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アフターゾンビアポカリプスAI百合 〜不滅の造花とスチームヘッド〜  作者: 無縁仏
セクション4 殺戮の地平線  世界生命終局管制機 アルファⅣ<ペイルライダー>
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セクション3 試作型救世主 その1 名も知れぬ都市の檻(4)

「気に病むことはない、ネレイス。これはウォッチャーズの決定だ。お前と破滅は無関係だ。石ころみたいなものだった。お前が来た時には、既に下り坂を転がってる最中だった」


 その晩、不死者は独房でネレイスに語りかけてきた。

 慰めの言葉は何度も何度も繰り返された。ネレイスは返事をしなかった。両手を拘束された状態のまま、首輪を壁に繋がれた状態のまま、一人の虜囚らしく振る舞い、絶対なる支配者をいないものとして扱った。

 腐れたマットレスに横たわり、拗ねるようにして、じっと口を閉ざしていた。

 不死者に見張られているネレイスを恐れてか、あるいは刑吏の長が――今は亡き刑吏の長が取り計らってくれていたのか、拷問は前日までと比べて軽い物になった。

 傷は少なく、疲労の蓄積も浅い。

 銃声が夜通し聞こえているがどうでも良い。


「どうせ起きているんだろう。俺には呼吸音で分かるぞ。俺の声に反応して心臓が揺れているのも聞き取れる……」


 不死者の一挙手一投足に注意を払うべきなのだが、ネレイスはすっかり厭になっていた。

 自分は破滅を呼び込む道具として彼に利用されていて、人間性を徹底的に蔑ろにされている。そのことがもう分かってしまっていた。どうせ処刑される身分なのだから、いまさら礼を失したところで、然したる問題にはなるまい。

 独房に放り込まれて以来、不死者のことなど無視して眠ろうと務めている。

 だが、眠れない。

 ずっと眠れないでいて、どんなに努力しても、不死者が口にする空疎な慰めの言葉に、つい耳を傾けてしまう。

 誰かに縋りたくなる。

 今朝方処刑されたあの雄性体、刑吏の長への罪悪感を、どうしても拭えない。


「ネレイス。少しでも感情移入した相手を我が子のように感じてしまっているんだろうが、そんなのはただの錯覚だ。あの市民にお前の血は少しも流れていない……お前の子でも市民でもないんだ」


 自分の市民ではないから何だというのだ、とネレイスは内心で反駁する。市民を愛し、守ってやるのが市長の仕事だ。そう信じてネレイスは全霊を都市に捧げてきた。眠れるはずもない! 余計な知識を吹き込んだせいで市民を死なせてしまった。また死なせた……。

 こうなると分かっていて、要らぬことを吹き込んで、死なせたのだ。


「ネレイス。何とか言ったらどうだ」不死者は溜息をついた。「俺はお前の心配をしてるんだ。このままだと総統の裁定を待つまでもなく、お前が自殺をしてしまいそうに見える。お前には何の責任もないんだ、そのことを自覚しろ」


「……あの市民が惨死したのは私に責任があります」拘束されたままの少女は、観念して薄く目を開いた。「あんなふうに死ぬ必要は無かったのに……」


「ようやく口をきいたな。どれ、起こしてやろう。明日からは俺も忙しくなる、今のうちに擦り合わせをやっておこうじゃないか」


 そう言いながら不死者は甲冑の両手でネレイスの肢体を撫でた。金属の冷たさに怯えて強張るネレイスの反応に、不死者がまた溜息を吐く。

 この不死者は予想よりはるかに人間味がある。それが逆に怖かった。事ある毎に人間のような仕草をするので、ネレイスとしては何となく落ち着かない。

 片手を首輪に当てがい、呼吸を妨げないように配慮しながら、もう片方の手で腰を持ち上げてくる。ネレイスの軽い体を強引に動かすなど容易いだろうに、敢えて自由を与えてくれる。

 呼びかけにしてもそうだ。話をさせたいならば、初めて出遭った時のようにネレイスが屈服するまで腹でも何でも蹴り続ければ良いのだ。

 相手が自分と息を合わせて持ち上げてくれるので、少女はある種の羞恥さえ感じてしまう。


 マットレスに尻を預け、ネレイスは長く深呼吸をした。

 目を開けば鉄格子から差し込む茫洋たる月光に不死の鉄面が浮き上がっている。意識が完全に覚醒したせいで、神経がささくれ立つ不快な感覚が込み上げてくる。

 昨夜、刑吏の長と話している間、ネレイスは不死者から吹き込まれていたことを忘却してしまっていた。

 これが『仕事』だ。彼は「昔のようにやれば良い」と言った。つまり、「内憂を煽るための工作を行え」という指示だ。同時にこの鉄面の不死者は、ネレイスの認知機能を鈍磨させて、その指示を表層意識から消し去ってしまった。

 敢えて認知機能を制限するような案件ではない。命令された当時のネレイスはそう思っていたが、こうして後悔に苛まれている己を顧みるに、実に的確な処置だった。

 不死者は、この少女が本質的に情に篤く、いざとなれば躊躇うと見抜いていたのだ。そして、自分の役割を忘れているなら、都市に背くようなアイディアを教えてしまうだろうと熟知していた。全くその通りだ、とネレイスは自嘲する。自分は自分の娘たちを肉無しの怪物どもに売り払うような見下げた淫婦だ……無関係な市民にだって抜け道を教えようとする。

 かくして目論み通りネレイスは所長の規律違反を誘発し、彼は死んだ。


「泣くんじゃあない。あんなパフォーマンスを真に受けないでくれ。あの市民も意識があるうちは『痛い』とも思わなかっただろう」


「え……?」


「あれは、賢い市民だった。拷問をする必要もなかった。あいつはな、俺が通信回線を傍受しているのを承知の上で、わざわざ俺の目の前で、家族への電信を行ったんだ。上手いやり方だ。職務上知り得た情報を第三者に漏らしてはならないというルールはある。機密が不特定多数に知られたと推定される場合は、関与する生命資源を全て駆除にしても良いというルールもある。だが漏洩元も漏洩内容も明らかで、機密情報が明確な形で含まれておらず、拡散のおそれも無い場合は、漏洩を行った本人に対して罰則の規定が働くのみだ。覚悟の上だったんだろう。俺は電信を見過ごしたし、所長の拷問も行っていない。苦痛を与えるのは手間だし、散々やってきたが、その手の荒事は今でも正直苦手だ」


「でも彼の家族を……」


「……解放軍ボケしてるな、ネレイス。()()()()()。解放軍の連中なら、一晩で都市を更地にすることだって出来るが……俺みたいな木っ端の不死者は、五倍の加速を十数分続けるのが限界だ。真夜中から所長を拷問して、走ってあいつの住処に向かい、家族を何人か拷問して殺して、一人だけ連行して、早朝までに戻ってくる。そんなの無理があるだろ?」


器官飛行艇(オーガン・クラフト)を使えば可能です」


「可能だがそこまでする案件じゃないだろう」


「私ならそうします……」


「お前はすぐそうだ、自分ならこうすると思ったことは、他人もすると思い込むんだ」不死者は肩を竦めた。「いいか、余所から一人連れてきたというのは真実だが、あれは別にやつの家族じゃない。外で正規の市民軍とやり合ってた革命軍、徒党を組んだ不良市民を一人浚ってきて、顔と言語機能を破壊してから、牢に放り込んだだけだ。ぜんぶ収容所の連中をビビらせるためのブラフだ。刑吏の何人かは、あれは所長の娘でも何でもないと気付いていたかもしれない。だが威圧効果はあったはずだ」


