なみだ
もしもきみの瞳にうつるその記憶のひとつひとつが、まるで宝石をはめ込んだように光り輝いていたら、まるで花畑に咲く花のようにたくさんの色で埋め尽くされていたとしたら、その瞳から零れ落ちる涙をひとつ残さず集めて僕は海を作るだろう。
その海のなんときれいなことか――――。
ある夏の日、とても暑い日のことだった。彼女は飼っていた犬が死んでしまったと言って泣いていた。彼女の翡翠色をした目から大粒の涙がこぼれていた。
驚いたことに、彼女の目は翡翠色をしているのに、涙は無色透明ということだった。絹のように繊細な彼女の頬をするすると滑り落ちるそれは、彼女の目のように美しい色を宿してはいなかった。
「ミラ」
名前を呼んでみても彼女は静かに泣くばかりで、僕を見てはくれなかった。
ついこの間のこと、彼女の父親が海の上で行方不明になってしまった矢先の出来事だった。
彼女は、ミラは、病弱だった。
悲しく辛いことがここ数日続いて、とうとう参ってしまったのだと、ミラの屋敷の人間から聞いた。
彼女はよく風邪をひいては寝込んで、だいたい10日もしないうちに帰ってくる。だから僕はいつもミラが喜びそうな花を摘んだり、小鳥たちの様子をベッドのミラに聞かせてやるのが日課になっていた。
僕には何もできないけど、それでも早く良くなってほしくて僕は毎日花を摘んではミラの住んでいる屋敷へ行っていた。そうすればいつもミラは帰ってきたからだ。
今度はミラは、眠っていることが多かった。
ミラの屋敷に15回目のひまわりを届けに行った日のことだった。屋敷のいたるところからすすり泣くような声が聞こえていた。
「…ミラ?」
彼女の寝ているベッドのそばには、彼女の母親が居た。静かな表情でミラを見つめていた。
僕に気付くと彼女の母親は僕に微笑むとゆっくりとミラに視線を戻した。
「ミラ」
いつもなら名前を呼べばすぐに目を開けてくれる彼女が、今日はとても静かだった。そう、彼女はとても静かだった。
呼吸をする音が聞こえない。彼女の頬から赤みが抜けている。
「ミラ」
もう一度名前を呼んでも、彼女はぴくりとも動かなかった。少しばかり笑っているような顔をした彼女はもう息をしていないのだ。
彼女の体はここにあって、どこも悪そうに見えないのに、ミラはただ寝ているようにしか見えないのに、二度と、僕の名前を呼ぶことはないし、翡翠色のきれいな目で僕を見てくれることはないし、その足で自分の好きな花を摘むこともしないのだ。
胸がきゅっと痛くなったような気がして、僕は思わず乾いたくちびるで息をした。喉にたくさんの石がごろごろと詰まっているような気がして、眉根に皺が寄った。
静かな表情で横たわるミラがゆがんで、僕の頬に熱いものがするすると流れ落ちるのがわかった。
僕は、泣いているのか。ぽたりぽたりと零れ落ちる涙が見えて僕はようやくそのことに気が付いた。
そのまま落ちる涙には、ミラの目の翡翠の色、髪のオレンジ色、僕が摘んだひまわりの黄色、コスモスの色、たくさんの色がついていた。
ようやく僕は気付いた。それは無色ではなかったのだ。その人の記憶が、涙になって溶け出しているのだ。
ああ、きっと彼女の流していた涙もたくさんの色をしていたのだろう。
彼女の目から零れ落ちる涙のなんと美しいことか、もう二度と彼女の涙を見ることはできないのだけど。
「お願いだよ、ミラ。もう一度目を開けて。ミラ。お願いだから」
何を言ってもミラはその目を開いてくれることはなかったけど、僕はいつまでも彼女の名前を呼び続けた。
きみの瞳にうつるその記憶のひとつひとつは、まるで宝石をはめ込んだように光り輝いていた。あるいはまるで花畑に咲く花のようにたくさんの色で埋め尽くされていた。
気付いていたのなら、その瞳から零れ落ちる涙をひとつ残さず集めて僕は海を作っただろう。
その海のなんときれいなことか、なんと美しいことか、灰色に乾いた僕はその海におぼれてあざやかに逝くのだ。
なんとなく思いつきで書いたらこんなことになりました。