼女は歯牙にもかけていない。

 かくのごとき苦境は、幾千も乗り越えてきたとでも言うかのように。

 煙草を吸いながら、マルボロは問いかけた。


「お前さんは、コルトを欲しがっていたはずだ。お前さんは自分を改良したコルトに並々ならぬ期待を抱いていたからな。だというのに、何でそれを壊したりした? お前さんは自分が何をやって、何を言ってるのか、あまり分かっていねぇみたいだ」


『回答する。要求を拒絶されたためだ。SCAR運用システムは、我が計画を頓挫させかねない大量虐殺兵器。野放しにしておくことは出来なかった。コルトは都市の天命によって処分された、と換言しても良いだろう』


「天命だって……?」兵士の一人が言った。「こいつを活かしておく理由が一個も見当たらないね!」


 場を支配する殺意の奔流が、爆発的に膨れあがるのも必然であった。

 さしものリーンズィも、胸に突き上げる激情に、思考が溶けて消えるのを感じた。

 そして気付いた。

 正確には、マルボロの視界が不自然にぐるりと巡らされたのを窃視して、気付かされた。

 弾痕である。

 弾痕、弾痕、弾痕、弾痕、弾痕……。

 いったいどれほどの銃で、何十発の撃ち合いが成されたのだろう。

 否、リーンズィは違和を認める。


 いつから、この部屋の壁には、これほどの量の弾痕が存在していたのだろう……?


 そこかしこ、兵士という兵士の背後に、四方を囲む壁という壁に、銃弾が飛び込んで開けた穴が現れている。

 数秒前のログを確認したが、そんなものは存在していなかった。

 そのはずなのに、確かに今、弾痕がそこにある。


「これ、は……?」


 空気の質感が歪み、捻れ、塗り潰されていく。<時の欠片に触れた者>の干渉を受けているかのような怖気を伴う違和の連続。異質なのは

 リーンズィが慄然として周囲を見渡するを見て、兵士たちも景色の変化に気付いたようだった。

 己らを取り囲む銃撃の痕跡を発見して、呻き声を上げ、互いに互いの状況を教え合った。


「そいつは『予定痕』だ……!」


 マルボロは視線を落として声を荒げた。


「未来から過去へと撃ち込まれた弾丸の『痕跡』……これから到来する銃撃の『結果』だ。安心しろ、まだ確定した未来じゃない。だから馬鹿なことは考えるな。プロトメサイア。お前さんには分かるな。この現象をもう見ているはずだ」


『……理解不能だ。また、先ほどの機体が攻撃を試みているのか?』


 プロトメサイアも、奇怪な現象への疑問を紡ぐ。


『何故、あの機体は、味方にまで矛先を向ける……? 貴官らは、同じ勢力ではないのか?』


「あいつがどう思ってるかは知らねぇ。だが……<第一の戒め>であるストレンジャーは、基本的に標的を所属や経歴で選ばない。あれは、虐殺だけに反応して動き出す現象のようなものだ」


 マルボロは半ばまでが灰になった煙草を握り潰しポケットにしまった。

 新しい一本を再装填する。


「……今、お前さんの安い挑発が、俺の仲間たちの敵愾心を煽った。やがて虐殺に繋がる怒りの種火へと、(ふいご)で風を送り込んだわけだ。そのせいで、虐殺の起点となる可能性の萌芽が、この空間に生まれた」


 弾痕の位置は刻々次第に変化を続け、兵士たちを取り囲んでいる。

 ただし、現れるばかりでは無く、最初から無かったかのように消え去るものもあった。

 元より弾痕を背負っていないミラーズやリーンズィ、プロトメサイアといった機体もいた。

 背後から弾痕が無くなったことを確認した兵士は、武器を僅かに降ろし、己が心を確かめるかのように、沈黙した。

 マルボロは目敏くそれらを発見して、言葉を添えた。


「お前さんたちは、なかなか賢いようだ。自制心がある。未来を想像出来る。やろうとしていたことを、やらないと誓ったな? 自分に誓ったことを守れ。他のやつらも。今考えてることを、絶対にやるな。変な気を起こすんじゃねぇ、何度も何度も言わせるなよ、本当に、プロトメサイアだけじゃない、全員が、そうしろ」