「彼の家族は無事、ということですか?」


「さあな。俺は殺してない。正規の手続きを経て都市から出ること自体は罪でも何でもない。可能性は低いが都市の破滅に巻き込まれずに済むかもな」


 微かな喜びと同時に、不可解さが湧き上がる。

 不死者というのは冷酷であるものだ。彼らは無慈悲な執行者、殺戮の代理人として振る舞うように徹底的に統率された存在である。それが誰かに恩情を掛けるなど……。

 異常と言えば、態度の何もかもが異常だ。ネレイスは、未だかつてこれほど親しげに接してくる不死者を見たことがない。プライベートで好色を気取ったり嗜虐性を滲ませたりする不死者はいるが、どれもこれも不死となる前の人間性の残渣に過ぎず、行動が真に迫っていても虚構じみた部分があった。掠れた日記帳の文字列を追いながら必死に過去の自分を再演しているような、そんな不自然さが不死者には付きまとうのだ。


「暴力には良い思い出が無い。お前もそうだろう? だいたい誰でもそうだとは思うが。とにかくお前には……何の責任もないんだ、俺がやらせたことだし、放っておいてもこうなっていた。……例の所長も察していた。脳を破壊する前に少しばかり話をした。これから死ぬ相手に、何の慰めにもならないが、何か最後に聞いておきたいことはないかと機会を与えた。そうするとあいつ、アスタルト様はご健在かと訊いてきやがった……」


「アスタルト様ですか?」ネレイスは思わぬ名前に息を詰まらせた。ネレイスが理想とする不死者。総統と同等の権限を持つ偉大なるメサイアドール。「まさかアスタルト様に何か?」


「いや、全くの健在だ。俺も直接は見てないが。アスタルト様がいっときでも姿を隠せば全都市で生命資源が大量死するはずだ。現状そうなってはいないのだから、ご無事なんだろう。それで、どうもあの純粋雄性体は、アスタルト様からの配給物資が行き渡っていないのに、ずっと違和感を持っていたらしい。リ・レボリューションへの配給がアスタルト様によって制限されているのは何故だと……」


「アスタルト様は慈悲深い御方です! 都市の出した成果ではなく、純粋に市民の数を見て配給量をお決めになる。一人でも多くの飢えを癒やすためです……大いなる責任によって駆動する栄光の都市運営者! 総統閣下ですら、その裁量に口出しすることは無い! 私は何度も見ました、アスタルト様のお出になる広報番組は全部録画していて……」


「待て待て、がっつくな。……ウォッチャーズが宣伝している数少ない真実の一つではある。アスタルト様がペナルティとして配給量食を減らすなど絶対に無い。刑吏の長もアスタルト様を信奉していたようだ。アスタルト様ではなく、そんな公式発表をする市長に対して、疑いを向けていたようだ」


「それは、そうでしょう。アスタルト様の恵みを受けて暮らす市民ならアスタルト様ではなく市長の失政をこそ確信します。それが善良なる市民というものです」


「どこまでアスタルト様を信じているんだ……まぁ偉大な御方ではあるが……。しかし妥当な考え方だな。アスタルト様に非難の矛先を向けるような、そんな不敬極まる虚偽が流れるのは、大抵が支配クラスが不当な独占なり横流しなりを始めて、言い訳にメサイアドールを使うからだ。この都市もそうだ。所長にも事実を教えてやったが……驚いたふうもなかった。ネレイス、そういうことだ。誰も彼もが破滅の渦が迫っていると気付いていたんだ。ぜんぶ時間の問題だったんだよ、ネレイス。俺はもう時間だと知らせるために来た。これが俺の仕事の全部だ。最後の最後で石を大きく蹴飛ばしてやるだけなんだ……」


 格子戸から降り注ぐ月光が、永久に朽ちぬ鉄の面頬を照らしている。

 重苦しく厳めしい甲冑は黒く塗装され暗闇の中でも一際に濁り、蒸気器官を背負ったその輪郭は人間の形から酷く逸脱して見えた。不老にして不死なる肉体により久遠の時を生きる絶対者。どこか草臥れた気配を感じさせて、ネレイスまでも欠落した心の真似がしたくなる。

 どうせ演技だろうと少女は邪推するが、遣る瀬ない嘆きの言葉には、言い尽くせないような倦怠が滲んでいる。


「……どこまでも見飽きたような破滅の渦だ。厭になるよな。ネレイス、繰り返しになるが、この都市は坂道を転げてる最中の石ころだったんだ。お前は状況を加速させたかもしれないが、一方では決定的な関与には至っていない。ネレイス……お前は……今でも……いや、市長としての意識が芽生える以前から、傲慢で、他の市民に甘すぎた。その姿勢は間違っていなかったと俺は思う。だが苦労して浄化チームに入ったんだ、この状況では割り切って物事を考えるべきだ。それが出来なかったから、お前は、こうなってるんだが、とにかく気に病むな」


 ネレイスは尚も戸惑う。何よりも自分の心臓が妙に高鳴っているのに戸惑う。

 気を許した不死者は、極稀に人間性の片鱗を現すことがある。生前の嗜好を再演するのをやめたときにこそ、現在の本物の顔が現れるのだ。大抵は機密情報を含んではいるが益体のない愚痴だったり、想像も出来ない遠い日の追想を零すのみだが、この不死者は何かが違った。

 ネレイスに虜囚の辱めを与えているにしても、余りにも多くの言葉を与えすぎている。

 愛を、与えすぎている。


「理解出来ません。私に何をさせたいのですか。あなたは、何を仰っているのですか?」


「……ネレイス。つまり……そうだな、お前の仕事は、おおかた終わりだということだ」不死者は諦めたように首をふった。「俺が欲しかったのは、現在の都市秩序の要である収容所を査察し、取り扱うための権限を奪取することだ。お前の操作によって、この都市は終点までの最終直線に入った。収容所の連中は疑心暗鬼に陥り、機能不全を起こし、勝手に自己崩壊していくだろう。ところが内乱はますます悪化し、収容者はますます増え続ける。さて、こうなれば破綻するまで五日か、六日か。一週間はもたないだろうな」


「破綻してしまったら、その時は……」


「起こることは一つ。暴動だ。収容所に囚われていた何百、何千という数の不良市民が脱走し、反体制勢力と合流する。市民軍でも制止は不可能。市長がどんな権限を使っても治めようがない事態だ。そうなれば、ウォッチャーズがどう判断するか分かるな?」


「そうなれば、市民を虐殺主義的破壊行動者(アド・ワーカー)の集団と認定し、浄化チームの出動を認めます」


「そういうことだ」不死者は満足げに頷いた。「それで終わりだ。難しい話じゃあないのさ……」


 ネレイスは自分を責め苛んできた刑吏たちが皆殺しにされる場面を想像して、しかし、腹の奥が冷えて縮むような思いをした。

 虜囚と刑吏という間からではあるが、彼らや彼女らに対して、別都市の市長たるネレイスは一方的な愛着を覚え始めていた。

 顔なじみが虐殺されてこの世界から消え去るというのは、耐え難く感じられた。


「しかし、しかし不死者様……ご再考を願えませんか?」


 少女はマットレスの上で哀願した。拘束され汚辱に沈む以外には何も出来ぬ少女は、それでも市民を愛していた。

 無駄だとは分かっていた。ウォッチャーズはこの都市を消し去って市民を入れ替えると確定させている。

 それでも請わずにはいわれなかった。


「どうかご再考を。アド・ワーカーが、どこにいると言うのですか? 都市全土の浄化はあまりにも過激すぎます。不穏分子さえ取り除けば、きっとこの都市にだって、まだ……」


「アド・ワーカーはどこにでもいる。やつらは都市の生み出した仮想敵などではない。我々は常にやつらと戦っている」声に熱は無かった。汚水は下水に溜まるとでもいうような当たり前の真実を告げる口調で不死者は言った。「この都市はコンセプトからして危うすぎた。もういっそアド・ワーカー発生のメカニズムを解き明かすために造られたと言っても良い。それが半世紀以上も保ったんだ、不死者アンドラスは上手くやっていたよ。都市の管理者が暴力の方向性を規定し、定期的に人口動態を激変させればアド・ワーカー発生が抑制されるという仮説にも、目処が立った……どんな目的の都市でも、管理者にとっては我が子にも等しい。早々手放せるものではない。そう簡単に浄化チームの投入を認める不死者はいない。だが……捨てると決めたんだ」


