セクション3 試作型救世主 その1 名も知れぬ都市の檻(3)
冬の空気が鉄格子の窓から入り込み夜露となってネレイスの体を濡らしていく。月光が僅かに入り込むばかりの独房で、市長としての平静さを維持するこの少女は、拘束服以外の着用が認められず、体熱が際限なく奪われていく状況でも、しかし毅然とした美を保ち続けていた、
彼女は自分を見下す刑吏の長に、尊大な口調で問うた。
「おまえたちの都市を監督する不死者はどなただ?」
「『公平なる者』アンドラスという御方だ。公平だと言っても、助力を求める方には陣営のバランスを考えずに等しく肩入れするっていう妙な不死者だったが……」
「不死者とはそういうものだ。しばしば我々では至れない、極めて高い次元で決断をなさる。不用意な批判はするべきではない」
「しかし、昨日こっちに売りつけたスマートウェポンを次の日には敵勢にも売りつけてるんだから、妙な御方としか言いようが無いだろう。もちろん敵が持ってるものは俺たちも買うことが出来た。アンディの旦那に文句を付けてるわけじゃないが……」
「軽率に愛称で呼ぶな。いいか、あまり疑いを持つべきではない。疑いを持っても口に出すべきでは無い。それは内心に留めておけ……まったく、この都市の歴史は短いのか?」
「ああ、まだ六十年ほどだ。人口の増減が激しすぎて人口動態調整センターの試算では第六世代に突入してるらしいが」
ネレイスはにわかに焦った。この都市はどうやら極めて幼く、教育も経験も足りていない。
不死者に対して気安すぎるのは良くない兆候だ。慣れ親しんだ様子であるから、アンドラスとやらは粛清を行うタイプでは無いのだろうが、しかし明日もそうであるとは限らない。
収容所の長が不可解そうに喉を慣らすので、拘束された少女は深々と溜息を吐く。
都市を受け持つ不死者を低く見積もっているのだ。どうせ自分は処刑されるだろうから多少は機密を漏らしても良いだろう、と観念する。
「……不死者にも、指揮命令系統や、上下関係がある。おまえは、まだそれが分かっていないのだ。不死者の思考は定命のそれとは異なるが、都市を受け持つ不死者はさらに違う。いつ方針転換や心変わりがあるか知れたものでないのだ。本人が演技でなく実際に親しみやすい人格なのだとしても、上位機構の決定次第で態度は如何様にも変化する。可能な限り、気安く名前すら呼ぶべきではないぞ……」
ネレイスは自分の都市を監督していた不死者を思い浮かべる。『慈悲深き者』エリゴス。万物を貫く槍を脚に持つ冷徹な殺戮者。もしも気軽に彼女の名を呼んでいれば、どうなっていただろう。無反応か、それとも血を見ることになったのか。
歓待しても忠義を示しても無反応。大量殺戮を通達無く開始し、見るべきものを一方的に見て無言で去る。どこまでも度し難い人物だった。
輪を掛けて不可解なことに、昔からそうだったわけではないらしいのだ。ネレイスの母、即ち前市長が言うには、口下手だが情が深く、朝も昼もなく市民のために邁進し、市民に愛され、また愛されるよりもさらに強く市民を愛してくださっていたのだと。フェイク・ヨーロピアを始めとする幾つもの都市を繁栄させ、市民と秘密裏に子を成すことまでしていたというのだから、その愛情の深さは相当なものだろう。
それがネレイスの治世においては、豹変している。ある晩突然現れて数十人を虐殺し、路傍に残骸を並べて飾るような凶行を躊躇なく遂行するようになってしまった。
ネレイスは彼女が狂ったのだとは思わない。不死者の発狂を<総統>が看過するわけがないし、データを見ても、エリゴスの仕事ぶりは母の代からネレイスの代まで、大きく変わらない。市民と最低限の会話すらしなくなった。それだけだ。理由があるに違いない。ネレイスがそれを知ることは永久に無いだろうが。
とにかく不死者というものは定命者の慮外にいる。定命者とは異なる価値観を持ち、定命者とは異なる指揮系統に属し、定命者の知らぬところで全てを決める。
