セクション3 エンカウンター その⑤ エージェント・クーロン
その手には五本の指がある。血に染まる五本の指が。これら矮小なる骨肉の芸術品は、無数の関節と靱帯、そして前腕にまで及ぶ強健なる筋肉によって動作する大がかりな工作機械である。屍によってしか道を創造し得ないおぞましい脳髄の、その命尽きるまで続く狂おしい神経発火に突き動かされるまま、原始の自然を玩び、歪なる殺戮の道具を造り出す。次の闘争、その次の闘争へと、己自身を投げ込んでいく。
彼らは外敵の骨と石から斧を作り、敵を殺すための槍を作り、外敵から剥いだ皮と木で遠方の敵を殺すための弓矢を生み出し、石と煉瓦を積んで炎熱を隷属させ、牙も通さぬ金属を溶かして敵を殺すための剣を鋳造し、図面を引いて、敵を殺すための剣と兵士を蓄える城塞を地に編んだ。世界が終わる頃、多くの営為は自動機械に取って代わられていたが、それも結局は悪夢に魘される脳髄と手指が生み出した、外部化された殺戮の器官である。全ては、敵を殺すために創造された。
畢竟、人類とは、殺戮の夢想と、殺戮の技巧、この二つを道具として持ち運ぶ、おぞましき戦争の化身に他ならない。
そういった意味で、マルボロの振るう暴力は、人類が用いるべき悪意とは、一線を画していた。
「ぎいっ!?」
「きゃあああっ!」
「メスメリズム・オーガン……効いてるはずなのに!」
一息の間に、五つの打撃が生体甲冑を打ち鳴らす。
FRF兵士たちは悲鳴を上げて転げるばかりだ。
彼女たちを打ち据える拳に、装甲はない。機械的補助はない。
そこには何の細工もありはしない。
だというのに、地を脚で擦り、肺腑を炉とするマルボロの打撃は、異様な破壊力を発揮していた。
人類が編み出して洗練させてきた殺戮の技巧、殺戮の妄想に逆行する、野蛮でありながら、芸術と呼ぶに値するほど研ぎ澄まされた拳闘術。死を生み出す両手という宿痾そのものを凶器とする原始的な対人戦闘技能の極地。
ライトブラウンの髪の少女は最初こそ驚嘆していたが、ユイシスの解析が進むにつれて、困惑するようになった。
マルボロの打撃は、明らかにFRF兵士の装甲を貫通してダメージを与えているが、そのメカニズムが、全く解明出来ないのだ。
千変万化の軌跡で叩き込まれる一撃一撃に、常識では考えられないほどの威力が備わっていた。踏みしめる大地からの反発力を利用する、そういった独特の技法が効果を発揮しているのは、ある程度までは間違いないだろう。あの勢いでまともに人体を打てば、内臓を破裂させる程度は容易い。
だがそれも、相手が『生身なら』という但し書きがつく。
分厚い骨肉の鎧を素通りさせて内部の相手に直接ダメージを与えるなど、現実では到底あり得ないことだ。
単純に外殻部では緩和出来ないレベルの凄まじい衝撃を与えているだけのようにも見えるが、それでは増加装甲を纏った盾の兵士が転げて、打撃された腹をピンポイントに押さえて吐瀉している理由が説明出来なくなる。
その兵士はマルボロの放った、背中からぶつかっていくという奇妙な技を下腹部から胸にかけて受け、吹き飛ばされ、排出口から汚物を零して、立ち上がれなくなっていた。絶技ではある。人類文化の産んだ偉大な格闘技術の成果物であるのは間違いない。だがどのような理屈があれば、スマートウェポンの連続射撃にも耐えた装甲を貫通して相手にダメージを与える、などという世迷言が成立するのか。
疑念は尽きず、怪しい部分しかないのだが、現実に通じてしまっているのだから、とにかく本当に浸透勁とやらが有効に機能していると考えるしかなかった。
「レアせんぱい、これは……マルボロのあれは、何なのだ? 何?」
何なの、としか言いようがない。
