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アフターゾンビアポカリプスAI百合 〜不滅の造花とスチームヘッド〜  作者: 無縁仏
セクション4 殺戮の地平線  世界生命終局管制機 アルファⅣ<ペイルライダー>
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セクション3 エンカウンター その⑦ 祭壇の羊、再誕と祝福(7)

見通しが甘かったので(7)で終わりません……。

「いや、祈ったり願ったりしただけで凄い技が出せるなら……」


 傷だらけの不死病筐体(ファウンデーション)で浅く息をしながら、少女騎士は苦み走った顔をする。


「苦労しないよ……。解放軍って、何千年も都市を彷徨い続けてるんでしょ……そうしたら皆、そういうの、出来るようになるのかもしれないけど……ボクなんてほんの何日か前に……えっと……うーん……もう、三十日ぐらい……?」


「何千年?」リーンズィは首を傾げる。「解放軍の歴史はそこまで長くないはず」


「シーラちゃんがスチーム・ヘッドになってからの期間もおかしい。確か、七日ぐらいだよ?」


「まだ、七日……? うう、師匠にあちこちめちゃくちゃにされてるせいで時間感覚が……」血まみれの顔をさすりながら、暗い目をする。「とにかくボクに、そんな変なすごい技を出せるわけがないよ……。そうだよ、FRFの不死者(イモータル)たちだって、大抵はボクらと大差ない移動速度だし、加速しても目で追えるレベルだった。師匠たちのは何なの、あれ? あんななこと出来るようになる方がおかしいんだよっ……」


「そんなことない。シーラちゃんはヒナの愛弟子で、妹も同然の存在で、そんな子に間近であれだけ技を見せてあげたんだもん。今すぐにでもヒナやリズちゃんとまではいかなくても、ミラちゃんぐらいのレベルに達しても良いはず」


「ミラちゃん……あの金髪の、綺麗な女の子……の、不死者? だよね? あれ? 愛玩用の人形みたいに見えるけど……強いの? メアリーと同じぐらい非力に見えるんだけど……」


「待ちなさい。解放軍の文化や風習にまだ慣れてないんでしょうけど、レーゲントを愛玩用の人形だなんて呼んだら、相応の報いを受けますからね。私は聞かなかったことにしてあげるけど、ネットワークでさらし者にされるぐらいの覚悟はしておきなさい」とミラーズが釘を刺す。ごめんなさいっ、と上ずった声で謝るシーラに、ため息をつく。「私も、自分が強そうに見えないのは自覚していますよ。昔は本当にこの通りの身体能力だったし。でも今は、少なくとも定命の人間に良いようにされるような戦闘力じゃないわ」


 こんなふうにね、と吊るした鞘から音もなく壊れた刃を抜き放ち、金色の髪の天使は瞬間的にオーバードライブを起動。必殺の一撃をケットシーに向けて振るった。

 赤熱したバターナイフと不朽結晶の刃の軌跡が輝いて絡み合い空中で火花を散らす。

 無言で切りかかられたというのに、ケットシーは驚いた素振りも見せない。それどころかわずかに視線を傾けただけの状態で、次々に打ち出される永遠に朽ちぬことを約束された刃を、家庭用であろうバターナイフで完璧に迎撃して見せた。

 打ち合いを終えた後は「これ。これぐらいのレベルになっててもおかしくないはず」と平然とシーラに向き直った。


「えっ……今の何……速っ……!? よく見えないけど、音からして、戦ってたんだよね!?」シーラは霞みがちな目を驚愕で瞬かせた。「解放軍って、まさか、みんなこうなの!?」


「相変わらずシィーの剣はぜんっぜん効かないわね……。えへん。シーラ、皆こう、というわけではありませんよ。見た感じ、せいぜいあたしレベルでも一割ぐらいじゃない?」納刀し、冷却のために噴き出した汗をぬぐいながらリーンズィに擦り寄る。「だけど、あたしのは文字通り付け焼刃だし、リクドーは剣を修めていたのでしょう? きっとあたしより綺麗に踊れるようになるわ。ケットシーの剣を間近で見ているんだもの、身につく部分も多いと思うし……。ふう。電気、使っちゃった。充電してくれるかしら、リーンズィ」


 ライトブラウンの髪の少女の首筋に軽く接吻した後、ミラーズは蠱惑的に微笑んだ。リーンズィは身を屈め、キスを返してから、蒸気甲冑の左腕でミラーズの首輪型人工脳髄に触れて通電した。

