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アフターゾンビアポカリプスAI百合 〜不滅の造花とスチームヘッド〜  作者: 無縁仏
セクション4 殺戮の地平線  世界生命終局管制機 アルファⅣ<ペイルライダー>
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セクション3 エンカウンター その⑦ 祭壇の羊、再誕と祝福(3)

 ニノセは、最後にはメアリーの手に指を絡めて、そこで自己凍結を起こした。


 再生は、再誕は、再編は、滞りなく進んだ。全てのプロセスは順調だった。

 少なくともアルファⅡモナルキアはそのように理解していた。


 リーンズィは、蒸気を纏い砕かれた冬の輝石とともに佇む。跪き、冷たいアスファルトに崩れ落ちる、再編された少女の裸身を抱き留めて、濡れたその髪をかき上げてやった。生身の右手で触れて、彼女の額から頬へ、頬から首筋へ、首筋から腕へ、腕から乳房へ、乳房から腹部へ、腹部から太股へ、太腿から膝を通り足先まで、優しく丁寧に手のひらを降ろしていき、彼女が正しい形に戻ったことを確かめた。

 人間の形をしていた。

 指の一本、毛の一本に至るまで、完璧な状態に回帰したニノセは、ゆっくりと、人間の息をしていた。

 アルファⅡモナルキアは成功を確信した。

 ヘルメットの、歪んだ黒い鏡像の世界で、死に瀕していた少女は、安らかに息をしていた。

 武器を握るのに似つかわしくない、かつては楽器を扱っていた生身の右手で、ニノセから首輪型人工脳髄を取り外す。

 試験のために左腕のスタン装置で軽く感電させた。

 ニノセはびくりと体を震わせ、呼気を漏らした。


「あれ……」


 薄く目を開き、少女は、薄い乳房の下にある肺腑を膨らませ、血の通う麗しい唇から、意味のある言葉を、生者の息吹によって紡ぐ。


「そこに……猫が……メアリー……?」


 ふらふらと立ち上がり、譫言を述べながら、覚束ない足取りで、彼女の愛する廃レーゲントの元へ歩み寄る。

 ニノセには、他に何も見えていないようだった。

 己が生まれたままの姿を衆目に晒していることなど気にもしていない。

 ただじっと、熱病に浮かされた視線で、倒れたままの乙女を見下ろし、ひざまずき、不思議そうに彼女の手を握り、指を絡め、接吻した。

 メアリーの再生は、とうに終わっている。不死病患者とはそういうものだ。何万回命を損なわせる傷でさえ、彼女たちにとっては数字でしかない。

 しかしニノセは、彼女の肉体をわけもわからない様子で何度も触って確かめて、安堵の表情を見せる。

 そして糸が切れたように尻餅をついた。


 先の小競り合いで割れた路面の破片が素肌に突き刺さった。

 血が滴ることはない。

 傷口は瞬間的に癒え、破片は押し退けられて無害化した。

 些かの痛痒を、黒い髪をした少女騎士の残骸に与えただけだ。


 彼女の肉体は、真なる不死、不滅を約束された存在へと、無様にも成り果てていた。

 口元に曖昧な笑みを浮かべながら、ニノセは裸の胸で大きく息をする。

 太陽を、目蓋の無い眼球のような無機的な光を見上げるが、彼女には何も見えてはいない。

 神経活性を取得しているリーンズィにはそれが分かる。

 では何を見ているのか。知覚の具体的な内容までは解析が及ばない。

 ユイシスの機能をもってしても全くの未知だが、少女は幸せそうだった。

 彼女の口から唱えられる言葉はただの音の羅列となり、明瞭な意味を成さず、彼女の偏愛する造花人形、もはや復旧する見込みの無い廃レーゲントの愛称と彼女の姉妹の名前だけが、リーンズィたちに辛うじて理解された。

 気難しそうに怒声を上げていた時の面影は淡く、姿の見えぬ愛しい者どもに、外見相応のいたいけな、無邪気な視線を向けている。

 少女は歌う。

 歌うようにして、この世界に残す最後の言葉を連ねて唱える。


「ねぇ皆。猫……そこに……メアリー……ねぇ、メアリー……みんな……。サード。フィーア……フンフ。祭礼へ向かうの。リクドーはいつ来るのかしら。皆で……私が皆を守ってあげるんだから。市長になるの。お母さま? メアリー、ねぇ、メアリー。ずっと一緒に。一緒に。ずっと、ずっと……ああ。猫が……」


