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親指姫騎士リリシアの日々3

 ルチルと出会ったのは、半年前のこと。一寸先さえ水の幕に遮られるような、豪雨の夜だった。騎士舎に帰ろうと走っていたリリシアは、偶然、道の片隅で小さくうずくまる泥の塊に気づいた。

 近寄ってみると、それは翼をひどく傷つけ、泥にまみれた一羽の小鳥だった。弾丸のような冷たい雨に打たれる体は震え、今にも氷のように動かなくなりそうだった。

 リリシアがここで助けなければ、明日の朝にも死ぬだろう。

 誰にも気づかれず、ひとりぼっちで泥だらけの姿に感じるものがあったのか、リリシアは泣きそうになりながら小鳥を抱き上げ、自室へ連れ帰った。


 最初は黒い泥に覆われているせいで、小カラスかと思ったが、ぬるま湯で丁寧に洗い流してみると、驚くほど美しいツバメだった。宝石細工と見紛うほどの深い青の羽に、しばらく呆然とし、それからどこかの貴族のペットかと慌てたほどだ。


 それからというもの、リリシアは毎日甲斐甲斐しく世話をした。

 騎士団で孤立し、兄たちから蔑みや暴力を受けながらも、たった一人で耐え続けたリリシアにとって、優しくすれば、優しさを返してくれる存在というのは、生まれた初めてだったのだ。

 リリシアが愛情をこめて世話をすれば、ツバメは愛情をこめてさえずりリリシアの頬に擦り寄ってくれた。

 その甲斐あって、瀕死だったツバメは傷を癒し、ゆっくりと体力を取り戻していった。

 そして先日、ようやく飛び上がれるほどに回復したのだった。


 リリシアはそのツバメに「ルチル」と名付けた。

 サファイアのように艶めく羽をもつ、かけがえのない、守りたい命。それからルチルはリリシアから離れることなく、いつも一緒にいてくれる。


「おかえり。ルチル。どう? ちゃんと飛べた?」

 ひとっ飛びを終えて肩に止まったルチルにそっと話しかけた。ルチルは満足気に鳴いてリリシアの頬に頭を擦りつける。

『俺の心配なんていい。リリシアは? リリシアはもう殴られたところは痛くないのか?』

「歩いていたらだいぶ回復したわ。本当、昔っから体だけは丈夫でよかったわ。ルチルを拾ったときも、全然、風邪引かなかったものね」

『そうだった。あの時も、君は雨で顔をぐしゃぐしゃにしながら、俺を泥から掬ってくれた。今となっては、もう懐かしい。毎日リリシアと一緒にいるから、もうずっと前のことにように感じる』

 思い出を愛でるような柔らかい声色だった。


 不思議なことに、ルチルの言葉がわかるのはリリシアだけだ。他の人には、ツバメのひょろろ、という鳴き声しか聞こえていない。かといって、リリシアがルチル以外の動物の言葉がわかるかというと、そういうわけでもない。出会ったときから、ルチルの言葉だけがわかった。

 驚きはしたものの、それを気味悪いなんてことは少しも思わなかった。むしろ、言葉を交わすことで、心の通じ合う唯一無二の存在になっていった。この小さなツバメが愛おしくて、仕方がない。


「ルチルが一緒にいてくれるなんて思わなかった。私、初めは貴方のこと、神の使いか何かだと思ったから。だから怪我が治ったらすぐに戻っちゃうんだと思ってた」

『俺が? こんな貧弱なツバメだというのに』

「だって、貴方ほど美しくて、賢い不思議な鳥を見たことなかったもの。ほら」


 噴水広場の傍を通りかかった。

 リリシアは、おもむろに噴水へ向かうと、縁の前にしゃがんだ。噴水の縁は色とりどりの小粒のタイルが敷き詰められ、いくつかの絵を浮かび上がらせていた。

 その内のひとつに、真っ白な衣を纏う人間と、その周りに集い従う多くの動物たちが描かれていた。リリシアはその角を指す。

「ここ。鹿の背中に乗るツバメが描かれているでしょう。ルチルに似てるじゃない?」

『……そうか? じゃあこの人間は? リリシア?』

 ルチルは肩から降りて、人間の描かれているタイルを嘴で叩いた。人間は頭に羊の角を生やし、背中には大きな翼を広げていた。

「違う違う。その人は聖女。魔獣を生む“歪み”を消し去るための、特別な力を神から授かった特別な人よ。神と同じ翼を持ち、神の使いである羊の角を持つ、ただ一人の人間」


 人間の住む世界はとても脆い。ありとあらゆる場所に“歪み”が走っている。それは森の奥でも、町中でも、どこの民家の中でさえも、前触れなく、時期も選ばず、唐突に現れる。

