表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アフターゾンビアポカリプスAI百合 〜不滅の造花とスチームヘッド〜  作者: 無縁仏
セクション4 殺戮の地平線  世界生命終局管制機 アルファⅣ<ペイルライダー>
153/197

セクション3 第百番攻略拠点接収作戦 その13 コルト・スカーレットドラグーン(2)

 ラジオから少女たちの声。

 澄み渡るユニゾン、魂なき幸福なる不死に訴えかける命令言語の連結、意味も形式も無い、虚無にして至上の調べ。そうあれかしと純粋に訴える切なる歌声が、仄暗く息苦しい部屋に耳障りなノイズに乗って響く。

 銃火器の販売店だったと思しき平屋の事務室だが、窓には鉄板が張られ、劣化の進むコンクリート壁には雨水が繰り返し繰り返し同じ場所をなぞった痕跡がそこかしこにあった。

 一切が朽ちていた。全ては終わった後だった。

 ラジオを錆だらけの事務机の上に置いて、ショートヘアの黒髪の乙女は、薄目を開け、パイプ椅子に窮屈そうに腰掛けている。パイプ椅子のクッションは硬く、罅割れていて、座り心地が悪い。だがその心地の悪さが、玉座を降りた今の彼女には、まさしく相応しいものだった。

 ライダースーツを纏って、ベルトであちこちを硬く縛るのは、まだ人間だった時代に憧れた、フィルムの中の保安官の真似であると同時に、かつて過ちを犯した己自身への、戒めのつもりだった。

 クヌーズオーエ解放軍において懲罰を司る黒髪の乙女、コルト・スカーレット・ドラグーンは、膝の上の単眼のヘルメットに両手を載せて、物思いに耽る。

 頭上では、蛍光灯が一条、眠たげな光を放っている。遺棄されて何百年と経つと推定される都市において、奇跡的な輝きだ。この、取るに足らぬ照明器具について、機械仕掛けの白痴の神は間もなく、地を照らす権利を失効させてしまうだろう。

 気怠げに瞬きをする光の中で、コルトの表情は、この日も希薄だった。

 いつも微笑を浮かべてはいるが、それは彼女の祖たる一人の女性から受け継がれた機能であり、抑圧された精神機能は、常にこの微笑だけを出力し続ける。


「……ヴォイニッチは、一定の理解を示してくれた……」


 あの怪物を相手にリーンズィがどんな取引をして、どんな合意を取り付けたのかは不明だ。

 だが、あの偏屈なヴォイニッチが、FRF都市群へと進出する正当性を認めた。

 これだけは事実であり、そして大成果だった。


 無制限侵攻作戦は進路第百番攻略拠点からFRFへと変えて、継続中だ。

 FRFとクヌーズオーエ解放軍本陣の間には、長い長い重汚染地帯が広がっており、制圧はこれまでの比ではない難度になっている。

 だが兵士たちの気勢は増す一方だ。コルトが戦術ネットワークを介して情報操作を行い、リリウムたちが適宜洗脳を行っているからではあるが、何よりも『確実に前進している』という希有な満足感が終わらぬ生に飽く不死の兵士たちを励ましていた。

 スチーム・ヘッドは何も生み出さない。新しい時代を作り出すことも、新しい命を育むこともない。不死病筐体は不滅であり、完璧な恒常性を持つ肉体は、必然的に意識を駆動するための理由を失う。存在していること自体が、無限大の幸福であるのだから。

 人工脳髄によって演算させられた偽りの魂は肉体にとって病に等しい。完全たる身体に撃ち込まれた不完全性、自由意志の痕跡器官である。不完全なものは、正されなければならない。だから魂は歪んでいく。閉塞して、錯乱する。次第に、感情と人格は病として治癒され、スチーム・ヘッドもいずれは自発的行動を一切示さない木偶となる。

