S2-12-11 たのしいまいにち③ 激闘!ブランクエリア ~そしてショッピングモールへ~
「ははッ、ザマァねェなサムライウサギチャンよォ。カタナさえなけりゃテメェなんてそこらのレーゲントよりも弱いんだよなァ……」
黒金の装甲を冬の陽光にギラつかせながら、その戦闘用スチーム・ヘッドは蒸気甲冑から耳障りな笑い声を漏らした。
蒸気機関から黒々とした煙を吐き、不朽結晶製の両手剣を振り上げる。
「見せつけるような丈のスカートを履いてんだ、誘ってんのかァ? どうであれ関係ネェけど。動けなくした後で、たっぷりと礼をしてやるぜェ、カワイイカワイイ<首斬り兎>チャンよォ……」
騎士甲冑の上背が、路面に長い影を落とす。
剣を高く構えた。2m近い背丈から繰り出される膂力の凄まじさは、尋常の域に収まるまい。その巨躯をさらに不朽結晶連続体の蒸気甲冑で覆い、強力に拡充している。
背負った蒸気機関の出力は重戦車をも凌駕する。それでもって、剣以外には何も持たないのだ。敵を叩きつぶすことだけに特化していた。
大した工夫の無い構成だが、古典的で強力な戦闘用スチーム・ヘッドだ。右肩には刻印がある。「フェアバンクス」。彼に与えられた名前であり、数十年の歳月を血と闘争で彩ってきた、クヌーズオーエ解放軍でも有数の武闘派だった。
幾多の敵対者を両断し、無限に連続する都市へ撒き散らしてきた、禍々しい刃の切っ先。
その煌めきを険しい目つきで迎え撃つ少女は、無手で佇んでいる。
ブレザーに身を包んだ矮躯の乙女は、ケットシーだ。
表情は静謐そのものだが、俄に緊迫していた。装着した運動補助用の外骨格は如何にも貧相で、腰部にある蒸気機関にも最低限の出力しか無い。布に守られていない部分以外は、少女らしいボディラインと、いっそ不健康という表現が相応しい漂白されたような肌を晒しており、風に煽られればスカートが捲れて、靴を除けば唯一の不朽結晶装備である黒い下着が露出する。
彼女が何気なく、恥じらいを装ってスカートの前を押さえるような素振りをするたびに、家の中、屋根の上、同じ路上に陣取って眺めるスチーム・ヘッドたちが、下卑た文句や、応援の歓声を飛ばした。
お祭りのようなイベントだ、と表現されていた未変容領域探索は、<首斬り兎>討伐の功労者、即ち戦闘用スチーム・ヘッドによる私刑執行という形で幕を開けた。
セレモニーの名は『六番勝負』。勝負と題されてはいるが、勝負など成立していない。オーバードライブ使用不可という状況で、まともな武器を一つも与えられていないケットシーを、立候補した完全武装の兵士が、六人で順番に嬲り殺しにするというのが予定されている内容だからだ。
否、殺すだけでは済まされないだろう。勝者は何をしても許される、という旧来の人類文化継承連帯らしい殺伐とした価値観のレギュレーションだった。
リリウムとファデルが統べる現在のクヌーズオーエ解放軍においては到底認められそうもない催しだが、血の気に飢えた戦闘用スチームヘッドどもが強引に流れを確定させてしまった。
レーゲントたちが聖句を使っても、闘争心に燃える兵士たちと、他の攻略拠点からやってきた兵士たちの囃し声を止めることは出来なかった。コルトも不可思議な沈黙を貫いた。
ケットシーは既に五人の兵士と交戦していた。
この巨躯の兵士が最後の一人だった。
「ケットシー……」二連二対のレンズを備えたヘルメットの内側で、ライトブラウンの髪の少女は呻く。
リーンズィは興奮した兵士たちに囲まれている。
刃を向けられたケットシーを、ただ眺めていることしか出来なかった。
ヘルメットを通じてユイシスから転送されてくる戦力解析がいっそ煩わしい。
分かりきった情報は無意味だ。介入できない状況で流し込まれる未来絵図など知りたくも無い。
コルトの危惧を受け止めて、念のためにアルファⅡモナルキアの装備を揃えていたが、結局はどこまでも無力だった。
何となればケットシーもフェアバンクスも人工脳髄への侵入で思考を改竄可能であるにせよ、書換による強制停止はリリウムやロングキャットグッドナイトといった「そうであること」を求められている機体にのみ認められている特権で、アルファⅡモナルキアでは二人の思考の表層を覗き見て、有事に備える程度が関の山だ。
それにしたところで本来はコルトの領分であるため、厳密には不法行為だ。
平和的な手段では、荒くれた兵士たちを止めることが出来なかった。その事実しかここにはない。
生身の右手を両手で掴んでさすってくるミラーズの体温。「きっと大丈夫」と自分に言い聞かせる。
「くくく……男でも女でも同じだ、スチーム・ヘッドのプライドなんて脆いもんだ。手脚を落として、この刃を突っ込んで抉ってやれば、すぐ泣きわめいて情けを乞うようにならァ。オレは今までの連中と違って優しくしてやるつもりはねェぞ。ああ、テメェがどんな悲鳴を上げるのか楽しみだァ……」
リーンズィはフェアバンクスの視界を逐次トレースして彼の動向を探っていた。実際に言葉通りの残虐行為をしようと考えているかは、判断が付かなかった。
ユイシスがポイントする限りにおいては、ケットシーの美貌や胸の膨らみ、細い脚の滑らかさを品定めしているようにも感じられるが、表層レベルでは、彼は明らかにケットシーの呼吸のリズムや筋肉の動きに注目していた。
「可哀相な人。そんな粗末な武器じゃヒナは満足できないよ?」
少女剣士の声は静かで、凜然としていた。
「大きいだけの貧相な武器を見せびらかして、何か凄くプライベートな事柄に関してコンプレックスがある人なの? 腕前にも自信が無いみたいに見える。時間の無駄だからヒナはさっさと始めてほしい」
「腐れウサギ! 憎まれ口を叩けるのも今のうちだァ!」
フェアバンクスはそれからもやたらと卑猥な言葉を怒鳴り立てたが、さほど息を乱さない。
同様に、どのように罵られても、ケットシーの視界にはあまり変化がなかった。
心拍は平原にでも立っているのかと言うほど穏やかだ。
恐ろしいのは、彼女は表層レベルにおいて「ここでカメラがヒナに寄る」「普段履きのパンツがほしい」「ちょっと焦った感じで逆境アピール」といった、くだらないことしか思考していないということだ。対面した相手について、特別な注意を払っている様子がまるでない。
ケットシーの雰囲気の異様さには気付いているのだろう、粗野な口調に反して、リーンズィが思考を盗み見る限り、フェアバンクスの動きは極めて慎重だった。
霧の中で道の在処を確かめでもするように、路面を熊坂の足裏で擦りながら、ゆっくりと間合いを詰めていく。重心は決して浮かさない。
斬り捨てられたきり未回収の、他の戦闘用スチーム・ヘッドの残骸にも、注意を払わない。
フェアバンクスにとって、これがケットシーとの最初の戦いでは無い。リーンズィが記憶するところでは、彼は初遭遇時、あの猫の嵐が吹き荒れた市街地で、他の機体ごとケットシーに一瞬で切り刻まれて終わっている。
