テオ夫妻の話
「あなた、これから私たちはどうしたらいいの」
中央広場で国王からの布告が発表された後、騒然とする町中でレベッカは夫のテオに問いかけた。
「どうもこうもない。私たちがやる事は常に一つだ。それは世界が続こうと終わろうと変わりはない」
「・・・そうでしたね。やりましょう、最後まで。患者さんたちの治療を」
二人は、未だ喧騒の残る雑踏を後にし、自分たちの経営する治療院へと戻った。
テオは医師、その妻レベッカは彼の助手だ。
二人は小さな治療院を経営していた。
治療院と言っても、患者は平民がほとんどで、しかもその半分以上が貧民やスラムの住人だった。
結果、テオとレベッカは、治療費を支払う余裕のない患者には出世払いという名目で無償で治療していた。
当然ながら治療院の経営状況は厳しく、二人は裏庭で野菜を育てたり、薬草を栽培したりして何とかやりくりするのが常だった。
もちろん、患者たちもテオたちの親切に深く感謝して、出来るときには支払いをし、食料を届けていた。
治療院は通いの患者がほとんどだったが、三人ほど、重い症状のために入院していた患者がいた。
テオはそれら入院患者に先ほど聞いたばかりの発表について知らせ、残る三日間をどのように過ごしたいかを尋ねた。
そのうちの二人が自宅に戻ることを希望した。
残り少ない時を愛する家族と共に過ごしたい、そう願ったのだ。
テオがすぐに患者の家族と連絡を取り、彼らの希望を伝える。
そして迎えに来た家族に薬と鎮痛剤を渡し、必要があれば連絡してほしいと言って去らせた。
いつもの様に通いの患者の診察を終わらせ、夕方には治療院にはテオとレベッカと一人の入院患者だけが残った。
患者の名は、ユミルと言った。
ユミルには家族がいない。
12歳の少女ユミルがこの治療院に連れて来られたのは今から十日前。
極度の栄養失調でスラム街の薄汚れた路地に倒れていたところを発見され、入院することになったのだ。
ユミルは二年前にたった一人の肉親である母を亡くし、孤児となっていた。
故に、帰る家も迎えてくれる家族もいない。
「・・・ごめんなさい。最後まで迷惑をかけて・・・」
ようやく固形物を口に出来るようになったユミルのために、レベッカは煮込み野菜のスープを作って持ってきていた。
甲斐甲斐しく世話をしてくれるレベッカに、ユミルはこの治療院にひとり残ってしまったことを申し訳なさそうに小さな声で謝っている。
「何を言ってるの、ユミルちゃん。あなたがいてくれるからここが寂しくならなくて助かったのよ。ユミルちゃんこそ、こんなおじさんおばさんしか話相手がいなくてつまらないでしょ、ごめんなさいね」
そう言っていたずらっぽく笑うレベッカに、ユミルは泣き笑いを浮かべた。
「・・・どうせ三日後には死ぬ運命なんですよね。だったら、もう私を治療する必要もないと思うんです。どこかに放り出してくだされば」
「まあ、何を言ってるの? まだあと三日もあるのよ?」
「レベッカさん・・・?」
「ユミルちゃん。これまでだって私たちはいつ死ぬかも分からない世界で生きていたのよ? 明日、そして明後日と、私たちが何事もなく確実に生きていると言いきれたことは、今までだって一度もなかったわ。星が落ちて来ようと来まいと、人の命はいつ何が起きるかなんて誰にも分からないんですもの」
レベッカの言葉に、ユミルは母を思い出す。
ある日当然、仕事先で事故に遭い帰らぬ人となった母を。
そうだ、人はいつ何が起きるか分からない。
朝に笑って送り出した人が、夕に冷たい遺体となって運ばれてくることもある。
そう、ユミルはそのことを身をもって知っている。
でも。
たとえそうだとしても。
そう思い俯いたユミルの手を、レベッカはそっと握る。
「ええ、確かに私たちは三日後には確実に死ぬでしょう。でも今日、明日に私たちの命がどうなるか、それをはっきりと言える人はいない。それは今までと変わらないのよ。違う?」
「・・・」
「わざわざ死期を早めることはないわ。でも・・・そうね、もしユミルちゃんがどうしても私たちの治療を受けたくないって言うのなら諦めるしかないけど・・・」
「いえ、そういう事じゃないんです・・・」
レベッカは黙ったまま首を傾げ、視線で続きを促した。
ユミルは、おずおずと言葉を継ぐ。
「・・・私がここに残ってるせいで、テオ先生もレベッカさんと夫婦水入らずで過ごせなくなっています。あと三日しかないのに・・・その最後の三日を、私の治療に当ててしまうなんて・・・」
「あらあら、ユミルちゃんはそんな事を心配してくれてたのね」
三日後に起きる滅亡よりも、テオとレベッカの家族の時間を奪ってしまうことを心配する目の前の少女の愛らしさに、レベッカは場違いにも笑みが零れてしまう。
「そうね。だったら、家族水入らずの時間が過ごせるようにしましょうか・・・ね? どうかしら、あなた」
「そうだな。いい案だ」
扉の陰で様子を見守っていたテオにレベッカが語りかけると、呼ばれた夫は姿を現し、大きく頷いた。
テオがそこにいるとは思っていなかったユミルは、ぽかんと口を開けている。
テオはにっこりとユミルに笑いかけた。
「ユミル。今日から私たちの娘にならないかい?」
「・・・テオ先生?」
ユミルの目が、溢れんばかりに大きく見開かれた。
「実は私たちは8年前に娘を亡くしていてね。無事に育っていたら今頃は12歳、可愛い盛りの女の子になってた筈なんだ・・・そう、ちょうどユミルみたいな可愛い女の子に」
テオはユミルの前まで近づくとそこで膝を折り、ベッドサイドでユミルと視線を合わせる。
「どうかな。私たちの娘になってくれる?」
「え、あの、でも・・・」
「遠慮はしないで。でも嫌だったら正直に言ってね。私としては、ユミルちゃんみたいな娘が出来たら嬉しいけれど」
ユミルは目の前で起きている出来事が信じられず、ぱちぱちと目を瞬かせた。
試しに自分の頬をつねってみる。
痛みと同時に現実であることを認識し、ユミルの眼からはぽろりと涙が溢れた。
「な、なる。先生たちの娘に、なります・・・」
「よし。よろしくな、ユミル。私の娘」
「うふふ、よろしくね。ユミルちゃん」
テオは照れ臭そうに笑い、レベッカは満面の笑みを浮かべてユミルを抱きしめた。
「それじゃユミル。もう残り三日しかないけど」
テオの大きな手が、レベッカの腕の中いるユミルの頭をくしゃりと撫でる。
「それまで精一杯、家族水入らずで団欒を楽しもうか」




