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アフターゾンビアポカリプスAI百合 〜不滅の造花とスチームヘッド〜  作者: 無縁仏
セクション4 殺戮の地平線  世界生命終局管制機 アルファⅣ<ペイルライダー>
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リタリエーション:第百番攻略拠点接収作戦 その13 コルト・スカーレットドラグーン(5)

 機能停止してなおSCARを発射することを選んだコルトに意識を向けながらも、プロトメサイアは、突如として現れた異邦人を警戒し続けた。

 片手に拳銃。その銃口が赤い光を灯すのをプロトメサイアは見た。

『撃たれる』と、そう直観した。

 頭痛のような錯覚。気分が悪い。気分が悪い、などと思うのは久しぶりだった。プロトメサイアには痛覚が全く存在しないため錯覚であるに違いないのだが、しかし、自分は何をしていたのだろう? 『報告。SCAR運用システムの起動がキャンセルされました』というアナウンスを聞き流す。そうして我に返る。おそらく誤検知だ。この状況でSCARの発射を止めるには、コルトの外付けの精神外科的心身適応装置たる義眼型ストレージを破壊する以外に方法が無い。誰もそんなことはしていないのだから、キャンセルされるはずも無い。

 ――プロトメサイアは、戦闘用の機体ではない。結果として戦闘も可能な能力を有しているが、人格記録の中核を成す存在が、まだ殺されれば死ぬただの人間だった頃から、戦闘には不向きだった。

 訓練は受けた。肉体は不死で、元より運動性は申し分ない。しかし精神がそれらを戦いの道具として扱えきれない。プロトメサイアは、悪意に晒されたとき、闘争と逃走の選択において、後者を選ぶ性質(たち)である。それ以前に、恐怖で身を竦ませてしまうため、逃走することさえ覚束ない。

 世界が発狂せずヒトの歴史が存続し得る状況なら、救世主(メサイア)どころかエージェントにすら採用されまい。だが、どうしてもプロトメサイアはスチーム・ヘッドとして起動しなければならなかった。それ故にスチーム・ヘッドになるにあたっては、開発元から様々なツールが提供された。

 戦闘補助システムも、そうしたツールの一つだ。完成品であるならば、意志決定する必要もなく、人工脳髄が適切に身体コントロールを実行し、全自動で戦闘を遂行する。プロトメサイアに搭載されたのは完成度三割未満の試作型だったが、それでも十全の状態であれば、銃撃を察知した瞬間にコンバット・モードが起動するはずだった。視聴覚からフィードバックされた情報を人工脳髄と支援AIが解析し、低強度の攻撃であっても生体脳に麻薬物質を放出させ、攻撃の回避ないし迅速な反撃が可能な状態へと全自動で移行させるのだ。

 その機能が、何故か正常に動作していない。

 戦士としての素質が欠落しているプロトメサイアにとって、この動作不良は、本来致命的である。

 仮にこの事象に直面したのが二千年前であるならば、プロトメサイアは何の反応も出来なかっただろう。

 だが現在は違った。プロトメサイアは、己の不出来さを完璧に把握していた。ふらつくような錯覚と、状況の異様さについて意識を巡らせてはいたものの、機能の不動作には、全く動揺しなかった。

 そんなことは、いつものことだからだ。

 撃たれると直観した瞬間、プロトメサイアは反射的にハンドジェスチャを使ってコンバット・モードを起動させた。

 早鐘を打つ臆病な心臓の脈動が一気に遠のく。不吉な渦を巻いていた煙が座礁船から流れ出したタールの如くどろりと鈍化する。鎧に覆われた肌が装甲の僅かな隙間から流入する空気に触れて敏感に環境の変化を伝えてくる。

 10ミリ秒も必要ない。知覚加速はつつがなく完了した。

 続けてプロトメサイアは弾丸の軌道を推定し、どの射線からも身を逸らせるよう体を動かし始めた。

 身体動作は等速のままでもどかしいが、目の前の拳銃から弾丸が飛び出した頃には、確実に射線から逃れられている計算だった。

 出来損ないの救世主は、出来損ないであるが故に、不調を無視出来る程度には冷静だった。スタビライザーの問題を疑いつつも、硝煙が銃士の銃身へと高速で流入していく奇怪な現象を観察していた。


『……貴官に問う。……何を……ええと……そう……、撃たれてから避ける、という程度の動きを、我々プロトメサイアが出来ないとでも思ったのか?』


 挑発まじりに光通信で呼びかける。何故か思考の流れが極端に悪くなっている。

 この期に及んでもプロトメサイアは全く危険を感じていなかった。

 油断や慢心の類ではなく、不可思議なほど危機感というものが湧いてこない。代わりに、視界の半分が明滅し、急激に気温が下がりでもしたかのような怖気が全身を駆け巡っている。こうした不具合が出るのは珍しいことでは無かったが、言語化の難しい猛烈な違和感が、プロトメサイアの思考を掻き乱してやまない。

 襲撃者と思しき銃士の佇まいは、薄気味悪い違和と不協和によって、ただそこにいるだけで空間を軋ませている。重外燃機関から煙を吸い込んでいるように見える、という点もさることながら、肘を不自然に持ち上げたままの状態で拳銃を握っているのも、理解しがたい。まるで握った拳銃の重さを扱いかねているかのようだった。食い詰めた都市周辺者でも、多少はそれらしい射撃姿勢を取るだろう。


『重ねて問う。何をしに……何を……何をしに……』思考を紡ぐのが難しい。コルトを破壊したことの心理的ショックを解決し切れていないのかも知れない。これから彼女のSCARで焼かれて、そして彼女を連れ帰るのだ、という己の願望を思い出す。あるいは、それを邪魔されている不快感が、思考を澱ませているのか。『何を……しに現れた? 我々は無用な犠牲を望まない。貴官も究極的には救世を望まれたスチーム・ヘッド、我々の同胞である。故に即時の反撃は行わない。攻撃の中止を要請する。ただちにその武器を捨てて……』