 月光を取り込んだ光学素子は、薄明の空に散らばる塵芥の星に似ている。


「『きっとこの都市にだって、まだ』か。まったく、正しい考えだよ。だがネレイス、この瞬間こそが『きっと、まだ』の後に来るものなんだよ。受け入れろ、ネレイス。心を凍らせろ。お前は何にも悪くない……ただ居合わせただけの、無関係な犯罪者なんだよ」




 収容所の機能は見る間に崩壊していった。

 仮面の不死者が予想した通りに収容者はますます増え、刑吏たちの仕事はますます増えた。

 朝となく夜となく刑吏たちは職務に邁進する。次の拷問部屋へ、次の次の拷問部屋へ、新しい凶器を倉庫から持ち出す。指を切り落とすための様々な鋏。頸椎を圧迫していく螺旋回しの首輪。棘だらけの椅子。機構により開閉する円筒。吊り下げるためのワイヤー。肉を削ぐためのナイフ。新しい凶器で収監者を責め苛む。普段は持ち出さぬような凶器まで使って収監者を拷問し続ける。だが凶器の洗浄が追いつかない。メンテナンスを請け負う刑吏は、薬品のせいで黒く爛れた手で、これから汚れる凶器を必死に清潔に保とうとする……。

 刑吏たちは、それと平行して、青ざめながらネレイスをいたぶり、苦痛を与え、問い糾した。

 いつもと変わらぬ供述をするたび、目を逸らし、耳を塞ごうとした。

 機密情報の漏洩があったとして不死者に殺されることを恐れている。

 だがそれは許されない。

 苦悶に喘ぐ息で紡がれる一言一句を書き起こして報告書に纏め、不死者に手渡さなければならないからだ。


 不死者は無言で報告書を受取る。ページをめくる、またページをめくる、終わりまでページをめくる、床に投げ捨てる。そうして捨てられた報告書が層を作り腐れている。

 刑吏は一言も発することが出来ない。認められていない。許可されない限り、彼らは口をきけない。不死者は無機質な光学素子を向ける。

 それが退室を促す合図なのか、報告書の内容を咎める視線なのか、それすら確かめられない。

 人型の肉食無機機械じみた眼光に射竦められれば総毛立ち、「ここから逃げ出したい」と精神機能が大音量で警告を発するのが常だが、そんな超常の不死が所長の代理を名乗り、いつでも収容所をうろついている。

 刑吏たちは疲弊していく。得体の知れぬ宝石のような娘を放り込み、所長を惨殺し地位を簒奪したこの理解不能な怪物への対処を、一秒も途切れることなく要求される。疲れないわけがない。刑吏たちは疲弊していく。キャパシティを超えて収監される続ける罪人たちへの尋問・拷問が続く。刑吏たちは疲弊していく。日に日に消耗していく。終わらない。収容者は、体制の反逆者は、政変を目論む敵対的市民は日増しに勢いを増す。刑吏たちは拷問用の精力剤を打ち、血走った目と清潔でない肉体で、囚人どもの部屋を練り歩く。終わらない。疲弊する……。


 やがて刑吏たちは夜な夜な虜囚たるネレイス、収容所において只一人美しくあるものに、泣き縋り付くようになった。

 彼女が狂える長命者の娘などではなく、真に権威を持つ人物なのだと、皮肉なことに彼女の専属に等しい所長殺し、あの恐るべき不死者が証明してしまっていた。

 刑吏とネレイスたちは、もはや欲望を滾らせた支配者と、貪られるだけの無力な被支配の関係ではなかった。刑吏たちは彼女に独房で涙ながらに窮状を訴えた。物資が足りない、人員が足りない、時間が足りない。

 無論、現在のネレイスには何をすることも不可能で、虜囚としての立場は変わって折らず、相変わらず排泄すら制限されている始末だ。

 だが刑吏たちには現状を打破する全てを知っているのはネレイスしかしないと信じた。

 否、盲信した。有りもしない可能性にしがみつこうとしていた。

 暴力の行使者たる刑吏が、虐げるべき虜囚に助言を請うという矛盾。彼らの関係は完膚なきまでに破綻していた。拘束された半裸の娘、自分たちが昼間散々に嬲りつくした肉体に縋りながら、声を上げて泣く。不死者の機嫌を損ねないためにはどうすれば良いのかと訊く。「近頃ろくに食事が喉を通らないのですがどうすればいいでしょう?」 ネレイスはどう答えたものか迷った。この都市はもうすぐ浄化チームに根こそぎにされる。食事をする必要が無くなる存在に、どんな言葉をかけてやれるだろう?

 極限状況で思考能力が異常を来したのか、雌性体同士でパートナーになることで不便はあるのだろうかと、状況に全くそぐわない質問をしてきた刑吏のつがいを前にした時は、息が出来なくなった。

 収監された時点でネレイスという生命資源に興味を持ち、夜の独房に通っていた二人なので、彼女としても愛着のある顔だった。

 しかし、これから滅ぼされる都市の恋人たちに、何を言えば良いのか……?


「人口動態調整センターへの申請は終わっています。もう交配機の予約と、生殖権の私的使用の手続きをしているんです。収容所の職員はお給料が良いので、二人で頑張ってお金を貯めて……もうこの年齢で自分たちの家族を製造出来るんです」


 血だらけの恋人の手を握りながら、憔悴した刑吏は言った。聞かれてもいないことをすらすらと口にした。


「ネレイス様が本当に市長だと仰るなら、雌性体同士での暮らしもご存知ですよね。私たち、二人とも雌雄の揃った家の出なんです。ここは伝統的に雄性の血統から引き離されると権利が弱くなる都市ですから、雌性体同士で家庭を持つと、どうなるのだか、不安で……」


 そんな次元ではない。伝統がどうという問題ではない。

 この都市は、もうすぐ滅ばされるのだ。


「ほ、かの……他の、他の都市に、移住しなさい」


 ネレイスは吐き気をこらえながら、考え得る限り最も適切なアドバイスをした。


「ここは生命資源を産み育てるには向かない土地だ。どこか……どこか、この都市とは無縁な場所に向かったほうがいい。移住が難しければ、受胎してすぐ市民の地位を捨てて、都市周辺者になりなさい。不利益は多い。非常に多い。多くの権利を制限されるし生命資源供出を命令される頻度も高まる……でも、都市のせいで、都市のために死ぬことは無くなる」


「いつ、そうすればいいですか」


 いつ? 不死者は一週間は保たないと言っていた。「できるだけ早く」


 二人は次の朝、死体で見つかった。

 収容所から脱走したのだ。刑吏が収容所から脱走するというのは甚だ異常であるが、終わりのない収容と拷問の輪から抜け出そうとしたならば、それは脱走と呼んで差し支えないだろう。

 人口動態調整センターは都市の動乱とは無関係に稼動しているため、そこですぐにでも子を成そうとしたのかも知れない。

 彼女らの死は、罰によるものではなかった。

 収容所から抜け出しても、待ち受けているのは革命軍、暴徒化した市民たちだ。それに捕縛された刑吏を待ち受ける運命がどのようなものかは誰にでも分かるはずで、彼女らはその通りになった。

 残骸だけが不死者によって回収された。

 その夜、ネレイスがニノセと造花人形を思い出して二人に重ねていた自分に気付き、声を殺して泣いていると、不死者が現れた。


「俺が正規市民保護の名目で出動したときにはもう手遅れだった」


「……わたしの、私の責任です、私の……」


「また責任か。責任、責任、責任! いらない責任を抱え込むのはやめろ! お前はここの連中のママじゃあない。長命者になった程度で、あんなくだらない連中の、自殺同然の行いまで、責任を取れるものかよ。冷静に考えてみろ、私的生命資源製造の段取りまで進めてる市民だぞ、何としてでもパートナーと子を成して、一緒に無事に助かりたいと願っていたはずだ! 一人ならともかく、二人だ、昨日今日脱走を思いついたわけじゃあるまい。最後の一押しをお前に求めただけだ! そしてお前が何を言おうが、言うまいが、行動に移していただろう! ずっと気付いていたに違いないのさ、この都市はもう終わりなんだと……。そして死んでも良いからと馬鹿な行いをして、死ぬより酷い目にあって死んでしまった!」