 猫などどこにもいない。

 誰もロングキャットグッドナイトの遣わした不可知の猫が消え去る瞬間を目撃していなかった。

 処置の過程で弾け飛んだのかもしれないが、いずれにせよ猫の使徒は不滅者の端末であり、死んだぐらいで消え去るような容易い領域には無い。

 只人に知れない世界に、再出現していることであろう。

 少女騎士はうつろな目で愛の言葉を口ずさむ。ただ、祈り、歌い続ける。


 全ては崩壊している。脳髄にこびりついただけの自我は急速に揮発する。人間存在が意識を運用するのは、生存における諸要素を報酬系に操られているからだが、不死病患者が生きるためには、もはや何も、必要では無い。

 大好きな品物も。嗅ぎ慣れた花の香りも。輝かしい日々も。

 かつて胸に抱いた夢や愛の焦がれさえ、不死の病があれば、もう必要では無い。


 人間存在として事切れる間際、少女騎士は、不意に清明な言葉を取り戻した。

 だが何も見てはいない。

 自分を乗り囲む一切の状況を、ひとかけらも理解してはいない。

 彼女の精神はここではないどこかを彷徨っていた。

 ニノセはメアリーの手を握り、指を絡める。

 何事か、この空虚な無限の牢獄を這い回る者には決して届かぬ真実の言葉で、静かに語りかける。


「ねぇ、行きましょう?」


 添い寝でもするように倒れ伏せる。

 それきり、動かなくなった。


「……奇跡だ」と解放軍の誰かが呟く。「俺は奇跡を見ている」



「そう、とう……総統……?」

 ネレイス、完璧な五体満足のその少女と同じ顔をしたFRFの市長は、驚愕と怯懦で顔面を蒼白に染めている。

「その装備、この御業……こんな奇跡を起こせるのは、総統しか……」


「奇跡なんかではない」血煙を纏う調停防疫局のエージェントは答えた。「医療行為だ。考え得る中では最悪な形での。……彼女由来の恒常性は復旧させた。でも、ステージ2を経由させているから、はっきりと言っておく、彼女の状態は、通常の不死病患者よりずっと悪い。見た目は繕ったけど、悪性変異体と内情は同じだなのだな。なの。この状態から、仮に他の肉体に人格記録媒体を挿入しても、彼女の擬似人格は正常動作しない……」


 医療行為ではあるのだろう。

 リーンズィは確かに失われていく命を一つ、この世に繋ぎ止めた。

 それがどのような形であろうとも。

 ただし、尋常の医療とはかけ離れていた。

 ミラーズは、もう永久に目覚めない二人の不死に接吻し、二人の手を改めて硬く結ばせた。


「あなた方を別つ死は、ここに眠った」と囁き、また髪を撫でる。

 ケットシーは状況を理解していなかったが、道義心なのか、テレビの妄想由来の行動なのかは不明だが、着ていたブレザーを脱いで、あられもないニノセの裸身を隠してやっていた。


 異様な出来事を目にしたリクドーはと言えば、袈裟に斬られた傷から漏れ出す血も忘れてしまったようで、荒く息をして、姉の生還を、食い入るように見つめている。

 感じ取れる反応は概ね好意的で、『再生』への関心が高まったと見えた。

 ただ、肯定的な反応を示したのは、彼女たちだけだ。


 多くの兵士たちの胸中に渦巻いていたのは、称賛でも感嘆でもない。

 困惑と畏怖だ。

 何もかも順調と受け止めていたのはリーンズィたちだけだ。

 クヌーズオーエ解放軍の総体は違った。

 アルファⅡモナルキアが何を成したのか、彼ら、彼女らは、正直なところ、理解しかねていた。


 ……翼ある赤い蛇を紋章とする機体は、FRFの兵士に肉のひとかけらを与えた。

 当然、死に体の人間に喫食など出来るはずもない。結局それは再誕者であるレーゲントから再び生まれ変わったのだと嘯く一人の少女型スチーム・ヘッドの口づけによって、死に瀕した忌むべき少女騎士の舌の上から、喉奥へと注ぎ込まれた。

