セクション3 エンカウンター その④ 紫煙八極
「リクドー! ねぇ、リクドー! スケルトンって、こんなに強いの!? ここまで手の付けようがない存在なの!? ただ死なないだけの兵士じゃないのっ!?」
兵士たちの震える声は音紋を解析するまでもなく不安と恐慌の色彩を含んでいる。
生体甲冑の頭部にある眼球のような受光装置が、装着者に感応して忙しくなく瞳を動かしている。
装甲さえ無ければ、声相応の少女の、青ざめた顔が晒されていたことだろう。
投降の意思は感じられないが、戦意は挫けかけている。全自動総合攻撃装置の照準も、どこに向けたものか判断しかねている様子だ。
何をしても無意味だと気付いているはずだ。疾風の如き速度で移動し、必殺の弾丸を全身に受けて痛痒すら覚えない防御力を備える。そして幾たび死のうとも瞬く間に再生を遂げる。
途方もない性能の敵に囲まれているのだという現実を目の当たりにして、泣き出していないのが奇跡的だ、とリーンズィは思う。仮にアルファⅡモナルキアのアポカリプスモードを起動しても全く相手にならない相手が現れれば私なら泣いてしまうかもしれないと考え、この隊長格の頑張って立ち向かっていく姿勢は立派なので参考にしよう、と感銘を受けた。
「<ウォッチャーズ>の不死者だってこんなデタラメな性能じゃないわ、速すぎて目に見えない、弾が当たっても全然効かない、本物のバケモノ! それに、信じたくないぐらい数が多い……! リクドーはこのことを知ってたの!?」
「私たちはバケモノではないので君たちに危害を与えない。とても大丈夫。ごあんしんだ」
リーンズィは両手を広げて無害アピールをしたが、無視された。
「迫力が足りないのだろうか……」
『何その可愛い動き』とリーンズィを抱えたままのウンドワートは怪訝そうな声を出した。『怖くないから抱きしめにおいで、ってこと?』
『解析終了。アリクイの威嚇との合致率、50%。推定される脅威度はそれ未満です』
「そんな……アリクイ未満の怖さとは……」
『ふふ。ふふふ。リゼ後輩、今の威嚇だったの? 向いてないんじゃない?』
リーンズィたちが噛み合わない呑気な受け答えをしている間にも、FRF兵士の間では空気が張り詰めている。
「……姉様も勘付いてたでしょう。ウォッチャーズの言ってることは、何かがおかしいって」
剣の兵士は増加装甲を破壊されて泣きじゃくる兵士を庇うようにして立ち、切っ先をリーンズィたちに向け、どこから攻撃されても対応出来るように集中を維持していた。
性能差は明らかだ。
敵の殲滅によって道を拓くのが絶望的と知りながらも、意地を見せているようだった。
「外のスケルトンが死なないだけの兵士なら、総統閣下やメサイア・ドールたちが、とっくに解放軍を駆逐してるはず……」
「それはクヌーズオーエの空間特性のせいで発見が困難だからでしょ!?」
「姉様、まだ分からないの!? 空間特性なんてそんなのあの人たちの言い訳だよ! だって浄化チームは遭遇回避ルートまで知ってるんだよ?!」剣の兵士はいよいよ耐えかねたように怒鳴った。「総統閣下だって手に負えないぐらい強いんだ、解放軍のスケルトンは!」
「おう、そこのちっこいのは理解してるようだな。さすがは浄化チームだな」
戦闘用スチーム・ヘッドの一機が囃すように手甲を打ち鳴らす。
「そうだとも、お前らみたいなのじゃ、どう足掻いても俺らを潰せない。お前らを支配しているゴミスチーム・ヘッド、おっと、不死者サマだったか? あいつらも話にならん。ご明察だよ、ぶつかってもボロ負けして終わりだから、接触を避けてるのさ。俺らが弱い、死なないだけなんて、総統サマも酷い嘘を吹き込んで回るもんだ」
「そ、総統閣下のことを気安く呼ばないで!」恐怖に震えながら、隊長格に寄り添うフィーアなるFRF兵士が言い返した。「私たち人類を導いて下さる偉大なる御方! 絶対にして不滅の光輝! お前たちのような不浄の不死が口にして良いはずがない!」
