王子シャールと王女アレクサンドラの話 その2
東の塔、その地下にある王族専用の牢へとリルエは足を向けた。
開け放たれた扉の向こう、鉄格子の錠も外されているというのに、牢の住人である王弟ラクロスは未だそこから出ようとはしなかった。
「・・・ラクロスさま、お食事を持って来ました。といっても、切って並べただけのものばかりですが」
「義姉上・・・」
「もう半日以上、何も口にしていないのでしょう? わたくしが料理が出来たら良かったのだけれど」
「・・・貴女が用意して下さったのですか」
「勿論ですわ。もうこの城に人はいませんもの」
リルエは鉄格子の扉をくぐり、中へ入ると食べ物を乗せた皿をラクロスの前に置いた。
ラクロスは手を伸ばし、切り分けられたチーズ一切れを掴んだ。
同じくトレーに乗せられたワインと共にそれを口にしながら、ようやく諦めたのか、こう呟いた。
「・・・やはり本当なのですね。この世界が滅びるというのは」
「残念ながらそのようですね」
「民は・・・・混乱していませんか」
「分かりませんわ。もう騎士も刑吏の者もここにはいないのですもの。でもあまり騒ぎが起きた様子もありませんから、それ程の混乱にはなっていないかと」
「そうですか・・・なら、良かった」
ワインをぐいっと呷った後、自嘲めいた笑みを浮かべ、ラクロスは兄レブロンへと話題を変えた。
「殺したければ殺せと言ってきましたよ、兄上は・・・たった三日間の王座のために本当に兄を殺しに行くと思っているんでしょうかね」
「さあ? わたくしからは何とも申し上げられませんわ」
「あの時とは状況が違いすぎる。今さら兄を殺したとて、正式な後継であるシャールがいるではありませんか。私もすぐさまシャールに殺されて終わりですよ」
「それはあり得ないわ。シャールはもう、ここにはいませんもの」
「え?」
リルエの答えに、ラクロスは訝しげな視線を送る。
「あの子は既にイスル国に向かいましたわ。最後の時を、愛する婚約者と共に過ごすために」
「イスルの・・・アレクサンドラ姫か」
「ええ」
リルエは立ち上がると、鉄格子の扉に手をかけ、そこで一度ラクロスへと振り向いた。
「もう残された時間は僅かですわ。あの子は・・・シャールは一番に優先すべきもののためにここを発ちました。ラクロスさま、貴方はどうなさいますか?」
「どう、とは」
「このままでよろしいのですか? レブロンさまから誤解されたままで、終わってよろしいと?」
「誤解とは」
「陛下は、今も貴方が陛下の死を望んでいると思ってらっしゃいますわよ」
「何を馬鹿なことを」
だが、リルエはラクロスからの言葉の続きを待たず、そのまま地下牢を去って行った。
地下牢に残されたラクロスの耳に、階段を上るリルエの足音がやけに響く。
「誤解・・・誤解か・・・」
誰も聞くことのない言葉。
ラクロスは力なくソファに寄りかかり、そんな言葉を呟いた。
「アレクサンドラ!」
無人の城門。
そこをくぐり抜け、シャールは城内へと入って行った。
数キロ手前でとうとう馬が泡を吹いて倒れてしまい、シャールはそこから自らの足で走ってここまで辿り着いた。
服はうす汚れ、ところどころ破れている。
だがそれを気にする余裕もなく、ただ愛しい人の名前を呼ぶ。
「アレクサンドラ! どこにいる? 僕だ、シャールだ!」
無人の場内を叫びながら進んだ。
すると、回廊の奥から淡い金髪の女性が姿を現した。
「シャールさま! ああ、ご無事だったのですね!」
アレクサンドラは躊躇なくシャールの胸に飛び込んだ。
「もしや来て下さるのではと一縷の望みをかけて、物見の塔からずっと外を眺めていたのです。シャールさまのお姿を見つけた時は、嬉しくて心臓が止まるかと思いました」
「君の心臓が止まってしまっては困るんだがな」
涙を流し、胸に頬を擦り寄せるアレクサンドラに、シャールは戯けた口ぶりでそう言った。
そして、少し困ったような笑みを浮かべ、アレクサンドラの肩に手を置いてそっと自分の体から離す。
このままでは、アレクサンドラまで汚れてしまう。
自分が相当汚れてしまっていることは、流石に自覚していた。
「アレクサンドラ。すぐにでも君との時間を過ごしたいのは山々だが、まずは体を清めさせてはもらえないか?」
「・・・あ、申し訳ございません。わたくしったら、つい嬉しさのあまり・・・」
「嬉しいのは僕も同じだ。やっと愛しい君に会えた・・・間に合ってよかった」
そうだ。間に合って本当によかった。
今はまだ二日目。
あと一日と半はアレクサンドラと共に過ごせる。
シャールはアレクサンドラの前に跪き、頭を垂れた。
「アレクサンドラ・・・予定していた婚姻の儀まで、本当ならまだ半年もある。だが、もはやその日を無事に迎えることは叶わなくなった。だから・・・」
すっと右手を差し伸べる。
「・・・この世界が終わる前に、君と正式な夫婦になりたい。愛しいアレクサンドラ、僕を君の夫として受け入れてはくれないか?」
「シャールさま・・・」
アレクサンドラは、シャールを見つめ、深く頷いた。
「勿論ですわ、シャールさま。初めて出会った時から、そうです、あの記念式典でお会いした時から、わたくしの心は貴方さまのものでした」
アレクサンドラも右手を伸ばし、シャールの右手を取る。
「わたくしからもお願いします。どうか、わたくしを・・・シャールさまの妻としてくださいませ」
アレクサンドラは、花のように微笑んだ。




