リタリエーション:第百番攻略拠点接収作戦 その13 コルト・スカーレットドラグーン(4)
銃声と同時に、プロトメサイアは鍵盤に覆われた右腕を振るった。
漆黒の右腕は易々と音速を超え、蒸気と硝煙の渦を引き裂く。
プロトメサイアは、戦闘用のスチーム・ヘッドではない。それでもコンバットモードを起動して知覚速度を加速させた彼女にとっては、銃口とトリガーのタイミングから飛来する弾丸の軌道を割り出すなど、造作も無いことであった。
この一瞬に、コルトの発砲は三回。一発は胸、一発は胴体に命中する。右手に銃を構え、左手で仰ぐようにしてハンマーを起こす、古い時代の拳銃使いの技法だ。驚愕すべき連射速度だが、最後の一発は照準を誤ったと見え、何も無い空間を貫く。
いずれにせよ、恐れることは無かった。射撃を見切った上で、プロトメサイアは回避と防御を選択から除外した。
着弾時に爆発するスマートウェポン専用弾や、射線上の物体を根こそぎ消し去ってしまう電磁加速砲ならまだしも、対人用の粗雑な火薬式拳銃から放たれた弾丸の威力など、痛痒を与えるに足りない。
弾頭には相応の純度の不朽結晶を使っているようだが、対スチーム・ヘッド戦で実用に耐え得る最低限度と解析している。プロトメサイアの核となる部位が破壊される可能性は絶無だ。
プロトメサイアはコルトを高く評価していたが、それはあくまでも統治用の機体としてである。単純な戦力として見た場合、コルトは有象無象の聖歌隊のスチーム・ヘッドと同程度のスコアで、本来なら近寄って殴打するだけで破壊が可能だ。コルト・スカーレット・ドラグーンの脅威レベルは、発砲するに至ったこの瞬間でも、ゼロのまま微動だにしていなかった。
それでもプロトメサイアが重要目標にしか使わない重外燃機関を起動させたのは、どこかに我が娘と戦うことへの、躊躇があったからだろう。
『――言詞抜刀、正常発動を確認。うっ……うぐっ……がふ!?』
弾丸が命中した瞬間、強烈な違和感が生じた。違和感は痛みに変わり、プロトメサイアの内側に居る少女の肉体を苦痛で痙攣させた。
鎧に弾かれるはずの弾頭は、予想外にも生身の不死病筐体に到達した、体内への突入を果たした。鎧の内側で跳弾を起こし、心臓を初めとする循環器系がずたずたに破壊されてしまった。
プロトメサイアの纏う装甲のうち、超高純度不朽結晶で形成された部位は、頭部と右腕、棺の如き重外燃機関えだけだ。他の部位にしても簡単に突破される結晶純度では無いが、プロトメサイアに正式装備と呼べる全身装甲は存在しない。着用している甲冑は継ぎ目だらけで、局所的に極めて脆く、一部は不朽結晶ですらない金属板で間に合わせている始末だった。
コルトはその陥穽を見抜き、適切に突いて、プロトメサイアを確実に傷つけたのだ。
だが、稼働年数の長いスチーム・ヘッドにとっては、心臓や内臓を多少破壊された程度ならば、再生に一秒も必要では無い。
大量出血によってプロトメサイアの生体脳がまばたきするほどの時間ブラックアウトを起こした。咳き込み、吐血する。プロトメサイアの排出孔から血が零れた。
それで終わりだった。
全身を甲冑で覆った彼女は、よろめくことすらしなかった。
『ごぼ…………げ……ふむ。射撃速度と精度は称賛に値する。残念ながら、それでも我々の方が一手先だ。……人格記録媒体を破壊された貴官には次の攻撃を繰り出せない』
プロトメサイアは、粗製装甲の一部を破壊されたに過ぎず、実質的には無傷だった。
鎧の内側での跳弾を狙う射撃技術は凄まじい。コルトの戦闘能力を見誤っていたと言える。だが曲芸以外の何かではないとプロトメサイアは評価した。
蒸気と硝煙が立ち込める中で、切れかけた蛍光灯が幾度も瞬きをして、コルト・スカーレット・ドラグーンを照らした。彼女は鞭で打ち据えられたかのようにその場にぺたりと座り込み、呆然として両目を見開いていた。手には拳銃を握ったままだが、もはやトリガーを引くことは出来ない。
銃を握っただけの、無力な娘に見えた。