 まるで自分に言い聞かせるかのようだった。


「愚かだが……そうだな、痛ましい。こんなことはさっさと終わらせなければならない。浄化チームの連中と計画を練り直す……。とにかく滅びさえすれば、この都市では、もうあの娘どものような悲劇は起こらないんだからな。さっさと滅ぼさなければならない……」


 手段と目的と個人的感情がまるで噛み合っていない。


 だがその言葉に、ネレイスは頷いた。

 どうして愛し合う二人があそこまで執拗に痛めつけられて殺されなければならなかったのだろう? 収容所で拷問を行っているだけの善良な市民だったというのに。都市の法と秩序に従うだけのしもべであったというのに……。

 理解出来ないわけではない。没落した都市の公僕とは、時には贄として消費されるものだ。革命と政変が都市の特性なら、仕方のないダメージかもしれない。

 層は考えるが、ネレイスにはどうしても割り切ることが出来ない。

 見知った顔が惨死していく状況は、愛娘を死なせた直後のネレイスには、あまりに過酷すぎた。

 この都市さえ滅びれば、こんな陰惨な状況は地上から消え去るのだ。

 倒錯した思考だとネレイスも自覚している。


「だからそんなに自分を責めるな、ネレイス! 鏡がないのが残念だ。暗闇でも分かるぐらいに酷い顔色だ。お前に自殺されでもしたら、俺は、どうしたら良いか分からない……」


 だが追い詰められたこの少女には、もう何も理解出来ないし、望めない。




 夜が明け切らぬうち、ようやく微睡みに落ちたネレイスは、独房の扉が破壊される音を訊いた。

 外部の反体制勢力が収容所に踏み込んできたのかと恐怖を覚える。

 刑吏たちの辱めはルールに則ったものだが、暴徒たちに倫理は期待できない。

 拘束服が完全に覆っているのは腕だけだ。肌が剥き出しなっている体を両足で反射的に隠そうとしたが、「予定を早めてきた」という醒めた声で気付いた。

 扉を破壊したのは、不死者だった。


「え、扉を、どうして……?」


「普段は万能鍵を使うんだが、気が焦って上手く機構を動かせない。かといって鍵束から鍵を探すのも面倒だ。だから壊した」


「刑吏に開けさせれば良かったのに。ダドリットという若い刑吏がいたでしょう、あの雄性体の市民も、よく私のところに通っていましたから、不死者様が命令すれば、すぐ鍵を見つけて、開けてくれたはずですよ」


「無理だ。死んだ」


「あの子が死んだ?」ネレイスは青ざめた。「じゃあやっぱり、反体制勢力が攻め込んできたのですね」


「いや、俺が殺してきた」空き缶なら俺が捨ててきた、といった調子で不滅者は言った。「予定を早めたんだ。反体制勢力が、市民軍の収容所守備隊を突破して突入してくるのを待つつもりだったが、不死者アンドラスが公平にばら撒いてきた武器のせいで状況が膠着してる。まぁ最後に帳尻が合えば良いんだ、昨日の刑吏二人が殺害されたことを引き合いに出して、もう他の可能性は存在しないと判断した。ウォッチャーズの資材管理部も許可済だ。俺が手ずから予定を早めることに決めて、そうした」


「……誰を殺してきたのですか?」


「だから()()()()()()()()と言ってるんだ。遅かれ速かれそうなる。暴徒にやらせてもよかったが、この収容所を運営する市民クラスは半雄性体と純粋雌性体が多いからな、簡単には死なせてもらえないだろう。……向こうはそう思っていないだろうが収容所の連中は一時的には俺の部下なんだ。部下が玩具にされるのは腹が立つし……ネレイス、お前も嫌だろう」


 独房に踏み込んできた不死者はヘルメットから具足まで、どこもかしこも返り血で汚れていた。背部の蒸気器官から薄く煙が伸びている。

 自分に可能なありとあらゆる手段で刑吏たちを殺害したに違いない。道義的な非難を行うための言葉が脳裏をよぎったが、それはネレイスをも突き刺していく。

 少女騎士たちを殺したのは、本当に正しかったのか? 解放軍の骨だけの怪物たち(スケルトン)と無許可で接触を持った市民は徹底的に脳髄を洗われる。ウォッチャーズの真なる刑吏どもに手脚を切り落とされ、皮という皮を剥がされ、肉という肉を刻まれ、自分の胎で自白螺旋を製造させられて、それを頭蓋骨に捻じ込まれ、思考の自由すら永久に奪われる。それまでに見聞きした情報を機械的に出力するだけの肉塊に造り替えられる……。

 ウォッチャーズの裁きを、市長如きが想定するなど、おこがましいことだ。

 しかし都市の真なる支配者たちは。その程度の残虐行為を普段から実行している。市長クラスは処刑の映像を見ることが義務づけられていたし、英雄フェネキアの隷属物として地獄のような開拓地で戦い続けたネレイスには、彼らについての現実的な知識が確かにある。

 娘たちを待ち受ける凄絶な未来を想像して、ならばそうなる前に自分が、と手を下した。

 暴徒に蹂躙される未来を予期して、不死者が先んじて、刑吏たちの命を処断した。

 それはどう違うのだ……? 

 無論、両方が悪だ。

 両方が罪人だ。

 両方が裁かれるべきだ……。

 ネレイス! お前は罪人だ。ネレイス、ネレイス……。都市の敵だ。娘たちの仇だ。お前が信頼に背いた。お前が親愛に背いた。お前が道義に背いた! 糾弾する声が延々と鳴り響く。お前の罪だ! 責められるべきはお前だ! お前の責任だ! お前の……。

 しかし、しかし……。

 この末期の都市で、ネレイスは正常な人間性を保てなくなっている。


「市民軍もじきに収容所の異変に気付く。士気は下落し、戦線は総崩れだろう。そうなる前にお前の身柄を確保しなければならない。これから管制室にお前を連行して、そこで保護する」


 不死者の腕が、首輪に繋がるリードを壁の根元から切断した。

 緩んだリードを掴み、引き上げて、ネレイスを腕力で立ち上がらせる。

 不死者が乱暴に扱ったおかげで、自責の連鎖に飲み込まれかけていたネレイスの意識が危ういところで現実へと引き戻される。ネレイスは冷や汗をかきながら思考を切除した。

 それにしても、罪人であると言う体面を保つつもりなのか、両手の自由は与えてはくれないらしい。これでは躾されている最中の愛玩動物ではないか、とネレイスは恥じらいを覚えたが、抵抗できる状況でも身分でも無かった。


「邪魔そうな拘束器具は外したが、歩けるか? 肌を隠す布が欲しいなら、死体から剥ぎ取ってやるが」


「侮らないでください。生者から略奪するならまだしも、死体から履き物を取るなどというのは、野盗のやることです。私は罪人ですが野盗にまで墜ちた覚えはありません。そもそも私の恥辱は、私が受け止めれば良いだけのこと。彼らが私の市民ではないとは言え、正規市民を死してなお辱めるなど、市長にして最高の戦士であるこのネレイスには、とても考えられません。……むしろ虜囚として正当な姿を晒すことこそ、私の穢れた名誉を守るのです」


「……フェイク・ヨーロピアの騎士姫様。何も変わっちゃいないな」不死者は呟いた。そして躊躇いがちにリードを引いた。「さっさと終わらせてしまおう」



 動物のように紐で引かれながら不死者について歩く。

 通路という通路の上、扉という扉の向こうに、刑吏の死体があった。

 ネレイスは、しかし彼らの悲鳴を聞いていないことに気付いた。

 もしも至近距離で大声や戦闘音が聞こえたなら、戦士たる少女は、不死者の入室を待たずして眠りから醒めていたはずだ。

 きっと不死者はオーバードライブまで投入して、極めて短時間で殺戮を完遂したのだ。

 オーバードライブは機械甲冑や蒸気甲冑を装備した者の切り札だ。起動すれば常人の数倍にまで身体能力が跳ね上がるが、使用には時間制限があり、生者ならば反動で死亡することさえ起こる。