「まだそんな気勢があるのか。しかし傑作だ、あんな危険思想の塊みたいなイカレた女が随分と崇められてるもんだな! 俺がお前らならあんな偽救世主はとっくの昔にバラして転がしてるがね……!」
「おいやめとけ、ジャーニー。浄化チームの死肉食らいどもを潰してるわけじゃないんだぞ」
激昂した彼を窘めたのは、新たにオーバードライブで接近してきた一機だ。スマートウェポンの兵士のその正面。
一秒前までそこにはいなかった機体である。
突然の機体数増加に、FRF兵士が顕著な動揺を示したが、彼女たちのことなど気にもせずその機体は話を続けた。
「相手側の指導者をあんまり悪く言うもんじゃない。それに、様子見の判断を下したファデル軍団長のメンツも考えろ。責め立てながら挽肉にして下水道に流すのは、尋問が終わってからでも良いだろ」
「でもよ、こいつら、ムカつくだろ」言われた側は吊るされたレーゲントを指差して声を荒げる。「俺らの同胞が受けた恥辱はこれとは比べものにならんはずだ! これぐらいで我慢してるってのは、勲章もんだと思うがね!」
「二人ともケンカすんなよ。そういうの良くないぜ」両腕にスマートウェポンを積んだ機体が落ち着き払った声を出した。それから銃口をFRF兵士に向けた。「なぁなぁ、そこの四枚装甲の嬢ちゃん! その板きれはあと何分ぐらいで再生するんだ? 早く撃たせてくれよ、FRFなら死なない限りいくら撃っても罪に問われねぇから、楽しみで仕方ないんだ!」
「ひっ」と増加装甲の兵士が上ずった声を立てるのを聞いて三機はケタケタと笑い始めた。FRFのクソ野郎どもが生娘みたいに泣いてやがる、などと心底おかしそうに言い合った。
ただし、リーンズィが解析した限りでは、この三機に彼女たちを攻撃する意志は感じられない。
全て、脅すための芝居だ。
だが増加装甲の娘が感じている恐怖は本物だった。大気中にアンモニアの臭素が混じり始めた。他のFRF兵士は防御役であろう彼女を守るつもりか、彼女を囲むような陣形を取った。しきりに何か慰めの言葉を囁いている。
単純な役割分担に囚われない、個人的で密な信頼関係があるようだった。
……暴力によらない手段で戦意を喪失させるにしても、さすがにかわいそうではないか?
リーンズィが苦言を述べようとしたのを制して、ウンドワートが低い声音で解放軍の仲間に語りかけた。
『加減をせんか、加減を。精神的動揺を誘うのも良いが、自棄になった相手は何をするかわからん。FRFの連中は、常人よりもそうした神経が簡単に発火しやすく作られておる。哀れなレーゲントを思えば怒りが湧くであろうが……内部の体温を見る限りどの兵士もまだ若い。装備も貧弱、スチーム・ヘッドを発狂させる技術もあるまい。あのレーゲントへの直接的な加害者とも思えん。それを追い詰めて喜ぶのであれば、感心せん、感心せんなぁ』
『はっ。承知しております、ウンドワート卿!』スマートウェポンを見せびらかす機体が無声通信で応えた。『だがFRFの連中は手脚が無くなっても食らいついてくる。ある程度牽制しておかないと心を折るのにも手間取ります!』
『そこはこいつに同感です。浄化チームほどじゃないが、やっぱりFRF兵士って感じだ。こちらにはお前たちをいたぶる程度には余裕があるってどんどんアピールしておかないと立場を理解しないでしょう』
リーンズィとしても悩ましいところだ。
武装した飛行船は一隻を残して撃墜され、大火力・高機動の軍団に完璧に包囲されている。
ここまで追い詰められて戦意が折れないというのはどういう神経なのか。
『しかしおい、お前は半分ぐらいマジで撃っていただろう……俺なんてオーバードライブ中に接触しないよう必死で調整してたのに……』