視覚情報からの推測値だけで判定するならば、一発の掌底に、装甲車が正面衝突するレベルの衝撃力が備わっている。
だが何をどうやっても、あの姿勢と停止したギアから、そこまでの威力は出せまい。
『驚くわよね、驚くわよね。あのボンクラ、元々はそういう拳法の遣い手だったんだって。エイトポイント・ゲートブレイク? とかいう流派らしいわ……。エーリカ隊に後を任せてFRF狩りから逃げたくせに、意外とキレが落ちてないものよね。裏でまだ練習してたのかしら。ああ、殴られまくってる彼女たちが心配なのね。マルボロは手加減だけが取り柄みたいなやつだから、勢い余って殺すなんてことないわよ。なにせ、ケンポー? のキワミらしいから』
「ケンポー……。漢方みたいな響きだし、おくすりなのだな」
リーンズィは少しだけ現実逃避した。
そうしている間にも、機能停止して然るべき軽装スチーム・ヘッドが、演舞の如き型から剛力を吐き出して、重武装のFRF兵士を殴り倒している。
「どうして謎のポーズを取ってからパンチするとドカーンてなるのだろう……?」
『不思議よね、不思議よね』
ウンドワートは面白い見世物でも眺めるかのような口ぶりだった。
興味深いのは事実であり、スチーム・ヘッドたちがやや包囲の網を狭めて観戦ムードになっているのも分かるのだが、リーンズィにはマルボロが何をしているのか、それがまるで分からない。
蒸気機関も外骨格も停止したスチーム・ヘッドが、低倍率オーバードライブ相当の出力で格闘技を繰り出しているのは、単純に異常事態だ。
「あの、何をどうしても、あんなこと出来ないと思うのだが……思うんだけど……思うの」
『だけど、実際に出来てるんだから仕方ないじゃない。ケットシーもそうだけど、東洋のカンフー……マーシャル・アーツ全般ってそういうものよね? 映画では、だいたいそうだし。ああいう技極めていくと自動的に何か……なるんじゃない? そうそう、スチーム・パペット相手に関節技キメて行動不能にしている機体も昔はいたわよ。物理的に無効だと思うんだけど、効果ありだったらしいわ。炉心を止まらせてしまうんだから、悔しいけどすごいわよね』
すごいのはすごいが、全く意味が分からなかった。当然ながら金属と駆動装置の塊であるスチーム・パペットに関節技をかけても効果はない。走行中の車のタイヤを抱えて締め上げてもエンジンが壊れたりはしない。
「そういう……そういうものなのだな……? なの……?」直感に反するとしか言いようがない。しかし、確かに事実としてそういう現象が起きているので、否定しがたい。「ユイシス、解析は進んだ?」
『解析不能です』リーンズィの脳裏に響く統合支援AIの声も、どこか困っているような音色だ。『同様の技法・身体動作は、ヴァローナとの戦闘において、エージェント・シィーも使用していました』
そう言えば、とライトブラウンの髪の少女は瞠目する。リーンズィが記憶している限り、ヴァローナの生命管制を破壊して機能停止にまで追い込んだのは、シィー操るミラーズの体術によるものだった。
あの動きとマルボロの挙動には、練度の差こそあれど、天地ほどの違いがあるようには思えない。
『当機の記録上、シィーの動作において、装甲を無視してダメージを波及させるなどの特殊効果は確認されていません。ウンドワートへと疑義を提示。貴官の見解では、マルボロの戦闘技能は合理的な物ですか? 人間業ではないと思考します』
『話だけなら絵空事、他愛のない空想話よね。だけど、実現しているわ。合理的かどうか考えても仕方ないわよ。はい論破。わたしの勝ち。ポンコツAIはぐうの音も出ないわね』
ぐう、とアバターを出現させたユイシスがぐうの音を出した。