だから、無闇に親しみを持つべきではないのだ。
「……それで、最後にアンドラス様がこの都市にいらしたのは、いつだ?」
「うちの今の市長に聞いてくれ。俺は随分と長いこと見てない」
「全く見ていないのか? 訪問した事実すら聞いていない?」
「市長が無能で、公務全般が滞ってる。上下でまともな打ち合わせもしてない。俺がアンディの旦那と最後に顔を合わせたのは、三紀年よりもっと前だ。前の市長が現政権に殺された頃だな。そのとき発令された指示で、この収容所は保護され、拡張され続けてる……」
「収容所の拡充を? 不自然だ。市長でも不死者でも、普通はそんなことは避けるものだ」
ネレイスは否応なくフンフを思い浮かべてしまう。市民の自然な連帯を促すために、あの娘には随分とやりたくなかったであろう仕事をさせてしまった。諜報、扇動、ハニートラップ、暗殺、事故に見せかけた大量殺人……。フンフは厭うべき任務を完璧にこなしてくれた。
逆に言えば、フェイク・ヨーロピアは、フンフ個人で不安分子を処理し尽くせる程度には、政情が安定していたのだ。
だから収容所は、運が無かったり、思慮に不足があった市民を更生させるための福祉施設で、政治犯や不穏分子を公然と殺害する装置では無かった。
「いかにもおまえの都市は不自然だ。思想統一について、拷問や思想矯正を全面に押し出すクヌーズオーエは、二流だ。だというのに、不死者がそんな常識外れの指示を出して、以降顔を見せていない? どうにも奇妙だ」
「二流だと……鎖に繋がれて、毎日毎日嬲られ続けてる身で、よくもそんなことをぬけぬけと……」収容所の長は不機嫌そうな声を出した。「……だが間違ってない。こんなに市長の首が変わり続ける都市は三流以下だろ。俺もよその都市の連中とは関わりがある、収容所の力がここまで重視されてるのは、うちぐらいだ。この都市は闘争と革命による永続的発展が文化形態だ。だからこそ死体工場みたいな施設が必要になるわけで……まぁ何も奇妙じゃない。三流の都市だから、三流の施設が発達するんだ」
「こら。言い負かされてどうするのです。定住する都市を馬鹿にされて、簡単に引き下がってはいけませんよ。もっと自分の都市に誇りを持ちなさい」
あまりにも情けない言葉を聞いたので、少女は、思わず自分の育てる幼体に言って聞かせるような、そんな口調になってしまった。
刑吏の長は唖然として、幾つかの意味で気まずそうな気配を滲ませた。
「うわっ……このことか。うちの若いのがボヤいてたのは。顔も体も声も最高なのに、たまにママみたいに説教してきて、それで萎えるとか、罪悪感が湧くとか……なるほどな……」
「……うわっ、とは失礼な。これはな、仕方の無いことで、その、癖なんだ。実子だけでも五十回は製造して育ててきたし、私も百歳を超えているからな。おまえたちのような若いのと話しているとつい、な……」
腑抜けた態度を見せる若年者に対して、身内向けの口調が出てしまうのは、まったく不本意である。だが、死なない程度、身体部位を喪失しない程度ならどんな仕打ちをされても基本的に余裕があるので、目下の人間が弱気を見せると、ついつい励ましたくなってしまうのだ。
「その見た目で、実子を五十回、しかも百歳て……」影は息を呑んだ。「事実なら市長がどうとかじゃなくて純粋に畏怖しかないが、いや気持ちは何となく分かるよ。俺も若いのと話してると、そいつが自分のガキみたいに思えてくるしな。もっとも、あんたは俺の一番若い娘より若く見える。それだけにギャップがすごい……」
ネレイスも若干気まずくなったが、恥ずかしがったりはしない。
実際自分はフェイク・ヨーロピアのママに等しいのだから他都市でもママみたいな口を利いて何が悪いのだ私は偉いんだぞと心の中で言い返した。むしろこれだけのことをされてまだママから目線が出来るのだからすごく偉大だ。
決して恥ずかしくない。全然恥ずかしくなかった。
「……いいか。奇妙なのは、収容所に不死者が三年も顔を見せていないということだ」
