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17・帰ってきた世界

 卵の殻を破るように、パソコン画面から飛び出した。そこは俺の部屋ではなかった。

 それだけでは済まず、またもや困った事態になった。


「もしもーし。大丈夫ですか」


 茶色いパーカを着た、お下げ髪の少女が仰向けに倒れている。額にあざができているところを見ると、俺が頭突きを食らわせたらしい。肩を揺さぶってみたが、固く目を閉じたまま動かない。


 こざっぱりとしたカーペットの上に、パソコン机と椅子だけがある。ついたてのような簡素な壁に囲まれた部屋は、人が二人入るのがやっとの広さだ。


『穴があるのは自分のパソコンだけだと思ってた?』


 テディの言葉が蘇る。

 はいはい、その通りですね。わかってはいたが、まさか見知らぬネットカフェ、しかも人が使っている部屋に放り出されるとは思わなかった。


 パソコンの画面には、ぽこぽこタウンの広場が映っている。慣れ親しんだ空と芝生の色、そして流行りの服を着たアバターたちが駆け回っている。ほんの数分前まで、自分もこの絵の中にいた。その自分を、みんながこうして外から見ていたのだ。


 倒れている少女に目をやる。高校生か、大学生ぐらいだろうか。ぽこぽこタウンでチャットをして、買い物をして、ミニゲームをして、たわいもない時間を楽しんでいたのだろう。

 俺はそっと部屋をあとにした。


 店を出ると、見覚えのある建物や看板が目についた。最寄り駅のそばだと気づき、胸をなで下ろす。下手をしたら北海道や沖縄、いや、海外に出てしまう可能性だってあったのだ。


 商店街を歩き、八百屋や惣菜屋の前を通る。夕日の差す通りを、子ども連れの女性や会社帰りのサラリーマンが歩いていく。

 仕事、と思いかけ、有給消化のために長期休暇をもらっていたことを思い出す。それで暇つぶしに何か面白いことをしようと、パソコン画面に体をねじ込んだのだ。よい子は真似しちゃいけません。


 焼き鳥やラーメンのいいにおいが漂ってくる。小腹がすいた、と自然に思いながらも、まだ自分の体ではないような不思議な感じもする。妙に細長くて安定が悪くて、一歩一歩がもどかしい。


 ポケットの中に何かがあった。

 取り出してみると、小さな鞄の形をした箱が、手のひらにちょこんと乗っている。

 エレジーのスーツケースにアイテムを詰めて回ったことを思い出し、何ともいえない気分になった。

 反対側のポケットや、ズボンの後ろもさわってみたが、財布以外は何も入っていなかった。ぽこぽこタウンから持ち出せたのは、結局この箱ひとつだったらしい。それも小さすぎて、いくら引っ張っても開けられない。


 全てのものが、世界間をうまく行き来できるわけではない。俺が行って帰ってこられたのも、きっと奇跡なのだろう。

 エレジー、テディ、ナノ。

 彼らは移動の重圧に耐えきれなかったか、途中で消滅してしまったのかもしれない。

 それで良かったのだ。あんな奴らが人間になって飛び出してきたら、害虫どころの騒ぎではない。


 そう、これで良かったのだ。


 ぐっと背筋を伸ばし、コンビニに入った。聞き慣れた入店音に、頭が少し冴える。

 人が立ち並ぶ雑誌コーナー、お菓子コーナーを抜けてレジへ行くと、顔なじみの店員がいた。前にここでバイトをしていた時、同期だった女の子だ。

 いつもの、と言うと、彼女は怪訝そうな顔をした。


「いつものだよ、唐揚げのL。そこにあるじゃん」


 彼女は首をかしげながらケースから唐揚げを出し、俺の顔を見て、あっと声を上げる。


「山本……くん?」

「そうだけど」

「え……何か……何か」


 彼女はまじまじと俺を見つめた。それから笑顔になり、唐揚げを袋に入れて差し出す。


「一瞬わかんなかった。痩せたよね? 髪も変えた?」

「えっ」

「びっくりしたあ。でも似合ってるよ」


 彼女は照れ笑いを浮かべ、また来てね、と言った。

 何なんだ、俺の顔に何かついてるのか、と思いながら、袋と釣銭を受け取ってレジを離れた。出口を抜ける時、ちらっと店内の鏡を見ると、信じられないものが映っていた。


「えっ……」


 思わず足を止めた。小さい鏡だが、はっきりとわかる。整った輪郭に、やや長めの髪。目は二重、口は片側がキュッと上がっている。


 これは俺ではない。

 俺は、山本吾郎はもっとたるんだ顔をしていて、髪はぼさぼさ、無精ひげを生やした冴えない男だった。いつも気の抜けた格好をして、腹も出ていたはず。


 自分の体を見下ろして、また仰天する。

 なんと、俺は痩せていた。元のサイズの半分とまではいかないが、胴体も手足も二割ぐらいは細くなっている。さっきからひょろひょろして歩きづらいと思ったのは、このせいだったのだ。

 そして、買った覚えのないシャツを着ている。派手な色模様とストーンチャームのついた、黒いシャツだ。エレジーにもらった、あのネオンカラーの服にどことなく似ている。


 これは。


 髪は青くないし、目も水色ではないし、顔もつるつるではないし、体型も二頭身ではない。毛穴もあるし爪もある、関節もあって複雑な動きもできる、紛れもない人間だ。

 しかしこれは、ひょっとしてこれは……。


 俺は走った。商店街を抜け、大通りを渡り、公園を突っ切り、住宅街を駆け抜けた。

 予感が渦巻き、胸が高鳴った。

 この感じは何だろう。歩道を踏みしめて走っているのに、冷たい風が耳をかすめていくのに、すれ違う人たちの声や息づかいが聞こえるのに、まるで何もないみたいだ。

 まるで体がほどけ、空気に溶けていくみたいだ。懐かしい場所へ、飛んでいくみたいだ。


 アパートにたどり着き、階段を一気に駆け上がった。体中が熱く汗ばんでいる。電気の灯った廊下を、自分の部屋まで走っていく。


 誰もいないはずの部屋から、話し声が聞こえてきた。


「これがプリズムのパソコンかあ」

「エレジーさん、こっちのほうが面白そうですよ」

「何それ、ちょっと開けてみよう」


 懐かしく、確かな気配と声がした。

 俺は勢いよくドアを開けた。


「お前ら、人の部屋で何やってんだ!」

次回、最終回となります。

あと一歩、お付き合いいただけたら嬉しいです。

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