それから消えた。
その間にも一機の不死病患者にフル装備の生者三人が一方的に殴り倒される轟音が鳴り響いている。
『……まぁ、これはわたしの推測なんだけど、機械に頼らず固有振動数とかいうのを目視で割り出せて、それに合わせた打撃を生身で出力する……ありえないと思うんだけど、出来るんだから、それは人間業よ。噂でしか聞いたことないけど、生きてた頃から似たようなこと出来たらしいし』
不死病罹発症前の人間にそんな常識離れした力が使えるはずないと困惑しつつ、リーンズィは一人軍団の権限を使ってデータベースへアクセス。マルボロの過去を検めた。
一部記録が隠蔽されている痕跡を発見したが、これはリーンズィ自身の処置であった。何かプライベートな事情があったのだろう、とリーンズィは塗り潰された記録を迂回する。
驚くべきことに、完全に我が物としたのは死後のようだが、確かにそのような術理を生前から修めていたらしい。
人の身でそれを成そうとするのは紛れもなく狂気の沙汰である。生身で固有振動数を割り出すのも、それを利用しようとするのも、空想理論というよりは熱病患者の戯言に等しい。
だがその能力、あるいは資質を有するがためにスチーム・ヘッドへの転化が決定したのは、記録上事実なのだ。
そして魂を売り渡した彼は、この極点に至った。オーバードライブ関連技術が確立するよりも以前のことだった。
本格的なオーバードライブ搭載機には大きく劣るにせよ、初期の不死の兵士としては、埒外の性能であっただろう。表沙汰にならぬ泥まみれの戦場でどれほどの武勇を成したのかは想像に難くない。
そして……クヌーズオーエ解放軍での正式な登録名は『エージェント・クーロン』。
マルボロは渾名だった。
『エージェント』というその文字列に、リーンズィは胸騒ぎを覚えた。
ユイシスに照合を求めたが、調停防疫局にそのような局員は存在しない。
『これほど奇異な素養を持つ人間が当局が見過ごしていたとは考えられません。推測。防疫局成立以前の、不明な組織の構成員。我々の時間枝において、初期段階で隠匿された機体であるならば、当機のデータベースに記録が残されていないのは自然です』
「まさか先輩スチーム・ヘッドだったとは……お兄さんだったのだな」
リーンズィは目を丸くしつつも納得した。やけに馴れ馴れしくて親切だとは思っていたが、あちらが一方的にこちらの素性を知っていたならば不思議でもない。
何だか不公平な気もするが、好意には素直に応じるのがロングキャットグッドナイトのふわふわの猫たちが教えてくれた楽しい毎日の過ごし方だ。
『……先輩って、おにいさんって、何よ』と露骨な敵愾心を示したレアに、くすぐったような、臓腑の疼くような切ない衝動を感じた。ライトブラウンの髪の少女はウンドワートの装甲を唇で触れ、ちろ、と舌先を這わせた。不朽結晶で構築された戦闘兵器は、仄かに甘い味がする。
本当に巨大な甲冑の装甲表面にまで神経が通っているのだろうか、格納されている白髪の少女が、もどかしような息を漏らした。
「……だいすきなせんぱいは、レアせんぱいだけ。ふふ。せんぱいはいつもそうやって私を大事に思ってくれるのだな。とってもかわいい」
リーンズィが意識して胸を押し当てながらじゃれつくと、レアは満更でもなさそうに、僅かに抱擁のアームに力を込める。
『忘れないで、忘れないで。私が愛を注ぐことを覚えたってこと。後で今度こそリゼ後輩には私のことしか考えられないようにしてあげる。誰が世界で一番大好きかって分かるまで、離さないんだから』
ユイシスは敢えてアバターを表示して、呆れのジェスチャーをした。
ウンドワートは周波数変更を実行したままだが、リーンズィのほうは既に外側から見えている状態であることを指摘すると、二人は照れ始めた。