 生きているには、生きているという実感が偽りであれども、変化の中に飛び込む他なく、未知のクヌーズオーエでの苦闘は、彼らに大量の脳内麻薬による高揚を与えていた。


「私の選択は、大主教ヴォイニッチが想定する限りにおいて、最適解からは外れていない……。彼女は未来を予見するという点では私より遙かに高性能だ。信頼して良い」


 今回のクヌーズオーエでは<神像の如く聳える者>が数十も出現する異状事態に見舞われている。

 この変異体の特徴は、とにかく大きいと言うことだ。頸がないという特徴がテロリズムで爆破された神像に似ているのでそう名付けられた。高層建築物を優に超える怪物がずらりと居倣うのは、もはや絶望という言葉すら能わず、偵察に向かった部隊は執拗に殴り潰されながら視界をスクリーンショットしてひたすら戦術ネットワークにアップロードし始める始末で、彼らが数十回の死と引き換えに入手した壮観な画像は、あらゆる意味で歓迎された。

 城のように硬質化した肉片を積み上げたその大威容が咆哮を上げながら襲いかかってくるのだ。兵士たちは遊び半分に殺しにかかるが、ただの一体でも手が付けられない。クヌーズオーエ解放軍の戦闘用スチーム・ヘッドならば突破は出来る。それは首のない馬鹿げたサイズの怪物の手を擦り抜けられるという程度の意味であって、恒久的な撃破や鎮圧といった未来は、実現可能性が極めて低い。

 あまりにも質量が大きい悪性変異体に対して、スチーム・ヘッドは意外なほど無力だ。不朽結晶製の対スチーム・ヘッド弾頭を限界まで加速して射出すれば一時的に行動不能に出来るものの、人格記録媒体を砕けば停止するスチーム・ヘッドと異なり、悪性変異体はいくらでも再生し、変異を悪化させ、活動を続行する。

 こうした手合いの行動を封じるには、とどのつまり、剣や槍、ワイヤーやネットと言った原始的な道具に頼るしかないのだが、対象が巨大すぎると、そのシンプルな手順が『理論上可能』の但し書きから逃げられなくなる。両断不能なサイズの巨体、それも瞬時に再生していく肉の塊を刃で削いでいくのは、嵐の夜に砂丘を手で掻き分けて、ありもしない泉を探す行いにも似ている。終わりがない。意味もない。

 だからこそ、ラジオから流れる聖少女たちの声にコルトは耳を傾ける。


「大主教と準大主教クラスの聖句使い、それも生半可な戦闘用より強力な機体を三人同時に運用出来る。どんな道を選んでいてもFRFに程近い地点にまでこれだけの戦力は持ち込めなかっただろう。道は正しい。私は正しい選択をしている。正しい未来へ、最善の形で近付いている……そのはずだ」


 リリウムとミラーズ、そしてリーンズィの三人の聖句を用いた合唱は、スヴィトスラーフ聖歌隊の常として、正統な聖歌としては成立していない。調子外れで、韻律は崩壊しており、ただのひとときもまともな形を成していない。そのくせ、人間の耳には純然たる美の旋律として感じられる。聖歌隊の教義において、原初の聖句とは人間の言葉ではなくこの世界を記述するために使用されている言語であり、神の息吹だ。人間は宇宙(ムジカ)そのものにあらがえない。

 平静の状態から動くはずのない、コルトの凍てついた心臓までも、不意に高鳴ってしまう。

 だが、そうした作用は、ラジオから響く天上の響きの、全く本質的なところではない。

 それは悪性変異体を沈静化するために生成された命令言語。

 要塞の如き獣たちを沈黙させる、世界を書き換えるための音の群れ。

 形無き弾丸として加工された<宇宙の音楽>だ。

 発信源は電波塔の最上階。クヌーズオーエ解放軍の面々が、血の滲むような、現実には血肉を撒き散らしながら切り拓いた突破口を、ヘカトンケイルと彼女たちは駆け抜けた。

 大主教リリウムが出力し、ミラーズが整え、リーンズィが増幅する。

 この三位一体から放たれる原初の聖句の破壊力は絶大だ。

 リリウムには無限の言詞によって構築された<大聖堂>がある。リーンズィも自覚しての使用は出来ないようだが、同様の言詞構造体を保持している。大聖堂は、不滅者たちの代替世界と同じく、独立した一つの世界そのもので、出力される聖句の威力は、他のレーゲントとは比較にならない。

