親指姫騎士リリシアの日々2
全員の報告を終えて、ハイドンは兄たちをひとしきり労ってから部屋を出て行った。
しかし、リリシアは息をつくこともなく、俯き、ひっそりと腹を括った。
すると、それまでリリシアの隣で立っていた四男のクラークが吹き出した。笑い声が部屋に響く。クラークはリリシアを指さして、それまで場を支配していた厳格な空気の反動かのように笑い転げた。
「あっははは! さいっこうの見世物だったよ。穀潰し! ついに七十日、連続、“成果なし”! ほんとソンケーするわ、お前。ここまで何もできねぇグズ、女でも中々いねぇだろ。あっははは! お前って、本当に父上の子かよ? こんなの不貞もいいところだろ。人間として出来が違いすぎるもんなァ」
リリシアは聞こえないフリをして、視線を逸らす。
「俺、恥ずかしいんだわ。同じ隊の連中がさぁ、聞いてくんだよ。『なんであんな女、騎士団にいれたんだよ』ってさぁ。その度に、お前の無能ぶりをいちいち説明してやらなきゃなんねぇ。困るんだよなぁ。父上や兄上たちの慈悲を無下にしやがってさあ。こっちがどんな気持ちになるか、ちょっとは想像してみろよ!」
貴族家の者とは思えない、耳を塞ぎたくなるようなひどい言葉だ。けれど、クラークはいつもそう、なのだ。四人の兄たちは年齢順に力関係が決まっている。上の三人にクラークは逆らえない。いつもリリシアにその鬱憤をぶつけようと必死だった。
眉間に皺を寄せながらも、リリシアは黙りこんだ。
すると、次男のタフトールが、わざとらしくため息をついて、クラークの肩を叩いた。
「おいおい、クラーク。その女は、かの有名な親指姫騎士だぞ。そんな風に罵倒したらかわいそうじゃないか」
親指姫騎士。
その名前にリリシアはぴくりと肩を揺らした。騎士団に入団してからすぐに、陰で流れはじめたリリシアの蔑称。背が低く小柄で、敵から見ても味方から見ても、おとぎ話のお姫様の騎士ごっこにしかみえないと。どんなにリリシアが懸命に剣を振っても、みんな踊るピエロでも見ているかのように、そう呼んで嘲笑った。
何も守れない、役立たずの烙印。
そう呼ばれるようになってから、リリシアは誰にも真剣に言葉を聞いてもらえなくなった。同じ人間で、同じ騎士であるはずなのに、リリシアの言葉も行動も、なぜか見下していいものになった。
リリシアは憎らしげにタフトールを睨みつけた。
「その名前で呼ばないでよ。タフトールお兄様」
「ふっ。そっちこそ、“兄”呼ばわりはやめてくれよ。親指姫騎士と血が繋がっていると思うだけで虫唾が走る。俺たちの優雅な経歴についた、たったひとつの汚点。せめて、俺の護衛する美しいご令嬢たちを見習って、少しは愛想よくしてみれば、まだ可愛げもあるってのに。お前ときたら……それすらできない」
「あ、そう。確かにそうね。そういえば、私も女にだらしない、頭まで下半身が詰まってる兄を持った覚えはなかったわ。人間って理性があるはずなのに、剣ばかり振るってると、それも振るわれて出ていってしまうのかしら。この前マリアに浮気がバレて、こっぴどくフラれたんだっけ。あとナタリーとスミス夫人と。何股でしたっけ? タフトール」
ぴしゃりとリリシアは言い切ると、タフトールの顔が途端に歪んだ。
「……出来損ないのくせに。王妃付き護衛の俺に向かって、よくそんな減らず口叩けるな?」
「あれ? 私は心配してるのよ。そのうち妃たちに手を出して、王を裏切ってしまわないか、とか。……まぁ、その場合の末路は私よりも惨めなものになるでしょうけど」
「黙れ!」
激昂したタフトールの怒鳴り声に押されるように、クラークはリリシアの顔を殴りつけた。
「……っ」
噛み締めた唇の端が切れて、わずかに血が滲んだ。
「てめぇ! 態度を弁えろ無能が! 兄様たちに口ごたえするな!」
これもお決まりの流れ。兄たちの暴言にリリシアが反発して、クラークが殴り始める。すっかり兄たちの腰巾着が板についているクラークは、必ず最初にリリシアを手をあげる。
特にギデオンには絶対に逆らえない。妄信的なまでにギデオンを慕い、彼の隊の一人になって忠実に従っているのだから。
「ずっと弁えてるわよ!! 私を貶める敵に対して、誠実に!」
