セクション3 第百番攻略拠点接収作戦 その1 モーニングセット提供所・前線部隊特別サービス支店(2)
クヌーズオーエ解放軍の仮設中央司令部は、ショッピングモールの屋上階に展開していた。
この永久に客が訪れることの無い大規模商業施設は、通常のクヌーズオーエでは最も巨大であるため、しばしばジッグラトのように扱われた。
中央司令部のメンバーは一心不乱に仕事に取り組んでいるため、さながら神のために粘土板へと文字を刻む神官じみていたが、彼らは情報入力用の端末を通じて作戦立案と検証を繰り返すだけの存在で、神官でも巫女でもなかった。
打ち捨てられた不死の時代に奉じるべき神などあるはずもない。
今回の接収作戦の道程では、都市の本制圧開始と共に精鋭部隊がショッピングモール近辺を制圧し、司令部の資機材を運び込むのだが、このような場所に司令部を置くのは、見晴らしが良く指揮に都合が良いという側面の他に、運んできた資機材を並べるのが楽であり、最上階かその付近の階にはフードコートや飲食店が廃墟として残されているため、作業台として流用しやすいといった細かい利点があった。
任務を終えたスチーム・ヘッドに、休憩中の偵察軍が調理器具を接収して慰安のために料理を振る舞い、場合によっては場所を移動してレーゲントや技術者が修理を行う。作戦に付随する一切の作業がショッピングモール近辺で完結する。何もかもが好条件だ。
攻略拠点においてはプロトメサイア陣営との戦闘や内戦を見据え、要塞化された施設に設置されているが、今回の接収作戦ではそんな手間を掛ける猶予は無く、そもそも各クヌーズオーエに二日しか留まらないため、防御面は無視された。
そうして神無き時代の祈祷師たちのように戦局を占っているのを尻目に、ショッピングモールの屋上階に塔を建てて居座っている兵士たちが居る。羊雲観測係の名前で知られる彼らは物見の特任を受けており、中央司令部の直下で自由裁量で活動している。殆どの機体が狙撃銃を抱えているが、ピカティニー・レールにグリップとスコープを取り付けただけのカスタム品を使用していた。通常の望遠鏡や双眼鏡は使用していない。多くのクヌーズオーエには戦闘の痕跡があり、遺留品として武器が残されている。そうした場所で調達された狙撃銃が優先的に彼らに配備された。
そうした道具で以て、彼らは地上ではなく空だけを見つめている。武器のトリガーに指を掛けることさえない。
スチーム・ヘッドにとってクヌーズオーエで最も致命的なのは、<時の欠片に触れた者>の大規模干渉に巻き込まれてしまうことだ。彼らはそれに備えるために配備されており、何かと戦うことはもう無く、ただ予徴だけを探している。
天候にかかわらずクヌーズオーエは陽気とは無縁の都市であり晴天であっても雲は奇妙な形に変形してメイストロムに飲み込まれた薄衣のように渦を巻く。そして太陽に触れるか否かの段階で蝋の翼の如くに溶け落ちて消え去る。眺めているうちに空にある光源が太陽ではなく光を放つだけの黒い洞に思えてくるが世界に疑いを持ち太陽にすら異常性を見出しては正気でいられなくなる。あるいは誰しもがとうに正気を失っているということを克明に照らし出してしまう。
いずれにせよ、クヌーズオーエ解放軍において太陽はその存在を忌まれている。
燦々と降り注ぐ陽光を浴びて、リーンズィは体がポカポカするのを楽しんでいた。不死病患者にとって気温も自分の体温も危機的なものでない限り考慮に値しないのだが、刹那的な快不快に関係するファクターではあった。
突撃行進聖詠服の下のボタンを幾つか外して、ショッピングモールの屋上の縁から足を投げ出し、眼下で戦闘用スチーム・ヘッドたちがくつろいでいるのを上機嫌で眺めていた。ライトブラウンの髪の少女は、みんながのんびりとしているのを見るのが好きだった。