 その後に発生した変質の光景は、全て機体の視覚野に衝撃を伴って刻み込まれた。


 噛み砕かれた柔らかな弾丸の破片を飲み下して、ほんの数秒で、致命的な瞬間が訪れた。

 上半身しか存在しない少女の肉体は、殆ど破裂に近い形で崩壊した。

 奇異なる術理を極めたマルボロの打撃を凌ぎきった分厚な生体甲冑は、内部に収めた寄生対象の爆発的膨脹によって、呆気なく引き裂かれた。

 取り返しの付かない変質であるはずだった。

 失われた生命は歪曲された物理学によって巻き戻され、傷つけられた魂の傷を埋めるために、不死の病が獣を創り出す。それが、本来起こるべき破局である。

 スヴィトスラーフ聖歌隊の奏でる不和の旋律を浴びて生まれ落ちた異形は、七百十三本の手と二本の脚で立ち上がり、動揺してオーバードライブも無しに捕縛に取りかかった戦闘用スチーム・ヘッドたちを鬱陶しそうに押し退けながら、傍らで虚ろな眼差しを空へ向けている自我なき永遠の乙女へと腕を伸ばした。

 解放軍の兵士たち、乙女たち、残された生者であるFRF兵士までもが、戦慄していた。

 原初の聖句によって不動の精神性を獲得しているレーゲントたち、そしてアルファⅡモナルキア自身であるミラーズだけが、微笑と歌声をもって、その異形の誕生を祝福した。


『阿呆が、阿呆が! リーンズィよ、変異体の制御に失敗したか!』


 不可視の完全迷彩を解除して、永久を約束された白銀の大兎が、老兵の雄叫びを発する。

 如何なる装甲をも貫く鉤爪を振りかざした彼女を、しかしリーンズィは静かな声で制した。


「待って。せんぱい。どれほど忌まわしく、避けるべき結末であろうとも……新しい命は、祝福されるべき。殺してはいけない。滅ぼしてはいけない。まだ終わりじゃない。こんなところでは、終わらせない。もっと他に、進むべき場所がある。だから私に任せて、せんぱい」


 無数の腕は、倒れ伏せている美姫に触れることは無い。

 アルファⅡモナルキアは、この世で最も永久に近い甲冑の左手で、既に怪物に触れていた。


「閉じよ。それは、楽園の門では無い」とアルファⅡモナルキアは命じた。「私の至る王国に偽りの姿は不用である」と名も知れぬ娘は告げた。


「帰ってくると良い、ニノセ」


 世界の終末について物語るための左腕甲冑、世界生命終末時計管制装置の鍵盤を操作しながら、リーンズィは愛を込めて囁いた。


「そんなにたくさんの腕はいらない。ただ、君の顔、君の声、君の体、君の心を持って、愛しい人のところに帰ってくるといい。さぁ、目を開いて。私たちの知る中で、最も新しい人類の落とし子……」


 時代錯誤な装飾が施された左腕の蒸気甲冑にコマンドが入力された瞬間、極大量の紫電が指先から迸った。

 大樹を引き裂く雷にも似ていた。


 到来した変化は、変異よりもさらに劇的だった。

 スヴィトスラーフ聖歌隊の歌声を空気を揺らすが、それを引き裂かんばかりの異音を立てて、歪な変異体が有様を逆行させていくのを、兵士たちは見た。

 再生ではない。復元でもない。

 それは即ち再度の変異だ。

 数百の腕が膨脹し、あるいは縮小し、ついには繊維として千々に解かれ、改めて編み直される。

 迸る青白い色をした光線はさながら立体の魔方陣だった。

 そして少女の肉体が空間へと印刷されていく。

 まず現出したのは、愛らしくも華奢な造形の骨だ。そこに血管と神経系が巡り、瞬く間に脳髄を形作り、空疎な色をした瞳が創り出される。百手の異形はその傍らで幾筋もの光の筋となって臓器を編む。筋肉を編む。脂肪層を編む、皮膚を編む……騎士というには細い手脚を、慈悲深くも世界を隠す目蓋を、どこか陰鬱の気色がある眠れる顔を、編む。

