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アフターゾンビアポカリプスAI百合 〜不滅の造花とスチームヘッド〜  作者: 無縁仏
セクション4 殺戮の地平線  世界生命終局管制機 アルファⅣ<ペイルライダー>
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セクション3 第百番攻略拠点接収作戦 その1 モーニングセット提供所・前線部隊特別サービス支店(1)

 早朝のクヌーズオーエには煙が立ち込めている。死してなお死なぬ者を焼き尽くした後に烟る永遠の死灰が淡く降り積もる。幾つかの建造物は崩落しており、幸いにも災禍を免れた家々の壁面には、目に見えぬ蕃神に捧げられた供物の如く、この世にあらざる人型の狼、世界が終わるまで腐敗し続ける肉腫の人形、八つの頭と六本の腕に拗くれた馬のような下半身を持つ異形の騎士といったものが、磔にされていた。

 いずれも中心を貫くのは不朽結晶製の槍だが、大方の凶器は路上から抜き取られた雑多な標識の群だった。言葉ならぬ言葉、文字ならぬ文字、数多の図像を設えられた交通標識が、不滅の怪物たちを刺し貫いている。右折禁止落石注意濃霧注意止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ……。


「心臓圧迫よし。手脚拘束よし。頸椎破壊よし……」


 蒸気甲冑で完全武装した兵士たちが、そうした無力な怪物どもを見上げていた。

 先頭の一機が視界に浮かぶチェック表にハンドジェスチャでサインを入れていく。

 後ろには様々な造花を頭蓋に突き刺した乙女たちが控えており、互いに触れあい、声を交し合い、愛を確かめ合い。沈静化の聖句を放つための調律を進めている。

 誰かが「あら?」と息をついた。「心臓の槍が抜けてしまいそうに見えるわ」

 兵士が振り返った。指差す方向を見た。

 獣の一体が、まさにずるりと滑り落ちてくるところだった。胸に突き立てられた槍はアスファルトへ落下し、全身の標識も筋骨の隆起で押し出されている。

 主要臓器の損壊を免れた悪性変異体はいとも簡単に拘束を脱するのだ。


「ああ?」チェック作業中の兵士が不愉快そうな声を漏らした。「何にもよくないじゃねえか」


 アイドリングしていた蒸気甲冑の排熱孔が、その瞬間に赤い熱波を吐いた。

 獣が着地し牙を剥く前に兵士の姿は掻き消え塵埃の浮かぶ空間が弾け飛ぶ。

 甲高い破裂音が轟いた。

 大気を旋風が切り裂き蒸気機関から伸びた煙が不規則な軌道を虚空に刻み込む。

 一刹那のうちに蹴り上げられ空中をなされるがままに運ばれる狼に似た獣。その悪性変異体の全身に後続の兵士たちが新たな拘束具を投擲しあるいは直接突き刺しあるいは電磁加速して撃ち込む。

 僅か二秒足らずの再捕縛。

 聖歌隊の少女たちは一連の作業を特に感慨も無さそうに見送った。


「隊長は何見てよしって言ったんですか?」兵士の一人が尋ねた。


「うるせぇや。元はお前らのミスだからな。あーあ、最初からチェックのやり直しだよ」


 着地し、オーバードライブの排熱を蒸気機関から吐き出しながら、ハンドジェスチャを繰り返す。


「心臓破壊よし。手脚拘束よし……」


 兵士たちは永遠なる歌姫たちに引き継ぎを行うと、次の建造物へと移っていった。

 建造物から建造物へ。獣から獣へ。処刑場から処刑場へ。

 粗製濫造された磔刑台の群れへ……。

 そこかしこに悪性変異体が拘束されていた。さながら磔刑という景色を量産する工場のようであり凄惨さや壮絶な空気は微塵も存在せずただ淡々と終着点だけが生み出され響き渡る乙女の声がいっそうその虚無的な景色を強く彩る。

 磔の獣が呻けど唸れど、その体に自由はない。苦痛に対しての抵抗すら鈍麻していく。隊列を組んだ少女たちは入れ替わり立ち替わり同じ効果を持つ異なる聖句を獣たちへ刻んでいく。

 行進聖詠服から晒された肌を朝露に濡らしながら狂える神の旋律を輪唱し、永久に滅びることのない獣たちを慰め、宥めている。

 少女たちは、始点は違えども、合流する先をたった一人の聖少女に定めている。

 白銀の髪をなびかせる非現実的な美貌。

 星のない春の夜を貼り付けたような暗く温かい行進聖詠服。

 大主教リリウムと、その親衛隊だ。冥府まで連なる少女たちの隊列は、漆黒のマーチング・バンドのような装束で揃えられており、聖少女の背負う蒸気器官から軽やかな歌声とぎこちない機械仕掛けの音律が響く。

 己の信徒を狂わせる絶対の声が、刻まれた歴史の如く、偽りの運命の如く、長く、長く都市に(こだま)する。大主教にして聖少女たるリリウムの親衛隊たる少女たちは、入力される命令言語に報酬系を操作され、人工脳髄で演算される偽りの魂から脳を通して生じる純粋な歓喜に身を震わせつつ、頌歌ならぬ頌歌、聖歌ならぬ聖歌を奏で続ける。