 ん、と声を漏らして身を強張らせる愛しい人の髪の香りを楽しみながら、しかし素朴な感想を口にする。


「二人とも……いっぱい殺されるのを見て価値観が変になってるのでは? 刺されたり斬られたりしている状況で『見る』というのは難しいと思う」


「ありがと。もうバッテリーがいっぱいになったわ。リーンズィは充電も優しいから好き。……でも技術というのは身に受けて初めて本質が分かるものよ。その充電のやり方も、そっと触れるような優しいキスの仕方も、実際に体験したから出来るようになったことでしょ?」


「ミラちゃんはさすがシィーのお弟子さん。そう、目を使うだけが『見る』じゃない。触れるもの聞こえるもの、ぜんぶに対して注意を払わなければ、むしろ何も見ていないのと同じだよ? だけど、それはそれとして、とにかく痛ければ覚えるから、大丈夫。痛みは一番強く記憶に結び付くから」


 そういうものなのだな、とは思うのだが、痛ければ何が大丈夫なのかはよく分からない。

 リーンズィには、痛みが分からない。生来、痛覚が機能していないためだ。原型たるエージェント・アルファⅡは精神外科的(サイコ・サージカル・)心身適応(アジャスト)によって疑似人格を徹底的に調整され、過度な刺激を受け付けず、過去を一切人格記録媒体から読み出さない、安全に管理された人格として運用されていた。

 猛烈な怒りも深い悲しみも、身を震わせるような歓喜も許されていなかった。肉体はただの部品であり、総体としては独自の判断基準に従って淡々と機能を解放するだけの道具だった。

 そんなアルファⅡの後継たるエージェント・リーンズィは、逆に多くの制約から解放されていた。思い出す過去も存在しない。感覚器からの情報入力も感情の振れ幅も、原則として制限されておらず、結果として恋慕や愛着の類が簡単に発生してしまう有様だった。

 しかし痛覚は現在も不完全だ。厳密に言えば、彼女が生まれながらのスチーム・ヘッドであることが原因だ。永遠にして不滅の肉体を媒介にして作成された、この拠り所なき人工生命には、生存を脅かす『痛覚』というものが本当には理解出来ない。ヴァオーナの肉体を通じて間接的にそれが分かるという程度だ。リーンズィは、不死病患者の目に映っている世界に、まさしく生きている。

 確かに、異常な精神性の機体に迫られれば、体がこわばるし、身体が損壊すれば、相応に危機感を覚える。だが感じる『痛み』には、ダメージの発生をぼんやりと伝える以上の意味がなかった。

 痛みの何がそんなに大切なのだろう、と寸時悩んでいると、脳裏に呆れたような女の声が書き込まれた。


> 情報共有。激痛と快楽は、事実として学習の強度を飛躍的に高めます。仕様上、ウンドワートを抱きしめると気持ち良い、敵に刃物で刺されると不愉快、という程度の情報分類しか出来ない貴官には、縁遠い概念だと推測されますが、今後もカテゴリ『FRF市民』と交流を持つのであれば、記憶しておく価値はあると判断します。


「なるほど。死んだら死ぬ人たちは、痛みを覚えると、賢く、強くなるのだな。とても分かった」


「違うよっ、分かってない! 死ぬような傷を負わされたら、普通は苦痛で頭真っ白で何も分からなくなるの! 考えられるのは、そのとき与えられている苦痛のことだけ! そういう情報なの、痛いっていうのは!」


「つまり痛いのは……気持ちが良い、と似ている? 私もレアせんぱいと一緒にいると頭が真っ白になり、レアせんぱいのことしか考えられなくなる……となると、痛みは万人の恋人なのだな。これは知見。気持ちよくて痛いは、きっと新鮮。私もレアせんぱいと痛みを取り入れた遊びを考えていきたい……」


 リーンズィのぽやぽやとした惚気の呟きに、金色の髪の聖乙女が、不意に真顔になった。


「私のリーンズィ。教えておきますが、不死の体でそういう交歓の仕方を覚えると、限度がなくなってエスカレートして、破滅的なことになりますよ。ぜったい、ぜったいやめといたほうがいいわ。レア様はたぶん我を忘れちゃうタイプだし……皆まで言いたくありませんが、すごいことになるわよ」と耳打ちしてきた。「こんな感じの血まみれ、臓物と肉片だらけのベッドで、愛を確かめたたい?」


