番外編 アイテールとオリヴィア その4
記憶を辿るうちに、体が震えてきた。コントロールが利かない。極限状態での生活は、肉体と脳髄は確かに痛みを刻み込んでいる。傷は癒えた。普段は全てを霞の向こう側へと追いやることが出来る。
しかし一度手綱を放せば、それらは炎を纏って平原で暴れ回る憐れな馬のように嘶く。そして心は、死ぬのだ。
アイテールは恐れ知らずだ。勇猛果敢でどんな相手にも臆することはない。だが、それは自分自身にそうあれかした言葉を吹き込んでいるだけだ。
祈りが途切れれば肉体は染み付いた暴虐の残滓に拒絶感を示す。
こみ上げてくる嫌悪と後悔、苦難の記録に噎せてしまう。金色の髪の少女はついに己が身を抱きしめた。
「あは、ははは……そうとも、お嬢様だった。結構なお嬢様だった……幸せだったのに……ああ、あいつが死んでしまってから、私はどこへも行けなくなった。隣人たちがこんなことを言い始めた、あの女はおかしい、歳をとらない、魔女だ、家族を呪い殺したんだ、遺産目的だ、あのふしだらな体を見ろ、穢れた娘だ、なんて……一方的に言われて……何を馬鹿なと気にしないようにしていたのに、予言だったんだな、最後には穢れ尽くしてしまった……それで、やっともう一度、安全を手に入れた頃には……オレは違う何かになっていた。オレはあの日々の中で死んで、もう一度生まれたんだ。ああ、現実に嘘なら、嘘であってほしいよ。オレが、君みたいに大量生産されていたのだとしても、気にしない。でも、真実がどうでも、何も変わらない……オレの中では……一つも……」
オリヴィアは表情に乏しい顔で、しかし哀憐と後悔を飲み干そうとしていた。
アイテールの手を握りしめた。
ごめんなさい、と呟いた。
ごめんなさい、ごめんなさいと、何度も声を絞り出した。
黒いゴシックドレスは、喪服に似ている。
「……ごめんなさい、お姉様。辛いことを話させてしまいましたね。そう、そうですよね。偽の記憶でも本当の記憶でも、お姉様の中では何も違わない、区別がつかない」アイテールよりも、よほど彼女の方が泣きそうだった。「浅はかでした……無神経でごめんなさい……。私は、何にも分かってなかった……お姉様の苦痛を分かってなかった……。ごめんなさい、私には、いつでも何も分からないんです……自分ばかり辛いと思い込んでいて……他に想像が出来なくて……」
「いや。良いんだ……でもこれで分かっただろう。都市の変数をコントロールする補佐用のティターニアに、そんな凄惨な記憶を植え付ける必要性はないよ。市長の侍従にはもっと相応しい過去があるはずだ。汚れたところのない明るい過去が……」
「……お姉様は、穢れてなどいません。そんな風に言わないでください。お姉様は、私の大好きなお姉様なんです。自分で自分のことを悪く言うなんて許しません。ねぇお姉様、これは市長の権限による命令です。自分自身を愛してください。」
ティターニアには常ならぬ『言葉』の力が存在する。他者支配の絶対言語。言ってしまえば洗脳を実行するためのコマンドだ。普段は使用を控えているそのカードを、オリヴィアはアイテールを落ち着けるために唱えた。
遙かに弱いが、アイテールにも祖先から受け継いだ同様な能力があり、そうした力ある言葉には抵抗力を示す。そのために効果は薄いのだが、金色の髪の少女の肉体が、アイテールという強固な意識を再び受け入れる手助けとしては、この上なかった。
細く長い息を吐きながら、オリヴィアへと微笑みを向ける。
「ありがとう。でも、とにかくそういうことだ、オリヴィア。君のお姉様なんかじゃあり得ないんだ。過去を黙ってたのは、さっきも言ったが、ろくな暮らしじゃなかったし……話しても、聞いても、楽しくないからだ。君だって嫌悪感を抱いたはずだ。オレが汚い、不自然だと思っただろう。不貞だの人殺しだのと、軽蔑してくれても構わない。慣れてるから……。だが信じてほしい。オリヴィアが好きだし、愛しているよ。信じてもいる。君にも好きで居てほしいから、黙っていたんだ……」
「謝るのは私の方です。無礼を許してください。お姉様を無闇に傷つけてしまいました」
「これからも親愛を込めて、アイテールと呼んでくれるか?」
「もちろんです、アイテールお姉様」儚げな、労るような笑み。「私は、お姉様を信じます。お姉様も、私を信じてくれますか。そう信じても、いいですか」
「いつでも信じている。君が市長として市民を救うことも、信じている」
花弁を開かせるように、乙女の願望は明るく表情を綻ばせた。
だがそれもすぐに消えてしまう。そうした言葉を引き出しても、都市を運営できるかどうかという問いかけは、関係が無い。アイテールはただ自分がオリヴィアの夢想したような存在ではない、と表明しただけだ。信じるという言葉一つにしても、己が感じている歓喜とは裏腹に、この黒髪の乙女は今ひとつ納得していない。
