表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/6

聖女選定儀2

「――ルチル?」

 気が付けば、そう口にしていた。吸い寄せられるように、一歩ずつ足を踏み出していた。

 青年はリリシアに視線を向けた。翼と同じ色をした、床に触れるほど長い髪がベールのようになびく。

 青年の黒い目が優しげに細められた。


「リリシア」


 とても大切な宝物を慈しむように発せられた名前に、思わず涙がこぼれそうになった。さざ波のように、詰まるような感情が押し寄せてくる。

 ルチルはいつも傍にいたのに、まるで長い間、離れ離れだったみたいだ。

 そっと自分の耳に触れる。ルチルの声が直に鼓膜を震わせてくることが、こんなにも愛おしい。


 ――ルチル。ルチルだ。なんで? どうして? いえ、そんなことどうだっていい。今、初めてあなたの声が形を持って聞こえた。


「ルチル、貴方、どうして――」

「聖女様! よくお越しくださいました!」

 はっはっはっ、と威勢のよい声が二人の間に割り込んだ。


「……ギデオン」

 騎士たちが呆然と立っている中、ギデオンとハイドンが興奮したような勇み足で歩いてくる。背後にはタフトールとクラークを引き連れていた。

 ギデオンはリリシアを一瞥し、場違いな邪魔者を見るように睨みつけてから、ルチルの前で膝をつき、恭しい頭を垂れた。他の三人もそれにならう。

 ルチルはたちまち表情を硬くさせ、微動だにしない。

 ギデオンの目はわずかに揺れていた。困惑しているらしい。この場にいる貴族たちの顔と名前はすべて頭にいれているはずの彼にとって、天井のシャンデリアから降りてきた“無名の青年”は想定外に違いない。


 ――ツバメが聖女になった、とまではさすがに思い至らないか。


 しかしギデオンは、いつもの自信に満ちた爽やかな声音で、高らかに続けた。


「聖女様。この度は誠におめでとうございます。私はレタラント王国近衛騎士団ギデオン隊隊長、ギデオン・ルジュレ。ルジュレ公爵家の嫡男にございます」

「……知っている」

 ルチルは短く言った。

 ギデオンがほっとしたように見えた。ギデオンはそれから物語の王子のように気高く、覚悟の決まった顔でルチルを見上げる。

「このような場でお目にかかれたこと、光栄至極に存じます。聖女様。私は聖騎士になるべくして、騎士になりました。尊い聖女様をお守りし、ひいてはこの国のすべてを守護するために」

「……聖騎士は聖女が選ぶと聞いているが?」

「ええ。ですから、聖女様がこの私を選ばないはずがございません」

 ハイドンも盛り立てるように言った。

「息子は数々の魔獣を百戦錬磨し、この国でもっとも聖騎士にふさわしい男。必ずや聖女様を最後まで守り通すことでしょう! 近衛騎士団としてギデオン・ルジュレにお任せいただきたく」