ユイシスは呆れのジェスチャーを繰り返した。
マルボロの攻勢は続いた。
車両をも横転させる猛烈な打撃が、途切れなく、容赦なく生体甲冑の娘たちに浴びせられる。
決して致命打にはしない、という力加減がマルボロの戦闘経験を物語っている。殺すと決めれば、浸透勁とやらを三発も成立させるだけで、FRF兵士は死ぬだろう。
そして皮肉なことに『まだ死んでいない』という事実が、FRFの娘たちに精神的なダメージを蓄積させつつあった。
理不尽さの程度で言えば、先ほどの戦闘用スチーム・ヘッドたち三機の方が遙かに上だ。超音速での移動能力に対して弾丸は無力であり、命中しても無敵の装甲に阻まれてダメージを生じず、奇跡的に損傷を与えても不死病の症状により一瞬で回復してしまう。
だが、人間の時間に生きる彼女たちにとって、認識不可能な領域で活動するスチーム・ヘッドは、お伽噺の怪物も同然だろう、とリーンズィは考える。あまりにも異常すぎて、現実のこととは思えまい。お伽噺の怪物に心折れて降伏するのは、なかなかに難しい行いだ。
自分の説得が通じないのは、きっとその部分の理解が甘かったからであろうと反省した。
『マルボロは、以前はFRFの浄化チームを迎撃する部隊に所属してたの。部隊って言うか、私に言わせれば交渉要員ね』とウンドワートが教えてくれた。『見れば分かると思うけど、スチーム・ヘッドと連中じゃ、戦闘にもならないわ。だから丁重にお引き取り願うか、返り討ちにして殺してしまうんだけど』
「……生存者と遭遇したら即殺す、のではないか? ないの?」
『違うわよ、違うわよ。FRFのクズ肉、えーと、ゴミみたいなスチーム・ヘッドなら、クズ肉にしても構わないわ。でも生存者を一律で殺してしまうのは善くないでしょう。事前にコンタクトがあった場合は尚更。まぁ生存者は大抵FRFだし、説得しても無駄だけど、でも一応話をする人員が必要になるわよね。そういうのに従事するのは、攫われない程度に強くて、生身の人間と戦い慣れてる機体が良い。そういう意味じゃ、半端物のマルボロにはうってつけのポジション。そのはずだったのに。あいつったらそれも途中で投げ出したのよね……』
あの変な格闘技と普段の冷静さがあれば、相手を叩きのめしながら降伏への圧をかけることも可能だろう。リーンズィは想像する。戦闘用スチーム・ヘッドの存在は、目で見ることも出来るし、声を聞くことは出来るが、性能が隔絶しすぎていて、オバケじみている。相対しても受け入れ難い。結果的に、彼女たちは戦闘用スチーム・ヘッドを通して空想上の怪物と戦っていることになるからだ。
そして空想上の怪物には必ず攻略法が存在するものだ。
例えばリーンズィが以前レアと一緒に観たシャークドターミネーターⅣ(サメ化した殺人ロボットが液状金属の海を拡げながら襲ってくるという緊迫感溢れるSFサスペンスで、レアは途中で飽きてリーンズィで遊び始めた)では、サメ・ロボは殆ど無敵で、どこにでも現れ、CGもひどく、動きがカクカクしていて、多方面でどうしようもない存在だったが、液状金属を液体窒素で凍らせれば撃退出来た。
FRF兵士たちもそんな映画の登場人物のように、戦闘用スチーム・ヘッドの弱点が露見することを期待してしまうのではないか。それ程に戦闘用スチーム・ヘッドは過剰に強力だ。当然と言えば同然である、自分達と同レベルの敵を撃破するための究極系が彼らなのだから。。
だがマルボロ、この紫煙八極の遣い手は、あまりにも理解が容易だ。
繰り出す技の全てに尋常外の破壊力が宿っているにせよ、その動作は見て取れる。
CGではない。
空想ではない。
