表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アフターゾンビアポカリプスAI百合 〜不滅の造花とスチームヘッド〜  作者: 無縁仏
セクション4 殺戮の地平線  世界生命終局管制機 アルファⅣ<ペイルライダー>
118/197

セクション3 エンカウンター その③ FRFとの遭遇

 ライトブラウンの髪の少女は頬を赤らめ、翡翠色の瞳を恥じらいで潤ませていた。

 ウンドワートの腕の中で自分の心臓が高鳴るのを感じていた。

 平静でいようとはしているのだが、大勢が注目している前でこのように恋人に抱擁されるなんて、誰でも緊張するに決まっている。

 すんすん、と気付かれない程度に香りを嗅いでみる。

 完全機密式のアーマーだというのに、そのスチーム・パペットからは愛しいレアせんぱいの匂いが漂っている。

 こんなに素晴らしい香りを独占できる私はとっても幸せ者だとリーンズィは感じ入った。

 胸を満たす恍惚に、リーンズィはそっと目を閉じた。


『警告。この状況で惚気た思考は非推奨です』


 統合支援AIの呆れ声で、にわかに思い直す。


『生存者たちの処遇に関わる一大事であることを十分に自覚してください』


「だいじょうぶ、とても自覚している」


『ねぇリーンズィ。恥ずかしい、恥ずかしいから、そんなふうに顔赤らめたりしないで』とウンドワート・アーマーから消え入りそうな無声通信が届いた。


「レアせんぱいこそ、よく割り切りが出来る。背の高い状態のレアせんぱいから抱きしめられる。うれしい。普通では居られない。私一人ドキドキするのは不公平だ」


『分からないわ、分からないわ。リゼ後輩こそ、こんな大鎧であっても、普通に私を私だと認識するのね。……私も全部のセンサでリゼ後輩のこと、めちゃくちゃ詳細に計測しちゃってるし、香りぐらいは、まぁどうってことないけど』


 お互いにさほど間違った態度ではないはず、とリーンズィは首を傾げる。リーンズィの認識としては、深く知り合った擬似人格の存在核が、肉体にあろうが、蒸気甲冑(スチーム・ギア)にあろうが、それは大した問題ではない。どのような姿をしていても、リーンズィは、レアがレアである限り、彼女を正確にレアそのものとして認識するだろう。

 事実として、アルファⅡウンドワートの腕の中にあってなお、リーンズィは恋人に抱きしめられていると認識していた。体を包むのが赤目白髪の美しい少女の腕であろうが、不朽結晶連続体で構築された重装甲、ただ一機で国家にも匹敵し得る戦闘兵器、スチーム・パペットの、重武装を施された腕であろうが、リーンズィには関わりのないことだった。


 ショッピングモールの入り口付近の広場の片隅。

 そこで、アルファⅡモナルキア・リーンズィは、兎のシルエットをした大鎧に抱き竦められていた。同時に、その姿は外部からは全く観測出来ない。

 二人は完全に不可視化されている。ウンドワート・アーマーに備えられた光学迷彩に相乗りさせてもらう形で、リーンズィも外側からは殆ど観測不能な状態になっていた。

 ブランクエリアにて作戦行動中の部隊とは、ある程度までは情報を共有しているが、具体的にリーンズィとウンドワートが何をしているか、どんな格好をしているかなど、外部から認識出来るものではない。

 それなのに、ウンドワートがこうしているのを恥ずかしがるというのは、リーンズィとしては不思議だった。


 それにしても、完全機密式のアーマーから、どうして生体CPUとして内奥に格納されている不死病筐体の素晴らしい香気がするのだろう? リーンズィはぼうっとする頭で考えを巡らせ、ウンドワートが重外燃機関を背負っていることに思い至る。

 装着者の体液を冷却剤として消費するアルファⅡモナルキアと同じく、アルファⅡウンドワートも肉体由来の材料を諸々に使っているはずなので、多少はアーマーの側からも特有の甘い香りがしてしまう……ということだろう。

 ユイシスが嘲笑うような声で『臭気解析用のセンサの起動を確認しています。ウンドワートは何の目的でデータを取得しているのですか?』と兎の大鎧に呼びかける。

 意外にもレアは『意地悪をしないで。意地悪よ、ユイシスは。っていうかアルファⅡモナルキア、危険があるとき以外はバックドア使わないとか言う話は、どうなってるの……』と拗ねた調子で返すだけだった。

 私の香りを愉しんでくれている、やはりレアせんぱいも同じ気持ちなのだな、とリーンズィは嬉しくなった。

 リーンズィの擬似人格を演算するライトブラウンの髪の少女は、溜息を吐き、自分を拘束するも同然の形で囲んでいる、いのちのない冷たい不朽結晶の装甲板を、愛しげに撫でた。装甲表面にはセンサなど通っていないはずなのに、レアはむず痒そうな吐息を通信で返した。



 一人軍団の権限で方々へ働きかけた甲斐があり、ファーザーズ・リデンプション・ファクトリーを名乗る生存者グループの初動対応は、アルファⅡモナルキア・リーンズィに一任されることになった。

 FRF兵士の凶暴性とスチーム・ヘッドへの敵愾心は解放軍に広く知られるところだった。同胞のスチーム・ヘッドが――数えるほどの数とは言え――鹵獲・破壊されているため、歩み寄ることにさえ難色を示す機体が少なくなかった。

 驚くべきことに平和主義的なレーゲントたちでさえFRF保護には素直に同調しなかった。被害に遭った機体は、殆どがスヴィトスラーフ聖歌隊のレーゲントである。救出された機体もレーゲントだけで、そしてFRFがスチーム・ヘッドをどのように扱うのかは、発狂した少女たちという形で鮮明に示されてきたのだという。

 継承連帯出身の精強な機体とて、僅かながら犠牲になっている。その上に基本的には非暴力を掲げるレーゲントたちが精神を破壊されて戻ってきたとなれば、解放軍においてFRFへの反感が強烈に高まるのも、無理からぬことである。


 それが一変して、試すだけなら良かろうという決議が軍団長ファデルによって成された。

 強硬採決ではない。

 作戦に参加しているおおよそ全ての機体の同意によるものである。

 戦術ネットワークを通じてコルトが情報操作をしてくれたおかげでもあるが、何より最高戦力たるウンドワートが協力姿勢を見せたことが大きかった。

 決して大袈裟なアクションではなかった。表面的にはむしろ、そうした融和の態度に、否定的であったと言っても良い。


『くだらぬな、くだらぬのう。アルファⅡモナルキアめ、そんなもの、やってもやらなくても、同じじゃ。まぁ、無駄手間も、経験せねば無駄と分かるまい。試さねば、無駄かどうかも分からんと言われれば……まぁその通りと言うほか在るまいがのう』


 ほんの、その程度のことを発言したにすぎない。誰に訴えるでもない、むしろリーンズィを諌める色合いのある、全く単なる一意見であった。

 だが、サー・ウンドワートとまで讃えられるアリス・レッドアイ・ウンドワートことレアの意見は、当人が認識している以上に強い影響力を持っていた。

 悪性変異体をも支配するというアルファⅡモナルキアの謎めいた機能について、解放軍においても潜在的な期待感が広がっていた、というのも事実ではある。しかし、その態度が表面化したのは、ウンドワートの後押しがあってこそだ。回りくどいがウンドワートの発言が『無駄だとは思うが、アルファⅡモナルキアに関しては、試してみないと断定出来ない』という意味だと解釈されたのだ。

 ウンドワートがそこまでリーンズィを尊重するなら、という形で議論はあっさりと収束した。

 もっとも、アルファⅡウンドワートには、そうやって肩入れした立場上、リーンズィを隠して守るための遮蔽物になる任務まで与えられてしまったのだが。


『ワシを隠れ蓑にするなんぞ、後にも先のもオヌシぐらいしかおらんじゃろうな』


 ウンドワートは嘆息した。

 対話を試みるに当たって懸念されたのが、リーンズィの防御能力の低さだ。

 全身装甲型のスチーム・ヘッドならともかくとして、突撃聖詠服と左腕部装甲ぐらいしか常用装備がないリーンズィを矢面に立たすのは危険だ、という意見が多く出た。ヘルメットを被ってもまだ不足だという。