「あ、ああ。それの何が変なんだ?」
「おまえは、自分を卑下しているから分からないのだ。例えば、天然資源としてペットボトル入り飲料が安定的に採掘出来る都市でも、浄水場の基盤施設としての位置が揺らぐわけではないだろう? 収容所もそれと同じだ。収容所は思想統一に関する基盤施設なんだから、不死者が都市の訪問時に収容所の査察に来ないというのは、本来有り得ない。私の都市の不死者などは、私が跪いて頭を垂れても無視したが、収容所を始めとする基盤施設への査察は欠かさず行っていた。ほぼ無言だったが、何かしくじれば殺されるという緊張感があった……。三年も収容所の査察が無いなんて、その時点で異常事態だ」
「……異常は異常だろうが……下手すると三年か、それよりも前から、ずっと、異常だった……?」
思い当たる節があるのだろう、刑吏の長は押し黙った。ネレイスは自分の体に視線が注がれているのを感じた。月明かりに仄かに照らされた肉体は繊細で、収容所に入れるに相応しくない清らかさがある。敷かれている汚らしいマットレスから浮いて見えるほどに幻想的だ。
ネレイスは余人では人生そのものを対価にしても肌に触れることさえ出来ない高度生命資源である。刑吏の長は理性的だったが、こんなに近くに甘美で瑞々しい果実があるなら、意識せざるを得ない。電影放送で『偶像』として刷り込まれた風貌、総統やメサイアドールに連なる血族だとはっきり分かる生命資源が、まさしく手の届く場所に存在するのだ。
こうして見られていると、刑吏の長が、冷静な口調とは裏腹に、猛烈な欲動を抱いているのが分かる。
それと同時に、決定的な違和感を覚えているのも、微細な緊張から伝わってきた。
彼は欲望を飼い慣らしていた。偶像たるべき存在が、異質であると分かるほど上質の生命資源が、こんな粗末な施設に監禁され続けている。嬲り者にされている。生贄も同然だ。所長とて、すぐにでも手を出したいに違いない。だが状況を合理的に解釈するのが不可能だ。理性と本能を衝突させて、思考能力を励起させている……。
私は彼にとって鏡なのだ。都市の異常を映す鏡だ。
ネレイスはそう理解して、刑吏の長への評価を上方修正した。
彼は都市に良からぬことが起きていると、随分前から気付いていたのだろう。だがそれを言語化する機会や、敢えて問うべき誰かに恵まれなかった。
収容所の長は、私を通して、都市の異常事態そのものを扱おうとしている……。簡単に出来ることではない。都市に依存しない、独立して明瞭な思考があればこそだ。
「……やはり、そうなんだな。近頃はもう全く自分を誤魔化せなくなっていたが、改めて言ってもらえると、何故だか安心するな……」
「こんなに収容者が増えたのは最近のことなのか」
「二ヶ月前から指数関数的に増加してる。ここは、市長の椅子に座るやつが変わる前後だけ、劇的に忙しくなる……大変なイベントだ。収容所でも、何人かの所員は前市長勢力と見做されて処刑されるし、あと入り組んだ事件のつまらないことに巻き込まれて死ぬ」
「過酷な仕事だ」
「まぁ普段から収容者数自体はよそと桁違いだが、人員もそれなりにいるからな、運が悪くなくて精神的にやっていけるなら難しくない仕事だ。待遇も良い。所長ともなれば、治安の良い場所の部屋を買って、配偶者と何人か完全期間育成で実子をこさえて、それで無理なく静かに暮らせる。……今の忙しさは完璧にタガが外れちまってるわけだ。俺らの手違いで囚人が死ぬならともかく、何で刑吏の側から過労死するやつが出る」
「市民が、刑吏が、過労死か……」ネレイスは眉を潜めた。都市周辺者のような身分の低いものでも、純粋に働き過ぎて死ぬなど滅多にない。総統閣下の改良は万人に及んでいるし、それに加えて人間という生命資源は限界を超えた力をいつまでも出すことは出来ない。普通は無理をすれば死ぬ前に倒れて活動を休止する。「政変の時期には、いつでもこう、ではないんだな?」