 光は編み続ける……爪を編む、体毛を、睫毛を、産毛を編む……。

 怪物を解体し、その部材で儚い少女の裸体を編み上げていく。

 城壁の煉瓦を崩して、教会を建造するかの如き、埒外の変容。

 重戦車の残骸から人造心肺を生み出すことの方が、あるいは容易かもしれない。


『……り、リゼこうはい。いったい、いったいなにをやっているの。これは……何なの』


 さしものウンドワートでも、瞬時に事態を把握するのは困難だったらしい。

 思わず発せられた様子の、素のままの彼女の、心の襞をくすぐる心地良い声には、詰問の色がある。

 精巧な完全架構代替世界、未来確定の権能たるデイドリーム・ハントを有する彼女でも、未知の事象に対しては無力だ。


「ごめんなさい、レアせんぱい。私にも余裕が全然ないのだ。ないの。この機能が何なのか、私にもちゃんと理解して、説明することが出来ない」


 機能として登録はされているが、この超高度生命管制には、使用の前例が存在しなかった。

 ユイシスに世界生命終局管制を支援してもらってどうにか処理を成立させている状況だ。

 何を目的としてこんな機能が搭載されているのか、リーンズィには明確な回答が出来ない。

 手順を列挙するだけならシンプルだった。

 ニノセの恒常性を隷属化デバイスに収録し、自身が手を加えた変異因子を彼女の肉体で爆発的に増殖させ、恒常性の塗り替えを行う。

 そして悪性変異の恒常性に対して失活化を行い、同時並行的に隷属化デバイス内部の記録を再読出(リロード)して、ニノセの本来の恒常性へと回帰させる。

 酷く迂遠で、外側を繕っているばかり。

 なのに操作の規模が巨大すぎる。

 リーンズィ自身、これが収支に見合わないことは理解している。

 だが、この手段なら不死病に対して免疫を持つ存在を、死体にも怪物にも変貌させないまま、命ある人間として作り直すことが出来る。

 リーンズィとしては、この憐れな娘が死んでしまわないよう、いっしょうけんめいに努力するだけだ。

 ……目の前で死にかけている無辜の人間がいる。それを救えるなら自分の臓器でも飛行機の部品でもダクトテープでも何でも使う。

 調停防疫局のエージェントならば、きっと自然な価値観だ。彼女はそう信じた。



 だがアルファⅡモナルキアならざる者にとっては、その医療行為は、二重の意味で尋常外の光景だった。兵士たちは動揺も露わに言葉を交し合った。


「悪性変異体から人間の姿に戻す機能があるとは聞いてたが……何だこの工作精度は。話と全然違う」

「あの、生存者(ターミナス)の娘の体を意図的に悪性変異させてたよな? そしてそこから元通りの肉体を作り直してる。すると、これはおかしい、姿形は違うが、あの娘が二人同時に存在してることになるじゃないか?」

「待て待て、三人だ。三人いる! 叩き切られた下半身が放置されて。そのまんまだ。同じ人間が三人いる。恒常性はどう紐付けられてるんだよ」


 無機物はともかくとして、有機物の同位体は同一の時空構造体に同時に存在出来ない。アルファⅡモナルキア・リーンズィは、その原則を明白に無視している。


「ヘカトンケイルたちみたいに微妙に設定を変えてるんだろう」

「いや、大体よぉ、こんな馬鹿げた生命管制をやってのけるエネルギーをどこから捻出してるんだ? どれもこれも理屈に合ってなくないか!?」


 たいていの場合、野放図な増殖よりも、制御された再生の方が、余程難事である。

 過負荷に対する恒常性維持の取り組みは、常に『自然な変異を人工的な変異で塗り潰す』試みと等しい。

 破壊的抗戦機動と悪性変異の防止を両立するには、高度に構造化された人工脳髄と単純に凄まじい量のエネルギーが要求される。不死病は肉体を変貌させる際に物理法則を捻じ曲げてエネルギーを生み出すがそれに対抗するためには相応の手段とコストが必要になる。

 そして完了した変異は基本的に不可逆だ。

 不死病に書き換えられる以前のに古い恒常性を記憶しておく性質など無い。

 一度恒常性が書き換わってしまえば、もう戻せない。


 だがリーンズィは、自分でニノセから生み出した変異体を、変異する以前のニノセへと作り直してしまった。そして、そのためのコストは、まさしく変異したニノセ自身の、増殖した質量を転換することで賄われているのだと兵士たちは知った。