 ギデオンはルチルを見上げ、陶酔した笑みを浮かべる。

「聖騎士となって、私の心技体を聖女様に捧げることを誓います。このギデオン、聖女様の剣となり盾になり、永遠に――」


「違う」


 ぴたりと、ギデオンは機械が壊れたように固まった。その言葉を発したルチルの口元を凝視し、「今、なんと仰いましたか?」と零す。

 うっとりとその光景に魅入っていた周囲の者も、夢から覚めたようにざわつきはじめた。

「お前を聖騎士にするつもりなど毛頭ない」

 ルチルはぴしゃりと言い放った。

 呆けていたギデオンの顔からみるみるうちに血の気が引いていく。

「……どういう、ことでしょうか」

「確かに俺はお前を知っている。私の聖騎士――リリシア・ルジュレを虐げてきた敵として」

「なっ……」

「リリシア!」

 立ち上がりかけたハイドンの横を、夜空を描くように長い青の髪をなびかせながら、ルチルは駆けだした。

「ルチル!」

 リリシアは腕の中に飛び込んできたルチルを抱き締める。

 その瞬間、青銀の光の糸が二人をきつく縛り付けて、体の中に溶けていった。

「ずっと、こうしたかった。会いたかったよ。リリシア」

 耳元でルチルの声が聞こえる。

 涙が零れそうになりながらも、リリシアはルチルの存在を確かめるように、手のひらでそっとその頬に触れた。

「……あたたかい」

 リリシアは喉奥からそう絞り出した。

 どうして聖女になったのだろう。どうして聖女に選ばれたのだろう。理解不能な疑問がいくつも湧いたが、そんなものどうでもいいと放り投げた。

 今はただ、この奇跡を抱きしめたかった。

 ルチルは戸惑いと喜びでくしゃくしゃなリリシアの顔を見て、くすくすと笑った。

「変だね。ずっと一緒にいたのに、ようやくリリシアと会えたって気がする」

「変よ。でも、私も。会いたかった。会いたかったわ。貴方に」

「ふふ。リリシアって小さいんだね」

「……ねぇ、今いうことがそれなの? ……まぁ、いいわ」


 誰にも愛されなかった。親にも、兄弟にも、仲間にも。いつもたった一人で生きてきた。「なんとかする」「全部返り討ちにする」と気丈に振舞っていても、やっぱり時々、孤独に絶望した。

 でも、いい。


 ――きっと私はルチルに会うために、今まで頑張って生きてきたんだ。


 ルチルはリリシアの肩に手をまわし、聖堂をぐるりと見渡す。最後にギデオンたちに鋭い視線を投げてから、意志を示すように翼を大きく広げた。

「全国民、全騎士、全貴族に伝えろ! ここに、聖女ルチルが告げる! 俺はリリシア・ルジュレを聖騎士に任命する! 何人たりとも、この決定に口を挟むことは許さない!」

 深い青の羽根が光を受けて波打つ。


「……許されない!」

 呆然としていたギデオンが叫んだ。

「その女が聖騎士など、許されるはずがない! 聖女様はそれが何て呼ばれているのか知っているのですか!? そいつは役立たずの、無能の、親指姫騎士! 親指姫騎士です! そんな者に尊い聖騎士が務まるはずもない!」

 続いて、ハイドンたちが慌てて言葉を重ねた。

「その通りでございます! その者に能力と呼べるもは何もない! ギデオンが駄目ならば、他の息子でもいいですから! それだけは!」

「いくら聖女といえどもそんな横暴は許されません! 聖騎士にふさわしい者を見極めるべきだ!」

「我々は聖女様のためを思って進言しているのです!」


 ルチルはまるで表情が抜け落ちたかのような能面面でギデオンたちを見ていた。肩に回されたルチルの手に痛いほどに力が入った。

「……別に怒らなくていいよ。今更」リリシアはぽつりと言った。

「……怒ってるわけじゃないんだ。ただ、あれらの理解ができない。ツバメだった頃は、俺が人間じゃないから理解ができないんだと思ってた。でも、人間の体を得て、もっと……理解できなくなった」

 得体の知れない生き物を見るように、唇を震わせる。


「どうしてそんなに他者が傷つく物言いが簡単にできるんだ? どうして俺が自らの意志でリリシアの名を呼んだ所を見ていて、そういう言い方ができるんだ? リリシアと同じ人間の体を持っていて、どうしてそんな酷い人間になれるんだ? 俺は、理解ができない。皆、リリシアみたいにはなれないのか?」

「ルチル……」

 まるで裏切られたように目を伏せるルチルの横顔に、心が痛んだ。


 ギデオンはゾンビのようにフラフラと前に出ると、獣のように唾をまき散らして叫ぶ。

「私は! 聖女様を一目見て、心の底から確信しました! 私がお守りするのはこの人だと! 私の、心が、体がそう訴えているのです! そこの騎士もどきでは決してない! 私にしか、聖女様は守れない!」