『あ? 仕方ないだろ、若い女を撃つのは楽しいじゃん。どうしたってワクワクは止められないんだ。何と言っても声が良い、声が。命乞いも聞きてぇ。もうちょっと撃って数を減らして良いか? ターミナスなんて何人か死んでも別に良いだろ』
継承連帯出身らしい暴力的な価値観だった。何をどうするにしても捕虜は一人だけの方が管理しやすいと考えているようだが、それ以上に人を撃ちたいようだった。リーンズィが眉根を寄せていると【キュプロクスの突撃隊での活動経験あり】と視界上にメッセージが現れた。レーゲントは撃ってはいけないという風潮が生まれたから撃たないようになったという個体らしい。
『何も良くない! 状況を見ろ、俺がこうやって射線を塞いでるのはあんたのトリガーハッピーが出ないようフォローに入るためだぞ!』とスマートウェポンの兵士を咎めるのは、先ほどオーバードライブで駆けつけた機体だ。『っていうか、ヘカティに診てもらうか特殊な趣味に理解のあるレーゲントに世話してもらえ。頼むから』
『でもレーゲント撃つのは何か可哀相じゃん?』
『まったく勘弁してほしいぜ。俺が適当に小突いて回れば、武装解除も出来たのに。ああ固まられちゃもう手が出せないだろ。……ああ、ウンドワート卿。あのリクドーとか呼ばれてる兵士ですが、おそらくオーバードライブ搭載機との交戦経験があります。音速の5倍まで加速した自分の排気の煙をすぐに視線で追いました。脅威たり得ませんが、最後の守りたるを自覚して、あるいは戦意は消えないかも知れません』
『うむ。あの不朽結晶剣の兵士は、まさしく浄化チームでの活動経験者であろうな。それにしては人間性がまともに見えるが。……しかしあの盾持ちは、どうにも脆弱な精神性の持ち主に見えるのう。エンジニアか? 庇護される立場のようだ。捕らえて鎧を剥いて、軽くいたぶってやれば、連中も仲間の命惜しさに降伏するやもしれん』
「……ダメだ」リーンズィは少し怒った。「これ以上の暴力はよくない。我々が筋出力を上げてちょっと触っただけで彼女たちは風船みたいに弾けて死んでしまうだろう」
『しかしのう。この期に及んであやつらまだ降伏するつもりがないようじゃぞ? オヌシの呼びかけも殆ど無視されておるし』それに、とウンドワートが上空に浮かぶ無力化された器官飛行船をポイントする。『船内に後二人か三人ほど兵士がいるはずじゃ。そちらに動きが無いのも気に食わん』
リーンズィの視界にコンタクトの通知が現れる。
戦術ネットワーク経由、コルトからの通信だ。
回線を開くと、薄笑いを浮かべたような、抑揚の無い、淡々とした声が耳に届いた。
『やあ君。難航しているようだね。私が言った通りだろう』
「難しい相手だ。ここまで戦力差があればすぐ諦めて降参してくれると思っていた」
『忘れてはいけないよ。FRFにとってあらゆる生命は資源だよ。投降するということは所属する都市からの離脱を意味するし、市民権を失った瞬間に人間としての尊厳は剥奪されて、家畜以下の存在に成り果てる。つまり捕虜は比喩でなく戦利品なんだ。その立場になったとき、どんな形であれ生かしてもらえるなら、あるいは自分の生命資源としての遺伝子情報を残す機会があるなら良い方らしい。夜明けには市場で量り売りされる食肉になっていることも珍しくないと聞いているよ』
「降伏するだけのことに、おそろしい葛藤があるのだな……国際法さえ無事で遵守されていたら解決出来たのに」
『いや出来なかったと思うけどね……。とにかくこれは彼らの世界観では普通のことだよ。当然こちらも同じことをすると思い込んでいるのが今は問題だ。同じ人間同士ですらそんな有様なんだ、ましてや穢れた不死であるスケルトン……スチーム・ヘッドに降伏するなんて発想は、あり得ないのさ。スケルトンは彼らの世界の物語では常に最低最悪の悪役で、恐ろしい悪霊なんだ。私たちに敗北すれば、嬲り者にされ、怪物を産まされ、挙げ句に体を乗っ取られると信じている』
