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アフターゾンビアポカリプスAI百合 〜不滅の造花とスチームヘッド〜  作者: 無縁仏
セクション4 殺戮の地平線  世界生命終局管制機 アルファⅣ<ペイルライダー>
141/197

セクション3 試作型救世主 その1 名も知れぬ都市の檻(7)

 大型純粋機械の歯車が噛み合うかの如き重低音に、ぺたり、ぺたりと、汗ばんだ裸の足音が挟まれて、粉々に潰されている。

 前と後ろの肌を隠すだけの粗末な布きれを纏った虜囚の裸の足と、それを囲む永遠なる騎士たちの具足。二種の足音の不協和によって成り立つ死刑台への協奏曲。それが人間性から乖離した沈黙の通路、粗末なトタン板で構築された数百年の歴史を持つ『急拵えの施設』の表面を、透明な汚泥のように粘つきながら流れていく。

 虜囚の少女、ネレイスには、手枷も足枷も鎖も無い。首輪のような機械を取り付けられてはいるが、さほどの重量物でもなく、冷たいのを無視すれば苦痛は無い。走るも跳ぶも自由自在だ。

 だというのに、逃走や抵抗といった発想は、ネレイスの脳髄には微塵も浮かんでこない。戦力差を考慮すれば土台不可能なのだが、それ以上に思考を著しく制限する自由が、二本の足で、眼前を歩いている。

 塗装が剥落した、壊れかけの赤い蒸気甲冑を纏う、雌性体ベースの、背の高い不死者。

『慈悲深き者』エリゴスだ。

 かつてフェイク・ヨーロピアの後見人を務めていた彼女が、まさにネレイスの前にいる。

 言葉は無い。視線も無い。不死者エリゴスは無言で先導をしているだけだ。だが『控え室』と呼ばれる場所からネレイスを連行する寸前、エリゴスは躊躇うような仕草でネレイスの頬に触れ、そっと撫でた。

 そのとき、甘美な感情と、言いようのない罪悪感が、ネレイスの背筋を駆け抜けた。

 都市を裏切り、総統を裏切り、前市長を裏切り、我が娘たちを裏切った。

 そして都市の全ての生命資源を守り育む真に尊きもの、不死者エリゴスまでをも裏切った。

 不死者エリゴスは、基本的に畏怖の対象だ。彼女が具体的な指示を出したことは未だかつてない、ネレイスは彼女の声を知らない。素顔も知らない。だが彼女が勤勉かつ獰猛で、一晩中でもオーバードライブを起動していられる卓抜した戦士であることを知っている。

 そしてネレイスは、エリゴスがその赫赫たる甲冑の指先で、花を愛でるようにして肌をなぞったとき、彼女がネレイスと市民たちを愛していたことを、不意に知った。

 母体と子を結ぶ以上の、比類なき無私の愛情である。

 ネレイスはエリゴスの愛を裏切った。だがエリゴスの側は、ネレイスを愛し続けている。何百年経っても、まだ愛し続けている。

 そう思わせるほどに優しい指先だった。

 ネレイスは、自分の命を救うことを、ほんの欠片も、全く考えなくなっていた。

 あるいは、もっと上手に死ななければならない、という脅迫観念的な義務感を強めていた。

 というのも、裁きの場にエリゴスまでもが召集されているのは、如何にも不吉だったからだ。

 見張りをするためだけに総統の元に直参したわけではあるまい。


「……エリゴス様、まさか、あなたに累が及ぶのですか?」


 呟くような問いかけに、不死者エリゴスは応えない。



 そのうち通路が途切れて、猥雑とした広間に行き着いた。

『スタジオ』と呼ばれるその場所には、ネレイスに理解出来る限り、拷問器具は存在しなかった。金属製のパイプを組み合わせた巨大で奇怪な骨格が天上付近まで張り巡らされ、照明器具が矢鱈にぞろぞろと吊り下げられている。照らす先、中央付近には白と黒の二種類の石が敷かれた手狭なスペース。場違いなほど豪奢で大きな椅子が置かれているので、そのおかげで脚本に書かれていた『玉座の間』だと分かった。

 そのパイプで囲いをされた奇妙なスペースを取り囲むようにして、移動式の銃座にも似た黒い機械が展開しており、それぞれに不死者が取り付いている。

 あれで撃たれるのだろうか、とネレイスは漠然と考えたが、だとしても彼女が想像していたような処刑とはまるで違った。もっとおどろおどろしい生命維持装置と凶器が並んでいるものと考えていたのだ。

 三脚に乗せられた白い板のようなものが無数に設置されているのも、ネレイスを困惑させる。

 光を中央の『玉座の間』に集めるための装置に見えるが、まさかそれだけしか機能が無い装置が処刑場にあるとも思えず、総じてネレイスの理解を越えた空間であった。


 エリゴスが入り口付近で立ち止まったのに合わせて、全員が脚を止めた。

 すると例の幼い少女の不死者、ダンタリオンがやってきた。


「やあやあやあエリゴスもグレゴリの皆さんもお疲れ様ですどこかその辺りで休んでいてください休眠明けで体動かしにくいでしょうから」


 エリゴスはダンタリオンに向けて僅かにヘルメットを傾け、返事もせずその場を離れた。

 グレゴリ、とひとまとまりで呼ばれた他の不死者は、自分たちよりもずっと背の高いダンタリオンに折り目正しい敬礼をして、エリゴスを追った。


「もう。エリゴスはどうにも機嫌を悪くしているみたいですね昔は人を捕まえて持ち上げてくるくるくるくる回して遊んでいたくせに冷たいです」


「ダンタリオン様、ここが、その……処刑場、なのですか?」


「ここは『スタジオ』と言うんですまぁ無駄に広い割に処刑とかにしか使われないんですけどおやどうしたんですかそんな顔をしてそうでしょうねびっくりするでしょうこんなに沢山カメラが設置されてるんです驚くのも分かりますこんな立派なセットは初めて見るでしょう」


「カメラ……?」


「カメラを見たことがないんですかあの機関銃みたいな機材をカメラというんですよ動いているものを動いているまま映せる本物のカメラですうちの機材はすごくて特別製のフィルムさえあればIMAX撮影も出来るんですよまぁ無いのですがあるのであればアカデミー賞の一本や二本簡単に取れるぐらいのすごいやつなんですよ娯楽産業の救世主として造られたボクが映画を学習して実際に撮る前に旧人類は滅んしまったのでアカデミー賞なんてもう無いのですがIMAXフィルムを造れるところまで人類を盛り上げ直すのがボクの夢なんです何千年も見ている夢なんです」


 ダンタリオンは得意げに教えてくれたが、ネレイスには上手く飲み込めない。

 カメラらしき機械が、都市の写真技師が使うものと形が異なりすぎるというのもあるが、それ以前に、ダンタリオンの言葉は聞き取るのが難しい。

 朗々と、歯切れ良く話してくれはするのだが、総統と同じで、声音が平坦で一本調子だ。しかも、他の不死者の発話内容よりも遙かに早口で、内容が極めて雑多なため、彼女が拘っているらしい特別製のフィルムとやらが現存しているのか否かすら、いまひとつ分からなかった。