無手であろうとも油断ならない相手だ、という警戒心が細かな所作から伝わってくる。兜のスリットから、手や足の動きを注視するのは、やはり下卑た感情によるものではない。不用意な接近は即座の死に繋がるとフェアバンクスは理解している。
見たところ、体運びには一部の隙も無いと言って良い。それでいて、少女を破壊しようとにじり寄るその装甲に歪みは無く、馬上槍試合に挑む騎士の如く首までを完全に防御している。
それがどんどん近寄ってくるのだから、危険のないリーンズィの位置から見ても、かなり迫力がある。旧型であるが故の無骨さが、却って荒々しい暴力性を強調している。
金属質の巨大な塊には、あらゆる刃、あらゆる弾丸を撥ねのける暴力的な圧迫感が備わる。生身では到底太刀打ち出来る相手ではない。
リーンズィはもしかしたら今度こそ……と不安に思うのだが、だがケットシーは暴力の気配に怯える少女を僅かに演じつつ、平然としてその暴力の化身と対峙している。
旅慣れた商人が砂漠に渡る嵐を眺めるように静かな呼吸。
フェアバンクスの背中で蒸気機関の回転数が高まる。
爆発の時が近い。
いよいよ罵声を浴びせなくなった。
両手剣の間合いまで残り五歩。
四歩。
三歩……。
「死ねやあああああああああああああああああ!」
裂帛の怒声。
瞬間、具足に蹴られてアスファルトが爆裂する。
踏み込む速度に音が追いつかない。
鎧の内部に張り巡らされた磁性流体の人工筋肉が紫電を発している。
雷の鉄槌の如き一刀。
否、上段から振り下ろされた刀身は電磁加速され、まさしく雷と化している。
全身全霊、機体全出力を投入された両手剣が、上段から振り下ろされた。
走行中の装甲車両でさえ真正面から両断せしめる必殺の斬撃。
フェアバンクスの唯一にして至高の一刀。リーンズィが掌握した限りにおいて、彼には攻撃方法について一瞬も迷わなかった。全てをこの一閃で始める、あるいは終わらせるという強い自負を感じた。
アルファⅡモナルキアのヘルメットの中で、未来を見透す目が認知に先んじて現実を思考に映す。
切っ先が爆発した水蒸気を引き連れて迫る。
不朽結晶連続体の刃がアスファルトを割断する轟音――
土煙が息吹くよりも早く、常ならぬどよめきが上がった。
ケットシーは――当然のように回避に成功していたのだ。
可能性世界の選択者、ヒナ・ツジ。
彼女が可能だと信じた未来は、必ず実現する。
フェアバンクスの刃は、軽く立ち位置を変えて体を反らした少女の、そのブレザーの胸元を通り過ぎてアスファルトへとめり込んでいた。
『六番勝負』において、ケットシーは五機の戦闘用スチーム・ヘッドと交戦している。
そしてただの一度も肌を見せていない。
衣服には一分の破損もありはしない。
全ての凶手は、少女によって打ち倒され、破壊され、敗北者として、今や観衆の中に紛れているのだから。
ケットシーは対手が「ハァ!?」と戸惑いの声を上げるその一瞬に開脚して側転。
あろうことか出力差で大幅に水をあける相手に対して、間合いをゼロのレベルまで縮めるべく接近を敢行。
流れるような動きで兵士の腕に絡みつき、さらにはその手甲を己の淡雪の如き柔肌の、片足の踝と太股とで挟み込んだ。
驚嘆すべきことに、意志決定と行動の実行に全く時間差が無い。彼女は瞬間瞬間の連続のみを世界として認識している。
「嘘だろォ?! い……今のを避けられるわけねェー!」
誰もその回避の瞬間を、正確には視認出来なかっただろう。刃を振り下ろした本人が最も混乱しているほどだ。追撃のための電力供給が全停止。フェアバンクスはあらぬ方向へ突き進みそうになる巨体を無理矢理抑えつけた。
闇雲に両手剣を振り回そうとするが、片手を極められた状態で相手を斬ることなど出来ない。
「うわっ、何だこいつ離れねェ! さっきからどんなイカサマを……」
「イカサマじゃない。避けるのは簡単。振り下ろされてくる刃を押して遠ざけながら、その反動で体も横に弾いた。流れで手首の可動域を限定すれば、後はもう思うようには動けない」
甲冑にしがみつきながら、ケットシーが温度の無い声で教示するが、フェアバンクスは怒鳴り返した。心拍が跳ね上がる。挑発のための罵倒ではなく、純粋に怒り、動揺しているらしい。
「オレの超電磁撃剣イナズマオトシのスピードは通常モードでも音速の三倍だぞォ!? 見て躱せてたまるかよォ!」」
すると、あちらこちらからブーイングが上がった。「オイコラわめくな! 実際出来てるだろうが!」だの「いいから現実見ろノロマー!」だの「その技名パチモンっぽいしダサいぞー!」だの「俺ならもう三発は殴り返してるぞ! 何でそうしないんだよ! ナメられてんじゃねーぞアホタレー!」だのと無闇に辛辣だった。
殴り返せるもんならやってるっての、とフェアバンクスは舌打ちする。
目敏いスチーム・ヘッドなら、あのケットシーに利き手を右腕ごとを押さえられている危険性を見抜いていただろう。
フェアバンクスの一撃が全身全霊であることに偽りはなかった。
死にはしないにせよ、実のところ、肉体に猛烈な負担がかかるのだ。
スチーム・ヘッドに特有の頑健さと不死性で取り繕っているが、内部の肉体は死にかけていた。
そんな状態で左手に持ち替える動作をすれば、何を仕掛けられるか分かったものでは無い。
ここはどうにかして武器を握ったまま振り払うべきだとフェアバンクスは考えていた。
腕ごと振り回されながらも、ケットシーは相手の利き腕を拘束し続けていた。既にもう片方の脚も地面から離している。両足で締め付けられても、所詮は娘の肉体と簡易な強化外骨格だ。拘束力は弱く、しがみついているだけで直ちに脅威にはならない。
しかし、振りほどけない。ただ絡みついているだけだからだ。相変わらずケットシーは危機感も無く、どの程度自分の太股が露出しているか、自分の服が傷まないかと考えながら、視界全体をひとまとめに認識している。
フェアバンクスの思考が乱れた。手遅れだと気付いた。技を返すなら、腕を取られた瞬間に動くべきだった。即座に壁なり路面なりに自分諸共全速力で突っ込めば、こんな柔肉の塊は潰せたはずだ。
そうしなかったのは、フェアバンクスが最初の斬撃の直後に、さらにもう一歩踏み込むために重心を移動させ、次の動作の準備をしていたためだ。
リーンズィが読み取った限りにおいて、彼は全力で踏み込んで振り下ろすという攻撃に絶対の自信がある。だが、今回はそう簡単に勝負がつくとも思っていなかった。
ケットシーがどれほど異様な運動能力を持っているかは分かっていた。分かっているつもりだった。
おそらく斜め後方へ逃れるだろう、その程度の反応はしてくる、しかし追って繰り出す二之太刀で仕留められるはずだ。フェアバンクスはそう計算していた。その予測と準備が、判断を鈍らせた。ケットシーは予想を交し、リスクを冒してでも組み付く選択をしてきた。