彼女は理路を求める。市長なのだから立派で無ければいけない。触れ合うのだから、愛している。信じるには相応の理由がなければならない。
そのレベルで、整然とした、分かりやすい、明らかな理屈を求める。
だから、深長な言葉遣いで問いを重ねてくる。
「でも、やっぱり……まだ分かりません。どうして私が都市運営のような偉業を達成出来ると信じられるのは、何故なんですか。あと、他の人みたいに、何もかも好きにさせてくれないのは、何故なんですか。お姉様はどういう形で私を信じてくれるんですか……?」
二人の纏う香りを突き抜けて、純真な問いが飛んでくる。
「何もかも自由にさせる、イコール信じてくれていると解釈するのは、やめたほうがいいぞ。君の勝手だが。君を信じるのは……いや、まぁ、さっき話した暮らしの延長線上だよ。そういう意味では嫌な記憶も枕詞の代わりぐらいにはなるかな。明かせて良かったよ」
「お姉様の秘密を知れたのは嬉しいですけど。でも関係がないでしょう?」
「関係があるんだ。何せ、オレはその地獄から、継承連帯のアルファⅢに助けられたんだから」
オリヴィアは微かに反応を見せた。
「……結局アルファⅢですか」と落胆の声を滲ませた。
おそらく誤解をしている。
それでもアイテールは言葉を続けた。
「何年も逃げ回っていたオレの一家を見つけて、保護してくれたのが、戦闘用のアルファⅢの編隊だった。その時オレは、疲れ果てて、何だかんだで連れている家族は二人から十人になっていた」
「……増えすぎじゃないですか」
「地獄にだって、罪のない子供や、蛮族のような暮らしに嫌気がさしたやつはいるんだ。そういうのを巻き込んでるうちにそれなりの所帯になった」
「無謀なことではないかと愚考します」
「愚かだったよ。追われやすいし、維持しにくいコミュニティだ。だが助け合わないと善人ではいられない。殺して奪う側から逃げ出せないんだ。健康には悪い。心が救われるだけだ。……食料や物資の不足は慢性化して、もうオレ一人では何ともならない。だから何人かで積極的にゾンビどもの寝ぐらを荒らすしかなかったが、しくじった」
手遊びで右手の人差し指と中指でひょこひょこと歩く人の形を作り、わしゃわしゃと暴れる左手がそれを追いかける。
「変異体の群れに捕捉されてしまったんだ。もうダメだと思った。ここで終わりなんだと。かなり危ういところだったが……そのおかげで彼女たちに遭えたんだろうな……」
アイテールはその虐殺の天使が舞い降りたかのような光景をまざまざと思い出した。
「すごかったよ。彼女たちが手を翳すだけで、怪物が凍り付いたり、焼け焦げたりする。挙げ句、パンチする素振りを見せるだけで、見上げるような大きさの怪物が吹き飛んでいく。そんなことが出来る存在は見たことがなかった。存在するとも考えていなかった。でも、いたんだ。魔法だ、神の力だと思ったよ。アルファⅢはまさしく神だ。この世に戦闘の神というものがいるならそれは彼女たちだろうと思った」
間違いなく人外の領域にあれらは存在していた。革新連盟の乱造した悪性変異体など塵芥も同然だった。当然、他のスチーム・ヘッドなど比較にもならない。
一人のヒトの形をした、幾千万の軍勢。まさしく破壊の化身だ。
思い当たる節があるのか、オリヴィアは「……ふむむ」と喉を鳴らした。
「えっと……戦闘用のアルファⅢで、編隊を組んでる……ということは、<オリンピア>と<ピグマリオン>でしょうか。仰る通り、あの辺りは旧型でも戦闘能力が高い方です。投入するだけで戦況が変わる存在ですけど……でも、そうすると、つまり、お姉様はやっぱり私のことじゃなくて……私のアルファⅢとしての性質を信じると言うんですね。神の如きアルファⅢの力を……」
不安げな顔の中で黒い瞳だけが輝いていた。
ショックを受けているらしい。オリヴィエは目の端から涙を零していた。
見捨てられたという声なき声をアイテールは聞いた。
自分自身はちっとも求められていないのだと思い込む子供のようだった。
「すまない。やはり言葉が足りなかった。普段あまりこういうことは喋らないからな……」
「何も足りていなくはないです……もう十分です……」
「足りていないよ。オレはまだ君に話しているんだ。聞いてほしい。……君を信じるのとアルファⅢを信じるのは、ぜんぜん違う。そもそもオレはアルファⅢを信じてはいない。神様のような存在だとは思うが」
「……どういうことです? やっぱり、ただの慰めですよね、それ。お姉様は自分が何を言っているのか分かっていません。私を慰めようとして変なことを言っているんですよ」
「本当のことだよ、オリヴィア」