「――それは残念だ」

 ルチルは淡々と言い放つ。まるで意味のない音の羅列を聞き流すように。

「本当に残念だ。この翼に覚えがないとは」

「つば、さ?」

 ギデオンの瞳がゆっくりと動いた。ルチルの翼を見つめ、何かを必死で掘り起こすように表情を強張らせた。

「俺は昨日、お前が殴り飛ばした、リリシアのツバメだよ。ギデオン・ルジュレ。この青い翼に見覚えはないか」

「――な」

 ギデオンは愕然として、膝から崩れ落ちた。

「そんな、バカな……っ、鳥が聖女になるなど……」

 ぶつぶつと言葉にならない言葉を呪詛のように呟きはじめる。


 ルチルの言葉に周囲がざわめく中、一部始終を終えたのを見計らったかのように、再びうおおおんと、魔獣が唸り声が響き渡った。

「……! そうだった。まだ、歪み自体は消えていない!」

 リリシアは祭壇の方に目を凝らす。

 そこには、黒々とした“歪み”がぽっかりと口を開けている。新たに誕生した聖女もろとも飲み込まんと待ち構えていた。

 その奥から、魔獣の唸りは聞こえてくる。まるでこのタイミングを待っていたのかのように、歪みは消された魔獣をもう一度生み出そうとしていた。

 再び聖堂内の時間が慌ただしく動き出した。貴族たちを逃がすべく、騎士たちによる避難誘導が始まり、他の騎士たちは防衛体勢を立て直そうとする。


「歪み自体をなんとかしないと、埒が明かないわ」

「一緒に来てくれ。リリシア。今から歪みを消す」

 座り込むギデオンをよそに、ルチルはリリシアの手を引いて、歪みの元へと歩き出した。

「歪みを消すって……ルチル。貴方、歪みの消し方がわかるの?」

 ルチルは軽く頷いた。

「聖女になって、なんとなく。忘れていたものを思い出したみたいな感覚だよ。自分の本当の記憶じゃないから、ちょっと気持ち悪いが。どうしてか、やり方が頭の中に湧き上がってくる」


 近くで見上げると、歪みはリリシアの何倍もの大きさがあった。飲み込まれてしまう危険性があるから、魔獣を討伐する際、騎士たちは歪みには近づかないように口酸っぱく注意される。もちろん、それは一般市民も同じ。だから、こうして見るのは初めで、想像を遥かに超えた大きさに足がすくんだ。

 それでも、聖騎士である以上、リリシアは聖女と共にこれに立ち向かわねばならない。

 心臓がわし掴まれたように収縮するのが手を取るようにわかる。

 これが聖騎士の重責なのか。少しでも膝を折れば前から巨大な壁に押しつぶされてしまいそうなほどのプレッシャーだ。


 ――できるのかな、私に。歪みを消すことが? 本当に? 今まで何もできなかったくせに。


「怖い?」

 ルチルの声に、狭まりそうだった視界が一気に広がりを取り戻した。恐る恐る横を見上げると、ルチルはとても優しい目でリリシアの気持ちに寄り添うように見ていた。

「……怖いわ。だって私、親指姫騎士って言われてたのよ? それは役立たずで、無能の称号。そんな私が、歪みをどうにかするだなんて、夢にも思ってなかったもの」


 ――でも、私は守りたい。私を必要として大切にしてくれた、貴方を。心を捧げたい。体を捧げたい。歪みを消せるのかはわからないけど、ルチルのことは何がどうあっても守りたい。

 炎が灯るように、だんだんと恐怖が遠のいていく。

 リリシアは自身を奮い立たせるように、挑発的に笑った。


「でも、貴方が傍にいると思うと、恐怖は逆に私に力をくれる。私の一番怖いことは、歪みでもなんでもない。ルチルを失うことだから。貴方を守るためなら、何でもする。何でも立ち向かえる」