 スチーム・ヘッド同士の戦闘なら、単純な装甲量は問題にならない。むしろ不朽結晶連続体でどれだけ体表を固めているかが重要だ。アルファⅡモナルキアの現在の装備は戦闘用スチーム・ヘッドとしては不十分だが、通常のスチーム・ヘッドならば充実している部類となる。

 この状態で『防御力が低い』と見做されるのは、雨嵐と通常弾頭を浴びせられる場合である。スチーム・ヘッドに限らず、不死病患者は艦砲の一斉射撃を受けても当然のように再生するし、継続的に破壊されなければ悪性変異も起こさない。だが、それだけの量を叩き込めば、一時的にでも再生能力を飽和させることは出来る。こうした『面』に対する大破壊を真正面から凌げるのは、全身装甲型の、本格的な戦闘用スチーム・ヘッドだけだ。

 FRFはどうせ何をどうしても先制攻撃をしてくるだろう、というのが大方の見解だった。リーンズィの装備では、彼女はまず間違いなくボディを挽肉にされてしまう。再生するとは言え、同胞がミンチにされるのを見過ごすのは、許しがたいらしかった。

 かといって、リーンズィを装甲で固めるのも得策ではない。彼女の扱うヴァローナの肉体、その潔癖そうな美貌はいかにも油断を誘うものだし、交渉において有利なものになる……かもしれない。それ以前に、接触前の僅かな猶予で専用の装備を設えるのは不可能、という切実な事情もある。

 そこで、全軍でも希有な完全光学迷彩を有し、かつ最高レベルの不朽結晶装甲で身を固めたアルファⅡウンドワートに見えない遮蔽物として白羽の矢が立つのは、自然なことであろう。二人ともアルファシリーズのスチーム・ヘッドで、仲も良いのだから。


 許されることならいつでもどこでもレアせんぱいと一緒に居たいリーンズィとしては、思わぬ役得であった。何より普段は上背のあるリーンズィがレアを抱きしめる立場なので、逆に覆い被されているのが新鮮で、とてもくすぐったかった。

 猟犬にも例えられる精悍な美貌を柔和に緩ませて、装甲に頬を擦り寄せて甘えていると、『任務に集中を』「公私は分けなさいよね、私だって我慢してるんだから」とユイシスとウンドワートの両者から怒られてしまった。


【全軍へ通達。目標、ブランクエリア上空で静止を確認】相互連結して高度演算装置相当の管制機と化したヘカトンケイルたちから、アナウンスが脳髄に書き込まれる。【器官飛行船(オーガン・クラフト)。降下開始。事前観測との誤差、許容レベル。総数は十二隻です】


 連携されている観測データには、確かにそれらしき移動物体が確認出来る。

 だが視覚情報とは合致しない。現在のブランクエリア上空には雲一つ無く、魂の抜け落ちた罪人の見開かれた瞳のような太陽が、生活の痕跡の無い虚ろの箱庭を、静かに睥睨しているばかりである。

 船らしきものは、どこにも、何も見えなかった。リーンズィはヴァローナの瞳を起動してまで見えぬものを見ようとしたが、これといった収獲は無かった。

 この宇宙の全ての鳥類のための地獄なのかと思われた、あの市街の降り注ぐ街で、マスター・ペーダソスは言っていた。都市の部分とその上空では位相が異なる、物理的に隣接しているように見えてもそれらは時間的に隔絶している、と。

 おそらくこの都市には、何らかの時空間に関する断層のようなものが存在していて、それが天地を隔てている。


 そしているうち、空の只中から、何の前触れもなく、管のようなものが現れて、降りてくるのが見えた。

 ヴァローナの瞳で補足する。

 それから、眉を潜めた。

 管だ。

 大腸、あるいは小腸。人間の消化器に似ている。

 生体組織で構築された、長い長い管状組織だ。

 粘液を滴らせ、総身をくねらせながら地表へ近付いていく。

 先端には水晶体が埋め込まれている。

 眼球。眼差しは、人間そっくりだった。

 あるいはその管は、眼球しか持たぬ胎児と母体とを繋がる、臍緒のようにも見える。

 管は二本、三本と数を増やし、そこかしこに視線を巡らせるようになった。


『あれが潜境管というやつ。コルトから聞いただけでは、なかなか分からない気持ち悪さでしょ』レアが不愉快そうな声で教えてくれた。『悪趣味、悪趣味よね。元衛星軌道開発公社の技術者が試したんだけど、上方の接続面を超えると、そこは厚い雲が立ちこめてるらしいのね。それで、上からは全く地表が見えないわけ。カメラとか降ろそうにも、無機物で構築された精密機械は空間を跨いだときの変容に耐えられない。……だけど地上の状態を確認出来なきゃ方策が打てないでしょ? そこでFRFの使う道具が、有機体で構成された、アレというわけ』


「なんだか人間の腸と眼球のように見える……」


『そうね。本物の腸と眼球なんでしょうね。当然よ、人体しか資源が無い連中なんだから』


 吐き捨てる声には侮蔑が混じっている。


『あの管一本作るのに、どれだけの人間を潰してるのか、知れたものではないわ。そうじゃなければ、最初からそういう形状の赤ん坊を、人間の子宮で作ってるんだろうけど。どちらにしたって、人間が人間に対してやって良いことじゃない。まったく、馬鹿らしいったら……』


 空から吊るされた潜境管は、ついに数十本にも達した。

 視線が地表を舐め回す。羨望の眼差し。到達し得ない理想郷を探す人々のような数十の瞳。数十の視線。数十の人生の終点。数十の切り刻まれた人間の残骸。もはやどこにも向かうことの無い眼球と管の群れ……。

 それらの管は、脊髄反射で痙攣する首吊り死体のように、びくびくと震えている。

 リーンズィは少しだけ落ち着かなくなり、ウンドワートの装甲に縋り付き、レアの香りで気分を紛らわせた。


『こら。情けない、情けない』むず痒さを我慢した吐息。『これしきで怯んではアルファⅡの名折れじゃぞ。FRFは大抵の場合、ああした器官兵器を使って偵察した後……』


「……うん。コルトから聞かされている。潜境管を物理的な探針として、都市のあちこちに這わせるのだな。パペットがこれを回避するのは困難だから、その段階でこちらの存在が露見してしまう。だから、まずはここを乗り切れるかどうか……。ところで、私たちは今、見つかっていない? ちゃんと隠れられている?」


 理論上は視覚欺瞞が完璧に働いているはずなのだが、リーンズィにはこれといった実感が無い。

 凜然とした造形の顔に不安げな表情を浮かべてウンドワートの装甲板に頬を擦り寄せる。


『大丈夫、大丈夫。リーンズィみたいな可愛い子が立ってたら、視線が集中するに決まってるでしょ。どの管もこちらに視線を向けてないわ。というかあの管、見た目がエグい割に、性能はそんな大したことないのよね。あの高度だと下手したらすぐ下に人間が立っててもあんまりはっきりと見えないわよ』


 リーンズィが聞かされたところによると、あれらの管は飛行船の乗組員と接続しており、彼らの性能次第では、熱分布の解析や暗視といった高度な機能をも発揮するのだという。その一方で、物陰に潜んでいるスチーム・ヘッドが単純な目視偵察で見つかった事例は、あまり無いのだそうだ。

 剥き出しの肉の管と、瞼の無い眼球。内部にはおそらく神経や血管、簡易な骨格もあるのだろうが、人体の部品を二つだけ組み合わせたようなその外観は、いかにも気味が悪い。

 古の時代に人類文化と共に散逸した、原始的な呪術によって、超常の力を発揮しそうな印象を与える。

 だが、どうにも、見た通りの性能しか無いらしい。それもそうである。人間並の視神経に、人間並の水晶体。確かに、そんなものを何十と並べても、大それた性能にはならない。後々ソフト側で補正をかけられるとしても、入力機器が人間の眼球を素材にしているのなら、限界がある。


『リゼ後輩、身構えて。本番はここからよ。あのウネウネの群れは、今度は地上に降りてくる。こんな見るからに何も無い場所を探すことは無いと思うから、私たちは無事だろうけど、隠れてる他のパペットが見つからないで済むかは、さすがに運任せよ』


 探針モードの管を使用するフェーズにおいて、パペットらしきものを発見すれば、FRFは即座に上空から砲撃を行う。目標が武装しているかどうか、攻撃的か否か、それどころか確かに存在しているかどうかさえ、一切検めない。