 朦朧としながらも、相手側に反応らしきものが全く確認出来ないことに気付く。

 プロトメサイアは訝しみながら通信を中止した。意思疎通を試みても意味が無いように思えた。

 鈍化した時間の中で、銃士の纏う違和感が刻々次第に色濃くなっていく。

 まさしくそこにいるというのに、どうしても実在する物体だと認識出来ない。ゆっくりと実行されるあらゆる所作がどこか虚構じみている。

 対峙しているというのに、一方的な遣り取りになっているのも不自然だ。通信に応答がないだけでなく、プロトメサイアが身を躱したというのに、銃士の拳銃は全く追従してこない。コンバット・モードで知覚能力を高めて最大効率で身体動作を実行しているに過ぎないため、プロトメサイアの回避速度は目で追える程度だ。

 相手からしてみれば、まだ照準の修正は可能であろう。

 無論、照準が修正されればプロトメサイアは容易く射線から逃れる。そういった意味では、相手に対して『何をしても無駄だ』と言い切れるところだが、本当に何もしてこないとなると、プロトメサイアは困惑するしかない。


『……本当に、我々を撃つ……のか……?』


 精神的なふらつきを抑えながら、プロトメサイアは不意に、疑心に駆られた。『撃たれる』という確信を得たからこそ回避行動を行ったのだが、銃士の動作は明らかにプロトメサイアを無視しているように思われた。

 煙を吸い込んでいる銃口へと、レンズの焦点を合わせる。

 発砲炎らしきものの兆候は確認出来る。

 だが、やはり身を躱したプロトメサイアに対しては射線が通っていない。そもそも銃を持つ腕は大きく跳ね上がったような状態であり、このまま弾丸を発射しても、誰に当たることもなくどこかの壁に穴を開けて終わるのではないかと推測された。

 プロトメサイアは知覚加速を維持しつつ、通信装置の出力を上げた。


『我々も、戦うのは得意ではない……』戦闘技巧だけであれば、配下である浄化チームの上位層にも劣る始末だ。戦術眼も決して優れていない。それゆえに、プロトメサイアは個人的な事情で無い限り外部に助けを求めることを躊躇わない。『何か見落としがあるのかもしれない』


 全世界で最強であると自称する謎のスチーム・ヘッド、リーオーに意見を尋ねたい状況だった。

 通信範囲内にはいるようだが、全く応答しない。おそらくこの建築物の外側で、解放軍の戦力と衝突している最中なのだろう。

 ――コルトに対して、他に戦力や武器はないと通告したが、現実にはプロトメサイアには一機のスチーム・ヘッドが随伴している。

 自称リュウオウ。通称リーオー。少なくともFRFにおいて間違いなく最強の一角に数えられる、白兵戦特化型のスチーム・ヘッドである。

 ただし、コルトには虚偽は述べていない。リーオーは巷で言われているような食客ではない。外部からやってきた傭兵でもない。()()()()()()()()()()。数百年前に現れて以来、プロトメサイアを監視し、その圧倒的戦闘能力を背景にFRFで勝手に幹部のように振る舞っている、素性の知れない不審人物だ。

 味方のように自分の判断で動いてくれることはあるが、プロトメサイアの命令で動くことは無い。そしてどこへ行くにも必ず姿を消して無断で追跡してくる。当然、ここにもついてきているはずだ。しかし、コントロール下に無い第三者なのだから、彼女の手勢では決してない。他に戦力を用意していないというのは、紛れもない真実であった。

 そして肝心なときに役に立たない。気晴らしで端末を操作しているときに、その端末までも監視しにくることがあるというのに、どうして今、ここにいないのだろう? プロトメサイアは内心で舌打ちをした。ここ千年の間で、プロトメサイアはリーオー以外の誰かに舌打ちをしたことがない。そういった意味でも本当に彼は味方でも何でもなかった。


『……プロトメサイア、戦術補助システムへのアクセスを要請。要請を受諾。補助システム、起動します』


 頼れるものは、己自身の戦闘補助システムだけだ。プロトメサイアと同じく欠陥品であって、さほど信用出来るものはないが、使わないよりはよほど良かった。不作動が常態化した劣化の極まった機材と、無闇に複雑化したデータベース。それらの集合体にして耐用年数の限界を千年近く超過しているこの装備に対し、まずプロトメサイアは堅実にログの確認を行った。理解し難いダメージ警告が脳裏に展開されたが無視をする。不完全で壊れかけているこのシステムは現在のプロトメサイアをデフォルトで『破損状態』と判定するためだ。

 予想外にも、今回の襲撃に対して、システムは正常に動作していることが分かった。

 コンバット・モードが自動起動しなかった理由は、全くシンプルであった。

 眼前の不明機は武器を握っているが弾倉には薬莢しかない。

 弾丸が無いのだから発砲など有り得ない。

 よって回避も防御も必要が無い。

 プロトメサイアも気付いていたことではあるが、論理的に考えれば脅威であるはずもない。

 よってコンバット・モードは起動を見送られた。


『しかし、我々プロトメサイアは、撃たれると感じたのだ……』


 朦朧とする感覚が全く晴れない。珍しい不具合ではないし、立っていられないほどでは無いが、腹に渦巻く嘔吐感が鈍化した時間にありもしない息苦しさを生む。視界がやけに暗い。レンズの一枚が破損していることにプロトメサイアはようやく気付いた。どうして気付かなかったのだろう、とどこか茫洋としながら思う。コルトに撃たれたのだろうか……? そこから弾丸が頭部に飛び込んで、生体脳を損傷させたのかもしれない。