 ダンタリオンはネレイスの内心の戸惑いを意に介した様子もなく、ビシビシビシとあちこちを指差す。


「ああしたカメラで撮影した映像はボクがリアルタイムで一次補正して他の撮影スタッフに回し約五秒の編集時間のあと全都市へ一斉放送されます本当は専用の部屋がほしいのですがあいにく七百年前に地盤崩落で失われてしまい今ではああした簡易な設備で都度都度補っています」


 視線を誘導されてケーブル類を辿っていくと、それらが簡素な長机の上に山と積まれた機械に集約されているのが分かった。甲冑を着込んだ不死者たちが簡素なパイプ椅子に腰掛けてモニタを睨み付け、機械群と繋がっているらしい握りこぶしほどの小さな装置を、頻りに小刻みに動かしている。


「あれは動画編集用のコンピュータのセッティングなんです久々の生放送なのでみんな緊張しています実際のところ生放送というのは建前というかコントロール性を高めるための工夫の一つなのでこういうのって厳密な意味での生配信ではないんですけどねそもそもボクのダンタリオン・コアを通す以上何が生なのって話なんですがだって代替世界通しちゃってるわけですしそんなの現実ですらない」


「そうなのですね」ネレイスは頷いた。


 不死者の一人が鉄パイプのフレームを敏捷に駆け上がっていき何をするのかと思えば天井付近の照明器具の角度を手で微妙に変えた。

 不死者はすぐに飛び降りて地上から光の加減を確かめダンタリオンの方を見た。


「オッケーです良い感じです」と幼女は手を振った。この調整で何がどう変わったのかネレイスには全く分からなかったが「そうなのですね」と繰り返し頷いた。


 それでは所定の位置についてください、と指示された。

 返事をしながら、ネレイスはちらりとエリゴスたちの佇む暗がりに視線を向けた。

 撮影には関与しないらしい十数の不死者が立ち並んでおり、それらがじっとネレイスを眺めている。

 エリゴスだけが、ネレイスを見ていなかった。あの人はきっと見ていられないのだ、とネレイスは思った。自分がエリゴスの立場なら、我が子にも等しいものが処刑されるところなど、見ていたくない。


 刑吏役の不死者に脇を挟まれながら、自発的に『玉座の間』の手前まで進む。

 光量と照明の熱にくらりとする。息を整える。

 総統はどこにいらっしゃるのだろうか、と考えているうちに、置かれている大きな椅子が、何か、信じられないほどくだらない代物だという事実に、唐突に気付いた。

 普段相当が使っている謁見の間にある玉座と形だけは似ている。金箔や宝石で厳かに飾り付けられているように見えるが、全ての質感に違和感がある。ダイヤモンドだけは間違いなくダイヤモンドだったが、そんなものは人間の死灰からも造れるため、どれほど高貴に輝いても、風味程度の高級感しか出してくれない。

 この場に置かれている椅子は、あからさまにハリボテだった。遠目には分からないにせよ、こうまで近付くと補修の痕跡すら見て取れる。

 敷かれている石も表面にはそれらしい加工が施されているが、断面が発泡スチロールだった。

 戸惑い、困難死、背後に控えている刑吏役の不死者を肩越しに振り返る。

 彼らの装甲も、やけに真新しい雰囲気がある。おそらく塗装されていた。エリゴスがそうであるように、通常、不死者の纏う装甲は古びていて、退色が進んでおり、一部では剥落してさえいる。背負ってきた歳月が、不死としての荘厳さを引き立てるのだ。

 だが彼らは違った。

 あくまでも『刑吏役』。それらしく装甲を塗り立てているだけ。

 おそらくこのスタジオから退去する際に、塗装を落として、全く違う印象の機体になる。

 ネレイスが振り返ったのを見て、一機が言った。


「撮影開始からしばらくして我々が背中を蹴りますので、それを合図にして、予定通りの位置まで進んでください」


 意味が分からない。頷く。ハリボテの玉座と向き合う。どうして刑吏役がこんな呑気な指示を出してくるのかと自問する。

 奇妙なほど落ち着かない気持ちになった。

 緊張で打ち消されていた下腹部の異物感がじわじわと蘇ってくる。今更になって、体の線がはっきりと出るような薄い布きれを纏っただけの姿で不死者たちの前に立っていることを、恥ずかしく思い始めた。

 ある種の緊張で満たされた場ではあったが、何もかもが致命的にほつれていた。荘厳さも権威も、実態としてはここには無い。見たことのない機材に、果てしなく安っぽい小道具。自分はこんな現実味のないところで死ぬのか、とネレイスは不満に感じた。処刑とは罪を濯ぎ、穢れた市民を浄化するための儀式でもある。せめて立派に殺されたかった。

 総統も、自分と同じようにあの粗雑な造りの通路を通ってくるのだろうか。あの仰ぎ見るべき唯一の救い主が、そんな卑俗な真似をするだろうか。あの偉大なる御方がそんなこと……。

 解けない違和感を抱えながら、不遜な想像に耽っていたネレイスは、何も無い空間に、黒い光が灯るのを見た。


「!?」


 息を飲む。

 同時、金属を切り裂く時に似た、甲高い異音が響き始めた。

 黒い光が空間を焼き、少しずつ下方へ移動していく。

 世界それ自体が、漆黒の光によって、切り裂かれていく。


「これは……」少女は怖気を覚えた。「これは!」


「プロトメサイアより入電」不死者の一人が声を上げる。「重汚染地区の浄化にあたり、予定より大幅に多くの時間を消費したため、緊急的にアーク・コアのオーバードライブによる都市空間構造連続体の離断と強制連結にて、スタジオ入りを実行しているとのこと」


「見れば分かりますそんなことは! こんな強引な一次現実への干渉が出来るのはプロトメサイアだけです!」ダンタリオンが僅かに焦りを滲ませながら怒鳴った。「今すぐ中断するよう言ってくださいこんなことでオーバードライブ使ってたらバッテリーの寿命がまた縮みます多少遅刻したって構わないでしょうだって放送は少し延期すれば良いだけの話なんですから!」


『否定する』


 空間を縦一文字に焼いた黒い光から、感情を感じさせない静かな女の声が漏れた。


『我々プロトメサイアは、常に手遅れだ。走り続けなければ、そこに留まっていられないのだから』


 裂け目から漆黒の装甲で包まれた五本の指が伸びる。続けてさらに五本が這い出で、幕を開くかのようにして光の左右を押した。

 途端、ネレイスは玉座の傍らの風景が爆風を受けた硝子窓のように崩れ去るのを見た。

 スタジオに冷風が流れ込み、甘ったるい血の香りが充満する。

 空間の裂け目の向こう側は、屋外だった。最も過酷な寒気に特有の、目蓋を開いていることさえ苦痛になる陰鬱な光を背にして、その永久に不変であることを約束された真なる支配者が佇んでいた。

 真実永久にして不滅であることを約束された漆黒の全身甲冑。バイザーの奥にレンズを備えたヘルメットと棺桶じみた巨大な重概念器官が特徴的で、光を飲み込むかのような黒い装甲と相俟って、死を操る者というよりはいっそ死そのものに見える。さもなければ雲よりも遙か上方、大気すら存在しないという闇の世界からこの都市へ不時着してきた異邦人に違いなかった。