必要なのは追い打ちでは無く防御の一手。人工筋肉への電力供給を次の一撃のために配分していたフェアバンクスには、土台対応不可能な動きなのだ。
予定していた動作を中断出来ただけでも、彼のようなデジタル制御方式黎明期の、古めかしくて中途半端な戦闘用スチーム・ヘッドとしては、十分に優秀な部類だ。
ケットシーのインファイト戦術は、実際、合理的ではある。フェアバンクスは機体構成上、至近距離での格闘戦を苦手としている。通常の人体でも直立姿勢から自分の腕を地面まで下げることは出来ないが、可動域の狭い全身甲冑ならばなおさらだ。
そこで腕に絡みついた状態に持ち込めば、剣は脅威では無くなる。
ケットシーは総合的にそのように判断した……ようだ。
彼女の思考は高速すぎて、精神状態を窃視しているリーンズィにも、後追いでしか認識出来ない。
相手の得手を殺しに行くのは、千日手の攻防に陥りがちなスチーム・ヘッド間の戦闘でも常識だ。
だがここまで出力と装備に差がある相手に奇術のような攻撃を初手で仕掛け、あまつさえ密着してくるのは、現実的では無い。
曲芸師のような動きで戦況を変えられるのは映画の中だけだ。あるいは戯れのためなら繰り出すこともあるだろう。だが実戦に準じた環境でそんな機動を一切の躊躇無く実行してくる異常者がいるとは、フェアバンクスは想像していなかった。敵の動きを完全に読み、自分自身の動きを完全に支配していなければ出てこない動きで、そんな機体はファデルの昔話に出てくる伝説的なスチーム・ヘッドぐらいしか存在しないからだ。
不死の肉体に怖気が走る。
ファデルが範とするスチーム・ヘッドについて、彼は懐疑的だった。如何にも大袈裟で、俄に信じ難い強さだったから、信じていなかった。
だが、おそらくその機体は、実在するのだ。
彼の実の娘が、確かにここにいるのだから――。
「これが……この切り返しの速さが、ケットシーの本質かァ……!?」
自分は何も理解していなかったのだとフェアバンクスは悟った。
彼が剣に固執したのは、前に挑みかかった五人が、何らかの形で自身の装備を逆に利用されて、敗北したからだ。
剣を手放すべきだったと、自分でも無意味と分かる後悔をする。
初撃を外した段階で拳による格闘戦に切り替えていれば?
フェアバンクスの表層思考に恐怖が走る。いや、どうせ剣を奪われて終わりだ。
思い知らせることが出来たからか、ケットシーはぞくりと震えていた。ある種の快楽物質が彼女の体を満たしていた。
「……今のうちに一つだけ教えてあげる。剣先が音速でも全身の動きは音速じゃないよ? 上段から馬鹿みたいに振り降ろす軌跡なら誰にでも読めるもん。こういうのは大勢がいるところで使わない方が良い、見せびらかしても損をするだけ。ギリギリまで秘密にしておかないと効果が薄れる」
すがりつくようにして拘束した腕部装甲に、場違いな解説を囁きながら、少女はソックスから金属製の串を抜いて、兵士の装甲の腕関節にあてがった。刀は持ち込んでいないが、普段から仕込んでいる武器は仕様を認められていた。
他愛の無い串である。
それを、そのまま一息に押し込んだ。
不朽結晶連続体の蒸気甲冑であっても、旧型ながら関節部分には隙間が存在する。刃や銃弾が易々と侵入出来るような幅では無いが、文字通り針の如きものであれば、滑り込ませることは出来る。
リーンズィの見立てでは、彼女の狙いは腕の完全破壊ではなく、腕の一時的な麻痺だ。
葬兵士たる少女は、人間の腕の構造を、装甲の弱点を、熟知していた。
串の先端は皮膚を突き破り、肉を抉って、正確に神経を圧迫した。
両手剣から、兵士の片手が外れた。
その瞬間を正確に捉え、己の重心を移動させて拘束する位置を変え、脚を肩関節に絡めてロックし、思い切りひしぐ。
外形的には全く効果は無い。動かそうと思えば、フェアバンクスも人工脳髄から蒸気甲冑を操作できたはずだ。押し込んだ串も数秒で体外へ押し出される。
重要なのは、フェアバンクスには、自分が腕が動かせない理由が、その瞬間には判然としないということだ。フェアバンクスの混乱がリーンズィに伝わってくる。
分からないのだ。神経を破壊されたのか、腕を本当にロックされたのか、感覚だけでは峻別できない。
言ってしまえば目くらまし。ケットシーは「蒸気抜刀・猫騙し之太刀」などとぽそりと呟く。
蒸気要素が全然無かった。
どういう基準で蒸気抜刀と呼んでいるのだろうとリーンズィはちょっと気になった。
……スチーム・ヘッド同士の戦闘は常に仕掛けた側が有利だ。技を仕掛けている間にも、ヒナは仕込みをしながら、葬兵のナンバー2の囁いてきた戦闘理論を思い出している。「攻防は一枚一枚服を脱がせていくのに似ているよね」。少しずつ相手の防御力と判断力を削ぎ、先に決定的な瞬間を引き寄せた方が勝つ。それに関してはリーンズィも同感だ。
ケットシーは相手に対応されるよりも前に身を離した。
表層思考を流れる判断は『拘束』。ここからどうする気なのかは、予測が出来ない。
ケットシーは余裕を持って戦闘に挑んでいる。涼しげな二つの黒い目で対手を分析している。敵は無事な左腕で追撃してくるか? 答えはNO。後ろへ退くか、前へ出るか。それもNO。敵は動かない。剣で払う構えだ。
剣に拘りがあるらしいとケットシーは判断した。
武器に愛着を持つのは良いがこうした攻防では命取りだと嘲笑も侮蔑も無く思考する。
少女は躍動する。倒立姿勢で着地すると同時に簡易外骨格の出力を最大にして、地面を手で押しのける動きで跳ねた。
そうして自分の逆さまの身体を矢のように打ち出して、不朽結晶連続体のブーツで相手の面を蹴打した。
武器に拘っていては、このような搦め手に対応出来ない。
蒸気機関のバッテリー電力が一瞬で尽きたが問題は無かった。花のように広がった短いスカートから伸びるしなやかなの足の先で、超高純度不朽結晶で構築されたブーツが目標を蹴り穿っている。
破壊には至らないが、結晶純度で劣るフェアバンクスの兜が甲高い軋音を上げる。首全体を防護しているならば斬り合いには優位だろう。だが微細な崩壊の震動が頭部全体に伝わりやすい分、こうした稀な状況において、重装甲兵士の装備は不利だ。
兵士の思考がノイズで埋め尽くされた。耐性が発生しない程度の衝撃により、不死病の治癒効果が働くまでも無い脳震盪が発生している。
微細な振動が甲冑によって増幅され、片方の手も刀を保持していられなくなる。
ケットシーは着地しながら後転しつつ兵士の手から剣を奪い取った。
そして当然の勝算をなぞる空っぽな思考で、再び前方へと転げた。
犬のように疾駆して、兵士・フェアバンクスの股下を潜り抜ける。
少女の矮躯が滑り抜けた途端、兵士の両足の付け根から血が噴出した。
ブレザー姿の少女の手が赤く染まっているのは返り血では無い。
リーチを短くするために刃の部分を掴んでいるためだ。
「……がっ……! 脚!? なんで目が見えな……」