 そして解放軍側勢力も、先制無差別攻撃に対して報復しないという選択肢を持たない。

 戦闘用スチーム・ヘッドからしてみれば、蚊に刺された方が不愉快という程度の攻撃だが、最初の無差別攻撃で非装甲スチーム・ヘッドは丸ごと行動不能になる。

 そしてレーゲントのような見目麗しい少女のスチーム・ヘッドはFRFにとっては貴重な『資源』だ。行動不能な状態を晒すというのは、鹵獲される隙を見せることに等しい。

 だから、ここでFRFが攻撃を開始した場合、解放軍側は対抗措置を執らざるを得ない。

 さすがのリーンズィにも、そうなっても反撃するなとは要請出来なかった。最低限度、無力化する程度までは激しい攻撃が継続されるだろう。


 リーンズィは緊張した面持ちで動向を疑った。

 じっと、そのときが来るのを待った。

 ……眼球を持つ管の群れは、降りてきた時と同様に。

 するすると引き戻されていった。


「地上の探査を行わない……?」


『呑気なことね。どうも、ここにクヌーズオーエ解放軍がいるという想定では動いてないみたい。あんなふうにざっと眺めた程度では、地上に大きな悪性変異体がいないか、スチーム・パペットが歩いていないか、それぐらいしかわからないじゃない。都市の荒れ具合を確かめただけって言うなら話は別だけど、無警戒が過ぎるわ』


「うーん。FRFは解放軍について詳しいのだろう?」


『あいつらの頭が素晴らしく良いとは思えないけど、どれだけ解放軍が強いかは思い知ってるはずね』


「では、戦闘用スチーム・ヘッドがどれほど並外れた性能を持っているかも分かっているはず。ならば、あの管が戦闘用スチーム・ヘッドに見つかったら、逆にそれを足がかりにされて、本船へ乗り込まれてしまうということも理解出来るだろう。それを避けたのではないか? そうではない……?」


『意図的に降下深度を浅くしたんじゃないかってこと? そんなのは、浄化チームの練度の低い部隊ならやるかも……という程度の浅はかな対策ね。普段なら船団の位置の特定に成功した時点で、こちらから先制して攻撃を仕掛けるんだから、そんな対策は無駄なの。管を下ろす段階でどうこうっていうのは小手先の対策にしかならなくて、やっぱり、あんまり現実的じゃないわね』


「現実的では無いという話なら、スチーム・ヘッド相手に通常砲弾を使うこと自体が、全く現実的ではない」


 それはそうだけど、と兎の大鎧は不満げだ。


『……クヌーズオーエでの生存領域拡大を担当しているのが、<浄化チーム>という一団なのは聞いたことがあるわよね』


 うんうん、とライトブラウンの髪の少女は首肯する。レアせんぱいとの時間でとろけきったリーンズィの人格にも、ちゃんとコルトから提供された情報は残っていた。

 FRFには四つの社会階級がある。

 支配者たる<ウォッチャーズ>、中間層である<ウォッチドッグス>、そして人類でありクヌーズオーエで暮らす<市民>、最下級資源として扱われる<都市周辺者>。

 各層からかき集められた精鋭、ウォッチャーズの手脚となって、都市の発展に関する重要活動を任じられる特別な部隊。

 それが<浄化チーム>だという。


『今回ブランクエリアに接近してるのも、たぶんそいつら、と私は判定したわ。器官飛行船(オーガン・クラフト)なんて貴重品を持たされてて、しかもそれでFRFの支配領域の外側に出るのは、浄化チームぐらいだから』


「人間の身で、悪性変異体や暴徒化した不死病患者相手に戦う部隊なのだな。……崩壊する前の調停防疫局のような志の高い組織だ」


 ユイシスがあざわらう。『事実提示。貴官には調停防疫局時代の記憶が存在しません。知ったかぶりは非推奨です。統合支援AIは恋人の前でも容赦をしません、ちゃんとごめんなさいをしましょう』


「しったかぶりをしました、ごめんなさい」リーンズィはしょんぼりした。「でも暴徒化した不死病患者が歩き回る場所を住みやすくしようとする姿勢はえらいと思う……」


『リーンズィもごめんなさいできてえらいえらい。……さっきの情報と合わせて考えると、浄化チームの新参部隊が来てる、ってことになるけど、それでも変よね。さすがに数が少なすぎるわね。悪性変異体を一体鎮圧するのに、フル装備のFRF兵士が三百人は必要だから。偶然ここに辿り着いた、運の悪い、ただの偵察隊なのかしら。そうなると、今度は戦力として多すぎるという話になるのだけど……。何だか、色々なところが噛み合ってないわね。浄化チームの連中には面倒なのが揃ってるけど、戦術では、合理的な態度を貫こうとするの。今回はどこをとっても違和感だらけよ』


 ふと、ウンドワートの声が、この冬の廃墟に立ち並ぶ窓枠のように冷めた。


『……来おったか』


 都市が震え始めた。

 リーンズィは兎の大鎧に抱かれながら子兎のようにびくりとして立ち上がろうとし、自分を抱える鎧の腕に頭をぶつけてダメージを受けた。不死なので死なないし一瞬で治るが、痛いのは痛いのだった。『警告。リリウムのふわふわした身体操縦が接触を通して伝染してきているのでは?』などとからかわれるが、こんな意地悪AIに屈するほど弱いリーンズィでは無い。ぐんぐん成長しているのだ。

 若干涙目になりながら何事かと周囲を見渡す。

 地震ではない。都市の変容ではない。それらは錯覚であるとすぐに分かった。

 ブランクエリアのクヌーズオーエは、事前にマルボロから聞いていた通りの有様で、全ての建物の、その何千という窓にガラスが填め込まれている。脆く壊れやすい、キラキラと光る、滑らかで透明な、素敵な板の群れ。

 それらは激動する視界にあって一切変化していない。罅割れる兆候すら無い。

 変化が訪れているのは、陸ではなく、空だ。空の異常が地表に相対的な変動をもたらしている。

 リーンズィはヴァローナの瞼を瞬かせた。今や蒼穹は歪み、空間は引き攣れ、平穏な空という幕が引きずり落とされる寸前だ。胎動している。

 何かおぞましいものを産み落とそうとしているように見えた。

 事実として、それはおぞましかった。

 器官飛行船(オーガン・クラフト)は産道を通る赤子よりも遙かに呆気なく姿を現した。


 リーンズィは、どうぶつ動画を観るのが好きだ。

 死ねば死ぬ存在である人間が、どこにでも行けて、色んな生き物と、やがて死せるものとして、共に生きていた時代。そのアーカイブ映像に触れるのは胸がときめく体験だったし、純粋に画面の向こうで、見知らぬ生き物たちが元気に動いているのを見るのが、日々の楽しみだった。

 そんな彼女が器官飛行船(オーガン・クラフト)を目にしたとき、真っ先に連想したのは、鯨だった。

 ただし、記憶領域に焼き付けられた海の王、リヴァイアサンのごときその勇姿では無い。それは、死した鯨だ。もはや動いているべきではない肉の塊。海流に抗って進む力など残されていない、腐敗した鯨だ。渦巻く潮に流され続ける憐れな腐り果てた骸。膨れ上がるその肉体に生命の躍動はなく、放つ威容には純粋性すら最早なく、最大級の生命体に対する賛辞など、一節も浮かんでこない。狩人たちでも、これを狩って食品や商業用の油として利用しようとは思うまい。表皮はとうの昔に剥げ落ちて、肉と骨が露出しており、とうに死んでいなければならない姿なのに、未だに肉のそこかしこで変色した血管が脈動している。

 死して朽ち、なお眠ることを許されない、空飛ぶ鯨の亡骸。

【解析:悪性変異を確認】の報告がユイシスから送り込まれてくるが、脅威度はゼロに近い。間違いなく不死病によって変異を起こした有機構造体だが、信じがたいことに、凶暴性を発揮する段階さえ通過しているのが一目で分かる。