 腰部のカタナ・バインダーには恩寵の軍刀を遙かに上回る再殺能力を持つ大型実体剣が一振り。だが抜き放たれた痕跡は無い。その不死者は返り血を浴びていない……。

 だというのに、空間の裂け目にあるアスファルトから、スタジオのリノリウムの床へと向かって、不死の血の濁流が、とめどなく流れ出している。

 ネレイスは、総統が背負う世界、裂け目の向こう側の光景に目を奪われていた。

 都市は、都市では無かった。都市という巨大な生命体の臓腑を引きずり出して出鱈目に接合したかのような異常な世界だ。建造物から建造物が生えて何かしらの不死を押し潰している。街灯から街灯が伸び、幾重にも枝分かれして変形し、不死の怪物どもを閉じ込めあるいは串刺しにする、命無き殺戮の樹木へと変貌を遂げていた。

 さらに遠方では都市そのものが数区画ごと持ち上げられて左右から折り畳まれていた。引きずり出され剥き出しになった地殻からは末期の息のように下水道から汚水が零れている。途方もない変容だった。

 しかも、屹立するアスファルトの壁の隙間からは絶えず滝のように血が噴出していた。血のような何かではなくまさしく血なのだとネレイスには分かる。甘く粘つく不死の血だ。

 想像しがたいほど巨大な怪物がそこに挟み込まれているのだ。正体は見当も付かない。浄化チーム時代には集合住宅ほどの大きさがあるビーストを総統が駆除したという噂を聞いたものだが噂通りにしてもスケールが違いすぎる。

 ただ、都市一つを丸ごと犠牲にしてでも倒すべき何かがいたのは、間違いが無かった。


『抗議を受諾する。協力者ダンタリオンへ説明を行う。現行の装備では処理しきれないと判断し、封印した。オーバードライブは必須であった。この移動は余剰電力を使ったものである』


「まったくもう身勝手で困ります異なる都市の連結移動が余計にどれだけ電池を食べるか忘れたのですかだいたいですねこれから大事な予定があるのにうたた寝する気満々でこんな危険な干渉をやってるんだとすればそれはネレイスへのごめんなさい案件ですよこの可愛らしい生命資源は殺されると分かっていてここまで大人しくついてきたんですあなたにその気持ちが分からないんですか」


『分かるつもりだ。申し訳なく思う、ネレイス』


 漆黒の不死者は、選択的光透過性を有するバイザーの奥で発光するレンズを、取るに足らない生命資源へと、真っ直ぐに向けた。


『我々プロトメサイアとしてもこの件は不本意だ。しかしこの都市の事前調査で領域外浄化チームの精鋭が1ダース死亡している。それだけの犠牲を出しておきながら放置は出来ない。調査した結果、棲息する悪性変異体が、既知のそれとは全く規模が異なると結論。外部へ漏出する前に封印するべきだと判断した。君、許してくれ給えよ』


「は……い……」


 ネレイスは甘い感情を覚えながら、乾いた喉で必死に返事をする。恐ろしい。神々しい。自分を殺す不死者だ。裁きを下す不死者だ。二千年以上に渡り都市に君臨する……。それが自分にだけ命令の声をかけてくれている。ネレイスは歓喜のあまり失禁しそうになった。返事をするだけでは足りないと感じて、両膝をついて跪いた。

 あらゆるメサイアドールを統括する個としてのアルファⅢメサイア、通称『プロトメサイア』は、依然として光輝に溢れている。その威容を疑うことなど、ネレイスには出来ない。


『同行したレーオはまだ来ていないが、彼のことだ、放っておいても変異体に破壊されることなどあるまい。早いうちにこのゲートは閉じてしまおう』


「そうですよ、そもそもね他所のクヌーズオーエとここを不用意に繋がないでくださいカビ対策の空調運転とかすごく大変なんですからね広報用の映像が作れなくなって困るのはあなたですよプロトメサイア」


『謝罪は後日行う。では、閉じーー」


 命令を遮るようにして、折り畳まれた都市が軋みを上げる。

 得体の知れぬ絶叫が轟いてスタジオ内部の照明が衝撃で破裂した。

 内部で何かが暴れている。


『これだけの質量で固めても足りないのか。当該都市クヌーズオーエ56122号の全消費について議論を開始。決議。全消費を決定。破壊的抗戦機動、準備』


 漆黒の不死者は肩越しに振り返り、数歩前に出て完全にスタジオに入り込んだ。

 左腕部に設けられた大がかりなコマンド入力装置を右手の指で叩き、チャージングハンドルじみたレバーを引いた。

 棺のような重概念器官が唸りを上げる。排気孔から鮮血色の煙を吐き出す。

 不死者はがちゃりと音を慣らして姿勢を崩した。浄化チーム時代に幾度となく見た動作だ。総統は機能を全力で行使する際に、必ず一度失血死する。

 だが覚醒は瞬時だ。

 すぐに姿勢を立て直し、片手を上げる。


『アーク・コア、オンライン。潰れて眠れ。斯くの如き悪鬼は、我が理想郷に不要である』


 声に応じ、都市を構築する無数の区画が咆哮を上げた。

 都市が変容する。大地が幾重にも引き剥がされ、垂直に持ち上げられ、強引に重ね合わされていく。都市が組み替えられる。それら新規に獲得された構造体は、既に区画ごと折り畳まれている場所へ結集していき、さらなる質量で以て封印されている何かを固定化した。都市が脈動する。無数の高層建築物が捻れて引き延ばされ長大な槍となり、塵埃の舞う空気を切り裂いて飛翔し、押し固められた都市構造体に突入。貫通して停止、封印を完璧なものにしていく。都市が自身を圧縮していく。総統自信が今しがたまで踏みしめていたアスファルトや地下のインフラ設備までもが、そのための資材へと分解されていく……。

 電線の一本、瓦礫のひとかけら、何もかもが彼女の思うがままだ。

 都市そのものがプロトメサイアの手脚になったかのような、異常な現象だった。


『残念だった。状態が良く、希少な資源もあるクヌーズオーエだったが、変異体が悪質すぎた。我々プロトメサイアにしか対処が出来ない。遺憾ながらここは再配置が実行されるまで永世隔離地域に指定するのが妥当だろう。では、閉じろ』


 ハンドジェスチャーと同時に、黒い光によって形作られていた空間の裂け目が消え去った。

 静寂がスタジオに戻ってくる。

 あっという間の出来事だったが、夢や幻では無い。

 漆黒の不死者は、今や玉座の傍に佇んでいる。ネレイスのように寂れた通路を通ることもなく、超越者に相応しいやり方で、この地に降り立った、


「総統……総統閣下……我らが支配者……」


 ネレイスは己の頬に涙を伝うのを止められなかった。『都市とその従属物を操作する』という神話の再現じみた機能の発動を前にして、平然としていられる市民など存在し得ない。そのように設計されているからだ。

 誰しもが戦慄し、驚愕し、そして奇跡を拝謁できた光栄に落涙する。浄化チーム時代にも何度か目の当たりにしてきた真なる不死の権能。制圧不可能と見なされた都市がこのようにして破壊されていくのを、ネレイスたちは間近で見て、浄化チームとしての誇りを育ててきた。

 これこそがネレイスの崇敬する総統、絶対にして至高の不死、『プロトメサイア』だった。縋りたくもなる。崇めたくもなる。信じたくなる……。

 だからこそ込み上げてくる怨嗟もある。


「我らがメサイア。我らが救い主……」ネレイスは泣きながら、発作的に問いかけた。「それほどのお力がありながら、どうして、どうしてあのとき私たちをお見捨てになったのですか……」