 首から下は何とでもなるが、不死病患者も脳を含む頭部の損傷には手間取るものだ。プロトメサイアは人工脳髄で思考の大半を代行しているため、極端に言えば頭部が全損しても曖昧な自我を保つことは出来る。そのことが裏目に出ていた。プロトメサイアは完全という言葉と縁遠いスチーム・ヘッドだ。いつでもどこかが壊れているから、こんなに大きな破損が分からない。

 ……装備状態が比較的良好と言えたのは、人類文化継承連帯で最終調整を受けていた時期に限られ、完全だった記憶など、彼女の中には一秒も存在していない。グリーンランドのノード基地で起動させられた時など、彼女は自分がどこで何をしているのか全く理解出来なかった。視界がエラー表示で埋め尽くされていたためだ。

 戦闘に向かない彼女の頼みの綱が、この戦闘補助システムだったが、他の機能と同じくどうしようもない動作不良の連続で、むしろ彼女を惑わせ続けた。皮肉なことに、僅かでも危機感を覚えれば意識せずコンバット・モードを手動起動出来るようになってしまうほどに。

 プロトメサイアは損傷の件を無視して、努めて冷静に思考を重ねる。

 だが、今回は不慮の動作不良ではないのだ。正常な動作の結果として、コンバット・モードへの自動移行が起こらなかった。

 すなわち、プロトメサイアは起動を躊躇無く『起動する』選択をし、システムの側が簡潔に『起動しない』選択をしていた。

 あってはならない不整合である。

 システムの側からしてみれば、プロトメサイアの行動の方が不可解だったらしく、情報の評価を名目にエマージェンシー・モードをどのような理由で起動させたのか説明を求めてきた。


『……何故……起動させたのか……?』


 その食い違いに、脅威を感じる。理由を問われれば、プロトメサイアという模擬人格も、合理的には説明出来ない。表層的には、撃たれると一瞬でも感じたからに違いないが、理性を遅滞なく働かせれば、戦闘補助システムと同じ判断をしていたに違いなかった。

 弾の入っていない銃で撃たれるわけがない。

 眼前の機体から敵意を検知したわけでもない。

 結果論になるが、コンバット・モード起動には理由が無かった、ということになる。

 プロトメサイアは心身の不調をはっきりと自覚した。視界の幾らかは実際に欠けている上に、気を抜くとどうして自分がここに居て何と相対している最中なのか忘れてしまいそうになる。目の前で旧式の回転式拳銃を構えているこのスチーム・ヘッドが何なのかすらまだ評価が出来ていない始末だ。

 血が逆流していくのを眺めながらプロトメサイアは考える。このスチーム・ヘッドは、明らかにコルトに似ている。非戦闘用という点まで含めてそっくりだった。

 クヌーズオーエ解放軍の刺客とでも解釈するのが妥当だったが、それにしては武装が貧弱すぎる。朦々と硝煙の充満する室内で、浮かび上がる銃士のボディラインはコルトと同様にか細い。重外燃機関は背負っているが戦闘を補助しそうな蒸気甲冑はなく、武装らしきものは時代錯誤も甚だしい貧相な拳銃のみ。

 起きている現象は奇妙だが、脅威レベルはゼロだ。密室であるはずのこの部屋に突然出現したことは驚愕すべき点だが、それ以外の全てが警戒するに足りない。


『う……うう……?』プロトメサイアの喉が装甲の隙間から入り込んできた血をゆっくりと飲み込んだ。『この機体はいったい何なのだ……?』


 ――銃口に発砲炎らしきものが膨らむ。

 プロトメサイアは視覚系のエラーを疑った。

 通常、発砲炎は前進しつつ拡散する。

 火薬が炸裂して炎が銃身を通って前方へ噴き出す。それが道理である。

 だが、銃士の拳銃の発砲炎は、現れたその時点で、既に広がっていた。

 否、()()()()()()()()()

 赤々とした炎が、何も無い空間から突然に色づいていく。日に照らされた夜露が霧霞になるかの如く周囲の空間から滲み出て炎として徐々に結実する。

 異常点は他にもある。銃士の銃を握る腕が見えない手に掴まれて引き下ろされたかの如くこれまでに無い勢いで下方へと降ろされた。


『警告。銃撃を受ける可能性があります』


 ここに来て、戦闘補助システムが警告表示を発した。

 射線が通ったのだ。

 プロトメサイアは緊張する。確かに、今や銃口は彼女のいる方向を向いている。

 しかし、何かがおかしい。どこかにまだ得体の知れぬ違和感がある。同時、発砲を警戒していたことは、間違いではなかったと確信する。このスチーム・ヘッドは何かを仕掛けてくる。

 続けての銃撃に備えて身を躱せるよう重心を移動させながら、プロトメサイアは視線を巡らせ、あるべきものを探した。


『……見逃した……のか? いや……我々は……確実に、見ていない……』


 戦闘に不向きな彼女とて、拳銃がどのようなメカニズムで弾丸を放つのかは理解している。撃鉄が降りる。撃針が雷管を叩く。点火薬が炸裂して爆風が銃身に沿って噴出し、それで弾丸を射出するのだ。

 発砲炎は弾丸の後を追うものだ。

 探しているのは、つまり弾丸である。朦朧としてても断言出来る。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 果たしてプロトメサイアの破損した三連レンズは、飛翔する弾丸を捉えた。

 まさに数秒前まで自分の頭があった地点を弾丸が一直線に通り抜けていく。

『解析:脅威レベル最大:時間反転体/材質不明』という見慣れないタグが付与されている。

 回避動作を行わなければ、脳幹にこの弾丸を受けていた可能性があった。

 だが、恐るべきは、そんなことではない。

 プロトメサイアの鎧の中で、不死なる肉体が怖気に震える。

 弾丸は発砲炎の真逆の方向、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 慄然としながら、視線だけで、逆さまに進んでいく弾丸を追う。