 彷徨える死肉の怪物ですらない。

 死と疫病を振りまく脅威ですらない。

 それは無数のコンテナ、無数の銃座を吊り下げて、都合の良いように運用されているだけの、ある種の機械だ。

 座礁する先を探しているだけの、眠ることを許されない、憐れな残骸の一つだ……。


 そのような印象を受けてリーンズィが嫌な気持ちになっていると、気嚢のような有機構造体がコンテナのようなものを抱えているのがユイシスによってポイントされた。

 鯨のような部分は従属物で、おそらくこの矮小な直方体の装甲部位が主本体なのだろう。

 くすんだ骨の色をした構造体にはコルトたちから共有されている情報に基づき【推定:指揮所】【低純度不朽結晶連続体】のタグが貼り付けられる。

 底面には巨大な眼球のような有機構造体が設置されていて、涙のようなものをぼたぼた零しながら、狂える祈祷師の目のようにぐるぐると忙しなく回り、都市を観察している。


 嫌悪が過ぎ去った後に生じたのは、違和感だ。

 その朽ちた鯨の如きもの、器官飛行船(オーガン・クラフト)は、地上に無数の砲台を向けているのだが、据え付けられている機関砲座はあからさまに古びており、大した攻撃能力があるようには思えない。

 指揮所以外にもコンテナのようなものを大量に懸架している。こちらに至っては、通常ならばとても使用に堪えないようなものばかりだ。腐食の進んでいないコンテナはクヌーズオーエを渡り歩けばいくらでも見つかるので、解放軍ならば野営地で雨除け代わりに使うかどうか、という水準だった。

 なるほど、器官飛行船(オーガン・クラフト)というのは、すさまじいサイズではある。この不死の時代において、人類に制御可能で、尚且つこれほど巨大な飛行物体となると、他に存在しないのではないかと思わせる程だ。

 悪性変異体を利用した、巨大な生命機械なのだろう、というのも何となく理解出来る。FRFには非常に高い生命加工技術があるらしい。悪性変異を起こした細胞まで取り入れるとは驚異的だ。おそらく多少の弾丸を受けても自己再生する、そのような高耐久性の飛行船だ。地形を無視して移動出来るのは、後退した文明では大きな優位性となるに違いない。


 だが、だがこれは。

 理性的な存在が、まともな戦闘に持ち込むような兵器には見えない。


 そもそも対スチーム・ヘッドまで勘案するなら、武装が貧弱すぎる。最重要区画である指揮所の装甲が低純度不朽結晶であるならば、機関砲から撃ち出されるのは、それ以下の代物に違いあるまい。

 だとすればこの船にはスチーム・ヘッドの人格記録媒体を破壊する手段が無い。

 大抵の機体は、これよりも質の良い素材を使用している。

 肝心要の浮遊能力を維持している部位にしても、状態が良いとは全く言えない。墜落しないのは気嚢状の構造体の方に相当な浮力があり、また違法建築も同然の状態で無闇矢鱈に取り付けられて発動機と回転翼自体が必死に出力を出しているからだと推測出来たが、気嚢状の構造体を覆う肉の装甲は、半分以上腐敗しているように見える。これでは、小銃弾も防げないのではあるまいか。

 また、発動機と回転翼にしても、いくつかは咳き込むように煙を吐いて、時折停止している。

 何であれ、綿密な計算によって設計された飛行機械でないのは確実だ。

 飛べるのは飛べるにせよ、さほど速度は出せないはずだった。『最大船速:時速30km』とユイシスが推計を出す。遅すぎる。スチーム・ヘッドが走った方が遙かに速い。パペットを何機か運べる程度の積載量はありそなので、母艦や輸送船の類としては便利なのだろうが、こうして無防備に姿をさらしている辺り、そうではないように思えた。


 最初に現れた器官飛行船に追従して、十一隻もの、ほぼ同型の巨体が次々に領域内部に侵入してきた。

 これらの飛行船も古びた兵器で武装していたが、指揮所が無く、同部位には何か蠢く肉塊のようなものが張り付いているだけだ。光通信を行っているような形跡がある。簡易な生体CPUだとユイシスが推測を示す。

 これで、観測されていた通りの合計十二隻の船が到着した形だ。

 空を飛ぶ屍の鯨ども。腸管の如き視覚器を垂らす異形の大魚の群れ。

 圧巻の光景だ。グロテスクで、迫力だけはある。

 しかし、こんな各種産業の廃棄物を混ぜ合わせたような機械をいくら集めたところで、出来ることは限られている。


 ……どれほど末期的な状態になれば、人類はこんなどうしようもないものを、真面目に運用する気になるのだろう? 


 リーンズィは疑問に思う。全体的に造りが粗雑で、何もかもが危うい。大昔ならともかく、長射程の重火器が出回った時代に飛行船のようなものを持ち出してくる感覚がよく分からない。通常の飛行船と同じく、気嚢部分には浮力確保用の合成生体ガスが充填されているのだろう。つまり、仮にどこかが破裂して引火すれば、上方の構造体は丸々吹き飛んでしまうはずだ。

 ナンセンスと言えば、悪性変異体を当たり前のように取り込んでいるのもそうだった。非感染者による使用を想定した場合、変異体を扱って良いことなど何も無い。感染・発症して、自己凍結を起こすだけなら平和なものだが、ここまで歪な形をした変異体の恒常性に取り込まれでもしたら、人間存在の痕跡が跡形も無くなる。そもそも飛んでいるだけでも病原体を撒き散らすのではないか、と思えてくる。


 差し迫った状況であっても、普通の感性があればこんなリスクまみれの乗り物は使いたくないはずだ。リーンズィは自分が何か疫病との戦いの最前線に立っており患者たちを移送する際に何を使うだろうかと想像したが、こんな得体の知れないものに乗せるぐらいなら、患者を毛布でくるんで、スチーム・ヘッドが担架で運んだ方がまだ安全だ。

 非感染者をスチーム・ヘッドと接触させるのも当然リスクだが、こんなものを使うよりは確実に良い。


「いったいどうしてどうしてこんなものを……」


 あまりの無残さに呻き声を漏らすと、ウンドワートが『ううむ』と余所行きの声を出した。


『軽視しておったが、こうまでなると、極端に過ぎるのう。過去の事例と照らし合わせても稀な事態じゃ』


「なるほど。普段はもっとちゃんとした装備なのだな」


『何を言っておる? 上等な部類じゃぞ、これは』


「上等な部類?!」リーンズィは困惑した。「生物災害を起こしそうな産業廃棄物を無理矢理改造して、武装飛行船にしているようにしか見えない……」


『甘い、甘すぎるの、オヌシ。FRFの連中を過大評価しておる。人類最後の生存者グループとは言うが、実態はこんなものじゃ。破綻した人類文化のよすがを手繰り、得体の知れぬ怪物にまで頼る。あの醜悪極まる飛行船にしたところで、浄化チームや支配クラスといった上級市民にしか与えられん決戦用の大道具じゃ。そうさな、浄化チームであれば火力支援用に三隻も投入してくる程度。それを十二隻同時に投入してきて、しかもそれは、通常よりも状態が良い……そのくせ兵士は極小。新しいタイプの編成かもしれん。あやつらも文明的には停滞しておるがたまには変革も起きよう』


「でも、あんなに沢山コンテナを積んでいるのだ。あの中に、百や二百は人員がいるのでは? いるのではないの? じゃないかなぁ」


『それは無かろう。ペーダソスの<凍てついた瞳>の観測能力は究極的じゃよ。射程内に関しては隅から隅まで暴き立ておるからのう。それをワシの戦力評価システムと複合させれば、あやつらは丸裸よ。その結果が、船内の戦闘要員はまぁ精々七人程度しかおらんという観測よな。それを踏まえてもあやつらの重兵装ぶりには疑問が湧くばかりじゃ』


「というか、敢えて目立つようにしていたとは言え、ショッピングモールの、あのアド・バルーン目がけて降りて来るというのは、どういう心理なのだろう」


 ショッピングモールの屋上に残るアド・バルーンは一つだけ。そして屋上には、申し訳程度に光学的偽装工作を施された機関銃が並んでいる。どんな敵、どんな状況を想定しているのであれ、あまりにも怪しいので通常は接近を避けるはずだ。

 だがFRF側は全く意識していないように見えた。


 死せる鯨の腐肉の船は、指揮所を中心に、太陽系の惑星の公転軌道でもなぞるかのように規則的に移動し始めた。船の群れはぎこちない動きで巨大な眼球と潜鏡管を動かし、視覚による走査を繰り返していた。どれほど杜撰で見窄らしい造りでもその巨大は容易く陽光を遮る。都市には腐臭のする影が落ちた。