『……訂正を求める。メサイアでは無い。プロトメサイアだ、我が血に連なる娘よ、正式名称では無く愛称で呼んでくれ給え」


「はい。プロトメサイア様……! でも何故……!」


『コマンドを入力しても停止しないとは。では応えよう、はい、こちらプロトメサイアです。タスクが逼迫しています。全ての行動予定をキャンセルします』自動音声のような抑揚の無い声で応答を行い、総統はネレイスを無視して行動を始めた。『我々はこれより擬似人格維持用バッテリー保全のための充電活動に入る。ダンタリオン、スタジオを酷く汚してしまった。光学的な隠蔽を依頼する』


「とっくに始めてますよそんなのああもうセットが血まみれじゃないですか椅子も玉座の間も全部全部びしょびしょじゃないですかああもうどうしようどうしよう……まぁいいかこっちのほうが雰囲気出ますもんねこのままで行くことにします」


『回答を受諾』


 プロトメサイアは素っ気なく返事をしながら血濡れの玉座に腰掛けた。模造の玉座でも、重概念器官の重量にも耐えられるように出来ているらしく、少し軋んだきりでは壊れそうな気配はなかった。


『これよりシステムメンテナンスを実施します。再起動予定は六〇秒後。被告、ネレイス五〇七号には、待機を命』


 アナウンスをきりよく終える前に、プロトメサイアのレンズが消灯し、漆黒の鎧は動きを止めた。

 連続稼働の制限時間に達したため、再充電モードに切り替わったらしい。この特性はネレイスが去る以前と同じだった。総統は例外的な事態に直面している場合を除き、三五四〇秒活動したら、必ず六〇秒以上機能停止する。限界を超過しての駆動を行った後には、この状態は六〇秒以上続く。今回もおそらく一〇〇秒は必要だろう。


「ネレイスは待ち時間をどうしますか大分足下とか血で汚れていますけど拭きたいのであれば誰かにやらせますよ」


「いいえ、この血は総統閣下のもたらした奇跡の残滓です。死ぬ間際でも、栄光への歓喜に服していたい……」


「そうですか」ダンタリオンは面白くなさそうだった。「プロトメサイアのことをあんまり信じすぎないでくださいね所詮は紛い物です完成品のメサイアじゃないんです」


「ですがこの奇跡は本物で……」


「だから頑張りすぎてしまうの」どこか悲しげな声で幼女は言った。「あの子はそういう機械だから限界を超えて期待に応えようとしてしまうし誰もが諦めるような状況でも撤退することを選ばない選べない選びませんだからあまり信じてあげないでくださいこのままだとあの子まで壊れてしまいます」


 ネレイスは己の不明を恥じた。アルファⅢダンタリオンは見た目こそ幼いが、総統と同じだけの時間を生きる不死者だ。FRF統括運営局『アルファⅢメサイア』を構築する一員として、プロトメサイアに過負荷がかかり続けている現状に思うところがあるのだろう。

 ダンタリオンと話し、スタッフたちが最低限の清掃を済ませている間に、総統のレンズが再点灯した。

 短い沈黙の後、第三者には不可視のコンソールを開き、経過時間を確認。


『定刻を過ぎてしまったが処刑を開始する』


 跪いたままのネレイスを一瞥し、刑吏へ何か無声通信を行った。

 不死者たちはネレイスを丁重な手つきで立ち上がらせ、後退させた。

 ダンタリオンが声を張り上げた。


「照明のみんな音声のみんな小道具のみんな放送設備のみんなカメラのみんな準備はよろしいですか。本番行きます行きます行きます。よーいスタート!」


 刑吏役がネレイスの首輪型機械のスイッチを入れ、背中を蹴った。

 手筈通りだ。ネレイスはよろめき、下腹部の異物感をこらえながら、何とか玉座の前、総統の前に立った。

 漆黒の支配者はヘルメットの奥で静かに口を開いた。


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 抑揚の無い声が、物理的な圧力を伴ってネレイスに降りかかった。獣呼ばわりされたことに信じがたいほどのショックがあった。総統の話し方はいつでも平坦で非人間的なところがあるが、しかし生命資源を悪し様に罵ることはおおよそない。ネレイスなどは、血族の一人として、ずっと厚遇してくれていた。

 ハリボテで構築された玉座の間が、重苦しく暗い空間に見え始めた。実際、プロトメサイアの放つ言葉には、世界を色褪せさせるだけの力がある。

 ネレイスは青ざめ、しかし全身に視線を感じている。カメラで撮影されているという事実を今更に思い出す。何十、何百という無機質な純粋機械の瞳が、ネレイスの一挙手一投足を記録しており、さらにリアルタイムで放送をされた映像が、何百という都市、何万という市民の前に流されている……。


『だが、来るが良い。もう一歩、前へ来るが良い。賢者も知者も問うだろう、なにゆえ汝らメサイアが、かくの如き穢れたものを迎えるのかと。我々はこう弁解する、救われるに値しないと信じる者こそ、我が手により救わねばならないと……。罪あるものこそ、導かねばならぬのだと……。さあ、今一歩、前へ進むが良い』


 言われるがままに進み、そして少女は身体に異様な熱を覚えた。

 プロトメサイアが指差す。


『まずは磔に処す。生きながらにして、その穢されたはらわたを捨て去るが良い』


 熱感が、両足から骨盤、背骨を貫いて、肩甲骨から腕へと達した。

 苦鳴を上げる少女の肉体が、そうなるべき運命であったかのごとく、破壊の異音を立て始める。

 弾けるように肉体が変容した。両足が骨も身も神経系も接合されて磔刑台の土台の如き形状となった。背骨は関節をロックされて一本の棒となり、肩甲骨の周辺も腕を持ち上げた状態で、骨格と筋肉系を完全に固定された。

 身動きどころか、呼吸すら不自由だ。猛烈な窒息感と激痛。改めて絶望を覚える。

 触れられもしていないのに、肉体を組み替えられた。

 拷問具など必要がないのだ。

 総統にとって、都市に属するものは、全て己の工作物だ。

 生命資源とて例外では無い。

 人間を、指一本触らずに壊してしまう。

 そんな奇跡は、全く造作もないことだと、ネレイスは知っていた。


 血の川上にある玉座で、プロトメサイアが指を指す。

 続けて、肌を隠してくれていた粗末な布が勝手に引き千切られ、毟られた羽のように舞い落ちた。

 ネレイスの裸体が、曇り一つ無い完璧な肉体が、無遠慮な照明の下に晒された。

 羞恥は覚えない。

 あるのは恐怖だけだ。

 胸元から股下へと走った熱い感覚が、次に何を起こるかを告げていた。


「ひっ――」呼気は逃げる。


 肋骨より下の皮膚が、一文字に裂けた。

 続けて腹膜や筋肉といった組織が片端から離断され、腹が開かれ、臓物が晒される。

 そして腹腔から股間までの内部空間にあるべきもの、肉、脂肪、筋組織、全てが構造を破壊された。器を壊され、支えを失い、ネレイスの薄い腹に収まっていたあらゆる臓器が、ぼたぼたと虚構の石畳の上に零れ墜ちた。

 赤黒い蛇の集合体のような臓物が湯気を上げている。ネレイスは吐き気を覚えるが、吐き出せるのは悲鳴だけだった。


「う、あっ……ああ……ああああああああ!!!」


 収容所での拷問など、まさしく児戯だった。どうしても床屋の不死者に見せられた瓶詰めのアド・ワーカーを想起してしまう。自分もあんな姿にされてしまうのか?