 神はおるまい。楽園は来たるまい。しかし聖少女は確かにここにいる。全世界を不死病患者で埋め尽くした異教の巫女はここに居る……。

 かつて世界を終わらせた形無き歌が、不死のひしめく崩壊した市街へと降り注ぐ。

 この絶滅の時代に。



 朝から昼に移り変わる時間帯には、クヌーズオーエのショッピングモールの周辺は、数え切れない程の不死の兵士でごった返していた。


「まだまだスープのおかわりはあるからな! コーヒーもあるぞ!」


 中央のモーニングセット提供所・前線部隊特別サービス支店で、ペーダソスは上機嫌で鍋にコンソメの塊を投げ入れる。

 臨時雇いのスチーム・パペットが、廃棄品の機関銃の銃身で、大鍋をグリグリとかき混ぜた。

 油のせいで風味が台無しになるはずだったが、正常な味覚を持っている機体などもう存在しないので、何の問題もなかった。

 偵察軍を構成する機体は忙しく野外厨房を行き来し、ペーダソス、Tモデル不死病筐体の持ち主にしてアルファモデルであるマスター・ペーダソスの指示に従って奔走している。彼らは生前の朧気な料理経験、あるいは誰かの見様見真をしている同僚のまた見様見真似で模倣して、食材を着々と処理し、腕を突っ込んで鍋をかき混ぜ、さほど意味は無いが湯の温度も確かめる。壊れたハンドルをスパナで代用した骨董品のミルで本物のコーヒー豆を挽き、申し訳程度の適当な抽出で色つきのお湯を作り、本来食事を必要としない不死の兵士たちが軽食を求めて寄ってくるのに、手際良く対応している。

 生きている人間相手ならば、何もかもに問題のある調理だ。クヌーズオーエ解放軍に所属しているのは壊れるその日まで活動するしかない不死の兵士だけで、何がどうなろうと命に別状がない。死ねないこと以上の問題は、究極的には問題ですらない。

 作られた品々は全く粗末なもので当初は兵士に不評であった。しかし、テント小屋で給仕を務めるレーゲントたちの手に渡ると途端に華やかな何かへと早変わりするもので、普段は全く食事を摂らない者にも、結局は頗る評判が良かった。生前の神経発火が美貌を持つ少女に対して脆弱性を抱えているためだ。人間は皆、美しい者に対して深刻な脆弱性を持つ。最も美しい時代に時間を止めたレーゲントが、愛想よく笑うだけで、兵士たちは淡い光に集まる蛾のようにフラフラと誘導された。


「パンもありますよ、甘い物もありますよ。皆様、ご苦労様でした」


 絶大な人気を集めるのが、元大主教のエージェント・ミラーズだった。頭の後ろでふわふわとした金色の髪を纏めたミラーズがその未成熟な美貌を誰しもを狂わす媚笑で飾り、白い首筋に食い込む首輪型人工脳髄を扇情的に見せつける。その度に言葉の節々に仕込まれた魅了と隷従の聖句が発動し、兵士の列があからさまにそこに集中するのだが、すかさず偵察軍の幹部が割り込んで、「はいはいー空いているところに別れて並ぶスよー」「どこに並んでも商品は同じだからな!」と事務的に散らしていく。

 純正のレーゲントから墜ちた現在のミラーズの聖句に、スチーム・ヘッドを意のままに操るほどの力は無い。干渉を受けた兵士たちはすぐ正気に戻り、自分の行動異常を自覚することもないまま偵察軍の指示に従った。

 軽食を胃に落とす、というのは平均的なスチーム・ヘッドにはあまり好まれない行動で、費用の問題もあるが、深刻な疲弊状態にある機体にだけは一定以上の効果を発揮する。誰しもがかつては飲食で疲労を癒やしていた。その活動の記録を強制的に励起させて肉体と精神の安定性を向上させるのが喫食の効果である。食べ過ぎると当然に吐くが、少量であれば薬のように働くのだ。

 しかし、精神的な疲労が深刻な兵士だけは、他の何にも反応を示さない。

 古い時代の大主教の言葉にのみ従おうとする。

 ふらふらとそのまま道を進み、ミラーズの前に辿り着いて、その小さな手に触れる。


「ミラーズ。ミラーズ、いや、ミラーズ様……なぁ、いつまで続ければいいんだ? いつまで……そうだ、急に思ったんです、俺がこの体になって何年経ってるんだ? この戦争が終われば家族と会えるって……それなのにここはどこだ? この薄暗くて寒い場所は? いつになれば俺は祖国に……」


「あら、ビールとベッドがご所望のようね?」


 ミラーズが微笑むと、傍に控えていた聖歌隊の他のレーゲントが頷いて、ミラーズを遙かに上回る強力な聖句で以て兵士の誘導を始める。

 歌声と蠱惑的な微笑に絆されるがままに、兵士は物陰に消えていく。


「ありゃー、またスか。これだけの期間続けてるのに、オーバードライブ酔いの人そこそこ出るの不思議スね。慣れないもんスか、アレ?」とバリオスが不思議そうに首を傾げるので、クサントスは「オーバードライブを長時間使い続けると、物凄い勢いで脳内麻薬が分泌される反動で、しばらく頭がバカになるんだ」と訳知り顔で説明した。


「そうなると、自分が自分じゃなくなるわけだ。いや、自分が自分に戻ってしまうんだ。生きてた頃の感じが戻ってくる……。俺はあの反動が気持ち悪くて戦闘用を辞めたんだ」


「ふーん。それは大変だったスね」バリオスはどうでもよさどうだった。「ミラーズさん、オーバードライブってそんな気持ちいいスか?」


「そうですね。苦痛以外に快楽があるのは確かです。だけど『清廉なる導き手』のレーゲントや信徒にとっては、正気を失うほどではないでしょうね」


 つい、と視線を向ける。

 獣どもの封印を監視しているリリウムの隊列が丁度通りがかったところだ。拡声器の声に喜悦の涙を零し、頬を紅潮させながら獣たちの間を行き来するリリウム親衛隊の少女たち、そして彼女たちの生きた拡声器として支配されている不死病患者の群れを眺める。