 リーンズィはウンドワートに抱えられたまま、その憐憫の情念を喚起させる巨大な異形の死せざる死、世界に投げかけられた浮遊する夢の残骸を眺めていた。無数の眼球に見下ろされることへの恐怖感。これから鳥葬される死体なのに、手違いで見過ごされているかのような居心地の悪さ。十二隻の機関砲座が微細な動作を繰り返していたが照準は定まらない。どこにも敵を発見できていないらしい。

 そうしているうちに、指揮所の下部が突如として口を開けた。

 蹴り落とされた影がある。

 無数の肉管によって拘束された肉体は小さく、儚い。両手両足をワイヤーで拘束され、肉の管で上空から吊るされている姿は、絞首刑に処された犯罪者じみている。

 ただし、よくよく観察すれば確かに管がうなじに埋め込まれているが、吊るすための肉管は後ろ手を拘束する頑丈そうな管と繋がっているのが分かる。見た目ほどその肉体には負荷がかかっていない。奇術師が首吊りを装うびっくりトリックで使うのと同様な手口だ。


 ……リーンズィは、その影を仔細に観察し、それから、息を飲んだ。

 解放軍兵士の暗号化された通信網が俄に活性化する

 汚濁に塗れても尚静謐なる祈りの残滓が漂う扇情的なドレス。

 誰しもを目覚めさせる、奇跡と退廃の入り交じる蠱惑的な微笑。

 額には造花が一つ。

 人工脳髄だ。その先端は生体脳を抉り込んでさらに奥に到達しているはずだ、

 しかしその澄んだ瞳に、意識活動の兆候は一切見られない。


「レーゲント……鹵獲されていたレーゲント、なのか。なの?」


 ネットワーク上で錯綜する個体識別に関する遣り取りの総括をユイシスに任せながら、ライトブラウンの髪の少女は歯噛みする。


「……人格を破壊されている? まるで自己凍結を起こした不死病患者だ」


『……良い気分じゃ無いわね。FRFはどうやってか、捕らえたスチーム・ヘッドを洗脳してしまうのよ。よっぽど気長に拷問してるのか、ヘカトンケイルみたいな技術者を揃えてるのか知らないけど。だからあれはレーゲントじゃない。同胞の姿をした残骸。ただのFRFの道具よ』


 少女の声でウンドワートが吐き捨てる。


『だけど、ますます謎ね。フラワードール……鹵獲レーゲントは、FRFでも相当に貴重な資源のはず。どんなふうに貶めて人間性を剥奪しても、そこらの市民よりは価値があるって聞いてるわ。それをこんな脈絡もない局面に持ち出してくるなんて』


 吊るされた少女はがくがくと震えて、息を荒げ始めた。

 頸椎に接続された神経管から神経パルスを流し込まれているらしい。

 それから弾けるような勢いで、嘔吐きながら歌い始めた。

 歌声は各飛行船の拡声器によって増幅され、都市全体に向かって、打ち付けるような爆音で、全方位に対して放射された。

 硝子が砕け散って光の雨のように降り注ぐのをリーンズィは見た……何もかもが壊れて、降り注ぐのを見た。

 ユイシスに警告されるまでもない。

『原初の聖句』の発動だ。

 耳を弄する轟音に反して、リリウムの声に宿るような絶対遵守の力は備わっていない。語彙は少なく、音楽的な浸食性も欠落していて、特殊仕様のスチーム・ヘッドはもちろんのこと、通常のスチーム・ヘッドを操ることも出来ない。

 極めて低レベルな聖句の連なりだ。


 狂ったレーゲントには、もはや何事も命令が出来ない。エージェント・ミラーズが意識の清明さを取り戻すにしたがって機能を回復させていった事例からも明らかなとおり、一般的にレーゲントの聖句運用能力は、彼女たちがどの程度正気であるか、その意識がどの程度肉体に馴染んでいるかで、大きく変動する。

 これほどまでに力の無い聖句が示すのは、擬似人格が致命的に破損しているという、単純で、受け入れがたい事実だ。

 ……痛めつけられたレーゲントに、無理矢理歌わせている。

 虐待し尽したこの儚くも美しい肉体を、解放軍の仲間たちの前で道具扱いして、尚も辱めている。

 その事実がどれほど致命的か、おそらくファーザーズ・リデンプション・ファクトリーの面々は理解していない。リーンズィは危機感を覚えた。

 粛清される前の『キュプロクスの突撃隊』が何故虐殺を起こすそまでに過激化したのか、今ならはっきりと理解出来る。

 FRFによって同胞の尊厳がここまで徹底的に破壊されている状況を目の当たりにして、主導的な立場にある機体が黙っていられるわけが無い。末端がFRF殲滅を主張して、無制限進軍を強行しようとするのも当然だ。

 現在も、軍団の動揺は凄まじかった。レーゲントとの融和が進んでいる分だけ、反応がより苛烈になっている機体さえいる。誰しもが今にも爆発しそうになっていたが、コルトたちが警告文を流して、辛うじて、コントロールしている状況だ。

 無数のアカウントを操作するコルトが言い聞かせて曰く、この状況なら戦闘用スチーム・ヘッドが狙撃すれば容易く彼女を解放出来る。奪還は簡単だ。今はFRFを交渉のテーブルに着かせることが最優先だ。

 シンプルなロジックは、それ故に行動抑制に対して有効だった。



 吊るされたレーゲントの同定を進めるのと同時に、各方面の有識者が、聖句の解析も進められていた。

 不死病患者をおびき寄せる程度の効果しか無いとすぐに判明した。

 眠れる不死どもを誘引する道存在としては、レーゲントはどんな状態でも申し分ないが、今回に関しては見せしめ以外の合理的な意味を汲み取るのは難しい。

 違う、それは穿ちすぎた考え方なのかもしれない、リーンズィは迷う。もしかすると、本気で周囲にいる不死病患者をおびき寄せるためだけに、こんな真似をしているのだろうか。同じ口で宣戦布告の文言でも出れば分かりやすいのだが、そのような兆候も全くない。

 ただ歌わせているだけだ。

 似たような違和感を持った機体が多数いたらしく、ハイゼンスレイの保有するデータベースへの負荷が一時的に高まった。戦術ネットワークにおいては怒号の他に、混乱の類を示す信号が増え始めている、

 この鹵獲レーゲント使用にどう対応するかについて議論がなされた。これだけ広範囲に聖句を撒き散らして、都市からリアクションも無いというのも不自然だろう。そうすれば却って警戒させてしまうかも知れない。ブランクエリアに存在する不死病患者など、偽りの魂無きフォーカードの機体程度しかいない。どうにかして反応を引き出すべきではないのか。

 結局、コルトがフォーカードのレッケージを向かわせ、相手側の意図を探ると決定した。人格記録媒体の挿入されていないスチーム・ヘッドならどう扱っても問題にならないし、想定される火力規模なら恒常性に影響を与えられるとも思えないので、リーンズィもこれに消極的に賛同した。



 コルトが遠隔操作によってショッピングモールの地下から移動させる。

 シャッターの破壊された入り口から、治安維持組織の所属だと一目で分かる甲冑兵士と、腕の集合体である巨大な紳士、ミスター・Gが姿を現した。

 指揮所の眼球が、即座にそれを捉える。

 しかし、その後の反応には、タイムラグがあった。さらに数秒が経過。相手が戦闘用スチーム・ヘッドなら十二隻とも轟沈しているだけの時間が過ぎた頃に、幾つかの砲台が散発的に射撃を行った。機関砲弾が歩んでくるレッケージたちの周囲を抉ったが、命中弾は無い。

 威嚇射撃をしているかのように思われた。

 なおも進み続けるレッケージたちを、十二隻の飛行船による一斉射撃が襲った。

 レッケージの甲冑には不朽結晶が含まれていないため、彼らは暴雨の如く降り注ぐ機関砲弾に切り裂かれて細切れになり、呆気なく地面に飛び散った。

 十分に破壊したとみるや、砲撃が止まった。

 執拗な追撃は無かった。

 この規模の武器でスチーム・ヘッドとやりあうのは得策ではないが、辛うじて正攻法と言えるのは、動きを封じたらそのまま地面を耕すほどの勢いで砲弾を叩き込み続けることだ。