 こうした異なる二つの大聖堂を連携させるのは困難だが、元大主教であるミラーズが、調律師じみた精緻な技巧で両者を取り持っている。コルトにはミラーズ、かつてキジールと名乗っていたそのレーゲントの残骸について実像を把握出来ないでいた――非常な用心深さのためか、戦術ネットワークにアクセスしようとしないせいだ――が、こうして力を発揮している限りにおいて、罪過を探ることはしないつもりだった。コルトは法の番人であり、秩序の信奉者だ。起点なき終点がないように、罪と罰は決して逆転しない。

 ラジオから天使の声。リリウムとミラーズは聖句を遣い、時折口づけでもしているかのような息遣いを混ぜてくるのだが、リーンズィは雰囲気で歌っているだけなので、稀にコルトにも意味の分かる、何か別の歌を口ずさんでいた。


『ふろいで……しぇーねる……げってるふんけん……』


「ふふ、君の下手な歌も何だか好きになってしまったよ」コルトは淡い親愛の念に頬を緩める。


 古い時代、おそらくはリーンズィが見たことも聞いたこともない時代の、輝ける交響曲の一節。

 ヴァローナもその歌が好きで、リーンズィもそれがお気に入りのようだったが、リーンズィが歌うと、どこか辿々しくなってしまう。

 だが歌の巧拙はこのクヌーズオーエの攻略では全く問題にならない。

 万物をこじ開ける金の鍵は消え失せたが、この最後の時代において、不死の獣をも滅ぼす形なき銀の弾丸、特別製の『聖歌』はこうして成った。

 <神像の如く(そび)える者>には耳どころか目すらない。だが体内に音楽は存在している。どのような異形に成り果てようと、体内には何某(なにがし)かの液体が循環し、死ねば終わる命だった頃の名残である臓器が、不必要でも脈動している。純度の高い原初の聖句はそれらの言語的な結合に対し干渉を仕掛ける。音楽を知るのは、脳ばかりでは無いのだ。

 無論のこと、こうした特殊な在り方の変異体には専用の言葉を編む必要があるが、変異を支配する機体であるリーンズィが構造を読取り、奇跡の解体者であるヴォイニッチに情報共有すれば、悪意ある奇跡を破壊する『楽譜』はすぐに用意出来た。

 あとは各所にセットした放送塔やラジオからこの聖句を放送し、悪性変異体に浴びせて動きを、正確には心身の反応を塗り潰してしまうだけだ。

 五〇m級の変異体も外界への反応を封じられれば無力である。その隙にスチーム・ヘッドたちが周囲の建築物物を解体して環境閉鎖鎮静塔(アイソレート・タワー)を建造、有無を言わせず強制的に安定化させる。

 空を突くような獣たちは眠り、久遠の安逸の中で真なる安寧を得る。

 これが今回のクヌーズオーエ制圧のプランであった。

 リリウム、リーンズィ、ミラーズの三名は電波塔から動かず不休で歌い続けなければならないが、確実性が最も高く、解放軍全体では負担が少ない。失敗する可能性がまずない、というのが最もコルトが好ましく思う点だ。アルファⅡモナルキア・リーンズィの合流は解放軍にとって正解だった。