 リリウムに継続的に精神を操作される者は、生前も死後も生半可な刺激では壊れなくなる。祝福と呼ばれる変質が肉体に現れ、同時に至上の歓喜で以て聖少女の意志に従うようになる。

『大聖堂』から放出される構造化された原初の聖句に長期間暴露した人間は、通常、二度と元の形には戻れない。世界を完璧に染め変えられてしまい、戻るべき形すら忘れ果てる。

 親衛隊のレーゲントたちの身分は聖歌隊でも高いが、通常は実態としての権力を持たない。彼女たちはリリウムの聖句によって自我を塗り潰された存在に過ぎず、言葉は全てリリウムに由来する。止めどない快楽物質の奔流により、聖なる僕として永久にリリウムに奉仕するのだ。

 ミラーズを見て、リリウムが花のように微笑む。軽く手を振ってきた。

 視線を逸らすのが外れたバリオスがその魔性の微笑に巻き込まれた。

 心臓を抑えて「はうっ!」と呼気を漏らして膝をつきそうになったバリオスのヘルメットをクサントスは力任せに殴った。それでもバリオスは焦がれたような目つきでリリウムを見つめる。

 リリウムの超越的な美貌は、人間的な感性を持つ知性体にとってが弾丸よりも遙かに危険だ。人間味というものを欠いた、血の気を感じさせない淡雪のような滑らかな肌だけでも、人間の認知にするりと滑り込んでくる上に、顔貌は神像よりも遙かに整っている。そうして視覚から意識をハックされてしまえば、生体脳髄が、構造化された聖句を容易く受け入れてしまうようになる。

 そしてその効力は、大主教ならざるレーゲントとは比較にならないのだ。


「り、リリウムさま、リリウムさま、リリウムさま……」


「起きろ、起きろ、起きろ、起きろ」

 

 クサントスはバリオスの頭を叩き続けた。両者とも女性の肉体を使っているため、傍目には少女同士で戯れているだけに見えるが、拳がヘルメットを叩く度におぞましい音が響いた。少女期で不死となったバリオスの肉体の拳が砕けているのだ。

 リリウムの聖句は絶対的だが、クヌーズオーエ解放軍においては対処法も広く知られていた。対聖句用の聴覚フィルタは広く適用されており、リリウムの聖句のような超抜用の命令言語を浴びても、暴露した機体に物理的な衝撃を叩き込んでやれば、効果は大抵はキャンセルされる。

 あちこちで油断してリリウムを直視したスチーム・ヘッドがよろめき、我を失いかけていた。

  

『お母様、リーンズィはまだお仕事の最中でしょうかっ。わたくしも今日こそ一緒に朝ご飯を食べたいのですがっ』


 拡声器から響き渡る弾む声に対し、ミラーズが「まだウンドワート卿とお仕事をしている最中ですよ」と返事をする。

 リリウムは『むっ、ウンドワート様と一緒ですか……急がないと今日の朝を独り占めされちゃいますね!』と見た目相応の可憐さで、むくれたような演技をした。


「そんなの、少しここで休んでからにすれば良いではありません」


『わたくしはリーンズィに愛を注ぎたいのですっ。聖ハリストスもこう仰っています、何かを誰かに与えるとき、心に未練があってはならないと……。つまり、わたくしが真の愛をリーンズィに示せるのは、自分の仕事を終えた後だけなのですっ』


「大主教リリウムー! 何度でも言うから、何度でも聞いてくれ、聖句使うのと立ち止まって会話するの、同時にやるのやめてくれー!」


 ペーダソスが聖句を掻き消すように叫んで、しかしやんわりと抗議した。


「折角のクヌーズオーエ公認モーニングセット提供所なのに聖句のせいでみんなノックアウトされちまうよー!」


『ああっ、失礼をいたしましたペーダソスっ。皆様、それではっ!』


 この短時間で周辺にいた相当数のスチーム・ヘッドが惑わされ、狂いかけたが、いずれも同僚が粛々と振るう暴力によって正気に戻った。

 リリウムの聖句に対し耐性を得ているレーゲントとミラーズだけが、大主教、そして化学物質と命令言語に操られるがまま法悦の時を過ごす少女たちの、その軍勢の移動を見送った。

 一人軍団(アウスラ)は誰しもが一機にて当千を誇る。リリウムの場合は事情が些か異なった。彼女はアルファⅡウンドワートと同じく戦略レベルの戦力であり、しかも聖句の射程がおそろしく広いため、通常の機体と合わせての運用が難しいのだ。そのせいで専ら『大主教』という別のカテゴリで扱われている。


「あああ、頭の中がまだシュワシュワするぅ……」


「あの子の透き通る氷河の眼差しを見たのね。無理もありません」


 バリオスはすっかり目を回してしまっていた。クサントスの肩を借りてやっと立っている状況だ。


「リリウムの聖句って、何度食らっても慣れないスうううう……」


「あんまり大主教リリウムを見続けるな、クセになって反射的に見てしまうようになるぞ。俺はレーゲントのボディを使っているから平気だが……」


「ふふふ。身を以て分かっていると思いますが、大主教リリウムのエンハンサーになってる子たちなんかは、たぶん、もうオーバードライブぐらいじゃ物足りませんね。身も心も蕩けさせられて永久に祈りを捧げたくなる、そういう類の快楽があるらしいです」