 ここで砲撃を止めるのは愚策も愚策だ。


「……攻勢が弱すぎる。記録媒体無しでも、元は戦闘用途だろう、この程度ならレッケージたちは簡単に再生してしまう」


『同感じゃな。奇妙、奇妙じゃよ。奇妙なことばかり続いておる……』


「彼らは、スチーム・ヘッドではなく、ただの不死病患者、あるいは威嚇すれば止まる存在だと認識した?」


『ふうむ……。どうであれ、浄化チームなら不死病患者をコマ肉にしただけで攻撃はやめん。炸裂弾まで連発で撃ち込んで、可能な限り活動再開までの時間を引き延ばすじゃろうな。あんな気の抜けた攻撃じゃ都市の制圧なんぞ不可能、弾丸の節約でもしておるのかのう』


 最後の声には困惑が滲んでいた。


『リゼ、前言を撤回するわ。この杜撰さから考えると……浄化チームじゃないのかも』


「浄化チーム以外なら、交渉は可能……?」


『そうだと良いんだけど、ごめんね、ごめんねリゼ後輩、何とも言えないわ。あのイカレども以外が、こんな大袈裟な装備で自分たちの活動領域から出張ってきたのだとしたら、それは全く前例が無いことなの。本当に、浄化チームとゴミみたいなスチーム・ヘッドとしか接触が無かったから。でも、どこならこんな無謀が有り得る……? まさか<ウォッチャーズ>の統治用スチーム・ヘッド……? 特権階級気取りの低性能ゴミクズ、兵士にもなれない屑肉どもが、わざわざ危険地帯に進出してきた?』


 程なくして、司令船らしき船のコンテナの四方が解放された。

 やはり腸管の如き肉の縄が投下され、それを伝って甲冑姿の兵士が降下してくる。

 四人。不死病に関連する因子の放出が極微だったため、スチーム・ヘッドの類ではなく人間だと判断された。

 全員が同じ装備をしていた。見慣れない、奇怪な様式の甲冑だった。全身をタイトに覆う革鎧にも、大型の昆虫から剥取った甲殻を肌に貼り付けたようにも見える。装甲同士を繋ぎ合わせる筋組織のような有機構造体がユイシスによってポイントされ、どうやら生体素材由来の装備らしい、と考えている間にも【悪性変異】のタグが視界内に表示される。

 感染リスクの塊だ。どうして生身の人間がそんな危険なものを使っているのか、理解に苦しむ。


 一人の兵士だけが、他よりも早いタイミングでロープを手放した。背中に大型のカタナ・ホルダーを背負ったその兵士は着陸と同時に器用に何度も全身を捻って着地の衝撃を殺し、抜刀して周囲を警戒した。

 人間の水準なら高度に洗練された動作だが、遮蔽物もさほど強力な援護も無い状況で挺身するのは、無謀である。何の変哲も無い両手持ち用のカタナには【解析:低純度不朽結晶連続体】のタグが付与された。何か己の尾を食らう蛇のような刻印がされているのが確認出来るが、それ以外は解放軍ではどうということもない武器だ。

 遅れて着地した兵士はそこそこの練度というところで、どうやら真っ先に戦闘態勢に入ったやや小柄な兵士だけが、特別らしかった。

 不朽結晶武器が標準装備なのかと言えばそういうわけでもないようだった。残りの三人は補修に補修を重ねたのであろう見窄らしいスマートウェポンを抱えている。

 自在腕を備えた追加装甲の兵士が一人混じっており、その兵士はもたもたとして、最後にラベリング降下を終えた。

 高速徹甲弾があれば真正面から貫通できそうな盾を展開して、今更フォローに入った。


「うーん。最初にあの盾持ちの兵士が降りればもっと安全性が高まったのでは。何故そうしなかったのだろう」と素朴な疑問を口にすると『あまりこうした作戦行動に慣れてないんじゃない? あの兵士だけ満遍なく動きが鈍いし』と微妙そうな声が返ってくる。

 戦闘が本職では無いのかもしれない。だとすれば、重心が崩壊している増加装甲付きの、あの生体甲冑(とでも呼べば良いのか)でちゃんと直立していられるだけで、すごい気がした。


「周辺警戒! さっきの不死者もどきで最後とは思えないわ、飛行船(クラフト)からの援護があるとは言え、油断しないで!」


 部隊長らしい兵士が声を張り上げる。

 驚いたことに、まだ若い女の子らしい。


「リクドー、どう。スケルトンどもの気配は感じる?!」


「わ、分かんないです。何となく花の匂いがするような」剣を構えた兵士は、よくよく見ると他よりも一回り小柄だ。「でもスケルトンがいるなら、もうとっくに仕掛けてきてるころじゃないかなって……」


「何よその曖昧な判断、肝心なときに頼りにならないわね。それでも恩寵の軍刀を賜った騎士なの?」


 ユイシスは黙々と解析を続けている。


『……国際規格オーバードライブ標準言語モジュールと同様の部位を複数検知。英語を基体とした言語だと思われます。スケルトンは、おそらくスチーム・ヘッドの蔑称だと推測されます』


「ふぅん。我々はガイコツ扱いなのだな……蒸気甲冑(スチーム・ギア)を主体として認識されているのだろうか。いざ肉声で聞かされると、傷つくかも」


 リーンズィは光学迷彩を維持するウンドワートに隠れつつ観察を行った。

 事実誤認等ではなく、それらの兵士は四人ともが年若い少女のようだった。

 言い争いなのか作戦の目標の確認なのか分からない言葉を交し合った後、ショッピングモールを見上げて「わあ……!」と一様に息を弾ませた。


「幻じゃないんですね。ああ、見間違いでも無いだなんて。だ、大戦果ではありませんか? ニノセお姉様。こんなに大きくて綺麗なお城みたいな遺構なら、きっと『オクスリ』だって沢山あるに違いありませんわ!」


「そうね。お城の現物なんか見たことないけど。でも、まさかここまでスムーズに探索が進むなんて……丁度良い目印まであったし、本当に奇跡が起きてるのかしら。市民たちを救うための道筋が見えてきたわね! 沢山成果を持ち帰れば、処罰だって回避できるかも」


「水をさすようで悪いんだけど、ねえさま、おくすりというのは、専門店にしかなかったそうですよぅ……? ここは探索の足がかりぐらいに考えましょ?」


「っていうか、話してる暇無いですよ! い、急いでどこか建物に隠れましょう、姉様たち! こんな開けた場所で立ち止まっているのは危険すぎます……! どこにスケルトンが潜んでいるとも限りません……!」


「はぁ? スケルトンがいるならとっくに私たち皆食べられてるわよ。あなたがそう言ったのよ、もう忘れたの? 馬鹿じゃないの?」


 カタナを構えている一人だけが正常な危機感を持っているようだ。

 酷く落ち着かない様子で周囲を警戒している辺り、もしもスチーム・ヘッドが本気で攻撃してくれば対抗手段がない、それどころかとっくに撃破されているだろう、と理解しているのだろう。

 そして隊長格の言っていることも、ある意味では正しい。

 リーンズィの概算では、この四人を始末するのに一秒は必要ない。

 今更警戒しても無意味だ。


 どうしてだか、あまり厳めしいところのない四人組だ。よく見ると全員がそこそこ小柄だし、音響解析で透かして見た限り、生体甲冑の中身は殆どただの女の子だ。顔貌までは分からないが。

 どうも、こうした極限下での行動には慣れていないように見える。軍事教練を受けているのは所作から分かるし、武装しているので兵士と呼ぶほかないのだが、記憶を検索した限りだと、ホラー映画に出てくるガールスカウトか何かの一員だと言われた方がまだ納得だった。


「……浄化チームというのは、こんなにゆるい組織?」


『完全に違うわね、これは。何なんだろう……武装した女子高生か何かかしら』レアも相当に困惑していた。『あいつら、こんなにペラペラ喋らないし。もっとガンガン脳内麻薬とか出してハンドサインで連携して無言でキビキビ動いてるイメージよ』


「浄化の人たちは修羅の国なのだな……。では、そうではない彼女たちはもしかすると……話し合いに応じてくれる?」


『可能性も否定出来ない、っていうレベルになってきたわね。こちらウンドワート。コルト、どんな感じ? ……そう。戦術ネットワークでも何だか毒気を抜かれたようなコメントが増えてるみたい。ここから交渉を持ちかけても、身内からは反対意見は出ないと思う』