「今回は混沌としすぎだ。『政変』は……はっきり言ってどこまでもイベントだ。前より優れた政治体制を、まぁ大抵は絵空事なんだが、それを掲げたやつらが蜂起して、限界を迎えた現政権を、暴力革命で打破する、というのが基本的な在り方だ。もちろん、前後で指して言うほど大きく変わるわけじゃない。門外漢の俺でも分かるが都市の機能は放っておいても限界まで拡大し続ける。前政権の限界は……新政権の限界に等しい。最適化ってのかな、最初の何回かは上手く行くこともあったが、ここのところは全部ダメだ。酷すぎる。というのも、新政権樹立を目指す勢力に纏まりが全然無い」
「どういうことだ? 現市長打倒など、同じ志を持つ新興勢力が団結しなければ成し得ないだろうに」
「通常はそうだ。だというのに、今回はな、収容所に送られてくる連中の主義主張が一貫してない。銃声は度々聞こえているだろうが、あれだって何をやってるんだか分からんのだ。体制側と反体制側じゃなくて、反体制側同士でやりあってることもある。収容所を襲うために団結したらしい連中がいきなり仲間割れを始めて、守備隊が怪我ひとつないままノイローゼになったりもしてる。それで、捕縛して拷問しても、てんでスカスカの供述しか出てこない。だから、なんだ、もしかすると、あいつらは、絶えざる変革という都市のテーマを隠れ蓑にしている……」
「虐殺主義的破壊行動者なのではないかと疑っているのか」
「そうだ。どう思う? ネレイス。ネレイス……市長。名も知らないどこか都市の市長。あんたの目から見てこの状況はどうだ。最近は政変をスムーズに進めるために都市境界壁も閉鎖されていてよそと連絡を取り合うのが難しい。客観的な意見を聞くというのが封じられてる……」
「……かなり危険だ。おまえたちの都市が危機的状況にある」
「どの程度だろうか?」
「程度ではなく、出来上がっている。導火線の火は、もう弾薬庫の中だ」ネレイスは断言した。裸の背筋に汗が伝うほど緊張している。「都市の閉鎖もいつものことか?」
「よその都市に攻め込まれるのも、暴徒をよそにやるのもマズい。毎回だ」
「出入りは可能か?」
「俺ぐらいのクリアランスなら、どうにかなる」
「……都市の外側に頼りになる友人はいるか」
「いるが。何故そんなことを?」
「家族が居るのだったな。近いうちに友人たちと連絡を取り、家族だけでも自分の命と引換えにしてでも外へ逃がせ。生命資源としての血脈を保存しろ」
「馬鹿を言え。大袈裟すぎる、都市が壊滅するならまだしも、恒例行事だぞ」
「壊滅させられるんだ。今から聞くことは、誰にも話してはいけない。命の保証が出来ない」虜囚の少女は切迫していた「いいか、都市の性質に合わせて混乱を招き、『いつものこと』と見せかけて虐殺を始める。……これは浄化チームの常套手段だ。ぜったいに浄化チームが動き始めている」
困惑の気配が伝わってくる。
「いきなり何を言い出すんだ? 浄化チームは、都市開拓のための精鋭部隊だ。この状況と無関係だろ。繋がりが見えないんだが」
「……一つの未開拓の都市について、危険な変異捕食者がいないか確認するのに半年。実際にアンデッドどもを殺して浄化をするのに、千人規模の大部隊が取り組んで三紀年はかかる。もちろん各地に分散して同時並行で任務を遂行しているが、手つかずの居住可能都市なんて、チーム全体で一紀年に一つ確保出来れば良い方だ。おかしいとは思わないか? 移住先を探す生命資源は毎年増え続けているのに、新規入植者を求める新興都市は幾つもある。需要と供給がまるで釣り合っていないはずなのに、そうではない。綺麗では無いが暮らすには問題ない都市がいつでもちゃんとある」
「……おい、まさか」所長は息を乱した。「嘘だろ? アンディの旦那がそんなこと認めるわけが……」
「三紀年も顔を出していないということは、不死者アンドラスはおそらくずっと前から、おまえたちと親しくしていた頃から、都市をパージする計画を立てていたのだろうな……気さくだったせいで、おまえたちは見抜けなかったのだ。上手いやり方だ。常にフランクな態度なら、本心を悟らさせずに済む」