 “歪み”とは、空間にできる割れ目のこと。

 まるで世界の外側にいる誰かが、世界を覆う硝子に拳を叩き付けたように、空間が割れるのだ。その奥にはどろりとした黒い闇が満ちており、中がどうなっているのかは誰も知らない。入ったら最後、誰ひとり戻った者はいないから。


 本来、ただ在るだけならば脅威にはならない。だが“歪み”は時折、魔獣を生み出した。犬のような姿、獅子のような姿、大ガラスのような姿――形こそ様々だけれど、そのすべてが歪みと同じ、光を飲み込む闇色の獣だった。

 聖女は、その“歪み”を完全に消し去り、空間を修復するための強力な浄化の力を持っていた。宮廷魔術師も数多くあれど、それができるのは聖女ただ一人。


『もう一人、人間がいるぞ』

 寄り添う動物たちの中に、聖女の足元に跪く騎士がいた。ルチルはその騎士の頭のタイルを嘴で叩く。

「ああ、それは聖騎士。騎士の中でも聖女専属の特別な騎士。この国では、聖女と聖騎士。この二人によって“歪み”から国を守る役目があるの」

 聖騎士は、聖女によって騎士団の中から一人、選ばれる。選ばれた騎士には、一生分の栄誉が約束され、引き換えに騎士は命を賭けて、聖女を守るのだ。全騎士が一度が憧れる騎士の花形だ。

「ま、末端も末端の私には関係ない話だけど……」

 遠い目をするリリシアをよそに、ルチルは興味なさそうにふすふすと鳴いて、肩に戻ってきた。

『ふうん。けど、このツバメは俺じゃないぞ』

「そう? 私は絶対そうだと思ったんだけどな。あの日、ルチルの泥を落として羽の色が見えたとき、桶をひっくり返して、たまげたもの」

『どうだっていいよ。聖女なんて。俺が隣にいたいのは、リリシアだけだから』

 ルチルは拗ねたようにそっぽを向いて飛び上がった。

 リリシアは「どこ行くの~。置いてくよ~」と眩しそうに目を細めながら、呼びかける。しかし、ルチルは屋根まで飛んでいってしまった。


 ――何を拗ねてんだろう。……ああ、でもやっぱり、ルチルは本当に、神の使いみたいに、綺麗。


 空を見上げる。太陽の光を浴びて優雅に翼を広げるルチルはまるで、真昼の星のように煌めいていた。その後ろでどこまでも続く澄んだ青空に視線を投げかけると、先程までの鬱々とした気持ちが吸い込まれていくような気がしてくる。

 リリシアはそれに身をゆだねるように、深呼吸した。

「私だって。……ルチルに、聖女じゃなくて私の隣にいてほしいとちゃんと思ってるよ。いつも周りの目から逃げるように下ばかり見てたから、貴方と出会うまで空を見ることなんて、なかったもの」


 ――私、貴方がいてくれるから頑張れるのよ。それだけでいいのよ。本当に。


 日光浴するようにその場に立っていると、路地の方から笑い声が聞こえてきた。声の方へ視線を向けると、巡回中の騎士たち三人がこちらに歩いてくる。

 目が合った。男たちはリリシアだとわかると、途端に面白い玩具でも見つけたように下品な笑みを浮かべて近づいてきた。

「誰かと思ったら、ルジュレ家の親指姫騎士じゃねえか。こんなところで任務をサボってんじゃねえよ」

「……誰?」

 リリシアは怪訝そうに首を傾げた。

「はっ。お前、俺たちの名前も知らねえのか? 同じクメルフ隊の仲間ってのによぉ。覚え悪いやつだな。さすが。役立たずだと謳われるだけある」

「知っているわけがないでしょう? 除け者にされているおかげで、誰が所属しているのかすら、この一年間、まともに把握できていないんだから。貴方たちに仲間なんて呼ばれる筋合い無いわ」

 なんならサボりでもなんでもない。

 クメルフ隊の隊員たちに任務のことを何も教えてもらえないのだから、任務しようにもできない。いわゆる隊内ニート状態。仕方がないので、いつも勝手に巡回して、勝手に魔獣を辻斬りしているけれど、任務の範疇外なので、騎士としての成果には計上されない。

 ゆえに隊内に知り合いなど一人もいない。


「ちっ。親指姫騎士のくせにふてぶてしい。お前みたいなのがいるせいで俺たちの隊がバカにされんだよ!」

「何言ったって無駄だよ。だってこいつ、隊長をたぶらかしたって噂だぜ」

「はははっ。なら、ちょうどいい。俺たちのお相手もしてくれよってな!」


 男はリリシアの顔をめがけて拳を突き出した。リリシアはそれをひらりと躱す。ついでに足を振り上げて、男の横っ腹に思いきり打ち付けた。

 男はぐふ、と呻き声をあげて、腹を押さえて尻もちをついた。

 リリシアが完璧に返してくるとは思っていなかったらしい男たちは、小さく悲鳴をあげた。小柄な女で、しかもあれだけ侮蔑されていた親指姫騎士が、まさか自分たちよりも強いはずがない、と高を括っていたのだろう。