アイテールは不貞腐れた娘の髪を優しくかき上げる。
「あの時のアルファⅢたちには心から感謝している。今でも神様だと思ってる。だけど、忘れてはいけないのは、もう御伽話は絶滅してしまったということだ。廃墟で襤褸布を纏って人肉を食らっている、そんなイカレた連中が闊歩している世界では、御伽話は生きていけない。誰にも信じられなくなる。だから、現実では神様だって絶対ではない。アルファⅢのことも信じられるはずがない」
「……は? アルファⅢは完全架構代替世界の運用が可能な機体ですよ?」
黒髪の乙女は瞳の奥に黒々とした炎を滾らせ始めた。
自分の姉妹を貶されたと思ったのだろう、オリヴィアは一転して怒りに陥ったのである。
泣きそうなほど落ち込んだと思えば、こんなことで怒ったりする。忙しいにも程がある。
困った子だ、とアイテールは苦笑した。
「ただのスチーム・ヘッド、ただの機械だ」
「いいえ、奇跡を実現出来る機械です! 人類文化継承連帯の希望の星ですよ! 彼女たちを信じられないのは、納得するとしましょう。でもそれを信じられない、信じられないって……簡単に言わないでください! それって酷いと思いませんか。私と、姉妹たちへの侮辱です!」
「アルファⅢは確かに希望だ。奇跡の運び手だ。でも実際は強力なだけのスチーム・ヘッドだ。だって、あれほどまでに強力な機体なら、何でも出来ると思うだろう。でも、そうではないじゃないか。オレたちは汚泥で何年も藻掻いていた。神様ならもっと早く助けてくれていただろう、いや、助けてもらっておいて、失礼な言い方になるが……」
「……それは、そう、ですけど……」
「彼女たちは強い。彼女たちは、オレと、オレの家族をみんな救ってくれた。きっと大勢を救ってきた。今も戦い続けている。数え切れない数の敵を、まさしく倒していることだろう。その神の如き力は……しかし世界が刻々と悪くなるのを止められない」
「そんなこと……ないです。悪いことばかりではないと思いますけど」
「もちろん良いこともある。まだ世界は終わっていないとオレに教えてくれた。おかげてオレは君のような美しいものと出会えた」
金色の髪の乙女は、そっとオリヴィアの頬を撫で、目元を拭った。
その指先を、オリヴィアは心地よさそうに受け入れる。
「でも、アルファⅢたちでも、革新連盟のゴミどもを滅ぼすことは出来ていない。これが現実だ。砕かれた世界の破片を集めるよりも、世界が壊れる速度の方がずっと速い。本当に女神様だと思うよ、君たちのことは……でも、こうして触れる。骨も肉もある。つまり、存在する余地はどこにでもあって……誰でも創れてしまう。……たぶん敵側にも似たような戦力か、もっと酷いのがいるんだ。隠されているみたいだが、オレはあの汚染された大地を這いずって生きてきたから、おぞましい気配を何度も感じたよ。そうなんだろう、オリヴィア。大陸には存在を視るだけで死んでしまうような、何か恐ろしいものがいる」
黒髪の乙女は沈黙した。
視線を彷徨わせて、答えるか否か悩んでいる様子だったが、そのうちアイテールをただ見つめるだけになった。どのように答えても意味が無いと気付いたようだった。
オリヴィアは、口づけすら容易には許さないにせよ、この金色の髪の娘を、確かに愛していた。そのことがようやく、飲み込めるようになった。
だから傍らにいるアイテールが、空想で物を言っているのではないと、納得したらしい。
「答えなくても良い。アルファⅢをやっている彼女たちは信頼できる。だが救世の希望ではない……それだけだ」
「で、でも、分かりません。アルファⅢのことを信じないんだとしたら何が信じられるって言うんですか」オリヴィアは混乱していた。「厭味が言いたいだけなのでは?」
「いや、この期に及んでその結論はないだろう。市長はもうちょっと頑張ろう」
「うん、そう、そうですよね……頑張ります!」
本当かなぁと頬を突くと、本当ですよと抗議が返ってきた。
「つまりだな、相手が神じゃなくても、信じることは出来る、それが大事だ」
「でもお姉様的には、アルファⅢなんて大したことないんでしょう?」
「いいや、凄まじい存在だ。でも泣いて縋れるような、全部を任せてしまえるような、そんな都合の良い希望じゃない、というだけのことだ。アルファⅢだって、そう、究極的には無力だ。世界を変革する存在ではない。きっと本人たちだって分かっているだろう……オレよりも愚かだとは思わないから、気付いているはずだし、聞いているはずだ。打ちひしがれているかも知れない。分からないが。分かるのは、まだ諦めてはいないということだ。まだ戦い続けている。どうにもならないものを何とかしようとしている。だから信じられるんだ。信じたい、信じても良いと心から思える」