 すると、かたわらの虚空に少女の写し身が出現した。

 ミラーズと同じようでいて、それでいて表情には耽美と退廃よりも、玲瓏の色彩が強い。

 彼女はどこかむくれたような表情で、そっと幻影の手をミラーズに這わせた。


『疑義。それでは当機との交歓とリリウムへの隷属、どちらが快いのでしょう? 少しだけ嫉妬してしまいました』


「そんなの、あなたとの触れあいに決まっているわ、あたしのユイシス。意地悪なことを言ってあたしを試さないで……?」


 頬を赤らめながら、かつての大主教は応えた。

 統合支援AIの幻影と愛を確かめながらも、ミラーズは正気でリリウムの来訪を乗り切ったベテランの客に対し、口に含む程度しかスープが入っていない皿、パンひときれの盛り合わせと各種ジャムが乗せられた皿、シロップ容器に入れられたコーヒーの乗ったトレイを警戒に手渡していく。二人とも互いに夢中なようでいて、一方では正確に職務をこなし、会計は戦術ネットワーク上に展開された統合支援AIユイシスが代行していた。

 戦術ネットワークへ接続されている都合上、ユイシスとミラーズのやりとりは他の機体にも可視のものだ。恋人を前にした、同じ形に違う精神性を宿す二人の顔とまじわりを、生者を愛欲に狂わせる程度には艶やかだ。

 しかし、リリウムに平気で対処できるほどの歴戦のスチーム・ヘッドならば生理的な三大欲求などとうの昔に喪っている。精々が「あ、レーゲント劇場だ」と僅かに関心を示す程度だ。

 愛憐と情欲で駆け引きをするのは、クヌーズオーエ解放軍では基本的にレーゲントに限られ、多くの兵士たちは記録映像や彼女らの交歓を通して、色恋の華やかな楽しみを朧気に思い出す。直接的な情欲に狂うのは、人格記録として余程幼いか、破損が表れつつあることの証左であり、そうした機体はすぐに担当のレーゲントに連行されて調律される仕組みだった。

 ミラーズもバリオスもクサントスも、おおよその点では手慣れたものであった。

 料理を作り、提供し、簡易な診断を行って誘導し、修理する。

 違う場所、違う都市で。

 同じ面々に対し、同じようなことを、もう一ヶ月も続けていた。



 解放軍の兵士は、既に仕事を終えた後だった。

 周辺の全ての不死病患者を屋内に押し込め、悪性変異体を物理的に封印した。

 後はレーゲントたちの聖句による沈静化の仕上げを待つのみである。


『第百番攻略拠点までもうちょいだー、おめーら、それまでくたばるんじゃねーぞ』


 のしのしと不朽結晶の巨体を動かしながら、筒状の頭部センサーを回転させるファデルが呼びかける。ファデルの放つ合成音声は粗野な印象を意識して作られており、レーゲントの聖句とは異なるレベルで無意識に集中させるような力がある。

 その実、威圧感と言うべきものはまったく込められていない。さほど目立たずとも影響力を行使できるのがファデルの技巧だ。


『死んでも死なないからって、休むのを怠るなよ。お前らのボディや甲冑ほど、中身の精神は頑丈じゃねーからよぉ』


 その後ろでは、兎型の大鎧がファデルのパペットと動きを同期させて自動歩行している。

 解放軍最強のスチーム・ヘッドと名高い一機、アルファⅡウンドワートの大型蒸気甲冑である。

 そして今日、兎の頭頂部にはライトブラウンの髪をした少女が座っており、彼女の鎧の左腕が支える上には、おそろしく華奢な不健康そうな白髪の少女が、透き通る肌のその耳の先までを羞恥の色に染めながら、懸命に声を張り上げていた。


「み、みなのものー! 大いに飲め! 大いに食べろ! この遠征での娯楽費はぜんぶわた……わ……ワシと、あとリーンズィの奢りじゃー!」


 リリウムにうっかり反応してしまうような兵士は元より、聖句を完全に無視して活動できる真なる歴戦の猛者であっても、彼女の声は無視できない。

 甲冑を外し、無表情でそもそと配給食を味わっていた兵士は、その声にハッとして立ち上がる。

 アリス・レッドアイ・ウンドワートを、仰ぎ見る。

 コートとボディスーツを纏っただけの矮躯を仰ぎ見る……。

 生身を晒してまでリラクゼーションを命令してくるその解放軍最強の勇者へ向かって、彼らは歓声を上げた。アルファⅡモナルキア・リーンズィの腕の中でワタワタとしている、崇敬するべき最強戦力に向かって熱心に手を振った。