兵士は朦朧としながらも、声ならぬ声を吐き出した。フェアバンクスにはもう状況が理解出来なくなっている。この交錯で、兵士の両足の大腿部の未装甲部位には深々と刃が突き込まれていた。大腿動脈の切断がもたらすのは急速な失血だ。人間ならば死は免れまい。
もっとも、全身装甲型のスチーム・ヘッドならば、ここまでの損傷でも膝を屈することさえないのだが。しかし、数秒で消えるとしてもダメージはあるのだ。事前に備えていなければ、急激な失血による数秒のブラックアウトと脱力には対処出来ない。
その数秒は、勝敗を決するには長すぎる。
少女剣士の動きは継続する。股を潜って背後に回り込み、攻撃の効果を確かめることもなく金属の棺と化した鎧を駆け上り、フェアバンクスの肩に後ろから跨がった。
「あなたが最後に見るのは、あなたの自慢の粗末な刃。ナカを掻き回されるのをたっぷりと味わって死んでね?」
兵士は、明滅する視界に、己の携えていた刃の切っ先が、血を滴らせながら、兜のスリットへとぴたりと向いているのを見た。
ケットシーは短く握った不朽結晶の刃を勢いよく滑り込ませた。
がちん、と不朽結晶の刃が音を鳴らす。
刃が頭部を貫通して兜内部の後頭部と衝突したのだ。
フェアバンクスの思考が霧散した。リーンズィからは、彼が見えなくなった。
生体脳を破壊された兵士は、悲鳴を上げることすら出来ず、宣告された通りに死んだ。
……ケットシーが負けるはずが無い。
リーンズィには最初から分かっていた結末だ。
挑戦者たちを贔屓して言うならば、例えば先ほどの勝負などはフェアバンクスが最初の一撃を外した段階で決まったと言っても良い。誰しもに勝敗を分ける瞬間があった。
だが、もっと以前の段階で未来は確定していたのだ。
実力に差がありすぎる。リーンズィには、ケットシーがどの程度まで可憐さをアピールするか、という馬鹿げたことを意識していたのが分かった程だ。
こんな茶番は東アジア最強のスチーム・ヘッドにとってはまさしく興業に過ぎない。
兜から血を吐き散らすフェアバンクスを見て、観客たちはしばし静まりかえった。
リーンズィも、その殺害の現場を固唾を呑んで見守っている。
「信じましょう」とミラーズが囁く。
オーバードライブをスタンバイしながら頷く。
果たしてケットシーは、フェアバンクスから刃を引き抜いた。
スカートをひらりとさせながら男から飛び降りた。
思い通りに動けた喜びが、彼女の美貌を仄かに上気させている。そこにショービジネス用の笑みを浮かべながら、血まみれの両手で、破壊以外には何も使えない剣を、奇術師の小道具のように器用に回すしながら観客たちをぐるりと見渡す。
刃を後ろに回して鉄棒でもするようにして両腕と背中の間で挟み、腰を後ろに引きながら前傾する。
そうやって、己の長い足と、ブレザーを押し上げる胸を強調しながら、愛らしくポーズを取った。
昼の麗らかな光を浴びながら、朗々と歌い上げる。
「以上、ケットシーの『誰でも簡単! 全身装甲型戦闘用スチーム・ヘッド殺し!』のコーナー、その6でした! チャンネル登録よろしくねっ!」
チャンネルは未開設であった。
脳髄を破壊された兵士は本格的な痙攣を始め、その動作を増幅した外骨格のせいで無様に転倒した。
可憐な笑みを作ったケットシーの背後で花の香りがする血溜まりが広がる。
スチーム・ヘッドたちは一斉にアスファルトを踏みならした。
「うおおおおおおお!」と喝采を上げていた。
「またケットシーが勝ったぞ!」
「ういー。フェアバンクスに賭けてたやつは集金係にトークンを送れなー」
「あれ避けられんのか……怖……等速ならあいつのあの剣が一番速いのに」
「私もカタナを嗜もうかしら。レーゲント武装論は正しい気がしてきた。綺麗だし」
「あんだけ装甲固めてても隙間に徹されるってもう無理じゃね?」
「オーバードライブ戦だと俺らも似たようなことやってるじゃん。生身でやられるとビビるけど。出来るもんなんだなぁ」
「見たかよあの殺しぶり! サムライだよサムライ。本物のブシドーだ」
「ばーか、サムライは実在しないんだよ? あれはナショナリズム的なプロパガンダだって聞いた」
「誰から聞いたんだよ、サムライとショーグンとオンミョージは史実だよ。でもありゃどっちでもないね」
「じゃあニンジャだな、ニンジャ」
「ニンジャもフィクションだって。あれはケンドーだよケンドー。武芸だ。二十世紀のあたりにはもうヤーパンでも長い刃物は法規制されてたはずだからな、武芸でしか刃物は振り回せない」
「カンフーだかケンドーだかシノビドーだか分からんけど甲冑相手のトレーニングはしなくねーか? あんな動き出来ないだろ普通」
「葬兵ってのは刃物しか使っちゃいけなかったらしいから、やっぱ経験でアドバンテージがあるんだろ」
「っていうかやっぱりパンツ穿いてるとオシャレよね……ムズムズするから避けてたけどアリって思えてきた」
歓声と視線を全身に浴びて、ケットシーは満足そうだった。
一戦を終えたケットシーの回りに様々なスチーム・ヘッドが集まり、鮮やかな斬殺を披露した彼女を賞賛した。
だがリーンズィの精神的緊張は未だ継続中だった。
輪に加わらず、放置されて痙攣を繰り返しながら横たわっているフェアバンクスを観察していた。
意識はまだ復旧していない。
本当に危惧していたのは、勝つか負けるか、ではなく、ケットシーがどのように勝つかだ。
何かの気紛れ、あるいは手違いで彼女が他の兵士を破壊してしまえば、どうなってしまうか。
じゃれ合い程度ならば大それたことにはならない。戦闘用スチーム・ヘッドの思考形態は蛮族に近い。勝負の結果として膾切りにしようが猟奇的な陵辱を味合わせようが、短時間なら遊びの範疇で済む。
しかし、いざ味方が本質的な被害を受けたとなると、途端に過激化するのが解放軍兵士の特徴だった。
偽りの魂の座である人格記録媒体は、何より尊い。どんな思想の機体でも暗黙にそうした信仰を持っている。それを侵害されたとなれば、致命的な撃発は免れまい。
通常なら起こり得ないことだ。人格記録媒体を物理破壊するのは極めて困難だからだ。
だが、ケットシーは強い。強すぎるのだ。
だからいつどのように事故が起こってもおかしくない。
リーンズィは恐怖している。そうなれば反ケットシー的な思考が暴走するのは避けられず、コルトが予期していたような全面的な迫害に発展するかも知れない。
まだ幼いアルファⅡモナルキアには楽観視が出来なかった。
介抱役を買って出た機体とフェアバンクスを助け起こし、指を立てて、何本あるかを答えさせた。
三本、という答えに満足げに頷く。
「良かった。もう眼球もしっかり再生しているのだな。意識は明瞭だろうか、フェアバンクス。人格記録媒体は大丈夫?」
「心配ねェよ、コルト……いやその声はモナルキアか。んあー。まだそんなにしっかり再生してねェか」甲冑騎士は流れ出た血を蒸発させながら溜息を吐く。「まぁ脳味噌を軽く撫でられただけだ。マージであいつ、殺し慣れてるって感じだなァ。あそこまで手も足も出ないなんてなァー……ショックだ……」