 苦々しさがにじみ出るような冷たい声音。リーンズィも真顔になった。肉体の交歓に関する知識において、レーゲントの諫言に勝る本質的情報は無い。

 おとなしく『やめておいた方が良いことリスト』に過度の身体損壊を伴う交歓を書き加えた。


「お前もボクみたいに切り刻まれれば分かるよっ」


「リズちゃんも同じように刃を受ければレベルアップについて実感が出るはず。ううん、分かってる。初めての時たくさん刃をあげたから、もう分かってるよね? 頭では分かってなくても、体で分かってるはず」


「そう……なのかもしれないのだな。しれない。しれないです」


 不本意ながら躊躇いがちに頷いた。ケットシーの刃がどこに至るかを未来視し、全力でガントレットで弾き続けた体験は、間違いなく戦闘能力向上に貢献している。戦闘機動に、いもしない『観衆』魅了するような扇情的な動作取り入れるのが精々であるにせよ、ある程度はケットシーの真似が出来るようにもなった。

 あの時獲得した経験値を、言語的に再現するのは、不可能だろう。


「そしてシーラちゃんも、もうヒナの剣を存分に受けた。無意識のうちに習得出来てても不思議じゃない。実技で覚えられなくても、それ以外の時間はずっと褒めて可愛がってあげながら、ヒナの意識してるコツを言葉で教えてあげてたし、忘れてるだけでとっくに身についてる可能性もある」


「あっ……ああやって押し倒すのにはそんな意味が……!? でもおまえ、あんな状態で……おまえーっ……何か教えたいならいちいち人を弄ぶなっ! 集中できるわけないっ!」


 損傷の修復の進行によるものか、疑似人格を冒すほどの脳内麻薬の分泌によるものか、少女騎士はにわかに色を取り戻した。目を見開いて怒鳴っている。傷口の奥で灰色の塊が膨らんでいるのが見えた。重要血管の補修は終わっているのだろうが、重傷部でも治りが遅いのが気がかりだ。ユイシスからのアラートは無いが、再生遅延は悪性変異の兆候だった。


「でも可愛い声で復唱してたよ?」


「たぶん譫言だよそれ! っていうか、言葉で教えられる技なら、ボクを切り刻んだりせず、落ち着いた環境で、普通に授業してくれれば良かったじゃないかっ! ボクだって少女騎士だぞ、読み書きぐらい出来るんだから!」


「だからね。痛いか、気持ち良いかじゃないと、覚えないでしょ? 葬兵の子もみんなそうだった。全てはヒナの心配りだよ。いろいろとあなたの肉体に確かめたいこともあったし」


「生存バイアスとかいうやつだよっ! 強い人に玩弄されただけで強くなるんなら、不死者(イモータル)や権力者に常日頃から搾取されてるFRF市民だって、今ごろお前たちを倒せるぐらい強くなってるよっ。それに、僕の肉体を確かめるって何?! 抱き心地の話!? 違うよね、おとぎ話に出てくる選ばし戦士の紋章でも探してたの!? ないよそんなのっ。選ばれし戦士なら、ボロボロに負けて、死なない体に改造されて、首輪つけられて、裸で引き回されて、カタナで刺されまくったりないよっ!」


「えっと、誤解があるよ? 抱き心地もとっても重要だよ? ヒナとシーラちゃんにとってそれはとっても大事。これからもっと仲良くしていく。シンデレラタイムの視聴率をかっさらうためにも。でも、それはもっと互いの因縁や宿業を知り合ってからじゃないと……。互いに道ならぬ恋をするわけだし」


「しないよっ! っていうかボクのお腹にはサード姉様がいるって忘れてない!? 恋人と一心同体なんだ、今のボクはっ。姉様はまだ目覚めてないけど、それにしたって、その状態で心まで弄ばれたくないよっ!」


「忘れてない、忘れてない。だいじょうぶ、三人で幸せになろーね?」


「それにしても元気なのだな……」リーンズィはシーラが思いのほか威勢よく言い返すので安心した。「スチーム・ヘッド化が上手くいっていなかったらどうしようと実は心配していた」