 この先にあるのは、腕ごと拳銃を跳ね上げている銃士だ。

 撃てるはずもない銃で、一体何をしたというのか。異常と言えば発砲炎が生じていること自体が異常だ。空の薬莢で何が燃えたというのだ。

 弾丸は弾頭を尻にして銃士の拳銃へと直進していく。そうしているうちにもぴたりと静止した拳銃が膨らんだ発砲炎を飲み込み弾倉と銃身の隙間にある空間から硝煙のいくらかを吸引。弾丸はある段階で突如不自然なほど安定した射撃姿勢へと移行した銃士の拳銃へとなおも直進しそのまま寸分違わず銃口に突入した。

 拳銃から異音が鳴ってそれと平行して弾倉が回転を始める。プロトメサイアから見て右方向、銃士から見れば左方向だ。これも本来ならば有り得ない。銃士の握る拳銃はコルトのものと同じくかつて存在したコルト社の拳銃を模したものであり同社の仕様上弾倉は時の針と同じく右回転を行うように設計されている。

 つまりプロトメサイアの目には()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 最後に聴覚が聞き慣れない異音が拳銃の内側へと消えていくのを捉えた。火薬の燃焼を使って息を吸うということが現実に起こり得るならばまさしくそのような響きだった。プロトメサイアは撃鉄が引き戻され銃士が引き鉄から指を離すのを見た。シリンダーが回転し新しい空薬莢入り弾倉が銃身に準備される。そしてその隣には()()()()()()()()()()()()()()


 ()()()()()()()()()()。そのことを非言語的に理解した瞬間、プロトメサイアの人工脳髄はパニックに陥った。

 撃たれた瞬間というものが、プロトメサイアの主観に正常な形で存在していない。今、撃たれたのではなく、()()()()()()()()としか考えられない。そして撃った動作が巻き戻された。

 散らばっていた薬莢が跳ね回って拳銃の弾倉に納まったのと同じ現象が、弾丸に対しても発生しているのだ。そう理解するしかないのだが、受容するにはあまりにも異質だ。

 しかし、この弾丸は、どこからやってきたのか?

 始点はいったいどこにあったのだろう……?

 プロトメサイアはようやくそこに思い至り背後を振り返った。

 そして、発見した。


 無残にも()()()()()、己が後継機の残骸を。

 跪いて、全身の銃創から血を吸い上げている、己の娘を。


『コルト?!』


 コルトの魂無き肉体が、無数の傷で赤く染まっている。広がっていた血だまりが徐々に小さくなっていく。SCAR運用システムの起動を試みていた右目の義眼は跡形も無く打ち砕かれその破片が脳髄や神経系と一緒に眼窩の外から少しずつ()()()()()()()()()()()

 修復したはずの首輪型人工脳髄も無残に削り取られ半ば脱落した状態から停滞した時間の中で()()()()()、それ以外にも胸部や腹部から諾々と零れたと思しき血と肉片が()()()()()()()()()()()()()()()()のが見えている。

 殺されていた。

 殺しつくされていた。

 そして何もかもが逆方向に進みつつある。

 全ての破損が()()()()()()()

 プロトメサイアは咄嗟にログを確認する。破壊された生体脳の内側で思考が迷走する。

 撃たれたのか? 誰に? いつ破壊された?

 プロトメサイアは断じてコルトに過度の辱めを与えていない。それどころか、外傷を可能な限り抑える動きを心がけた。

 だというのに、彼女の後継機は、こうして凄惨な銃殺体に成り果てている。

 撃たれたのか? 誰に? いつ破壊された?

 プロトメサイアはコルトに呼びかけようとして自分が知覚加速を行っていることに気付き、著しい認知機能の低下によって自分がコルトの人格記録を破壊したことを忘れた。

 エマージェンシー・モードを解除し、「コルト!」と肉声で呼びかけて、欠片を地面から引き寄せている通常の蒸気甲冑に包まれた左手を伸ばした。

 撃たれたのか? 誰に? いつ破壊された? 

 視界に血潮が浮かんで、己の腕へと纏わり付くのを見た。

 プロトメサイアはそこで硬直した。自分の左腕を覆う粗雑な蒸気甲冑。そこに穴が穿たれており、床から浮かび上がった血肉が(さか)さまに流れ込んでいるのを見た。

 気付けば、視界に無数のダメージ警告と機能不全に関するメッセージが表示されている。彼女は自分の認知機能が破損したのかと動転したがそれというのも破壊された瞬間を認識出来ていないからなのだが事実としてプロトメサイアは幾らかの損傷を受けていたからだ。

 超高純度不朽結晶製の装甲すらもあちこちが削れており装甲の薄い部位では完全に穿孔されている箇所さえ見受けられる。他にも胸部や腹部などに弾丸が貫通した痕跡がいつのまにか出現していた。臓器が跳弾で破壊されているのも確認したが、いずれも致命的な損傷では無い。

 痛痒たり得ない損傷ではある。

 問題は、損傷した瞬間のログがどこにも見つけられないことだ。

 ()()()()()()()()()はずなのに世界が塗り替えられている。()()()()()()という結果が、因果律を捻じ曲げてここに存在している。

 床にぶちまけられていた血潮がことごとく重力に逆らって浮き上がりプロトメサイアの体内へと飲み込まれていく。どの部位の破損についても『銃撃を受けた瞬間』のログが存在しない。何時の間にか発生していた傷が、知らぬうちに猛烈な勢いで再生しつつあるのだ。

