16・さらばぽこぽこタウン
ピンクのブタが俺とテディを乗せ、水色のアルパカがエレジーとナノを乗せ、ぽこぽこタウンの空を舞う。
このまま優雅に散歩していたいところだが、状況は差し迫っている。早く、一刻も早くここを抜け出さなければ、みんな消えてしまう。
俺は上空を見据えた。色が抜け落ちたようなすき間が、今ははっきりと見える。元の世界へ通じる穴だ。着実に近づいてはいるが、あと一歩届かない。
「ぽこぽこワープじゃだめか?」
後ろにつかまっているテディに聞いた。テディは古いテレビに映るゴーストのように、顔が半透明になっている。最強半透明ソルジャー、なんて称号があるなら真っ先にもらえるだろう。
「だめだよ。ここはもう画面外だからね」
風をとらえ、ブタが上昇する。先を行っていたアルパカに、ようやく並ぶことができた。ふかふかの背中の上で、エレジーとナノはまだ刺叉を振り回し続けている。
「パスタみたいに巻き取ってみてはどうでしょう」
「貸して。エレジーがやる」
「くれぐれも慎重に。壊したら意味ないですから」
性懲りもなく、空に描かれた虹を取ろうとしているようだ。エレジーは両腕が途切れ途切れに、ナノは後頭部が消えかけて絶壁のようになっている。全員ゾンビになるのも時間の問題だ。
二人の動きを見て、はっと気づいた。狙っているのは虹ではない。アルパカの鼻先から数メートル上にある、あの亀裂だ。
「エレジー、もっと右!」
俺はまたがっていた足をほどき、ブタの頭の上に立った。鮮やかな空と虹に目がくらみそうになる。亀裂は開いたり閉じたりを繰り返し、時々歪んで空に溶け込む。刺叉の先がかすっては離れ、あと少しのところでうまくいかない。
エレジーは亀裂の端を突きそこね、刺叉を落とした。
「うわ、とと」
ぐらぐら揺れるブタの上で、落ちてきた刺叉をなんとか受け止める。握ってみて、ぎょっとした。
柄の部分に、指のようなものがこびりついている。エレジーを見ると、両手首から先がなくなっていた。
キモいね、とテディが言った。その薄笑いを浮かべた顔も、輪郭を失いかけている。俺は背伸びをし、爪先で立った。ちょうど亀裂が開き、白黒のモザイク模様が見えている。
今だ!
刺叉を振り上げ、亀裂の真ん中に突き刺した。ぐっと確かな手応えがあり、魚を釣り上げる時のような抵抗を感じた。
あれほど自分を追い詰めた刺叉が、唯一の命綱になるとは思ってもみなかった。
「絶対に逃がさないと念じるんです!」
ナノが言った。頭の半分が消え、青いワンピースも空とほとんど見分けがつかなくなっている。
刺叉を握りしめ、引き寄せた。亀裂が近づいてくる。伸びたり縮んだり、ちぎれそうになりながら、空を滑り降りてくる。
テディが俺の腰をつかんで引っ張った。二人で尻もちをつき、ブタの背中でぽよんと弾んだ。
見上げると、石でできた断層のような、不自然な線がすぐそこに浮かんでいる。亀裂だ。
刺叉を置き、しっかりと目でとらえた。空間が歪んでいるのか、俺が震えているのか、灰色にぼやけて見える。
ようやくたどり着いたのだ。
「行くよ!」
エレジーがアルパカの頭を蹴って飛び、亀裂の端にしがみついた。ナノが反対の端に飛びつき、両手でこじ開ける。
俺はスーツケースを持って立ち上がった。モザイク模様の穴に向かって、風が吹き込んでいる。ここを抜ければ元の世界だ。俺は害虫ではなくなる。そして、プリズムでもなくなる。
コンビニのポテトチップと唐揚げが好きな、山本吾郎に戻るのだ。
ブタの頭ごしに、一度だけ下を見た。見ずにはいられなかった。
明るい色の屋根と緑の庭が、どこまでも続いている。広場には花が咲き、大きな犬のオブジェがある。きらきらした外装の店が建ち並ぶ通りでは、新着アイテムを身につけたNPCが客を呼ぶ。遠くには海が広がり、規則正しい波の上をイルカが跳ねる。反対側のほうには雪山があり、吹雪いても吹雪いても尽きることがない。
丸い頭のアバターたちが街を行き交う。海辺のカフェで男と女が出会う。庭でトマトを収穫し、あっという間にトマトパスタを作って食べる。広場でトランポリンをして遊ぶ。どこかで誰かがイベントを開く。話している。戦っている。走っている。集まってくる、人、人、人。復旧したことを喜びながら、でもそれも一瞬で忘れて、増えていく人たち。
ここは画面外だから、向こうから俺たちの姿は見えない。見えていたとしても、気にとめない。奴らは自分の内面にしか興味がない。せっかくの仮想空間で、ナンパと愚痴と単純作業をひたすら繰り返す。
「早く」
誰かが言った。電子音のようにも聞こえた。エレジーとナノは亀裂の端に引っかかったまま、淡く点滅している。振り返ると、テディは着ぐるみを着た霧雨のようになっていた。
最後にもう一度、自分の家の屋根を見た。そしてスーツケースを抱え、大きく開いた亀裂の中へ身を投げた。続いてなだれ込んでくる気配。エレジーとナノとテディ、それにブタとアルパカも一緒だろうか。
後ろで亀裂が閉じた。光が消え、入れ替わりに強烈な痛みがやってくる。
しまった、忘れていた、これものすごく痛いんだった、やばい、心の準備をしていなかった、やばい、痛い、痛すぎる。
入ってくる時は、押しつぶされるような痛みだった。
今は逆に、頭と手足をクレーンハンドで引っ張られているようだ。骨を引きちぎり、関節をばらばらにし、肉を加工されるような痛み。
まぶたに金具を引っ掛けて首をめりめりと伸ばされ、腹を裂いて中に詰め物をされ、腰を締め付けて砕かれる。
やばい。生きて帰れる気がしない。