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どうか、未来の方向を教えてください

作者: 神崎みこ

昔書いたやつです、大講座制がまだ残っている感じのシステムです。教授、准教授、助教がいる講座が並んでるような

 なんとなく気になって、その勉強が好きじゃないのに、好きなふりをした。

将来をこんな理由で決めちゃう、というのも問題はありそうだけど、あっさりと私はそれを理由に研究室配属の志望を書き込んで提出した。

だけど、人生、そういう邪な心は見透かされるのか、あっけなく第一志望からはふられ、私は第二志望の研究室へと配属された。

それでも、四六時中、というわけじゃないけど、目的は三分の一ぐらい達成された、ような気がするから最初は満足していた。

だけど、知れば知るほど、わかればわかるほど欲しくなるのが人間ってやつで、私は配属されて最初の夏休みになるころには、気持ちがすっかり後戻りができないような状態となっていた。




「あちぃ」

「暑いですよねー」


タバコを吸いに休憩室にきた先輩が、タオルで顔をぬぐいながらうんざりとした表情をつくる。

この暑いのにさらにタバコに火をつけなくとも、とは思うけど、もはやそれは習慣と化しているようだ。

ここはエレベーター前のたまり場で、一応机と椅子などが置いてあったりして、休憩所っぽくはなっている。助教の先生の大部屋と、准教授以上の先生の個室が並んでいる箇所の隙間で、各階ともこのような喫煙場所兼ゴミ捨て場、のようなものが作られている。

当然、こうやって学生が合間に休憩にきたり、ときどきは先生方もやってきて談笑したりする空間となっている。

私は意味もなくここでこうやって教科書や論文を片手に、根がはるように誰かを待っていることが多い。

そう、私が研究室を志望する理由、とした誰か、を、だ。


「セミうぜーーー」


団扇を仰ぎながら、先輩が外を睨みつける。

最近の流れに沿って、キャンパスを郊外へと移転したこの大学は、自然豊か、といえば聞こえがいいけど、はっきりといえば田舎だ。せみの数だって今までのキャンパスとは比べ物にならないほどいる。それが一斉に鳴きだすのだから、気分的に暑くなる、というのもわかる。


「熱心だねぇ」

「……そういうわけじゃ」


下心しかない私としては、よその研究室の先輩に言われれば、曖昧に笑うしかない。

すでに所属している研究室では、化けの皮がはがれ、アホの子だと思われている。否定できないけど。

独特の足音がして、思わずそちらに顔を向ける。

その人物は、あっという間に先輩をからかって、いつものようにタバコに火をつけた。

あまり凝視するのも変だから、幾度か視線を本に落としたり、外にむけたり。

だけどやっぱり無意識に私の両目はその人を追っていて、仲良さそうに話し合う二人の姿をいつのまにかうらやましそうに見上げていた。


「熱心に勉強してるな」

「え?ええ!いえ、そんなことは」


気まぐれにかけられた声に、声は半音上がって、みっともなくも情けない。

でも嬉しくて、心臓がはねる。


「あ、あの、この論文」


斜め読み以上のことはしていない論文を差し出し、どうにかこうにか会話の糸口を掴もうとする。

プライベートに干渉されることを酷く嫌う、という情報はがっちり掴んでいるから、学生の立場としてはこういう方法しか思いつけない。


「そういうことは、自分のところの助教に聞いたほうがいい」


だけど、あっさりとそれを交わされ、タバコを灰皿へと押し付けて、実験室の方へと戻っていった。




「あのさ、やめておいたほうがいいと思うよ」


呆然としたままの私に、先輩が話しかける。

油断していて、本当にびっくりした私は、論文をもったまま先輩の顔を見上げる。


「やめるって、あの」

「先生狙いだろ?」

「いえ、そんな」


唐突に切り込まれて、違う、と言えないでいる。

こういうときうまく言いつくろえるスキルが、私には足りない。それほど、切羽詰ったところにまで気持ちがきてしまっているのかもしれない。


「結婚、してるの知ってますし」


そう、先生は結婚している。

年を考えれば当然だけど、結婚指輪を発見することがなかった私は、ずっと先生を、独身だと思い込んでいたのだ。

それがあっさりも覆されたのは、他の学生からの何気ない一言で、彼の方は彼の方で、知らない上に酷く驚いた私にびっくりしていた。

だからといって気持ちを簡単に変えられるわけじゃない。

姿を頻繁に見るようになって、気持ちは消えるどころか高まるばかりで、朝早くから夜遅くまでいる姿に、家の中がうまくいっていないんじゃないかって、勝手に想像までしている。