 壊した覚えのない花瓶が我知らぬところで壊れる前の状態へと回帰していくかのような不条理な怪異。

 同様の現象がコルトの亡骸にも発生していた。撒き散らされた破片や血肉は、最初は地に落ちていた。それが時を巻き戻すかのように徐々に傷口へと回収されていっている。


「何、なのだ、これは……攻撃……されて、いる……のか?」


 再度知覚を加速させる。プロトメサイアは生命管制を最大にしてまず自分の損傷を保護しようとしたが、コマンドが成立しない。

 全ての傷がプロトメサイアの命令を受け付けない。破壊された箇所を巻き戻していくという形で、非常にローペースではあるが、もう既に再生しているためだ。治りつつある傷を別の形で修復することは誰にも出来ない。不死病患者の肉片が部品同士引き合うという事象は有り触れているが、既存の物理法則を完全に無視したこのような再生は、プロトメサイアが知る限り過去に例が無い。

 この一瞬で、検討すべき事案は爆発的に増大した。半分が機能停止しているプロトメサイアの脳髄が、最大級の混迷に脈動を加速させる。

 人格の恒常性が乱れる。

 必要としない呼吸が酷く荒ぶり、思考が暗い光に明滅する。

 出来損ないの救世主は今や完全な混沌に飲み込まれていた。

 何より彼女の動揺を誘ったのは、他ならぬコルト・スカーレット・ドラグーンの悲痛な姿だ。


『こ、コルトが……コルトが撃たれている。何故コルトを……目標は我々ではない、のか!?』


 銃声を飲み込むような奇妙な音が背後で轟くの聞いた。

 弾丸は、銃士の武器から飛ばない。

 プロトメサイアは壁の弾痕を注視した。めり込んでいた弾丸が壁から脱出する瞬間を確認した。残された穴は床から遡っていく壁の破片によって埋められていく。弾丸はそのまま後退し続けてコルトの首筋の弾痕を通過し、さらに修復されていく首輪型人工脳髄の狭間を通り抜ける。壁に撒き散らされた血飛沫が急激な速度で彼女の頸動脈へと回帰していく。

 弾丸が通り過ぎた後には()()()()()。破壊されていた首輪型人工脳髄も完璧な形に戻っていた。

 続けざまに名状しがたい銃声が轟くと再びコルトの背後の弾痕が消滅。

 今度は撃ち穿たれていた右の義眼が修繕され、汚泥の如き血肉と一緒にあるべき形に帰った。

 三発。

 振り向いて銃士の構える拳銃を見る。

 弾倉に三発の弾丸が戻ってきている。

 驚愕して思考停止している間に、実に三発もの弾丸が、破壊されていたコルトの眼球と首輪型人工脳髄を()()()()、未発砲の弾丸として回収されている。

 プロトメサイアの精神外科的心身適合が、ついに機能不全を起こした。

 この瞬間、彼女から冷静な思考能力と呼べるものは蒸発しきった。

 銃士の機能も現象の機序もどうでも良かった。

 彼女に理解出来たのは、彼女がかつて愛し、渇望し、せめて破壊せずに済むようにと願ったコルト・スカーレット・ドラグーンが、この異様なスチーム・ヘッドから攻撃を受けているという事実だけだ。

 殺戮に直結する神経発火。

 本能的な、生来的な、そして道義的な怒りが彼女の内心を覆い尽くした。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 自分が今しがた破壊したスチーム・ヘッド、後継機となってくれるはずだった己が娘を防衛するために、プロトメサイアは無警告での戦闘行動を開始した。

 理屈では無い。機械的な制動に依らない発作的な復讐の炎が、彼女の錆びついて半損した脳髄を焦がしていた。

 生体脳が論理的な思考能力を破綻させ、人工脳髄が機械的な情報整理によって現象の不整合を解きほぐす。

 そして理解する。

 この銃士の目的は、やはり最初からプロトメサイアの破壊では無い。

 ()()()()()()()

 間違いなくコルトに干渉するためにここに現れた。

 現象を解析できないまま、出来損ないの救世主は、漆黒の蒸気甲冑の権能を使用した。


『きっ、……起動要請。アーク・コア、オンライン。要請を受諾。アーク・コア、オンライン』

 

 使用出来る電力は限られている。

 全ての行動は最高効率で実行された。

 余計な思考を行わない。それらの操作はプロトメサイアの生来の気質に沿う形であり、言うなれば思考の癖に基づいたものだ。

 彼女は攻撃ではなくまず防衛のために一次現実への干渉を開始した。

 足下の手近な建材を簡易な盾として再構築。射線をいくらか遮る形で床から目線の高さにまで伸ばす。さらに資材を用いて金属製の槍を作成し、盾の左下方から銃士へ向けて射出させた。

 致命打になるとは考えられない。相手の行動の幅を狭めただけだ。この銃士は視線を遮られ死角から槍を避けながら攻撃を平然と続行する、という厭な直観がプロトメサイアの胸にあった。槍の無い盾の右側から回り込んでくるに違いない。

 部屋に充ちていた硝煙が僅かずつ薄まっていくのが分かる。何と言うことは無い。部屋に渦巻いて蛍光灯を煙らせていたのは言わば()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なのだ。

 煙は既に排出された状態から、まだ排出される前の状態へと回帰していく。

 先に結果がある。

 後から原因が起こる。

 ねじくれた現象だ。未知の物理学がそこにあるのだろう。しかし理屈は考えない。脳髄を破壊されたプロトメサイアには、考えられない。憤慨に支配されたプロトメサイアは、そんなことを気にしない。ほつれそうな神経活動を束ねて、敵対者からコルトを守る手段を思考する。攻撃は二の次だ。凶暴な脳内麻薬を放出し続ける脳髄が、防衛のための方策を算出する。

 命中した状態から何もかもの因果が逆転しているなら、硝煙が吸い込まれていく場所を観察すれば、銃士が次に銃弾を呼び戻す地点を補足出来る。

 そこを抑えれば何かが変わる、とプロトメサイアは確信した。全てが逆転しているなら干渉は無意味ではないか、などとは露ほども考えない。

 肉体と基底レベルの精神がそれをせよと絶叫することを行うのみであり、そして決して間違った選択では無いと確信している。理解に先立つ無加工の直観は、時として人知を越えた現象に対して有効打に成り得る。