「今のところ彼女とまともにやりあって無傷なのはウンドワートだけなのだ。仕方ない。満足したか?」
「満足だァ? 満足できるかよォ、これからあいつに通じる剣をウンと考えないといけないんだからなァ」と嬉しそうに声を出す。「どうでも良いけどあのパンツ意味あんのかァ? 間近で見ると若干透けてたんだけど。ちょっとビビっちまった」
「しかし解放軍では下着をつけないのが普通では? ああいうのは貴重品だと聞いた」
「見慣れたもんだよそりゃ。でもよォ、ああこいつはそういう見栄え気にするやつなんだナァ、可愛いところあるじゃねェか、って思って、よくよく見るとあの派手さだろ。ビビっちまうぜェ? あれも心理的な揺さぶりなんかねェ……」
【ケットシー:視界外から接近中】の文字がリーンズィの視界を横切る。
「それにはヒナが答える」
「うおっ、足音も無しに近付いてくんじゃねェ! 怖いだろォ!」
ぴょこ、と脇から顔を出してきた少女に、大柄な甲冑兵士は著しく怯えた。
外骨格の静粛性が低いため全くの無音では無かったが、誰にも感知させない体運びだ。リーンズィもアルファⅡモナルキアの支援無しで接近に気づけたかは自信が無かった。ケットシーを囲んで議論していたグループですら、中心的な人物である彼女が輪から抜けたことに気づいていないのだから。
ケットシーは先ほど奪い取った両手剣をくるくると回した後、改めてフェアバンクスに返還した。
無茶な握り方をして裂傷を作っていた両手は完璧に治癒している。
「ヒナの撮影用の下着はぶっちゃけてしまうと欠陥品。素材の都合上、生地はそこまで密に出来ない。でも撮影するときはそこまで鮮明に映らないから大丈夫なの。あ、ちなみに視覚データの無断配布はダメ。肖像権はヒナにあるから」
「ハァ? そこは事前に打ち合わせしたろォ……?」フェアバンクスは凄んだ。「コルト姐を始祖とする『穏健派』は『取り決め』に従うグループだ。独占配信権は『キサマ』の方にある、そういう『約束』だからなァ……」
あまりにも常識的なことを恐ろしげな声音で言うのでリーンズィには数秒間意味が取れなかった。
「ものすごく口が悪いのに、皆びっくりするぐらい聞き分けが良くてヒナは拍子抜けしてる。みんなそういう不良映画みたいなやつの撮影になれてるの? 高くて、低いの? 特にフェアバンクスは飛び抜けて不良っぽいから実を言うとヒナはあなたと喋るの実は結構怖い」
「怖いって言ってもよォ、普通だぜ実際。『継承連帯』の『カチコミ担当』ってのはだいたい皆こんなもんだったがなァ」大柄の甲冑騎士は溜息をついて剣を担いだ。「行儀が良くなったのは事実だ、『キュプロクス』の『突撃隊』が潰れて、『コルト』の『穏健派』が選ばれてよォ……」
「もしかしてコルトさんってすごく偉いの?」
「ファデルとリリウムの功績になってるがオレに言わせりゃア、そりゃコルト姐の『計らい』だァな」
「すごい、コルトさんが本当に偉い人なんだ……延々と拷問ばかりする変質者じゃなかったんだ……ヒナ、今シーズンのプロデューサーのこと誤解してた……」
「何されたんだよ……。間違いねぇのは、守るべき矩は、確かに敷かれてるってことだァな。ケットシーの嬢ちゃんにしても、これで『六番勝負』の実行は遅滞なく履行されたんだ、これ以上『インネン』つける輩は出ねェと思うが……『イキって』収まらんやつもいるかもなァ。まぁ、そっちを専門にしてた古参としちゃ、嬢ちゃんもあんま『ハメ』外すなよォ、としか言えねぇがよォ」
「ヒナ知ってる。ご先祖様より血と鉄の盟約が大事。それがロシア。裏切り者には死の制裁がお値打ち価格。大切なお金のことを蔑んでミカンの皮とか逆むけとかトイレットペーパーとか呼ぶ極寒の大地……」
リーンズィは「まだここがロシアではないと分かっていないのか……」と眉根を寄せる。「ここはロシアではないぞ、ヒナ。ノルウェーだ。それにロシア公衆衛生評議会はそこまで治安の悪い国では無い」
「どこそれ」「どこだよそれ」ヒナとフェアバンクスは同時に訝しんだ。それから「ドーモ」「ドーモ」「ハッピーアイスクリーム」「は? 何だよそりゃよォ」と謎の遣り取りをした。
「まぁ暴力的なのは否定しねェよ、カネがゴミ並のなのはクヌーズオーエもそうだしなァ」
「寒くて広くてどこかにお父さんがいるならそこがロシアでシベリアなの。ヒナは何も間違わない。ヒナはちゃんと台本読んでるもん」
呑気な会話をしている間にも、ケットシーたちを遠巻きに見ていた兵士たちには僅かながら動きがある。剣を抜きながら先ほどの戦闘の真似をしたり、まさに決闘して無残にも撃破された機体が、修復のままなならぬ我が身を例にして、彼女の技術には価値があるなどと説いている。
リーンズィはヘルメットの内側でほっと溜息をつき、傍らで「ね?」と微笑んでくる金髪の天使を抱き上げた。
結論から言えば、コルトが危惧していたことは、ある程度までは正しかった。
殺戮には怨みが伴う。
更生プログラムを受けても過去までが変わることは無い。
何が楽しいデート回だ。暴力沙汰は避けられない事態だった。
スチーム・ヘッドたちは、だからこそ、禊ぎを与える目的で、ケットシーに決闘を持ちかけたのではないか?
『六番勝負』は戦闘用スチーム・ヘッドの精鋭たちが主導して立ち上げた企画だ。事実上の未変容領域探索開始のオープニングセレモニーだった。何も知らなければ大抵のスチーム・ヘッドにはそう認識されるだろう。
参加する六機の挑戦者全員が、ケットシーの無差別攻撃の被害者だった。条件は外観上はケットシーに一方的に不利。自分たちは完全装備、ケットシーは着の身着のまま。この状態でオーバードライブ無しで、一騎打ちを六回する。
ケットシーが負ければ彼女は兵士たちに対し服従を誓い、ケットシーが勝てば、これまでのことは水に流す。
頽落した異形の決闘裁判だ。
普通ならケットシーが負けると誰もが思う。
だがそうはならない。そうはならなかった。
今回の市街地探索にはコルトも同行している。よほどケットシーの身を案じていたのだろうが、この諍いを咎めることはしなかった。まさか負けないだろうと思っていたに違いない。
コルトはケットシーに期待していると述べていたので、今回の件を試金石としたのかもしれない。
無論のこと、リーンズィにもケットシーが完全勝利する未来しか見えなかったので、相手がどうなるかの方がずっと不安だった。流血は伴ったが概ね穏便に集結したように思えた。
それにしても、とリーンズィは疑いを抱く。
取り巻きのスチーム・ヘッドたちにしても、あの面白がり方からして、ケットシーが負ける展開を素直に願っていたとは思えない。
リーンズィは離れた場所で知らぬ顔をしているコルトを意識する。
……この『六番勝負』は、コルトとその配下が裏で手を回した、本当にお遊び程度の催しだったのでは?
