第7話 傷
「まず、本音を一つ。私は彼らの生き死にに興味はありません」
「……ほう?」
探るような相づちに合わせ、八つの瞳がそれぞれバラバラに蠢く。ヘキサの言葉の意味を、考え、疑い、探る動きに、冷や汗を感じつつ続ける。
「彼女にしても酷い目に遭われていた分、助かって良かったという気持ちはありますが、機能停止していたとしても仕方ないと割り切れたでしょう」
「それで?」
命乞いでもしているつもりか。
そう続くような促しに、ヘキサは小さく息を呑むと本題に入った。
「ですが、それは全て、貴方が関わっていなければの話です。彼らを傷つけ殺す相手が貴方でさえなければ、私には全て、どうでも良い」
「それは……」
ルクスに現われた僅かな戸惑い。
逃さず、空いている手で顔を掴む鱗肌に触れた。
ピクリと動いたものの留まる手に添えたまま、ヘキサは言う。
「覚えていますか、ルクスさん。貴方は言いました。私の不利になることはしないと。私も貴方にソレを望みました」
「もちろん、憶えて……憶えておりますとも。だから貴方はアレを助けたのでしょう? 貴方を傷つけたあの者を、それを許せなかった私に敵意を向けてまで……」
ルクスから威圧感が失せ、口調が元に戻る。併せ、隠していた傷を晒すように弱い声音となったなら、ルクスの手の中でヘキサはゆっくり首を振った。
「違います。私が彼らを助けたのはそんな理由ではありません。いえ、含まれてはいますが……。ですが、邪竜がどうのというのは関係ありません」
「…………」
一番肝心なことを伝えたなら、ルクスの険がまた解けた。少しずつ遠ざかり始めた命の危機に、固まっていたヘキサの笑みも自然なものへと変わっていく。
「ルクスさん。私が彼らを助けたのは、私が市長に課せられた責において、貴方に誰かを傷つけさせる訳にはいかなかったからです。貴方がもし誰かを、殺すまでは行かずとも傷つけたなら、たぶん、私はこの街から追放される」
「それは――」
「貴方の手伝いが、できなくなってしまう」
「!」
何か言いかけたルクスを遮り、ヘキサが本当に恐れていることを告げたなら、八つの目の全てが見開かれた。
「血筋の手がかりは見つけられても、追放されてしまったならそれ以上追えません。カタリナさんからすぐに辿れるなら、ルクスさんにとっては関係ない話かもしれませんが」
「ヘキサ殿……」
「ですから、まあ、一言で言ってしまえば私の我が侭です。血筋を探す手伝いをしたい、貴方の助けになりたいと言いながら、のけ者にされたくないという一心で、貴方を攻撃しました。竜である貴方相手に加減しては止められないと、敵意まで作り出し、持ち出して」
言葉にしてみれば、ずいぶんなことをしてしまったものだと思う。
ヘキサは笑むのを止めると、下げられない頭の代わりに目を伏せた。
「すみません、ルクスさん。私の我が侭で貴方をとても傷つけてしまいました」
「……全くです」
仰々しいため息がルクスから出ていく。
「そんなことを言われてしまっては、もう、貴方を非難する気にもなれない。私もまだ、貴方には助けていただきたいと思っているのですから。……とはいえ」
ヘキサを掴んでいた手が頬へ移動し、六指の内の一本が額の傷をなぞる。
「年頃の娘が、こんな目立つところに傷をつけられて。しかも血がこんなにも」
「額は切れると血が出やすいそうです。見た目こそ酷いかもしれませんが痛みは引いていますし、残るほど深い傷ではないと――ルクスさん?」
すっかり元に戻ったルクスの調子から気安く話せるようになったヘキサだが、八つの目が一点を凝視していることに気づく。
と、同時に肌がざわめいた。得体の知れない恐怖にルクスから距離を取ろうとするものの、その前にクレオを抱えたままの肩を掴まれては後退りも許されない。
「る、ルクスさ――っ!!」
ざらりとした感触が額に這わされた。
遅れて鋭い歯の硬質が肌を撫でる。
「な、何をし、痛っ!?」
額の傷口に裂くような痛みが走った。
――喰われる。
唐突な痛覚によからぬ想像が呼び起こされ、ヘキサの顔から血の気が引く。
数多の国を滅ぼした邪竜がオウル含む他の種族を好んで喰らったという話は聞いたことがなかった。あるのは、跡形もなく蒸発させたという一点のみ。
だが、伝承にないだけで実は……という可能性は十分あり得る。
何せ異種族間の交流が盛んになった今でも、特定の種族の血肉を好む種族はいるのだ。捕食者と獲物の因縁は、交流を持った程度で簡単に終わるものではない。だからこそ上級課程の教師であるにも関わらず、担任ウォームは教え子リサを極端に恐れる。
二人のやり取りを目にする機会の多かったヘキサは、この因縁を頭では理解しつつも、今まではどこか微笑ましく思っていた。お決まりのじゃれ合いだと。
しかしこれからは、微笑ましく見ることなどできないだろう。いざ自分が同じ立場になったなら、そんな目で見て良いものではないと思い知ってしまったのだから。
「い、痛いです、ルクスさんっ」
無駄かもしれない。
そう思いつつも、自分という存在を思い出して貰うよう懇願混じりに名を呼ぶ。
だが、やはりと言うべきか、一度血の味を知ってしまった捕食者を止めるには至らず、それどころか獲物の鳴き声に誘われるようにして、肩を掴むだけだった手が背中まで伸ばされてしまった。
元より竜相手では逃げることなぞ望めない。
八方塞がりの状況下、青ざめるしかないヘキサの耳に、壊れたメイドの高笑いが「そらみたことか」と聞こえてくるようだった。