 銃士は予想通り盾の右側に迂回してきた。銃士の構える拳銃を掴もうとしたが指先が掠めるばかりで捉えられない。逆転して遡行する薬莢を掴めなかったのと同じ現象だろう。


破壊的抗戦機動(オーバードライブ)、レディ。破壊的抗戦機動(オーバードライブ)、起動します』


 瞬間的に身体動作が三〇倍にまで加速する。

 警戒のために握っていた急造品の不朽結晶剣を空中に手放して放置、飛びかかるようにして破損した超高純度不朽結晶製の右腕甲冑で射線を塞ぐ。

 極度負荷によって筋骨の破損した右手の先に、異なる熱感。同時、瞬間的に発生した発砲炎が縮み上がり弾丸が壁から銃口へと吸い込まれていく。

 コルトに新しく治った損傷は無い。プロトメサイアの右腕に弾かれる形で弾丸は逸れた。因果が書き換えられたのだ。しかし、驚くべきは銃士の弾丸が、同等高度の物体でしか破壊出来ないプロトメサイアの右腕装備、言詞構造体編纂装置を組み込まれた蒸気甲冑を、易々と貫通したことだろう。

 最重要区画は無事だったが、さしものプロトメサイアも脅威を検出した。<時間反転体>なるもので構築された銃弾の正体は不明なままで、原因と結果の反転と安易に結びつけられないが、どうやら射線上の物体の強度は事実上無視されるらしい、とプロトメサイアは明滅する視界に必死に目を開きながら推測を巡らせる。

 右腕部は他の損傷や負傷と同じく、逆転する弾丸の通過に伴い、跡形も無く修復されて使用に支障はなくなったが、それでもこの特性は脅威だ。

 今まで右腕が使えなかった点も事後的にではあるが問題になる。

 ――今まで右腕が使えなかった?

 プロトメサイアは矛盾を覚えた。どうしてそんな認識が発生しているのか理解が追いつかない。まさしく右腕で弾丸を受け止めて逸らしたところだというのに、右腕が使えなかったとはどういうことか? 

 答えは明快だ。

 プロトメサイアは事実としてこれまで右腕部の言詞構造体編纂装置を()()()()()()()()()()()()()のだ。

 そもそも、出力を絞った状態でも、アーク・コアを使えば、銃士を部屋ごと押し潰すことなど造作も無い。

 それをしなかったということは、出来なかったと言うことだ。


『過去が……改変されている……?』


 だがどの時点でそうなった? 直感に反する事象の連続だ。コルトが攻撃されていると看破した時点で、プロトメサイアは言詞構造体編纂を満足に行えない状況だった。そして巻き戻って破損が修復され、機能が正常化するまで、その自覚が出来なかった。では以前はずっとこの機能が破損した状態だったのか? そんなはずはない。いったいどの時点であったはずの過去が消え失せたのだ? 脳髄がぐずぐずに崩れたかのようで思考が纏まらず、実際に、彼女の脳は、まともな状態では無くなっている。

 くるり、と銃士の拳銃が、プロトメサイアの頭部に向けられる。

 プロトメサイアは歯噛みした。何故三〇倍に加速した世界に追従できるのか? 相対的に非常にゆっくりになるはずの弾丸も、目で追うことは可能だが全く減速していない。敵も特殊なオーバードライブを起動しているのか? いずれにせよ、銃士は当面の障害となっているプロトメサイアの排除を優先するべきと判断したようだった。プロトメサイアの生体脳は一部を弾丸に撃ち抜かれてまだ再生していない。思考が相変わらず途切れがちだ。

 否、いつ、頭を撃たれたというのだ……? 鎧の中で、娘は当惑した。コルトに撃たれた、というログは存在しない。しかし頭部を酷く損傷している。自己診断は役に立たないが、そうでもなければここまで不具合が続いていることに説明が付かない。自分の感知出来ないところで何らかの過去が確定したのだと朧気に理解する。

 防御も回避も無効のようだ。ならば、と排煙を引き連れて弾丸が巻戻るのに合わせてプロトメサイアは右腕を床から生やした盾の陰に隠し、空中に浮かべていた不朽結晶剣を掴んで、銃士を盾ごと横薙ぎに切り払った。

 だが手応えがない。剣が盾を裂いたまさにその時、銃士はあらかじめ知っていたかのように数歩後退りして、間合いの外に逃れていた。発砲を巻き戻し、壁の弾痕からプロトメサイアのヘルメットの外殻部を通過させて弾丸を回収した。血潮と脳髄の飛沫が傷口へと入り込んで内部を修繕し、思考を幾らか明瞭化する。

 死角からの一閃を回避されたのは、この銃士の本質を示唆しているように思われた。

 プロトメサイアは消し飛ばされた思考能力が帰ってきたのを知覚した。煮えたぎるような怒りが収束し、全身を突き動かす原動力としてのみ保持される。さらに思考を巡らせる。よほどの戦闘巧者ならば二手先、三手先をも見透すだろうが、銃士の動きは異様ではあるにせよどこか場当たり的で、通常の視座から鑑みれば『今・ここ』の結果を見てから行動しているのではないか。

 弾丸や銃の動作だけでは無い。銃士の行動は全てが逆転しているのではないか? プロトメサイアが結果から原因を推測することを強要されているのと同様に、謎めいたこの銃士も、未来から過去に対して決死の思いで立ち向かい、結果から逆算して原因を読み解いている。そう仮定してもさほど矛盾は無いと彼女は推論する。