 覚悟していたよりも遥かに苦痛が大きかった。加えて、自分自身の形がなくなっていくことの喪失感が少女の意識を塗り潰す。血だまりに、腸管を初めとする消化器が、全て投げ出された。痙攣するそれらから、ダンタリオンに施された『詰め物』が流れ出ていく。汚物に似せただけのゼリーだが、言葉に出来ないほどの屈辱感が悶え狂うネレイスの胸に去来した。


『裁定を言い渡す。解体刑だ。徐々に罪人に相応しい形へとお前の形を変えていく。そして、この処刑を観る全ての市民に警告する。この上位市民は器官飛行船を私的利用し、あろうことか都市外部の怨敵、クヌーズオーエ解放軍と交渉し、まぐわい、子を成した。有史以来存在しなかった忌まわしい淫売だ』


「ちがいますっ、ちがいますっ……」何も違うことはない。理性ではそう納得している。だがネレイスの否定は、発作的だった。「きいてください、かっか、やめて、おねがいします……」


 総統は立ち上がり、殊更に具足を鳴らして、歩み寄ってきた。

 垂れ下がるネレイスの内臓を掴み、丸ごと乱暴に掲げた。


「ぎっ、あ……私の……わたし、の……かえし……て……くださ……」


『この市民は、かつて一つの都市の市長だった。百年の時を生き、百万の市民を導いてきた。このはらわたの群れで、百名もの優秀な生命資源を製造してきた』


 そう言いながら、黒い手甲が、いくつかの臓器を握りつぶした。


「あ、あああ……あ……」


 どれも、短期間の生存に必須のものではない。だが、臓器が物理的に失われたという事実に、ネレイスは苦痛以上の絶望を覚えた。


『何と瑞々しい臓器だろう。何と美しい肉体だろう。血の一滴すら豊潤だ。模範的市民だった。尊敬すべき市民だった。だが自分の治める都市を災禍に投げ捨て、スケルトンどもに我が娘まで差し出した。何故か? アド・ワーカーに思想汚染を受けていたからだ。いかに過去、善良であったてしても、それが現在の罪を消し去るわけではない。我々は過去の実績に関係なく、罪人に対しては厳正な対処を実行する。この生命資源は、都市一つを滅ぼした。それだけが事実だ。どれほど優秀な市民でも、スケルトンとアド・ワーカーに与する者を、我々は決して認めない。斯くの如き存在は、我が理想都市に不要である……!』


「ち、ちがいます……ううう……はぁっ……、わっ、わたしは、あっ、アド・ワーカー、などではっ……」


 呼吸は途絶えがちで、苦痛の程度が甚大すぎて、まともに思考することさえ出来ない。ただ総統に弁明したい、許してもらいたいという衝動だけが、舌を動かしていた。


『ではその心臓に尋ねよう。……開け』


「ひぎっ……あっ……?」ネレイスの裸の胸、肉の奥の胸骨から弾け飛ぶような音が鳴った。乳房の境の皮膚に線が入り、血が滲んで膨らむ。「うそ……嘘、嘘、嘘……」


 無事だった上半身の、その正中線に裂け目が入る。同時に、肋骨があぎとのように展開した。

 ネレイスの胸部は乳房ごと、一冊の本の如くに左右に開かれ、その内側に秘めた肺腑と心臓を晒した。

 ネレイスは痛みと恐怖で失神したが、首輪から電流が迸って、強制的に覚醒させられた。到底耐えられる痛みではない。感覚上は首から下の前面部分を丸々剥ぎ取られたに等しく、しかも下半身の崩壊と違って、見ないでいることが出来ない。

 左右に開かれた自分の胸は嫌でも目につく。おまけに、自分が荒く息をするたびに、視界の下方で何かが膨らんだら萎んだりしているのが、うっすらと見えていた。


『お前が都市に従順だというのならば、真実しか語らぬというのならば、何故その心臓は早鐘のように脈打つのか。恐れることなど何もないというのに』


「ひあ……ふ……あ……はあ……」


 喘ぐように息をするのがやっとだ。痛みはもう知覚可能な範囲を超えてしまっていた。涙を止めどなく流し、殆ど空っぽになってしまった自分の体に錯乱し、それでも死なせてもらえない現状に、叫び出したいような衝動が生まれる。

 だが、それすら不可能だった。胸を開かれるのにともなって、彼女からは、悲鳴を上げるための横隔膜すら失われていた。

 それから総統は、臓物や脱落した身体部位を弄び、潰し、空の腹腔を広げて晒し、手足を封じられた肉体を撫でて震えさせ、さらには肺に触れ、心臓までも握ってみせた。

 人間としての尊厳を剥ぎ取られた虜囚の少女は変形させられた自分の肉体に囚われて、途絶えることのない恐怖を、不規則な呼気とともに吐き出すだけの、憐れな肉の袋となった。プロトメサイアは苦痛に咽び泣くその少女を数十のカメラで余すところなく撮影させた。

 考え得る全ての刺激を終えて、メインのカメラに向けて、血に濡れた両腕を開く。


『これは警告である。このおぞましき姿を見よ。この見るも哀れな、壊された娘を見よ。電影放送を観る全ての市民に、しばし己の行動を省み、また都市の今後について考えるための時間を与えよう……』


「CM入りまーす!」とダンタリオンが叫んでいるのが聞こえたが、ネレイスは浅く息を繰り返すばかりだ。

 苦痛を消すための脳内麻薬の奔流で、彼女の人格は殆ど壊れかかっていた。思い出すのは、幼少期のお気に入りの場所。優しかったギヨタンのこと。一緒に暮らしていた沢山の姉妹。自分が産み育てた生命資源の愛らしさ。少女騎士たちと撮った家族写真。そういった古く鮮やかで恋い焦がれるような儚い記憶ばかりが脳裏に蘇っては消えていく。走馬灯だ、と意識の冷静な部分が思い至る。自分は死際の夢を見ている……。


『君、目覚め給え』


「はい」


 ネレイスは唐突に辛うじて呼吸を維持している自分に気付いた。

 まだ、死んでいない。喪失感や恐怖感はそのままに、意識が急に色彩を取り戻したのだ。

 視線を落とすと、磔刑の台に改造された我が身と血溜まりでとぐろを巻いている己の臓物、左右に開かれた胸、そして呼吸器が見えた。

 傷口も、破壊された臓器も、そのままだ。

 しかし、苦しみが、何故か存在しない。


「あ、れ……? いたく、ない……」


『貴官の痛覚を、停止した。貴官に取り付けた首輪型人工脳髄から神経情報に干渉している。ここまで破壊すれば、傍目には貴官の痛覚に変化があっても、何も読み取れない』


「けい……ばつ……」なのに、何故こんな慈悲をかけてくださるのか。


 声には出せなかったが、しかし聞こえるかのように、プロトメサイアは頷いた。


『ヒトとして死に向かう貴官には教えておこう。我々にとって、こうした処刑は、些事である』


 ネレイスの霞む視界に次々と映像が浮かんだ。例えば、秀麗なる外見の不死者が市民の倫理観醸成を呼びかける映像。例えば理想都市アイデスの調和に満ちた街並みを模範にせよと訴える映像。例えば食料の厳格な配給だけが治安を維持すると熱弁するどこかの市長の映像。例えば他都市の住民を虫や害獣と罵りひたすらに対立を煽る憎悪に満ちた演説の数えきれないバリエーション。例えば総統を称える言葉だけが流れ続ける空疎な映像……。