「生憎、教育と鍛錬だけは兄たちと同じものを無理やり受けさせられたから、親指姫騎士だからって甘く見てると痛い目にあうわよ」

 リリシアは顎をあげ、残った男たちに威厳たっぷりに告げ、刀身のような鋭さを視線に込める。心の底から悔しいが、ハイドンがリリシアに一流の騎士としての技体を叩き込んだのは確かだ。そんじょそこらの男には喧嘩で負けない自信がある。

「……っ、くそ」

 もう一人の男がリリシアに飛び掛かった。

 リリシアは地を蹴り上げて、軽く宙で一回転する。その勢いのまま、かかとをまっすぐ男の脳天に振り下ろした。みごと男は顎から地面に叩きつけられ、しばらくピクピクした後、気絶した。

 着地したリリシアは、残ったひとりを見る。男は腰を抜かして、その場に座り込んだ。

「な、なんだよ」


 ――あ、そうだ。せっかくなら……。


「……ちょうどいいわ。明日のクメルフ隊の任務を教えてくれない?」

「は?」

「だから、任務よ任務! 貴方たちが爪弾きにするから、こういう時にしか任務のこと聞けないのよ! もう!」

 いつもこうして真正面から喧嘩しに来れば、返り討ちにしてやるというのに。陰湿な虐めをされると、相手の特定も難しいうえに、対処が面倒すぎる。

 リリシアは疲れたように、ため息をついた。

 その剣幕に、男は腑抜けた表情で口だけを動かした。


「明日は……ヴィシャーナ大聖堂で、任務がある」

「ヴィシャーナ大聖堂の? 王都で一番大きいところじゃない。何か祭祀でもあるの?」

「それは……その……」

「言いなさい! さもないと親指姫騎士に負けたって言いふらすわよ」

「い、言う! 言うから! 聖女選定儀があるんだ!」

「聖女選定儀……!」

 驚愕に目を見開いた。


 ――そろそろだとは思ったけれど、明日だったのね! 偶然聞いたら、そんなビッグイベントしてるだなんて。運がいいのか悪いのか。


 ちょうど戻ってきたルチルが、リリシアの肩に降り立った。ルチルは、リリシアの耳をくいくいと軽く咥えて尋ねた。

『リリシア。聖女選定儀とはなんだ?』

「……名前の通り、聖女を選ぶ儀式よ。さっき教えたでしょう? 特別な力を持つ人のこと。それを貴族の中から選ぶの。明確な日付は儀式に参加する者たち以外には教えられない決まりになってるから……明日だなんて……知らなかったわ」

 男は、ルチルに話しかけるリリシアを怯えたように見上げる。

「騎士団の隊のいくつかは……明日、ヴィシャーナ大聖堂で行われる聖女選定儀がつつがなく終わるように警護することになってんだ……も、もういいだろ! 俺は行くぞ!」

 男は立ち上がると、しばらくは地面で伸びている残りの二人を交互に見ていたが、「親指姫騎士のくせに」と捨てセリフを口走って、逃げ去っていった。


『聖女選定儀か……そうか』

 その後ろ姿を眺めながら、ルチルはぽつりと呟く。

「どうしたの? 何か気になる?」

『聖女を選ぶということは、今はいないのか?』

「ああ。前の聖女様は四年前に亡くなっているのよ。それから聖女選定儀はずっと失敗続き。だから、もうずっとこの国に聖女はいないの」

『……そうか。その、大聖堂というのは、どこにあるんだ?』

「えーっと、あっちかな。ここよりも西よ。当然、今の場所からは見えないけれど」

 ルチルは考え込むようにそちらをじっと見つめていた。


 ――珍しい。穀物クッキー以外には余り興味を示さないのに。


「……ねぇ、明日、行ってみる? 私は嫌われてるから門前払いを食らうかもしれないけれど」

『えっ……い、いや。警護ということは騎士がいっぱいいるんだろう? そんなところになんか行かないほうがいい』

「何を言ってるのよ。そもそも、私の仕事よ? 何も説明は受けてないけれどもね」

『……しかし』

「それに私も行ってみたいのよ。ルチルがそんなに興味を示すのなら。理由を知りたいじゃない」

 見透かしたようなリリシアの言葉にルチルは唸る。

「ね? 駄目で元々ということで」

『……では、ダメで元々で』

 しぶしぶ頷いたルチルの言葉に、リリシアはにっこり笑った。

 ルチルは、まるで不器用な礼をするようにリリシアの頬に頭をこすりつけた。きっと、内心は嬉しいのだろう。その様に腹の痛みなんてどこかに飛んでいってしまう。


「ふふ。ルチルは私を頼るのが苦手よね。怪我をしていた時も、すぐに飛ぼうと無茶をして……懐かしい」

『む。君に言われたくないな』


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