 使う側には決断が必要だが、それで殺される定命者にとっては幸いだ。オーバードライブを起動した甲冑は音に迫る速度を使い手に与える。それを余人が補足するのは不可能であり、訓練を受けた者でなければ自分が死んだことにも気付かない。

 ネレイスが見る限り、死体は一様に穏やかな顔をしていた。オーバードライブ発動中にソフトターゲットへ攻撃を行う場合、最も効率的なのは頭部に打撃を加えることであるため、顔面が存在しない死骸が大半だったが。


 管制室の床は血と肉でぬかるんでいた。

 ネレイスは不死者の具足が作る赤黒い轍を素足でなぞって歩いた。

 背後から頭部を粉砕され技官が、不死者によって椅子から蹴落とされる。

 死骸の傷口からは未だに血液が漏出していた。強化改良された心臓は、死亡が確定した段階でも脈動を継続する。粘性のあるFRF市民の血液は滞留しながら急速に凝固し、匂い立つ泥濘となる。大量死の現場ではいつもそうだ。

 不死者はコントロールパネルの外装を破壊して電話線を引き摺りだし、通信機を接続し通話を始めた。


「俺だ。状況は予定通りに悪化してる。今朝は収容所の刑吏どもが皆殺しにされた。このままでは獄囚が外へ出るのも時間の問題だろう。あるいはアド・ワーカーどもの工作員が既に手引きをしているかもしれない」


 そう言いながらレバーを倒す。不死者は首を傾げた。コントロールパネルを見回した。

 リードを引かれたので少女は前進した。不死者は光学素子をネレイスに向けて頷き、パニック・クローズ用のボタンを叩いた。

 管制室の扉が機械錠で閉鎖された。

 その状態でレバーを幾つか倒した。

 警報が鳴り響き、警報用のランプが赤色で明滅を始めた。


「全ての牢の電気錠が解放されたことを、今、確認した。現時点を以て収容所は全機能を喪失した。無秩序状態だ。これよりネレイス五〇七号を連行して脱出を試みる。俺を光学観測するまでお前たちは待機せよ」


 現実には、刑吏の殺害から牢の錠前を外すことまで全て不死者が行っている。マッチポンプというにも値しないほど強引な手法だ。

 しかし、この破局を避ける道がどこかにあったのだろうか。都市の基盤施設である収容所は遠からず機能不全を起こしていた。暴徒が侵入して刑吏を殺害するのも、獄囚が牢から解き放たれるのも、どう足掻いても必然的に発生していたトラブルだ。不死者やネレイスが介入せずとも現在のような状況に至るのは必然だったのだ。

 不死者も、浄化チームも、不整合の出る破壊工作は決して行わない。破滅の渦が現れて、その形が決まっているならば、あとは局所的に状況を加速させていくだけだ。だからこそ一般には『領域外浄化チーム』が同胞の都市を襲撃して虐殺を行っているとは知られていない。客観的に見て存続が危うかった都市が、順当に破滅した。そのようにしか認識されない。


 少女はリードを引かれながら収容所を歩いた。廊下を歩いた。牢の前を通った……。

 警報が鳴り響く中、収容者たちは、事態の推移を全く理解していなかった。

 血濡れの騎士甲冑が、囚人らしき装いの麗人を連れ歩いているのを、鍵のかかっていない格子の隙間から呆然と眺めるばかりだ。


「どうなってるんだ、不死者様が俺たちの味方をしてくれているのか……?」


 切り落とされた腕に包帯を巻かれた囚人が、譫言のように口に出した。

 その隣で、鼻と耳を削ぎ落とされた囚人が、ネレイスに熱のある視線を向けている……。


「それにしても、何と貴く美しい生命資源を連れているのだろう……どこかの都市から来ていた客人だろうか。ああ、お労しや、きっと彼女もあのクソどもから散々に辱めを受けたに違いない。生命資源としての機能はご無事のようだが。本当に良かった……。いや、そうか、市民軍のやつら、とうとう手を出してはならない貴人にまで手を出したのだな! それで状況を見かねた不死者様が、助けにこられたのだ……!」


 囚人たちは見当違いの、自分たちにとって都合の良い推測を交しては、血気を盛り上げていく。

 ネレイスは、この都市とは無関係だ。

 まともな衣服すら与えられていない、より上位の機構によって捕縛された惨めな囚人であり、この都市の収容所がどうなろうと、根本の立場が変わることはない。

 だが、他の収容者たちの立場からしてみれば、彼女はいかにも状況にそぐわぬ貴人であり、「他の都市からの来客が不当に捕縛され、辱められていた」という理解も、如何にも尤もらしい。

 尤もらしい意見はすぐに受容される。自分たちにとって都合が良いからだ。

 両腕を拘束され、強制的に晒された肌。汚辱を経験したその輝かんばかりの美貌が、虐げられた市民には、収容所の堕落と、そしてその解放を暗示する偶像のように映ったのだろう。ネレイスは向けられた視線があまりにも純粋であることに居心地の悪さを感じる。いっそ短絡的に劣情してほしいぐらいだった。

 尚も収容者たちは牢から出ようとはしなかったが、不死者が無言で格子戸を開けていくと、一気に状況が変わった。


「あ、ああ……なんてことだ、不死者様は、やはり俺たちの味方だ……革命軍の味方だ!」牢から飛び出し、血を吐きながら兵士が叫んだ。「大義は我らにあり! 不死者様は我々を放免なさるおつもりだぞ! 皆、牢から出るんだ!」

「おい見ろ、この刑吏どもの無様な残骸を! いったい誰が!?」

「さ、昨晩遅くに、不死者様が牢の前を歩いていたぞ! そしてそれ以降、刑吏どもは一度も見回りに来てない! 不死者様だ、堕落した市民軍に、不死者様の裁きが下った!」

「血を滴らせる装甲を見ろ! まるで悪しき竜を屠った騎士ではないか!」

「そうとも、市民軍は生き血を啜る赤い竜だ! 我々だけでなく、どこぞの上位都市の支配クラスをも拘束して、ほしいままにしていたのだ! 都市の恥だ……! 不死者様は力足らずの我らを、腑抜けの市長に代わってそれを誅伐してくださった……!」

「貴い血を引く御方を救い、我々までも救って下さった! 万歳! 不死者様、万歳!」

「あるいは、あの娘は、不死者様の配偶者だったのではありませんか!?」

「何たることか、悪辣なる市民軍は不死者にまで危害を加えた!」

「おお、では、まさか妻を救うために不死者様はこんな腐敗した都市に来てくださったのか!?」

「……なんと眩い……不死者様こそが市民の鑑だ……奥方を辱められ、永劫の時を生きる御方がどのようなお気持ちで過ごされていたのか……何とも情けない! 我々の都市が! 情けなくてたまらない!」

「市民軍の人間もどきを許すな! 我々革命軍の手で都市の恥を濯ぐのだ!」


 熱狂に反して、不死者は冷え切っていた。

 背を追ってくる収容者の歓声に一切耳を貸さず、纏わり付く手は振り払って進んだ。

 どんな勝手な憶測にも応えはしない。市民たちは気付いているのだろうか。そもそも不死者は、牢から出ても良いなどとは一言も発していないのだと。

 ネレイスの体に触れようとする者が現れ始めたので、リードを引っ張って引き寄せ、宝物のように抱いた。「昔を思い出すな」と不死者は呟いたが、ネレイスには思い当たる記憶がない。ただ心臓が鼓動を強めた。