 どれも見たような覚えがある映像だ。

 思えば、総統による処刑が実施されるとき、モニタには常にこうした煽動的な映像が流されている。


『デバイスを通じて情報を共有した。これらは人口動態調整センターに集積されたデータを元にして各地の市長の元に個別に送信されている映像だ。そしてこれこそが、この放送の本義なのだ。貴官の処刑はこうした教育映像やデマゴギーを吹き込むための道具、電映機の前に立たせるための方便でしかない。我々にとって貴官を苦しめて人格を破壊することは、主目的ではない』


「……」


 総統の言っていることが、曖昧にしか理解出来ない。ネレイスは、自分の内臓が床で湯気を上げているのを見て、それから、また泣き出した。自分が人間ではない形へと壊されていることには変わりなく、痛みがなくても、怖くて仕方なかった。


 そのとき、空気の破裂する音がした。

 ネレイスは不意にスタジオの空気が張り詰めたのを感じた。朦朧としながらも視線を向けると、いつの間にやら、至近距離で二機の不死者が衝突していた。オーバードライブ同士でぶつかりあったらしい、とおぼろげに理解する。

 一機は不死者エリゴス。膝部の刺突槍を展開して突撃を仕掛けた様子で、進路から考えて、明白にネレイスを狙っていた。

 もう一機は異常に軽装の不死者だった。陣笠のようなヘルメットが特徴的だが、他には運動補助用の外骨格しか装備していない。メサイアドールや総統の血族と同じ顔貌だが、雰囲気が違った。黒い髪を総髪に纏め、エリゴスの必殺の一撃をカタナ・ブレードで受け止め、歯を剥き出しにして笑っている。


「おうおうおう、何をしとるき」陣笠の不死者は耳障りな発音で嘲笑った。「そないに遅うて何をしやんとするや。ええ? 止まっとるのと変わらんわ。磔んされとるむすめごはおろか、それでは木偶の一個も壊せんやな」


「邪魔をしないで、レーオ」エリゴスは吐き捨てた。「わたしにはその不出来な生命資源を処分する義務があるわ。あなたのような外様の出る幕じゃないの」


「何がレーオじゃ。ワシは龍王(リューオー)じゃ。なんば己ら人の名前を一向にまともに覚えんき。バラしてそんつまらん槍ば折ってヌシのまたぐらから刺して脳髄に分からすか?」


 二機の不死者が殺意を漲らせる。ダンタリオンを始めとする何機かの不死者がオーバードライブの兆候を見せたが、プロトメサイアが片手でそれらの動きを制した。


『レーオ、帰還していたのか。君、剣を下ろし給えよ……貴官には通じないか』平坦な声音に呆れが混じる。『疑義。あの都市に置いてきたと思っていたが』


「おまんの開けた門から普通に出おったわ。ワシはめがんてら速いき、ヌシら凡骨の目には映らんのじゃ。……偽救世主、あれしきでこの俺から逃げられると思うな。」歯軋りするようにして嗤う。「それよか偽救世主ぞ、こげんなこと見過ごしてええんか? 狼藉ぞ、狼藉。総統たるヌシの目の前で勝手に咎人殺そうとしおったけ! バラした方がよかとよなぁ?」


「殺すしか能のない狂人がベラベラと喋らないで! 耳障りなのよ。そこをどきなさい。わたしが始末をつける。サムライドーだかイアイドーだか知らないけど、このエリゴスの敵ではない」


「他のドーと同じにせんことぞ。ワシのは極点に至る道、『極道(ゴクドー)』じゃ。他の有耶無耶は塵も同然ぞ。まっこと、雑魚ほど口ばかり勢いがよかとよなぁ。ええか、ワシがマジんやったらヌシば今頃細切れぞ? ……女子供の不死病筐体は俺の規格にあってないんだからな。手を抜いてやらなきゃ瞬殺だ」


『警告する。双方、矛を収めよ。じきにコマーシャルが終わる。エリゴス、貴官の気持ちは分かるつもりだ。この生命資源が苦しみ、泣いているのに、堪えられなかったのだろう。貴官は生命資源を愛しすぎる。本来は我々プロトメサイアに先んじて処断する権利はないが、今回は特例として不問とする』


 そうか、エリゴス様は私を楽にしようとしてくださったのだ、とネレイスは呆としながら受け入れた。

 汗を諾々と垂らしながら槍の騎士に向けて首を振る。

 これ以上の迷惑は、かけたくなかった。


「……っ」エリゴスはネレイスから目を背け、膝の槍を下ろした。「失礼しました、『夢を見る者』メサイア。寛大な処置に感謝します」


『そしてレーオ、貴官にエリゴスの行動を阻害する権利はなかった。独断専行は許しているが、貴官自体のクリアランスは最低レベルである。だが本件については、不問とする。貴官の市民登録において代理母体として貢献した生命資源だ、死なせてしまうことに後ろめたさがあったものと推測する』


「そげんなことがあるわけなかろ」歯切れが悪そうに呟き、レーオと呼ばれる雌性体の不死者も、カタナを下ろした。「義を重んじるならヌシを斬る方が速か」


『偽りである。我々を破壊すれば、付随して多くの命が失われると、貴官はいまだに判断している。両者へ勧告。どこへなりとも行くが良い。各地へ放送している感情傾向操作用の映像がじきに終わる。刑を続行しなければならないのだ』


「あのさぁもう……もういいかなプロトメサイア既にだいぶん映像をループさせたりして誤魔化してるんだけど制限時間とか大丈夫? あと喧嘩は他所でやってほしいかなここボクの預かってるボクの施設だからそういうの本当に困るよ勘弁して」


 ダンタリオンに頭を下げながら気まずそうにレーオが移動するの見て、総統は頷いた。


『放送を再開する』


 ネレイスには、何が争われていたのか、レーオなる人物が誰なのか、それは理解出来なかった。しかしプロトメサイアの纏う空気が一層重いものになったのは感じ取れた。


『諸君、ここにアド・ワーカーの解体を開始する。神経の一本に至るまで丁寧に取り除き、全てここに並べよう。どのような罪を犯してきたのか、一つ一つ証言させよう。では、まずは顔を剥がそう。眼球を抉り取ろう。造反者の頭部構造がどうなっているか、開頭し、脳髄を切り分けながら教示する』


 漆黒の不死者がネレイスの頭に手をかけた。装甲の右肩に刻まれた己の尾を食らう蛇の紋章を見つめながら、ネレイスはついに自分が頭部すら人間ではなくなってしまうのだという事実を、粛々と受け入れた。

 目覚めたまま脳を破壊されるのがどれほど苦しいかは、考えない。

 これで良いのだ。苦痛を免除された少女は、破滅の淵にあってそう納得する。自分は多くの罪を犯した。誤った希望に縋って、偉大なる救世主を裏切り、不死者エリゴスを裏切り、フェイク・ヨーロピアを裏切り、最愛の少女騎士たちをも裏切った。全てを、全てを失った。当然の報いだ。少女は目を閉じて言い聞かせる。当然の報いだ。