みんな幸せになりますように、と思いながら、静かに聖歌を歌う。
「ふろいで、しぇーね、げってる、ふんけん……」
歌はいっこうに上手くならない。
ミラーズから発声方法やリズムの取り方を倣っているはずなのだが、どうしても寝ぼけた猫が夢を見ながらにゃーと鳴くような間の抜けた歌い方になってしまうのだった。
そうしているうちに、ボマーコート姿のレアがリーンズィの隣に腰掛けた。持ってきた皿の上にはジャム付きのパン切れがある。礼を言って一切れ取ろうとすると、白髪の少女は素早くそれを取ってしまった。
そしてからかう仕草で微笑みかけて、自分で咥え、もう片方をライトブラウンの髪の少女へと突き出す。リーンズィはその誘いに従った。今度はレアの分のパンで同じことをやり返した。
二人は無言でイチゴのジャムを楽しんだ。食べ終えて、二人してはにかみ、手を触りあった。
と、リーンズィのもう片側に、新しい一人が腰掛けた。
レアがムッとして臨戦態勢を取る。
漆黒の装束に白銀の髪。
レアと対照的な蒼い瞳をした聖少女、リリウムだ。
リリウムは一瞬だけレアに挑発的な視線を向けた後、リーンズィに透き通る微笑を投げた。
「リーンズィ様、先ほどのお歌を聞いていましたが、まだまだ音程があっていませんねっ。どうでしょう、わたくしとユニゾンして調子を整えませんか……?」
「ユニゾン……」リーンズィは頷いた。「リリウムは歌が上手なのでお願いしたい」
「ふふふふ。戦うことでしか自分を表現できないウサギさんとは違って、わたくしは歌が上手いのでした。一緒に声を合わせて融け合って気持ちよくなりましょう……?」
その瞬間、レアの赫赫たる赤目とリリウムの凍てついた青い目がぶつかりあった。
超越的なスチーム・ヘッド同士は刃を交えることなく周囲に破滅に兆候を感じさせる。フードコートから移動させてきたテーブルで食事をしていたファデルたちが「こわ……」と警戒したが、ミラーズがニコニコと三人を見守っているのを見て、特に構えなかった。
リーンズィもまた、鋭敏な気配りに恋人たちが何か諍いをしていることに気付いた。宥めようとして二人に交互に接吻し、ハッと気付き、「二人とキスをした私が二人とキスをしたのだからもはや間接キスなのでは……?」と言った。
レアとリリウムの頬に朱がさした。
互いに思うところがあるのか、何となく気まずくなった様子で、衝突の気配を霧散させた。
「……リーンズィにとってどちらが上なのか、比べられる空気じゃなくなったわ。命拾いしたわね、リリウム」
「……そんなの、わたくしがいつも上ではありませんか。あなたに対して、ですけれどねっ?」ふふ、と艶めかしく喉を鳴らして勝ち誇る。「レア様の肉体がわたくしを拒んでいないことは、もう分かっているのですから。いっそ、レア様もわたくしに融けてしまえばいいのです。身も心も捧げて下さるなら、リーンズィ様の次ぐらいには愛して差し上げますよ……?」
リーンズィの背中を撫でたリリウムの手が、今度はレアの腰に触れた。
白髪赤目の少女の肉体がぴくりと震えた。
「や、やかましいわ! あと人前でワシに気安く触るな!」レアは虚勢を張って威嚇した。「だいたいね、私のリゼこうはいだって、あなたには屈服してないでしょう! 私をこれ以上どうにかしたいなら、リゼこうはいをまず倒すことね!」
「レアせんぱいはとっても強いので、私のように簡単には負けないのだった」
「待って、あなたも負けちゃ駄目なんだからね?! 心では拒んでるのよね!?」
一人軍団の面々や軍団長からしてみれば、まったく、牧歌的なやりとりであった。
