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アフターゾンビアポカリプスAI百合 〜不滅の造花とスチームヘッド〜  作者: 無縁仏
セクション4 殺戮の地平線  世界生命終局管制機 アルファⅣ<ペイルライダー>
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セクション3 第百番攻略拠点接収作戦 その5 完全架構代替世界『セラフィニア・ヴォイニッチ』(2-1)

「あれ……? これ長すぎない?」と思ったので分割投稿です

 第百番攻略拠点と他のクヌーズオーエを比較したとき、都市の構成に変わるところはない。見慣れた道路、見慣れた街並みがどこまでも続く。

 違うのは不滅者たちが都市のそこかしこに散らばっており、彼らが風景の在り方を、リアルタイムで書き換えていると言うことだった。

 不滅者の及ぼす影響は都市を超越して世界にまで及んでいた。

 高層建築物に囲まれた幹線道路が虚ろな目をした聖歌隊の少女の到来と同時に暗い影の落ちた死の谷、死霊の如き形なきものが蠢く冷たい暗闇へ変わる。

 あるいは取るに足らぬ横断歩道が、血まみれの鎧甲冑を着込んだ釣り人の腰掛ける桟橋と穏やかな湖面に変わる。

 あるいは黒焦げになった市民を統率する七つの目と七つの角を持つ屠られた仔羊の皮を被る司祭の踏んだアスファルトが、燃え盛る流体がごうごうと流れる火の川へと変わる。

 彼らは銃を持たず、剣を持たず、視線も、言葉も、呼吸も持たない。

 不滅者はそれぞれが完結した虚無であり、外界に干渉する理由すら希薄だった。

 だが、地を踏み、そこに在って在るだけで、どうしようもなく世界を歪ませ、変容させていく。

 世界の理を嘲笑うかのように世界の構造を造り替えてしまう不滅者を目にするたび、ライトブラウンの髪をした少女の肉体は、過負荷に耐えられず、嘔吐するような動作を起こした。

 無理からぬことであった。

 到底、人間に許容可能な現象ではない。

 意識がなくても、自由意志がなくても、超常的な異変は肉体に恐怖を思い出させる。

 不滅者らの呼び起こす風景が、現実に死の谷であるか、桟橋であるか、火の川であるかは、リーンズィには、外界の人間存在には、判別がつかない。

 観測可能な事象として在って在ることだけが真実で、妄想、幻想、現実の区別などありはしない。

 

『警告。不滅者との接触は禁忌です。ロングキャットグッドナイトの有する<戒め>たちとは明らかに性質が異なります。城壁管理係フィッシャーはあの広大な殺戮の浜辺を内側に有しており、他者をそこに招く機能を備えていました。言わば彼らは擬似的なカタストロフ・シフトを実行可能な言詞機械であり、不滅者の一体一体が自律稼動する<地獄>であると仮定するべきです』


 猫入りヘルメットを抱え、黙々と探索を続けるリーンズィの傍で、ユイシスが時折アバターを出現させながら無表情で告げてくる。

 嘲笑も冷笑も伴わないミラーズの写し身はまさしく天使そのものであり、最優先で従うべき対象だった。それはアルファⅡモナルキア・ヴォイドが作成し、ヴァローナの肉体を通してリーンズィにも継承させた条件付けだ。

 一言一句が最大級の警戒心を強制的に励起する。

 リーンズィは頷いた。


「警告に感謝する。今ので五回目?」


『五回目です。ストレスレベルが規定値を下回ったため、神経系を励起させました』


 第百番攻略拠点に吹く風は心臓よりも激しく音を立て、突撃聖詠服に覆われた肌を裂くように冷たく、同時に心地良い脱力感を覚えてしまうほどに生暖かい。

 異常現象に満ち満ちた空間でありながら、ミラーズやレアと同じベッドで横たわっている時と同程度の緊張緩和をリーンズィに強いてくる。

 祈るべき聖堂がなければ、擬似人格はこの無辺の偶然世界に自分がただ在るというその信仰を保てない。ライトブラウンの髪の少女は、自身の精神の原型機たるミラーズ、そしてユイシスに、聖堂としての立場を託していた。