 死後の世界というものをネレイスは信じていなかったが、どうせなら地獄に堕ちたいと願った。痛いのは嫌だ。苦しいのは嫌だ。しかしきっと、これしきの罰では足りないぐらいに罪深いのだ。あまりにも多くのものを裏切りすぎた……。

 瞑目して、総統の装甲の冷たさに集中する。

 支配者の裁きに、全神経を集中する。

 だが何も起こらない。

 十秒、十一秒、十二秒……。

 何も起こらない。

 十三秒、十四秒、十五秒……。

 何も起こらない。


「……?」

 

 薄く目を開けると、眼前のプロトメサイアは、どこか違う方向を見ていた。

 ネレイスも視線を向けた。

 そちらにはモニタが存在しており、まさしく処刑の模様が放送されている。

 否、それは現実を映してはいない。画面の中でネレイスはまさしくプロトメサイアが宣言した通りの責め苦を受けていた。顔を剥がされ、脳髄を漁られ、電流を流されて狂乱している。

 耳を澄ますと、無惨な姿とは不釣り合いな嬌声を吐き散らしながら自分の罪を告白しているおぞましい音声が聞こえてきた。

 だがネレイスは無事だった。そもそも一言も話していない。手足が変形し、臓物を掻き出され、心臓も肺も外気に晒されたままだが、感覚出来る限りそれ以上の破壊は受けていない。

 それ故に、自分が何を見聞きしているのか、全く理解が出来ない。

 画面の中の自分は歴代の処刑映像に引けを取らないほど残酷な刑を受けている。

 この映像は何なのか?

 これが現実なのか?

 自分が何も感じていないことが、嘘なのか?


「はいカットー!」


 ネレイスの混乱を切り裂くようにしてダンタリオンが叫んだ。


「ダンタリオン・コア正常稼動中! 完全架構代替世界経由での映像媒体(フィルム)への焼き付けも順調だからもう一次現実の素材はいらないよプロトメサイア! あとは全部ボクが捏造(つく)るから残り時間は予定通り君たちだけで大事に使って!」


『了解。これにて撮影は終了し、処刑は仮完了とする。各員お疲れ様でした。ご協力に感謝します』


 間の抜けた号令とともに、空気が一気に弛緩するのを感じた。

 ネレイスには、わけが分からない。何が終わったというのか。自分はまだ生きて、息をしている。

 しかし画面の中ではプロトメサイアは未だにネレイスを嬲り、破壊し続けている……。

 理解し難い事態だ。


『混乱の神経発火を検知。あの映像が何なのか分からないのだろう。過去に行われた人体実験や処刑の記録と、今回収録した貴官のパーソナルな情報を掛け合わせてダンタリオンが生成している存在しない現実(ディープフェイク)だ。細かく検証すれば合成映像だと分かるだろうが、現在のFRF市民では真偽を検証出来ないため、問題ない。音声データに関しては、貴官が収容所で発した様々なパターンの声を合成して使っている』


 あまりの出来事にネレイスが放心している前で、プロトメサイアが『閉じよ』と唱えた。

 少女は全身に熱を感じた。

 そして、瞠目する。左右に開かれていた胸骨が逆回しに鎖された。床に散らばっていた腸管が蠕動して空の腹腔へと戻っていき、破壊された臓器は復元されてあるべき位置に収まった。裂かれていた腹も速やかに繋がっていく。自分を磔の姿勢で固定していた手足の骨肉までも、音もなく正常な形に分離・再形成された。

 期せずして直立姿勢となったが、全身が脱力していたため、ネレイスは尻餅をつく。


「痛っ……」二度とは出せないと思っていた声が、当たり前のように出る。肺も腹も痛まない。「……治った……?」


 手も足も感覚は正常だった。おまけに、ぺたりと尻をついたその位置にだけ血の川が存在しないので、息を飲む。

 総統が取り除いてくれたのだと言葉なくして理解した。

 その姿勢のまま、胸から腹、腹から股間を触って、確かめる。全て滑らかで、明瞭な感覚があり、清潔だった。引き裂かれ、破壊されていた。そんな痕跡は皆無だ。臓物が全て引き摺り出されていたとは、もうとても信じられない。

 あれは現実では無かったのではないかと錯覚する。


『貴官はこのサイクルが終わる前に殺処分する。だが、いたずらに死なせて良い生命資源でもない。貴官のような人格は前例がなく、興味深かった。ただし、規定の身体刑を与えないことには、我々個人としてはコンタクトが不可能だった。故にあのような苦痛を与えた。プロトメサイアは、常にルールに従う存在だからだ。君、どうか許してくれ給えよ』


「はい。許します」ネレイスは、許した。従うことで快楽中枢が刺激されて脳内麻薬が放出された。拷問の際の分が残っているせいで、体がむずむずしてたまらず、意識が曖昧になり、自分が何をどのように意思決定したのか、自覚をしなかった。

 我に帰り、のけぞった姿勢から復帰し、自分の肉体が修復されている事実にまた思い当たる。何もかも幻だったとさえ感じられるのに、握り潰された臓器の破片や、排出されたゼリーは、現実の血溜まりに浮かんだままだ。

 剥がれ落ちた衣服も沈んでいる、と思いきやそれすら弾け飛んだ時と逆の動きで少女の裸体に纏わり付き、肌の前後を隠した。血でどっぷりと濡れていて、素肌から熱を奪うその感触に偽りはない。その血もすぐ虚空に吸い込まれて消えた。

 ネレイスは戦慄し、座り込んだままプロトメサイアを仰ぎ見た。


「……総統閣下、これは、これは……どういうことですか? どれほどの奇跡をお持ちなのですか……!」


『死に行く貴官には教えよう。我々プロトメサイアにとって、クヌーズオーエに存在するあらゆる資源は、操作可能である』玉座に腰掛けながら漆黒の不死者は平坦な声で応えた。『人格や記憶は直接的には操作出来ないが、物理的には如何様にも出来る。選択的に破壊した後、欠落部位を新造して補填することも可能だ。……我々は常にして遅すぎる。もっと早くこうするべきだった』


 プロトメサイアのハンドジェスチャに従い、発泡スチロール製の敷物の外周に沿って、スタジオの内部に非実体の真っ白な防音壁が生成されていく。さらには粘つく不死の血が排出されていき、床からは硝子の造花が生えてくる。

 ネレイスは恍惚にも似た衝撃によって身震いした。その場に伏せて、自分たちが救世主と信じて仰ぎ奉ってきた存在は万物を支配する存在なのだと再度確信し、ほのかに顔を上気させて、苦痛によらない涙を流した。

 救世主の玉座は、今や形ばかりの紛い物などではない。まさしく、それは救世主たるものの椅子であった。単に何であるかではなく、何者がそれを扱うかに真理は宿る。プロトメサイアのあらしめるところにこそ、それは成るのだ。

 そして、全能に従うことの幸福感は、種火さえその胸にあるならば、全能に対する疑問にも容易く転じる。


「どうして……どうして、これほどのお力があるにも関わらず、私の市民たちを……お見捨てに……」


 病を治療する方法がないと告げられた時の記憶が蘇る。総統のお言葉ならとネレイスは諦めた。何より、この不死者が、破壊されたものを正常な状態に再生出来るとは、全く知らなかった。

 低レベルなアンデッドならば手をかざすだけで崩壊させることが可能であることは、知っていた。精緻な組み替えが可能であることも、その身で機能の発現を受ける前から、感づいてはいた。対象を無機物・有機物で区切らないことも、おおよそ分かっていた。

 解放軍の代表の一人、アルファⅡモナルキア・リーンズィの機能は、これならばプロトメサイアにも匹敵すると思わせるものだった。それは人体を完璧に修復せしめるという驚嘆すべきものだったからだ。効率が悪そうだし、総統の物質操作とは原理が全く違うというのは何となく分かったが、救い主に連なる存在だと直感させるだけの衝撃はあった。

 しかし、我が身で全てを受けた今は、困惑と、そして怒りのようなものが腹の底に溜まっている。

 プロトメサイアも、これほど簡単に、しかも即座に人体の修復が可能なら、疫病に冒された市民を治せたのではないか……?


