とある小説家の物語
葉桜が春の中頃を知らせる季節、工藤紫津葉は母との買い物を終わらせて家についたところだった。
重い荷物を台所へ置き、一息ついたとき、買い忘れたものを思い出した。
「コンビニ行ってくるね」
財布とスマホを手に、紫津葉は再び外へ出る。時刻は5時を回ろうとしているのに、まだまだ日は高く、暖かい。
紫津葉はふとスマホを起動する。画面には特にこれといって重要な知らせは入っていない。
1度深く息を吐き、ジーンズの後ろポケットへねじ込む。
紫津葉は、連絡を待っていたのだ。『起こせ』と言われて電話を掛けるが反応がなかったとある人の。
恥ずかしながら、紫津葉は恋だの愛だの、そういった感情と無縁だった。しかし、最近になり、よく話す相手ができた。
だが彼は好奇心の塊で、紫津葉を見ている、というよりこれから先どう変わりえるのかを見ているのだ。
それはつまり、紫津葉でなくても良いかもしれない。変われる人なら、良いのかもしれない。
彼はとても素直なので、言えばたぶん『かもな』と言うだろう。多少傷つくが、隠されるよりましである。
だが彼は、紫津葉を見つけ、眼を着けた。ならば紫津葉を見たのだ。1度でも。誰でも良かった変わりうる人材を、紫津葉に見出だしたのだ。
時々、いや、かなり彼の言動には動かされるが、最近気づいたことも幾つかある。
それは、彼自身も怯えている面があること。素直な分、傷つけたくないと思っていること。
初めから言われていたことだ。『俺はすげぇめんどくせぇやつだ』と。
つまりここからは紫津葉の問題だ。自分の気持ちにけりをつける。自分が傷つきたくないからと、彼を傷つけ、逃げることは自分自身が許さない。
なれば紫津葉に眼を着けたことを後悔させればいい。彼が逃げることは許すのだ。だが、紫津葉から逃げることはしない。負けを認めるなど言語道断。
紫津葉の考えがまとまりそうな頃、足はすでにコンビニ間近まで行っていた。
口の端に笑みを浮かべた紫津葉はコンビニの中へと消える。
彼と同じタバコを求めて。