12・利用停止は唐突に
刺叉を持ったアバターたちに、俺は丸腰で向かっていった。正気の沙汰ではない。
エレジーの姿を見つけ、大声で呼ぶ。画面上ではさぞでかいフォントで表示されているだろう。いや、そんな機能はなかったか。
「プリズム? なんで帰らないの? バカなの?」
「ああバカだよ」
エレジーはすんでのところで刺叉をかわし、ほんの少し俺のほうへ前進する。服はもうぼろぼろだ。背中が大きく裂かれ、両袖がなくなっているのを見てぞっとする。あれは普通に死ねるんじゃないか。
上を見ると、ナノがイベントスペースに立ち、俺たちを指さしていた。
やりなさい、と言う。
「プリズムを捕らえろ」
「リトルPも逃がすな」
四方八方を囲まれる。亀の餅つきのように遅い動きでも、これだけ数がいれば当たってしまう。誰かの振り上げた刺叉が、ついに俺の肩を挟みにかかる。
と、その時、信じられないことが起きた。
全てが消えてしまったのである。
空も地面も、庭の作物も、家も、豚小屋も、そしてアバターたちも一人残らず消えて、辺りは真っ暗になった。
どよめき合っていた声もぴたりと止んだ。音も、色も、感触も、何もかもが消えた。
俺を残して、全てが消えていた。
足場がなくなる。宇宙空間にでも放り出されたようだ。広いような狭いような、頭が冴えているような寝ているような。死ぬってこういう感じか、とぼんやり思う。
死んだ。いや大丈夫。
おそらく大丈夫。
これは、サーバーが落ちただけだ。
あと少し、あと少し、と暗い波が寄せては返す。
あと少し、あと少し、とサーバーが俺に語りかけていた。
それは優しいリズムだった。
サーバーはいつだって俺たちのわがままに付き合ってくれる。
負担ばっかりかけて申し訳ないと、適当な意識の中で思った。
どれくらいの間、漂っていたのだろう。
気がつくと、ベッドで寝ていた。家だ。帰ってきた。なんだ、全部夢だったのか。パソコン画面から入り込んだのも、顔を変えたのも、昼夜構わず遊んだのも、ブタを食べたのも、害虫扱いされたのも、全部が全部、夢でした。
なんてことはもちろんなく、俺は相変わらずアバターだった。起き上がって鏡を見れば、青い髪に薄水色の目、ネオンカラーのシャツを着た自分が映っている。
狭くて四角い、でもいつの間にか馴染んでしまった、ぽこぽこタウンの俺の部屋だ。ゲームオーバーからコンティニューを選んだ時のように、部屋のベッドに戻されていたというわけだ。
窓の外には庭が見える。柵の向こうにはブタ小屋が、その向こうにはトウモロコシ畑が広がっている。見渡す限りがらんとして、誰もいなかった。
これは、と思う。
ぽこぽこタウンが復旧し始めたことを、ほとんどの人はまだ知らない。今のうちに元の世界へ帰ってしまえばいい。最初で最後のチャンスだ。
俺はベッドから滑り降り、すぐそこにある玄関のドアを開けた。すると、目の前に人が立っていた。
「エレジー……」
庭のジャガイモ畑を背景に、エレジーがいる。トランプ模様の黒いベストを着て、大きなスーツケースを脇に持っていた。
何度もまばたきをし、幻でもバグでもないことを確かめ、深く息をついた。
「無事だったのか」
「無事じゃないよ。利用停止の通告が来た」
エレジーは部屋に上がり込み、スーツケースをどさりと置いた。弾みで金具が開き、中身が一気に飛び出す。
黄色いパフスリーブ、水玉のシャツ、ラメ入りの靴、パニエの入ったオーバースカート、ピエロの帽子。ものすごい数の衣装だった。
「おい、何だこれ」
「預かって。エレジーが消えたら没収されちゃう」
「消える?」
エレジーはうなずいた。
「利用停止になったアバターは、半日ぐらいで消える。別アカウントで新しいアバターを作っても、持ち物は戻ってこない」
「待て、待て。話がさっぱりわからん」
「とにかく預かって。服だけはなくしたくない」
エレジーは衣装を押し込み、スーツケースを閉じて俺に突きつけた。そんなこと言われても、と思うが、無料ガチャやアルパカの毛でせっせと服を集めていたエレジーの心中を考えると、断るわけにもいかない。
「利用停止ってどういうことだよ。俺と一緒にいたからか?」
「まさか。エレジーが迂闊だったんだよ。またバレるなんて思わなかったから」
「また?」
エレジーは赤い目を細めて笑った。俺は少し迷ってからドアを閉めた。だいぶ前に収穫したリンゴとレモンでジュースを作り、コップに注ぐ。
エレジーは椅子にかけ、コップを手に取る。
「エレジーの服は全部、外から持ってきたんだ。パソコンの画面から、えいやって投げ込んだの」
俺は口を開け、エレジーの顔を見た。そんなことができるのか。多分できる。ソースは俺とトンボとゴキブリ。
エレジーの衣装が引き裂かれる時の、妙に生々しい様子を思い出す。まるで布地が血を流しているような、二次元とは思えない光景だった。
そして何より、エレジーの服はあまりにもレパートリーが多い。無課金でここまでできるのかと感心したものだが、なるほどそういうわけだったか。
「何でそんなことしたんだよ」
「やってみたかったから」
なんてこった。俺と同じじゃないか。
呆れてものも言えず、ジュースを飲んだ。どいつもこいつも楽しみ方を間違えている。せっかくの仮想空間で、作物はとれ放題で、料理も食べ放題、太らないし年もとらない、寒くも暑くもない、まさに天国だというのに。
「そしたらすぐ捕まって利用停止になった。それが一度目のエレジー。大急ぎで服だけ隠して、もうひとつのアカウントで集め直した。それが今のエレジー」
「おい、おい、正気か」
「エレジーはいつも正気だよ」
頭の中で、いろいろなことがつながり始める。刺叉を持ったアバターたちが言っていたこと。黄色いスーツの男が言っていたこと。大量の害虫を持ち込んで退会になった、伝説のユーザー。
外から入ってきたものは、おしなべて害虫と呼ばれる。
たとえそれが虫ではなくて、綺麗な服や帽子だったとしても。
「前のアカウントって、もしかして」
「髭のおっさんだよ。最初に会った時言ったじゃん」
「名前は?」
「リトルP」
エレジーは当然のように言い、ぺろりとジュースを飲んだ。
服のトランプ模様がこちらを見ている。ちょうど胸のところに、赤いハートがついている。
俺にはこんなに、生きているように見えるのに。
バカだろ、と俺は言った。