9・恐怖の認定試験
俺とエレジーとテディは、『害虫認定試験』を受けることになった。
試験官のナノは、くりっとした目で俺たちを順番に見た。責任重大な任務の最中だというのに、まったく緊張感がない。
「試験なんて何年ぶりかな」
「何十年ぶりじゃなく?」
「失礼な。エレジーこそ何百年ぶりじゃないの?」
どさくさに紛れて参加した二人は、人の気も知らずに言い合いをしている。既に内定をもらっているのにお遊びで面接を受けに来た学生のような気楽さだ。うらやましい。
外から入ってきたとはいえ、今の俺はアバターの姿をしているわけだから、どうにでも言い逃れできると思っていた。しかし、だんだん自信がなくなってくる。何しろ画面の外と中では勝手が違うのだ。
ここで害虫認定されれば、鉄腕ナノにぶっ飛ばされ、俺のぽこぽこライフは終わってしまう。終わっても何も困らないが、無抵抗のまま負けるのは嫌だ。
「では始めます。今から言う問題に答えてください」
ナノは胸の前で手を組んで言った。机も解答用紙もなく、立ったまま行うらしい。
一体どんな試験なのか。俺はナノの言葉に耳をすませた。
「まず、シロナガスクジラを三十匹、コビトジャコウネズミを二百匹つなげます」
はい?
聞き違いか。いや、確かにそう言った。
そんなもの、タウン内にいただろうか。いたとして、何十匹も何百匹も捕まるものだろうか。
横目でエレジーとテディを見るが、二人とも平然と聞いている。
「つなげた長さを、1カロレスピンとします」
あ、続きがあったのか。
カロレスピンといわれてもさっぱりわからないが、要するに今だけそういう単位を作りましたよ、ということだろう。
ふんふん、それで?
「地球を八十周するには何カロレスピン必要か、今から三分で答えてください」
なるほど、暗算の問題か。三分という時間制限はちょっと厳しい。それ以前に、1カロレスピンの正確な値がわからない。ネットで調べれば、そのクジラとネズミの平均的な大きさがわかるのだろうけれど……。
そこまで考えてはっとする。これは暗算の問題ではない。
俺以外のプレイヤーは、ぽこぽこタウンをやりながら同時にもうひとつウィンドウを開いて、他のサイトを検索できる。電卓で計算もできる。場合によっては、そばにいる人や家族に手伝ってもらうこともできるのだ。
やられた。これは圧倒的に不利だ。
「では始め」
ナノの合図と同時に、俺はその場で固まった。エレジーやテディの動きは見ず、心を無にする。作り物の空に描かれた星を見つめ、時間が過ぎるのを待った。
これでいい。これでいいはずだ。
地球の外周の距離を調べて、それを八十倍にして、シロナガスクジラとコビトジャコウネズミの大きさを調べて、それぞれ三十倍と二百倍にしたものを足して、前者を後者で割る。
肝心なのは答えではない。ちゃんと調べている「ふり」をすることだ。
おそらくは、それを見るためのテストなのだ。そうに違いない。
俺は自分のアバターをほったらかしにして、他のサイトを見ている。……ふりをする。
どうにかこうにかそれぞれの長さや大きさを調べて計算しようとしたけれど、三分では間に合わない。……ふりをする。
直立姿勢のまま、できるだけ表情を変えず、俺は待ち続けた。
「はい、そこまで」
ナノが言った。あっという間に三分が経過したらしい。
俺のほうへ歩いてきて、青いワンピースの裾を持ち上げておじぎをした。俺もぺこりと頭を下げる。
「プリズムさんから答えてください」
俺は考えるそぶりを見せ、六百カロレスピン、と答えた。
「そうですか」
ナノは言い、俺をじっと見た。合っているとも間違っているとも言わず、俺の前から動かない。よほどかけ離れた数字だったのだろうか。
「あの、調べたんだけど間に合わなかっ」
「もういいです」
ナノはきっぱりと言った。
「まだ三分経ってないんですよ」
「へ?」
ナノは横に目を向けた。視線の先を見ると、エレジーとテディは人形のように立ったままだ。ぞっとしてナノに目線を戻した。ナノは微笑んでいる。
「二人には聞こえてません。見えてません、と言ったほうが正しいでしょうか」
心の中を冷や汗がつたっていく。やってしまった。いや、はめられた。
ぽこぽこタウンには、音声チャット機能がない。プレイヤーは皆、文字とアクションだけでやりとりをする。つまり、画面を見ていなければコミュニケーションが成立しないのだ。
「私が問題を出した時点で、たいていの人はまず、シロナガスクジラとコビトジャコウネズミをネットで検索すると思います。あなたもそう考えたんですよね」
「……はい」
「そうすると、ぽこぽこタウンのウィンドウの上に、もうひとつウィンドウを開いて検索しますね」
俺はうつむいた。そうだ、ごく当たり前のことだ。
調べ物をしている間、ぽこぽこタウンの画面は下側になって見えなくなる。画面の中で誰かが話しかけてきても、音や声がしないからわからない。
そこを俺は、不用意に反応してしまったというわけだ。
「初めて会った時から、変わった人だと思ってました」
それはこっちも思っていたのだが。
「チャットやアクションが異常に速いんです。ずっと画面を見て張り付いていても、あそこまで速くはできません。本人が画面の中にいて、アバター目線で動いていなければ無理です」
「テディがそう言ったのか」
「いいえ。私が考えたことです」
なるほど。今まで何度もナノと目が合ったのは、偶然ではなかったのだ。監視に気づくどころか、俺に気があるんじゃないかとか、それもまんざらじゃないとか、アホなことを考えていた。
ナノは俺を見つめる。その仕草も、俺の反応を見るためだ。
しらを切り通す方法はないか。考えても考えても思いつかない。
残念ながら、ゲームオーバーのようだ。
「じゃ、俺はそろそろ」
帰ります、と言いかけたところで、ナノが手を振り上げた。とっさに後ろに下がらなければ、あのゴキブリや甲虫と同じように、俺も脳天をかち割られるところだった。
目の前の足場に拳を振り下ろし、ナノは俺を見上げた。
「素早いですね。マウスの操作ではついていくのが大変です」
大変です、と言われても、殴りかかられたら誰だって逃げる。俺はサンドバッグではない。
「あなたは害虫です。よって、駆除の対象になります」
ナノの声が頭に入ってきて、文字に変換される。
害虫。駆除。
落ち着け。駆除って、追い払うって意味じゃないのか。なぜに殴る。なぜに殺す。
「プリズム、行くよ」
エレジーが俺の横に走ってきて言った。透き通った紫色の袖をはためかせ、夜空に向かって手を伸ばす。
「お前、いつから動いてたんだ」
「最初から。クジラとかネズミとかどうでもいいし」
ナノが立ち上がり、再び拳を振り上げる。俺とエレジーは同時に唱えた。
「ぽこぽこワープ!」
体が回転を始め、風を生み出す。絵のような背景の中に、体がほどけていく。全てが作られたものだとしても、この感覚は本物だ。空気があって、肌に触れて、その中を動いていく、この感覚だけは本物だ。
テディが飛び跳ねながら叫んでいる。
「1526カロレスピン! 1526カロレスピン!」
その姿も声も一瞬で消える。どこへ行くのかわからないまま、俺は細長いリボンのように空間を突っ切っていった。