「よし。レアせんぱい、声を掛けてみる。私だけ見えるように迷彩を解除してほしい」


『カウントダウン開始。3,2,1,リゼ後輩、がんばりなさい』


 リーンズィは無言でウンドワートの装甲に唇を当てた。

 それから【周波数変更終了】の文字列を眺めながら、朗々と歌い始めた。


「歓迎する、ファーザーズ・リデンプション・ファクトリーの勇敢な兵士たち」


 徒手の両手をアピールしながら、ミラーズの口調をイメージしながら柔らかに声を整える。ヴァローナの美貌に穏やかな表情を貼り付ければ親近感はとても出るはずだ。


「私はエージェント・アルファⅡモナルキア・リーンズィ。クヌーズオーエ解放軍と同盟を結ぶ調停防疫……」


「こいつ……スケルトン!? 今までどこに!? 各員攻撃して!?」


「ッ!!」


 隊長格が指示する前に、剣の兵士が一息でリーンズィの眼前まで跳躍していた。

 話し合いをする気は無いのか、と気落ちしているリーンズィにお構いなく剣を振り抜こうとする。

 しかし何かを感じ取ったらしかった。

 刃は停止した。

 ウンドワートにぶつかって、砕ける前に。


「ご、ゴーレム……ゴーレムもいる!? 見えないけど、何か大きいのがここにいます!」


 不可視状態のウンドワートの存在を察知したのだ。相当に高い感知能力があるらしい。

 見えないままのウンドワートを見事に蹴り飛ばして大きく跳躍し、その反動で弧を描いて仲間の元に帰還する。


「兵士諸君、無謀な攻撃をするのはやめてほしい。大丈夫、大丈夫だから。どうか安心してほしい。我々に交戦の意志はない。君たちの身の安全は、この私が保証……」


「ふ、フンフ! お母様! スケルトンを撃って! 射撃開始! 射撃開始!」


 器官飛行船の大型水晶体レンズが、リーンズィを注視した。

 ノータイムで一斉に機関砲弾が撃ち込まれた。


「上手くいかないのだな……いかないの」


 ウンドワートという見えない障壁に守られたリーンズィはのんびりと嘆息する。

 かなり手前、ウンドワートの装甲の向こう側で弾丸がひしゃげ、弾かれ、逸れていくため、砲声がやかましいが、攻撃されているという実感も特に湧いてこない。

 不朽結晶装甲が十分なら、この程度は屋根を叩く豪雨よりも何てことがない。リーンズィには各飛行船の機関砲の状態を確認する余裕すらある。

 この体たらくだと機関砲群も正常に動作していないのではないかと思ったのだが、予想通りだった。

 砲弾を発射している砲台は精々七割というところだろう。


「な、何で!? オーガン・クラフトからの攻撃は絶対の筈なのに! 一発も貫通しないなんて!」


 リーンズィが「ごあんしん」「ごあんぜん」「投降せよ」のジェスチャーを兵士たちに向かって繰り返しつつ、どうしたものかなと悩んでいると、ハイゼンスレイから通信が入った。


『取り込み中に失礼しますね。こちらハイゼンスレイです。排除の必要性もないかと思っていましたが、あの飛行船群は明らかに対話を妨害しています。流れ弾で非装甲スチーム・ヘッドに被害が出る前に焼却したいのですが』


「うん……こうも撃たれてしまってはもう仕方が無い。他の船には誰も乗っていないのだな? いないの?」


『まともな人間の生命反応は確認されていませんね。全て加工済生命体です』


「では撃墜して全く構わないと思う。人間とか犬とか猫とか以外はどうでもいいので」


 FRFの兵士たちはおおよそ全員が混乱していたが、剣を握る兵士だけは別だ。

 響き渡る砲声と、降り注ぐ砲弾を意にも介さない少女の顔をしたスチーム・ヘッドを見つめて、絶望に喘ぎながら、生体甲冑の下で声を張り上げている。


「ニノセ姉様、撤退しましょう! 相手は……何か隠して……いいえ、何故だか分かりませんが、攻撃に消極的みたいです! 今なら生きて帰れるかも知れません……!」


「冗談言わないで! 帰還したら殺されるわ、それに、あいつらが見逃してくれるだなんて、それこそ、そんなわけないでしょ! 後ろから撃たれて終わりよ! ここで倒してしまないと、すぐに増援が……私たち全員辱められて食われるのよ!」

 

 そんなことしないのに。説得下手な自分に、リーンズィはさらに肩を堕とした。


 ……脇の物陰から大弓を抱えた全身装甲型スチーム・ヘッドがひょっこりと顔を出した。

 FRF兵士たちは硬直した。

 スチーム・ヘッドは何となく、といった様子で手を振った。

 そして不朽結晶矢を大弓に番えて、飛行船へと射出した。

 射撃は地上の至る所から実行された。矢は無人の飛行船の気嚢構造体を容易く貫いた。不朽結晶の侵食効果が敵性言詞構造体の再生を阻害する。生体ガスの噴出を確認したところで、各地の瓦礫や落とし穴に隠れていたスチーム・パペット、ショッピングモール屋上や路地裏に隠されていた対空機銃群が偽装を解除。

 砲撃を開始した。

 リーンズィが思っていた通り、飛行船は簡単に爆発炎上した。


 FRFの若き兵士たちは悲鳴を上げた。その死せる鯨のような巨体が赤い炎を吐き散らしながら自分たちに向かって落ちてくるのを直視して、一人の兵士などは失神してしまったようだった。

 だがそれらは誰も傷つけることは無かった。

 遅滞なくケルビムウェポンを起動させたスチーム・ヘッドたちが、一時的に無力化した残骸を、プラズマ場の発生によって跡形も無く焼き払ってしまったからだ。


 爆発炎上させたのも、ケルビムウェポンの射程内から逃がさないための処置だ。クヌーズオーエ解放軍は、制御を失った悪性変異体採用型兵器をそのまま見過ごすほど甘い価値観で行動しない。

 吹き荒ぶのは熱風のみ。

 きらきらと降り注ぐ燐火を、呆然として兵士たちは見上げていた。

 失神していた兵士もすぐに起き上がり、スチーム・ヘッドのもたらした迅速な無力化処置に、すっかり言葉を失った様子だった。

 その間にも司令船に対して精密射撃が繰り返され、機関砲台が個別に無力化されていった。

 戦闘の趨勢はとうに定まっていた。

 否、最初から決まりきっていた。

 

「ば……馬鹿げてる、馬鹿げてる、馬鹿げてる! か、勝てるわけない、敵うわけないじゃない、こんなの! 何なのよ。これがスケルトンの力だって言うの!? スケルトンなんてただの亡霊だって、簡単に滅ぼせる敵だって、そう教わってたのに……! 脆い骨の怪物だって、そう聞いてたのに……! 何よこれぇ、何で器官飛行船がこんな簡単に潰されちゃうのよ!」


 喚き声が耳に障る。

 錯乱の程度が酷いが、仕方あるまい。

 彼女たちの最大戦力であろう器官飛行船が、司令船らしきものを残して、数秒で消え去ってしまったのだから。全く自然な反応だった。


「……姉様たち、早急に退避を」剣の兵士が覚悟を滲ませる。「不死者、いいえスケルトンとの戦闘には、少しは心得があります、ボクが少しでも時間を稼ぎますから!」


「だ、だめだよぉリクちゃん! リクちゃんも一緒に逃げようよぉ! サードの育てたエンブリオ・ギアだって、あんな攻撃を受けたら何秒も持たないよぉ!」


「でもスケルトンと戦う技術があるのは、姉妹だと、ボクだけ……」


「戦う? 戦うってのは……」全身装甲型スチーム・ヘッドが剣の兵士に耳打ちした。「こうやって敵に無様に背中を晒すことか?」


「ッ!?」


 惑乱の吐息と、反撃行動の成立は同時だ。

 リクと呼ばれているその兵士が跳ね上がって距離を取るのとワンセットの動きで、不朽結晶の剣先を振るわれた。

 人間が相手なら、必殺の一撃が成立していただろう。

 だがその空間にはもう誰もいない。

 刃が裂くのは尾を引く蒸気と残像のみだ。

 オーバードライブ発動中の戦闘用スチーム・ヘッドにとって、只人の攻撃など、自分から当たりにいきでもしなければ、当たるものではない。

 コンマゼロ秒の時間で十分に距離を取った真なる不死の甲冑騎士、戦闘用スチーム・ヘッドは、FRFの兵士を嘲笑した。


「嘘を吹き込まれていたってこった。しかし<ウォッチャーズ>のクソ袋どもはいよいよこんな雑魚未満の連中を前線に放り込むようになったのか? そんなチンケな装備で着飾って。まったく、憐れで仕方ねぇや」