 蒸気甲冑の出力に任せ、脚部を崩壊させながらの突進で、自分の作った壁を突き破る。

 プロトメサイアは銃士へと吶喊(とっかん)した。左手に持ち替えた刃を間髪入れず手の中で高速で回転させて、実質的な円形の盾を作成し、弾丸の軌道を反らすための守りとする。途切れの無いものには付け入る隙がないはずだった。プロトメサイアの貫かれていた左腕蒸気甲冑が再生する。全く問題ない。プロトメサイアのフィジカルは元より蒸気甲冑依存だ。内側の筋骨が壊れていても、動作は続行出来ていた。

 好材料だ。この銃士は不条理ではあるが、理不尽な存在では無いらしいと確信する。自分が腕を撃った先にある過去が見えていなかったことになる。

 銃士はさらに一発弾丸を引き戻す。プロトメサイアの背後から巻戻ってきた弾丸が重外燃機関を避けて後ろ腰から突入し、体内を複雑に跳ね回り、肉体に対して極度の負荷を生み出しながら引き裂かれた痕跡を全て修復して、胸の突入口から飛び出して、銃口へ帰った。

 おそらく抑止のための一発だが、歴戦の不死であるプロトメサイアを止めるほどのパワーでは無い。心臓がなくても数分は活動出来る。そして、時間反転体とやらにも重外燃機関を破壊出来るだけの威力はないようだ。

 これで空だった銃に装填された弾丸は、合計六発となった。全ての弾倉が弾丸で埋まった。六度の発砲を逆行させた今、その銃に呼び戻せる弾丸が無いことは明白だ。銃士はぎこちない動きで右手の拳銃をホルスターに収めた。細部に違和はあるが焦りのようなものが読み取れる。

 絶好の好機。途切れがちな意識を繋ぐとめ、プロトメサイアは未来から過去へと干渉していると思しき相手の機能から逆算。不朽結晶剣を()()()()()()()、振り下ろすのと完全に逆の動きで刃を振り上げた。

 破損した脳髄の修復が完全ではないため、プロトメサイアからは短期記憶を維持する以上の能力が失われていたが、銃士からはおそらくプロトメサイアが突如として逆転した世界に順応したように観測されるだろう。

 振り上げる攻撃は、逆転した世界では振り下ろす一撃へ変じている。対する銃士は弾丸を呼び戻した直後であり、サブウェポンを収めていたと思しき左側のホルスターは空だ。

 どのようにしてか次の武器を用意してくる可能性はあるが、間髪入れずに攻め続ければ対応力を超えられるとプロトメサイアは踏んだ。攻撃を終えるのと逆の動作で攻撃を続ければ良いのだ。原因と結果が一体になった循環する攻撃には過去も未来も関係が無い。

 果たして振り上げた一撃に、不自然な斥力が働いた。

 軌道が強引に捻じ曲げられたと分かった。

 未来から、過去に対してその力は存在していだ。


『なっ……!?』


 驚愕するプロトメサイアの目の前で、何も持っていなかった銃士の右手へと、床に落ちていた両断された回転式拳銃の残骸が引き寄せられた。

 残骸など、いつからそこにあった? 疑問に思う間もなく残骸は銃士の手の中で拳銃の形へと組み立てられていき、振り上げた刃が引き寄せられるようにして軌道をねじ曲げられ、勝手にその銃身へと切り込んでいく。刃が通ると同時に銃が再生していく。常ならぬ力の働きによって、銃士は復元された新たな拳銃で不朽結晶剣を跳ね上げた。

 跳ね上げられたようにしか見えないが、現実は逆だ。銃士は己の世界において振り下ろされた刃を左手の拳銃で受け止め、そのまま受け流したのだ。

 プロトメサイアは必死に記憶を辿る。最初に確認出来た『結果』は十二発分の薬莢。

 今までに回収された薬莢と弾丸は六発。

 残りは六発。

 床から巻戻ってきた拳銃の残骸には、弾丸が一発も装填されていない。


『二丁目、か……!』


 銃士が拳銃のシリンダーを開くと、コルトの背後に転がっていた薬莢が見る間に舞踏の如く跳ね狂い弾倉へと飛び込んでいった。

 漆黒の騎士は怯むことなく、再び剣を振り下ろす。

 視界の明滅が続いているが、硝煙の濃度が半分以下に低下したおかげで、銃士の動きはより仔細に、そしてより異常に見えた。銃士は文字通り未来を見ているとしか言えない動きで()()()()()()()()刃の届く範囲の外側へと飛び退いた。そうしている間にも空薬莢が次々に装填されていく。

 銃士が決して撃てない拳銃を構える。

 白煙が吸い込まれプロトメサイアのヘルメットから僅かに除く素肌、赤黒く抉られた首筋を、壁から銃口へと巻戻る弾丸が掠める。頸動脈から空中へと撒き散らされていた血飛沫が、逆に体内へ流れ込んだ。先ほどから視界が安定していなかったのはこのせいもあるのか、とプロトメサイアは思い至る。知らぬ過去で大量に失血していたらしい。人工脳髄が補正していなければ、彼女の目には何も見えていなかったかも知れない。

 右腕部の言詞構造体編纂装置を起動、自身の尺骨を外部へ射出して不朽結晶化し、左腕に刃をもう一本携える。大規模干渉も可能だが、部屋の構造体を操作して行動を阻害してもあまり意味は無いとプロトメサイアは当たりを付けていた。

 この銃士は間違いなく未来でその結果を確認し迂回する行動を取ってくる。部屋ごと圧壊させる操作も、ある程度損傷が再生した今なら出来る。しかし、そうなると今よりもさらに常軌を逸した干渉に切り替えてくる可能性もある。不用意な大規模攻撃は、却って危険だ。

 二本の刃で弾丸を弾くための回転を作り、射線を制限する方が確実だ。後退りする銃士の銃口に向かって、さらに二発の弾丸がプロトメサイアの後方から飛来するが、全てがコルトではなくプロトメサイアの方を貫く軌道だった。