「酷い偏見だ。絶対にそんなことはしないし、させない」
『……全くの偏見だ、とは言い切れないところが対処に困るね。キュプロクスの突撃隊が、報復のために都市を一つ蹂躙したことがある。そのトラウマもあるのだろうけど……。いや、我々の行動は報復だった。そこは卵が先か鶏が先か、だ』
リーンズィは左手の蒸気甲冑を胸の下に回して自分を軽く抱き、右手のガントレットで頬杖を突いた。
飛行船から吊るされているレーゲントを見れば、FRFが鹵獲した解放軍メンバーをどれほど壮絶に取り扱っているのかは一目で分かる。どのような拷問を何千時間繰り返せばスチーム・ヘッド、それも精神的な耐久力の高いレーゲントが、このように無残に発狂してしまうのか、リーンズィには分からない。
スチーム・ヘッドとの戦闘に関する知識はあるにせよ、相手の人格を磨り潰すというのはあまりにも煩雑すぎて滅多に行うものではない。解放軍ですら稀なのだ。手間がかかりすぎるし、普通の機体なら途中で飽きてしまう。
でも、同じ目に合わされるぐらいなら、易々と降伏するよりは討ち死にしたいだろう、とリーンズィは理解を示す。
ここで誤算になるのが、遭遇しているFRFの戦力程度についてだ。
悩ましげに嘆息するライトブラウンの髪の少女を尻目に、FRF兵士たちは隊長格の号令でスマートウェポンを乱射した。
爆発する魔弾は狙い過たず三機の戦闘用スチーム・ヘッドへと向かって飛んでいき、そして大半がごく当たり前のように回避・迎撃された。
目標を見失った数発の弾丸が遠く離れた地点で事の次第を見守っていたレーゲントへと飛来した。何発かは居合わせたスチーム・ヘッドが電磁加速銃で撃ち落としてみせたが、一発だけ通過を許してしまった。
レーゲントは危ういところで顔を背け、人格記録媒体の納まった己の造花を庇った。
弾丸が命中した。頭の半分が吹き飛んだ。不死の淫売、永遠の歌姫は、破裂した頭蓋から生体脳と血液を零して倒れた。
FRF兵士が「一機仕留めた!」と喜んでいるその数秒の間に、再生が終わった。
レーゲントは周りにいたスチーム・ヘッドの手を借りて平然と立ち上がり、何事も無かったかのように観戦に戻った。
戦闘用スチーム・ヘッドたちは特にコメントしなかった。この程度の兵器はデッド・カウントの進んだ不死病患者には大して効果が無いからだ。
迎撃したら回避したりするのははっきり言って示威のためのパフォーマンスでしかない。
美しいだけに見える。何の暴力も持っていないかのように見える。
その頼りない少女の姿をした真なる不死に、FRF兵士は今度こそ言葉を失った。
「あんなフラワー・ドールみたいなやつでも、メサイア・ドールと同じぐらいの再生能力があるの……? こんなのどうしたらいいのよ……!」
勝負にならない。
余りにも戦力差が大きすぎて、逆にどうしようもないという事態に陥っていた。
殺すなら一秒だが、生かすには、何をするにしても過干渉になる気がした。
「ほら、諸君、考え直してほしい。どうしようもないので、降伏するのがとてもオススメだ」
「わ、私は怪物たちの苗床になんてならないんだから! 私の妹たちにもそんな思いはさせない! 私たちはネレイス様の少女騎士、絶対に悪霊どもに屈服したりしない!」
「そんな思いはさせないので大丈夫だ。大丈夫。そうやってめげない心持ちは素晴らしいと思うのだが、私たちは警告程度の攻撃でも死なせてしまいかねない。多少行き違いがあったのは謝罪する。君たちの身の安全は改めて私が保証する。だからどうか銃を置いてほしい。私は君たちがここに訪れた理由が知りたい。それも、無理に話せとは言わない。でも、君たちを殺してしまいたくはないのだ。ないの。どうか平和的にことを運べないだろうか。運べないかな。チョコレートとかもある。美味しいコンソメスープも今なら飲み放題だ」