「……」刑吏の長が息を呑む。
「元所属の私が断言するが、浄化チームの標的の大半は、同胞だ。『見込みがない』と判断された没落都市や、『虐殺主義的破壊行動者』の嫌疑を一方的にかけられた市民群だ。新規開拓を成し遂げたというのは大方がプロパガンダで、都市に不要な者を切り捨てて、程度の低い生命資源向けの土地を新たに造ってるんだ……」
ネレイスの脳裏に、己の尾を食らう円環の蛇がよぎる。ウロボロス。FRFの象徴が。総統の紋章が……。
「実際、新興都市の大半は浄化チームが大虐殺を実行した後に築かれている。政変を繰り返すなんていう異様に不安定なテーマを選んだおまえたちの都市も、十中八九前住民を皆殺しにした後の土地だ。そして、そういった土地は、成果を出せないなら短いスパンで再開発される」
「浄化チームが……アンデッドを相手にやり合う最強の軍勢が、俺らを、殺しに来る……?」
「皆殺しだ。不死者が中央に反抗的なら、加勢してくれるかもしれないが、アンドラス様にそのつもりはないだろうし、非戦闘用の不死者ぐらい、浄化チームで始末出来る。見込みがある個体は、資源として生き残れるかもしれないが、そんなのは奇跡みたいなものだ。もしかしたら助かるかも、なんて虚しい期待はするな。……浄化チーム襲来は、そう遠い未来の話じゃない」
少女は言葉を探した。何かが思い出せない。自分は何を忘れている? 何になり切っている……視線を伏せた。己の斬り殺してきた非武装市民の命乞い。哄笑する舞台の気風に染まりきった仲間たち。百年を経ても忘れられるようなものではない……。
「私は……スケルトンども、呪われし都市の外の不死どもに捕まり、辱められ、殺されかけたことがある。そのショックで浄化チームから抜けることを決めたのだが……でもそれは決定打であって、きっかけではないんだ。同胞を間引きし続けるのが、嫌になっていたのだ……。だって、堪えられないだろう……幾つも試練を超えて、肉体の成熟さえ捨てて、栄光ある浄化チームに、最も勇敢で最も名誉ある部隊に入ったのに……何度も何度も……何度も、何度も……罪もない、しかし未来も無い……不要と見做された市民を、逸り猛る仲間と一緒に、殺して、殺して、殺して、処分し続けてきた。狂乱の最中ならまだ良い。でも我に返ると、とても嫌な気持ちになって……。ああ、私を誇大妄想の狂人だと嗤ってくれてもいい……でも、経験上、この都市が目を付けられているのは間違いない。それは信じてほしい……管轄外でも、敵対していないなら、どんな市民も私にはとても大事なんだ」
「信じる。信じる、市長ネレイス」刑吏の長は暗闇の中で頷いた。依然として、顔は見えない。「そうか、浄化チームが……。出鱈目を言っているようにも聞こえない。真実を吐くときの囚人と同じ声をしている。忠告に感謝する。家族だけでもどうにかなるよう、手を回してみる……。しかし、他の若いのに教えるのは……不味いんだろうな」
「駄目だ。それは機密の漏洩にあたる。具体的なことは一切口にしないことだ、殺されるぞ。救いたいなら、穏当な手段を探すべきだ」
「うむ……ありがとう、大いに参考になった。最初から不死者に指示された内容じゃなく、こっちを聞くべきだったのかもしれないな」
「どうだろうな。由縁も知れない女を拷問に掛けて、組み伏せて、そこで自分の不安を吐露するなんて、まともなことではないだろう」
刑吏の長はふと得心したようだった。「もしかすると例の不死者は、この状況を警告するために、あんたをここに連れてきたのかも知れない……不死者は我々と違う規則に縛られる。そうだよな? ところが、どこかの『市長』で罪人のあんたは、言論に関しては不自然なほど自由だ。救い主なんだ、きっと、あんたは。拷問という建前はそのままに、あんたとはもっと平和裏に話を勧めるべきなんだと確信したよ」