「おまえーっ! おまえもそうだよ、『FRF市民は保護する』みたいなこと言ってたのに、蓋開けてみたら何もかも行き当たりばったりじゃないかっ! こんな扱いされて正気を保っているなんて、普段から鉄火場に放り込まれて、裏でイヌみたいに雑に扱われていたボクじゃなかったら、出来ないことなんだからね?!」


「……? 別に君であるか否かはそんなに問題ではないし、現段階で君も正気を保ってはいないが……」


 リーンズィはユイシスに照会をかけ、シーラの人格破損の回数をチェックしたが、五十回は優に超えている。脳内物質の過剰分泌は生体脳を変質させ、時には人格記録まで書き換えてしまう。シーラはある意味ではもう正気を失っていた。それが外観上は無事でいられるのは、アルファⅡモナルキアの統合支援AIが適宜破損情報を補填しているからだ。常人よりも遙かに立ち直りが早いし、気丈に振る舞っている方ではあるが、それが何もかも彼女の資質によるわけではない。

 他のどんな人間が素体となっていたとしても、結果は然程変わらなかっただろう。


「冷淡っ、人でなしっ、この肉無し(スケルトン)どもっ。解放軍は実のところ都市とは別の不死者(イモータル)の集まりだって聞いてたけど、ここまで市民感覚とズレてるとは思わなかったよっ。師匠とか完全におかしいもん、トレーニングの過酷さも、人をオモチャにする頻度も、これまでに師事してきたどんな人と比べても異常すぎるよ……! そもそも、こんなに殺気なく人を殺し続けられる人がいるなんて!」


「簡単なこと。殺すつもりじゃないなら、殺気って出ないし。普通だよ?」


「普通じゃないよう、頭おかしいようっ!」


 リクドーの名を奪われ、シーラとなってしまった少女は、ケットシーの暴虐にすっかり参ってしまっているようだった。リーンズィにも気持ちは分かる。ケットシーはまず世界観が異常だ。使う技も常軌を逸している。当然のように通常の三〇〇倍の領域にまで加速し、実現可能性さえ存在するなら降りしきる雨の一粒を一粒さえ回避する。挙げ句の果てに刃を抜かずとも相手を斬ってしまう。

 自分にとって都合の良い可能性世界を選択する、という信じがたい特性を前提としなければ、全く納得出来ない技能のオンパレードだ。

 スチーム・ヘッドであっても。説明されて即座に承服出来るものではない。

 高倍率オーバードライブを経験したこともなかったらしいシーラからしてみれば、ケットシーという兵士の在り方は、完全に理解の外側だ。

 まさしく殺戮の奇跡を振りまく死の遣いであり、とても現実の存在とは思えまい。

 だが、彼女の技能は絵空事ではない。空想ではなく、現実に出せてしまう技である。

 しかもケットシーはそれを他者に伝授出来ると考えているらしい、というのが、リーンズィには何となくわかり始めた。

 異常ではあるし、狂ってもいるが、考え方はさほど人間離れしていないのがケットシーだ。まさか実績もなしにこの方法論に拘るとも思えない。おそらく過去にこの方法で実際に強化出来たスチーム・ヘッドがいたのだろう。

 あるいはケットシーが主張するように、シーラにも、弟子の名にふさわしい、すごい、何かこう、ズルい感じのする、うらやましい技が身についているのでは? リーンズィは気になった。


「シーラ、君もケットシーの刃を受けたのなら分かるはず……。理屈ではなく痛みで彼女の剣捌きを理解しているのだな? していますね。そういうことにする。彼女は現実に奇跡のような技を起こせるが、それは夢幻(ゆめまぼろし)じゃなくて現実。つまり一面では、誰にでも出来ること」リーンズィは自分には全く真似が出来る気はしないにせよ取り合えずその部分は飲み込んだ。「そういう奇跡のような技を出せて当然、という気分になっていないだろうか? いない?」


「いないよっ。あんなの殺人の奇跡だよっ。起こせないから奇跡なの!」


「奇跡じゃないもん」ケットシーは不服そうだった。「ヒナの鍛え上げた業前と、番組スタッフの皆の努力による総合芸術だもん」


「……ごめん、うん、ボクも師匠の技が奇跡だとは思わないよ。そこは同じ剣士として謝罪する。でも、でもさっ、神業だとは思うけど、例えば三本の剣でジャグリングしながら順繰りに持ち替えながら滅多斬りにするとか、祈ったり願ったりで出来るようにはならないでしょ。ぶっちゃけただの大道芸だよっ」