空漠なる暗夜の荒野を思わせる真っ黒な瞳に、いびつな鎧甲冑で身を固めた救世主が映っている。
彼女の肉体には一つの疵も無い。
しかし、いかなる思考も彼女の両目には浮かんでいなかった。
プロトメサイアには、触れられていない。
二人の間に、形あるものは、何も現れていない。
だというのに、コルトの首を飾る首輪型人工脳髄に、縦に一条の線が走る。
彼女の人格記録が収められた機械が、音も立たずに二つに別たれて、細い首筋から脱落した。
永遠に不滅である清浄なる塊が、壁面の破片や薬莢の転がる汚らしい床面を叩いた。
未だ室内にわんわんと反響する銃声を掻き消すように、晩鐘の鐘の如く、甲高い音を鳴らした。
『我々に撃ち込んだ弾丸をマーカーにして、SCAR運用システムを遠隔起動し、焼却を実行つもりだったと推測する。だが我々は一手で貴官の人格の言詞連結を切断出来るのだ。そのことを忘れていたのか?』
武器など必要なかった。
銃も剣も、あまりにも遅い。
使用したのは見えざる刃、形無き破壊兵器。
SCAR運用システムの原型となった言詞構造変換装置。それを応用させた殺戮技巧だ。
『言詞抜刀』と名付られたその技は、手先から言詞を照射して、目標の言詞間の結合を強制的に解除させる。言わば物理的強度を無視して断ち切る無形の刃だ。
SCAR運用システムが散布した因子を起点にして連鎖的に周囲の物質を熱エネルギーに転換させていくのに対して、言詞抜刀は単純に目標の結合を解除するだけの効果しかない。破壊規模は極小で、消費する電力量も膨大。言詞に働きかける都合上、不朽結晶や不死病患者にしか通用しない。戦闘用スチーム・ヘッド相手には心許ないが、通常スチーム・ヘッドを破壊するには無類の威力を発揮する。
効果の単純さから、起動から効果が完成するまでの速度は、SCARと比べものにならない。
『それとも、他に何か手があるのか、コルト? 否、あるのだろう。我々が予想だにしない一撃が……』
コルトは応えない。
怒りや嫌悪の表情さえ、彼女にはない。
薄く開かれた唇から、ゆっくりと呼気を漏らしている。
ただ息をしている。
語る前の言葉は、彼女にもう無い。
まさしくプロトメサイアが、首輪型人工脳髄ごと、コルトの人格を割り断ったからだ。
プロトメサイアは沈黙して彼女の言葉を待った。
やけに長く響く銃声が耳障りだった。
『まさか、何も無いのか? 我々を破壊するという宣告を我々は記憶している。この展開が予測出来なかった貴官ではないだろう。さぁ、何をする? 何をする気だった? 応答せよ、コルト。……コルト?』
その不死病患者は、もはや何も理解しない。
プロトメサイアは硬直した。机の上に置かれた単眼のヘルメットを見遣った。キュプロクスやSCAR運用システムとデータリンクを確立するための装備だが、機能している兆候がない。念のためにプロトメサイアはヘルメットも言詞抜刀で両断した。
何も起きなかった。
コルト・スカーレット・ドラグーンは、最初の一撃で破壊されていた。
完璧に破壊したのだ。プロトメサイアが。
戦闘は終わってしまっていた。
そのことを、漆黒の救世主はようやく飲み込んだ。
部屋に蒸気が渦巻いている。酷く息苦しい。耳鳴りがしていた。銃声がずっと響いているように感じられて、不快で仕方が無い。
勝負は最初から見えていた。コルトがプロトメサイアを撃ち抜いて焼き払うより、プロトメサイアが腕を振って言詞抜刀を発動する方が遙かに速かった。
言詞抜刀は目標とする物体の言詞結合だけを精密に破壊する。精密破壊には予め言詞構造を解析する必要があったが、設計開発にまで関与していたプロトメサイアは、コルトの装備については細かなパラメータまで事前に把握していた。
肉体を傷つけないまま、コルトの仮初めの人格を演算する人工脳髄だけを破壊することさえ、あまりにも容易かった。
コルトもそのことを熟知している、という前提でプロトメサイアは動いていた。一撃を受けた上で、さらに反撃してくれると予想していたのだ。