目に見える。
肉で感じられる。
だからこそ彼我の実力差は明々白々で、敵側には都合の良い妄想に逃げる余地がない。
人間の目にも簡単に理解出来る次元で、非常に分かりやすく、『強い』。
リーンズィとしてはマルボロの披露している技には違和感があるのだが、この暴力に立ち向かうFRF兵士からしてみれば、相手がすさまじく強く、勝てないと言うことだけが現実だ。
銀の銃弾は存在せず、どんな小細工も彼には通じない。
勝つこと能わざる、という認めがたい真実が、容赦なく彼女たちを責め苛む。
「こ、拘束しろって言われたって、こんなの、こんなの、どうすれば良いのよ……」
隊長格の兵士が血を装甲から排出し、震え声を漏らす。
降下してきたFRF兵士は、既に残らず満身創痍の状態だ。
リクドーなる兵士だけは打撃に対して辛うじて防御を繰り出すようになってきているが、現実にはマルボロは彼女の心を折るために程度を合わせている。他とまともに打ち合いを演じないのは、レベルを下げられる加減がその辺りである、と言うだけのことだ。
視聴率を気にして戦闘をコントロールするケットシーのような器用さだ、と漠然とライトブラウンの髪の少女が考えていると、真上から「あの煙草のおじさん、相手が受け止められる程度に手加減してる。つまり絵作りを理解してる……ヒナと同じ業界の人?」と声が聞こえた。
見れば、ウンドワートの透明な装甲の上に、一人の少女が腰掛けている。
ブレザー姿の黒髪の死人めいた美貌。
カタナ・ホルダーを担いだその姿は、まさしくケットシーであった。
ユイシスにも接近を感知出来なかったのは、彼女が『可能性世界を選択し、己の願望を実現する』という自身の特性を利用して、埒外の速度で飛んで来たからだろう。
「リズちゃん、こんにちは。あいさつは大事。撮影が凄く盛り上がってるみたいだから、コルトさんに許可をもらって遊びに来た」
「こんにちは、ケットシー。あいさつは大事。その、下からだと下着がよく見えてしまっているが……」
「リズちゃんとの仲だもん、気にしないから大丈夫」
『ちょっと、ちょっと。人を椅子代わりにしないで』レアが不機嫌そうに声を出す。『私の上に乗って良いのはリーンズィだけよ。リーンズィを好きにして良いのもね』
「あ、その声。これピョンさんなの?」ヒナはウンドワートの装甲をさすった。「透明だから分からなかったけど……言われてみればすごく魅力的な香り、ピョンさんの香りがする。リズちゃんとくっつているだけで浮かれてしまう恋するウサギさんに蹴られて、グチャってなってお茶の間を凍らせちゃうのは、ヒナとしても不本意」
『誰が恋する兎さんじゃ! あとピョンさんじゃなくて、ウンドワート!』
ヒナはするりと身を転がせてリーンズィの傍、ウンドワートの装甲の向こう側へ着地した。備わった特質に頼らずとも、身体操縦の技能は高い。
恐ろしい乱打で兵士たちを圧倒するマルボロの動きも当然のように目で追って、ふむふむと頷いた。
「皆、これぐらいのマイルドなアクションの方が好みなのかな。ヒナはカンフー苦手だから難しい世界かも。でもスーパー・スターを目指すならチャレンジ精神を喪ってはいけないよねっ」
「……ケットシーは、ああいう技は使えないのか? 使えないの?」
意外に感じて、ライトブラウンの髪の少女は目を丸くした。
ケットシーなら何でもかんでもやろうと思えるならやってしまえると考えていたのだ。
自覚しているのかいないのか、傍目には曖昧だが、彼女にはそれだけの力が備わっている。
「リズちゃんにも一回だけ使ったことあるよね、蒸気抜刀・虎徹し浸透発勁……」
「えっと、確か、初対面で、酷いことをされたとき……」
腹にハルバードの残骸を捻じ込まれそうになる直前。