一時のリリウムとレアの仲はすさまじく険悪で、苛烈さ以外の何も無い状況だったのだが、レアの外向的な活発さが増してからは、何やら穏当な駆け引きを行うようになった。
リーンズィとリリウムの会合に何度か同行し、二人の間に割り込み、そしてリーンズィの身代わりになって以来、客観的に見て駆け引きしていると分かる程度にまでは落ち着いた。
リリウムのほうもレアに関心を抱き始めたようだった。
ファデルたちは、三人が触れあったりささやかに口論したりするのを、生温い目で眺めながらコーヒーを啜っていた。彼らは、味を何一つ感じなかった。
「……こうはい、屋上の端っこの方好きよね。こうやってみんなを見下ろすの好きなの?」
「みんなが平和にしているのを見るのが好きなのだ。好きなの。猫が遊んでいるのを見ているのと同じぐらい好き」
「なるほど。『善き猫を愛するが如く善き人を愛せよ』。使徒アムネジアの言葉ですねっ。わたくしも同感です、みんな猫のように仲良しさんになれば良いのに願っています。出来れば清廉なる導き手であるわたくしの言葉に従ってほしいですがっ……」
「っていうかリゼこうはい、猫と人間の区別ついてる?」レアは真顔で尋ねた。「リリィもそうだけど、ヒトと猫の区別してる?」
「哺乳類なのですからほぼ同じだとアムネジアは言っていましたよ。アムネジアは賢人でしたのでかなり正しい見方なのだとわたくしは信じていますっ」
「あ、なんかこれ、あんまり追求しない方が良さそうね」レアは真顔で頷いた。
リーンズィは見下ろしている建物の一角に、気になる影を見つけた。ヴァローナの瞳を起動して拡大望遠する。
ペーダソスによく似た構成の蒸気甲冑。ペーダソス本人はファデルたちと談笑しており、クサントスは兵士然として師の命令を待っている。
直接聞いたわけではないが、バリオスだと分かった。
彼女は蒸気噴射で不死病筐体を建造物の壁面に押し付け、具足と一体化した大型スパイクを突き刺しながら、垂直の道を器用に駆けてくる。接敵を可能な限り避けて、都市を走り回り、情報を持ち帰る。その任務を負う偵察軍に特有の妙技である。
その動きを真似ながら走ってくるのは、目を引く黒地のセーラー服。腰に大小の二振りをさして壁面を駆けてくる少女の不死病筐体は、紛れもなく葬兵・ケットシーだ。こちらも蒸気噴射機構を備えた高機動型外骨格を纏っているが、壁面を走るのは彼女の持つ世界選択能力によるものだろう。革靴型の装甲靴にはスパイクも無いため、どう足掻いても壁を走り続けることなど出来ない。だが、一瞬なら可能だ。彼女はその一瞬を選択し続ける。可能だから可能である。出来るから出来る。類い希な奇跡の使い手である自覚すら必要が無い。
そんなケットシーの背後を、短い黒髪の少女が必死に追いかけている。
こちらは蒸気噴射と具足のスパイクを活用しており、ケットシーの虚構じみた壁面装甲よりもよほど現実の強度に縛られていた。
人間は垂直な壁を走れるようには造られていない。足取りが覚束ず、時折滑落しそうになるのだが、危ういところでレインコートのような不朽結晶繊維装甲服から鏃の如き尻尾が飛び出して壁面に突き刺さり、姿勢制御の手伝いをする。強引な軌道修正だが、それでバリオスやケットシーに追従出来るのは驚異的だった。
「やっぱり成長早いなー、シーラは」席から立って見物に来たペーダソスが満足そうに頷いた。「不眠不休で練習しても壁は中々走れないもんだが、もうモノにしてる」
シーラ、FRFの少女騎士たるリクドーとサードは、紆余曲折を経て、ペーダソスの指揮する偵察軍に配備されることになった。