だというのに、コルトは動かない。
座り込んでいる。命はそのままに、魂が事切れている。
『コルト……そんな……まさか本当に機能停止したのか? まだ何かあるのだろう?』
その女は応えない。
彼女の魂は、もはやそこに存在しない。
プロトメサイアは血と胃液の混合液を排出孔から零した。
傷は癒えている。弾丸は埋まったままだが、いずれ押し出される。装甲の破損は問題にならない。幾らでも補修が効く。
だというのに、プロトメサイアは藻掻き苦しむように震えていた。
膝から崩れ落ち、荒く息をして、三枚のレンズを忙しなく稼働させて、黒い髪をした娘を凝視した。
『コルト……コルト……コルト……? 応答せよ……応答を……頼む……貴官が最後の一人なのだ。レミィも、シグも、ハルハラも、自壊してしまった……。君が最後のSCARスクワッドなんだ。最後の娘なんだ……我が後継機よ。コルト、応答せよ、コルト……聞こえないのか? 聞こえないのか……』
己が娘に這いより、力ないその肉体を掻き抱く。
意識の働いていない細い体躯。
ライダースーツに包まれた美しい不死。屍のように重く、生娘のように柔い肉の感触。
プロトメサイアは囁くようにして悔恨の言葉を紡ぎ続ける。
傷を癒やしてやろうとしたが無意味だった。プロトメサイアは肉体に一切傷を付けていない。人格記録の演算からも解放されたコルトは、以前よりもむしろ完全でさえある。
プロトメサイアは震える手で首輪型人工脳髄を拾い上げた。甲冑をカチカチと鳴らしながら、首輪を再び彼女の首元に戻し、己の機能を使って仮初めに修繕した。しかし無意味だった。人格記録の核たる連続性が綻んでしまった今、如何に形を繕おうとも、機能回復は望めない。
偽りの救世主に、救える娘など一人もありはしない。
プロトメサイアはとうとう嗚咽し始めた。
「コルト、ボクのコルト。君は、君が思うよりずっと丁寧に改良されている。だから君の基準で、ボクの解釈を否定してしまうんだろうけど、ぜんぶ、ぜんぶ、誤解なんだ。ボクが知らないうちに反故になってしまうような誓約は未完成なこのメサイアには許されていない。ただそれだけのことだったんだよ……。コルト、ボクのコルト……助けてあげたかったよ。助けてほしかったよ。コルト……」
全ては終わったことだった。
誰かが選択し、誰かが受容した。
それはずっと以前に通過した分岐点で、二人に出来ることは何もなかった。
来たるべき結末が、当然のように訪れた。あまりにも理不尽で単純な現実の末端に二人はいた。
出来損ないの救世主は、押し殺した声を必死に吐き出して娘に縋った。
「ああ、コルト、どうか思い直してよボクのところに帰ってきてよ誓えないのも他意があってのことじゃないんだよだってボクは君ほど大きな視野では予測や決定が出来ないんだものボクは出来損ないなんだメサイアでも何でも無いんだ未来なんて見えないんだ予想もしない形で結果的に裏切ることになるかもしれないしボクが想定していなかったような不利益が君たちに出てしまうかもしれない、それはまずい、だから約束できなかったんだ分かってくれるだろう、コルト、ボクのコルト……助けてあげたかったよ。助けてほしかったよ。コルト……誰か、誰か助けて。ボクを助けて。ねぇ、誰か……誰か……」
誰が叶えてくれるとも思えぬ願いを、ただ繰り返す。
「誰か、助けてよう……」
そして不意に押し黙った。
『……機密情報漏洩防止のための内部規制が働かない。仮想化エージェントの感情発露が停止しない。コルトは完璧に破壊されたと判断出来る』
うなだれたまま、後継になるはずだったものの残骸から、そっと身を離した。
『これで終わりだというのか……? 計画には支障ないが……しかし……』
あまりのもあっけなさすぎる。
己の後継機が、たったこれだけの戦闘で事切れてしまった事実を、プロトメサイアは受け止められないようだった。
……そのとき、プロトメサイアは、コルトが自分に視線を向けるのを見た。