そういう名前の技を使われた覚えがある。
蒸気噴射の振動を利用して、再生能力を誘発しない程度にダメージを与え、スチーム・ヘッドを麻痺させる妙技だ。
「そう言えばあれもカンフーなのだな」
「ううん。カンフーの劣化複製。カンフーなんて時代錯誤だと思うんだけど、葬兵時代の第二席、ヒナのライバルの子が、カンフーマスターだったの。役に立つかどうかはともかくとして素手でびゅんびゅんやるのがかっこよかったから、真似しようとしたんだけど、どうしてもあの、発勁? っていうのが分かんなくて。蒸気甲冑まで使っても、それっぽい動作を再現するので精一杯だった。……みんなには邪道だって嗤われたけど、スチーム・ヘッドの動きを止められるし、第二位の子を押し倒したとき大人しくさせるのに便利だった」
リーンズィは最後の方については勇気をもって聞き流すことにした。「葬兵にもあんなケンポーが出来る機体がいたということ?」
「ケンポーじゃない。カンフーね。いた。女の子で、本物の達人。蒸気甲冑無しで、悪性変異体をパンチ一発でバラバラにしてた。威力を追求してもあまり意味がないって自嘲してたし、ヒナもそう思ってたけど、すごいよね。ヒナと変わらないぐらいの腕で、車も簡単に壊しちゃうの。ほんとにぜんぜん意味ないけど」
やたらと相手を下に見た言葉が入ってくる。
「……仲が悪かったのか? の?」
どうしても気になったので、ついついそんなことを聞いてしまう。無関係なところに敵愾心のようなものがチラついていた。
「……仲は悪くもあり、良くもあった。前シーズンでは恋人だったりも、したし」
「恋人!? ケットシーには恋人がいた?!」
「あ、前シーズンの話だからもう過去の話。今カノのリズちゃんは気にしなくて良いよ」
『誰が誰の今カノじゃと……?』ウンドワートが低い声を出した。
「レアせんぱいと私が恋人で、それは誰も疑わない」リーンズィがすかさずフォローを入れる。「ケットシーに挟まる余地はないのでご容赦してほしい」
「ヒナは出来るスターだから大丈夫。気の長い勝負も得意。二人のベッドシーンに挟まるだけの端役からでも、メインヒロインに駆け上がれるよ」
そんなのもうホラー映画のオバケでは、と困惑としたリーンズィの隣で、その前に「脚をもいでやるわ……」などと唸り始めたウンドワートを、慌てて装甲に触れて宥める。
このままではまずい。第二の乱闘が始まってしまう。リーンズィはぐんぐん成長し、危機管理を覚えつつあった。
話を逸らす目的でマルボロとFRF兵士たちの鉄火場に視線を向けた。
「ケットシーとしてはマルボロの技の冴えはどれぐらい? その、第二位の人ぐらい強い?」
ふっ、とケットシーが頬を桜の色に染めた。胸をつんとそらして、どこか誇らしげだ。
何故だか乙女のように瞳を潤ませる。
「ぜんっぜんダメ。比べものになんない。殴るばかりなんて芸が無い。ヘーちゃんならもっと華麗に舞ってたよ。違う、舞わせてた。対人なら投げて投げて投げまくって、相手がごめんなさいするまで転ばせ続けてたはず。プライベートで私を押し倒すときだって、私がね、何が何だか分からないうちにベッドの上だった」
また聞き逃しにくい言葉が出てきた。
リーンズィはうずうずして、つい聞いてしまった。
「……どうして別れたの?」リーンズィは首を傾げた。仲が良さそうだ。「今でも好きな人?」
「……あの子は、ヒナたちとは向いている方向が違った。東アジア経済共同体の側だったし。でもそれだけ。だから……そう。今でも好き。へーちゃんのことは。……でも。もう、いないの」