 マルボロは不愉快そうに煙草を噛みながら兵士たちに視線を向ける。


「みんなの考えてることは分かるぜ、プロトメサイアをブチ壊してやる……さもなきゃ、FRF市街に乗り込んで、コルトに釣り合うだけの屍を積み上げてやる……そうしたくてたまらねぇんだろう。だが、<第一の戒め>ストレンジャーは許さない。コルトたちが作り上げた不滅者が、その未来の前途を阻む。……プロトメサイア、さっきの問いに、敢えて不正確に応えたな。コルトを破壊したのはお前さんだと」


『……我々プロトメサイアは虚偽は述べていない』


「そうだろうよ、しかし嘘を吐かないだけだ。お前はいつもそうだ、いつでも事実を軽んじる! お前に合わせて現実を矮小化しても何も変わらないぞ!」マルボロは不意に激昂した。「お前は、人目を気にして閉じこもっていた頃の方が、まだ誠実だった! 監禁されてた時でさえまともだった! 不死病に身を委ねて二千年も経って、まだ自分さえ悪者になれば全てが解決すると思い込んでるのか? 思い上がるのも大概にしろ! 答えろ、事実だけ答えろ、お前は確かにコルトをそんな風に壊したんだろうよ。だが完全な機能停止に追い込んだのは、誰だ? お前はそこまで徹底的にコルトを消したかったのか?」


『……』プロトメサイアの動きが硬直した。『否定する……』


「そうだろうとも。最低限の破壊に留めるはずだ、お前ならな。お前は昔からそうだ」怒り狂う自分の声を消し去るかのようにして、深く、深く煙を吸い込む。「……ふぅ。お前さんは、コルトを破壊したあと、ストレンジャーの襲撃に遭遇した。コルトを壊したのはプロトメサイアじゃない。ストレンジャーだ。ストレンジャーがコルトの全機能が停止するまで撃ちまくったんだ。違うか?」


『ストレンジャー……あの銃士はストレンジャーというのか。記録した』


「記録しても無駄だ。ストレンジャーは常に最適な経路を選ぶ。真っ黒な稲妻みたいにな。そして消え失せちまう」


 リーンズィは物言わぬコルトの手を握りながら、マルボロに尋ねた。


「ストレンジャー……さっきの、コルトに似た機体は、不滅者……なのか? 彼女はコルトそのものに見える。彼女からコルトを復元することは……」


「……あいつは確かに、限りなくコルトに近い。でもコルトじゃあないんだ。かつての名は『キュプロクス』……SCARの実働部隊を指揮していたパペットで、オリジナル・コルトの複製人格だ。今までのコルトと根は同じでも別人だ。しかも不滅者になったら、どんな形でも、もう元には戻せねぇ。二重の意味で、あいつをコルトに戻すのは、無理なんだよ」


「おい待てマルボロ、キュプロクスだって!?」

 兵士の一人が困惑の声を上げた。


「あいつぁ独走の罰としてバラバラに解体されて封印されたはずだろ! 人格記録媒体(アイ・メディア)を粉砕するところだって公開されてた!」


「残骸をさらに辱めるための処刑ショーに見えたか? 実際は違う。あんなのは、ただの手続きだ。あいつは自分たちの暴走で多くの市民が殺戮されたことを後悔して、贖罪を望んだのさ。そしてナインライヴズと契約を結んだ」


「それじゃ、あれは何だったんだよ?!」かつてキュプロクスの突撃隊だったスチーム・ヘッドが吠えた。「不滅者にされたんなら、元の筐体をあんなふうにめちゃくちゃに壊さなくたって良かっただろ……! あいつは、キュプロクスは、間違ってたよそりゃ! 取り返しの付かないことをした、でも、仲間だったじゃないか……! ずっと一緒にやってきたじゃないか! やり直す機会を与えるってんなら、それで……!」