今回の件を公表すれば、何も知らないスチーム・ヘッドには、公正な勝負が行われたと認識されるだろう。一面としては正しい。だが現実は些か異なる。
ケットシーの強さが異常なのは、実際に戦闘したことがあれば嫌でも分かる。
徒手で非武装なら勝てる、というような単純な相手ではない。
六番勝負の精鋭たちは負けるために挑んだに違いない、とリーンズィは感じ始めていた。怨みを晴らす気なら、一対一を繰り返しても意味が無い。ケットシーに対してもっと屈辱的な条件を要求して、そして数を頼んで圧殺すれば良い。
なのに、そうしなかった。
だとすると、戦闘巧者である自分たちでさえケットシーには敵わない、それでいて対話の余地がある、そんな凄まじい価値を秘めた機体なのだと内外へ示すために、敢えてこのような迂遠な形式を選択したのではないかと思えてくるのである。
他の攻略拠点の精鋭スチーム・ヘッドも参加する今回のブランクエリア探索任務は、この狂える少女剣士に禊を与えるのには、いっそ不自然なほど都合が良い。
「よし、感想戦と行こうやァ、ケットシー。皆がお待ちかねだ」
「えっとね、フェアバンクスの初撃に全てをかけるっていう姿勢は良かった。でも次はどうしようっていう躊躇いが少しあったよね。あなたの剣はそのせいで鈍った。あれより速くてもヒナには余裕で躱せたけど。ヒナが生まれた文化圏にも、最初の一太刀に気持ちを全部乗せる流派があった。その人たちの本当の武器は胴体を縦半分にされても仕果たすっていう覚悟のほう。格下でも命を賭ければ格上に迫れる。これは本当に大事な心構え。死なない体なら尚更……」
「勝手に話を進めてんじゃねェ! そういう『知見』は皆で『共有』しねェと『意味』が無いだろォ!? オレらみたいな『戦闘』要員は、上手いこと戦ってナンボなんだからよォ……!?」
「ごめんなさい、でも嬉しい。いつになく現場の人がやる気。こんなに士気が高いのは葬兵時代以来かも。ヒナもどんどんやる気が出てきた」
二人の間にわだかまりはない。むしろ友好的な空気さえあるように見えた。
やはり『六番勝負』において、当初掲げられていた復讐は偽りで、彼女の剣技を学習するための方便だったのではないか? 個人的な技量追求に甲斐を見出している機体にとって、純粋な技巧では最高峰たるケットシーの技を誰よりも先に受けられるというのは、正直褒美以外の何者でもあるまい。
コルトの差配がどの程度あったのかはアルファⅡモナルキアの機能でも知れないが、しかし、万事は上手く運ばれたようだ。
「なるほど。みんな色々と計算して、たくましく生きているのだな……」
納得すると、やっと緊張が解けた。
リーンズィは座り込みそうになったが、腕の中のミラーズごと転ぶのはまずいので、頑張って耐えた。
抱き上げられたままのミラーズが「心配性さんですね」と微笑みながらヘルメットを脱がそうとしてくるので、されるがままにした。これでケットシーの立場は示されたのだろう、とリーンズィは頭を撫でられながら思考する。
こうしたイベントを経由させないままケットシーを祭典に参加させていれば、実際の所、どうなっていたのだろう。
事実や仮定された未来がどうであれ、全ては済んだことだった。
コルトから短い挨拶と功績を称える旨のアナウンスがあった。
蛮行を諫めるための形ばかりの言葉が下されたが特に処罰などは無く、逆にケットシーには素晴らしい健闘を見せたと言うことで、幾らかのトークンが支払われた。お小遣いであろう。
こうしてオープニングセレモニーは終わった。
何事も無かったかのようでさえあった。
スチーム・ヘッドたちは思い思いに散らばり、ブランクエリアを歩き始めた。
いざ向き合うと、ブランクエリアは異質なほど平穏だった。
路上には悪性変異体どころか不死病症患者さえ見当たらない。
全てのクヌーズオーエには不死病が介在するという説が有力視されているあたり、どこかには誰かいるのだろうが、生身の目と鼻という原始的な器官でのみ世界と相対したアルファⅡモナルキア・リーンズィには、不死などもうどこにも存在しないのかと思えた。
ヘルメットを重外燃機関にマウントした状態だと、冷風の気配のあまりの清らかさに、力が抜けてしまいそうになる。攻略拠点だって、一般的なクヌーズオーエ、一般に『へクス』と呼ばれる壁に区切られた領域と比較すれば格段に過ごしやすいが、その性質上内部では常に人の移動があり、スチーム・ヘッドが蒸気機関を回しているため、空気はほんのりと悪いのだ。
一方で、この未踏派の新鮮な市街は秘境の山嶺の如く清浄だった。息をしているだけでヴァローナの肉体が活性化していくが分かる。太陽がぽかぽかとして気持ちよく、行儀は悪いが、そこいらの道の隅っこで寝転がっているだけでも精神のメンテナンスが出来そうだった。
ひと気が絶えてどれほど経つのか、リーンズィには想像もつかない。荒廃していない都市を見るのはまさしく生まれて初めての経験だった。歩道にも道路にも瓦礫は積まれておらず、迫撃砲によって耕された人口密集地の残骸も見当たらない。
マルボロが言っていた通り全ての通りの窓には当たり前のようにガラスが嵌まっていて、向かい合って突撃聖詠服の袖で軽く拭ってやると、自分の顔が映るぐらいに綺麗になった。
潔癖な顔立ちの精悍な翠の瞳。そこに困惑の色を見つけてリーンズィは狼狽える。
「私は何を怖がっているのだろう。……いるのかな?」
『推測します』と空中にアバターを浮かべたユイシスが天使のような悪魔の笑みでからかってくる。『リーンズィは本物の都会を知らない田舎娘です。おそらく先進的な本来の都市に迷い込んだ気がして怖いのでしょう』
「これが都会……荒涼たるコンクリート・ハコニワなのだな」
「寂れている方ですよ、リーンズィ」ミラーズが得意げな顔をする。「本当の都市というのはもっと煌びやかで、壁が全部で硝子で出来たタワーなどが立っているのです」
「何故、そんなすぐ壊れそうなものを……?」
「見栄えが良くなる。撮影には最適」リーンズィとミラーズの後ろをトコトコ歩いてついてきているケットシーが言った。「そういうのが無いと画面のリッチ感が落ちちゃう。電磁パルスでコンピューターが壊れてからはCGで描くよりも実物を造る方が安い」
「なんというか君は本当にすごい基準で世界を認識しているのだな……」
六度の激戦があったことなど忘れてしまったかのようで、ケットシーはまことに機嫌が良さそうだった。作為的に表情を造っている時は誰しもを魅了する愛らしさが宿るが、ブレザー姿でぶらぶらと歩いている彼女は少しばかり無表情なだけの儚げな少女に見えた。
もしかすると気持ちよく全勝出来たことがものすごく嬉しいのかも知れない。
現在は思考の監視は行っていないので、詳しくは分からないが、突如妄想に囚われて激憤し、味方を殺して回る、ということは無さそうだった。