 ある種の緊張感を維持出来なければリーンズィの自我は水に溶けた紙屑のように消え去ってしまうことだろう。

 確証があるわけではないが、そう思わせるだけの違和感が都市を這い回っている


「なーん。ここはあのこのたいないとおんなじだよ。きみはかのじょのはらでねむるあかんぼう。だれしもがここではえいえんにゆめをみつづけるんだ」


 リーンズィはふと気付いた。

 ヘルメットの中から自分を見上げてくる灰色の猫を見た。

 彼女を指で撫でた。

 猫の顔には目も口も鼻もなく一枚のきらきらと輝く宝石のようなものがあるだけだったがそれは猫であり猫のように鳴くのでやはり猫だった。

「なーん」だから君、気をつけないと、眠ってしまうよ。

 猫の、その宝石のような顔貌は、一枚のレンズのように見えた。


『不滅者は一人一人が、違う代替世界を、ありもしない地獄を、ありもしない日常を、ありもしない極楽を内包していると推測されます。全ての不滅者にフィッシャーと同様の機能があるとは限りませんが、全ての不滅者がフィッシャーの下位存在であるという確証もありません。警戒を続けてください。警告を終了します』


 フィッシャーの世界は苛烈だったが、スチーム・ヘッドを破壊するほどの兵器は存在しなかった。

 しかし、他の不滅者が運営する代替世界は、蓋を開けてみなければ分からない。

 蓋を開けて中に入ってしまったとして、帰ってこられるものなのかも不明だ。

 そんなものは、触れないに限る。

 緩まされつつあった意識を固く結び直す。

 第百番攻略拠点においては、自然な緊張感など薄布のようなものだ。

 定期的に人工的な緊張を与えなければ、知らぬ間に丸裸にされて、気付けばどこか知らぬベッドに横たえられていることだろう。

 そしてその『どこか』は、おそらく物理的な世界ではない。

 この世界はヴォイニッチの胎内であり、納まる全ては彼女の胎児である。

 胎児の見る夢はヴォイニッチの見る夢だ。

 そしてヴォイニッチはこの世界のどこにも存在していないのだ。


「だって、彼女は、誰でもない(ノーバディ)、なのだから」と少女は呟いた。「でも、誰でもない、であるとは、どういうことだろう?」

 

 通行可能な道は著しく限定されたが、汎用マップを照合すれば迂回路はいくらでも割り出せた。

 クヌーズオーエは、どう変容してもクヌーズオーエとしての構造を保つ。

 ヴォイニッチの居城と目される首吊り縄の灯台に到達するのは、不可能ではないはずだった。

 だが、リーンズィは自分と塔の距離が一向に縮まらないことに、早い段階で気付いていた。

 ユイシスからの八回目の警告を聞き終えたあと、リーンズィは脚を止めた。


 酷く疲れていた。

 目には見えない煙のようなものが充満していて、このクヌーズオーエでは空気を求めて肉体が喘ぐ。

 不死病患者が疲労感を訴えるなど本来有り得ないことだが、知性や理解を必要としない根源的な恐怖に対する心身反応は、不死になっても、恒常性の働きによって維持される。

 弾丸も刃も恐れない不死の兵士、不死の歌姫、不死の放浪者であっても、不滅者という常軌を逸した異質に晒され続ければ、恐怖の過負荷によって息が詰まるのだ。

 肩で息をしながら、少女は遠くに聳える首吊り縄の灯台を凝視する。

 ――辿り着けない、と確信した。


「進んでいるだけで辿り着けるとは、さすがに思っていなかったが」と猫入りヘルメットを抱えながらごちる。「ここまで全く近づけないなんて。もしかして同じところをぐるぐる回っているのだろうか? いるの?」


 ユイシスが即座に返答する。


『否定。しかし、ルートを変更する都度、さらに迂回が必要な状態に追い込まれています。同一地点を同一の方角から通過したことはありませんが、明確に妨害を受け、目的地から遠ざかる方向へ進まされており、貴官はほぼ回遊魚の状態ではあります』


「マグロさんなのだな……」


「なーん」とストレンジャーが鳴いた。ツナが食べたいのかな、とリーンズィは思った。


 ユイシスからの報告を受けても、さほどの焦りも、驚きもなかった。そもそも進入自体が容易くなかった。トム・フィッシャーの運営する完全架構代替世界、同じ軍事衝突を何万回でも繰り返すあの狂気と殺戮の浜辺を経由する必要があった。そうまでしないと門を潜ることさえ出来なかった。

 ヴォイニッチはFRFと解放軍の接触を断つ目的でこの第百番攻略拠点を作り上げた。突破不能な隔壁としての機能がこの変容したクヌーズオーエの本途であり、無数の代替世界を通過した場合のみ目的地に辿り着ける、と解釈するのが妥当だろう。それすらも希望的観測だ。ヴォイニッチの匙加減一つで待ち受ける代替世界は幾らでも変化するに違いない。