「そうなのだ。そう。奇跡なのか大道芸なのかも分からないのがケットシーの怖いところ。どう? シーラはなんかそういう変なこと出来そう、っていう予感が身についてない……?」


「いや、ほんと殺されるかオモチャにされてるかのどっちかだったし、セルフモニタリングだってしてなかったし、そんなこと言われてもさ……」


「大道芸じゃないもん! 葬兵の剣技というのはね、そういうものなの。いかにして相手の虚を突き派手にばばーんって潰して視聴者の皆様を楽しませるかが大事なの。そう、そうなの、シーラちゃんも死ぬと分かってる状態で受けた傷と意識外からの一撃で出来た傷では治癒速度が違うって体で分かってきてるはず!」


「待って、それ、それも説明してもらってないよ……傷はうん、何となく分かる、意識が向いてるときに付けられた傷はすぐ治るね。でもさ、それ、葬兵って何? ボクを鍛えて、それにしたいの? どうしたいの? あー……やっと心臓がばくばくいうの収まってきた」シーラは平静を取り戻しつつあった、声のトーンを下げながら、襤褸布の下の晒している裸身を隠す余裕が生まれている。「えっと。葬兵って、つまりその、たぶん、戦闘用の不死者(イモータル)のことだよね。……でもぜったい師匠はおかしいよ。FRFでも、名高い戦士から剣技を倣っていたけど、師匠みたいな変な技使う人いなかったよ。殆どパフォーマンスでしょケットシー師匠の技。それをさ、いきなり、蒸気は祈り……みたいな感じで言われても困るよ。それとも蒸気に祈りをささげる文化形態なのかな……?」


「違う、これはもっともっと純粋な理念! 蒸気抜刀は祈りの剣、願いを乗せた慈悲の刃だもん! 大道芸とか宗教儀式とかじゃないもん! (シャー)!!」


 猫妖精の愛称を持つ葬兵は、どことなくロングキャットグッドナイトを思わせる猫っぽい仕草で赤熱したバターナイフを振り回したが、ロングキャットグッドナイトには名前と髪についたゆるっとした癖にしか猫っぽい要素がないので、所感は完全にリーンズィの気のせいだった。

 リーンズィは怒っているケットシーが見た目相応の可愛さなので胸の苦しさを覚えつつ、冷静に考える。

 この黒髪の剣士は死人じみた頬を紅潮させて、奇妙な技を放っているときよりも、淡々と刃を振るっているときの方が手が付けられない。三百倍加速なども卓抜した機能ではあるが、次々持ち出してくる玩具よりも、精緻かつ無制限に連発される『最適解』の方が余程厄介だ。

 ケットシーは若干涙目になりながら「大道芸じゃないもん! れっきとした必殺技の数々だもん! テレビの前の皆は派手なモーションを求めてる! 葬兵時代にヘイちゃんにも無駄な動きやめなさいって怒られたけど業界人は格好良さと綺麗さが命! だからそういうご指摘はずるいと思う!」と微妙に焦っているところを見ると、奇策にさほどの意味が無いことは、昔から指摘されていたのかもしれない。

 だが、それでも奇っ怪な技に拘ってしまう。悪い癖だ。

 それが、シーラの教育でも出てしまったのだろう。


「デッド・カウントを稼ぐついでに技をラーニングさせるのが目的だったなら、無駄な小細工をせず、普通に殺し続けた方が良かったのでは……?」


「無駄な小細工じゃないもーん!! 待って、リズちゃんヒナの剣そんな風に思ってたの!? 寛容なヒナもこれには涙だよ! あんなに濃密にねっとり殺しあったのにそんな酷いこと言うなんて、リズちゃんの悪女! 毒婦! 誰にでも発情するウサギさん!!」


「誰にでも発情はしないし、ウサギでもないが……」リーンズィは真顔で言った。


「ふふ。リーンズィ。ヒナちゃんを虐めるのもそれぐらいにしてあげて。不死の起こせる奇跡って、でも、そう言うものなんです。一見して無意味に見えるものなんだから」と理解を示しながらミラーズは苦笑する。「聖歌隊にしたところで、聖句を幾重にも合わせなければ、大した力を示せないでしょう? 人の手に成る奇跡とは、つまり煉瓦と同じです。たった一つでは石ころと同じ。でも、それを一つ一つ順番に積み重ねることで、それで初めて瞠目に値する形が明らかになるのですね。ヒナちゃんのそのバターナイフをピカピカ光らせる技だって、他に組み合わせる奇跡があるのではありませんか?」