「この……っ、愚図が!」
キッと瞳を吊り上げて睨み上げるリリシアに、再びクラークが拳を振りあげた。しかし、背後に感じた圧に、ぴたりと拳を止める。
「待て待て。クラーク。それ以上はいけない。お前のただの八つ当たりになってしまう」
それまで、にこにこと人のよさそうな笑顔を浮かべていたギデオンが、そう言ってリリシアに近づいた。
――来た。
恐怖が凄まじい速さで背筋をあがっていく。脳が委縮するようにギリギリと締め付けられた。ハリネズミが殻に閉じこもるように、背中を少し丸めてこわばらせる。
この声が嫌い。後に起こる暴力をリリシアに想像させる。リリシアの骨身に染みついた痛みを思い出してしまう引き金だ。
「はい。ギデオン兄さま」
クラークとタフトールはリリシアを一瞥し、ニヤリと笑って離れた。
「リリシア」
立ち尽くすリリシアの前までくると、ギデオンは表情を崩さぬまま、リリシアの腹をめがけて拳を振り下ろした。
「う゛っ……」
ドッと穴が空いたような痛みに声にならない叫びをあげる。ぐにゃりと視界が黒ずんだ。喉からか細い息を絞り出し、膝をつくリリシアの上から、まるで神の宣告のような穏やかなギデオンの声が降ってくる。
「ここは長兄である私が躾をしてやるべきだろう。そうだな。不出来なお前には、仕方ないから……今日は五発だ。私も心苦しいが、役立たずなお前のためだ。騎士としても人間としても、役立たずはよくない。怠けているお前が役に立てるように、それ相応の罰を与えなければならない。このルジュレ家のルールだ」
「この前は七発だったもんなぁ。よかったな。今日は二発少ないぞ。ギデオン兄さまに感謝しろよ」クラークは勝ち誇ったように言った。
「……ぅ」
クラークとタフトールは、動けないリリシアを両側から羽交い締めにした。
「いつもみたいに、顔くらいは殴らないでおいてやってよ。親指姫騎士の名折れだ。それくらいの優しさはあってもいいだろう? 俺たちも鬼じゃない」
タフトールが嬉しそうに言った。
それまで興味なさそうにその様子を見ていた三男のカイは「俺は一応、見張りしてまーす」とさっさと扉の方へ走っていった。
リリシアは弾かれたように顔をあげ、ギデオンを海の底から忌々しげに太陽を見るようにまなじりを鋭くした。
「……っ、お前たちが騎士だなんて、聞いて呆れる。あんたも、あんたも、あんたも、あんたも!」
「何を言う、リリシア。我々は紛うことなく騎士だ。父ハイドン・ルジュレの元に屈強な力を持ち、男として生まれた、騎士として正しい人間だとも。そして私はその中でも選ばれた、国で最も優秀な、いずれ頂点に立つべき騎士だ」
「そ。親指姫騎士のお前と違って、な」
「お前のほうが呆れる! 女のくせに騎士だなんて、何を間違ったんだ、お前!」
兄たちは、痛みに呻くリリシアをせせら笑う。
「――っ、ぐ、ぅう」また腹を殴られた。
ギデオンは哀れむように、形のよい眉をさげた。
「お前は、親指姫騎士として生まれてきた。役立たずとして。出来損ないとして。無能として。我々より遥か下に扱われるべき人間として」
「何を……っ、本当に、理解に、苦しむわ……!」
「リリシア。お前は生まれ方を間違えてしまったなぁ。かわいそうに。生まれる前から無能だった自分を恨むがいい」
腹が立つ。平気で自分を痛めつけてくるこの兄たちも。そしてそれを跳ねのけて反撃できるほど場をひっくりかえせるほどの力がない自分にも。
今ここで逃げても意味がない。ルジュレの娘で在る限り、どこに行ったって父も兄も見つけだすだろう。リリシアのことを、汚点だのなんだのと罵倒する割には、消えたら消えたで許さないのだ。
つまりは体のいい玩具だ。どんなにひどく扱ってもいい玩具。玩具が逃げ出すのを、所有している自覚のある持ち主が許すはずがない。
今日も耐えればいい。耐えるだけでいい。何もしなくていい。だから耐えられるはずだ。
決して兄たちを喜ばせるような弱音をあげてやるものか。
その時、遠くから、ぴぴ、ぴぴと小さなサイレンのような鳥の鳴き声が耳を掠めた。その声にハッとしたリリシアは開け放たれた窓の向こうに視線をやった。
きらりと彼方に光る、星のような小鳥がいた。