「ケジメが必要だった。暴力の時代は終わったと宣言しなければならなかった。コルトならそう言うだろう」マルボロは灰になった吸い殻をポケットにしまった。次の煙草を再装填した。「だいたい、やり直す機会なんて与えちゃいねぇんだ。ヴォイニッチの不滅者ならともかく、ナインライヴズが祝福を与えて作る不滅者は、不安定で、不完全で、どうしようもねぇ。叶うわけもない願いのために妄念を抱いて地面を這い続ける。裁きの日とやらが来たってあいつは自分の信じた理想のために誰もいなくなった地上を彷徨い続けるわけだ。破壊よりも酷いと俺は思うね。……そんな目にあったなんて、おおっぴらには出来ねぇよ」


「認知機能ロックまでやって隠す必要はなかっただろ! キュプロクスが違う在り方で命を繋いでるなら、俺は知りたかったぜ……!」


 ストレンジャーなる不滅者の情報が開示されていくにつれ、消えないまでも、陽炎のように揺らぐ弾痕が増え始めた。

 リーンズィは、ある一点にだけ違和感を覚え、眉をひそめる。


「マルボロ……?」


「……お前さんたちの気持ちは、分かるつもりだ。知りたかったろうな。だが、出来上がった不滅者が、あんまりにもマズかった。あいつが……キュプロクスが最期に願ったのは、全ての罪を生まれる前に消し去る存在になることだ。そんなもん叶うわけがねぇ」


「はは。思春期のガキかよ」兵士は顔を伏せた。「いかにもキュプロクスらしい」


「まったくだ。世界中から『クソッタレ』って言葉を消したいと願ったって現実には何ともならねぇ。今ある分を全部消せたとしても、未来までは変わらん。意味のない願いだ。ガキにでも分かる話だ。だから性能は理想よりも大幅に劣化した。劣化したが、それでも素材が良すぎたんだろうな、桁違いの破壊力になっちまった。最終的に隠蔽を指示したのはコルトだ。存在が明るみになったらどんな混乱が生じるもんか分からねぇからな」


 リーンズィは瞳を僅かに赤く染めて呟いた。


「……マルボロ、少し話がしたいのだが」


 紫煙を燻らせる兵士は尚も言葉を紡ぎ続ける。


「ストレンジャーはいきなり現れる。そして同時に誰かが破壊される。というのは、あいつはどうやら『虐殺の発生』の因果が発生した時に、都度生成される不滅者なんだな。未来で罪が生まれたのを見て、そして過去に向かって、その罪を消し去りに行く……時間を遡行する」


「そんなことが可能なのかよ」


「可能だから、可能なんだろう。やつは未来から過去に移動出来る、とにかく時間を自分の足で遡って、未来の罪人が罪人になる前に、過去へと殺しに向かえるわけだ。懲罰担当官としての理想系だよな、ストレンジャーからしてみれば、全てはもう終わったことだ。既に起こった罪を裁くわけだから冤罪なんて起きようが無い。そしてあいつから見て過去にいる俺らは……未来で罪を犯す前に可能性を命ごと吹き飛ばされる。虐殺は起こらず、罪もそこにはない。何も起こらず、俺たちは撃ち殺されて、壊れる。ありがたい話だろ?」


「待て待て待て、めちゃくちゃじゃねーか」


 兵士の一人が引きつった声を漏らした。


「その理屈だとぶっ壊されるやつは、まだ何もしてないうちに、わけのわからねー理由で一方的に罰を受けさせられるんだろ、んなもん納得出来ねーって、狂気の沙汰だ!」


「だからこそ、<第一の戒め>ストレンジャーの実態を知ってるやつは、限られてるんだよ!」マルボロは煙を吐きながら怒鳴り返した。「解放軍司令部でも、どの程度の虐殺がストレンジャーを目覚めさせるのか調べようとしたが、全く分からねぇままだった。千万単位でFRF市民を殺せる精密な計画を立てても無反応なのに、全く無関係な機体がいきなり撃たれて壊される。不条理極まりねぇ。そんなやつがここではない未来でウロウロしてるなんて理解したら、認知負荷が跳ね上がるだろ? 知らせない方が良いに決まってる! まぁ、『予定痕』を見た程度で思い留まる程度なら、やつはその可能性世界ごと消滅するみたいなんだがな……俺がさっきから、思い直せ、変な気を起こすな、なんて言ってやってんのはそういうことだ」