「ところでヒナは、私たちについてきても良かったのか? 良かったの? 私たちは君の監督役を任されてはいるが、別に君の行動を強制的に制限せよとは言われていない。私たちを優先する必要はない。何なら先に君のやりたいことをやっても良い」
「ありがとう、リズちゃん。てもリズちゃんたちは、ショッピングモールを目指してる。ヒナもそこに行きたいから支障ないし、リズちゃんとのデート回だから、どのみちリズちゃんを尊重するよ?」
「カタナが欲しいのだろう。でも、普通のお店にカタナは売ってないと思うが……」
「確かに賠償金代わりにヒナの剣はいっぱい持って行かれてしまった……」ブレザーの肩がしょんぼりとする。「ユンカースも奉仕行動でお荷物運搬係にされちゃったし、お金をいっぱい稼いで散逸した愛用武器も取り戻したいのら本当。そうでなければ年末商戦を生き残れず、ヒナのコンテンツ力は低落し、新しい玩具を作ってもらえなくなっちゃう。それにヒナは今、コンプライアンス上、重要な問題を抱えているの。だってロンキャセンパイがいるからケットシーの商標が使えない。このじゃあ会でセンパイはぜったい。ご希望のカツオブシとかマグロ・チューブを上納出来ないと堂々とお仕事出来ない……! ごあんしん、ごまんぞく、ごあんしん、ごまんぞく……!」
六番勝負のあと「チャンネル登録よろしくね!」と元気よく言っていたのは何なのかと訝しんだが、ユイシス曰く、どうやらケットシーの名義で戦術ネットワーク上にチャンネルを開設する算段らしい。観察処分中なので戦術ネットワークには接続できないのに。
本名であるヒナ・ツジの名義の仮アカウントをコルトが用意してくれていたのだが、戦闘が刺激的だったのだろう、あの瞬殺続きの記録に、一時間ほどで結構な再生数がついていた。
こちらの名義で活動継続しても特に支障は無いのでは? とリーンズィとしては思ってしまうのだが、エンターテイナー的な感性により、芸名を使えないのは苦痛なのだろう。
「ヒナはもりもりと缶詰を集め、マグロ・チューブを沢山揃えて、あとボクトーとかもゲットして、そしてヒ剣術指南系戦術ネットワーカーとして一旗揚げるの」
「しかし戦闘技術系はもう飽和していると聞いたが」
「そんなことないよ? 生きてた頃から刃物振り回してた人なんて、サムライか、頭おかしい人か、犯罪者ぐらい。だからスチーム・ヘッドって歪なスキルツリーで強くなっちゃうから、基本が出来ていないことが多い。系統だった教練で皆もっと強くなり、ヒナはセンセーと尊敬されるようになる。かんぺき」
「そう……」リーンズィはそう……と思った。
「フェアバンクスとかいう人も我流にしては練ってた。タイシャ・スタイルとかジゲンリューとかっぽいのに独学で行き着くのはすごいこと。でもあの人もやっぱり素人。最初の一合が始まる前も、ヒナが何にも構えてないと誤解してたと思う。知識があれば、振り下ろし以外の選択肢も思いついたはず」
リーンズィは少し驚いた。「私もヒナは棒立ちだと思っていた。すごい自信があるのだなと」
「自信はあった。でもあれはナチュラルハート・コトワリスタイルという剣術の、ムガマエというゼン的な構え。何も構えてない、という状態だからこそ、どんな構えにも移行出来る。柔軟性に特化したスペシャル技……ってアニメで観た」
「なるほど。剣は奥深いのだな……」
「そんな奥深さを極めたヒナも、今は全シーズン通しても結構酷い装備状況。でも成り上がり系のイベントだとヒナには分かるから平気。分かるよね。ここから成り上がって踊って殺せるアイドルの頂点を目指すの……。リーンズィも正ヒロインになるんだから手伝ってね。悪い思いはさせないから。素敵なイベントをプレゼントしてあげる。人気投票で上位を目指せばリズちゃんもスポンサーから色々なものがもらえる。新しい武器とか」
物凄く妄想が加速しているが、世界選択者が望むと、何がしか不思議な因果の働きで、ある程度は叶ったりするのだろうか。空からハルバードが落ちてきたりするのだろうか。キャッチし損ねるとシュールギャグのような光景になるだろうしリーンズィはちょっと怖くなった。
「そういう想像をするのは後にしましょうね、ヒナちゃん。今は他にお時間があるのですから」
ミラーズの言葉はリーンズィにも向けられていた。それもそうであった。
リーンズィたちがショッピングモールを目指しているのは、オープニングセレモニー後に物凄い勢いでやってきたマスター・ペーダソスが「頼む、俺の代わりにコンソメの素を確保してくれ!」と頭を下げてきたからだ。
ブランクエリア捜索をサポートするために作戦目的も開示せずあちこち走り回っているようだったが、よほど諦めるのが難しい案件らしい。
コルトと似た造形のヘルメットで何度も何度もお願いしてくるので、リーンズィは少しドギマギした。
コルトもこれぐらい素直なら可愛いのにと想像してしまい、頭から追い払う。
「マスターも一人軍団相当の権力があると聞いた。自分で確保すれば良いのでは?」
「それは出来ないんだ。俺の重外燃機関に搭載された『凍てついた瞳』は代替世界を脳髄に投影して探知範囲内にある全ての物体を捕捉出来るという装置なんだが……」
「えっ、ズルい。それはズルいやつでは?」
「ズル。ズルですね」
『疑問。ズルでは?」
「何それかっこいい! どうやったら使えるようになるの? ヒナもそのズル使いたい!」
「ヒナちゃんは食いつきがいいなぁ! いいだろこれー。そう。これズルすぎるんだよな」溜息を一つ。「そんなのホイホイ使えるやつが好き放題に物資を確保してたら、何て言うか、示しが付かないだろ? だから俺と偵察軍メンバーはそういうの自重してるんだ。最低限はもらっていくけどな。さらにどうしても欲しいものは、適当な誰かにお使いを頼んでるのさ。そこでリーンズィに依頼だ! 何個かで良いからコンソメの素っぽいやつを持ってきてくれよ、粉末でもキューブでも何でも良いから。報酬はたんと出す!」
「この、コルトさんに匂いが似ている人って、何かお店屋さんをしてるの?」
「俺はまぁあいつの姉妹みたいなもんだ。移動式の喫茶店やってるんだよ。クヌーズオーエで唯一かもな」
「喫茶店! ヒナも行きたい! 依頼人を待ちながら新聞を待つやつとか好き! ハードボイルド!」
「そういうのないけどな。人来ないし。固定客五人ぐらいだし」
「えっ、すごく悲しいお店……」ヒナが盛り上げていかないと、と一人で決意をしていた。
「うーん。マスターには普段からお世話になっているし、依頼を受けるのもやぶさかではないが」
「じゃあ大雑把な地図を転送するから。頼むぞ。よろしくな! 俺は今から色々冷凍保存したりアイスクリーム作ったりで忙しくてつらいところで……」
「アイスクリームですか!?」ミラーズが目をキラキラさせて大天使になった。「ぜ、全員分あるのかしら」