流星が空を統べるように、こちらに向かって一直線に飛んでくる。
リリシアはたちまち青ざめた。
「――来ちゃダメ、ルチル」
リリシアがか細く呟いた瞬間、部屋に一羽のツバメが飛び込んできた。びろうどのように艶々とした深い青色を持つ、美しいツバメだった。忙しなく羽ばたく翼は光を反射し、さざ波のように鈍く光っていた。ツバメは絶えずけたたましく鳴きながら、天井をくるくると旋回する。
宝石が転がっているような様に、ギデオンたちは思わず手を止めて、怪訝そうな表情でそちら振り向いた。
――ルチル。駄目。
リリシアの心の叫びも虚しく、ツバメはその瞬間を待っていたかのように急降下し、ギデオンに襲いかかった。ギデオンの目を潰さんばかりに、くちばしを突き出して突っ込む。
「ルチル! 待って!」リリシアは目を見開いて絶叫した。
「なんだこの鳥は! 次期聖騎士である私に向かって無礼な!」
「ギデオン兄さま!」
クラークは真っ青になって、悲鳴をあげた。
だがすぐにギデオンは肩についたゴミでも払うかのように、極めて鬱陶しげにツバメを叩き打った。
「やめて!!」
ツバメは壁に打ち付けられ、よろよろと宙を彷徨ってから床に落ちた。ギデオンはツバメを見下ろして「よくも水を差してくれたな」と汚いものに触れたように、苦々しく吐き捨てた。
「ギデオン兄さま。大丈夫ですか」
クラークとタフトールが駆け寄る。
「私は大丈夫だ。問題ない。クラーク。侍女に落ちた羽を掃除させるように言ってくれないか」
「はいっ、すぐに!」
クラークは安堵した表情で、脱兎のごとく飛び出していった。
「さて……」
ギデオンは床に倒れ込むリリシアをちらりと見る。しかしすぐに、興味をなくしたように、目を逸らした。まるで子どもが癇癪が治まった途端、その原因をすっかり忘れてしまったかのようで、いっそ不気味ですらあった。ギデオンの気が変わらないように、リリシアは熊の前で死んだフリをするように息を殺す。
「……せっかく私が直々に躾をしてやろうとしたのに……興が削がれた。行くぞ、タフトール」
「はっ」
タフトールを連れてギデオンは部屋を出ていった。部屋に静寂が訪れ、そよ風の音が耳に入ってくるようになると、ようやくリリシアは深く息を吸えた。
「……ルチル」
絞り出すようにリリシアは名前を呼んだ。
びぃ、と小さく返答が聞こえて、少しだけ安心する。
「バカ。貴方の体でギデオンに突っ込むなんて。無謀よ。死んでもおかしくなかったのよ」
『無謀でもなんでもない。お前が、ひどい目に合っているのに、悠長に空を飛んでいられるものか』
頭の中に、ルチルの声が響いてくる。リリシアは力無く笑った。
「ふふ、大丈夫よ。心配しないで。ツバメと違って、人間の体はもう少し丈夫にできてるから」
また、ぴぃ、と聞こえた。今度はしょぼしょぼとしている。
『そういう問題じゃない』
深呼吸をすると、殴られた腹部がじくじくと痛む。
けれど、吞気にごろ寝している暇はない。せめてギデオンたちの気が変わらないうちに、ここから出ていかなければ。低く呻きながら、下腹部に力をいれて一気に起き上がった。
ずるずると体を折り曲げて、なんとかルチルの元まで足を進める。壁際で伏せっていたルチルを拾いあげた。
「……よかった。骨も折れてない」
緊張の糸が切れたように、泣きそうな顔ではにかみ、ルチルに頬擦りする。しかしルチルはリリシアを見上げて悲しげに鳴いた。
『……俺がこんな弱いツバメじゃなくて、人間だったらなぁ。助けたいのに、いつも、こうだ。お前が傷ついてるのに、いつも何もできないな。俺は』
リリシアはゆっくりと首をふった。
「何言ってるのよ。ルチルが傍にいてくれるだけで、私、こんなに頑張れるのに。助けられてるよ、毎分毎秒」
それでもルチルは鳴き声をあげて、リリシアの膝に降りたつと。殴られたところに頭をこすりつけた。つぶらな瞳はまるで涙の膜が張っているようだった。
『リリシアの怪我を撫で、守る手があればなぁ』
「……いいよ、別に。せっかく綺麗なツバメなのに、人間になんかならなくていいよ。私はルチルのその姿、大好きよ。……さ、行こっか」
リリシアは愛おしげに目を細め、ルチルの頭を指先で撫でた。