「ウンドワート! ウンドワート!」


「ウンドワート卿万歳! 昨晩の戦闘も最高だった! 軍神だ! 俺たちを導いてください!」


「あっウンドワート卿が俺を見たぞ! 俺の活躍を知って下さってるんだ!」


「いやお前の抱えてる猫を見たんだよ」


「俺と目が合った!」


「バイザー降ろしたままじゃん、どうやって目を見るんだよ」


 にゃー、と甲冑に抱かれる黒い猫が鳴いた。

 ロングキャットグッドナイトが傍に寄ってきて「猫もそうだそうだと言っています」と補足した。

 二人は驚いた様子でその猫っ毛の少女を見た。

 少女がさらにもう一匹の、毛並みの良い斑模様の猫を抱いているのを見た。

 二人はアルファⅡウンドワートではなく、どうしてか、彼女に注目せざるを得なくなった。

 少女の黒々とした波の渦巻く不可思議な瞳、感情の伝わってこない呟きのような朴訥とした声が、染み入るように二機の精神を冒していく。


「……誰だ。猫回し職人か?」


「誰? 誰ですか?」


「おはようございます。ロングキャットグッドナイトです。挨拶は大事です」


「あ、ああ、おはようございます。ロング……?」


「おはようございますっていうか、自分ら一睡もしてないけど……誰、っていうかロングキャット……グッドナイトさんは猫語でも分かるの?」


「いいえ、分かりません。しかし私キャットの心は常に猫と共にあります。キャットの福音書第三節一章にも在るとおり、猫は一日に十六時間眠ります。何故かというと、人間がぜんぜんおやすみをしないからです。ハリストスは人類の原罪を神様にクーリングオフするときゴルゴダの丘でおやすみをなさり、ネコ・ネコ・フワフワ・サワリタイの言葉を残して父なる精霊とともに猫の国へ向かわれました……」


「何か色々ごっちゃになってないか?」猫を抱く兵士は困惑した。


「猫もまた贖罪のために眠っています。眠らないことは罪ではないので、正しくは贖おやすみです。人類の眠たさをあがなうために猫は日夜とても頑張り、いっぱい眠っているのです。一日は二十四時間しか無いので、つまり猫の一日は間寝ている間に見る夢のようなものです。だからこそ目を見開きおやすみの猫をモフモフする私キャットたちは、いつでも新しい毎日をおはようございますしなければなりません」


「これは安らぎの猫です」と少女は猫を高く掲げた。

 猫がにゃーと鳴いた。

 猫と遊んでいた兵士も何となくそれに従って猫を掲げた。

 猫がごまんぞくするのを見て、少女は、よしとされた。

 猫と戯れていた兵士もなんとなくよしと思った。


「二人ともそれ何?」蚊帳の外におかれている兵士が心底戸惑った。


「主は雲の上にある広大な猫の遊び場で猫を膝に乗せて暮らしていて、とてもごまんぞくなのですが、地上の擾乱を憂いてもおられます。そこで、お膝から憐れな眠らざるものたちのもとに猫を遣わしてくださるのです。猫は強く尊き者の心が疲れ果てて冷たくなっているのを憐れみ、寄り添います。あのウンドワート卿は、猫の真なる姿を知る御方です。そしてウンドワート卿は、猫の太陽の如きポカポカ、毛皮のふわふわの尊さをも、よく知る強く尊いお人です。だから猫を見て、そして猫の傍らにある者の勇気を見るのです。強き人を癒やすためにこそ、猫は訪れるので……」


「あ? どういうこと、つまり」


「ああ……分かったぞ、つまりウンドワート卿は猫を通して俺を見て下さったと言うことだな……」


「つまりそういうことです」ロングキャットグッドナイトは猫を掲げた。


「やっぱりを俺を見たんだ!」兵士も猫を掲げた。


「お前、今のでよく何言ってるのか分かるな……いやでもマジでこいつ誰? ロングキャットグッドナイト……覚えたぞ、でもぜんぜん思い出せん。こんな特徴的な名前忘れるわけないのに」


 兵士は相棒と遊んでいる猫の口元へと指先で掬ったジャムを運び、舐めさせた。

 猫の頭を撫でながら、兵士の声は熱病患者の如き震えを帯び始める。


「そもそも……おかしいぞ、なんでこんなところに猫がいるんだ? 猫はもう絶滅した。そうだろう。猫なんてみんな死んだ。生きてるのも突撃隊の連中が遊びで殺しちまった。猫はもういないんだ。こんな環境で不死病患者以外が生きていられるわけがない、そうだ、思い出したぞ、猫、猫猫猫猫……猫? お前、い、いや貴方様は、大主教ヴォイニッチの……何でこんな……俺たちは、俺たちは今まで何を……何だ!? どうなってるんだ!? FRF……どうしてまたあのクソ人類を殺さないといけないんだ!? い、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ……」


「おつかれのようです。()()()()()()


 命じられて、兵士は眠り、そして目覚めた。

 ロングキャットグッドナイトは「猫セラピーです」と言った。


「う。なんだ? システムダウンか……? ログが消えてる……」


 怪訝そうに呟きながらロングキャットグッドナイトから猫を受取り、それからは何も疑問に思わず、刻限までひたすら猫と遊び続けた。

 彼らの心は猫とともにあった。そして仰ぎ見る。すぐそこに、最強にして至高の兵士であるアルファⅡウンドワートがいれくれる、そして彼女を大鎧から外に連れ出した新しい一人軍団(アウスラ)、アルファⅡモナルキア・リーンズィもいてくれる。姿は見えないが最強の剣士であるケットシーも近くに居ることだろう。

 キュプロクスの突撃隊が粛清された当時にも匹敵する戦力で、しかも皆が心を一つとしている。あの頃とはもう違う。

 何も心配することは無いのだ。

 兵士たちは安らぎに身を任せ、それ以上は、何も考えなかった。



 レア、アリス・レッドアイ・ウンドワートは、先天性の色素欠乏で真っ白な肌を余すこと無く赤く染め、ボディラインの浮くスーツにボマーコートを羽織っただけの姿で、自棄になってジタバタしながら、兵士たちに休憩を呼びかけ続けた。

 通りがかり、兎の蒸気甲冑の上から声を聞かせる度に、兵士もレーゲントも自発的に作業を止めてウンドワートを見つめて、熱心に返事を為てくる。

 そしてレアも、羞恥と歓喜が入り交じった複雑な顔で、手を更に大きく振るのだ。

 レアは元来、他者からの視線を拒絶したがる機体だ。男性であろうが女性であろうが、みすぼらしい体つきをした、真っ白な色の、いかにも嬲りがいがありそうな自分を見られたくないと、本心では思っている。