「アイスクリームあるの?! すごい! まるで昔みたい!」
「アイスクリーム……? 冷たいクリームとは?」
『サジェスト。牛乳などを冷やしながら混ぜ混ぜとして……』よく分かっていないのだろう、ユイシスはアバターでそれっぽいジェスチャーをした。『クリーム状にしてから凍らせて提供する菓子です。伝説上の食べ物で実在しません。期待は非推奨です』
「実在を見せてやるよぉ、へへへへ……卵と牛乳が見つかったら毎回な……他に有効活用できないし、皆が喜ぶから造ってるけど……キッツいんだよ、俺の機能の操作って、繊細で……」疲れているのだろうか、マスターは変な笑い声を上げた。「とにかく俺はタワーズの接近警戒、偵察軍への指示、冷凍保存係、そしてアイスクリーム製造工場として過労死寸前まで頑張る……いや過労死して何回か復活するかもしれんけど……明日の移動販売所の経営を任せるぞ、リーンズィ」
「よく分からないが引き受けた」リーンズィは心配になった。「マスターも無理をしないで」
「死んでも生き返る。スチーム・ヘッドって最高だな」暗い声音で兵士は言う。「それじゃあな! 今度は何か、植物の種を凍らせる作業があるから、もう行くぞ!」
言うだけ言って壁を走っていくペーダソス。
見慣れた光景だが、ケットシーは「壁を走ると言うことはロシアニンジャ……! ロシア柳生は見たことあるけどニンジャもいるんだ!」と感心していた。ニンジャとはそういものなのだろうか。
ブランクエリアに来たのは良いが特に予定も無かったため、そのまま流されるような形でショッピングモールを目指すこととなった。似たような依頼をどこかから受けたらしいスチーム・ヘッドがいたので、微妙に互いを意識しつつ会釈したり当たり障りの無い会話をしたりして、間違った道にいないことを確かめながら、リーンズィたちはどんどん進んだ。
ケットシーは無表情ながら立ち並ぶ店の軒にあるショーウィンドウが気になるようだった。服飾店のウィンドウにそっと身を寄せて中を覗いていた。
「ヒナ、その、気になっていたのだが。いたんだけど。一つ良い?」
「どうしたのリズちゃん」
「何故下着をつけていないんだ?」
「ぶらり旅回ではアクションがないから見えないし。見えても編集でカットされるから安心して?」
「そうではなく……」
収容所から脱出したケットシーを見たとき一番困惑したのが、彼女がスカートの下に何も穿いていなかったことだ。
リーンズィとしては下着の見栄えに拘る人だと思っていたのでギョッとしてしまった。
かと思えば六番勝負開始と同時に下着を穿き、一通り終わると公衆の面前で脱ぎ始めた。人間の裸など見飽きたというスチーム・ヘッドたちも、妙に色めき立ったのをリーンズィは覚えている。
戦闘終了後に脱いだショーツをポケットにしまい始めたので「そういう趣味の人なのか……?」と曖昧な空気になったのも新鮮だ。
些細な日用品ほど貴重品になるクヌーズオーエの特性上、解放軍のスチーム・ヘッドは鎧や服こそ纏えど、下着は何も付けないし何も穿かないというのが普通だ。そんなものはすぐに擦り切れて使えなくなる。
だからこそヒナの不朽結晶連続体製黒レース下着は異常で貴重なのだが、どうも本人はあんまりその下着が好きでは無いようだった。
「折角の貴重品だし常に装備していれば良いのでは……」
「それは……リズちゃんだけだからね? 触ってみて……」
ヒナはポケットから特性の下着を取り出した。
リーンズィは躊躇いがちに、蒸気甲冑の左腕で受取り、生身の右手で撫でてみた。
ザラザラしている、おそろしく肌触りが悪い。リーンズィの突撃聖詠服も着心地は悪い方だが、この下着はそれを超えている。少なくとも激しい運動をするには向いていないように思えた。
「さすがにアクションシーンではいてないと放送倫理のコードに引っかかっちゃうから我慢してるけど、普段は使いたくないの」
「複雑なテレビ事情なのだな……」
「これは個人的なお買い物になっちゃうけど、ショッピングモールに行ったら普段履き出来る下着がほしい……これ、すーすーして嫌な感じするし……見られたらそれなりに恥ずかしいし」
「そう……」下着を見せびらかして悦に入ったり、何も穿いてないのを気にしたり、複雑な女の子なのだな……とリーンズィは思った。
「リーンズィ、私もほしいかもしれません。レギンスだけだと可愛くないところあるし。ヒナちゃんがオシャレしてるの見るとあたしも興味出ててきたわ」
「そう……」何故みんなこんな実用性の無いアイテムを求めるのだろう。オシャレの分からないリーンズィは訝しみ、それからレアせんぱいもこういうのプレゼントされると嬉しいのかなと想像した。
かくしてリーンズィ、ケットシー、ミラーズにユイシス。
彼女たち四人のお買い物デートは始まったのだ。
いつかどこか、無限に連なる都市の片隅で。
コンソメの素と良い感じの下着、あとワクワクするアイテムを探す旅は始まる!
「なぁエーリカ、これさぁ……ヤバい葉っぱだよな」
「そう見えますね」
「巻いたら煙草ってことにして持って帰れねぇか」
「マルボロはヤニのことは一端忘れて植物庫からの搬出に専念してください」
「いっぱいあるだろ、ちょっとぐらい良いと思わねえか?」
「重要な文化物を私的に消費するのは重罪ですよ。あとスチーム・ヘッドに効きませんが違法薬物の使用は文化的にアウトなのでここで吸ったらグーパンチです。髪に匂いが付くのでさらにグーパンチを三倍です。私はこのあと部下と私的な探索に行くので変な匂いをつけるのは許せません。どうもお宝がある気配がするのです、異郷のボードゲーム……見逃せませんよこれは。とても楽しみです。そんなお楽しみに、ヤバい葉っぱの香りは不要です」
「はいはい、了解了解。お前らは良いよな、趣味が大丈夫なやつで。好きなことやってるだけで怒られるの、結構悲しいぜ」
「悲しいなりに拘りがあるんでしょう。どうしてもやめないなら、それを貫き通して誇りにしてください。それがあなたの存在核なんでしょう。真面目に仕事してる分には優秀なんだから集中してください」
「俺も隊長ぐらいまで出世しとけばずっとこういう場所に釘付けっことは無かったのになぁ。失敗したぜ」
「吸い殻は元のタバコには戻らない。これはコトワザです」
「初めて聞いたな」
「今思いついたので当然でしょう。ほら、手を動かさないと仕分けは終わりませんよ」
マルボロは深々と溜息をついた。
「リーンズィ、俺の依頼覚えてくれてるかなぁ……」
ユイシスは情報処理の片手間、緩くなり始めたシステムロックの狭間で口ずさむ。
「頑張れリーンズィ。負けるなリーンズィ。ウサギや猫のぬいぐるみの誘惑にあらがい、女性用下着を探す時間の1%でも割いて、マルボロに依頼された電子煙草のカートリッジの存在を思い出してあげようね」