 素材とされた悪性変異体はもう何も出来ない。生まれ落ちた瞬間から恋人を抱きしめること以外にはどんな機能も備わっていなかったにせよ、ニノセの肉体を編み直すために不要な要素は、糸玉のように急速に解体されていく。


 永劫の冬に、甘い不死の血の香りが立ちこめる。

 二連二対の赤く輝くレンズを持つスチーム・ヘッドが奇妙な機械の左手を翳す先、霧の如き蒸気の帳の中で、真っ白い少女の、穢れも欠落も一切無い瑞々しい裸体が再構築されていく。

 眩暈すら招きそうな非現実的な風景だった。

 このとき、この瞬間、アルファⅡモナルキアがどのような技術系統に属しているのか、多くの機体が見失った。

 あるいは見誤っていたと気付かされた。


 不死殺しの技術は、実のところFRFですら完成させているのだから、調停防疫局にも存在した。悪性変異を逆行させる試みは多くの歴史において存在するし、解放軍でも事実上有している。ケルビムウェポン等の直撃で身体を全蒸発させられたスチーム・ヘッドを、変異させずに復元するための処置がそれに近い。最低でも上級レーゲントとヘカトンケイルを始めとした技術者たちがグループ単位で必要になる極めて大がかりな作業だが、存在はしている。

 リーンズィの呼び覚ましたその機能は、理外の現象だ。

 たった一機のスチーム・ヘッドが致命的な変異を意図的に誘発し、そこから欠落のない人間を編み直す。こんな技術は、誰も目の当たりにしたことが無い。

 それは常に、想像の世界おいてのみ存在した。


「次は君だ。時間が惜しい。積極的に仕掛けていかないと、君の命が失われてしまう」


 リーンズィはニノセの容態が安定しているのを確認してから、血濡れの装甲のまま佇むもう一人の少女騎士を手招きした。

 リクドーは躊躇った様子だった。

 無理も無い反応だとリーンズィは思った。

 隊長格であった姉の傷は跡形も無い。

 二度と、死ぬことは無いだろう。

 だが物言わぬ肉の人形と成り果てた彼女を目前に、平静を保つことなど出来ようはずも無い。


「……ボクも姉様みたいな怪物になるの。お前の手を取ったら、怪物になって……器官停滞者(ステイシス)になって、もう誰とも話せなくなるんだよね」


「大丈夫。私の首輪型人工脳髄を使えば、擬似人格を造れる。君は死と自由を失う代わりに、不死の肉体で活動することが可能だ」


「そんな生命はいらないよ……ニノセ姉様には、愛玩物のメアリーがいた。きっと白夜みたいな終わらない世界でも、姉様は幸せだよ。意地っ張りで怖いところもあったけど、あの人と、メアリーと本当の恋人になりたくてずっと頑張ってきた人だから。だけどサード姉様は……もう、どこにもいない。ボクは機能停止して、ヴァルハラだか天国だか知らないけど……そこに行って、サード姉様と会いたいよ」


「サードは消え去っていない。サードにはエンブリオ・ギアがある」リーンズィは自分のヘルメットを持ち上げて、その潔癖そうな美貌に柔和な笑みを意識して作った。「サードの体内で、まだあの寄生生物は生きているはずなのだ。はずなの。頸部の切断は意識活動の維持には致命的だが、君たちの肉体の防衛反応と、生体甲冑の心肺補助機能によって、彼女の肉体自体はぎりぎりで、まだ生かされている。このままだと死ぬだけだが……でも、もしも本来の仕様通りに、あのデバイスが『君のサード姉様』の神経活動データをコピーしていたのなら、まだ望みはある。サードからギアを摘出して、君の体内に移植し、恒常性の綻びを補完する。そうすれば、復旧したギアから、サードの擬似人格を取得できるかもしれない」