アイテールは腕を広げて、オリヴィアに目配せした。
傍らの黒髪の乙女が少し浮ついて、それでいて躊躇いがちに体を傾けてくると、ひしと抱きしめた。
背丈が違うので相手の胸に顔を埋めるような格好になった。オリヴィアは酷く恥ずかしそうだったが、すぐにアイテールの抱擁を受け入れた。
アイテールは背中を何度かさする。それから僅かに身を離して、オリヴィアの胸元から彼女を見上げて、両の手で、彼女の上気した顔に触れた。
「それは彼女たちが神の如く君臨するからでも、アルファⅢとして祭り上げられているからでもない。彼女たちの苦闘が、信じるに値するからだ。そしてオレは……彼女たちと同じアルファⅢになる君を、そのように信じる。彼女たちを信じるのと同じように、君を信じる」
信じると連呼されて、多少は嬉しかったのだろう、オリヴィアは上気していたが、しかし市長となるこのティターニアは、それでも少し怪訝そうだった。
「でも、私はアルファⅢとして何も実績を出せていませんよ。何せまだこうして……お姉様に自分の体を感じられているだけで熱くなってしまう、簡単な女で、誰も救ってはいません。まだ苦闘の中にはいません。それは信じるというのは早計だし、何の慰めにもならないと思います」
「分からないな。いつもオレの後を追って一生懸命に訓練を頑張っていたのはどこの誰だった?」からかう口調で囁く。「君とオレでは経験値が違う。特に戦闘技能では天と地ほどの差がある。君では敵いっこないんだ。なのに君は特殊部隊上がりと対等に渡り合えるレベルまで成長した。これだけでもすごいことだ。おまけに君はアルファⅢ専用のカリキュラムにも取り組んでいたわけだから」
「し、知っていたんですか!? ずっと秘密にしてきたのに……」
「知っていたとも。いや、というか皆知っているよ。誰でも分かるよ。だってアルファⅢ<アテネ>の練成訓練がアルファⅠ改型<イージス>と同じなわけないんだから……」
「それはまぁ……そうですね………」
あまりにも当然の事実である。アルファⅠもアルファⅢも基本装備は似たようなものなので基礎訓練も似たものになるが、都市運営用スチーム・ヘッドが、都市防衛用スチーム・ヘッドと同じ教練だけ受けて、それで済むはずが無い。
アイテールたちでさえ音を上げるような過酷な訓練をこなしつつ、オリヴィアはその裏で寝る間も惜しんで、独自の訓練に励んでいたはずだ。
アルファⅢは神にも等しい力を持つが、全能でも無知ならば、何の役にも立たない。
アルファⅢは人類の希望だ。だが希望を運ぶのはアルファⅢたらんとするティターニアなのだ。
そして真に信じられているのは大凡の場合、アルファⅢの力ではなく、世界のために邁進するティターニアの方である。
他ならぬ本人たちにその自覚が無いのが、アイテールには不思議だった。
そう教育されているのだろうか?
「君は三年間を見事にやり通した。真面目な頑張り屋さんだ。他の人にはとても真似が出来ない」
「……やるしかないからやっていただけです。これしか人生が無いんですから」
「やるしかないというのと、実際にやるというのは、違うことだよ、オリヴィア。しかもずっと悩んでいたんだろう、自分が百万の命を預かるに足る存在なのかって。悩む時間さえ惜しい生活だったはずなのに。その傍ら他の人を誑かして堕落させるのに興じていたのはどうかと思うが……まぁそこも含めて凄いよ」
「誉めてないですよね?! 何でいっつも最後に余計なこと言うんですか?! いいじゃないですかそういうことしてたって。ある意味では願掛けだって言いましたよね、楽しいことは悪いことじゃないですよね! そういうことを笑わないでください!」
「別に笑ってない。とにかくオリヴィアは信用するに値する存在なんだ。オレも<イージス>の皆もオリヴィアならやれると信じている。オリヴィアなら、立派な『市長』として、ファクトリーを運営出来る。こればかりはアルファⅢだからとか、ティターニアだからとか、そんな理由じゃない。皆オリヴィアのことを見て、知っている。今まで同じ時間を過ごし、そして自分たち以上に勤勉に戦ってきたオリヴィアのことを、信じてるんだ。オレは君を、君として、誇り思うし、大好きだし、愛していて、信じているんだよ」
「……!」
オリヴィアは背筋に電流が走ったように身もだえした。
そして発作的にアイテールに接吻しようとした。
いつものように人差し指で唇を押さえられて止まった。
むぅ……と無言で抗議の意を示し、それから指をくわえ込み、丹念に舐め始めたオリヴィアを、アイテールはたしなめた。
「こら。赤ちゃんじゃないんだぞ」
「赤ちゃんならお姉様の胸に吸い付いてます。我慢できたこと、偉い偉いしてください」
「えらいえらい。いや、そういうことではなく」