 それでもレアは、こうして戦意高揚の偶像、軍神の虚像となることを、自由意志で以て選択した。



 第百番攻略拠点接収作戦。

 今回の攻略戦は、時間経過との戦いだった。

 投入される戦力としては過去に例がないほど重厚だった。アルファⅡウンドワートを初めとした最高峰の機体までも惜しみなく投入され、それを支援する機体群も十二分に配備されている。

 野良スチーム・ヘッドだったケットシーを駆り出す際に用意された精鋭部隊と違うのは、これらの部隊が継続的な戦闘を前提に編成されていることだ。規模は数万に及び、ありとあらゆる分野の上位層が集結している。一つ後ろのクヌーズオーエには予備戦力まで備えていた。

 それを全力で稼動させて、不死の軍勢は突き進んでいた。解放軍の中央司令部がリアルタイムで計画を立案・修正し、兵士たちがそれを最高効率で進行させる。不眠不休で戦い続け、それと同速度で考え続けることが可能な、スチーム・ヘッドという生ける屍だけで構成された軍隊にしか成し得ぬ、極めて負荷の高い作戦であった。

 現実的には、実戦部隊にはクールダウンを行う時間が必要だが、それを差し引いても現状のクヌーズオーエ解放軍は、都市制圧戦において一つの到達点に至っている。過去の如何なる軍隊が立ち塞がろうとも、彼らの進行を止めることは出来ないだろう。


 第百番攻略拠点は狂える大主教ヴォイニッチによって支配され、解放軍の直接の占領下に無いが、それ自体はこの作戦に至っても、さほど問題視されていなかった。

 大主教ヴォイニッチは戦闘を拒絶する大主教で、強引な軍事行動に対しては強硬だ。精強な軍団を選りすぐって向かわせたところで、万里に及ぶ言詞障壁と信徒を改造して作った不滅者の軍勢で対抗してくるだろう。

 だがヴォイニッチは、ある種の現象、形無き何かへと変貌して尚、解放軍で最も理知的な存在として君臨し続けている。決して怪物に成り果てたわけではない。

 道理があっての行動ならば容認するし、例えば敵対組織との和平交渉が主目的であれば、過激な攻撃はしてこない。そのはずだった。

 今回は攻撃のための進行ではない。むしろ、その逆だ。

 接収自体はさほど困難ではないと試算されているし、リリウムがその点は実際に合意を得ている。


 障害となるのは、第百番攻略拠点までの進路そのものだ。

 大主教ヴォイニッチとの最低限度の連絡は、彼女の使徒であるロングキャットグッドナイトや、単独で数万の不死病患者を操るリリウムなどの超越的な一個人に任されていた。

 多少の連絡のために寡兵が通過する程度なら容易い。しかし行軍用の道路は十年以上前から保守されておらず、かつ現在どのような再配置が実行されているのかすら正確には記録されていない。

 元来汚染度の高いクヌーズオーエが集中していた地帯であるため、拙速に踏み入れば部隊が消息不明になりかねない。

 すなわち、蒸気甲冑と銃火器や刀剣で完全武装したスチーム・ヘッドやパペットの軍勢であっても、安全は保証されていないという環境である。

 このルートの踏破と確保こそが、作戦の主目的だった。

 通常と同じ手順で慎重に探索するならば、それでも何の障害もない。規定の戦力を展開して、調査・捜索・収容・占領のプロセスを丁寧に進めれば良いだけだ。

 一週間から二週間もかければ、全ては犠牲を出すことなく終了するだろう。

 だが、それでは遅い。

 攻略拠点の何十倍もの速度で時が流れるFRFに対して、一つのクヌーズオーエにそれほど日数を割けば、その分だけ手遅れの度合いが増していく。


 今回の肝は、都市を接収するまでのサイクルを、考え得る最高の効率で回すことにこそある。

 理論上、一つのクヌーズオーエの完全な探索と制圧は、四十八時間未満で完結可能だ。

 大主教リリウムやウンドワート卿といった最高戦力まで投入してようやく達成可能な速度であり、容易ではない。最悪の場合、犠牲が出ることも想定されている。しかし、可能なのだ。

 この極めて困難な作業を、第百番攻略拠点に到着するまで文字通り終わりまで延々と繰り返す。

 慎重に取り組むのであれば第百番攻略拠点の接収作業に大仰な看板は不要であり、通常任務の延長線上の活動に過ぎない。

 全軍を挙げて最速での接収を目指すからこその『作戦』であった。

 

 現時点で、放軍は既に路程の七〇%以上を踏破していた。

 最短で四〇個程度のクヌーズオーエを越えることになるとされていたが、三十個の都市を制圧して、破壊されてしまった機体は幸いにも出ていない。

 だが、損耗はある。

 不死の兵士を用いるにしても、自我の疲弊は避けられない。

 戦闘用のスチーム・ヘッドには剣も銃弾も通じない。戦闘用ならば音速を超えた不可視の速度で跳ね回り、尋常の神経系では検知することも許さず敵を屠る。だが長時間のオーバードライブは肉体を駆動する偽りの魂を着実に蝕む。

 戦闘用スチーム・ヘッド以外にかかる負荷も埒外だ。探索には絶え間ない緊張が伴い、全く違う同じ都市を幾つも調査する。この異常行動の反復は、例外なく人間性の摩滅を加速させる。

 物理的に破壊されることはないにせよ、聖歌隊による現地での即座のメンテンスが必要になる機体すら現れると計画立案の段階で既に危惧されていた。そしてそれは現実になっている。