「ちょ、チョコレート!? ……いいえ、スケルトンは飲食しない。見えすいた嘘よ!」
何だか良い感じの反応を一瞬感じたのでリーンズィはチョコレートはある、チョコレートはあると必死にアピールした。
「とにかく邪悪な怪物と取引をするつもりは無いわ。ねぇリクドー。はっきりと応えて、隠さなくても良い、浄化チームで活動してたんでしょ。こんなとき、私たちは、どうするべき?」
「……ここで戦って死ぬしかないと思う」小柄な剣士は息を吐いた。「クヌーズオーエ解放軍との接触を持った時点で、ウォッチャーズの不死者たちが黙ってない。彼らの拷問はすさまじいものだよ、しかも殺してもらえない。腑分けされて脳と脊椎と生殖器しか無い状態で工場送りにされるかも」
「ここにいればごあんぜん、ごあんしんだ。好きなだけここに留まれば良い。それではダメなのか、ダメなの? FRFの兵士諸君」
「応えるべきことは何も無いわ、穢れた不死!」
「ひどい……」落ち込むリーンズィに、ウンドワートがよしよし、と囁いてくる。
コルトも通信回線の向こうで溜息をついていた。
『平和裏に進めたい気持ちは分かるつもりだ。でも、もう少し痛めつけないと何も言うことは聞かないというのが個人的な見解だよ。……君に一人適任者を紹介できる。彼に援要請を出すかい?』
「こうした状況の解決が得意な人がいるのか? いるの?」
『ふむん。あやつか』とウンドワートが唸る。『気乗りせんな』
『珍しいね、アリス。彼が嫌い? それとも、心配かな?』
『やつはその任務から逃げたサンシタじゃ。それを再び前線へ送り込むなど、正気の沙汰では無い。また逃げ出すに決まっておる。……何よりヤニくさいのが嫌いじゃ』
『物は試しだよ。話はもう通している。他ならぬリーンズィの頼みなら、と快く請けてくれた。あとは君の決断一つだ。さぁ、準備はいいかな?』
「私はまだまだコアリクイぐらいの説得力しかないらしい。なので、可能ならその機体に事態の収拾を任せたいと思う」
「おうよ、任された」と、兵士たちを取り囲むスチーム・ヘッドたちの中から、一歩、歩み出る影がある。
装甲は完全では無い。
強化外骨格に多少の防弾装備を施した程度だ。
対不死病患者病用の標準的な小銃をスリングで提げており、ヘルメットの口元部分は開いていて、象牙色の歯には草臥れた白い煙草を一本、咥えている。
死屍累々の塹壕を放浪する古参兵のように思われた。
言い知れぬ寂寞と倦怠が、後背で空気の色彩を落としている。
「……業からは逃げられんもんだ。一度始めたことは全部終わるまでずっとついてまわる」
兵士は煙草に火を付ける。導火線に着火するように。
「嫌になって放り出しても、やってきたを丸ごと捨てられるわけじゃない。この煙みたいに服に染み付く。俺をずっと追いかけてくるわけだ……」
器官飛行船がその解放軍兵士に眼球状の組織を向けた。
電撃的な反応があった。
吊るされたレーゲントがうつろな目をしたまま口を開いた。
『 その機体を捕縛せよ。即刻、拘束するのだ 』
おそらくは司令船に乗り込んでいる指揮官クラスの代弁だ。
あの鹵獲レーゲントには、どうやら拡声器としての役目もあるらしい。
「お母様、そういうことですか!」ニノセなる隊長格兵士が鋭敏に反応した。「そっか、あの装備……不死者様の甲冑に似ている! なら、電磁波が通用するんじゃない!」
「ひっく……ひっく……。え……あっ! 解っちゃった、ニノセねぇさまぁっ! あの形式のギアは、EMPに対してまだ脆弱性があったはずですぅ。不死者との戦いに備えてサードは調べてたから……子供たちは最高のスペックにしてあげないと可哀相だし……対応出来るよ、サードの育てた、このエンブリオ・ギアなら!」
エンブリオ・ギア? とリーンズィは首を傾げる。今、エンブリオ・ギアと言ったか?