 始点は全てコルト周辺の壁の弾痕であり、跳弾を利用して複雑な軌道でコルトに弾丸を届けているようだが、胸や大腿部と言った行動を阻害するような部位からしか傷が消えていない。一方でプロトメサイアの両腕から銃創が消え失せた。銃士はどうやら円を描く刃を止めようとしたらしい。

 自身のヘルメットへと銃口が向けられたのを見る。プロトメサイアは、さらに一歩踏み込んだ。戦闘補助システムがアラートを発しているが、この弾丸は受けても構わない。本当に真正面から超高純度不朽結晶製ヘルメットを貫くことが可能なら、プロトメサイアはとうに行動不能になっている。致命的なダメージにならないと言うことを過ぎてきた結果が証明しているのだ。

 この一発は、漆黒の蒸気甲冑が予想したとおり、コルトの腹から飛び出してまた別の壁に跳ね返り、プロトメサイアの後頭部から突入し、シェイクされていた脳髄を再生させて、割れていた三連レンズの一枚を元に戻しながら、銃士の銃口へと戻った。プロトメサイアは自分の認知能力にエラーが出ていたことをはっきりと理解した。

 この一撃が確定したために認知機能が破綻し、正確な状況把握が妨げられていたに違いない。

 銃士は一時硬直した。それから、戸惑ったような様子で逆さ向きの反動を制御する腕をゆっくりと上げて、数歩横に移動して、最後の一発を呼び戻した。

 見え透いた軌道である。プロトメサイアはその射線を回転させた刃で当たり前のように塞いだ。巧みな技術で放たれた弾丸は当然のように跳弾を起こしたが、それはコルトの肩口を治しながら逆行して銃口に飛び込んだ。無意味な一発だった。まるで、牽制でもするかのような。

 十二発を凌ぎきった。

 そう考えると同時に、これまでに意識に浮かばなかった猛烈な違和感が、内奥で警鐘を鳴らす。

 何故気付かなかったのだろう、と治り果てた脳髄に意識を集中する。

 ここまで散々に因果律を無視した攻撃を防御されているというのに、銃士の攻撃は徐々に弱まっていったように感じられた。

 最後の一発などはまさしく様子見のような曖昧さだ。

 そもそも、標的がコルトだというのならば、それは最初に呼び戻した三発、首輪型人工脳髄と義眼を破壊した三発だけで十分だったのであり……。

 

 全ての傷が無かったことになったプロトメサイアは、そのときになって、ようやく気付いた。

 最後の一発は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 この銃士は、全ての動作を逆さに行う。

 逆転はどの時点から発生ているのか?

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 銃士の視点でプロトメサイアは考えた。コルトを破壊しに現れたが、スチーム・ヘッドが行く手を塞いでいる。牽制の一撃を放つも防御される。そのため頭部への本格的な銃撃を行ったが、頭部を貫通してもプロトメサイアは戦闘を続行した。さらに三発を胴体や腕に撃ち込むも効果が無く、標的のコルトにも有効打を加えられない。どうしてもプロトメサイアが邪魔であるため失血を狙って頸動脈を狙ったが即座の効果は得られなかった。この時点で六発を消費。プロトメサイアが刃を回転させての防御では無く剣を振り上げる動作を行ったのを見て、安全圏からより近い距離へと間合いを詰める。

 ここでプロトメサイアが逆転する時間に順応して剣を振り下ろしてきたため、咄嗟に弾切れの拳銃を犠牲にして斬撃をいなしたのだろう。右のホルスターから拳銃を抜いて銃撃を続行。限界まで接近しながら、腕や頭部へのダメージ蓄積を続ける。おそらく、プロトメサイアによる壁の作成も死角からの不意打ちの一閃も、銃士の側から見れば全てが逆転している。一閃が通ってから移動先を決めているのであって、回避や未来予測の類では無い。

 もっと単純な構造だ。

 この異邦の銃士は、危険な場所が安全な場所に変じてから行動していたのだ。

 そして最後の三発を残した段階で、最良の瞬間へと辿り着いた。プロトメサイアが愚かにも硬直し、何の対応も始めていないその瞬間、背後のコルト・スカーレット・ドラグーンが無防備になったその過去において、銃士は正確に、彼女の義眼と首輪型人工脳髄に銃弾を撃ち込んで、破壊した。

 未来から過去に向かって、二度も脳髄を撃ち抜かれていたプロトメサイアには理解出来なかったが、SCAR運用システムのロックが外れたというアナウンスは、丸きり現実に即したものだったのだ。コルトの完全破壊によってSCAR運用システムの発射が不可能となっていた。

 連続性は崩壊した。一時格納されていたデータは全て揮発してしまい、断片からでも再生することなど能わないだろう。

 これが、この銃士の最終目的だったのではないか?

 だが、どうして、何故そんなことをしたのか、プロトメサイアにはやはり、皆目見当も付かない。SCAR運用システムに巻き込まれて焼却されるのはプロトメサイア単機だったはず。コルト・スカーレット・ドラグーンが望んだのは、その未来だ。

 その未来を覆して、この銃士に、何の利益があるというのか?


『我々プロトメサイアを、助けに来たとでも言うのか……?』プロトメサイアは呆然としながら銃士を見つめる。不朽結晶で固めた壁へと後退りするその陰に向かって吠え立てる。『いったい何のために現れた!? 貴官は……誰だ!?』


 銃士は答えない。

 ホルスターには真新しい二丁の拳銃。

 煙一つない透明な空気を割って、出口の塞がれた壁へと悠然と後退してる。

 いずれにせよ銃士は、その任務をとっくに終わらせていたのだ。

 未来では無く、過去において。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 逆転する弾丸、そして未来から過去へと流れる逆転因果の戦闘。 これはプロトメサイアでなくとも困惑し混乱する事態ですね。 動画にしてみたら凄まじく違和感のある動きをしていそう。 いったいこれは…
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