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ジェノサイド進路相談

「こんなに未来の閉じた進路相談初めてだ」


 無表情無感情無関心でお馴染みの能面教師尖屋の顔が少しだけにやけた気がした。気のせいだろうかと私は少々驚く。


「第一から第三までだんとつ抜群に明確で刺激的な進路ではあるけどね」


 第一志望:殺戮

 第二志望:殺戮

 第三志望:殺戮


「穂高、そんなに人生おもしろくないのか?」


 やはり気のせいだったのか尖屋の表情はいつもの能面に戻っていた。


「おもしろくないっていうか、どうせ全部意味ないんで」

「だいぶ拗らせてるな穂高」


 はっきり言うなと思いながら気分は悪くなかった。


「そうか」


 そして尖屋はじっと私の進路用紙を見つめながら押し黙った。

 尖屋先生。御嵩高校で現文教諭であり我が三年四組の担任。歳は確か三十前半。薄いメタルフレームの眼鏡と細い面立ちは理知的ながら、微動だにしない表情筋から冷徹冷酷な印象の方が強く、能面教師というあだ名のもとどちらかといえば悪い意味でイジられている存在である。


 何を考えているか分からない。生徒達の悪い素行に対して声を荒げる事もなければ逆に褒める事もない。自分達の事を椅子に座った野菜にしか見えてないんじゃないという意見から、尖屋にとって教室は農園だなんて言われ方すらされている。


「いや、これはある意味明るい未来なのかもな」


 尖屋の呟きは独り言のようで私への微かな期待も入り混じっているように感じられた。


「お父さんには相談したのか?」


 思わず噴き出した。

 こいつは馬鹿なのか? 真面目に勉強して教員免許を取得して高校の担任になった真面な大人ではなかったのか?


「冗談、ですよね?」

「お前のこれは冗談なのか?」


 とんとんと私の書いたジェノサイドに満ちた進路を指で叩く。


「……まぁまぁ本気でーー」

「穂高」


 私を呼ぶ尖屋の声は今まで一度も聞いた事のない鋭さを纏っていた。


「まぁまぁだなんて中途半端な言葉を使うな」

「先生」

「うん?」

「怒ってます?」

「まだ怒ってない」

「まだ?」

「お前の態度と言葉次第だな」

「先生って、本当に何考えてんのか分かんないですね」

「知る必要があるか?」

「いえ……」

「お前はお前の未来だけ考えていればいい」 


 確かに私が気にする必要はないのかもしれないと妙に納得しつつ、尖屋の言葉が少しばかりだが確かに私の心を震わせた。

 私の未来だけを考える。私は私なのだから私の未来を考えるのは当たり前だ。でも尖屋の言いたい事はきっとそうじゃない。小さい頃には無遠慮に見れた夢に、他人の視線や思想が邪魔するようになったのはいつからだろう。


 ーーこの木偶の坊。


 また父の言葉が頭から心まで串刺しにする。世界で一番嫌いな人間の世界で一番嫌いな言葉。

 自分が優秀だからと当たり前のようにそれ以下の人間は家族だろうが簡単に見下す。見下すだけ見下し我が娘でも手を差し伸べる事もしない。母が出て行ったのも当然の事だったが、自分だけ逃げて私を押し付けたあたり、父に負けず劣らずろくでなしだ。


 言葉は言霊となって私をより縛った。

 木偶、木偶、木偶。

 気付けば私は本当に木偶になってしまった。

 無能な人間に夢など欠片もなくなった。そんな人間に進路だ未来だなんて酷な話だ。


 でも、尖屋は少なくとも私を木偶だとは思っていないようだった。能面から察するのは難しいが、私に期待もしていないがまだ失望もしていない。


「お前はまず誰を殺すんだ?」

「え?」

「殺戮とあるからにそれなりの人間を殺すつもりなのだろうが、どう考えているのか詳しく教えてくれないか」


 ーーこいつ、正気なのか?


 あまりに能面過ぎてふざけているようにすら思えてきた。


「とりあえず、父と母ですかね」

「なるほど」


 何がなるほどだ。生徒が両親を殺したいと言ってなるほどだなんて言う教師は世界に尖屋一人ぐらいだろう。


「両親が憎い、嫌い、消えて欲しいか。まあ一定数の子供なら考えてもおかしくない発想だな。だが殺戮となるとそれだけでは収まらない。例えば、この学校、このクラスも対象に入るのか?」


 本気だ。こいつ本気なのだ。本気で私の進路相談を行うつもりなのだ。ふざけているわけでもちゃかしているわけでもない。尖屋は真剣に私と向き合うつもりなのだ。私はうんと頷いた。


「という事は、私も抹殺対象か」

「そうなりますかね」

「なるほど」


 何でなるほどなんだ。生徒がお前を殺すと言っているのだからなるほどはないだろう。


「あの」

「なんだ?」

「止めないんですか?」

「何を?」

「私の進路」

「止めて欲しいのか?」


 どうだろう。用紙に殺戮と文字を埋めた時の感情を思い出すが、止めて欲しいだなんて事は考えなかった。


「私が先生を殺す事になっても?」

「それが本当にお前が求める未来なら止むを得んだろう」

「先生の未来はそれでいいんですか?」

「今はお前の進路相談だ。言っただろ。お前はお前の未来だけ考えていればいい」


 何だか今一瞬、妙な違和感があった。

 