彼女たちが装備しているのが、それなのだろうか。
だとしたら……あまりにも奇妙だ。
「ニノセ姉様、解放軍のスケルトンたちは仲間意識が強いと聞いています。一機でも人質に取れれば優位を取れるのではありませんか!?」
「フィーア、そんなの私はとっくに思いついていたわ。各員、メスメリズム・オーガン、最大出力! 対不死者用EMPであの無防備なスケルトンを拘束する! リクドーは先行して不死殺しの軍刀で手脚の一本でも落として頂戴!」
存在しない光明をどこからか掴み取ったらしく、四人のFRF兵士はスマートウェポンから手を離して、生体甲冑の腕部装甲板に組み込まれた言詞回路を励起。接近中のスチーム・ヘッドへと照射角を合わせた。
効果は覿面だった。猛烈な生体磁気を浴びせられた彼の蒸気甲冑は数秒で機能不全を起こした。
細く煙を昇らせていた蒸気器官が停止し、バッテリー関係の回路が焼けた。
動力から切り離された強化外骨格は拘束具にも等しい。
不滅の装甲に足を取られて歩みを止め、彼はしかし、煙草を咥え直すために、無理に腕を動かそうとした。
「よしっ、殺れるっ!」剣のFRF兵士が疾駆する。「スケルトンも不死者も根底は同じ! 装備しているギアが強くて、死なないだけ! 動きさえ封じれば不死殺しのこの剣でっ!」
「お前らはいつもそうだな」男は嗤った。嘲りの音色はしかし、彼自身にこそ向けられていた。「一つの方法論に固執するんだ。俺らの本体は蒸気甲冑の側にある、強力なのはギアの方。だからそれさえ封じれば勝ち目はあるってな。だが忘れてる、相手が自分たちと同じだったころ……」
兵士は煙草の煙を深く、深く吸い込んだ。
丁寧に巻かれていた紙煙草は瞬く間に火を孕んで灰になり、誰の手にも掴めない残骸となり、兵士の手元から呆気なく零れ落ちた。
肺腑の奥で炎が渦巻いているのをリーンズィは視た。
「俺たちが人間として過ごしていた時代に積み上げた『技』を、全く警戒しない……そして何より、永遠に未熟なこの俺よりも、息をするのが下手だ」
刃が、未装甲の部位に達する寸前。
筋肉が破裂する音が響いた。
淀みなく振るわれた刃。
だが、紫煙を纏う兵士の方が一歩速い。
生体甲冑の装甲を、真正面から不朽結晶の拳が打った。
常ならぬ衝撃が内部に浸透。
肺を打たれてFRFの剣士は呼気を失う。
何をした、とは問わせない。機能停止した強化外骨格という枷を物ともせず、兵士は淀みなく拳を繰り出す。それは舞にも似る。神への奉納にも似る。
大きく弧を描くような全身運動からの連打。
特殊な歩法で前進して食らいつく拳はのたうつ大蛇のよう。
一発一発に常ならぬ威力が込められた打撃の雨だ。
「き、はっ……!?」剣の兵士の鎧が吐瀉物や排泄物を排出した。「嘘……」声の末尾は吐血で濁っている。
「リクちゃんっ!」
「殺してない、心配するな」
「まさか……打撃がエンブリオ・ギアを貫通してるの!?」包囲網を狭めるのを停止して、隊長格の少女が困惑の悲鳴を上げた。「耐衝撃能力だけなら浄化チームのギアにも勝るのに……!」
「フゥー……面白い芸だろ。古い時代の話だ」口腔から規則正しく煙を吐きながら、紫煙を纏う不死は攻勢を緩めない。「固有振動数に合わせての打撃を打ち込めば鎧の上からでも打撃を徹せる……そんなことを考え続けて連中がいた。もちろん絵空事だ。発勁だの何だの、それらしい名前と理屈を並べ立てて、そんなどうでも良いような奇跡を実現しようとした」
全く無意味ではなかったわけだが、と煙纏う兵士は乾いた笑いを笑う。
それは銃と炎によって駆逐された時代に編まれた絶技。
もはや誰にも必要にされぬと断じられた妄執。
屠龍をも成せぬ無為の業。
いつか弾丸をも凌ぐと信じた人々の夢の残滓……。
「結局実現したのは、ほんの一部、僅かな技巧だけ。誰が使っても鎧を突き抜けて一撃必殺とは行かなかった。分かるか? お前を壊すのは鎧の力でも、不死の力でもない。お前と同じ人間が、かつて修めた業だ。これは、人間の業だ」
口元からは蒸気の如く煙草の煙が漏れる。
地をブーツで踏み砕いて震わせる。姿勢を低く保ち、大地からの反発力を利用して掌底を甲冑兵士の腹へと捻り込む。
リーンズィは装甲を透徹したエネルギーが突き抜けるのを確かに観測した。
反吐を吐かせる暇も与えない。
身を翻し再び大地を砕き、肩からぶつかって剣のFRF兵士を撥ね飛ばす。
「ぎっ、ひあああああああああッ!」