『コルト!?』息を弾ませた直後に体が硬直し、無機質な音声が喉から発せられる。『警告。SCAR運用システムによるロックオンを確認しました』
言い終えてから、プロトメサイアもまた、コルトを見つめた。
『理解した。コルト、これが貴官の策略か』
プロトメサイアのヘルメットのバイザー、その奥に据えらえた三枚のレンズが、機能停止したスチーム・ヘッドを見つめている。
偽りの救世主の視界には、『解析:高純度不朽結晶』の表示が浮かんでいた。
タグは、コルトと呼ばれていたその不死病患者の、右の眼球に結びつけられている。
アルファⅠ改型コルト・スカーレット・ドラグーンは、三系統の人工脳髄を持つ。
一つは、ネットワークを運営し、軍団を指揮し、都市焼却を実現するための無個性化人格群を搭載したSCAR運用システム。
一つは、作戦立案や長期的計画の策定を担当し、大量破壊を伴う行為最終判断と責任を負わされた元人格、スチーム・ヘッド『コルト』。
一つは、具体的戦闘能力を持たない他の二系統を防衛するための、外部化された暴力装置、スチーム・パペット『キュプロクス』だ。
キュプロクスは喪失しているらしく、どこにも姿が見えない。探知圏内にその姿は無い。
コルトもまたこうして、機能を停止した。彼女のバックアップは存在しない。コルトの存在意義は、基本的に戦局に対して判断を下し、選択に対し苦しむことにしかない。大した機能が要求されるわけでは無いため、破壊された場合は予備の他人格に取り替える前提で設計されている。だが、次世代試作機だった彼女たちSCARには、肝心の予備が用意されていない。
姿の見えないSCAR運用システムだけが健在だ。内部にはオリジナルのコルトの人格も装填されているはずだが、保安上の理由からそちらは単独では機能しない。現在の解放軍の技術では、そこからコルトの人格をサルベージするのも困難。そのはずだ。誰もSCARを扱うことは出来ない。
だというのに、SCAR運用システムが稼働を続けている。
艦橋を失った軍艦の砲台が全自動で動いているかのような不可解な状況だ。
『理解出来る。貴官は、自分の感情を抑制・解放するための予備システムだけで、SCARの発射を承認したのだな……』
プロトメサイアは、コルトの右の眼球を覗き込んだ。
そこに感情は無い。思考は無い。眼窩に納まっているのは、ただの機械だ。
生体で偽装され、生体脳へと差し込まれている、簡易人工脳髄。
キュプロクスは単眼のスチーム・パペットだったが、実のところコルトにも眼球は一つしか存在しない。SCAR運用システムも光学カメラは一つ搭載するのみだ。
キュプロクスが特別に巨大だっただけで、彼女たちは精神的には全員が単眼の巨人だった。殺戮を呼び起こす機関の、三位一体の三つの瞳。
SCAR運用システムのような大量殺戮を招く蒸気機関は、特にジェノサイダル・オルガンと呼ばれているが、アルファⅠ改型SCARはその管理について、最大レベルのセーフティを設けてられていた。使用の意志さえあれば極大規模の破壊を無差別に連射出来るためだ。
不死病の原因となる因子を照射して、指定座標を熱エネルギーへと連鎖変異させるだけの大量破壊兵器は、使用コストが異様に低い。
これを一つの人格セットだけで制御するのは、現実的では無い。道義的責任を負わせる都合上、明瞭な自我を持つ人格を複数同時に稼動させることは出来ないにせよ、不測の事態に備えた装置は用意する必要がある。
この問題を解決するために、コルト・スカーレット・ドラグーンに対する精神外科的心身適応は、二系統が取り付けられている。首輪型人工脳髄にある標準的なシステムに加え、眼球に偽装された小型簡易人工脳髄にも一系統仕込まれているのである。
このうち、義眼の側には人格は備わっていない。『コルト』の感情や意志決定を測定し、精神活動を穏当に整えるだけだ。単なる補助装置なのだ。