 提示された未来は、確実に最後の少女騎士の心を揺り動かしていた。

 だが、それでも行く末を定めるには不十分だ。


「……不死者に、スケルトンになったら」血と革、そして肉で構築された鎧に包まれたリクドーは、震える声で、毅然と、しかし哀願するように、回答を求めた。「ボクとサード姉様はどうなってしまうの。FRFとお前たち解放軍は敵対している。もしも再会できたとしても……サード姉様が拷問されるようなことになったら、そんなの、死ぬよりも、死ねないよりも、ずっと酷い」


「私はとっても偉いので、君たちのことを守ってあげる。約束する」


「お前、安請け合いばかりしているだろ!」リクドーは不意に激昂した。排出孔から血が噴き出したが、それにも構わずがなり立てる。「守ってあげる、約束するって簡単に言うけど、そんなの何の保証にもならないよ! 不死になったらもう死ねないんだ! 死ねない体でボクも姉様も永遠に苦しめられることになるかもしれない! そんな状況で軽々しく都合の良い未来を語らないで! そこの鉄の怪物が……」泣きそうな声でウンドワートを指差した。「不死になったボクたちを串刺しにして、バラバラにして、大腸を引きずり出して、腹に異物を詰めて、晒し者にするかも知れない……!」


『なんじゃ? くだらない、くだらない。ワシがそんな野蛮なことをするように見えるか。我慢ならぬ侮辱じゃ』


 白銀の装甲を照り返し、兎の大鎧、ウンドワートは無感情に言い放った。一本一本が超高純度不朽結晶で構成された爪を鳴らし、リクドーをスチーム・パペットの威容に相応しいサイズの、赤い光を灯す二連二対のレンズで見下ろした。


『だいたい、我が爪に裂かれる栄誉をキサマらのような雑兵にくれてやるわけがなかろう』


「怖いが悪い人ではないのだ。ないの。ウンドワート卿もまた、とっても偉い。私よりも偉くて、しかも実はご安全な人なのだ。怖いことは何も無い。このピョンピョン卿も君の安全を保証してくれる」


『は? なんじゃ? ワシまで何故巻き込まれている。何が楽しゅうてFRFのクズ肉どもの世話などせねばならない』


「だって……」リーンズィはウンドワートが好ましく思うような表情を整えながら、からかうような調子で言葉を紡いだ。「私がこの子たちを隷属化したら、この子たちは私の端末と言うことになる。つまり私の配下の機体と言うこと。この子たちを傷つけるのは私への攻撃に等しい。……ウンドワートは私が傷つけられても、平気? 私はせんぱいに、ウンドワートに守ってもらいたい。……せんぱい、お願い。どうか、私を助けてほしい。もしもお願いを聞いてくれたら、何か一つだけ、いや、丸一日、せんぱいの言うことを聞く」


『こら、リゼっ! 軽々とそんなことを口にするでないわっ! 誰の仕込みじゃその卑猥な懇願はっ! ミラーズか、ミラーズのアバズレに吹き込まれおったか!?』


 上級レーゲントたちにニノセの身柄を預けたミラーズが、口元を押さえて喉を鳴らした。


「ふふふ。ウンドワート様、愛しい後輩ちゃんに格好良いところを見せて、そのあと合意の元で丸一日好きなように楽しめば良いではないですか。リーンズィも兎さんのことを考えると切なくってどうも仕方が無くなるようですから。誰も損をしない取引だと思いますけど」


 兎の騎士が、怒りか期待感かで身震いをする。

 リクドーは呆然として眺めた。

 冷酷無比な殺戮マシーンのような巨人が、こんなに人間らしい感情を見せるとは、思っていなかったのだろう。

 あるいは、肉無し(スケルトン)の蔑称で呼んできた存在が、こんなにも豊かな感情を持っているとは、知らなかったのだろう。


『小癪な……! そんな見えすいた餌に……リゼを一日……ええい承知じゃ承知! オヌシのことぐらいは守ってやるわいっ!』むにゃむにゃと言葉を飲み込みながら兎の騎士が見得を切る。『折角こぎ着けたFRFとのまともな接触でもあるし、このワシがわざわざ盾役まで引き受けてやったんじゃ! そうじゃとも、むざむざご破算にされてたまるかっ!』