 彼女が介在しなければこうした大規模で大胆な戦術は通用しない。

 コルトは、アルファⅡモナルキアの合流に当初は懐疑的だった。機能は兎も角として、アルファⅡモナルキアがプロトメサイアと同じ規格のスチーム・ヘッドであることは外観から明らかだったからだ。倒錯的な博愛主義を持つリリウムが、出遭う前からアルファⅡモナルキアに入れ込んでおり、ウンドワートが渋々ながら彼女を受容したため、判断を改めた。

 結果的に判断は正しかった。意志決定の主体であるリーンズィは、プロトメサイアとは似ても似つかない人格だ。秩序と融和を志向し、敵を殺すしか能の無いウンドワートを人間存在として愛し、殻に閉じこもっていた。アリス・レッドアイ・ウンドワートに恋を教えた。

 信じて良かった、とコルトは思う。リリウムやそれに連なるスチームヘッドは容易く誰かを信じる。信じる、とは己の全存在を投げ打って、そのものがもたらす未来を受容すると言うことだ。可能性世界の白紙委任であり、そして彼らと目指す未来が同じであることへの祈りでもある。<清廉なる導き手>が信じることに傾ける感覚は異常だ。信じる、信じると彼女たちはあまりにも軽く口にする。その実、その『信じる』は例外なく自殺行為にも等しい献身と信任の表明なのだ。大主教リリウムを信仰する機体は、最大限の善性への祈りから、息をするように『信じること』を繰り返す。

 苦悩はあったが、コルトも、生まれて始めて、密かに、掛け値無しに、誰かを信じることにした。秩序への奉仕以外に志向性を持たないコルトは神も悪魔も信じない。秩序のためならば神でも悪魔でも殺す。信頼でも信用でもない『信じる』という行いとは、本来無縁だ。しかし自分の存在意義の全てを賭けて相手のもたらす未来に期待する選択は、『信じる』こと以外の何物でも無い。

 信じて良かった、とコルトは思う。リーンズィ、君を信じて、本当に良かった。

 わずかに口元をほころばせ、でたらめな聖歌を聞き続ける。


「ああ、綺麗な歌声だ。世界最後の日には、きっとこんな歌声が空から響き渡るに違いないよ。心配する部分は何も無い。この難所もあえなく陥落だ。君たちはよく働いてくれている……」


 コルトは、しかし、この作戦に対して、消極的な姿勢を維持していた。

 彼女は反対も賛成も示さなかった。

 実のところ、概況に対して具合的な操作を行うこともしない。ひとけの無い、戦略的に重要でない場所に自身を配置して、司令所にも寄りつかず、言ってしまえばひとけのない安全地帯の一室に籠もって、戦術ネットワークから流れてくる戦闘の概況を眺めているだけだ。悪性変異体を追い払う目的でレーゲントが一機だけ護衛に付いてくれているが、コルトとレーゲントの組み合わせが戦術的に有効なわけでは決してない。


「私も、十全に役目を果たそう。我が名において、我が偽りの魂に、最後の任務を与える」


 コルト・スカーレット・ドラグーンは、このクヌーズオーエにおいて意図的に孤立していた。

 彼女は、待っていた。

 ここしかない、と確信していた。

<神像の如く聳える者>が何十体も群れを成しているクヌーズオーエは二つと無いだろう。後にも先にも危険度において上回る鏡像都市は有り得ない。配置されている物品の劣化具合から、<時の欠片に触れた者>の再配置の対象からも外れて数百年の単位で放置されている。

