7・プリズムの人生相談
成り行きで、イベントを開催することになってしまった。『プリズムだけど何か質問ある?』と書いた垂れ幕の下に座っていると、最初の参加者がやってきた。
「こ、こんにちは」
白目がちな鋭い目にスキンヘッドという外見に似合わず、ささやくような声でその男は言った。
「あの……服、どこで買いました?」
「え、俺の?」
「はい」
俺が着ているのは、黒地にネオンカラーの模様がついたスーツで、この男にはとうてい似合わない。まずは顔を変えてきなよと言いたいところだが、いくら何でも不躾すぎるだろう。
「そこにいるエレジーがくれたんだけど」
「あ、それギフト専用」
エレジーはぴしゃりと言った。
男はつるつるの頭を動かして、エレジーを見て、俺を見て、後ろに並んだ人たちを見る。プレゼントするよ、と誰かが言い出すのを待っているらしい。
友達に頼んでみれば、と俺は言った。男は黙ったまま二、三度おじぎを繰り返し、後ずさりながら帰っていった。
「友達いないんだね。悪いことしちゃったね」
見ればわかることを、エレジーがわざわざ言ってしまった。気の毒に、あの男はこれからくだらないコミュニティを渡り歩いて、ろくでもない友達を必死で作るかもしれない。
今度は黄色い縁の眼鏡をかけた男がやってきた。帽子もスーツも黄色でそろえている。
「リトルPって知ってる?」
黄色い男は腰に手を当てたり、反り返ったり、わざとらしいポーズを決めながら言った。
知りませんね、と俺は言った。
「ちょっと前に話題になったユーザーだよ。大量の害虫を持ち込んで利用停止になったんだ」
「へえ」
害虫という言葉を聞いただけで、なんとなく気分が悪い。
男は構わず話し続けた。
「本人はもういないけど、害虫はどこかに隠したらしくて、まだ駆除できてないんだってさ。そのうちうじょうじょ沸いてきたりしてね」
そうですか、と俺は言った。それきり黙っていると、男はまた何度かポーズを決め、眼鏡をきらきらさせるアクションを見せた後、帰っていった。
次にやってきたのは、おさげ髪の女だった。はいこんにちは、と俺は言う。
「こんにちは。あの、私のことどう思いますか」
出た。この手の質問。ネット世界にはこういう人が少なからずいるのだ。
「うーん、目が大きくて髪が長くて白いワンピースとネックレスとブレスレットと帽子と靴が似合ってると思うよ」
「それって可愛いってことですか?」
「はいそうです。次の人どうぞ」
次に来たのは、茶色いウエーブヘアに物憂げな目をした男だった。
「モテなくなるにはどうしたらいい?」
と、また喧嘩を売っているような質問である。変な顔のアバターに変えたら、と俺は言った。
「いやアバターの問題じゃないし。リアルでも毎日女が寄ってくるし。好きだとか結婚してとか言われるし。顔も覚えられないほどたくさん。風呂にもトイレにも寝室にも。ペットボトルの中にもたくさんいる。どうしたらいい?」
「最高じゃないか。はい次の人」
早くも嫌になってきた。帰っていく人と上ってくる人で階段はごった返し、全員が進んだり戻ったり、奇妙な動きを繰り返している。
「エレジー、お前も手伝え」
と言って振り返ると、エレジーはすでに二号店の準備をしていた。俺のよりはるかに豪華な紫の垂れ幕に、ハートやスペードの飾りを付けている。しかしその動きもご多分に漏れず遅い。エレジーが動き回るせいで、ほかのアバターの動きもさらに重くなる。
次の客は、ぽってりした唇と泣きぼくろが特徴的な女だった。左右に回りながらおじぎをして俺の前に立つ。珍しい動作だ。課金者か。
「間違えた」
抑揚のない声で女は言った。唇がもそもそと動く。
「私。違った。彼氏いるって言わなかった。でも。そうじゃないかって。行かない。そういうのじゃなくって。そうなのかな?」
はい、と俺は言った。
「だけど。そういうのも。私は。気をつけてる。家族とかお肉とか。どうしたらいいのかな?」
それでいいんじゃないですか、と俺は言った。それでも女は話し続ける。いつまでたっても同じ調子で、日本語が完成しない。後ろがつかえて、動きが最高にのろくなってきた頃、ようやくエレジーの準備ができた。