 代替世界を作り上げて、他者へと行うのが単なる足止めというのも些か不釣り合いだが、音速を遙かに超える速度で活動する戦闘用スチーム・ヘッドの進行を阻止するのに最も有効なのは、無限の時間と距離を支払うリスクをぶつけることであり、そういった意味では極めて合理的だった。永久に壊れない鎧と万物を割り断つ刃物を備え視認不能な速度で移動する彼らは、殺戮の遂行者の究極系であり、同程度の戦力をぶつけるのでなければ、ヴォイニッチのようなアプローチでしか彼らを止められない。

 無論、リリウムやロングキャットグッドナイトが第百番攻略拠点にある程度自由に出入り出来るのだから、何かしらの別ルートの存在は疑うべくもない。

 だがリーンズィにはどんな手順が必要なのか全く分からない。

 不滅者と接触するという底知れないリスクと、永久に足止めされるかもしれないという極大のリスク。二つの理不尽なリスクを秤にかける必要がある。

 全ての不滅者が代替世界への入り口になっている、とは限らない。だが外観上フィッシャーと大差ない異常性を持つ不滅者が幾らでも配備されている。代替世界はフィッシャーのものより容易い世界かもしれない。だが、そうでない可能性も当然にある。完全架構代替世界は可能性だけで構築された世界で、そこにどんな可能性が集積されているのか、外側からは全く伺い知れない。単純に滅亡した世界に渡って帰ってくるだけのカタストロフ・シフトの方が安全とさえ言えた。

 警戒しないわけにはいかない。

 警戒しないわけにはいかないが、警戒していると進めなくなる。

「あいつぁ優しくて賢いがやり方がコスかった」というのがファデルからヴォイニッチへの評で、第百番攻略拠点の内包する異質な世界は、その評に全く違わぬ有様だ。「神の愛を最も知るのがわたくし、リリウムならば、神の奇跡を最も知るのがセラフィニア・ヴォイニッチです」というリリウムの証言も実態に沿う。

 空間を歪め、時間を歪め、世界で仕掛けた迷路の牢屋。

 それが第百番攻略拠点の現在の姿だ。

 ヴォイニッチと会うためにどんな手順が必要なのか全く分からなかった。

 完全な手詰まりだ。


「なーん」ストレンジャーは鳴いた。だからね、何度でも言うけど、むずかしい手順を考える必要はないよ。全部が彼女で、彼女が世界なんだから、君はこの空間に留まっているだけででいいんだ。必要な『鍵』は、うろうろしているだけで誕生日プレゼントみたいに勝手に送られてくる。あの子は君が好きだけど、アルファⅡモナルキアのことを気に入ってない。回りくどい性格の女の子が、さらに輪を掛けて回りくどい手段をわざわざ選んでるのさ。


 少女だけが、猫のその「なーん」という鳴き声に「そういうものなの?」と反応を示した。

 アルファⅡモナルキア・リーンズィには、猫が何を言っているのか分からない。

 アルファⅡモナルキアではない、()()()()()()()()が猫に似た何かの放つ有意な言葉を聞いた。

 ユイシスがアバターを投影して問いかける。


『疑義提示。猫と話せるようになったのですか? おかしいのではありませんか?』


「猫と話す?」ライトブラウンの髪の少女は不思議そうな顔をした。「猫と人間がお話し出来るだろうか。おかしいと思いませんか? 私はユイシスが何を言っているのか理解しない。でも……何故だか、ヴォイニッチについての知識が、僅かだが増えている。彼女はアルファⅡモナルキアのことが嫌いらしい」


『どういうことです。その猫状言詞構造体が、そう言ったのですか?』


「だから、猫とお話は出来ないのだが」ユイシスの口調が怖いのでリーンズィは少し困ってしまった。「そういうよく分からないことを分かるようにするのがユイシスの仕事なのに」


『反論を受諾。当機の過失でした、謝罪します。ログを確認中。対象、発話を確認出来ません。アルファⅡモナルキア総体からの干渉を避けてコンタクトを行っている存在を仮定。対抗手段検索……インターセプト不能。セラフィニア・ヴォイニッチの脅威レベルを最大に引き上げます。信じがたい現象ですが、完全仮想擬似人格であるリーンズィの言詞構造体に何らかの手段でアクセスしていると推測されます』