 そんなに煽られるほど劣悪な装備ではないので、リーンズィは若干兵士たちを不憫に思った。


「なっ……リクドー、平気!?」


 仲間の危機に気を持ち直したニノセが呼びかけるが、剣のFRF兵士は沈黙していた。


「まだ何もしてねぇよ。めちゃくちゃにしてやるのはこれからさ。さあて、俺らの可愛いレーゲントをぶち壊した落とし前、どうつけさせてやろうかぁ!」


「減らず口を! 私の妹に手出しはさせない、これでも食らって死ね!」


 ニノセと呼ばれていた隊長格兵士が毅然として、抱えた重火器、スマートウェポンの銃口を向けた。

 トリガーと同時に誘導機能を持った弾丸が一秒に十発の速度で連続射出された。混合爆薬を弾体に仕込まれた徹甲弾は回避機動を阻害するべく空中で複雑に軌道を変更しながら、それでいて吸い込まれるような滑らかさで戦闘用スチーム・ヘッドに飛び込んで行った。

 弾体とは似つかわしくない規模の爆発が発生し、スチーム・ヘッドは炎に包まれた。

 超小型でいて、戦車砲から放たれる成形炸薬弾にも等しい威力を秘めたこの銃弾は、おそらくFRFの兵士にとっては、最高の破壊力の攻撃手段なのだろう。


「はっ! 呆気ないものね、フェイク・ユーロピアの技術の粋を集めた最新鋭の弾丸の味はどう!」


「どうって、食らい飽きてんだよなぁ」


 爆炎から平然としてスチーム・ヘッドが歩み出てくる。


「懐かしくて思わず食らってみたが……感動は無ぇなぁ。振動で肩こりがとれたかもしれん。ああ、その弾丸、お前らの都市でも高いんだろ? 俺たちも大昔に散々使ったが、金食い虫で困ったもんだ。おまけにスチーム・ヘッド相手には何の役にも効かねぇんだからよ! 泣けてくるなぁ、無駄金使っちまったなぁ、姉ちゃん。まぁ、そんなことを気にしている暇は、もうないだろうがよ」


「嘘、でしょ……これを食らって生きてたやつなんて……」


「そういうのは生きてる人間に対して言えよ。こちとら不死病患者をボディにしてるんだ。何だっけ、お前ら人のことをガイコツだの骨顔面とか呼んでるんだろ? ガイコツで、しかも不死身なゾンビに、対人弾頭が効くわけねーだろ。ちっとは考えろ。まぁ今は殺さないでおいてやる、俺たちの新しくてお優しい幹部が、どうもお前らに話があるみたいだからな」


「に、ニノセ姉様に触らないで! 姉様、どうかこのフィーアの後ろに!」


「人聞きが悪いな。だから、殺さないって。ここらはお前らの態度次第だつってんだろ」


「……おっとっと、どうしたよ、撃ち合いを始めちゃって良いワケ? 交戦停止じゃねーの?」


 いつのまにかそこに立っていたスチーム・ヘッドが、先行していた仲間に問いかける。

 オーバードライブ搭載機だ。

 両手にはFRFのそれとは比較にならないほど整備の行き届いた完全なスマート・ウェポンを握っていた。

 自分たちの武器の完全な上位互換品を目の当たりにしたFRF兵士たちが上ずった声を漏らした。


「めちゃ撃ちたいんだけど。ちょっとぐらい良いよな?」


「……装甲を見た感じ小銃弾ぐらいは防げるだろうけど、それで撃ったら、さすがにどうか分からねぇぞ」


「試すだけ試すだけ。じゃあFRFども、今度は俺らの番なー!」


「だめっ、ねえさまたちっ、あぶないっ!」


 増加装甲を装備した、兵士が慌てて斜線に割って入る。

 銃声が轟き、爆裂する弾丸の嵐が彼女を飲み込んだ。


「きゃああああああああああ!?」


「おお、耐えるねぇ! 旧世代の戦車ぐらいなら壊せたと思うんだけど。じゃあ次は硫酸弾頭でも……」


「この肉無しの不浄どもッ! サード姉様にそれ以上酷いことをするなッ!」

 

 死角から急襲を仕掛けた剣の兵士が、裂帛の気合いでそのスチーム・ヘッドの首を切断した。

 完璧な形での一閃だ。

 しかしそのスチーム・ヘッドは落ちる前に銃を手放して頭を掴み、自分の首に乗せた。

 手放した銃を掴み直している間に切断された傷は繋がった。


「やるじゃん。こいつだけ動き良いね。浄化チームか?」


「く、そっ……スケルトンどもめ! 首を落とされたなら死ねよおッ!」


「いやぁ仕留め損ねたのはそっちの責任だと思うけど? お前も俺の銃食らっとくか?」


 リーンズィは声を荒げた。「やりすぎはよくない。虐めても良い結果は出ない」

 

 へいへい、と銃狂いのスチーム・ヘッドが銃を降ろす。


「どうしよぉ、どうしよぉ……」増加装甲を焼け焦げた穴の集合体に貶められた兵士は心折れた様子でへたれこみ、泣き声を上げていた。「こんなの、こんなのって……サードの子供たちが簡単に壊されちゃうなんて……みんな殺されちゃうよぉ、嫌だよう、こんなのいやぁ……」


「ダメだ、姉様たち。もう……」剣の兵士は状況を俯瞰して声を震わせていた。「囲まれてしまってる……いや、これは違う。隠れてたんだ。ボクたちを待ち受けていた! ボクたちはきっと最初から、囲まれていたんだ……!」


 まさに、偽装を解除したスチーム・ヘッドが、そこかしこから姿を現している。

 あるパペットは自力で掘ったアスファルトの下から這い上がり、あるものは地下立体操車場に給電して迫り出してきたリフトから降り立つ。オーバードライブを使って遠隔地から駆けつける機体が数十。煙たい空気に眉を潜めながらモールから歩いてくる何人もの不死の乙女たち、その言葉には例外なく奇跡を起こす力が秘められている。さらには敵対者を須臾の刹那に破壊する戦闘用スチーム・ヘッドや、大型水上艦隊をも一撃で撃沈せしめる大出力長距離戦闘用装備を構えた機体が、ずらりと立ち並ぶ。

 広場は、一望せずとも分かるほど完全に包囲されていた。

 おそらく、この世界で最も破壊の意志が集約された空間だ。


 何なのだろう、とリーンズィは一連の無力化工程をどこかフラットな気持ちで眺めていた。

 今の遣り取りでも一目瞭然だ。解放軍戦力は、FRFに対して遙か上の次元にいる。互いの戦力比を概算するのも無駄な気がするぐらいだ。

 それなののどうしてFRF側勢力があそこまで自信たっぷりだったのか、リーンズィには今ひとつ飲み込めない。だいたい、スチーム・ヘッドにあんな大人しい武器で対抗できると考えるのは非常識である。

 それはさておき、とリーンズィは出来るだけ優しい声を投げかけた。


「どうか落ち着いて。安心して話を聞いてほしい、ファーザーズ・リデンプション・ファクトリーの兵士たち。私は矛も、剣も、ここには持っていない。ただ話し合いがしたいのだ。私の声が、聞こえているだろうか。私はアルファⅡモナルキア・リーンズィ。解放軍の新しい代表者の一人。どうか恐れないで。私は亡霊では無い。確かにここに居て、君たちと触れあえる。骨も肉もあるのだ。君たちの敵ではない。どうか、武器を降ろし、息を整えてほしい」


 隊長格の甲冑に埋め込まれた眼球状の組織が諦観のような色を浮かべたのを見て、ああ、やっと私の声が届いたのだな、とリーンズィは安心した。


 リーンズィとファーザーズ・リデンプション・ファクトリーの初めての接触は、少なくともその序盤においては、このように、まったく穏やかなものとなった。

 最初だけは、そうだったのだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