「救い主。どうだろうな」少女は少し恥ずかしくなった。「少しでも役に立てて良かった」
「礼を言うのは俺の方だ。……この朝からの拷問はレベルを落とそうと思う。浄化チームによる掃討作戦が近いなら真剣にあんたをいたぶる意味も時間も無いしな。ここらが切り上げ時だ。自由にはしてやれないが、待遇の改善を約束する」
「ありがとう」ネレイスは月明かりを浴びながら微笑んだ。「今後も、不安があれば尋ねてくれてかまわない。私も関わりのある生命資源が殺されてしまうのは忍びない」
「タフな雌性体だ。……いや、ママだな。あんた、まるでママだよ」
そう静かに笑いながら所長は月明かりの凍てつくその独房から去った。
……考えてもいなかった。こうして不条理な拷問を受け続けることの意味。
刑吏の長の推測。自分は暗黙裏に真実を伝えるためのメッセンジャーとして遣わされたのではないか、という希望が、少女の胸をじわりと熱くした。何もかも不自然な状況だが、この解釈には一面のそれらしさがある。
痛めつけられ辱められ、最後には処刑が決まっている存在なら、何を口にしても、究極的には問題が無い。通常規則では許されない助言も出来るのだ。
堕ちた身でも人が救えるなら、こんなに嬉しいこともない。
明日からも拷問は続くだろう。レベルを落とされても屈辱は屈辱だ。痛みには堪えられる。だが、痛くされるのは、好きではない。つらい毎日が続くだろう。
しかし、ネレイスの心は温かさに満ちていた。
牢屋の中からでも、無力な市民を救えるかもしれないのだ。
それはきっと、無為に死なせてしまった少女騎士たちへの贖罪にも繋がるだろう……。
残りの時間、拘束された少女は、久方ぶりに穏やかな気持ちで眠った。
朝、迎えに来た刑吏は青ざめていた。
いつもなら散々に罵倒し、暴行して、嘲りながら服を剥ぎ取り、椅子に似た器具に固定されるのだが、ネレイスに触れてくる手さえ震えていた。
刑吏の長に諫められて、気が動転しているのかも知れない。それにしては、恐怖の匂いが強すぎた。
体の自由が無いまま、荷物のように、いつものように処刑場へと運ばれた。
清掃作業開始前に全体ミーティングを行うのがこの収容所のルーチンだ。所長が訓示と現在の状況や予定を述べ、部下たちに仕事の割り振りをし、そして双方向のコミュニケーションで無理のないスケジュールを立てる。収容所は過負荷で壊れかけているが、所長の采配は見事なものだ。
やけに不安定なテーマの都市だが、このレベルの人材がいるのであれば要所要所は強固な構造だと思える。
だがこの日、整列する刑吏たちは総じて顔色を失っていた。
見世物として列の先頭に鎮座される。
その時、ネレイスからも血の気が引いた。
前方に立ち、刑吏たちを見渡して立っているのは、所長では無い。
収容所には不似合いな、古式にして無敵の甲冑を纏う存在。
ネレイスをここまで連れてきた例の中央所属の不死者だ。
彼は得体の知れぬ肉塊を片手にぶら下げていた。
「遺憾ながらこの収容所で重大な情報漏洩が発生した」
前置きもなく言い放って、肉塊を床に叩き付ける。
それはまだ、生きていた。手脚を切り落とされ、肉と皮を剥がれ、臓器を引きずり出され、肋骨を砕かれて肺腑まで露出して、それが弱々しく膨らんでは萎む。顔面は削られて丸ごと無残な断面を晒しており、目も鼻も口もなかったが、血の泡が呼吸器の辺りに膨らんでは弾ける……。
誰かを特定出来る要素は残されていないが、ネレイスは理解してしまった。
昨夜彼女に助けを請いに来た、壮年の雄性体。
この収容所の所長だ。
器具に固定されて身動き一つ取れないのに、眩暈がした。
不死者は無感情な声で言った。
「施設外部へ機密を含む情報を送信しようとしたため、やむなく捕縛・拷問した。こいつはアド・ワーカーだった可能性が高い。収容所の所長が破壊活動など由々しき事態だ。ああ、尻拭いはしておいた。こいつが連絡していた先も特定して全員潰しておいた。配偶者と、娘三人か? もうソイレント工場へ送った。娘のうち資源価値が高そうな者を一人だけ独房にぶち込んでおいたから好きに拷問して殺せ。まったく……家族揃ってアド・ワーカーだったとはな。『革命の星』たるこの都市も墜ちたものだ」