コルトはこの補助装置をストレージとして利用し、最後の一撃の発射指令だけを時間差で実行するように細工していたらしい。無論、仕様外の動作ある。予め不可逆的な加工を与えないことには不能であり、一度でも作動させてしまえば、自己保全機能によって二度と都市焼却は実行出来なくなるだろう。
即ち、コルトが撃った弾丸は、物理的破壊を目的としていなかった。
最初から、SCAR運用システムでプロトメサイアをマークするためだけに放たれていたのだ。己の全機能と引き換えにして。
『緊急停止装置を不正に改造してまで我々を破壊するつもりだった、ということか。我々プロトメサイアの擬似人格が、貴官の破壊で不安定化することまで見越しての作戦か……? その義眼まで破壊されるとは予想していなかったのか』
プロトメサイアは硬直した。そして呟いた。
「それとも、ボクに娘を物理的に損壊出来るような覚悟はないと、見抜いていたのかな……」
虚を突かれた形ではあるが、賢明な作戦とは言えない。
SCAR運用システムの照準から起動、発射には、安全性を確保するためのタイムラグが存在する。こればかりは不正改造でも短縮出来ない。
ロックオンされた時点でプロトメサイアが破壊的抗戦機動を起動すれば、問題なく射程外まで逃走可能だ。
根本的な問題として、プロトメサイアはSCARで焼却された程度では、滅ぶことが無い。
ダメージは大きい。人格への負荷は甚大で、生体は一度失うことになるが、アルファⅢメサイアを構成する蒸気甲冑は、現在でもその程度の破壊には無傷で耐える。
そして都市を創造する機能を持つ彼女にとって、自分の肉体などと言うものは、幾らでも用意できる最も価値の低い生命資源に過ぎない。
相応の負荷は人格記録で引き受けることになるにせよ、一度焼き尽くされた後で生体を製造し、安全圏に脱出する程度は、支障なく実行可能だ。解放軍からの追撃だけが気がかりだが、都市焼却が実行された瞬間に発生する混乱を思えば、爆心地近辺の機体が正確に襲来してくる可能性は低い。
大した策略ではあるが、現時点において、プロトメサイアを破壊するための全ての行程について、確実性の高い要素が一つも無い。
表層的には、コルトの行いは全てが徒労だった。
『何を企んでいる? コルト、我々プロトメサイアに何をしようとしている? まだ、何かあるのだろう?』プロトメサイアは言いかけて、硬直した。『SCAR運用システムの攻撃目標の推定が完了しました。第一目標、アルファⅢメサイア。第二目標、FRF領域内の都市と推定。防御行動を推奨……』
「都市を!?」
プロトメサイアは己の呟きに戸惑い、生身の声を漏らした。
「コルトが、都市を狙っている!?」
信じたくない推定だった。コルトは一般市民を殺害することに強烈な忌避感を示す。
あの一発か、とプロトメサイアは想起する。
交錯の瞬間、明後日の方向に放たれた一発。あれはおそらく自身が記録しているFRF市街に対しての形式的なマーキングだったのだ。動体であるプロトメサイアは直接マーキングしなければならないが、一つどころに定まっている都市に対しては、そうではない。SCAR運用システムは手続きさえ済んでいるならば指定された座標に直接砲撃を実行することが可能だった。
コルトが知っているであろう都市のうち、今も昔も座標が変わってないものは、ひとつだけ。
理想都市アイデスだ。
一度だけ、プロトメサイアは彼女を招き入れたことがある。
SCAR運用システムで人間が居住する市街地を狙うなどというのは、プロトメサイアにとっては悪夢的だ。被害規模の見当が付かない。しかも、よりにもよって、理想都市アイデスが標的なのだ。市民生活と文化継承の模範的拠点であるアイデスが炎熱に転換されて消滅するなどと言う事態は、決して看過出来ない。
「こんなのはただの虐殺だ虐殺を嫌う君がどうして何故そんなことをコルトねぇコルト、君はそんなことをする子じゃないのにどうして市民を絶対にしたくないってだから君は君は君は」
取り乱したのは短時間だ。精神外科的心身適応が、すぐに彼女の心理状態を安定化させた。