「嘘でしょ、リクドー!?」
「リクちゃんっ!」
「り、リクドーくんを守りましょう!」
フィーアと呼ばれていた兵士がスマートウェポンを発射した。
同時、スチーム・ヘッドは新たにアスファルトを踏み砕き、次なる蹴打で砕けたアスファルトを弾き出していた。虎の子の超小型誘導弾は何の効果も発すること無く誘爆して果てた。
砕かれた大地の破片は尚も次々と蹴り出された。低速で飛来するアスファルトの散弾を、しかし兵士たちは何故か避けられない。
見えていないかのようで、全身を襲う飛礫の衝撃に悲鳴を上げている。
リーンズィは違和感を覚えた。人間離れした拳闘を披露するその兵士の影が、何故だか薄く見えるのだ。視界に【推測:肺腑に取り込まれた煙が不死病因子によって変異し、排出後に欺瞞効果を発揮】の文字。続けて【原理不明】と追記される。
音紋解析も視覚解析にも不明なエラーが生じている。
「何、何なのよ……」メスメリズム・オーガンなるEMP発生器を向けたまま、ニノセは打ちひしがれた声で鳴いた。「ギアは動いてない。蒸気器官も! なのに、なのになんで……どうしてこいつは止まらないの!? 一体何なのよ!?」
「フゥー……俺は骨董品だ。くだらない人間がカビの生えた技を知ってるだけだ。弾丸がホーミングして必ず当たる、人間は不死になり壊れない鎧で全身を守る。そんな時代で、拳闘ほど虚しい業は無い」
紫煙のスチーム・ヘッドは膝から崩れ落ちて肩で息をしている剣の兵士を眺めながら、肺腑の煙を全て吐き出した。そしてマガジンを装填するかの如く新しい煙草を口に咥えた。
「俺は生きてた頃、呼吸が下手でな。正しい呼吸というのが分かってなかった。そういう道を目指したのに、まるでセンスが無かった。限界を感じて、こんなもん役に立つかと見切りをつけて……戦地で最新の銃に縋り……酒と煙草に頼り……そして死んで、蘇り、また煙草に溺れた。だがそのうち気付いたんだ。俺は、呼吸が出来ていなかった。だから道を極められなかったんだとな。そのことを煙が教えてくれた。吐き出す煙は、俺の息の形をしている。これさえ見てれば、調息は簡単だ。人間は呼吸を鞴として心臓という炉心に火を灯す。正しく呼吸すれば、自ずと天地は俺の存在に気付く。あとは気を巡らせて練り、手脚という道を通じて発するだけで、俺の功夫は何倍にも増幅される……」
「鈍ってないな、マルボロ。お前の本気は久々に見たぜ」とFRF威嚇のために参加していた戦闘用スチーム・ヘッドの一人が呼びかけた。「だが浄化チーム狩りからは脚を洗ったんじゃないのか? もうガキを殺すのは嫌だって駄々こねて、司令部にコキ使われる犬になったんだろ。後は都市漁りで耐用年数を終えるもんかと思ってたが」
「俺もそっちの方が気楽だよ。あんまり楽しいもんでもない。でも、コルトやウンドワートの後輩ちゃんのお願いだぞ? 無視できないだろ。それに、殺さずに制圧するというのなら俺の領分だ。……幸いこの仲間想いで記憶力の素晴らしいリーンズィが電子煙草を探してくれたおかげで、紙煙草には余裕がある。わざわざ探してくれたんだぜ。可愛くて感動するだろ? 折角だから、これぐらいはな」
その煙の兵士の蒸気機関は停止している。
強化外骨格も、やはり機能していない。
だが全身から得体の知れぬ活力のようなものが滲んで、湯気を立てている。
ライトブラウンの髪の少女は、得体の知れぬ武芸を目の当たりにして、FRFの兵士たちと同じぐらいに呆然としていた。
「き、君は……誰、いや、いったい何、なんだ?」思わずそんなことを訊いてしまう。「君は非戦闘用スチーム・ヘッドだと思っていたのに……」
「人間の技に拘ったものの残骸だ。人間の技しか使えない輩が戦闘用なんてやれるかよ。ましてや俺のは半分以上我流だ。とうの昔にイントラクションなんて忘れちまった。ここにいるのはどこまでも半端な、ただの彷徨える亡霊、生前の業をなぞるだけのゾンビだ。だが死んだら死ぬような貧弱な連中をボコるのには役に立つ」
口元を自嘲の形に歪めながら、スチーム・ヘッドは煙草の先端をリーンズィへと向けた。
「改めて自己紹介をしとくか。元・浄化チーム対策部隊、『紫煙八極』のマルボロだ。今はしがない都市漁り、得意技は人体を破壊することだ。でもあんまり頼らないでくれよ、禁煙は何回でもやり直せるが、不殺はこのまま続けたいところだからな……」