「なるほど……確かにそうなのだな」


「え、組み合わせなんてないよ?」


 ミラーズの助け舟を、ケットシーはいともたやすく蹴飛ばした。


「この技は対人専用。赤熱化したナイフで刺すと傷口が焼けて出血が少なくなるし、上手く行けば迷走反射で気絶してそのまま死ぬから、画面が汚くならないの。死んだら死ぬ人には便利っていうのはそういう意味。死体も綺麗に残るし」


 ミラーズは曖昧な微笑で「そうですか……」と言った。

 リーンズィも「そう……」と思った。

 シーラだけは「意外と発想が人道的なんだ……」と見直したような顔をしていたが、「とにかく、そういうすごい技を願っただけで使えるようになるんなら、ボクたちは病の治療薬を探して都市の外に出るなんてしなかったよ」と嘆息する。


「奇跡はボクたちの手には、ないんだ」


 癒えきっていない肺腑の傷が刺激されたのか、少し咳き込んで、血を吐いた。

 そのときリーンズィは、切り裂かれた布地の隙間、胸元の辺りで、布地が不自然に膨らんだのを見た。

 にゅにゅ、と彼女の血に濡れた柔肌の上を這っていくのは、肉糸のような奇怪な組織だ。

 治癒の遅い傷口を跨いで通ると移動を停止し、破壊された肉体へと溶け込むようにして沈んでいく。

 そしてすぐ、傍の皮膚組織から、また同じような器官が生えてくる……。謎の組織は彼女の肉体の至る所を撫でるように這い回り、傷を探していた。

 まるで生きている縫合糸だ。悪性変異体から再編された不死病患者に特有のプロセスなのかとユイシスに確認を取ったが、ログの上では、基本的には身体を構成する組織自体が解けて絡み合っているようだった。何か通常のスチーム・ヘッドとは別の機構が、シーラに発現しつつあった。

 気になることではあったが、生命管制にエラーは出ていない。

 仔細はユイシスから改めて報告を受ければ良い、とライトブラウンの髪の少女は割り切る。

 ベッドの上で血まみれの新顔を、無意味な奇跡を起こして得意げな海兵服の少女は、結局どうするつもりなのか。それについて考えるべきだった。


 デッド・カウントの加速は、もう十分だ。全快状態なら、腕部欠損程度であれば、ものの十秒ほどに回復出来るほど、死に慣れていると予測された。

 だがケットシーは、まだシーラ殺害をやめようとしていない。

 リーンズィたちとの無駄話に延々と付き合っているのは、中断されても再開すれば良いと考えていることの証左だ。

 つまり目的を達成するまで終わる気が無いのだ。

 リーンズィは状況の機先を掴むべく思考を始め、FRFの少女騎士、リクドー、シーラを見つめ、そのうち彼女の体つきにばかり興味が行くようになった。小さくて、可愛くて、意外と凜々しい。全体的にミラーズとレアせんぱいの中間ぐらいの大きさ。可愛い。と思っていたのは数秒のことで、やがて何故こんな、野犬のように痩せているのに、乳房は自分と同じぐらいにはあるのだろう、と主に肉体に由来する情念によってシーラを凝視し始めた。