「なーん」猫は鳴いた。ふふふふふ。焦っているみたいだね。じゃあ特別に教えてあげようか。彼女のアプローチ自体は、肉体経由でのハックを企んでいたリリウムと似たようなものなんだ。ヴァローナの瞳は、世界を取り込むの言詞器官だし、その基礎設計をしたのはセラフィニアだ。そんなの、利用しない手はないよね。どこかの段階で、どの時間構造体とも固有の接点を持っていないリーンズィに、直接自分の因子を刷り込んだと見えるよ。おかげで、私も、少しだけ概念伝達ができるようになった。これは猫の量子的揺らぎを利用した通信だから君には理解出来ないだろうけど。


「……」リーンズィは猫をじっと見た。「また知識が増えた。ヴォイニッチは私の、このヴァローナの肉体の瞳を通じて干渉してきている。あとどうやらこの猫は君のことが嫌いだ」


『きら……当機は猫と接点がないので嫌われる理由が無く、事実誤認と判断します。不滅者ナインライヴズ……ロングキャットグッドナイトは、ヴォイニッチの使徒です。猫がヴォイニッチによる不正アクセスの踏み台となっているのではありませんか?』


「ありませんかと言われても、私は断じて猫さんとお喋りは出来ないのだが……。聞いてみよう。ストレンジャー、君はヴォイニッチの端末なのか?」


「なーん」違うよ。私は、あくまでも、アムネジアの仲間だよ。『私』全機がそうではないけど。心配しなくても、私は何の対価も求めない。君は、他の私や、私の妹たちに、とてもよくしてくれているから、そのお礼。言ってしまえばこれは、良心からの善意の不正アクセスだね。誰も損はしないよ。ごあんしん。ごまんぞく。だいじだね。たいせつにしていこうね」


「この子はロングキャットグッドナイトの仲間で、やっていることはヴォイニッチと特に関係の無い、良心的な不正アクセスらしい。ごあんしんとごまんぞくなのだな」


『良心的な不正アクセスというものがあるならば見てみたいものです。当機も猫型端末を作れば争えるようになるのでしょうか。ロングキャットグッドナイトの端末へ通告。貴官はデジタル天国で死後裁かれるでしょう』


「特に害は感じないけど、不正アクセスには対策が必要だ。本当に対抗手段は無いのだろうか。ないの?」


『当機は天才ハッカーでも万能の神様でもありません。一介の統合支援AIです。完全に仕様外のルートから干渉された場合、即座の対応は不可能です』


「なーん」私が前から思っていたことなんだけど、君、本当にAIなのかい? 節々から、私の同類みたいな匂いがしてるんだけど。


「む、むむむ……。し、知らないのに知っていることがどんどん増えていく……。ストレンジャー、君に悪意がないというのなら、あまり干渉をしないでほしい、私が混乱してしまう」


「なー……」ごめんね、リーンズィ。私はね、私と同じで、善いとか悪いとか、あんまり分からないんだ。だけど、君がいやがるなら、私はしないよ。


 猫は短く鳴くと、すやすやと眠り始めた。

 リーンズィとユイシスは顔を見合わせて曖昧な表情をした。


『提言。不本意ながら、この猫型言詞構造体を頼りにするしかないようです』


「どうせなら猫の奇跡とかでピカーッと光ってヴォイニッチのところに連れて行ってくれれば良いのに」


『そこまでの権限がある端末ではないのでしょう。性能では依然として当機が優位、必要ならば言詞を解体してハッキング可能ですが……』


「猫を解体する!? マグロさんのように!?」


『しません。やりたくないことは、出来ません』ユイシスは自嘲するように顔を歪めた。『貴官が願わないことは、当機は何も実現させないのです。アルファⅡモナルキア・リーンズィ、貴官は当機の全てなのですから』



 リーンズィの探索行は続いた。

 不滅者を完全に避けるのはやはり現実的では無いため、触らないようにして脇を擦り抜けたり、壁を上って飛び越えたりした。

 不滅者は基本的にリーンズィに一切関心を示さなかった。危険は無いはずだった。

 だというのに、ライトブラウンの髪の少女は、不滅者をやり過ごすたび、嘔吐感の他に、何か気怠さのようなものを感じていた。

 ユイシスにバイタルチェックを要請しても、異常なしという結果しか出なかった。

 リーンズィはすやすやストレンジャーからの不正アクセスの経験から、この倦怠感は、不可知の領域でデータを書き込まれている影響なのではないかと仮定した。


『謝罪します。セキュリティパッチの作成が遅れています』珍しくユイシスは気弱な声を出した。『当機のリミッターを解除すれば改善策が見つかると予想されますが、最終全権代理人たるエージェント・リーンズィが直接的に攻撃を受けているとは断定出来ず、また大主教ヴォイニッチの<大聖堂>を刺激する危険性から、実行が困難な状況です。このクヌーズオーエ自体が彼女の運営する大規模な代替世界の<影>であると推測され、干渉に対する影響の予測が不可能な状態です』