 突撃槍を構えた機体が、疑問がある、と声に出した。


「本官はプロトメサイアを破壊することだけを考えている。FRF市民に対しての敵意は存在していない。だが本官の弾痕は消えていない。これはどういうことか、合理的に説明は出来るか?」


 兵士たちが問答をしている間に、リーンズィは懸念の検証を開始した。

 ミラーズに目配せし、協力して密かに周囲を確認する。

 弾痕は最初に気付いた時と比べれば遥かに少なくなっている。マルボロが予定痕とストレンジャー出現の因果関係を説明してからは、それまでの数倍の速度で弾痕が消滅している。

 だからこそリーンズィは、その異常を、注視せざるを得ない。


『我々は……』プロトメサイアもまた、問いかける側に立っていた。『我々プロトメサイアは、何故破壊されていない。時を遡って、罪を犯す前に虐殺者を破壊する。並外れた機能ではあるが、それならば、我々は……コルトに虐殺者と断じられた我々こそが、真っ先に処刑されるのが道理であると推測する。そもそも、我々よりもコルトが優先して破壊された理由が不明だ』


「……ストレンジャーはコルトが呼んだ」忌々しそうに煙草を蒸して兵士は呟く。「あいつの計画はプロトメサイアを焼却すると見せかけてのジェノサイダルオルガンによる()()()()。あいつは人の住んでいる都市を蒸発させる算段を立てていた。実際、消え去った未来において、コルトはSCARを使って適当な都市を焼いて、何十万か何百万か殺したはずだ」


 漆黒の甲冑の内側で、数秒間、呼吸が途絶えた。

 それとは無関係に拡声から当惑の声が響く。


『コルトはSCARによる焼却の第一目標に、我々ではなく、最初から都市の方を選んでいたと? あり得ない、あってはならない、コルトにそんな決定ができるはずが……』


「起きなかったことになると確信すればこそ実行出来た。目論見通り、ストレンジャーは虐殺を止めるために出現し、コルトを処刑した。そこにプロトメサイアを巻き込む……ってのがあいつの想定したプランだった。お前さんはストレンジャーの特性を知らないし、コルトの残骸だってどれだけ欲しいか、と考えての賭けだ。ストレンジャーを止めることは誰にも出来ないが、事情が分からん状態で妨害に回った間抜けが()()()に破壊されることはままあるからな。その再現を狙ったんだろうが……馬鹿なことをしたもんだよな。ストレンジャーはプロトメサイアの破壊を選ばなかった。危惧してたことではあるのさ、プロトメサイアは屍の山の上に立ってる腐れ外道だが、じゃあプロトメサイアがいなくなることで死ぬ人間と比べて、それは多いか、少ないか。回答がこれだ」


「ストレンジャーはプロトメサイアの破壊がより大きな虐殺に繋がると判断している、と言いたいのか?」


「状況的には、そうだ。詳しいことは分からねぇ。ストレンジャーとは会話が成り立たないし、出現条件すら未確定だ。とにかくストレンジャーは、プロトメサイアをブチ殺して救える命より、そうすることで失われる命の方が多いと勘定してる。だからプロトメサイアをこの場で破壊すると決めただけで、予定痕が出るんだろう」


「馬鹿な……それではまるで、コルトがプロトメサイアを守っているかのようではないか!?」


『コルトは、我々を選択してくれたと?』


「勘違いするなよ!」マルボロは威圧的に唸った。「現段階ではそうだってだけの話だ。場所と時間が変われば、お前さんはいつでも生きてても良い連中を纏めたリストの一番最後に回る。今壊されてないことは、未来永劫の正義の保証書なんかじゃねぇんだ。どうも今までは時空間構造体の断層に阻まれていたみたいだが、こうして同期した以上、お前もストレンジャーの射程に入ってる! お前が功利の天秤で遊ぶのをしくじったとき、ストレンジャーは今度こそお前をブチ壊すだろう! コルトの作戦勝ちだ、ストレンジャーに捕捉させることさえ出来れば十分なんだよ。罪過の報いはいつか必ずやお前を射貫く!」