 不死者が定命者と婚姻することなど無いと知ってか知らずか、二人の一見睦まじい姿に収容者たちは色めきだったが、半裸で拘束されているネレイスからしてみれば全般的に恥ずかしいだけであり、また市民たちがあまりに無思慮に推論を拡げていくので、暗澹たる思いになった。


 かくして、美姫を抱く不死の騎士を先頭にして、獄囚たちは収容所の門から堂々と退出した。

 市民軍の守備隊は唖然として彼らを眺め、不死者に視線を向け、理屈は分からぬがこの都市はもう終わったのだと合点したようだった。

 獄囚たちは彼らを打ち倒し、武器を奪って高らかに勝利を宣言した。


 そのとき、上空に巨大な影が出現した。

 無数の重機関銃を搭載した浄化チームの器官飛行艇群。

 それが数十隻で編隊を組んでいる。市民たちには唐突に出現したように見えただろうが、実際にはこのクヌーズオーエの上空でずっと待機していたのだとネレイスには分かる。

 クヌーズオーエは天地で属する時空間が異なる。あの船団は高空からゆっくりと降下して、都市の属する時空間へと侵入しただけだ。

 どよめきが広がる前に、飛行艇から無数の影が身を投げた。

 全都市からかき集められた精鋭で構成された、機械甲冑で完全武装した恐るべき兵士。

『領域外浄化チーム』の面々だ。

 着地と同時に踵部に仕込まれた撃発機構が作動して、火薬の炸裂で衝撃を相殺する。

 次々に鳴り響く機械甲冑の着地音は刻限を告げる錆びた鐘の音に似ている。

 市民たちは驚愕の声を漏らしたそれぞれに適当な憶測を交し始めたが、爆音がそれを乱暴に断ち切った。

 着地音だった。装甲に燃え盛る形象の鳥、不死鳥のエンブレムを刻んだ機械甲冑が降りてきた。その兵士は撃発機構を使用せず肩口から転げるようにして設置し体を複雑に捻って回転することで着地の衝撃を緩和した。機械甲冑の防御力と驚異的な身体操縦能力の組み合わさった離れ業で、それを皮切りにして同様の着地を行う兵士が次々に現れた。

 着地には成功しているとは言え、形としては全身甲冑での投身自殺である。炸裂音よりも遙かに大きく不吉な音が響くので、市民軍も革命軍も、何か異様な雰囲気を感じ取って身を竦めた。

 一人着地に失敗して全身が本来有り得ない部位で折れ曲がり立ち上がれなくなった兵士がいたが不死鳥に率いられたその一団は負傷した戦友を見てゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラと笑い、隊長格と思しき機械甲冑が合図するとその兵士を囲んで恩寵の軍刀で装甲ごと滅多差しにして殺した。

 体制側も反体制側も言葉を失った。

 通常挺身降下を行った他の浄化チームの兵士たちも、不吉そうに不死鳥の荒くれどもを眺めていた。得体の知れぬ緊張が場をたちまちに支配した。

 市民たちも薄らと気付き始めたはずだった。

 何か致命的に異常なことが起きつつあると。


「いやぁ、お見苦しいところを見せたッス」


 一団の長、不死鳥のエンブレムを刻まれた兵士が、不死者に朗らかな声で謝罪した。


「まさかボクの部下に、この程度の技をしくじる出来損ないが混じっていたなんて! ああもう処分したから、見なかったことにしてほしいッスね」


 と、機械甲冑の光学素子が、不死者に抱かれる無力な少女の肌を貫く。


「あっ、ネレイスちゃんだ。うわぁ、本当に生きてたんだ! 久しぶりッスね。元気にしてたっスか。おや、手とお腹以外、裸同然じゃないッスか。そんな感じで拘束されるの相変わらず似合うッスねぇ、かわいい。だけど以前の飼い主としては許せないなぁ、市長なんかになったネレイスちゃんの可愛いところを映像記録で持ってるの、ボクだけだったのに。まぁもうどうでもいいか……」


 嘲弄するような言葉を捲し立てる、その聞き慣れた声に、ネレイスは目を見開いた。


「ふぇ、フェネキア、様……?」


「はい! ネレイスちゃんのことが大好きな元飼い主、『英雄フェネキア』ッスよ!」


 機械甲冑のバイザーを開くと、ネレイスと同年代の、くすんだ金色の髪をした少女の顔貌が表れた。非現実的なレベルで造形の整った顔貌は、彼女がメサイア、さもなければメサイアドールの恩寵によって造られた存在であることを克明に示している。

 生気の無い暗く淀んだ目をしたこの雌性体は、都市で最高齢の長命者だと言われている。

 実年齢が何百歳なのか知っている者はいない。

 四肢の全てと心臓を含む臓器の幾つかを機械化しているのだから、彼女の実年齢など大した問題にはならない。

 重要なのは、彼女が非・不死者の頂点であり、『浄化チーム』の最古参にして、その設立当初から都市への献身を続けてきた、本物の英雄であると言うことだけだ。


「こんな低レベル都市の浄化なんて、くだらない案件だったけど、ネレイスちゃんがまた見られると聞いて、志願してきたッスよー。死んだと思ってた教え子兼ペットの、こんな無様で無力な可愛い格好。感無量ッスよう。ああ、そうだ、もう『様』はいらないよ別に。フェネキアでいいよ。全権限をボクが抑えて生命資源造らせてた時代とも違うし。対等ッスよ対等。どっちもウォッチャーズに命令されてしっぽと腰を振るワンちゃんッス」


「あ、あれが英雄フェネキア……?」

「浄化チームのフェネキア隊か……!?」

「都市開拓の英雄が何故こんなところに?」

「決まってる、お前ら糞虫を、市民軍を掃除するためだ!」

「体制側の部隊が市民軍に敵対するわけないだろ! フェネキア様に殺されてソイレント工場に送られるのはお前たち革命軍の方だ!」


「あーうるさ……感動の再会の邪魔をするなよ」


 銃声が轟いた。

 機械甲冑の握るスマートウェポンから高速弾頭が射出された。

 発言した市民全員の上半身が吐き飛んだ。

 あまりにも当然のように、しかも無造作に発砲したため、市民の側は、同胞が殺された事実をしばらく認識しなかった。


「弱いって可哀相ッスねぇ。何で殺されたのかも分かんないんでしょうね。ばっかみたい。っていうか死に様がバカ。なんで生まれてきたの? ずっと死んでれば良かったのに。それで、ケルベロスの尻尾の不死者様。これはどういう状況ッスか? 指示を請うッス」


「見ての通り、収容所が機能停止し、囚人が脱走。暴動が起きている。この都市の秩序はもう崩壊したと言って良い。是正も修正も不可能だ。そしてそれを実行したのは、ここにいる市民だ。市民軍、革命軍の双方、そしてそれらをあらゆる形で支援する全ての市民が、罪人と言える」


「わー。それはたいへんッスねぇ」フェネキアは虚構じみた動きで驚きを表現した。それからネレイスに近寄って顔を撫で、肌を撫で、ネレイスの反応を楽しんだ。「なるほどなるほど。刑吏どもも、ウォッチャーズの管理してる大事な生命資源であるネレイスちゃんに私的に手をつけて、めちゃくちゃにやっちゃったわけッスねぇ。どうしよーもない反逆行為(はんぎゃくこーい)だー。こうなったらもー、全員虐殺主義的破壊行動者(アド・ワーカー)の配下と認定せざるを得ないッスねぇー?」


「そういうことだ」


「じゃあ浄化開始ッスね。あーあー。『あー! はいはい、市民のみなさん、ちゅうもーく、ちゅうもーく! 皆さんに愛される浄化チームのリーダー、超絶美少女英雄フェネキアから大切なお知らせっスよー!』」