 この特異性から、おそらくはあの忌々しい偽救世主にも捕捉されているはずだ。

 殆どの有力なスチーム・ヘッドは沈静化作業にかかりきりで、それはリーンズィたちはおろかウンドワートですら例外では無い。

 コルトのような特定分野でしか役に立たない機体は、必然的に孤立する。

 そして第百番攻略拠点を変性させ、時空間に横たわる不理解の障壁となっていた大主教ヴォイニッチは、このクヌーズオーエにおいては遙か後方だ。


 プロトメサイアはクヌーズオーエにおいて時空間連続体を操作出来る。

 プロトメサイアはクヌーズオーエにおいて始点と終点の間にある一切を省略出来る。

 プロトメサイアはクヌーズオーエにおいて都市それ自体に等しい。

 プロトメサイアはクヌーズオーエにおいてある程度までの距離においては都市の状況を知覚出来る。

 つまり、コルトの回りに防衛戦力が展開していないと、プロトメサイアには完全に分かっている。


「だから来る。必ず来る。私ならここで必ず仕掛ける……」


 絹を裂くような悲鳴が聞こえて、コルトは僅かに視線を傾けた。

 ヘルメットを事務机に置いいて、一つだけしか無い巨大なレンズを見つめる。


「キュプロクス。どうか見届けて。私は今日、君の意思を継ぐ」


 そして、レンズを部屋のドアに向けた。

 パイプ椅子を事務机から部屋の入り口へと向け直し、座り直す。

 拳銃をホルスターから抜いた。コルトM1848。6連発の回転式弾倉を備えた骨董品の管打式拳銃。

 やがて調停者(ピースメーカー)と名付けられる拳銃を生み出す企業が手がけた騎兵拳銃(コルト・ドラグーン)

 コルトと同じ名前を持つ人殺しの道具。

 無法の荒野に法をもたらそうとしたアメリカ陸軍(愚か者ども)が未来へ遺した、殺戮の残骸だ。

 グリップを握り締める。「悪を滅ぼそう」。来訪者を見定める。



 朽ちかけたドアを蹴破られたとき、コルトは動かなかった。


「なんだぁ……? おまえ、メサイアの血族か?」


「プロトメサイアとは何の繋がりも無いよ。それで、君の生まれ育った都市では、ドアをノックするマナーがないのかな?」


「はぁ? 戦地で敵を殺すのと、雌性体を嬲って楽しむのに、挨拶はいらねぇだろ」


 機械甲冑を着込んだ兵士は目元のスリットから無遠慮な眼差しをコルトに向けてきた。

 同様に、コルトもその侵入者を品定めしていた。

 外燃機関を背負った機械甲冑は、この部屋に置いてある事務机と比較しても遜色ないほど状態が悪い。あちこちが継ぎ接ぎにされていて、製造された当初のようなスペックは到底発揮出来ないだろう。

 右手にはやはり壊れかけのスマートウェポンを構えていて、左手には見張りをしてくれていたレーゲントの剥き出しの脚を掴んでおり、少女の体躯を、玩具のように引き摺っている。


「こいつはおまえのお仲間か? 悪いことしたなぁ、弾丸が早く中に入りたいってんでな」


 兵士がレーゲントを部屋の中に放り込んだ。上位レーゲントであるロニセラに与えられた行進聖詠服はマーチングバンドの制服と、喪服、そして司教の礼服を組み合わせたような形状をしていたが、スカートの内側から再生途中の臓物と肉片がぶちまけられた。

 行進聖詠服は単純に外側からの攻撃に対しては絶対の防御力を発揮するが、内側に直接炸裂弾を撃ち込まれれば全く役に立たない。服に隠されてはいるが、そのレーゲントの下半身は破裂していた。

 衣服を剥ぎ取ろうとしたらしい痕跡を見つけが、行進聖詠服の巧妙に隠された留め金を発見出来なかったようだ。彼女たちの服の構造を知らない程度の身分で、尚且つ実地で脱がせ方を見つけられるほど洞察力は高くないようだ。

 コルトは兵士の脅威レベルを最低に設定した。

 スマートウェポンを誇示するように掲げながら、肩を揺すって部屋へと我が物顔で入ってくる機械甲冑が、コルトには全く恐ろしくない。

 拳銃に装填した弾頭は不朽結晶製で、骨董品の拳銃には相応しくないアーマーピアシング加工が施されており、薬莢には自分の腕が破損することを前提にした量の火薬を入れている。劣化した機械甲冑の装甲なら十分貫通出来るだろう。コルトは趣味の早撃ち特訓によって、三倍から五倍程度のオーバードライブを起動した相手にも、一瞬で三発は撃ち込むことが出来るようになっていた。