 死刑宣告にも等しい言葉に、プロトメサイアは、意外にも安堵の息を漏らした。

 少なくとも鎧の内側でそのように肉体が動くのを多くの機体が見た。


『コルトが……』プロトメサイアは歓喜の滲む声で呟く。『コルトが、我々プロトメサイアの裁定者になってくれるというのだな……やはり、我が後継機は、我の行く末を導ことうしてくれている……』


 解放軍兵士は最早何の言葉も発さなかった、何機かはいっそ憐れみすら感じさせる視線をプロトメサイアに向けた。プロトメサイアは狂っている。大抵の機体はそう認識していた。

 この時点で、壁の弾痕は大方消え去っていた。経緯はどうであり、即座に彼女を破壊するのは不可能であるという了解が広まったためだろう。


「マルボロ……」リーンズィは震える声で名前を呼ぶ。「マルボロ?」


 兵士の一人が舌打ちする。


「しっかし、いずれキュプロクスの忘形見が手を下すにせよ、手出し出来ないとなると、それはそれで。口惜しいのう。畜生じゃわい。しかしマルボロよ、ストレンジャーの装備は、メサ公の装甲をブチ抜けるほど強力なんかね? 核となる部分は超高純度不朽結晶だぞこいつ?」


『こいつ呼ばわりは非推奨である。我々はプロトメサイア。そして我々プロトメサイアは、一時的にストレンジャーの攻撃によって、脅威に晒されていた。あの機体は、我々を裁くに値する攻撃力を持つ」


「……ヘカトンケイルどもが言うには、不朽結晶は、過去から未来へ飛来する物体相手には脆いんじゃないかって話だ。さもなきゃ、過去と未来は相互に影響し合うが、最終的に観測可能になるのは最も整合性が高く簡潔な改変が成された世界だけ……要するに、過去に破壊された結果が生まれたのだから物理現象を無視して過程が形成される、なんて屁理屈みたいな見方もあるが、どれも仮説だ。どうあれプロトメサイアにだって十分通じるさ」


 マルボロは火を付けたばかりの煙草を握りつぶしてポケットに入れた。

 新しい一本を再装填する。

 リーンズィは固唾を呑んで彼の何気ない所作を見ている。

 都市において煙草は貴重品だ。

 意味も無く揉み消してしまえるものではない。

 

「……ここまで言えば、どいつもこいつも理解出来ただろう。変な気は起こすもんじゃねぇってな。手を出すだけ損だ」


「マルボロ」リーンズィは震える声で言った。「マルボロ、聞いてほしい」


「……」紫煙を燻らせる兵士が頷く。「どうした?」


()()()()()()()()()()()()()


「何にも起こしちゃいねぇさ。俺は至ってクールなままだ」


「いいえ、考え直してくださいませんか」ミラーズも悲しげに微笑みかける。「コルト様も、決して望んではおられません」


 兵士たちのうち、同じように異常に気づいていたらしい機体が、口々に言う。


「マルボロ、落ち着け」「何をする気か知らねーが……」「言ってることが矛盾してるぞ。お前自身がお前に背いている」


『エージェント・クーロンへ通達』プロトメサイアが機械的に呼びかけた。『即時の戦闘行動停止を推奨。貴官も我々と同じく救世の同胞である。それが破壊されることを、我々は望まない』


「お前の望みは聞いてねぇな」


『……提案する。我々の都市へ来ないか? エージェント・クーロン。我々は決して無為なる虐殺者ではない。確かに築いてきた文明あるのだ。貴官も実物を見れば分かってくれるはずだ。加えて、不死者としての地位も与えよう。我々の目的が決して無価値ではないと貴官にも分かってもらえるだろう』


