15・旅の土産に
「海の水が青いのは、アオイロヒョットコ族の陰謀だよ。今すぐ百億の星を引き裂き、海を血に変えてしまいなさい。そうすれば高波による被害は防げる。さあ、早く!」
意味のわからない演説で、エレジーがほかのアバターを引きつけている間、俺とテディは砂を掘り、金色のミミズや星形の魚、喋るドングリなどを漁った。今日から始まるイベント用のアイテムらしいが、復旧が遅れているせいでまだ誰も手を付けていない。
柔らかすぎる砂に俺が苦戦している一方、テディは目にもとまらぬ速さでアイテムを発掘していく。いつものぎこちない動きが嘘のようだ。
「ああ、あれはね。もたもた大魔王の称号をもらうために、わざともたもたしてたんだよ」
そんなわけがあるか。
テディのメダルやトロフィーは全部、俺の庭に埋めてきた。それでも、今ここにいるテディが、クマの着ぐるみを着たテディが消えたら意味がないと思ってしまうのは、俺がこの世界にのめり込みすぎたせいだろうか。
ナノは刺叉を磁石のように使い、店に並んでいる服や帽子や小物、キッチングッズ、そして店の外装までひっぺがして丸め、どっさり抱えてきた。
「それ、普通に万引きだよな?」
「さっきも言ったでしょう。アバターとりもちというゲームです」
エレジーの着せ替えコレクションは俺の部屋の床下に隠してきたので、スーツケースが空になった。そこに、集めたアイテムを押し込んでいく。庭でとれた野菜や果物を一番上に詰め、ぎりぎりで何とか蓋を閉めた。
「ぎりぎりと言えば、僕たちそろそろやばくない?」
テディは両手を突き出して言った。利用停止になったアバターは、体の末端から徐々に薄れて消えていくらしい。しかし、着ぐるみの手では判別できない。
「ナノ、お前はどうだ」
「画面ではよくわかりません。どうですか」
ナノは至近距離まで近づいてきて、前を向いたり後ろを向いたりした。セミロングヘアの後ろが心持ち薄い気もしたが、よくわからない。
「とにかく急ごう。おーい、エレジー」
「ボウフラは水から沸くのではない。鉛筆削りから毎晩抜け出してくるのです。防ぎたければリャオトン半島へ行き、伝説の光る黒鉛を見つけなさい」
「エレジー、行くってばよ」
ぐいと引っ張ったエレジーの腕は、先のほうがまだら模様になっていた。ところどころ透けて、後ろの景色が見えているのだ。
「ほれ見ろ、口が消えたら演説もできないぞ」
「でもこれちょっとお洒落じゃない?」
エレジーの服のハート模様が、ちかちかと点滅している。急ぎましょう、とナノが言った。帰り道につながる穴は、空の上だ。あまりゆっくりはしていられない。
樫の木のかげに、エレジーのアルパカが一頭と、隣の庭主にもらったブタが一頭、ぱんぱんに空気を入れた状態でつないである。
隣の庭主は俺が帰るのを惜しんで、珍しいハナタチブタやサカサブタも持っていくように言ってくれたが、丁重にお断りした。もらった一頭は大きくて肉づきがよく、綺麗なピンク色をしていた。
「さてと」
俺とテディはブタに乗り、エレジーとナノはアルパカにまたがった。
「本当にいいんだな?」
三人の顔を順に見て言った。丸くてつやつやの、アバターの顔。眉の後れ毛も虫刺されの跡もない顔が、そろってうなずいた。
「操作主がいいって言ってるんだから、いいんだよ」
エレジーが言った。
操作主か、と思う。今までも、その存在を考えなかったわけではない。好き勝手に動き回っているように見えても、彼らの後ろには人の手があり、思惑がある。服も顔も、言葉も動作も、画面の中にいる限り、操られるままになっている。
でもこれから、この三人には操作主がいなくなる。操作の及ばないところへ、俺が連れ出そうとしている。
ぽこぽこタウンの外へ。
「どうなるかわからないんだぞ。生きて出られる保証もないし、そもそもたどり着けるかどうか」
「いいよ、放っといたってどうせ消えるんだし」
テディがブタのロープをほどきながら言った。
「それよりさ、何で僕まで連れてくの? いらないよね、普通」
ぐっと言葉に詰まる。成り行き。空気。いらないとは言えない性分。何とも説明しがたい。
俺は黙って前を向き、ブタの頭をなでた。ブタは嬉しそうに体を揺らし、小さな声で鳴く。害虫駆除に追われた時も、空飛ぶブタに助けられた。動物に空気を入れて飛ばすなんて荒技、テディでなければ思いつかなかっただろう。
あの時は一人で目指した穴に、今は四人で向かう。
ふわりと風が動く。
見ると、エレジーはすでにアルパカのロープを切り、宙に浮かび上がっていた。
「プリズム、はやくー。ナノの後頭部がハゲちゃってるよ」
「マジか」
上空に目を凝らす。空の亀裂は相変わらず隣の庭との境目あたりにあるが、気のせいか前より遠く見える。
もたもた大魔王がようやくロープをほどききった。風に抱かれるように、体が持ち上がる。ブタが俺たちを乗せて、ゆっくり浮かび始めた。
スーツケースいっぱいに詰まったアイテム、ブタにアルパカ、そして一番持ち出したかったもの。
それは、アバターだ。
「プリズムも物好きだねぇ」
テディが眠そうな目をさらに細めて言った。
「アバターなんか、外の世界では頭でっかちの不細工に決まってるのに」
「ああ、特にお前はな」
顔を上げ、亀裂を見つめた。ゆっくりゆっくり、ブタは上昇を続けているが、思った以上に遠い。ついアイテム集めに精を出してしまったが、少し悠長すぎたかもしれない。
ちらっと後ろを見る。茶色い着ぐるみに覆われたテディの顔が、さっきよりも色白になったようだ。
「プリズムー、こっちこっち」
上方を行くアルパカの背に、エレジーとナノが立って手を振っている。何やってんだ、と俺は叫んだ。
二人は刺叉を空に向け、何かを取ろうとしているようだ。もこもこの毛の上でバランスをとりながら、獲物を狙うように何度も宙を突いている。
エレジーの服が激しく点滅する。俺はブタの頭をなでさすり、早く、早くと言い聞かせた。
エレジーの腕が透き通り、色模様を映し出す。虹だ。俺がここへ来た時と同じ、七色の虹がエレジー越しに見える。
頭がくらりとする。
亀裂の砂嵐が、視界の隅にちらついている。エレジーが、ナノが、テディが、全てが信号のように点滅する。
逃すわけにはいかない。俺はブタの耳を強く握り、足下から吹き上げる風に乗った。