 機械甲冑の拡声器から放たれた声は、いかにも陽気で親しみやすい。

 つい今し方に、当たり前のように市民を殺した人間と同じとは、とても思えない。

 怪訝そうに動きを止めて、そしてフェネキアの偶像としての美貌に気付き、意識を奪われている市民たち。

 その無防備な群れに向き直り、英雄フェネキアは、彼らを視線と指で丁寧になぞった。

 何の動作なのか、彼女に飼われていたネレイスにはすぐに分かった。

 不死者はネレイスを地面に降ろし、彼女の細い体を包み込むようにして強く抱きしめた。


『はいターゲットマーク完了。ご協力に感謝しまーす、()()()()


 器官飛行艇から吊り下げられた重機関銃が一斉に射撃を開始した。

 五十口径弾の雨が容赦なく降り注ぎ射線上の人体を引き裂いて散らしていく。雷鳴が渦を巻いて轟くような凄まじい銃声が収容所周辺の大気を震わせた。

 一般の浄化チーム兵士は姿勢を低くして弾丸を凌いだ。防御はしない。恩寵の機械甲冑なら五十口径弾で誤射されてもさほどのダメージにはならない。

 ただし、フェネキア直属のフェネキア隊だけは、不幸にも弾丸の雨による致死の洗礼を免れ、悲鳴を上げて逃げようとする市民たちを笑い嘲り追いかけ、必要も無いのに背後から恩寵の軍刀で斬り殺して、四肢を落として辱めた。

 ひとしきりの射撃が終わると、弾丸の嵐の中で直立していたフェネキアが恩寵の軍刀を抜き、「はーい、各自残敵を掃討するッスよー」と愉快そうに命じた。

 機械甲冑の兵士たちが銃と刀を携えて駆け出す。同時、武装器官飛行艇も移動を開始。見境無く市民たちへ重機関銃の弾丸を浴びせ、路地や大通りに差し掛かると、輸送コンテナのハッチを開放して、内容物を投下し始めた。

 地面に墜落してぎしゃげるや否や即座に再生を遂げて立ち上がる。

 頭部に埋め込まれた自白螺旋で恒久的な苦痛を与えている器官停滞者(ステイシス)たちだ。

 狂乱する不死どもは、異変を察知して物陰で息を殺していた市民を補足しては突進し、押し倒して、その肉を食い千切っていく。

 浄化チームの兵士は完璧に連携した動きで淡々と市民を殺し続けた。最高峰の装備を与えられていながら一部の油断もなく、いかなる対象に対しても一切の慈悲を見せない。邪魔になるならば、自分たちが展開させた器官停滞者も恩寵の軍刀で殺して倒す。

 こういったコントローラブルなアンデッドの運用は安くないが、浄化チームは資金難という概念からは縁遠い。 

 

 前触れ無く下水道に通じるマンホール・ハッチから突如として爆炎が上がるが、それに巻き込まれる鈍重な兵士はいない。ハッチから炎が漏れ出た頃には周辺の兵士は退避を終えていた。


「仕掛け爆弾! アド・ワーカーの攻撃だ! 扇動者どもの首魁が近くに居るぞ!」


「もう近くにはいねえよぉ。殺しちまったからなぁ。遅いんだよひよっこども、教本通り地道に制圧進めやがって、怪しい場所の目星をつけて真っ先に潰しちまうのが『やり方』だろうがああああ。トロトロ真面目にやってんじゃねーぞ! げらげらげらげらげら……」


 けたたましい笑い声を上げながらフェネキア隊、浄化チーム古参部隊の面々が、無数の生首を浄化チームの下位グループへと投げつける。


「さぁ狩りだ、狩りだ、狩りだぁー!」フェネキア隊は器官停滞者から逃げ惑う市民を追いかけ、射程内に入った生命体は器官停滞者だろうが市民だろうが区別せずに過剰に破壊して殺処分した。「逃げろ、逃げろ、逃げろぉー! げらげらげらげらげらげら。おい、あそこの雌性体よさそうじゃねーか? あいつの皮でも剥がして休憩するかぁ!?」


 四方へ散った浄化チームの剣先が、殺戮の領域を拡大させていく。

 進行速度は燎原の火にも似ている。もう誰にも止められない。

 ネレイスは遠雷のように聴こえてくる凄絶な悲鳴に胸を悪くし始めていた。

 一方で、酸鼻な都市浄化の風景を、フェネキアは生気の無い目に暗い悦びを讃えて見守っている。


「ふ、ふふふ。ふふふ……死ね死ね、殺せ殺せ……クズはクズ肉に、灰は灰に……。そうしなければ子供たちに未来なんてないんだからね! そういうわけで、後はこっちで良い感じに浄化しとくッス」フェネキアはバイザーを降ろして不死者に挨拶した。「ボクも混じってくるッスね。虐殺もたまには参加しないと腕が落ちちゃうし、可愛い子がいたら捕獲して飼いたいし。あ、浄化作戦中は、目標の生殖権も含めた全権限のロック解除で良いッスよね? たまにはみんな羽を伸ばさないとダメだし、後片付けはちゃんとやるんで」


 ネレイスの盾になっていた不死者が起き上がり、舌打ちする。


「……好きにしろ。都市浄化の遂行自体はお前たちの裁量だ」


「どうもッス。じゃあねネレイスちゃん。また会おーねぇ。さーて、いっぱい楽しむっスよー!」


 オーバードライブを起動して英雄フェネキアはその場から姿を消した。

 その機能を使って倒すべき敵など居るはずもないのに。

 フェネキアは尊敬すべき点もあるが、それ以上に非常に気性の荒い人物だった。

 不死者ですら終始やりにくそうにしていたので、誰に対しても相当なのであろう。


「……ネレイス、お前は、あいつに飼われていたんだろう。よく生きて帰って来られたな……」


「……私の顔と血統が良かっただけです」事実としてそうだった。ネレイスが総統に連なる美貌の持ち主で、優良な生命資源を製造出来る肉体でなければ、フェネキアはネレイスを指して重視することも無く適当に使い潰していただろう。「あの人は一瞬一瞬が楽しければそれで良い。逆に言えば一瞬一瞬が楽しくないと苦痛なんです。当時は一生懸命媚びへつらって毎日満足させていました」


「そうか」不死者はネレイスに手を貸しながら頷いた。「都市を区切る門まで歩けるか?」


「はい」焼けた薬莢が散らばり、アスファルトは砕かれ、どこを見ても死体が転がっている。ネレイスは自分の裸足の足を見た。「歩けます」


「死体から靴を剥ぐか」


「まさか。死者を辱めるのは……」


「そうだな。市長だったお前に堪えられるわけがない」


 不死者はネレイスの言葉を待たずに、彼女を両手で抱き上げて、ゆっくりと歩き出した。


「わ、私は歩けますが?!」


「痛そうにして歩くお前を見るのが嫌なんだよ」


 ネレイスはまたしても不思議な気持ちになった。

 何故か、胸の奥で心臓が高鳴った。

 ずっと昔、こんなふうに抱いて貰った覚えがあった。


 遠くに悲鳴と銃声を聞きながら、不死者と少女は沈黙のうちに都市を進んだ。

 名も知れぬその都市は酷く荒廃していた。クヌーズオーエとは多かれ少なかれ、健全ではないものだが、この都市は特に損傷の程度が著しい。何十年、あるいはそれ以上の間、ろくにメンテナンスされていないように見えた。

 政変と動乱が伝統として定着した都市。

 文化的繁栄などあるはずもないし、これが望まれた形なのだと心の中で唱える。

 悲惨な運命しか待っていない都市だったに違いない。

 浄化チームは、その虚しい結末の到来を早めただけだ。不幸や憎悪の更なる集積は未然に防がれ、都市はあらゆる禍根ごと歴史の狭間に消え去る。

 誰も生きては残らないだろう。ろくな装備もない、殺せば死ぬ程度の人間を一つの都市から根こそぎに殺し尽くす程度、不死すらも殺す浄化チームからすれば容易い仕事だ。

 破壊された都市は忘却され、経歴は隠蔽され、仮初めの幸福と繁栄によって挿げ替えられる。

 ……しかし、どのクヌーズオーエも、造りは基本的に似ているのだ。自分の運営していた都市、フェイク・ヨーロピアの風景が、どうしても荒廃した街並みに重なって見えて、ネレイスはいたたまれなくなった。