アルファⅡモナルキアが隷属化した機体は、先導部隊で使うには過剰性能で、迎撃部隊を任せるには攻撃能力が足りない。戴冠を迎える前のリーンズィがそうであったように、アルファⅡモナルキア構成する機体は基本的に性能が凡庸だ。レーゲントとしての能力を有するミラーズのような事例はまずない。
当初危惧されていたとおり、リクドーとシーラを元にして造られた隷属化スチーム・ヘッドには、これといったポジションが無かった。
「シーラは頑張り屋さんなのだな。私はケットシーが師匠になったらもう何もかも嫌になって家出してしまうと思うが……」
「あれがデフォだったらFRFの浄化チームも昔より大分レベル上がってるんじゃないか? 旧時代の正規兵は素体の段階で確実に超えてるし。うちで引き取って正解だったなこりゃ」
しかし、生前のリクドーの戦闘記録を見たペーダソスから申し入れがあった。
偵察軍を構成する機体には、聖句も戦闘能力も要求されない。必要なのは運動能力、そして壁を走るなどの人間には有り得ない運動を修得する忍耐力だ。
ペーダソスから見て、生前から高い身体性能を示し、人格も素直で子犬めいた部分があるリクドーは、期待の新人だったのだ。
壁を走る三機は、ショッピングモールへとワイヤーで縛り付けられた巨大な悪性変異体の傍にまで達した。
症例50号<塔に縋りて咽ぶ者>は三本の筒に別れた頭部と枯れ果てた針葉樹の幹のような八本の腕ないし足からなる悪性変異体で、全身に眼球を持ち、自立が出来ず、建造物に寄りかかって活動する特性を持つ。筒の部分から音波を放射し、目標の座標を特定したあとは三種の放射線を照射して射線上の生体を崩壊させる。
生きた砲台とでも言うべき変異体だが、筒の部分を刺し貫かれて主機能を封じられた今は、拘束されていない分の手脚を緩慢に動かすだけのオブジェだ。蜘蛛の標本にも似ていた。
偵察軍の先達者は、これを運動訓練の道具に使うと決めたらしく、小刻みに切り返しながら手脚を飛び越えて走り、シーラに対してついてくるようハンドサインを送った。
特に役割も与えられていないのに勝手に同行しているケットシーは、悪性変異体に差し掛かる前に脚を止めてカタナで壁面にぶら下がり、「ミスしてもヒナが居る」とシーラに合図した。
シーラは悪性変異体の眼球に射すくめられて一瞬だけ動きを止めたが、すぐに意を決してその巨体へ飛び込んでいった。
全ての腕が封じられているわけでは無いため、蜘蛛の如き変異体は防衛行動を起こす。迫ってくる手脚を避けるのは傍目に見えるほど簡単なことでは無い。長大であるために動きが緩慢に見えるのであって、相対的には激流に流された大木の速度に等しい。
しかし、かつての少女騎士は怯まず、恐れず、駆け続けた。走りながらでは避けられない腕は壁面へ尻尾を突き刺して飛び退いて回避、さらに上方へと体を着実に運ぶ。
見上げて見物していた兵士たちが肯定的な言葉で少女騎士を囃し立てたが、さすがにそれに応じるほどの余裕はないようだった。
既にベテランの偵察軍兵士にも劣らぬ機動力だ。オーバードライブを使っていないので、リーンズィも素直に感心してしまった。
リーンズィとて同じような動きは出来るはずだが、この場面でオーバードライブを使わないでいられる確信が無い。
「スッス!」と謎の掛け声を発しながらバリオスが屋上に到着した。
出迎えてくれたペーダソスに捕まり、彼女を抱いてぐるっと一回転して減速、それから我が師を降ろした。
「お疲れ、バリオス」
「全然スよ、ただのドライブだし。っていうかシーラちゃんやっぱり逸材スね、もう一人でもフツーに走れるスよ」
「うん、それは当然。シーラはヒナの現地一番弟子だから」