 FRFの人類は強靭で、機械甲冑には心肺補助機能がある。急所を撃ち抜いても簡単には死なない。だが脳幹に三発も受ければ死ぬはずだ。

 相手が人間なら、殺すのは簡単だった。オーバードライブを搭載していない機体でも、スチーム・ヘッドは反復練習の究極的な成果として、限定的な動作の速度について、人間の領域を凌駕することが出来る。コルトの場合は銃を構えて撃ち、撃鉄を戻してまた撃つという動作だけが音速を超えている。

 だが、この弾丸はこんな取るに足らぬ兵士のために用意したものではない。コルトは拳銃を構えない。

 機会さえ掴めるならば、後のことは些事だ。


「欲求不満というわけだ。撃たれたくはないからね、私の痩せっぽちの体で満足してくれるなら、付き合おうじゃないか」


「物わかりが良いじゃねぇか。ツラの良い雌性体のアンデッドが二匹か。無茶な任務を命じられたと思っちゃいたが、こいつは楽しめそうだ」


「なるほど、ところで君は、都市の外側に居る女性には何をしても良いと言うんだね?」


「役得だよ、役得。人口動態調整センターに管理されない生命資源製造は一度味わうとやめられねぇ」


「そうかい。それは君の公式見解かい、プロトメサイア」


 蹴破られたドアの前でその機体は立ち止まった。ドアの残骸を見た。壁にガントレットを当てて沈黙した。黙考しているわけではなく構造を音響で確認しているようだ。それから兵士と、スカートの下で内臓を脈打たせているレーゲントを見た。

 そしてコルトに感情も熱もない声で応えた。

 

『否定する。謝罪しよう、コルト。我々の兵士が無礼を働いたようだ」


「私はまだ何もされてないよ」


「……プロトメサイア様、まさか、この雌性体アンデッドがターゲットですか?」兵士は打って変わって忠実な戦士の相を示した。「失礼を致しました。敵地の只中と言うことで気が昂ぶってしまい……」


『弁解は無用だ』


 漆黒の蒸気甲冑が、不揃いな歯車が噛み合うような、不吉な足音を立てて進入してきた。

 纏う色彩は黒よりも黒い黒。背負った棺じみた重外燃機関が目立つせいで全体の印象が均一化されているが、仔細に観察すれば頭部、右腕、重外燃機関以外の全ての箇所で意匠が不揃いな状態にある。コルトは彼女の成立過程を彼女自身の口から聞かされている。

 純正の部品はその三箇所だけだ。

 後の装備は基本的に過去の人類文化継承連帯が用意した増加装甲に過ぎない。

 プロトメサイアは選択的光透過性を備えたバイザーの下にある一枚のメインレンズと二枚の補助レンズで部屋をぐるりと見渡した。

 そして冷たいだけの声で問うた。


『コルト、銃撃されたのか?』


「銃撃?」コルトは首を傾げた。「何のことか分からないな」


『貴官の背後の壁に無数の弾丸が埋まっている。ふむ。貴官に問おう、彼女を撃ったのか?』


「い、いいえ、自分は……あれは最初からありました」


 狼狽する兵士を無視しながら、コルトは「気にしなくて良い。今撃たれたわけじゃない」と応えた。

 背後は振り返らない。

 脳裏に机の上にラジオを置いていた時の像を呼び出す。

 壁には何も無い。()()()()()()