俺は両手をぱんぱん叩いた。
「はいはい、あっちもどうぞ。むしろ全員あっちにどうぞ」
これで少しは早く片付くだろうと思ったが、広くない空間にブースが二つあり、俺とエレジーがいて、客もそれぞれに入ってくるので、もう電池切れのようにしか動かない。
「それはイカトミ病だよ」
ふと耳を傾けると、エレジーが客に話して聞かせていた。
「イカトミ病になると、イカトミ歩きしかできなくなる。顔もイカトミになってしまう。至急、東の長者のところへ行って、まじないの言葉を教えてもらいなさい」
四角い顔に髭を生やした男のアバターは、それで納得したらしい。黙って帰っていき、次の客がやってくる。
「妻が急に口をきいてくれなくなったんですが、どうしたらいいんでしょう」
「あーそれは、こしあんの呪いだね。つぶあんだけを二十日間食べ続けなさい」
「どうしたらえへへ、たくさんのオンナとうほほ、うはうはできますか?」
「それは目だよ。あなた自分の目、見たことある? 片目をえぐり取り、火にくべなさい。それは猛々しいライオンに変わり、あなたに知恵と勇気を授けてくれます」
おいおい、と思ったが、エレジーのブースは順調に回転している。なんだか悔しくなり、自分の客に向き直った。黒髪で垂れ目の女がそわそわしながら立っている。
「お待たせしました、どうぞ」
「あの、あの」
「はい」
「そっちのエレジーって人、何ですか?」
女は隣のブースをちらちら見ながら言った。フレンドだよ、と俺が言うと、急に奇声を上げて飛び上がった。
「あの、萌えますよねっ」
「は?」
「萌えるんです。プリズムさんとエレジーさん見てると、もう、居ても立ってもいられなくなって……あああっ」
わけがわからない。俺は椅子に座ったまま、若干後ろに引いた。
「あのですね、私の中では、プリズムさんは誘い受けなんです。エレジーさんは、ちょっとツンデレ寄りの誘われ攻めで、普段はプリズムさんに負けたくなくて上から目線なんだけど、プリズムさんが困ってるのを見るとにやにやしながらやっぱり助けずにはいられなくて、あのっあのっ」
「ストップ。続きは薄い本でやってくれ」
「え。だって需要ないですよ?」
女はさらりと言い、そのまま動かなくなった。もしもし、と呼びかけても反応がない。操作主が電話やトイレで席を立ち、放置してしまったパターンだ。そしてまた、後ろがつかえている。
「あっ、すみません。自分で言っててすごく萌えたので、ブログに書いてきました」
女はぴょこんと動き、小刻みに何度もおじぎをしてから去っていった。
そうこうしているうちに、人の波が落ち着いてきた。エレジーの不親切な回答で、大部分がさばけたらしい。
空はまったりと夕暮れている。ぽこぽこタウンには季節がない。エリアによって、夏の海や雪原があったりするけれど、それは銭湯の壁に描かれた富士山のようなもので、気候や気温の移り変わりが感じられるわけではない。
そのせいなのか、ここの奴らはみんな、自分の内面にしか興味がないようだ。今年は冷夏なのかとか、学校の給食で何が好きだったとか、ポマトは実在するんだとか、そういう話ならもうちょっと答えようがあったのだけど、まあ仕方ない。
「それは全部、イプラスゥトラの陰謀だから、一日百回、月に向かって青汁を飲みなさい」
エレジーが回答を終え、最後の客が帰っていった。思い切り伸びをしたい気分だったが、アバターの体はあまり伸びない。腕が頭の上に回らないのだ。
お疲れ、と言おうとして、もう一人、いや二人、新たに階段を上ってくるのが見えた。エレジーの赤い目が、監視カメラのように動く。
夕焼け空を背景に、テディがやってくる。薄笑いを浮かべて、誰もいなくなった階段を悠々と上ってくる。
一緒にいるのは女の子だった。こげ茶色の髪にくりっとした瞳、青いワンピースの似合う、あの女の子だ。
「僕もね、質問をしようと思って」
テディは階段を上りきると、眠そうな目で俺をじっと見据えた。
「プリズム、きみは、害虫だろう?」