『……阻止しなければなるまい。何をSCAR発射の最終トリガーとしているのか。それこそが問題だと我々は推測する。義眼さえ取り除けば発射を阻止できるかもしれないが、目標が二箇所選定されているのが懸念事項だ。二箇所同時焼却はSCARの仕様上、不能だ。条件を満たした片方だけが都市焼却級相転移の標的となる。……義眼の喪失こそが目標を切り替える要素になっている可能性もあるか』
コルトが何を優先して破壊したいかをを予測する。
彼女が憎んでいるのは、言うまでもない、プロトメサイアだ。
市民はおそらく人質として選定したに過ぎまい。本気で攻撃する気はない、とプロトメサイアは信じた。
都市を庇って義眼を放置していれば、プロトメサイアが焼き払われる。保身を選んで義眼を破壊すれば、都市が焼き払われる。砲撃を実施するSCAR運用システムはどこかに潜伏しており、探し出して破壊するのに時間が掛かる上に、屋外に出れば即座に他の解放軍兵士に捕捉されてしまうリスクがある。そうなっても切り抜けられる自信はあるが、分は悪い。
困難な二択を選ばせる狡猾な攻撃だ。しかも、どちらを選んでも一定以上のダメージが見込める。
さすがは我々プロトメサイアの娘、悪知恵が働く、と感心してしまう。後継機に相応しい思い切りの良さも好ましい。
『……しかし、貴官は、そこまで我々プロトメサイアを憎んでいたのか』
言葉は、予想以上に強い嘆きとなって吐き出された。禁忌を冒してまでSCARによる都市焼却の直撃を要求し、しかもその指令の源泉は殺意と敵意だけを流し込まれた、予備の感情制御装置なのだ。
純粋なる憎悪だけを残してコルトは消滅した。
どれほどまでの敵愾心があれば、自分が破壊されることを織り込んだ計画など立てられるのか。分かるつもりではあった。プロトメサイアは、コルトが自分を、自分自身の歪んだ影法師と認識していることを理解していた。どうあっても消し去りたかったに違いない。それは自分の悪性の具現だからだ。
そしてコルトは、己の祖の脆弱性を冷静に把握していた。
『一度破壊した我が娘を、もう一度破壊するなど、我々には耐えられない……。我々プロトメサイアの精神構造は常に崩壊の危機に直面しているのだ。心理的リスクの高い選択を避ける傾向にある。我々プロトメサイアが貴官を徹底的に破壊する可能性は低いと、貴官はそう予測していたのだろう』
正しい未来予測だった。現実問題として、プロトメサイアはコルトの義眼を抉り出す計画に、強い抵抗を感じている。これ以上彼女の残骸を傷つけたくなかった。そこには義眼に流し込まれた感情から元人格を僅かでも復元できないか、という打算も含まれている。
都市へ連れ帰れば、適切に人格を調整して、メサイアドールとして運用出来るかもしれない。コルトはそうした未来を徹底して拒絶していたが、一度連続性が途切れているのだ、もはや大した問題にはなるまい。活動の履歴は消え、性能は大幅に低下する。それでも基礎的な思考パターンさえ無事なら管理用スチーム・ヘッドとしては十分な働きが期待出来る。何より『炎熱の悪魔』を鹵獲をして配下に加えたとなれば、市民の第二次大規模遠征への機運を高める一助にもなるだろう。
決断は速かった。
『ならば、我々が焼かれよう、コルト。我々プロトメサイアは、君の断罪を受け入れる。火の洗礼で罪が濯がれると言うならば、我々は君の眼前で頭を垂れる。そして、やり直そう。我が娘よ、我が後継よ。我々には君の力が必要だ。次の千年のために、君の助力が必要なのだと、我々は提言する』
プロトメサイアはコルトの前に跪いた。白煙に包まれながら、憎悪を義眼の奥底に宿した、己が後継の残骸を見つめる。もはや一つの言葉を交わすこともかなわない。それでも、焼かれることによって、最後の対話は成立するだろう。
その先にある清き和解をこそ、出来損ないの救世主は待望した。
バイザーの奥にある三枚のレンズで愛し子を眺めているうちに、奇妙な事実に気付いた。