「先生」


 尖屋の言葉が理解できなかった。ふざけているのかただの馬鹿なのかよく分からなくなった。どちらでもない。尖屋はずっと本気で真剣なのだ。


「先生は自分の未来とか考えないんですか?」


 ほんの僅か一瞬、尖屋の眉間に皺が寄った。

 自分の未来だけ考えろと言われた矢先にこんな事を言われたら気分を害するのはなんとなく分かる。


「それはお前の未来に関係あるのか?」

「それは先生の方が分かってるんじゃないですか?」


 尖屋が押し黙る。それが答えかのように。


「私の未来と先生の未来は、繋がってるんじゃないですか?」


 良いように言い過ぎか。つまりはーー。


「私は将来、本当に先生を殺すんじゃないですか?」


 尖屋だけじゃなく、クラスメイトも、父も母もなのか、そこまでは分からないが、少なくとも尖屋は死ぬのだろう。

 尖屋は尚も黙ったままだ。肯定、という事か。

 急にSF過ぎて突拍子もない事なのに、私も尖屋も笑わない。笑えないからだろう。


「どうして、止めないんですか?」

「止めて欲しいのか?」

「……私が先生を殺す事になっても?」

「それが本当にお前が求める未来なら止むを得んだろう」

 

 まるでループしたかのような会話。でも先程までとは意味合いも感覚も違う。

 確定した未来と分かったうえで、それでも先生は私の未来を止めないと言うのだ。


「穂高」


 先生が私を呼んだ。静かで張り詰めた声。


「こんなに未来の閉じた進路相談は初めてなんだ」


 確か最初にもそんな事を言ってたなと思い出す。


「だから皆の進路に何の興味も意味合いも感じなかったよ」


 さらっとこの担任はなかなかに酷い事を言っている。


「未来を変えるチャンスじゃないんですか?」


 違う。分かっている。そうじゃない。


「どちらかと言えば、未来が変わるかもしれないピンチだ」


 やっぱりそうだ。先生はーー。


「そんなに人生おもしろくないですか?」


 どうせ終わる未来なら、それは確かに面白くないだろう。


「おもしろかったら能面教師だなんて言われてないだろうな」


 どうやら尖屋は思っているより前から未来が分かっていたらしい。

 だから笑わない。怒らない。何も期待していないから。何も心を動かす理由がないから。

 ただ静かに終わりを待つだけの日々に、感情は無用なのだろう。


「それが先生にとっては、明るい未来なんですか?」


 ただずっと分からない事がある。


「どうして先生は、未来を知っているんですか?」

「夢だ」

「夢?」

「教師になってから何年も繰り返し見てきた。お前が殺戮と書いた用紙を出す事も、その後の未来も」

「……それだけ?」

「これ以外にも違う夢を見てきた。その全てが現実になった。変えようとしても変わらなかった。俺にとっての夢はただの夢じゃない。運命なんだ」

「本当に、私は……」

「だからお前はお前の未来だけ考えていればいい。本当に望む未来に向かって真剣に向き合え」 

「……私は、いつ実行するんですか?」

「知る必要はない。いずれその時が来る」


 言いながら私の進路用紙を尖屋はファイルにしまった。


「楽しみにしてるよ。いつでも殺しなさい」


 こうして私の進路相談は終わった。







「久しぶり」


 懐かしい人間が目の前に座った。覚えている。よく覚えている。


「懐かしいな。お前は本当に凄いよ。ちゃんと未来と向き合った結果だ」


 留置場のガラス窓を挟んだ向かい側に尖屋がいた。あれから十年以上経ったが、さほど見た目は変わっていなかった。


「お前は凄いよ。だんとつ抜群に明確に一番お前があのクラスで馬鹿だった。とんでもない想像力と妄想癖だ。なんだか勝手に面白い勘違いを始めたから乗ってみたら、まさかこんな未来が見れるなんてな」 


 尖屋はあの頃一度も見せたことのないころころとした笑顔を見せた。 

  

「もし本当に殺されたら俺の未来はその程度だと思う事にしてたが、うまくいくわけないだろ。ただのガキが一人殺した時点で終わりだよ普通は」


 卒業した私は進学しない代わりにまず父親を滅多刺しにした。その足で母を殺そうと思ったがそこで終わった。


「まあ幸いもうちょっとしたら出れるらしいじゃないか。君の母親は残念ながら誹謗中傷の嵐でもうこの世にいないが、俺はほら、まだ生きているから」


 すっと尖屋は立ち上がった。


「夢を見たんだ。出所したお前が殺戮に及ぶ姿を」


“教師になってから何年間も繰り返し見てきた。お前が殺戮と書いた用紙を出す事も、その後の未来も”


 こいつはもちろん予知夢なんて見ていない。その証拠に私の未来を明言しなかった。全てくだらない作り話だ。


「分かってましたよ。あなたが予知夢なんて見てない事ぐらい」

「おや? そうなんだ」

「あの時の私はただ背中を押してほしかっただけなのかもしれません。そういう意味では、良い進路相談でしたよ」

「それは嬉しい言葉だね」

「先生」

「ん?」

「またお会いできる日を楽しみにしてます」

「もう会うつもりはないよ」


”楽しみにしてるよ。いつでも殺しなさい”


 ーー先生、そう言ってくれたじゃない。


 だってそれが先生の見た運命なんでしょ?

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