 こうではない未来もあったはずなのにと嘆かずにはいられない。

 もっと上手くやっていれば、と誰かを責めるような言葉を胸に去来するが、フェイク・ヨーロピアの疫病や娘たちの処遇に関して、まさしく自分はやり損なったのだ。

 そんな自分にこの都市の何を責めることが出来るだろう……。


 必要な間引きだとは言え、虐殺に加担したあとは気分が塞がる。

 ネレイスは少しでも明るいことを考えようとした。

 そうだ、これで都市に帰還出来る。私のフェイク・ヨーロピアに立ち寄ることが許される。私の持ち帰った物資はどうなっただろうか。ほんのわずかでも市民たちを救うために役立てられただろうか。少女騎士ではない娘たちは壮健だろうか。私は処刑されてしまうが後を継ぐものはまだ残っている。彼女たちに指針を残せるようにしなければ……。


「思い出すところがあるか、ネレイス」


 少女を抱いて歩く不死者が呟いた。


「ずっと昔……お前の手を引いてこの辺りを散歩したなぁ」


「え?」


「あっちの通りに、都市発掘品を扱う商店があって、あっちは甘味屋だったかな……。フェイク・ヨーロピアの前市長には、将来の配偶者候補だとは言え甘やかしすぎだと苦い顔をされたが、俺は懐いてくれるお前が可愛くて仕方なかった。交配計画なんて関係なく、純粋にお前を愛していた。欲しがるものは、なんでも与えたものだ」


「なに、を……?」


「ああ、やっぱり分からないんだな……。こうやって話していても気付かれないと言うことは、俺の人格も擦り切れてしまって、他の不死者と同じように、原型を留めてないんだな。いや、ネレイス、お前は俺のことを忘れようとしてきたのかもな……それで思い出せないのかもしれない。お前を可愛がっていたのに、最後に、俺はあんな酷いことをしてしまったからな……。虐待して、強引に生命資源を製造させた。勝手な物言いだと怒ってくれて良い、でも、俺はあんなことするべきじゃなかった。お前だって、それは、俺のことを、忘れたくもなるだろう……」


 不死者は、不死だが、永遠では無い。

 壊れない鎧と、破滅の肉体の内側で、人格は徐々に摩滅していき、そのうちに機能を停止してしまう。だから都市の破滅者も数百年ごとに装填する人格を切り替えて、肉体と機能、そして任務を引き継いだだけの別人になると言われている。

 だがネレイスには全く意味が分からない。

 この不死者が、自分と旧知の間柄のように振る舞うのは、どうしてだろう……?

 知っているはずだ。ネレイス、お前はもう、気付いている……。


「あなたは……、誰なんですか」


「思い出してくれるかも知れないと期待して名乗らなかった。俺の名は()()()()という」


「ギヨ、タン……?」


「忘れていたか?」


 無言で首を振る。ギヨタン。そんなの、忘れるはずもない。初恋の相手。自分のことをずっとずっと好きでいてくれるはずだった人。最後には壮絶な苦痛と疵をネレイスに刻み込んで去っていった、憎らしい純粋雄性体。

 だが、どうしてこの不死者がギヨタンを名乗るのか、理解が出来ない。


「ギヨタン、ギヨタンは、ギヨタンは彼の都市の、あの伝統的な催事で、拷問されて、殺されて……」


「あのとき殺されたのは、人格記録を螺旋に移したあとの抜け殻だ。俺の故郷でお馴染みの見かけ上のパフォーマンスだよ……。俺は新しく不死者に装填される人格として、ウォッチャーズに選ばれていたんだ。浄化チームの選抜試験でお前を嬲って苦痛を与えたのも、不死者を継ぐための選考の一環だった。概ね合格という判定だったが、命令さえあれば誰にでも暴力を振るえる人格なのか、そのあたりを疑問視されていてな。心身共に適合率が高く、不死者にならないのであれば重点的に交配するのが確定していたお前が、俺の能力を示すための道具に選ばれた。……本当に後悔してる。やめておけばよかった。栄達なんて諦めて、ずっとお前と一緒に居るべきだった。俺が不死者になってお前たちのために働くのが都市のため、長い目で見ればお前のためだと思ってきた。お前が市長にまで登り詰めたときには、間違っていなかったと思ったが……やっぱり不死者になんてなるもんじゃない。何もかも俺の指を擦り抜けていく……」


 仮面の不死者――不死者ギヨタンは嘆息した。


「夢見たものがどんどん色褪せて、遠ざかっていく。理想は何一つ実現しない。お前の都市が疫病に侵されるのも看過して……挙げ句、ネレイス、お前にすら、俺が俺だと認識してもらえなくなった。いや、気付かないのも当然か、肉体も何もかも前任の不死者から引き継いだものだし、その上に人格まで変質した俺をギヨタンとして規定する要素なんて、都市に記録されたデータぐらいしか無いんだからな……俺の生まれた都市も消え去って随分経つ……」


 最初から、どこかで気付いてはいた。

 その嘆きの声は、本当に、本当に、愛しかったギヨタンに似ていて。


「で、でも……でもっ!」


 少女は上ずった声を出し、不死者を見つめながら視線を彷徨わせた。

 ギヨタン。この不死者がギヨタン? ときおり自分が奇妙なほど感傷的な気持ちになることは自覚していた。この不死者が()()()()()()()()()()()()()()()()()というのも、何となく分かっていた。不死者が特定個人をここまで厚遇するなど普通ではない……。

 だからといって、この不死者がギヨタンだなんて、そんなことが簡単に信じられるわけがない。

 ネレイスは不死者の言葉を否定するための理論を必死に考えた。


「おか、しい……おかしいです、だって、じ、人格が磨り減るまで何百年もかかるはず。ギヨタンが、不死者様があのギヨタンだったとして、まだ百年ぐらい……。私が長命者になって正気を保ってるのに、それより早くギヨタンが擦り切れてしまうなんて、おかしい。そう、おかしい! 不死者様は嘘をついています。試験ですか、尋問ですか、何が目的なのですか? これが罰だというのなら、お願いです、肉体は差し出します、だけど、私の思い出まで、どうか、傷つけないで……」


「お前の中では、本当に時間が進んでないんだな。ネレイス、俺がお前を生贄に捧げて不死者になったのは()()()()()()()()だ」


「よん、ひゃ……?」


 ネレイスは、息の仕方を忘れた。

 それが何を意味するのか、予期してしまった。


「この都市で仕事をさせるかわりに、『ついで』にフェイク・ヨーロピアに帰還させてやると言っていたな。()()がその『ついで』だ。よく見ると良い、ネレイス」


 荒れ果てた都市の只中で脚を止めて、ネレイスを抱き寄せる。

 装甲は冷たい。

 心臓の音色は遠い……。


「ここが、お前の治めていた都市なんだよ。革命の星『リ・レボリューション』は、お前が去った『フェイク・ヨーロピア』の跡地に造られた都市の一つだ」


 少女には、不死者の言うことが理解出来ない。

 だから、形ばかりの空疎な反駁を行う。


「わた、しが……私が、都市から飛び立って、まだ半紀年も経っていません! まだ二月か、三月か……それで、こんなに荒れ果てるなんて、いいえ、違う市長が治める都市になるなんて、計算が合っていない! 不死者様の言っていることは矛盾しています!」


「矛盾しているのはお前なんだ、ネレイス。お前の主観時間がおかしいんだ」


 不死者は堪えきれない様子で喉を鳴らし、愛おしそうに、憐れむように少女を抱きしめた。


「ああ、ネレイス。……俺が守ってやれなかったネレイス! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……」

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― 新着の感想 ―
[良い点] やっていることは拷問に虐殺にとロクでもないことばかりなのに、誰も悪人ではないのがまた、なんとも。かといって善人とも言えず。 刑吏の個人名を知ってしまうの、そしてそれがあっさり死んでしまって…
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