壁に無数に穿たれていた弾痕。数は十二だ。
それが、壁を移動している。部屋に踏み込んだとき、コルトの背後にあった弾痕が消えて無くなっていた。その代わりとでも言うように、座り込んだ彼女の後ろ側の壁に、新しい弾痕が出現しているのだ。
誤認識かと怪しんでログを参照したが、部屋に踏み込んだときとは、明確に弾痕の場所が違う。
違和感が、更なる違和感を呼び起こす。
この窒息感は、何だと言うのか? コルトを破壊したストレスや、被弾のダメージとは無関係に息苦しい。まるで濃霧に取り込まれたかのようだ。レンズを上方に向けても、天井には未だにもうもうと煙が滞留している始末だ。
先ほどの戦いで、プロトメサイアは重外燃機関を起動させた。コルトは三発の弾丸を発射した。蒸気も硝煙も、この狭い空間に充満したことだろう。しかし、いずれも大した量では無かったはずだ。密閉された室内での出来事であったため、埃が巻き上げられた可能性もあるが、今に至るまでそれらが残り続けているのは、いささか不可解だ。
そして、室内の空気に異常を検知する。
成分分析を行ったプロトメサイアは、己の蒸気甲冑の機能不全を疑った。
大気を満たしているのは、多量に排出した、血を蒸発させた後の気体ではない。
硝煙だ。
たった三発の射撃が、こうまで視界を白い靄で霞ませていることになる。
『……?』
プロトメサイアは弾痕を注視した。レンズの倍率を上げる。
以前あった戦闘の痕跡だろうと判断してきたが、この局面においては、そうではないと結論するしか無い。
『何だ、これは……?』
視覚を拡大することで、その異常は鮮烈なものとなった。
散らばっていた破片が浮き上がって、弾丸が砕いた壁面へと戻りつつあるのだ。大きな破片だけではなく、削り滓のような微細な粒子までもが、吸い込まれるようにして壁面の弾痕に飲み込まれていく。
異常な現象だ。破片とは、砕かれたものから落ちていくのものである。即ち、目の当たりにしている現象は、弾丸に破壊されたただの壁が、再生しつつあるという信じがたい事象だ。
怖気がプロトメサイアの背筋を撫ぜた。久しく味わったことの無い感覚だ。鎧に収められた肉体が、摂理に反する現象を前にして、本能的な警鐘を鳴らしている。
因果律を捻じ曲げるような何かが起こりつつある。
壁際に落ちていた薬莢が突如として僅かに跳ね上がり、跳ねながらプロトメサイアへと転がってくる。跳ねる高さが僅かずつ大きくなっていく。幾つもの薬莢どもが、踊るように跳ね始める。一本、二本、三本、四本、五本、六本。
合計六本の不規則跳躍体だ。鈍い金色の円筒が白煙を裂きながら回転し、複雑な軌道で跳ねて転げている。
幾つかは、座り込んで硬直しているコルトの体の背後から飛来し、衝突して止まることなく体の前側へと滑るという、いかにも奇怪な動きをした。
咄嗟に不朽結晶製の簡易軍刀を展開したプロトメサイアの脇を擦り抜けて、薬莢たちは一際高く跳ね上がった。
そのとき、プロトメサイアは、誰かがそこに立っていることに気付いた。己の背後に。センサーには何の反応も無かった。唐突に、それは出現していた。
全身甲冑を軋ませながら、背後を振り向く。
そして硬直した。
プロトメサイアの背後には、古びたライダースーツを着込んだ一機のスチーム・ヘッドが立っていた。
単眼のレンズが嵌められた、キュプロクスの如きヘルメット。
背中には棺のような蒸気機関を背負い、排気孔らしき場所から煙を取り込んでいる。重外燃機関と仕様違いの、大型吸気装置なのかもしれない。
何より目を引くのが、彼女が右手に握っている時代錯誤な銃だ。
コルト・ピースメーカーだ。
プロトメサイアが破壊したコルトが使う銃と、全く同じものに見えた。
それだけはない。
女性のスチーム・ヘッドだ。背負った重外燃機関を除けば、体格やヘルメット、立ち姿に至るまで、全てが酷似ている。
そこに立っているのは、コルト・スカーレット・ドラグーンそのものだった。