 大主教ヴォイニッチに心臓をつかまれているも同然の状況だが、実害は感じない。

 肉体や思考に負荷がかかっているのは事実だ。しかしそうした影響はヴァローナの恒常性が数十秒で取り払ってくれる。大した問題ではない。破壊する意図があるなら、とうの昔に大規模攻撃を行っているだろうという希望的観測のもと、リーンズィは恐れを知らない猫のようにずんずんと道を進み続けた。そもそも不滅者たちを統率し、軍隊として指揮出来るのがヴォイニッチらしいので、そういう操作をしていないのなら、心配は全くないはずだった。

 ただし、猫が頻りに鳴いて訴えてくる道だけは、通るのを避けた。そうした通路は暫く経って振り返ると跡形もない壊れ果てた風景になっていたり、ぶよぶよとした半透明の四足獣のたまり場になっていたりした。ぶよぶよとした生き物たちはまったく無害そうだったが、見ているうちに口と牙だけがある姿の見えない数百匹の犬にズタズタに噛み砕かれ、屠られていった。リーンズィはぞっとした。犬が好きだったのでおそらく抵抗が出来ない。犬に囲まれてあんなことをされたら泣いてしまっていたかもしれない。

 ともあれストレンジャーは危険を予知してくれた。

 信用出来ないが、しかし信頼は出来たし、信じるしかなかった。



 ある道路に差し掛かったとき、突如として『警戒』の表示が投影された。

 同時にスチーム・ヘッドが一機、どこからか姿を現した。

 その機体は、目の前の道を、ずっと真っ直ぐに歩いていたはずだった。進路からはそうとしか考えられないのだが、リーンズィには見えなかったし、聞こえなかった。

 ユイシスも接近を感知出来なかった。

 そのスチーム・ヘッドは野太い声で、けたたましく笑いながら、何か得体の知れぬものを引き摺っている。手の先にあるのは巨大な肉の塊で、不死病患者が変異を繰り返した果ての怪物の、その一部であるように見える。ズタ袋のように引き回されるその肉の袋は、アスファルトで散々に表皮を抉られており、通り過ぎてきた道を、湯気の立つ血で濡らしている。

 リーンズィは子供を山ほど袋に詰めたひとさらいのようだなと思った。


『連想。まるでサンタクロースですね』


「え、サンタクロースじゃないと思う……」


「なーん」猫もそうだそうだと言っていた。


 サンタクロース。子供たちの寝ている部屋に夜忍び込んでプレゼントを配って回る、伝説上の謎めいた聖なる不審者だ。彼はリーンズィにとって憧れで、クヌーズオーエでもクリスマスとして扱われている日には、レアと夜まで一緒に過ごしたあとわざわざ自室に帰り、ブーツを枕元に置いて休眠モードに入ったものだ。

 そのときには、夜更けに物音がして、肌に感触を感じたので再起動すると、レアとミラーズがごそごとブーツにお菓子を詰めているところで、リーンズィの体には唇を初めとする様々なところに熱が残っていた。リーンズィは、バツが悪そうな顔をしている二人の恋人を捕まえて朝まで離さなかったのだが、本物のサンタクロースは結局リーンズィのところに来ることはなかった。サンタクロースも人類文化の途絶と不死病の蔓延で死に絶えたのかもしれなかった。

 リーンズィは人類文化をまだ諦めていない。それらが健在だった時代に、彼女は一秒も存在しかなったからだ。人類文化華やかなりし頃の希望を感じさせてくれる温かで脆く儚い夢たちを、純粋にわくわくと安らぎを提供してくれる伝説として、心から愛することが出来た。

 だからこそ、リーンズィはこの第百番攻略拠点で、着実に消耗していた。

 ここは頽落した夢の集積場だ。

 叶うはずもない夢、不死によって奪われた未来、戦争が欠落させた日常、あるいは予め喪われていた狂気に満ちた現実が、ヴォイニッチの手で加工され、不滅者と再命名され、理解しがたい歪み果てた異物として現出していた。