「あ、あんまり見ないで……ボク、自分が貧相な体してるのは分かってるから……」


「血まみれでもそんなに魅力的なのに、貧相だなんて言うのは、不適切」


 リーンズィの熱っぽい何か感じるところがあったのだろう。

 シーラは恥ずかしそうに腕で肌を隠した。同時に、糸のような組織も見えなくなった。

 ついでにミラーズに手を触られて「じろじろ見てはいけませんよ、まだ互いをよく知らないのですから」とまたも控え目に怒られてしまった。


「気になってだけど……みんな、そんなに奇跡が好き? 奇跡、奇跡、奇跡……。ヒナは、奇跡、嫌い。みんな、その言葉、簡単に使うよね。ヒナのことだって、神兵だって。救い主だって。救世の英雄だって……」葬兵は無表情に呟いた。「でもね、ヒナには奇跡なんて起こせない。ブランケット・ストレイシープは、神様でも救世主でも無い。みんなを救うヒーローではあるよ? だれど……」指先に赤熱化バターナイフの柄を乗せ、羅針盤の針のように回す。「運べるのは死だけ。命じゃないの。ヒナは誰も、どこにも、連れて行けない。ただ、命を終わりに運ぶだけ。死ねなくて苦しむ皆を、テレビすら見れなくなった皆を、せめてヒトとして終わらせるだけ。本当に奇跡が起こせるなら、ヒナは皆に幸せを呼んでる。だけどそれは出来なかった。ヒナは大好きだったヘイちゃんすら救えなかった。だから祈って、願って、剣で死を刻み込むの。幾千のさよならを束ねて、切っ先で貫くの」


 繊細な吐息で紡がれる韜晦は、ケットシーを外観相応の儚げな少女に見せた。

 リーンズィは何度目かになる印象の修正を行った。

『テレビ』に纏わる妄想が鮮烈すぎるせいで、惑わされていた。

 ケットシーの世界は言ってしまえばまるごとが空疎な虚構であり、本質的には信念も信条も不確かなものだと思い込んでしまっていた。

 だが、そうではない。そうではなかったのだ。

 リーンズィは己の不明を恥じる。

 ヒナ・ツジ、死人のような不吉な白い肌をした、人形の如き美しい人。露出過多な女学生のようなコスチューム。ブレザーの下で僅かに肌を透かせるドレスシャツ。清潔で無駄の無い肉と、抱きしめれば折れてしまいそうな華奢な骨格を強調する。対峙者が息を飲むような均整の取れた肢体。花束でも抱きしめるのが似合いの精悍なる愛らしき目元には、しかし死人の光が眦に涙のように薄く煌めいている……。

 彼女はいつでも死んでいった者のために、未だ眠れぬ者のために、心を痛めている。


「シーラ。ヒナの弟子、可愛いシーラ。痛いよね。苦しいよね。痛いのは最初だけ……なんてヒナは言ってあげない。死ぬのはいつでも苦しくて辛いもの。だけど、ヒナはその死をあなたに何度でも注ぐ。それはあなたのことを大事に思っているから。あなたを殺すのはヒナの道楽なんかじゃないよ。視聴率のためだけでもない。あなたもヒナと同じぐらいに強くしてあげたいと、心から思っている。葬兵も随分と減ってしまった。……ヒナが、減らした。だけどヒナは嬉しい。こうして新しい葬兵候補と出会えた。ディレクターさんのサプライズ・キャスティングに、感謝……」


「うーん……ボクには何言ってるのか全然分からないよう……」


「素人さんなんだよね。大丈夫。ヒナは初めての子にもとっても優しい。テレビは初めて? 何かに出演してた? 人が見ている前でやらしいことするのとか、人に見られていないところで人殺しをするのは得意?」


「……得意ではあるよ。どっちも。母様や、他の少女騎士の目が届かない場所だと、外様のボクなんて、人殺しの得意なペット、みたいなモノだったし」シーラは目を伏せた。「だけど、殺すのが得意って言っても、師匠ほどじゃない。ボクは、弱いんだ。FRFでは強いという自信があった。強さだけはあるつもりだった。だけど、解放軍の戦士は桁違いだ。ボクなんてとても相手にならない……」


「強くなれるよ。シーラは強くなる。強くしてあげる……」


 ケットシーは屍蝋の如き頬に僅かに赤らめ、目を細めた。

 血濡れの少女騎士の顔に、愛を込めて、手のひらを当てる。

 そしてとびきりの笑顔で、唇を重ねた。

 熱い吐息で囁きかける。


「ヒナが、そうしてあげる。ヒナの技を仕込んであげる。あなたを救うために殺して、作り替えるの。あなたが殺されないようにするために殺すの。あなたを、何度もでも蘇って、皆を助ける不死身のヒーローにしてあげる。ヒナと同じ場所でスポットライトを浴びて戦い続けるの。ヒナはね、シーラちゃん、あなたに命を与えるために、死を運んでいるんだよ。何度でも殺して、何度でもこうして囁くよ。あなたを、ヒナと同じ、葬兵にしてあげるから。死なざるモノに、ヒトとしての死を運ぶ者にしてあげるから……」

8か9で終わりかな……?

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