 過去、現在において、そんなものは存在しない。

 主戦場にほど遠いこの廃屋で、銃撃戦など起こるはずも無い。


『続いて貴官に問う。何故レーゲントを暴行した? 造花人形を撃ったことは不問とする。だがそれ以上のことを企図した。何故だ?』


「はっ。いいえ、生きた造花人形というか、自我のある造花人形について、関心がありまして……失礼致しました。本官も、初めての敵地潜入という状況に対して、我を忘れてしまったようです。迂闊でした」


『理解した。まさしく生きて、動いているかのように振る舞う姿は、いささか魅力的に過ぎる。彼女たちの美貌に性的関心を抱かないのは、定命たる貴官には難しいだろう。だが……』

 

 プロトメサイアが鍵盤型の入力装置を搭載した右腕のガントレットを翳すと、床が隆起して再生途中で藻掻いているレーゲントを立ち上がらせ、角度を付けてプロトメサイアの方向へと打ち出した。

 漆黒の蒸気甲冑は彼女を受け止め、それから自分が入ってきた入り口の外側に投げ飛ばした。

 ぎゃん、と廊下の壁に激突したレーゲントが鳴いた。


『この場に彼女は不要だ。貴官も退出せよ。別命あるまで自由にしていて構わない。汝が欲するところを成せ』


「はっ。それじゃあ、あの雌性体は……」


『考えたとおりにすると良い』


「はっ。では、謹んで拝領致します!」


 その兵士が喜び勇んでドアの外へ出ようとしたところで、プロトメサイアが『待ちたまえ』と温度の無い声を発した。


『一つ、言っておかなければならないことがある』


 小柄な甲冑騎士が歩み寄り、兵士の肩に手を掛けた。

 プロトメサイアの不死の香気にあてられたのか、パイプ椅子に腰掛けたままのコルトからも分かるほどに、兵士は好意的な緊張を示した。


「は、はいっ……!」


『貴官の献身に感謝する』


「み、身に余る光栄で……」


『今回の任務はご苦労だった』


「は、あ……?」兵士は状況を理解していないようだった。「それはどういう……?」


『宣告する。我々は、貴官に対し、敵対者が存在するならば鎮圧し、または行動不能にせよと命じた。任務終了後の行いについて制限は設けないとも条件を提示した。しかし貴官は残念ながら敵対者を行動不能にしたあと違法な生命資源製造を試み、作戦行動中に余事に強い関心を示した。これらの行動は、全て我が方に背く行為である。貴官はFRFの全市民に対し造反の意志を示した』


「そ、総統……総統閣下……?」


()()は我が法に背いた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「え?」 

 

 瞬間、機械甲冑が内側から爆裂した。

 兜が吹き飛び、継ぎ接ぎにされていた惨めな鎧が四散した。

 内部から臓物や肉片、赤黒い液体が溢れだしたが、地面に落ちることなく溶け果てて、宙に浮かんだ。

 粘り気のある泥のような未知の素材へと、人間だったものの一切合切が、生き物ですら無い、何か射ようなモノへと造り替えられていく。

 そうして兵士だったものは蹴破られたドアのあった位置へと張り付くようにして飛びついた。

 急速に凝固を始め、瞬く間に一枚の板となった。

 人間性などそこには存在しない。

 人間存在としての尊厳など、かけらも介在しない。

 兵士は破壊された機械甲冑を遺し、血と肉と不朽結晶が入り交じった、出入り口を塞ぐ『板』へと造り替えられたのだ。

 我が身に何が起きたのか、理解する猶予すらなかっただろう。

 不可逆の変質はあまりにも一方的に引き起こされた。

 ここで一人の人間の人生が、呆気なく、終わったのだ。

 プロトメサイアは障壁の完成を確認した後、平然とした様子でコルトにヘルメットの三連のレンズを向けて、頷いた。


『改めて、やぁコルト。お目汚しを失礼した。何百年ぶりだろうか。こうして再会出来たことを我々は非常に嬉しく思っている。我が後継機、我が同胞、我が盟友よ。ともに人類文化継続の礎となる覚悟は出来ただろうか?』