 精神的な死を迎える機体が現れた場合、自我の崩壊は連鎖的に波及していく。

 その最初の一機が出た時点でプロセスを減速させる。

 アルファⅡモナルキア・リーンズィがFRFへの対処として求めた方針に対して、クヌーズオーエ解放軍中央司令部が示した妥協点がそれだ。

 レーゲントの聖句活用を前提としても、実際のところ、プロセスの完全な遂行は難しいと目されていた。スチーム・ヘッドは生前の精神性をなぞり続ける生きた機械としての性質を持つが、しかし似た環境で同じことを繰り返すには不適だ。常に新しい刺激と自己欺瞞を取り込まなければいとも簡単に壊れてしまう。

 軍団長ファデルは理解を示してくれたが、変わらぬ風景での反復作業を高負荷で実行するクヌーズオーエ高速踏破は、端的に言ってリスクが高い。

 

 その脆弱性のケアのために、レアが名乗りを上げた。

 士気を上げるために我が身を晒す。

 その決意をしたのは、他ならぬレアだ。

 頑なに自分の殻に閉じこもり続けた機体が、リーンズィ発案の作戦のために、忌避してきた行為を解禁すると決定したのだ


「わたしが顔見せすれば、みんな盛り上がるに決まってるわ。強いし無敵だし偉大だし、その……こんなにかわいいんだもの! か、可愛いわよね? 可愛くて綺麗よね? リゼこうはい、これってわたしの自意識過剰とかじゃない……わよね?」


 接収作戦の開始が決定された頃。

 工房で、エプロンドレス姿のレアは、のぼせ上がった顔で見得を切った。自分自身の言葉に発狂しそうなほどの羞恥を覚えているようだったが、リーンズィもレアの自己評価には同意だった。Tモデル不死病筐体の精悍な美貌に少女期に特有の儚さと色素の薄い髪や素肌はそれだけで値千金の繊美をもたらす。手縫いのフリルがあしらわれつつもレーゲントたちの薄着を参考に裾を切り詰めたエプロンドレス姿は純粋に可愛すぎたのでその場で三度も接吻してしまったし、レアも恍惚としていた。

 レアが自分の肉体の魅力に自信を持つようになって随分と経つ。

 触れあうたびに、リーンズィはあらん限りの言葉と行いでレアの愛らしいこと、美しいこと、無欠であることを褒め称え、彼女を愛し、レアもまたその情念に甘えて、それ以上の重さの愛欲でリーンズィに応えてきた。レアは愛するリーンズィを通して、確かに自分をも愛するようになっていた。

 自己否定的な強烈な脅迫観念が弱まれば、レアも自然と逃げ隠れするのをやめるようになる。リーンズィと一緒なら、早朝以外の時間帯でも肉体だけで出歩けるようになった。ひと目を憚らず自分を愛してくれるライトブラウンの髪をした少女を求め、愛し、他の機体にも面と向かって挨拶が出来るようになった。

 無闇に怒り狂い、暴力を振るうことも、明確に減った。

 しかし、それでもまだ、大勢の前に姿を晒すのは、相当な勇気が必要なはずだった。


「みんなに何を思われて、戦術ネットワークでどう扱われたって平気よ、だって私が最高で最強の一番のスチーム・ヘッドなのは変わらないんだから。いくらでも道化として踊ってやるわ」


 そう強がってはいて、実際にその通りに振る舞っている。

 今日で連続一ヶ月近い慰問行為だが、それでもまだレアが内心で怖がっているのは、リーンズィには痛いほど理解出来た。鼓動や体温、視線の動かし方で、愛しい人の不安の神経発火など、簡単に分かってしまう。肉体に永らく刻み続けられてきた精神活動の履歴は、そう簡単に消えて無くなるようなものでもない。

 レアを安心させたいのと、あと彼女に邪な感情を向けている者は居ないかという極めて個人的な猜疑により、リーンズィは、兎の大鎧の上でパフォーマンスを行うレアに向けられる視線、そして戦術ネットワーク上を流れる情報を片っ端からユイシスに解析させて、その感情の質を測定していた。

 リーンズィは気になっていた。現在のリーンズィの価値観においては、レアせんぱいは殺人的な可愛さと綺麗さを真実併せ持つ存在だからだ。恋敵が現れるなど想像したくも無かったしライバルには牽制をやっていかなければならない。そして幼いリーンズィには、裏でレアのことを悪く言う機体が居ることさえ許せないのだった。

 解析を生真面目に確認しつつ腕の中のレアの甘い香りを楽しんでいく。

 その類い希なる白の美貌へと時折情欲が向けられているのは否定出来ないが、しかし、彼女を侮る者はやはり、一機も存在しない。

 それがリーンズィが作戦開始から現在に至るまで確認し続けている現実だ。

 そも、侮る者などいるはずもない。

 本作戦における未踏クヌーズオーエ攻略でも、難所はアルファⅡウンドワートの圧倒的な戦闘能力によってスキップされてきた。

 作戦に従事した機体は、否が応でもその常軌を逸した高速機動を目の当たりにすることとなる。リーンズィですら三度惚れ直し四度改めて求愛してしまったほど凄まじい力なのだ。理解すら拒む軍神の躍動を目の当たりにして、高揚しない兵士などいるはずもない。

 だいたいのところ、顔も所在も生まれついてその不死病筐体を遣っているというのも、とうの昔に割れていた。元大主教であるエージェント・ミラーズを通じて親レーゲントの立場であることも既に広く知られている。アルファⅡウンドワートはとうの昔に信仰の対象へと昇華されていたのだ。