 その言葉にルチルは目を細めた。いつも指先に頭を擦りつけてくるときの愛らしい顔とそっくりだった。

「俺も。俺も怖いよ。でも、一番怖いことはよく知っている。それはリリシアに守られてばかりで、いつも何もできないことだった。どうしても変えられない弱い存在の自分のせいで、いつかリリシアが傷ついてしまうことだった。でも、もう怖くない。人の体を得た俺は、いつだってリリシアを守れる」

「そう。じゃあ、怖くても、大丈夫ね」

「大丈夫。リリシアさえ、いてくれるなら」


 ルチルは力を解放するように、翼を広げ、大きく息を吸った。足元から青銀の風がふきあがる。髪とマントがバサバサと音をたててはためいた。

 神経が何かに繋がれているように、指先、足先、ありとあらゆる体の末端から、力がリリシアの中に注ぎこまれてくる。たぷたぷと柔らかな水音が鼓膜の奥で聞こえてくるようだった。

 空っぽの器を想像して、全身の力を抜いてそれを受け入れる。ルチルに宿る力だと思うと、冷水のように心地よい。


「リリシア、剣を」

 もう迷いはない。

 リリシアは剣を抜き、真っ直ぐに掲げた。

 ルチルがその刃に手をかざし、柔らかくも厳かな声で唱える。


「聖女の名の元に、天地の綻びを結ぶ。最果てから光を起こし、極星の底に闇を留めよ。我が力を、騎士の剣に宿せ」

 閃光がビカビカと束になって走り、剣は青色を帯びた銀に輝く。

 余りの眩しさに眩みながらも、リリシアはしっかりと柄を握りしめた。体に並々と注ぎ込まれた聖女の力が沸騰するようにふつふつと熱を持つ。体温はどこまでも上昇し、内側から肉が焼け、剥がれ落ちそうになる。

 自分自身が星になったようだった。


「歪みを斬れ。リリシア!」


 隣から飛ぶルチルの声。

 名前を呼んでくれる。ああ、それだけで、リリシアは焦がれるほどに感情が立ち昇る。世界だってなんだって救ってみせようと奮い立つ。

 不思議だ。ルチルに呼ばれるときだけ、魔法の力があるみたい。ルチルが呼んでくれた時、リリシアは世界で一番の宝物になる。

 引き金を引くように、リリシアの瞳が煌めいた。


 目端でゆらりと禍々しい怨念の靄が揺れるように、ふらりとギデオンが立ち上がるのが見えた。ぶつぶつと何かを呟いている。光と風の向こうから幽かに聞こえた。

「くそ……くそぉっ!! お前がいるから……私の人生が……全部……お前のせいで、お前のせいだ、お前のせいだ……リリシアぁ!!」

 ギデオンは錯乱し、拒絶するように頭を振った。剣を振り上げ、リリシアを目掛けて突進してくる。

 憎悪を剝き出しにした恐ろしい表情が垣間見えた。ギデオンの鋭い憎悪がリリシアを突き刺してくる。

「聖騎士になるのは、この私だぁ!」


 ――ルチルは渡さない。


 宙に名前を刻むように、リリシアは猛々しく剣を振り上げる。

「もう、貴方には屈しない」

 ゆるぎない声が、光の中を裂いてまっすぐ飛んでいく。

「ルチルの隣は誰にも渡さない。私は聖騎士リリシア。ルチルを守るのは、貴方でも他の誰でもない……この私だわ!」

 リリシアは目を見開き、剣を振り下ろした。


 流星が夜空に迸るように、眩い光の線が放たれた。それはギデオンを吹き飛ばし、歪みを叩き斬る。

 歪みは真っ二つに割れ、やがて光の粒が闇を埋めるように割れ目を修復していった。

 それから三日ほど、淡い光の粒は残り続け、雪のように大聖堂に舞い散った。訪れる礼拝者たちはその神聖で幻想的な光景に涙を流して祈ったという。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