14・グローバルドリームアイランド
「私は運営ではありませんよ」
ナノはメダルの山に腰かけて言った。小動物のような仕草と、丸くて可愛らしい瞳。この顔に何度殺されかけただろう。
嘘だあ、とエレジーが言う。
「その目も鼻も売ってないじゃん。服だって地味に見えるけど非売品だよ。運営専用じゃないの?」
「昔は売っていたんです」
ナノは頬に手を当て、懐かしそうに言った。
「あれは昔……ぽこぽこタウンがまだ、グローバルドリームアイランドと呼ばれていた頃のことです」
エレジーとテディの顔を見た。二人とも黙っているところを見ると、知らないらしい。俺も初耳だ。
「何それ。貿易施設?」
「いえ、BBSの名前です。わかりますか、電子掲示板。書き込む人がそれぞれ、自分用のアバターアイコンを持っていたんです。それが始まりでした」
ナノが言うには、当時は細かいパーツなどはなく、五種類ぐらいの顔の中から好きなものを選んでいたそうだ。
そのうち、キリ番を踏んだ人に専用アイコンがプレゼントされるようになった。それをうらやましがる人が増えたため、オリジナルのアイコンを有料で提供するユーザーが現れた。
「私の顔は、キリ番666を踏んだ時のものです。服は有料で買いました。青は珍しかったんですよ」
やがて、手軽なブログやコミュニティサイトがはやり出し、掲示板を使う人は少なくなった。
思い返せばそうだ。個人サイト同士でリンクを張り、お互いの掲示板を行き来して励まし合っていた時代は、嘘のように過ぎ去ってしまった。小さな商店よりもチェーン店やスーパーに人が集まるのと同じで、とにかく人がいるほうへ、利用しやすいほうへみんな流れていくのだ。
カイコオツ、とエレジーが言った。一瞬何のことだかわからなかったが、画面には『懐古乙www』と表示されたのだろう。
ナノは咳払いをして続けた。
「その後、グローバルドリームアイランドはブログサービスに変わりました。自分のアバターをブログペットのように使うことができたので、服やパーツを買う人も増えました。それから、背景を部屋のようにカスタマイズできるようになって」
「今みたいなオンラインゲームになったわけか」
最初はブログとチャットだけだったのが、スクラッチやスロットのような簡単なミニゲームが作られ、少しずつ利用者が増えた。
そして街ができ、アバターを自由に歩かせられるようになると、爆発的な人気となった。
「私は音楽ブースが好きでした。mp3データをアップして、オリジナルの楽曲を発表し合うんです」
そんなのあったっけ、とテディが言った。
「違反者が増えて、廃止になってしまったんです。人が増えると、それだけ秩序を保つのが難しくなります。とかげ銭湯も、お月見の刑も、ブリザードでポンも、みんな好きだったんですけど、なくなってしまいました」
どういうゲームだ、と突っ込みたかったが、黙って聞いていた。
古参の利用者にありがちなことだが、そのサイトが生活の一部、いや体の一部になっているのだ。好きという言葉だけでは片付けられない。愛用しているペンや歯ブラシのようなものだろう。
「でも、なんでナノが利用停止に?」
「それは」
ナノは突然立ち上がり、両手で刺叉を構えた。
俺は反射的に後ろへ飛びのいた。のたりのたりと追いかけてくるアバターたちの姿が、嫌でも蘇ってくる。
ナノは笑った。
「これは昔、アバターとりもちというミニゲームで使われていたものです。アイテム欄に残っていたので、改造で増やしてみました。そうしたら即、通告が来てしまって」
当たり前じゃ。
ひっくり返したプランターの上に、へなへなと腰を下ろす。この世界にはバカしかいないのか。
ナノは刺叉を置き、隣に座った。
「笑いごとじゃありませんよ」
「いや笑ってないけど」
「プリズムさんを捕まえようとしたせいで、私まで利用停止になったんですからね」
なるほど。グローバルドリームアイランドから長年続いてきたナノの歴史が、途絶えようとしているのだ。それは確かにショックだろう。
納得してる場合じゃないよ、とテディが言った。てっきりナノに惚れているのかと思ったら、そうではないらしい。彼女が運営でないとわかって、早々に興味を失った様子だ。
「秩序秩序って、いい迷惑だよ。きみがこんなに大騒ぎしなければ、みんな無事だったのに」
いやいや、大騒ぎしていたのはテディのほうだ。俺とエレジーはうなずき合う。
ナノは丸い目をきりっと見開いた。
「私はこの世界全てが大切なんです。少しの歪みが、重大な不具合につながることだってあります。家も、お庭も、景色もゲームも、これ以上なくなってほしくない」
「全部なくしたじゃないか。僕たち全員、もうすぐ消えちゃうんだ」
消える、という言葉にぎくりとする。空は明るさを増し、近くの庭で動き回るアバターの姿も増えている。残された時間はわずかだ。復旧が終わると同時に、三人には処分が下ってしまう。
ナノ、テディ、そしてエレジー。俺は順に目線を動かした。
「プリズムさん、さっき何か言おうとしてましたね」
ナノが俺のほうを見て言った。もう時間がないことを、彼女もわかっているのだ。
テディが眠そうな目をわずかに上げる。エレジーの赤い瞳が、ふっと俺にとまる。
俺はバケツいっぱいに収穫した野菜を見た。それからうなずき、立ち上がる。
「俺はこの世界を、外に持ち出す」
画面越しの視線はもう感じない。三人の目を、俺はゆっくり見返した。
俺も、この世界をなくしたくない。心からそう思った。