 今更害意や情欲を顕在化させる機体などいるはずもない。

 リーンズィの心配は、徹頭徹尾、杞憂ではある。

 誰しもが、誰しもが最強の兵士、仰ぎ見るべき最強の機体の、その柔らかな生身へと、純粋な親愛と畏敬の念だけを注いでいる……。

 アルファⅡウンドワート。通称『ウンドワート卿』。

 解放軍で唯一『卿』の敬称で呼ばれる機体は、まさしく全軍から信任された存在なのだ。仮にリーンズィが同じことをやっても「また新入りの幹部が変なことやっている」ぐらいの感覚で流されてしまっていたことだろうが、レアは違う。顔を現し、肌を晒し、てらいのない言葉で素直に訴えるだけで、全軍が心動かされる。

 全軍が、己らの行いが正しいことを、意味のあることであることを、確信する。

 纏わり付く倦怠と疲弊とを、ウンドワートは簡単に否定してしまう。

 それほどに光輝に満ちた機体なのだ。


「みなレアせんぱいを仰ぎ見るだけで元気になるのだな。レアせんぱいはクヌーズオーエ解放軍の本当のアイドルだ。私はレアせんぱいの後輩でとっても幸せだ」


 リーンズィの熱い息を感じたのか、レアは恥らいに潤んだ赤い瞳を、リーンズィへと注いだ。少女は熱い息で漏らしながら唇を尖らせる。


「は、恥ずかしいこと言わないでよ! 照れるじゃない、まだ仕事中なんだから……!」


 軍神は、小声で貞淑に吠えた。それからそっと手を伸ばし、切なげにリーンズィの頬を撫でた。ほんのいっとき、しかし熔融した鉄のような瞳で、恋人の瞳を覗き込む。

 度重なる未来視によって赤く変色しつつある、リーンズィの瞳と視線を絡ませる。

 自分の色が移ったかのように思えて嬉しいのだと、レアはリーンズィと抱き合うとき、そんなことを、ぽつりぽつりと告白してくれる。

 ウンドワートは、しかし今、リーンズィの恋人ではなく、兵士であった。

 振り切るようにして目を瞑り、拡声器をオンにして、やけになって叫んだ。

 

『強者どもよ、知者どもよ、この進撃に敬意を払う! 我が呼びかけに応じ、骨を粉とし、身を砕くオヌシらの献身に、心からの感謝を示す! さあ、第百番攻略拠点はもうすぐそこじゃ! 各員、一層の健闘を求めるぞ! 軍神たるこのワシに、その勇士を示して見せよ! 無目的な都市探索ではない、同じ場所の堂々巡りではない、これは大義のための行軍である!』


 ウンドワート・アーマーが勢いよく腕を振るい、爪を備えた機械の五指を高く掲げる。


『これは、FRF市民を、残存人類を救うための戦いである――!』


 兵士たちは何度でも歓声を上げる。

 FRFに関連する記憶が全て解放された現在、クヌーズオーエ解放軍の兵士は絶対にウンドワートを疑わない。

 彼女は紛うことなき英雄であり、間違いなく究極の領域に到達したスチーム・ヘッドだ。

 そして、どう言葉を濁そうと、どう自虐を重ねようと、アルファⅡウンドワートを天秤を弱き者のために傾ける裁定者として認識される。

 当時の精鋭が集まっていたキュプロクスの突撃隊が一掃されたのは、彼らがFRFによるレーゲント拉致と拷問・洗脳に対し、血の報復を求め、独断で()()()()()()()()()()()()()()()()()()()からだ。

 FRF市民は、弱い。

 不死の軍団と渡り合うにはあまりにも脆すぎる。

 まともにぶつかりあえば虐殺になってしまう。どれほど憎もうとも、プロトメサイアの人類救済を補正するというのが、クヌーズオーエ解放軍の中枢にあるドグマだ。

 無論のこと、虐殺の実行などクヌーズオーエ解放軍の正常な機体は決して求めない。虐殺を単なる一つの手段として行使するプロトメサイアを止めることを目的とする集団が、どうしてそうした行為に手を染めることが出来るだろう?

 しかし暴走したキュプロクスの突撃隊は精強で、これを停止させる正規の手段は事実上存在しなかった。間違いなく味方殺しの連続になるし、双方に少なからぬ損害が出る。どの軍団も干渉を迷った。あのコルト・スカーレットドラグーンですら、自分がどうすべきかを見失った。

 ただ一人軍団(アウスラ)であるウンドワートだけが、全てをかなぐり捨てて、真っ先に対抗を開始した。

 ウンドワートは、弱き者を守るために、身を挺して虐殺を止めた英雄なのだ。

 その彼女が、こうして、隠匿してきた肉体を晒してまで奮起を命じているのだから、熱狂して賛同する以外の反応は有り得ない。

 大義名分にも真実しか無い。

 今回の進軍は、嘘偽りなく、間違いなく人類のための戦いである。

 第百番攻略拠点接収作戦とは、畢竟、忌まわしきFRF総統、プロトメサイアとの再度の接触の、その前段にあたる軍事行動である。


 クヌーズオーエ解放軍の限界に挑む過酷極まる行軍は、幾万の眠らぬ不死の手によって、万事が滞りなく進行していた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] なんだかもはや懐かしくさえある解放軍。 FRFでの日々に揺さぶられていた心がごあんしんしそうになりますが、彼らも彼らで真っ当ではない。 終わってしまった後の軍勢と、終わりを歪めてでも延命す…
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