「俺はもうお前の保護者じゃねぇんだよ。こと、ここに至っては、お前は、どうしようもなく俺の敵だ」


『クーロン……』


「……リーンズィの嬢ちゃん」マルボロは深く煙を吸い込んだ。「他に予定痕が出てるやつはいるか?」


「いない」ライトブラウンの髪の少女は首を振った。「()()()()。マルボロ。君だけ、まだ予定痕が残っている」


「やれやれ、調息で誤魔化してたつもりだったが……」


 マルボロが背にした壁には、彼の頭部を貫く軌道の弾丸が埋まっていた。

 その弾痕は微動だにしなかった。ストレンジャーの異常性を語るときも、プロトメサイアを破壊しても益は無いと語るときも、予定痕は消滅の兆候を見せなかった。


「俺の怒りが向かう先は、もう決まっているらしい」


 そして彼は貴重な煙草を推しげも無く吸い続けている。

 肺を炉心に口から蒸気を吐に肉体を有機の機関(オルガン)に作り替える功夫。

 特異な身体強化技術を持つ、この八極の拳士が。

 

「……当然だ。俺はこいつを、プロトメサイアを許さねぇ。許せるわけがねぇ! コルトに死を運び、最悪の<戒め>を解放したこいつを、何としてもブチ壊す! ぐだぐだ管巻いてりゃ気も紛れるかと思ったが間違いだった! 俺は、さっきからそれしか考えてねぇ……! ストレンジャーの審判も、副次的なFRF市民の大量死も知ったことか!」


 拳士は猛り狂った。

 獣のように絶叫し、身を屈め、全身の筋肉が断裂するほどの力を加え始めた。


「何でコルトが壊されてこいつが生き残ってる!? こいつさえ出張ってこなければコルトはまだここに立っていた! いつもの曖昧な微笑を浮かべて俺たちを待っていたんだ! ええ、違うか!? それともお前らには分からねぇか! お前らにとってコルトは単なる指導者だっただろうが、俺にとっては希望の光だった! みんなを導けるはずの機体だった! かつて夢見た理想の残滓だった! 理想が叶わないから何だってんだ、それならせめて穏やかに暮らさせてやりたかった……! あいつは俺の娘だ! 俺たちの娘だ! その仇を討つんだ、いったい何が悪い! これは善なる意志に基づいての行動だ! ここで壊されることになろうとも構わねぇ……いや、壊されるぐらいで諦めきれるはずがあるものかよ! そんなもんが復讐しない言い訳になるか! 模造型支援ユニットUNDER9起動、全リミッターカット……強制オーバードライブ、用意!」


『再考を求める。マルボロ、貴官はオーバードライブに非対応だ、そんな機能を使っては……』


「使ったら何だ!? 人格記録が焼き切れる!? 上等だ! お前を巻き込めるなら本望だ! 何もかも失っても構わない、死ね、プロトメサイア! 功夫の歴史に不朽結晶を壊す技術がないとでも思ってんのか!? 少なくとも俺ぁとっくに編み出してる! ただ使わなかっただけだ! コルトがそれを望まなかっただけだ! コルト! コルト! コルト! ああそうだとも、コルトはもういない! だからお前もいなくなれ! ぶっ壊れて地面に散らばって永久に忘れ去られろ! 死ねええええええええええええええ!!」