漆黒の蒸気甲冑は、自分が撃破してしまったコルトを今一度確認した。彼女はそこにいる。人格記録媒体を破壊されて、偽りの魂を失い、不死病のもたらす法悦の虚無に身を委ねている。
一つの時空間連続体に、全く同じ存在は、同時に存在出来ない。この原則は覆せない。それ故に背後の機体はコルトでは有り得ないのに、しかし、彼女以外にはあり得ないほど、似通っている。
『だれ、だ?』プロトメサイアは振り返って問いかけた。『貴官は、何者だ? 所属と作戦目的を……』
スチーム・ヘッド同士の戦いは常に先手を取った方が有利だ。プロトメサイアは一刀の元に切り捨てて然るべきだったが、銃手の外観の特徴がその反応を妨げている。
質問には、何の返答もない。不可解なその機体は、異邦から訪れた騎士の如く、プロトメサイアの言葉を無視した。
奇妙な感覚がプロトメサイアの体を強張らせる。背後を取られているというのに、どうしてか反撃の意思を生み出すことが出来ないのだ。相手から殺意や敵意を感じ取れないからだった。長きに渡る稼働期間においても、このような存在とは行き合ったことがない。状況の危険度を割り出せなかった。
それに、その女は、銃口を上を向けているのだ。
回転式拳銃のフレームは開かれた状態で、弾丸を収めるためのシリンダーが、側部へと展開している。排莢した直後のようだった。銃には一発の弾丸も装填されていなかった。この武器で撃たれる危険性が全く無いと、一目で分かる。
他にそれらしい武装も無い。通常の判定に従えば、コルトとのように脅威度はゼロと判定される。
だが、その判定は間違いであるという確信が、プロトメサイアの内奥から、眼前の異物への忌避感として湧き出してくる。
部屋の端から床を跳ね回って不協和音を奏でていた薬莢が、銃手の足元へと近づいていき、そして突如として大きく跳ね上がった。
一分の狂いも無く、空の弾倉へと飛び込んでいった。
狂気的な光景であった。物体は重力に引かれて落ちていく。雨滴が天から地へと落ちるように。それが世界の摂理で、逆はない。薬莢が跳ね上がって弾倉に戻っていくなど、あってはならない。
この世界はそうした動作が可能なようには出来ていない。あるべき秩序を嘲笑うかのように、跳ねて転げて踊っていた全ての薬莢が、次々に空っぽの弾倉へと飲み込まれていく。
プロトメサイアはそのうちの一本を掴み取ろうとした。触れることは出来るのだが、掴むことが出来ない。遥か未来からそう決まっていたように、掌を擦り抜けていく。挙げ句に彼女の装甲の上でさらに高く跳ねてしまう始末だった。
単眼のヘルメットの銃手は、全ての弾倉が薬莢で埋まると、ゆっくりとシリンダーを閉じ、銃口をプロトメサイアの方に向けた。
プロトメサイアは何度目かの違和感に硬直する。銃を向けられているものの、全く脅威に感じられない。というのも、そこには薬莢しか無いからだ。実際、シリンダーには弾頭が確認出来ない。銃口の向きがどうであれ、絶対に撃てないはずだった。
しかし、プロトメサイアの解析は、もはや何の役にも立たない。銃手の行いに何の意味があるのか、偽りの救世主には理解出来ない。
彼女は未知と対峙していた。
部屋に充ちる煙が、ますます濃度を増す。ますます暗くなる。ますます影が濃くなる。
そもそも、この機体は、いつ侵入してきたのか? プロトメサイアは自分が塞いだドアを確認した。さほど堅固な補強では無いが、不朽結晶は壁にまで侵食している。破壊するとなれば音も衝撃もあるはずだ。
だが、血と肉で編まれたその防壁は、全く変わりなく道を塞いでいる。
他にこの部屋に入るための扉など無い。
だというのに、彼女はそこに当然のように立っているのだ。
死んだはずのコルトに似たその異邦人は、いっそう濃くなる煙にまかれながら、静かに銃を構えている。
『応答せよ。貴官は、何者だ……? 何故ここに居る。作戦目的は何だ。何をしに我々の前に現れた」
言葉は無かった。
プロトメサイアは、異邦の銃手の握る拳銃に、光が灯るのを見た。