アイテールはここに来て迷いを感じ始めていた。
「……分からないな。そんなに、そういうことをしたいのか? オレが信じていると、まだ信じてくれないのか。<イージス>全員を恋人にしないと、どうしても自分は大丈夫だという確信が持てないのなら、協力する。オレだってティターニアとは経験が無いわけじゃない。継承連帯との取引の一環で、何だかよく分からないティターニアの偉い人と同衾させられたこともある。君だって満足させられる自信がある」
「お姉様の指、甘い……。えへん。えへん、えへん。だから、そんなお情けみたいな関係ならいりません。何もかも捧げると誓って、私を求めてくれる。そうじゃないと意味がないんです」
名残惜しそうに、アイテールの指を解放する。
「憎らしいです。想像してるのとちっとも変わらない綺麗で可愛い指なのに、私のしてほしいことは一つもしてくれない……」
「ううん。むずがゆいな……。何もかも捧げると忠誠を誓ってるじゃないか。君の<イージス>なんだから。君がアルファⅢになれば文字通り身も心も自由意志も全て君の物になる」
「それは存在として私に従属するだけじゃないですか。お姉様が自分で求めてくれないと」
「じゃあここで君を押し倒せば良いのか?」
「だからそれがロマンチックじゃ無いんですってば!」
「ではどうしろと」
「もう今日はどうしようも無さそうです。悔やまれます」オリヴィアはアイテールと手を繋ぎ、銃火器を器用に扱うとは思えないすべすべとした肌を指先で弄んだ。「でも、このままでは癪なので、要求させて貰います」
「出来ることなら何でも。君のお世話は楽しいからな」
「……。お姉様、体を乗り換える気というのは本当ですか?」
「本当だ」
「今のお姉様の肉体を捨てる気だというのは?」
「それも本当だ」
「どうして今のままだといけないんですか。可愛くてすべすべで……小柄だけどスタイルも良い。是非堪能したい肉体です。勿体ないです。これは私情ですけど、でも、実益を考えてもですよ、その肉体には運動履歴だってたっぷり蓄積されているでしょうに。それを今更乗り換えたら、私の<イージス>は戦力減です! 今は男性に力負けするかもしれませんけど、スチーム・ヘッドになれば関係ないじゃないですか」
「そんなことはないぞ。こんな乳が大きいだけで後は何にもない体でライリーに殴り勝てるオレが、さらにライリーみたいな大男になったら最強じゃないかな。何より背丈が大きいと一発殴らないでも相手を威圧できるし、良いことしか無い」
「良くないです、私の可愛いお姉様の肉体はなくなるじゃないですか! 勝ち逃げする気ですか!」
アイテールは何だか口説かれているような気分になった。嬉しいような戸惑ってしまうような、複雑な感情だ。
「まさか体目当てだったとは……」
「ええ、お姉様の体目当てです。どんなふうに言われたってその肉体もまさしくお姉様なんですから。このままお姉様のこの肉体がいなくなるなんて、耐えられません。心だけ堕としたって、それではアルファⅢの威を示せません。皆を支配した実感が持てません」
「……でも乗り換えた方が良いのも分かるだろう?」
「分かります。分かりますけど。でもそれは、元々お姉様に備わっていた願望とは違うはずです。……お姉様はきっと、敵地を放浪していたときも、ずっと自分が大男の肉体だったらと思っていたんでしょう。誰もが怖がるような筋肉隆々の肉体だったら、自分も家族も辛い目に遭わないで済んだと」
思わぬ洞察にアイテールはどきりとした。正しい指摘だ。今の自分は、狂った獣からしてみればさぞや魅力的だろう。貪りたいと思わせる肉体だ。だからこそ疎ましいのだ。子供たちを抱きしめるには良い体だ。寝かしつけるのにも向いているだろう。だが、戦場では無意味に危険を引き寄せる。
実際はそう簡単な問題でもあるまい。色仕掛けでしか切り抜けられなかった窮地も幾つもあった。でも、それでも、と思ってしまうのだ。
「……そうだな。やり直すつもりなんだろうな、オレは。意味がなくても、何が変わらないにしても。そうやって昔の自分を助けてやりたいんだろう」
「気持ちは、分かると思います。そのつもりです。でも……どうか、その肉体を捨てたりしないでください。予備でもスペアでも良いから、保管しておいてください。私が預かっていても良いですよ」
「欲しいなら好きに使ってくれれば良い」
「もう! お姉様が中身じゃないと意味ないじゃないですか。変なことはしません、一人で抱き合っても楽しくないです。求められるから嬉しいんです!」
黒髪の乙女は非難がましく声を上げた。
そして大人びた顔立ちとはまるで似つかわしくない、意地っ張りな声で先制する。
