8・ぽこぽこタウンの平和を守るため
ぽこぽこタウンでは、誰でも自由にイベントを開くことができる。当然、参加するほうも自由だ。どえらい客が来てしまうことだってある。
青いワンピースの女の子と、テディ。
アバターはみんな体の大きさが同じだから、顔がちょうど横並びになる。女の子のくりっとした目と、テディの重たげな目が、そろってこっちを見ている。納得できないツーショットだ。
「課金してデートしてもらってるの?」
エレジーが言った。テディはデフォルトの『怒る』仕草をぎこちなくやってから、違うよ、と言う。
「ナノさんがね、プリズムのことでいろいろ聞きたいって言うから」
「ちょうどそういうイベントをしていたみたいで、助かりました」
ナノと呼ばれた女の子は、ぺこりとおじぎをした。俺は思わずおじぎを返したが、エレジーはむすっとして動かなかった。
人の波が引いてみると、即興で作ったブロックの足場はそれなりに広い。ナノは丸めた布を出してきて、広げ始めた。薄汚れた、白い大きな布だ。
「これ、プリズムさんのですか」
「え、何が」
「この靴下の中から、巨大な甲虫が出てきたんです」
靴下? 言われてみると、確かに靴下の形をしている。ゴムのゆるんだ口はアバターが二人入ってもまだ余裕がありそうな大きさだ。しかし生地は相当くたびれて、爪先のほうは色も変わっており、とてもじゃないが寝袋代わりにはしたくない。
「誰かが外の世界から、この靴下を持ち込んだのです。そこに虫が付着していて、害虫騒ぎになったというわけです」
ナノは丸い瞳で俺をじっと見た。これはアバターだ、と何度思っても、目を合わせるとやっぱりそこに人格を感じてしまう。
「外から入ってきたものは、こちらに合わせて縮むとは限らないんです。あまり大きいとシステムに不具合が生じたり、誤作動の原因にもなります」
「ふーん。でも今のところ何も起きてないし、虫はきみが倒したし、問題ないんじゃない?」
「そういうわけにはいきません」
ナノの目と眉が、きりっとつり上がる。お、可愛い。しかしテディが前に進み出て、俺とナノの間に入ってしまった。
「つまりね、こう言ってるんだよ。こんな汚い靴下を持ち込むのはプリズムしかいないって。プリズムイコール靴下、靴下イコールプリズム」
靴下なんてどこにあるの、とエレジーが言った。
テディは俺からエレジーへ、糸を引くように視線を動かした。
「このでかくて汚いのが靴下だよ。さっきからそう言ってるじゃん」
「えー。エレジーの画面には映ってないよ?」
「きみのパソコンがおかしいんだろ」
エレジーは飾りでいっぱいの帽子を揺らし、かぶりを振った。
「テディのところにだけ表示されてるんじゃない?」
「そんなわけないよ。今、ナノさんが出してきたんだから」
「さあ。エレジーは知らない」
ナノは頬に手を当て、目を閉じた。それからまた俺をじっと見た。
「もう一度聞きます。この靴下はあなたのですか」
俺はナノを見た。画面の外からは、ちょっとした目線や表情の動きなんてわからない。こうして話していることも、文字になって浮かんでいるだけなのだ。
よし、嘘をつこう。
「エレジーの言うとおりです。靴下なんてどこにも見えません」
ナノは黙って俺を見ている。いつの間にか、背景が星空に変わっていた。
あんなにたくさんいた人たちは、もうログアウトして眠っているのだろうか。それともどこかの広場で、仲間を探してうろついているのだろうか。
わかりました、とナノは言った。
「靴下のことはもういいです。プリズムさんは外から入ってきたんですか」
「ちょっと、質問は一人一つだよ」
エレジーが腰に手を当てて言った。
「ほかのみんなも守ってたよ。運営だからってズルはだめ」
「私は運営ではありません」
ナノは俺に向き直った。空が夜になっても、辺りは暗くならない。より鮮明に、ナノの顔が浮かび上がって見える。
「もし俺が外から来たんなら、どうする?」
「出ていってもらいます」
ナノはきっぱりと言った。
害虫害虫、とテディが囃し立て、走り回る。
正直、そろそろ飽きてきたから外の世界に戻ろうかと思っていた。庭で作る野菜やパンもおいしいけれど、コンビニの唐揚げやポテトチップが恋しい。
しかし、自分から出ていくのと、出ていけと言われるのは違う。可愛い女の子に命令されるのは嫌いじゃないが、テディごときのタレコミで追い出されるわけにはいかない。
俺はにやりと笑った。にやりと笑ってサマになる顔になっていて良かった。元の顔だったら即追放、いや極刑レベルだろう。
「やれるもんならやってみな」
完全にハッタリだった。俺は外から来たんだし、靴下も虫も俺の部屋から紛れ込んだのだろう。靴下が部屋に脱ぎっぱなしで、しかもそこに虫がついている。相当なマイナスポイントだ。
ナノはひゅんと飛び上がり、手を振り上げた。巨大な甲虫にKO勝ちしたその手で、俺を叩き割ろうとしている。待て、それはちょっと、待ってほしい。アバターは叩かれても平気だが、虫は死んだ。俺はどうなるっていうんだ?
俺がこの世界で死んだらどうなる?
ナノは俺を素通りし、ブロックの上に飛び乗ると、垂れ幕を付け替えた。
『プリズムだけど何か質問ある?』
と俺が汚い字で書いたのを外し、
『害虫認定試験』
と綺麗な明朝体でタイプされたのをつるした。そして軽やかに下りてくると、丸い目を細めて笑った。
「それじゃ、始めましょうか」
「な、何を?」
「ぽこぽこタウンの平和を守るため、アバターと害虫は正確に区別しなければなりません。そのためのテストです」
なんだ。一瞬、死をも覚悟してしまったではないか。
へなへなと腰が抜けそうになるが、二頭身なのでそんな複雑な動きはできない。
「よし。受けて立とう」
俺は棒立ちのままで言った。
「面白そう。エレジーもやる」
「じゃあ僕も」
エレジーとテディがぞろぞろと俺の横に並んだ。良かった、これで少しは心強い。
……いやいやいや、違う違う。こいつらが出てどうする。そもそもテディは俺をナノに突き出して賞金をもらうのが目的だったはずだ。
「細かいことはいいからさ、早く始めようよ」
テディが言い、エレジーもうなずいた。
ナノは垂れ幕の真下に移動し、集団面接のように俺たち三人と向かい合った。
よくわからないが、ここは負けられない。テストでも何でも受けてやろう。
ぽこぽこタウンの夜はふけていく。こいつらは一体、いつ寝ているのか。