 八極の気迫が床を割る。

 蒸気圧が上昇し、吐き出す煙草の煙が赤熱化。

 復讐鬼の破壊衝動を、克明に空間へと描き出した。

 肉体が前方へと弾き出される寸前のその刹那。

 兵士は口元に笑みを浮かべ、一言を紡いだ。


「……そうだ。お前が、俺を正してくれ、コルト」


 そして、頭部に弾丸を受けて倒れていたマルボロが、逆回しに起き上がった。

 壁と床に撒き散らされていた脳髄と血液が逆流して頭部の銃創へと飲み込まれていき傷を塞ぐ。破壊されていたヘルメット内部の人工脳髄も修復された。

 マルボロは、死んでいた。ずっとそうだった。外観に破損は無いにせよ時間的連続性が崩壊した彼の人格は停止していた。

 その場にいた誰もが言葉を失った。

 全ての因果が破綻していた。

 処刑の瞬間は、誰の目にも映らなかった。

 いつのまにか、マルボロの眼前に銃士が立っている。

 コルトと似た装備の不滅者。

 コルトと同じ体温、コルトと同じ香りを纏う、消えていく未来の異邦人。

 ストレンジャーは顔を背け、拳銃をマルボロの額に向けている。

 壁から戻った弾丸が発砲炎と共に回転式拳銃の銃口に飲み込まれた。

 マルボロの損傷は未来方向に対して消去され。

 人格記録の破損は過去へ向かって伸びている。

 立ち竦む木偶となったマルボロが、糸が切れたように再び倒れた。

 止めようがないと一目で分かる。当人が回避することも、第三者が妨害することも能わない。結果がまずあるのだ。あまりにも不条理な死が、ヒトのような形をして、そこに立っていた。

 一同が戦慄する前で、ストレンジャーは後退りしながら、躊躇うような、ぎこちない動きを示した。手が震えているのが見える。

 彼女はシリンダーを回転させる。

 そのあと、一発しか弾丸が入っていない。シリンダーを解放した。

 床に落ちていた実包が跳ね上がってストレンジャーの手の中に収まり、それから、拳銃へと装填されていく。

 その数、五発。

 全ての弾丸が回収された拳銃を握って、ストレンジャーは、マルボロのことを見て、また硬直した。

 リーンズィは、理解してしまった。


「君は、彼を、撃ちたくないと思ったのか……?」


 おそらく目標の姿を視認したストレンジャーは、それが昔馴染みのマルボロであることに気付いて、致命的な躊躇に見舞われたのだろう。

 そして、射撃の機会を減らすことにした。

 きっとこの試行に失敗すれば諦めようと考えたのだ。

 拳銃から五発を抜き取り、シリンダーを回し、何も見ないようにしながら拳銃を突きつけ、ハンマーが空の弾倉を叩くことを祈って撃った。

 だが、一切は無意味である。

 未来は過去に隷従する。ストレンジャーは常に最適な経路を選ぶ。真っ黒な光のように目標へと前進する。

 すなわち、銃撃が成功したという過去(みらい)がここにある。

 ストレンジャーの処刑は必ず成功する。

 弾丸を何発抜いてもシリンダーをどう回転させても無意味だった。

 一発目に実包が在る。その未来だけが到来する。

 リーンズィたちの視点に沿って考えるなら、『予定痕』が確定した時点で、射殺されたという結果が決定される。そこからどう足掻こうと通常時間軸の存在はストレンジャーを止められない。

 出現すること自体が、未来から過去への射線に対する追認である。ストレンジャーによる処刑は運命であり、回避出来ない。

 そしてその原則はストレンジャーに本人にすら改変できない。

 成功するはずの無い小細工、終わってしまった処刑を、精一杯失敗しようと虚しい小細工を重ねる。

 ストレンジャーを見守る兵士たちの前で、プロトメサイアは小さな声で嘆いた。


『こんな未来は願っていない……どうして我々の願いは叶わない。我々プロトメサイアは……コルトを、迎えに来ただけなのに……どうして、大切だったものを二つも新しく失うの……どうして……こんな……嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ、嫌だよう、もう嫌だ、ねぇ、助けて、誰か、助けてやっぱり僕には無理なんだどうしようもないんだこんなのもう嫌だよ……』


 救世主は呻き、刃を捨てて、リーンズィへと手を伸ばした。


『アルファⅡモナルキア、助けてほしい。ねぇ、助けてほしいんだ……助けて……』


 リーンズィは、何も考えることが出来ない。

 近しい人が二人も消え去った事実を前にして、嗚咽することすら、まだ出来ない。

 だから、答えた。

 アルファⅡモナルキア・リーンズィは、システム(総体)に操作されるがままに、彼女に応えた。


「機体コードの識別に成功しました。アルファⅡモナルキアより、()()()()()()()()()()へ通達。要請に基づき、支援行動を開始します」」




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