「決めました。私は立派な『市長』になります。何百年、何千年でも、私の市民を守ります。ええ、やってやりますとも。アイテールお姉様に泣き言を漏らさないでも済むような強い市長になって、その時こそ……アイテールのことを、心も体も、支配します。他の人と同じように、愛して、愛して、蕩かしてあげます」
清潔なベッドの上。煌々と輝く蛍光灯の下。
この鎖された世界にはアイテールとオリヴィアしかいない。
アイテールは相対した黒髪の乙女、傾国の美貌から目をそらせない。
その熱情の籠もった眼差しに体を射すくめられる。
黒曜石の瞳が、真っ直ぐに翠玉の瞳を貫いていた。
オリヴィアは、焦がれるように息を吐く。
しかし、ついに唇を寄せてくることは無い。
「今は無理でも、ずっとずっとアイテールに愛を求め続けます。もしも私の悩みなんて聞かなくて良い、そんなことで気を散らすような弱い子じゃ無いって思ってくれて、それから、愛してくれる気になったら……その時は、今のお姉様自身のその肉体で、どうか私を求めてください」
「拘りすぎだよ。一人ぐらい<イージス>にそういう関係がないメンバーがいても良いだろう」
「……意地悪しないで、お姉様。どうして分かってくれないんですか」オリヴィアは汗ばむ髪をかき上げて、悔しそうに視線を落とし、耳まで赤くしながら、しかし毅然として言葉を紡ぐ。「認めましょう、認めてあげます。私は……お姉様のことが大好きなんです。他の好きとは違うんです。狂おしいぐらいに……好きなんです」
「……そんなに好きだったの?」
「分かりません。好きとか愛しているとか、はっきり言ってまだ私にはよく分かりません」翠の目を見つめる。黒髪の乙女は羞恥で顔を伏せた。「でもお姉様への感情は明らかに他の人への気持ちと違うんです。お姉様に愛してもらえたらと思うだけで幸せで、嬉しくなって、胸が切なくなるんです。いつまでも一緒に居られたら、なんて夢まで見てしまう始末です」
「お互いスチーム・ヘッドだ。永久に一緒じゃないかな」
「任務では無く愛し合う二人として一緒になりたいんです」
「……そうか」
覚えのある願望だ。
幼稚で不確かな、しかし切なる愛慕。
「うん。嘘でも本当でも、少し嬉しいかも知れない」
「いつか、いつか私を好きになってくれたら、恋人になっても良いと思えるぐらい好きになってくれたら、自分自身を認めてください。私の大好きなお姉様のことを、認めてあげてください。私の大好きなお姉様として、私を愛してください。お姉様の肉体で、私のことを迎え入れてください。言葉を濁して逃げても無駄ですから。お姉様はもう逃げられません。絶対にお姉様を陥落させて見せますから。覚悟していてくださいね」
「……分かった」
「なんで目を逸らすんですか」
「恥ずかしいから」
らしくもなく、照れてしまっていた。
これほど至近距離で、嘘偽りの無い言葉で、純真な声で大好きだと連呼されたのは、いつ以来だろう?
オリヴィアのことは決して嫌いではない。性格は子供っぽいが本当に綺麗だと思っている。外観を無視してもその精神性は可愛らしくも頼もしく、人間として好みの部類だ。
そんな娘が思い詰めた表情で愛を告白してきたのだ。
心臓を高鳴らせるなというほうが無理がある。
「でも……どうしてオリヴィアはオレがそんなに好きなんだ。誰でも好きなのかもしれないけど」
誤魔化しついでに、アイテールはそんなことを聞いてみる。
実はこれは、以前から謎だったのだ。
オリヴィアのことは可愛がっていたが、しかし他の<イージス>と比較して深長だったとは思わない。
悩みは聞くにせよ、あまり甘やかさないという方向性だったので、好感度が特に上がる要素は無かったはずだ。
尋ねられた乙女は、くすくすと嘲りに喉を鳴らした。
「あらあら、お姉様って、どこが好きとか聞いちゃうタイプの人ですか? あんな過去を話しておいて、体の芯は乙女なんですか?」オリヴィアは水を得た魚のように元気になった。からかうのが大好きな娘だ。「ええ、そうです。みんな大好きですよ。大体察しておられるかとは思いますが、私のことを好きになって私のものになってくれる人は、大体誰でも好きです」
「知ってる。それだと君基準だとオレは君のものではないし、好きのパターンから外れるんじゃないかな」
「ふうん。乙女の秘密を白状させる気なんですね。お姉様、意外といやらしいです」
「言いたくないなら良い」
「嘘です嘘です。言ってあげます。そんなの……お姉様が私のものになってくれないから、に決まってるじゃないですか」
「ん?」
どういうことだろう。
理解出来ずに当惑していると、もう一回ここに座ってください、と黒髪の乙女は自分の膝を控えめに叩いた。
アイテールは言われるがまま彼女の膝元にすっぽりを身を納めた。
くすくす、と幸せそうな声を漏らしながら、オリヴィアがアイテールの細い腰に腕を回してくる。