ケットシーはと言えば、物凄い速度で屋上の淵へ現れ、そのまま当然のように通常速度で歩き始めた。カタナもいつのまにやら収めている。
遅れて到着したシーラが「ゼェゼェ……あれっなんで師匠が上にいるのかなっ!?」と動揺しながら胸に突っ込んでくるのを見て「だってヒナは師匠だもん。師匠は弟子より強くて速い、これは当然のこと」と臆面も無く言い放った。
駆けてきた勢いを打ち消すために、小柄なシーラを汗ばむ水兵服の胸元に埋めさせて、その場でくるりと体を回し、優しくぎゅっと抱きしめて、戦闘態勢にある神経を宥めようとする。
人形じみた顔色に変化は無いが、ケットシーも相応に運動をした直後で、肉体は排熱のために発汗している。濃密な不死の芳香にあてられた状態で密着されたシーラは、ケットシーに仕込まれた条件付けのせいで、一瞬正気を失いかけた。
「はう……ほ、ほわあああああ」
『ダメだよぉっ、リクちゃん!』
直後に尻尾が頭を小突いて少女騎士の意識を取り戻させた。
尻尾はそのまま刃状の先端を展開し、オーバードライブを起動してケットシーを刺しに行ったが、ひらりひらりとスカートを翻す葬兵に切っ先が触れることはない。
「ん、サードはまだまだ元気そう」殺意に晒されながらスカートをさらにひらひらとさせる。「リクちゃんの肉体の状態に引っ張られなくなったんだね」
『サードの隙を突いてリクちゃんを誘惑しようとしても無駄だよう? リクちゃんの肉体は完全にサードを受けいれているんだからぁ。変異限界まで分解して熱量に変えられるもん』
レインコートのような衣服の、その大胆に切り抜かれた背中から、小型蒸気機関を蒸気機関を避けて、鏃が連結した形状の尻尾が伸びている。
少女の抗弁を形作るのは、装甲の振動による音波の発振に過ぎない。
尻尾型の人工脳髄とでも言うべきかつての少女騎士、サードは、先端の刃を格納すると、肩で息をしている少女騎士の首輪を軽くつつき、首筋から耳にかけてを撫で回した。
「あ、ありがとうサード姉様、みんなの居るところで恥ずかしいところ見せちゃうところだった」
くすぐったそうにしながらリクドーは姉の寵愛を受け入れた。
「……二人とも偵察軍として良い感じに仕上がってきてるな。マスター・ペーダソスとしては新入りが元気に育っていて嬉しいぞ」
ペーダソスは控えていたクサントスに皿を持ってこさせた。
レーゲントの顔に軍人らしい笑みを浮かべたクサントスが「たっぷり食べろ!」と言って差し出したのは、やはり質素なパンでしかない。
ただし、通常のスチーム・ヘッドが喫食出来る量を遙かに超えている。
「わあい! ありがとうございますマスター・ペーダソスっ! サード姉様、食べよ食べよっ!」
『楽しみだねぇ、ペーダソスさんの作るお料理美味しいもんねぇ。んっ! 甘いのが背骨を突き抜けてサードにまで伝わってくるよう!』
このクヌーズオーエから採れたばかりの新鮮なイチゴジャムをたっぷりと塗りつけたパンを頬張り、リクドーは幸せそうに声を上げた。味覚を共有しているサードも尻尾の全部をくねくねさせて喜びを表現する。さらに鶏肉と湯と機械油とコンソメで煮込んだスープ、腐りかけのレタスやトマトをチーズとドレッシングで誤魔化したミニサンドイッチ、白化した上に黴が生えつつあるチョコレートなどが運ばれてくるのだが、シーラはどれも瞬く間に平らげてしまった。
ペーダソスと他のスチーム・ヘッドは、純粋な歓喜を発散しながら食事を楽しむかつてのFRF市民に目を細めていた。
スチーム・ヘッドとしての歴史が浅い機体は、しばしば明確な食欲を示すことがある。人格記録が擦り切れていないせいで、生前の食欲がまだ旺盛な形で残っているのだ。