「何故、私の市民を、この力で治してくださらなかったのですか……!?」


 プロトメサイアは、しばし硬直し、頷いた。

 手を差し伸べて、こう言った。


『顔を上げるが良い。そして領域外の情報について証言せよ、ネレイス五〇七号。我々プロトメサイアは君が持ち帰った情報に興味がある……君、従い給えよ』


「は、う……ああっ!?」


 伏せながら少女は目を見開いた。

 命じられた瞬間、脳髄から爆発的な快楽物質の分泌が始まった。ネレイスは歓喜し、息を荒げ、目を涙で潤ませながら、偉大なる支配者を見上げた。

 超越者に従うことの快楽が、その肉体を完全に支配していた。


「仰せの、仰せのままに! 我が身の全ては、総統閣下に捧げられた供物です……! 私の脳、私の心臓、私の子宮、私の手足、私の神経繊維の一片に至るまで、ああ……! 全て、全て偉大なる我らが祖、プロトメサイア様の資源でございます……! これ以上の幸福はありません、従います、従います、プロトメサイア様、奉仕の機会を与えてくださり感謝いたします……何なりとお申し付けを……いかようにも消費してください!」


『動作を確認。君、目覚め給えよ』


「はい」


 ネレイスは、息を荒げて汗ばみ、熱情に震えていた自分を、不意に客観的に発見した。不思議に思いながらも興奮し尽くした自分自身に恥じらい、漆黒の不死者から視線を逸らし、体を隠そうとした。


「わ、私は、何を……? お見苦しいところを……失礼しました……」


『構わない。様変わりするものだな』


「閣下の光輝を前にすれば、正常な市民ならば、喜悦に狂ってしまうものです。浄化チームの皆も、閣下が直々に力を振るわれた時には、みな夜を徹して喜びを分かち合っていました」ネレイスは自分自身を抱きしめながら陶然とその日々を思い出す。「でも……そう、でも……」


 麗しい娘の頬から、火照りが消える。

 百年に渡って都市を治めてきた長命者は、瞳に怜悧な光を灯して、問いを重ねる。


「何故、ですか」

 

『……』


「それほどのお力があるのに、どうして」


『……』


「どうして、私の市民を見捨てると、そうお決めになったのですか……」


 プロトメサイアはゆっくりと頷いた。


『やはり、芽生えた疑念は、快楽物質では消えないか」


「……フェネキア様直伝の技法です。真に強く思うことがあるならば……何をされようとも、それは体の芯に埋め火となって残ると、そう訓練されました」


『空想理論だ。あれの日々には、快楽と愛着、苦痛と憎悪、この二極しか設定されていない。極端に単純化された世界観だ。だから忘れないし、感情も消えない。通常の生命資源では精神性自体、模倣不可能と推測される。しかし、フェネキアに汚染されて、よくそこまでエゴを鍛え上げた』


「総統閣下。どうして、教えてくださらないのですか……?」ネレイスは哀願した。「死に行く者だと言うならば、どうか教えてください。私の市民たちが疫病にかかったのは、何故なのですか? どうして救ってくださらなかったのですか……?」


『正規の手続きの完了を確認しました』


 漆黒の不死者は、異様に機械的な、それでいて拡声器を通さない、囁くような、どこか陰のある肉声で返答を始めた。


「我々は貴官を評価している本当によく出来た市民だ我々の機能を認識すれば言詞回路が起動して奴婢の如く隷従する我々の微弱な聖句にも良好な感受性を示すだというのに放任すれば自由意志によって都市を発展させようと努め激すれば我々に責任を問うことさえする殺処分するのが残念でならない貴官の製造した生命資源たちもさぞや完成度が高かったのだろうあるいは貴官たちこそが都市の未来を切り拓く存在だったのかもしれないのに……」


「か、閣下?」


 ネレイスはプロトメサイアの発声に異様なものを感じて、怯んだ。答えを求めはしたが、この不死者を追い詰めたいわけではない。どれほど疑おうとも、プロトメサイアの性能が他のメサイアドールを凌駕しているのは厳然たる事実だ。

 一千万を超えるFRF市民を導けるのは、この不死者しかいない。


「ご気分が……悪いのですか? ダンタリオン様も御身を案じていらっしゃいました。口惜しいですが、私より御身の方が重大です、回答が負担だということであれば……閣下がお望みの証言だけを残し、私は、死を受け入れます」


 鎧の内側にいる雌性体は、螺子が切れたように発声を止めた。

 そして『すまない』とまた拡声器越しに語りかけてきた。


『喪失済みの同胞との会話だと誤認してしまった。それだけ貴官の完成度は高いのだ。もっと早くにこうするべきだったと我々プロトメサイアは後悔している……』


「総統閣下、本当に、どうされたのですか?」


 悔恨の言葉とは裏腹に、輝ける黒い甲冑を纏う不死者は、どこまでも無感情に呟いた。


『貴官が出奔する前に、こうして正式に対話してさえいれば、貴官を突き動かしたのがアド・ワーカーの汚染ではないと気付けただろう。だが我々はそれを怠った。可能性を十分に検討しないまま、貴官の行動を予測した。その通りになると信じて疑わなかった。結果として貴官の血族とフェイク・ヨーロピアの市民を地上から絶滅させてしまった』


「ぜつ、めつ?」少女は絶句した。「絶滅……? どういうことですか? この地上には、まさか、もうただの一人も、我が市民に連なる者が残っていないと? そんな、そんなわけが……」


『肯定する。ネレイス。我が血に連なるものよ、貴官に咎は無い。認めよう、全ては我々プロトメサイア、出来損ないの救世主の責任である』


 漆黒の救世主のレンズの向こう側を、ネレイスはその時、初めて認識した。

 目は魂の窓だ。目を見れば全てば分かると英雄フェネキアは言っていた。レンズとて目と同じだ。見透かそうとすれば、見えてくるものがある。

 ネレイスはプロトメサイアの内奥を確かに見た。

 何もありはしない。

 一面の虚無だ。


 彼女が信じてきた救世主の内面は、伽藍堂だった。



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― 新着の感想 ―
[良い点] いよいよプロトメサイア登場ですね。 凄まじい権能と、それでいて何もかも及ばないという諦念。 機能や機構、そしてどことなく、雰囲気もリーンズィに似ているような、似ていないような。 次回も楽し…
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