「やぁプロトメサイア。君の主観がおかしいだけで、最後の接触からさほどの年月は経っていない。だけど、来ると思っていたよ。君は待つと言うことが出来ない機体だからね。都合の良い可能性にすぐ縋ろうとする。実際、君にはそういうことが出来ない。そればかりか、意味のあることが、一つも出来ない」


 コルトは精神外科的(サイコ・サージカル・)心身適応(アジャスト)でも切除しきれない侮蔑を言葉の端々に滲ませていた。


「最低限の配慮や容赦もまるでない。君という機体は最悪だ。さっきの彼なんて、私の仲間であるレーゲントを犯そうとしていた。仲間をあんなふうにされて、私が何とも思わないと?」


『気持ちは分かるつもりだ。我々とて同胞が同じに遭えば許せないだろう。我々の市民の蛮行を、心から謝罪する。だが、仕方の無いことだった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「必要としていたのは君の方だろう。なおさら悪いのは、さっきの兵士すら、使い捨てにするだけのためにここに連れてこられていたということだよ。生きた人間をこんなふうに変える権利が誰にある?」


 コルトには全てが分かっていた。

 あの兵士はこうやって壁に造り替えられるためだけに連れてこられたのだ。

 そして背くように誘導されて、計画通り、自分の命を台無しにさせられた。


『我々プロトメサイアこそがFRFの法だ。権利は我々ではなく法によってもたらされる』


「……法治の真似事はよしたほうがいいよ、君の出来損ないぶりが際立って、却って憐れだからね」


『幾らでも憐れんでくれて構わない。君と我々の仲だ』


 プロトメサイアは平然としたものだった。

 否、コルトと同様のメカニズムで抑制されているはずの声音に、抑えきれないのか、いくらかの高揚が混じっている。


『早速だが確かめさせてほしい。ああ、素晴らしいことだ。貴官がこの地点まで進行してくれるとは予想していなかった。……状況から推測するに、FRFの都市運営に協力してくれる気になったのだろう? 我々とともに来てくれるのだろう……?』


「どうだろうね」


 コルトの心は決まっていた。

 そんなもの、きっと何千年も前から決まっていた。

 ()()()()()()()()

 倫理観を捨て去った都市の支配者。いとも容易く命を消し去る殺戮者。

 市民を守るという大義のために、守るべき市民を使い潰す。

 こんな狂った機械は生かしてはおけない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 コルトには一つの計画があった。

 全てはコルトの計画通りに進行していた。

 FRFは極端な言い方をしてしまえばプロトメサイアという超越的な性能のスチームヘッド一機に支えられている組織だ。

 プロトメサイアも、自身の能力を過信している。危険な作戦に臨む際には、他の戦力をまず連れてこない。過去に何度か遭遇した際にも、プロトメサイアは護衛戦力を全く連れていなかった。

 案の定、今回も、油断しきったプロトメサイアは、大した護衛もなくこの死地に飛び込んできた。

 おそらくは気付いても居まい。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 奇襲されたわけではない。追い込まれたわけでも、強襲されたわけでもない。

 他に巻き添いを出す恐れがない、こうした閉鎖空間へと誘い込むこと自体が、コルトの作戦の一部だった。

 最低限の犠牲で、最大限の成果を。

 そんな都合の良い目論見がこの場所でなら成立する。

 己の可能性世界の全てと引き換えにしてでも、恐るべき祖の罪過へと鉄槌を下す。



 プロトメサイアの撃滅。

 それこそが、今回のクヌーズオーエ攻略作戦において――

 コルト・スカーレット・ドラグーンが、自分自身に課した任務である。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] FRFの兵士は本当に倫理観に欠けているなあと思っているところに、本当の倫理観の欠如みたいなのを提げて総大将がひょっこり出てくるの本当に怖いですね。 まさか建材要員として一人誘導して潰すとは…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