目を伏せたケットシーに、遠距離恋愛なのだな、とリーンズィは頷いた。遠くにいる恋人に会えない寂しさから、他に恋愛関係を求めてしまう。そうして大スペクタクルスパイ陰謀劇などに巻き込まれてしまうのだ。映画でよく見るパターンだったのでとても詳しいし、自分はゲストヒロイン扱いなのだろうな、と理解する。
「しかしマルボロよりも上手とは……。マルボロは、エージェント・クーロンなどと言うからその道の第一人者かと思っていたが、上には上がいると言うことなのだな。勉強になった」
「……クーロン?」黒髪の少女の声に惑いが混じる。「クーロンって言った?」
「そう。マルボロの本名は、エージェント・クーロン」
『調停防疫局結成以前の、同様な組織の工作員と予想されます』
「おかしい。だってクーロンは、へーちゃんの名前」
「……? クーロンに『へー』は含まれていないのでは……」
「クーロンはナインヘッドドラゴン、つまり漢字で九頭龍。でも旧日本文化圏風に愛称を付けると、クズちゃんとかになっちゃうからダメ。そこでヒナが考えたのがクーロン、くろ、黒、黒は東アジア共通語でヘイ……ということでで『へーちゃん』。あの子は気取りすぎだったから、バランスを取って親しみやすく呼びやすいニックネーム」
『ワシがピョンさんとか言われてるのと比較してひねりすぎてると思うんじゃが』
「だって、昔からの恋人には特別な呼び方を贈りたいのが人の情」珍しくケットシーはもじもじとした。「『リゼちゃん』と『レアちゃん』なら分かってくれるはず」
『小娘がぁ、気安くよくも……。うん。ちょっと分かるけど……』
「それで、『へーちゃん』さんもエージェント?」
「あの子は東アジア中央軍の武官の血筋だった。大規模だけど、とても閉鎖的な集団だったし、調停防疫局とは無関係だと思う。でも、この符合は見過ごせない。同じカンフーマスターで、同じ名前なんて、これは中々無いこと。真相究明のために一戦所望してスポットライトを浴びなきゃ……!」
『警告。願望が漏れています』ユイシスが呆れ声を出した。『マルボロだけが目立っているのに我慢できずになってきやがりました、と推測』
「むっ。ただの目立ちたがり屋だと思われるのは心外。ヒナはスーパー・スターである以前に弱い人々を守るヒーローだもん! こっちは正義の軍団だけど、あっちはまがりなりにも生存者だよね。体はクヌーズオーエ解放軍に恭順しても、気持ちはえふあーるえふというところの兵士と常に一緒。ねぇ、リズちゃん。交渉も難航してるみたいだし、状況を変えた方が良い。これだと民間人を虐待してるだけのサディスト。BPOからも苦情が来る。ヒナを混ぜた方が良い。あ、勝手には行かないよ? リズちゃんの指示を待つから」
行かせる意義はあるかもしれない、とリーンズィは考えた。
マルボロは煙を吐きながら豪腕を振るい、FRF兵士を着実に追い詰めていっている。だが、いくら手加減していると言えども相手は純粋な不死病患者ではない。
体力も尽きるし、命も落とす。そこに至るまでは時間の問題のように思える。
……敵は、限界が近いと理解しているはずなのに、完璧に心折れては、くれない。降伏を恐れ、殉死を至上とする文化風土とは、これ程までに厄介なのか。あるいは、まだ何か切り札を隠しているのか。
いざとなれば、より上位で、精密攻撃が可能な戦力、ケットシーを加えても良いだろう。ましてや彼女は葬兵、スチーム・ヘッド戦から悪性変異体封印、民間人虐殺の経験まであるある古強者だ。民間人を虐殺しない手管も弁えているに違いない。
と、兵士たちが動きを見せた。
「……ぜはっ……かひゅっ……」拳を受け続けるリクドーが血反吐を飲んで叫ぶ。「ニ、ノセ、姉様っ! もう他に手が無い、あれを使いますっ!」
