11・ブタも飛べる
俺は指名手配中の害虫だ。人を殺したわけでもなく、金品を盗んだわけでもなく、王女さまを誘拐したわけでもなく、おじいさんの弁当を勝手に食べたわけでもないのに、なんて理不尽なんだろう。
おまけにエレジーとはぐれてしまった。まあ、あいつは普通のアバターだし、一人でいる分には安全だろう。しかし俺だけ追われるのはちょっと癪だ。
茂みに隠れ、気配をうかがう。長い刺叉を持った奴らが、かぎ回るように歩いている。少しでも顔を出せばアウトだ。仮面とポンチョを身につけていても、クリックひとつで化けの皮がはがれてしまう。
こうなったら、元の世界へ逃げ帰るしかない。来る時はパソコンの画面からぎゅうぎゅう入ってこれた。つまり、帰るポイントも絶対どこかにあるはずだ。
「ちょっと、君」
背後で声がして、俺は身を縮めた。
誰かが茂みに踏み入ってくる。心臓がどくんどくんと鳴っている。今は心臓も何もないのかもしれないが、とにかく心の中では大鳴りだ。
「ああ、やっぱり君か。どうして戻ってきたんだ」
男の声に重なって、ブタの鳴き声がした。振り向くと、桃色がかった丸顔に吊りズボン姿のアバターが、これまた丸々太った子ブタを抱いて立っている。隣の家の庭主だった。
ポークジンジャーの。
「あの、もしかしてここは」
「私の庭だよ。ここはだめだ、もう追っ手がわんさか来ている」
茂みのすき間から見ると、俺の家と庭がすぐそばにあった。空中ブロックとイベントスペースもそのままだ。どこもかしこも人で埋め尽くされている。頂上に立って指揮をとっているのは、ナノのようだ。
「えーと、あの刺叉で刺されたら、やっぱり死にますよね?」
「アバターとりもちのことか? あれは刺すんじゃないよ。先が開いて、がしっと挟むんだ」
「じゃあ安全なの?」
「いや、危険だ。捕らえられたら最後、身動きもワープもできなくなる」
いたぞ、あそこだ、と誰かが怒鳴る。アバターたちが一斉に向きを変え、こっちへ走ってくる。声をひそめて話していたつもりだが、よく考えたらそんなことは関係ない。会話は全て、画面の外から丸見えなのだ。
俺は走った。トウモロコシをかき分け、家畜小屋のほうへ向かう。四方から人が押し寄せてくる。今にも捕まると思ったが、そうでもなかった。一箇所に人が集まりすぎて、みんな動きが重くなっているのだ。
小屋からブタの群れが飛び出してきた。ぶうぶうと鼻を鳴らし、アバターたちの前に立ちふさがる。
「早く行け。捕まるんじゃないぞ」
庭主がのっそりと手を振っている。ブタたちのおかげで、さらに画面が重くなったのだろう。ほとんどのアバターが水底のタコのようにしか動けていない。
ぽこぽこワープ……いや、行き先を考えなければ。最初に訪れた広場はどうだろう。入り口があるなら、出口も同じ場所にあるかもしれない。でもあそこは中途半端に人が多くて危険だ。
ワープを使わず、庭づたいに歩いて移動したらどうか。だめだ、考えがまとまらない。
アバターたちは刺叉でブタを攻撃する。庭主の言った通り、U字型の先が開いてブタの胴体を挟んでいる。捕まったブタは、石像のように固まって動かなくなる。かわいそうだが、立派なポークジンジャーになってくれることを祈る。
その時、空におかしな影が映った。雲ではない、四角く切り取られたような跡が一瞬見えた。いや、切り取ったというよりは、液晶画面のドットが抜けた感じに近い。
再び心臓が高鳴り出す。穴を見つけた。間違いない。
しかし、どうやってあそこまで上ればいいのだろう。模様替え用のブロックは、自分の庭で使い切ってしまった。ぽこぽこワープで飛べるだろうか。
「飛べるよ」
突然、巨大なピンクの風船が目の前に浮かび上がった。ブタの顔がついている。と思ったら耳もしっぽもひづめもある。脇腹にストローを突き刺して、息を吹き込んでいるのはなんとテディだった。
「おい、何やってるんだ」
「ちょっとしたことだよ。こうやってね、破裂しないようにゆっくり、ゆっくり膨らませるとほら」
まん丸く膨れ上がったブタが、ほわりと風に乗った。テディはせわしなく動き回り、ブタに向かってジャンプした。
「乗りたいのか?」
「僕が乗ってどうするの。プリズムが乗るんだよ、早く」
急かされた勢いでブタに飛び乗ると、思ったより固くて弾力があった。バランスボールにまたがっているような感触だ。
上から手を貸そうとすると、テディは眠そうな目で笑った。
「僕はね、アバターだからそっちには行けないんだよ」
「ああそうか。でも」
「お礼なんていらないよ」
いつもの薄笑いを浮かべ、テディは言った。
「僕は、やりたいようにしてるだけだよ。プリズムも好きにすればいいじゃん。あ、元の世界に戻ったら顔も不細工に戻っちゃうね。ざんね〜ん」
俺を乗せたブタが、少しずつ高みへ浮かんでいく。見上げると、空にあいた穴がさっきよりも近くに見えた。
再び地上に目を移す。テディはぎこちない仕草で両手を振っている。言ってやりたいことは山ほどある。しかし考える暇はなかった。テディの体をめがけて、光るものが飛んでくる。
後ろ、と俺は叫んだ。
誰かが投げた刺叉だった。それは蛇のように口を開け、テディの腰に食らいついた。
テディはびくんと動きを止めた。力なく首をのけぞらせる。
「僕は……あばた……だから」
俺はブタにしがみつき、身を乗り出した。テディは仰向けに倒れた。マジックで塗りつぶしたような目で俺を見上げている。
刺叉の飛んできたほうを見ると、何やら大勢の人が押し合い、もみ合っている。
「リトルPだ! リトルPがいたぞ!」
ブタの群れとトウモロコシを蹴散らしながら、アバターたちが誰かを取り囲んでいる。
リトルP。どこかで聞いたような名前だ。
人の渦の中心で、薄紫のものが跳ねている。槍のように突きつけられる刺叉を、すれすれで避けながら休みなく動き回る。風を含んだシルエット。揺れる二又帽。ルビーのように赤い目。
「エレジー!」
俺はブタから滑り落ちそうになった。
先頭に立った男が、刺叉でエレジーの足下を狙う。エレジーは跳び越えたが、膨らんだ服の裾が刺叉の先に引っかかった。
悲鳴のような音を立て、エレジーの服が裂けた。金のボタンが飛び、ほつれた布がはらはらと落ちていく。
捕らえなさい、とナノの声が響く。
風が吹き上げる。ブタの耳を握り、ちらりと上に目をやった。砂嵐のような影が、差したり消えたりしている。穴はすぐそこだ。帰れる。俺は帰れる。俺さえ帰れば問題ない。あいつらはアバターだから、操作主は無傷でパソコンの前に座っているから、何も問題ない。
エレジーが宙に躍り上がる。帽子が落ち、ペンダントが落ち、全てがスローモーションのように見える。
着地しようとするエレジーを、何十本もの刺叉が待ち構える。
「ああもう!」
俺はブタの背中を蹴って飛び下りた。おばけポンチョが膨らみ、はためき、仮面と一緒にどこかへ飛んでいった。
地上が近づいてくる。再び奴らの攻撃圏内へ飛び込んでいく。
俺もやりたいようにやる。やらせてもらおうじゃないか。