「分からないな。つまり、どういうこと?」と背後のオリヴィアに問う。
「そのままの意味です。たぶんティターニアは、そういう人種なんです」
「複雑だな。好きになってくれる人のことが好きだけど、好きなのに自分の思い通りにならない人が……もっと好き?」
「おそらくですけど」頭頂部に息がかかる。「オリジナルの『ティターニア』がそういう死に方をしたので、たぶん間違いないです」
「ええ……厄介な嗜好なんだな……」
「生きるのが難しいのかも、とは自分でも思います。死なないスチーム・ヘッドになる身分で良かったです」
黒髪の乙女は、金色の髪の少女を満喫する。
金色の髪に顎を乗せる。
訓練服の下に手指。
ぺたぺたと腹を撫でてくる。
さりげない様子で胸にまで触れてきた。
「むむむ。お乳がこんななのに、何でお腹は贅肉がないんですか……薄っすらとした脂肪のすぐ下に筋肉が……」
ナチュラルに人権侵害をしてきたので、アイテールは軽く伸びをして、オリヴィアの顎を軽くかち上げた。ついでにオリヴィアの自分から手出しはしない縛りを逆手に取り、ゴシックドレスからチラついている太股をつついてやり返す。
「嘘です嘘です」と意味の通らない言い訳をする市長に、溜息を一つ。
「それで、そのオリジナルのティターニアというのはどんな人だったんだ。座学でオリジナル・アルファⅠの成立に携わったという話は聞いたが、詳伝は省かれてたし、知らないな」
「ティターニアは後年付けられた通称らしいんですけどね。私たちよりさらに美しく、割にかけて偏屈な人で、理想にだけは忠実だったらしいんですけど、昔からの友人が囚われの娼婦と結婚するのを手助けするために、その時の地位を全部投げ打ったと言われています。ロマンチックです」
「本当にロマンチックな人だ」
「そうですね。その友人の男性と肉体関係があって、友人が既婚者で子供もいて、娼婦がお姉様ぐらいの外見年齢で、その娼婦は友人の子を身籠もっていて、しかも時の治安維持組織に重要参考人として保護されていて、さらには友人が奪取のために組織の保護施設を襲撃して、始祖ティターニアがそれを全面サポートしたという事実を無視すれば、かなりロマンチックな人だと思います」
「最悪な人すぎないか?」
アイテールはびっくりしてしまった。
全員、完璧に犯罪者だった。友人含めて無罪の要素が無い。どんな社会においても犯罪者というか、ほぼテロリストだ。特に友人が酷い。妻子ある身で娼婦、それも推定未成年に手を出して妊娠させるなどあり得ない。妻子に死んで詫びたあと、五回、六回と繰り返し死ぬべきである。不潔だし腹が立つ。見下げ果てた男だ。そうした男はアイテールは大嫌いだった。子供まで居るのだから添い遂げた相手に殉ずるぐらいの覚悟があるべきだ。
「さすがにティターニアも友人とやらも死刑が相応しいだろう」
「実際、当然捕まって咎められて、死刑代わりにスチーム・ヘッドの実験材料にされたそうです。見せしめですね。肉体を剥奪されて、スチーム・ヘッド化された『友人』と同じ肉体に人格記録媒体を挿入されて、そのまま発狂するはずが、それで偶然『ツインメディア方式』が発見された……というのがアルファⅠの始まりの歴史です」
「そんなとんでもない人だったのか。アルファ型の発祥、嫌すぎるな……。でも、自分の思い通りにならない人が好き、というのは? 今の話のどこにそんな要素が」
「お姉様。この話、おかしいと思いませんか?」
オリヴィアは体をアイテールの背中に密着させた。
肩に顎を乗せ、頬を擦り寄せながら呟く。
「なんでオリジナルのティターニアはそんな馬鹿な真似をしたんでしょう。友人の道ならぬ恋を応援するために自分が手酷く滅ぼされるようなことをするって、合理的には説明できません。しかもこの友人は、交友関係こそ長かったものの、絶対者であるティターニアでも思い通りに出来ない、非常に意志の強い人だったそうです。国家的指導者でも逆らえない始祖の電話も、途中であっさり切ってしまうほどだったとか。つまり、どっぷりと融け合うほどの仲良しでは無かったのです」
黒髪を掻き分け、耳を触ってやる。
「人の人生で遊びたかったんじゃないかな」と囁く。
君と同じように、とまでは言葉にしない。
「それでね、お姉様。私はこう解釈しました。『オリジナルはその友人の男性と結ばれたくて、愚か極まる計画を立てて実行した』。これが一番合理的だと思います」
金色の髪の少女は、いよいよきょとんとした。
全く理解が出来ない。そんなことが有り得るのだろうか。馬鹿な計画という次元では無い。頭がおかしくて、身勝手だ。そのせいでかなり大規模な混乱が世界に生じたことだろう。
一番合理的。
合理的とはどういう意味だ?