「うん。ということなので、とてもとても大丈夫なのだな。このぐんぐん成長している私と、この誇り高い巨大な兎さんの騎士が、君たちを守る」


 威圧感や光輝は、しかし、知れば知るほど、何か遠ざかっていくように思えるものだ

 本当に大丈夫なのだろうかという感情が、にわかにリクドーの傷口から滲み始める。


「……信じても良い気がしてきたけど……」リクドーは二人を見渡した。「何でだろう、すごく不安になってきたよ」




 マルボロに見張られながら、ネレイスはへたり込んで三人の遣り取りを眺めていた。

 市長の外面も、長命者としての威厳も、整った目鼻には宿っていない。

 恐怖と混乱が、滝のような汗となって現れ出る。


「そんなにビビって、どうしたんだ」煙草を吹かしながらマルボロが問うた。「攻撃さえ仕掛けなければ、今の解放軍はFRFには甘い。拷問だの何だのは心配するだけ無駄だ。……俺がどれだけ手加減してたか、殲滅作戦で遭遇したっていうんなら、分かるだろう」


「……そうじゃない」ネレイスは蒼白の顔面でマルボロを見上げた。「もうどうしようもない状況だ。命をどう使い潰されるかなんて、そんなことは……どうでもいい、怖くはない……私が怖いのは、あのアルファⅡモナルキアという機体と、兎のようなシルエットのあのゴーレム、私たちで言うところの真性装甲者(リュストゥング)だ」


「兎の方は別だが、アルファⅡモナルキアの頭目は穏健派だ。あの機能は……俺も恐ろしいけどな」


「違う、違う、違う……! そうではない、そうではないんだ! こんなことが……こんなことがあるなんて。クヌーズオーエ解放軍は私たちファーザーズ・リデンプション・ファクトリーとは全然関係の無い組織だって……偉大なる総統の威光に守られているのは私たちだけだって、ウォッチャーズから、ラウンズから、不死者たちからも、そう聞いていたのに……」


 マルボロは煙草を深く吸い込んだ。

 何も応えない。

 次の言葉を待った。

 胃の内容物を必死に飲み込みながら、長命者の少女は押し殺した声を吐き出す。


「あの二機の装備……見ただけで分かる。あんな特徴的な蒸気器官(スチーム・オーガン)とヘルメットは他に無い。特にあの、栗毛の女の方だ。あんな異様な機能も、他にはありえない! 我々人類最後の希望……あの御方と関係が無いはずがない。どういうこと。こ、こんなこととって……嘘、こんなの、こんなことがあるなんて。どうして……あなたたちの指導者の装備が、我々の総統、()()()()()()()()()()()()()()()なの……!」


「……まぁ、そうだな」マルボロは煙草をそっと握りつぶした。「同じじゃないが。似ているだろうな。装備の見た目だけなら本当に似ている」


 マルボロは、FRFを統べるものと面識がある。

 アルファⅡ<ウンドワート>が加入する以前から解放軍ではコルトが存在していたし、秘匿されているが、初期にはアルファⅢ<メサイア>の側からもコンタクトがあった。

 だから相手の首魁がどんな姿をしているのか、そして何故かリーンズィと似通った外観をしていることを、マルボロは知っていた。

 確度の高い真実は、きっと当事者たちにしか分からない。

 だが古参なら彼女たちの類似性には気付いていたのだ。


「あなたは、いつから知っていた……?」女は呻きながら問うた。「まさか、ずっと前から? あのとき……私の参加していた浄化チームを潰して殺していた頃から……ずっと、総統と同じタイプの不死者と一緒にいて、全部、ぜんぶ知っていたの……?」


 吸い殻を懐にしまい、マルボロは沈黙した。意味するところは一つだ。

 ネレイスの眦から、涙が一筋落ちた。

 それは自己憐憫の涙であり、信仰の崩壊に伴う出血であり、彼女が押し殺してきた都市への猜疑が形となったものだった。

 私は何を信じて生きてきたの。

 神の栄光を、ではどうやって信じれば良いの。

 どうして自分たちは正しい方向に進んでいると信じていたの。

 何を根拠に市民を死地へと運んできたの。

 私の愛した都市は、私の崇拝した総統は、私の信じた歴史の真相は……。


 嘆きながら頭を抱えて蹲るネレイスに、マルボロは「そう間違ったことでもないと思うがね」と呟く。

 ネレイスには時間が必要だった。

 残酷な現実を噛み砕き、何を信じるべきか問い直すための時間が。

 

 

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