とは言え、肉体は既に不死で、食事は必要であり、消化器官は徐々に食物を受け付けなくなっている。生前の勢いでは飲食すればすぐ嘔吐してしまうという、苦痛を伴う状態であるはずなのだが、シーラ全くそうした素振りを見せなかった。
「ふう。おなかいっぱいですっ……幸せぇ……」リクドーは人なつこい笑みを浮かべ、自分の尻尾である姉を胸に抱きながらペーダソスに頭を下げた。「FRFにいた頃にはこんなに美味しい料理が食べられるようになるなんて思ってませんでしたっ、ありがとうございます、マスター・ペーダソスっ。生野菜? というのもFRFの野菜キューブなんかよりずっと美味しいですっ」
食べた量は、ほんの僅かだ。リーンズィの知識が正しいなら、一般的な先進国で生まれ育ったリクドーと同程度の外見年齢の人間なら、間食程度にしかならないはずだ。
「料理なんて大したもんじゃないんだがな」とペーダソスは苦笑する。そしてふと表情を曇らせた。「野菜キューブって……ちなみに、それ、何なんだ?」
「なんか、緑色の立方体で、一週間に一回配給されるんですっ。苦くて硬くて、野菜と言ったらあの塊だと思ってたから、だけど本物の野菜は噛むだけで美味しくてっ」
「……」ペーダソスは目を伏せた。「何だよそれ……」
声音の変化を察してリーンズィは慌てた。
「ま、マスター。シーラは嘘を言っていない。本心で美味しいと言っているのだ。いるの。お世辞や皮肉じゃない。怒らないでほしい。失礼なことを言っているつもりはなくて……」
「分かってる。喜んでくれてるんだよな。それは嬉しいんだが、でも、でもな、生前の味覚も残ってるだろうに、あんなのを美味い美味いって食べるのは、どうなんだろうなと思ってな……」
「えっ、マスターの料理は私も好きだしおいしいのだが、美味しくないの……?」
「いや……ええとな……」
「そうですっ、リーンズィさんの言う通りですっ。謙遜しないでください、FRFにマスター・ペーダソスのお店があれば、どの都市でも大盛況ですよっ」
「……疑っちゃいないよ。お前たちがそう言うなら、そうなんだろうなぁ……でも……くそっ……」
ペーダソスはやりきれない様子で首を振った。
そして自分の代わりに偵察軍の代表として会議に出席するようシーラに命令して、バリオスとクサントスを連れて、仮設中央司令部の本陣へと消えていった。
「ボ、ボク、そこまで失礼なこと言っちゃったかなっ……」
「おいしくないのだろうか……? こんなに美味しいのに……」
リーンズィとシーラは不安そうに顔を見合わせた。
「ヒナもそんなに不味くないと思う、記憶にある料理全部病院食だけど」
「まぁ、あいつね、自分の料理がそんなに美味しいとは考えてないのよ」
レアは溜息をついた。
私だって好物にしてるのに何様よって感じよね、と悪態も口にする。
「でも、実際大した料理じゃないじゃない? あいつの素体、結構恵まれた環境で育ったらしいから、その辺を正直気にしてるんでしょうね。だからあんなママゴトみたいな料理で喜ぶあなたが、何て言うか、可哀相で見てられないのよ」
「ペーダソス様は何も怒ってはおられませんよっ。リクドーもサードも、安心してたくさん食べてくださいねっ」
リーンズィはほっとしたが、リリウムのフォローも、シーラにとっては全く腑に落ちるものではないようだった。
「普通にご馳走だし、量もあって嬉しいんだけどなぁ……。でも、大昔からいる不死者は、きっと、色々大変なんだね」
『そうだねぇ……FRFだとあんなのお祝いの席でも出なかったしぃ。難しいねぇ、二千年前の人類って……』
サードも不思議そうだった。
シーラには、何がマスター・ペーダソスを悲しませたのか、全く分からないようだった。