「仕方、ない、わ……ね……」隊長格が諦観と失意の息を吐く。「存分に、やりなさいっ、リクドー……!」
「むっ……何かあるような雰囲気が出てきた! ケットシー、ステイ、ステイだ!」
先鋒を務めていたリクドーが後方へ飛び退き、追撃を他の兵士が前進して食い止める。
ごめんなさい、サード姉様、と呟いた後、彼女は己の生体甲冑の胸を軍刀を宛がい、そのまま貫いた。
溢れ出た血は地面を濡らすことなく軍刀を伝い、腕部装甲を覆い、瞬く間に全身を包んで渇き、淀んだ暗褐色の装甲へと変貌した。扇情的でさえある苦悶の声と共に胸から軍刀を引き抜き、スチーム・ヘッドの如き威容を獲得したFRF兵士が荒く息をしながら軍刀を構える。
【解析:低純度不朽結晶連続体】のタグがユイシスによって付与された。
まさしく生きた血色の鎧そのものとなったFRF兵士に、さしものリーンズィもたじろいだ。
不可解だ。
不朽結晶をあの速度で生成するなど、歴戦のスチーム・ヘッドでも不可能だ。
ましてや生きている人間にあんな真似が出来るわけが無い。
そもそも、不死病患者の過剰再生の副産物として生まれるのが不朽結晶である。
大規模な設備が無い限り、安定的なプロダクトなどありえないはずだ。
「なんか強そう……!」ケットシーが拳を軽く握る。「そっか、あの子は変身ヒーローだったんだね! 出番を取っちゃうところだった!」
「未知の技術だ。まさかあんな機能を持っていたとは」
『まったく、使ってしまいおったか』ウンドワートだけが苛立たしげだ。『本当に何も学習せんやつらじゃな。否、学習せんように統制しておるのか? ただただ未熟で何も知らないだけという可能性もあるか……』
「どういうこと?」と問う前に、解答があった。
「血晶変異型機動外殻、展開完了……! これがボクの全身全霊だ、こい、怪物め、勝負はここか」までリクドーが啖呵を切ったところにマルボロが飛び込み、新たに形成された装甲板を殴打した。
兵士は口上を終える前に簡単に吹き飛ばされてしまった。
「……変化の割に代わり映えがしてないような……」
『そう、そうなの。……あの技、スチーム・ヘッドからしてみるとそんなに意味ないのよね。脆い不朽結晶作って、身体機能がちょっと上がって、たったそれだけだし』
「見た目強そうなのに意外としょんぼりなのだな……」
『しかも、あれ展開すると割とすぐ失血死するわ』
「えっ、失血死!?」
「死んじゃうの!? あんなので!?」
パニックになりかけた二人にウンドワートは溜息を吐く。
『リゼ後輩、ケットシー、忘れないで。あいつら、不死病患者じゃないんだからね。旧世代の人類より多少頑丈なだけのやつらが、自分の血を媒介にして、不朽結晶を作ってるのよ? あれだけ血を使ったら、そのうち酸欠で死ぬに決まってるわ』
「……行け! ケットシー、行け! レスキュー! 猫のごとく!」
「どういうこと!? ロンキャ師匠みたいに颯爽とにゃんにゃんすればいいの!? アドリブで良い!? と、とりあえずヒナが何とかするね! 最悪両方の関節とか壊してくる! 生きてる子が死んでまで戦うのはよくない!」
ケットシーが血相を変えて飛び出す。
リーンズィは自身の采配を後悔した。自分はFRFのことを何だと思っていたのだろう?
相手が勝手に折れるのなんて、待たない方が良かったのだ。
定命者はその命を至上の道具として扱う。
ならば、切り札は、命と引き換えのものに決まっている。このままでは死者を出してしまう。
もっと早くに何とかしていれば、と肩を落とすリーンズィを、ウンドワートは鎧の腕で黙って抱き留めた。
『死んだら死ぬやつらが命知らずなのって、鬱陶しいわよね』と、白髪の少女が嘆息するのを、リーンズィは黙って聞いていた。




