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三日後、世界は滅びます  作者: 冬馬亮


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ある罪人の話 その2



「体は温まったかい? ケヴィン」



風呂から出て来たばかりのガウン姿の弟に、アルヴィンは穏やかな口調で話しかけた。



ケヴィンはこくりと頷く。



まだ自分が家に帰って来たという実感は湧かないままだが、八年ぶりに入った風呂は、確かに身も心も温めてくれた気がする。


牢獄では、体を拭くか短時間のシャワーを浴びるのが精々で、風呂に入る機会など一度もなかったのだ。



そもそも八年ぶりと言うのならば。


服役中は家族との連絡を一切絶っていた事もあり、兄の声を耳にするのさえ八年越しだ。



ケヴィンは、濡れた髪をタオルで抑えながら、天井や壁、家具などを見回した。



この八年間、ずっと灰色の壁に囲まれていたケヴィンにとっては、懐かしいと言うよりも、ただそれ以外の色を目にするだけでどこか解放された様なそんな気持ちになれた。


自ら背負ったものだった。

背負い続けるつもりでもいた。


だが、それでも。


ずっと心が辛かったのは変わりがなくて。


今やっと、それらを少し、自分の肩から降ろせたような気がしたのだ。



「ここは牢獄がある王都から、かなり離れているからな。歩いて来るだけでも大変だったろう」



アルヴィンは、タオル越しに弟の頭をそっと撫でる。



「お前が帰って来ると分かっていたら、馬車の一つでも出したものを」


「いえ、とんでもありません。この家に戻るつもりはなかったのです。あれだけの事件を起こしておきながら、今さら」


「・・・そうだったな。お前はシエラの様子を確認しに来ただけだものな」


「・・・すみません」



兄の寂しげな口調に、ケヴィンは申し訳なさでいっぱいになる。



だが、自分は殺人に手を染めた子だ。

関わりを断つ以外に、上手い方法が思いつかなかった。



それに何より、物事をきちんと考えるには、あの時の自分は幼すぎた。



シエラを救わなくては、とそれだけで頭がいっぱいで、他に何も見えていなかった。



「・・・それでも、こうして最後にお前と会えた、それだけでも良かったのかもしれないな。八年前の幼いお前の顔しか知らないまま死ぬのだと思って、諦めていたのだから」



ケヴィンがシエラの両親を殺した時。



シエラは十三歳、アルヴィンは十六歳、そしてケヴィンはわずか十歳だった。



当時、アルヴィンは学校の寄宿舎に入っていたため、基本的にケヴィンたちとは週末しか会う機会はなかった。



そしてケヴィンの母親は既に他界しており、今は亡くなった父親は、当時仕事で不在がち。



必然的に、ケヴィンの世界に住んでいたのはシエラひとりだった。



シエラはいつも痣だらけだった。

口数が少なく、オドオドして、泣いてばかり。


でも、たまに見せてくれる笑顔が眩しかった。



いつもこんな風に笑ってくれたら。



殺人を犯したきっかけは、そんな単純で無邪気な願いだったのだ。



結局、あんなに大切に想っていた人を、最後まで自分の手で笑わせることが出来ないまま、時間だけが過ぎていって、そして。



今の何もない僕がここにいる。



人を殺したという過去だけが残る僕が。



何もない。


僕の手には何も。


空っぽの掌しか。



僕が生きていたことに、何か意味はあったのだろうか。



そんな自嘲めいた問いが頭をよぎった瞬間。


電話のベルが鳴った。



アルヴィンが立ち上がり、廊下へと出て行く。



兄が電話でしている会話は、声は聞こえども話の内容まではケヴィンの耳に届かない。



やがて、バタバタという足音と共に、勢いよく扉が開く。



急いで走って来たのだろう、アルヴィンが焦った様子で部屋の中に入って来た。



「ケヴィン。あの子が、シエラが」


「え」


「シエラが、電話を。お前と話したいと、たった今」



よほど慌てているのだろう、途切れ途切れに出される言葉。


だが、ケヴィンはそこから一つ意味のある語を拾う。



「シエラ」


「ああ、シエラだ。シエラが電話を。お前に会おうと王都の牢まで行ったそうだ。夫と共に」


「僕に、会いに」



訳が分からず、ケヴィンは目をぱちぱちと瞬かせる。



「お前は、この家からの手紙を全て開封せずに送り返していただろう。だからずっと伝える事が出来なかったと」


「伝えるって、何を」


「お前が直接聞きなさい。電話の向こうで待ってるから」


「電話、シエラさんが」



訳が分からず、でも兄に背中を押されるがまま、部屋を出て電話の置かれた玄関近くの廊下に向かう。


震える手で受話器を持つ。


向こうから、あの柔らかな声が聞こえてきた。



「もしもし」


「ケヴィン、くん」


「はい、ケヴィンです。シエラさんですか」


「うん、シエラよ。ケヴィンくん。ずっと、ごめんね。私、ずっとケヴィンくんに謝りたかった」



受話器の向こうから聞こえて来る声は、記憶にあるそれよりも少し低くて。


話し方はそれほど変わっていないのに、でもどこか新しくて慣れなくて。



八年という歳月が過ぎた事を、ケヴィンは否応なく思い出す。



「謝るって、どうして」


「だって、ケヴィンくんは、わた、私のために何年も牢屋に入れられて、ずっと」


「いいんですよ」



ケヴィンはシエラの懺悔のような呟きを優しく遮る。



「ケヴィン、く」


「いいんです。僕はシエラさんに笑ってもらいたかった。それだけだったんです」


「・・・ケヴィンくん、私」


「結婚したそうですね。今は幸せですか」


「・・・うん」


「毎日、笑えてますか」


「うん・・・」


「なら、良かった」



心から、そんな言葉が溢れた。


自然に、何も気負わずに。


ただただ嬉しくて、安堵した。



「・・・ケヴィンくん。私・・・私、王さまの発表を聞いて、会いに行ったの。牢屋まで、夫と一緒に。最後に・・・死ぬ前にどうしてもケヴィンくんにお礼が言いたくて」


「そうでしたか」


「でも、私たちが着いた時にはもう、牢屋は空っぽになってて、ケヴィンくんが何処にいるか分からなくて」


「はい」


「それで、もう時間がなくて・・・最後にアルヴィン兄さんに電話してみたの」


「はい」


「ケヴィンくん。ありがとう。私、ケヴィンくんに助けられて幸せになれた」



その言葉に、一瞬、ケヴィンは息を呑んだ。



「あなたのお陰なの。私、あなたを犠牲にして、私だけものすごく幸せになった」


「シエラさん」


「ごめんなさい。ごめんなさい。あなたを踏み台にして一人で幸せになって、ごめんなさい」


「シエラさん、いいんです。僕がそうしたかったんですから・・・だから、ねえシエラさん」



ぐすぐすと鼻をすする音が、受話器越しに聞こえる。



ああ。


僕はやっぱり、あなたを幸せに出来ない。



ケヴィンの眉がきゅっと寄せられた。



でも。



「僕は今夜、笑って死にます。だからどうかシエラさん。あなたも旦那さんの側で笑いながら死んでください」



今は、あなたを笑顔に出来る人が。


あなたをちゃんと守れる人が、すぐ隣にいる。



それを知る事が出来たから。


だからもう、それでいい。



「どうか、約束してください。最後まで笑っていてくれると」



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