考えが甘かった。
あの壮年の雄性体はおそらくネレイスから推測を訊いてすぐに家族に電信を行い、避難の準備をするよう促したのだ。最強の定命者部隊である浄化チームが敵として来るという確信を得たなら、冷静ではいられまい。すぐに、ネレイスの言った通りに、やってしまったのだ。
迂闊に情報を与えすぎた。もっと段階を踏むべきだった。具体的な内容を口にするなと言い含めてはおいたが、この政変の都市で、家族を曖昧な言葉で動かすのは不可能だ。
そこで機密、浄化チームの真実か、何某かの部分に触れてしまい……不死者に補足されたのだ。
わたしのせいだ。少女の思考が真っ白になっていく。またわたしのせいで、しななくていい子が死んだ。
刑吏たちはざわめき、狼狽を隠せない。
「そんな……!」と一人の刑吏が声を漏らす。「不死者様! しょ、所長がアド・ワーカーなんて……何かの間違いじゃ……!」
不死者は彼を射殺した。
処刑場に銃声が轟いた。空間を激しく揺らす破裂音に紛れて、頭を吹き飛ばされた刑吏が倒れ伏せ、蘇生不可能な肉体が活動停止した。
刑吏たちは悲鳴を押し殺し、傍に居る者は首の無い人間の残骸を注視した。
「発言を許可した覚えが無い。どうして喋ったんだ?」
「ま、待って下さい。無礼をお詫びします!」年若い娘の刑吏が前に出て平伏し、皆を代表したつもりか、謝罪を始めた。「た、ただ我々は、あまりの事態に混乱しているぎがあぼっ」
一瞬で接近してきた不死者によって、娘は高く蹴り飛ばされた。
「……学習能力が無いのか。誰か発言を許したか? 私が話せと言った時だけ話せ」
娘の体は殆ど二つに別れて宙を舞い、臓物を撒き散らし、壁にぶつかって染みになった。
不死者は列の前方に戻りながら演説を続ける。
「さて、非常事態である。臨時の統治権限を使用し、ケルベロス隊予備機、浄化チーム第六十班の顧問である俺が、収容所の指揮を執る。今後、この収容所の長は俺だ。ああ、俺の機体名は明かさないし、所属も覚えなくて良い。どうせ俺も、おまえらのことは覚えない」
それから何かを思い出したかのように足下に目を向け、痙攣する肉塊、所長だったものを踏みつける。
「ああ、まだ所長を生かしておいたのだったな。これは悪いことをした。これではまだ所長の権限を奪えないでないか。これから殺すぞ。各自、黙祷なり何なり捧げて良し」
熟れすぎた果実のような頭に具足を乗せてゆっくりと体重を掛けていく。所長の頭部が破裂した。潰された頭蓋から灰褐色の脳髄がどろりと零れだした。何人か嘔吐したが、倒れることは無い。
許可なく倒れれば殺されると誰もが理解していた。
「もう何の問題もないな? お前たちも満足だろう! 裏切り者が死んだぞ! 笑え! 笑え!」
不死者は今にも倒れそうな顔で引きつった笑みを浮かべる刑吏たちを見渡して「何を笑っているんだ。さっさとこのクズ肉を片付けろ。アド・ワーカーでも食料品には加工できる。資源を無駄にするな。あとは各自倍旧の勢いで思想統一のための拷問と不穏分子の処刑を続けろ。問題が出た時だけ報告すれば良い」と言い放ち、一方的にミーティングを打ちきった。
去り際、不死者はネレイスに歩み寄り、そして囁きかけた。
「良く務めを果たした、ネレイス。おまえがあのクズ肉をそそのかしてくれたおかげで、容易く計画が進んだ。ここの制御さえ奪えれば後は楽なものだ。しかし、こうも上手くやるとは、さすがはネレイスだ。おまえは心優しいから、誰の懐にでもするりと入り込める。浄化チームでも、偵察のために都市に浸透する時、身分を偽り、仕事を偽り、自分を偽り、こういうことをよくやっていたそうじゃないか……なぁ、ネレイス?」
ネレイスには、どうすることも出来ない。
拘束され続ける少女の貌に、涙がひとしずく流れた。