「なんだか気持ちが塞いできた……」と小さく呻くリーンズィの前に、金色の髪をした、夢のような思い人が現れる。

 ユイシスのアバターは、涼しげに嘲るときと何ら変わらぬ表情で、しかし出来の悪い妹でも慰めるかのように、いかにも優しい手つきでリーンズィの頭を撫でた。リーンズィは不本意ながら、物理演算されただけのその感触に、ホッとしてしまうのだった。ミラーズと同じ外観をしているからではない。

 リーンズィはユイシスのことが好きだった。大嫌いな、血の繋がらない、大事な姉だった。



 不滅者の歩みは遅々としていたが、肉塊を引き摺りながらどんどん近付いてくる。

 やはりここではないどこかを見て、ありもしないもののために必要のない息をして、もうどうしようもないもののために、何の意味も無い動作を繰り返していた。

 そのうちリーンズィは、この不滅者が猟銃を片方の肩に担いでいるのに気付いた。

 銃口を自分に向けてくるとは考えなかった。

 実際、そんな兆候は微塵もない。

 不滅者は現象が異様である以外は、恐ろしくない。この不滅者にしても、ひと目見て、体が竦むような異物感、嘔吐感を与えてくるものの、おおよそは無害だった。

 路傍に立ち竦むリーンズィに、注意を向ける素振りさえ示さないのだ。見慣れれば路傍の石ころと大差無い存在感になるのかもしれないが、その頃には認知負荷に耐えきれなくなった人格記録が発狂していることだろう、とリーンズィは複雑な気持ちになった。


「なーん」この影は『鍵』を持ってる。ヴォイニッチに誘導されてきたみたいだね。


「そうなのか? そうなの?」少女は猫に尋ねて、それから頷いた。「では怖いが接触してみよう。おはようございます。リーンズィと言います。挨拶は大事です」少女は出来る限り愛想良く挨拶をした。「道を探しています。道をご存知ではありませんか? 猫もいます」


 他の全ての不滅者がそうであるように、返事は一つも無い。

 この機体の場合は、無意味にケタケタと笑い、肉塊を引き摺って前に進む。

 それだけだ。

 リリウムなら、こうした反応からも何からの意志や願いを感じ取れるのかもしれないが、アルファⅡモナルキア・リーンズィには不可能だった。

 不滅者の存在は、端的に言って奇怪だ。外見や印象のもたらす違和もさることながら、そこにいるだけで周囲の環境を改変し、神も銃弾も、彼らを滅ぼすことは能わない。しかも絶対なる不滅に最も近い彼らの内側には、外界に働きかけるための目的も意志も備わっていないのだ。心理試験の専門家も、彼らの動向から意識の働きを解説出来まい。

 多くの点で、彼らは各拠点に放たれた不死病患者たちに似ていた。

 通常の不死病患者と、ヴォイニッチに造られた不滅者。両者の間には、己の存在核に従うか、撃ち込まれた聖句に従うかの差しか無い。向かう先には何もない。

 在って在るだけの木偶だ。


 ただ、不滅者と擦れ違う刹那に、リーンズィは何か都市ではない記憶を垣間見るのだ。

 他の誰でもないリーンズィだけが人格記録の端にそれを留める。

 既に幾度となく接触は果たされていた。

 彼らはアルファⅡモナルキアと重なり合わない()()()()()()()()を選択的に代替世界へと誘った。

 リーンズィは、アルファⅡモナルキアではない。

 ヴァローナではない。

 祖をエージェント・アルファⅡに持ち、聖歌隊の古い大主教に愛を注がれて育ち、長じて全く違う人格として成立した。

 リーンズィは、誰も知らない一人の少女だ。

 歴史の浅い、寄る辺のない魂であり、彼女はどこにも繋がっていない。

 どの時代にも生まれていない。誰の娘でもない。

 ただのリーンズィ、他の誰でもない偽りの魂、この地球上にいるはずのない少女としてのリーンズィは。


 いつのまにか、映像記録の中でしか見たことが無いような、穏やかな森に佇んでいる。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 久しぶりにユイシスの出番が多く、嬉しいです。 リーンズィの保護者のようでもあり、従者のようでもあり、分かち難い二人ですね。 猫量子通信で猫とお話しするリーンズィも可愛いです。 歩いているの…
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