「……人格記録媒体の二本挿しは当時禁忌として扱われていたはず。大抵は被験者が発狂して終わる。だからこそ二本のメディアで不死病を別々にコントロールするアルファⅠが画期的で、ブレイクスルーだったんだ……。だから、そのオリジナルも、自分が新機軸のひな形になるなんて考えていなかったはず」
「私もそうだと思います」
「なのに、そんな処罰を受けると想定して、やらかしたって? ただの自殺行為だ、時代遅れの心中だと思うよ」
「でも考えてもみてください。友人は既婚者で、立派に家庭を持っています。おまけに他所の女まで妊娠させている。人生いっぱいいっぱいの状態ですが、裏を返せば、この状況でティターニアは全く眼中に無いんです。そして一方で、ティターニアは、彼に恋をしていたとします。さて、果たして友人氏が自分に振り向いてくれる余地が、どこかにあるでしょうか。ただし、絶対者がどれだけ大好きアピールをしても、誰に対してもそんな感じなので、友人はまともに取り合ってくれないものとします」
「それは、もう、結婚とか愛し合うとか、絶対無いだろうが……」
「ですよね。では、彼に馬鹿なことをさせられる機会があるとすれば? そして、処罰の内容まで周到に根回しした上で、彼を唆したのだとすれば? その後のことなんてどうでもよくて、ただ、どんな形でも、彼と結ばれたかった」
「……そんな人はいないんじゃないかな。考え方が破滅的すぎる」
「でも私の解釈だとそういうことなんです」
オリヴィアは背中からアイテールを抱きしめた。
「私たちティターニアって、たぶん、欲しいのに、どうしても手に入れられないものを、永久に求め続ける、そういう種族なんです。一人一人愛したいし、愛されたい。世界を愛したいし、愛されたい。だけど、それも叶わず、ひとりぼっちになるぐらいなら……心に決めた本当に好きな人、特別な誰かを巻き込んででも、望みを叶えようとするんでしょう。そう。私もオリジナルと同じ、ティターニアです。お姉様にも……オリジナルと同じようなご迷惑をかけるかもしれません。それでも、信じていてくれますか」
今も大分迷惑しているが、などととは、アイテールにはとても返せない。
それは己の始祖たるティターニアの末路を下敷きにした、オリヴィアの絶望の言葉だった。
アイテールにはそう聞こえた。
己のどうしようも無い性向を、オリヴィアはどうしようもなく受け止めていた。
このままでは幸せな未来などないと、欲しいものは手に入れられないまま終わると確信していた。
そうしてひとりぼっちで死んでいくのだと。
「……オリヴィアはひとりぼっちになんかならない。安心して」
金色の髪を翻す。
オリヴィアの膝の上で姿勢を変えて、真正面から向き合い、彼女の上に跨がった。
それから彼女を抱きしめた。
首筋にキスをして、髪を撫でてやり、美姫に囁く。
「何を言われても、きっと心の底では、まだ『市長』が務まるのかどうか不安なんだろう。上手く行かない可能性もある。とんでもない大破壊が訪れるかも知れない。無いとは思うが、もし海洋プランクトンが絶滅したりしたら、都市は飢えて乾く。市民は大混乱に陥り、暴徒になって殺し合うだろう。オリヴィアを吊るしあげようとするかもしれない。皆が君を嫌い、糾弾するかもしれない。でも、そうなったとしたら、オレはオリヴィアを迎えに行く。ぜったいに助ける。どんな状況でもだ。そして都市を捨てて一緒に逃げる。オリヴィアは泣き虫だから、放っておいたらずっと泣いてるだろうから。そんなの可哀相で、オレも辛くて、放っておけない」
「お姉様……慰めにしては敗北主義的ですよ?」
「どうにもならない世界でも、もうこれ以上どうしようもないってことになったら、都市なんて捨ててしまっても良いんだ。君にどうしようもないんなら、誰にもどうしようもないんだから。その時は、合図してほしい。その時が、イージスとしての任務の終わりと受け取る。君がどんな状況でも、必ず迎えに行く。ただ破滅を待たなくても良い。他にもっと良い道がある筈なんだ。二人で……でも、可能ならイージスの皆で考えよう」
黙りこくるオリヴィアに、アイテールは自分の体を持ち上げる。
そっと唇を重ねた。
啄む音が、一度だけ部屋の静寂を揺らした。
「でも皆がいなくても、オレだけはずっと君の味方だ。約束する。ずっと傍にいる。だから、怖がることは何も無いよ」
黒髪の乙女の頬を、涙が伝う。
「……じゃあ、待っています。何があってもお姉様を信じて、お姉様の愛を、信じ続けます。いつまでもお姉様を信じて、待っています。信じて……良いんですよね? 愛し合えなくても、そうしてくださると、信じて構いませんよね……?」
「オレが君を信じるように」
少女はオリヴィアを見上げて、微笑んだ。
「君も信じてほしいな。アイテールを……」
胸に手を当てて、目前の乙女に誓った。
「君を慰めることも満足に出来ない、この不出来な騎士の末裔を、信じてほしいんだ」
思ったより長くなったのでその5で終わります。