「むちゃくちゃ仲いいから、先生んとこ」


彼ら一部の学生が、招かれて先生の家で食事をしたことがあることは知っている。

特に努力している学生や、頭のいい学生などは、先生が気に入る確率が高く、その食生活を心配する、という名目で、食事会を開いているらしいことも知っている。

よその研究室で、おまけに全く努力していない私が呼ばれることなんて、ありえないのが悔しいけど。


「でも」


思わず、本音がもれる。

先生のところにお子さんはいない。

どちらが悪いのかわからないけど、私だったらきっと健康で丈夫な赤ちゃんをぽんぽん産んであげられる、だって私の方が若いんだから。 そんな妄想まであふれ出しそうで、気持ちをどうしていいのかわからない。


「いや、さ、まあ、少しまえに先輩で、いたんだよ、お気に入りの子が」

「女性?」

「そう、女。それ自体はどうってことないっていうか、男女限らずあの人は努力する人間は好きだからな」


お気に入りの学生の一人である先輩が、新しいタバコに火をつける。


「隣の研究室って、昔ちょっとひどかったろ?それで余計に、な」


私が研究室配属をされる少し前、ひどく評判の悪い研究室があった。

赴任して数年の教授は、蓋を開けてみれば口だけ達者で、中身を伴わない研究を続けていて、おまけにすでに何十年も前にやりつくされた実験結果を、自分たちが先にやったと、知らないでいばっているような人間で、その人当たりのよさにうっかり入って後悔した人間が続出。研究室の移動どころか、逃げるように大学まで変えて行った人間が後をたたなかった。最悪なのはそこの助教で、お手伝い以上の仕事ができるひとじゃなかった、らしい。それが改善されたのは新しいスタッフが来たからで、それもここ一二年の話だそうだ。だから今でもそこはあまり人気がなく、何も知らないよその大学から来た人間で定員が埋められることが多い。私は別の理由で避けたけど。


「ひどかった、みたいですけど、それがどう関係するんですか?」


余計なことを言った、と顔を顰めた先輩は、煙を吐き出す。

灰を灰皿へと落とし、両手を挙げて伸びをして、再びタバコをくわえる。


「よそから来た子、だったんだけど」


私の好奇心と欲求がちっともうせないことに諦めて、先輩が話し始める。

先生のことは、どれだけ小さくても知っていたいから。


「このままじゃ学位が危ないって思ったんだろうな、で、一番熱心でまともそうなうちの先生に相談にきた」


割とそっけない態度を取ることが多い、と思っている先生だけど、昔は少し違ったのかもしれない。


「で、熱心な学生ってこともあって、次々と課題をだしたり、教えてやったり、まあ仲も良くなっていったらしい」

「今とかわらないんじゃないですか?先輩だってかわいがられてるし」


若干の嫉妬交じりに、口を挟む。

私だって先生の家を見てみたい、奥さんは果てしなくいらないけど。


「まあなぁ、だけどオレはメール交換なんてしねーもん」

「メール交換?」

「まあ、そこの先生があんまいい顔しなかったんだな、うちの先生の入れ知恵を」

「でも、それは」

「自分が能力不足なのもぜーーーーんぶわかったうえで、気に入らないんだよ、そういうのは」

「はぁ」

「で、真夜中のメール交換となったらしい、そのあたりは先輩からの又聞きだけどな、オレも」


面子とかプライドとかいうやつだろうか。

確かに他からあきらかに自分が無能だとわかるようなまねをされるのは、いやかもしれない。特に自分に非があるとわかっていれば。


「ここまではまあ、いい話っちゃ、いい話、なんだけど」


すっかり短くなったタバコを押し付け、先輩が口ごもる。


「で?ここまで話しておいて、それはないですよ」

「んーー、まあ、なぁ」

「で?」


諦めたかのように口を開き、先を続ける。


「だんだんとプライベートっていうか、こうそういう情報も交換し始めて、先生は先生でオーバーワークで倒れるその子をやたら気にかけて」

「そこまで親切でしたっけ?先生」

「親切だよ?割と。あんまそうみせないけど、最近は。特に女性には」

「女性には?」

「勘違いするだろ?相手じゃなくったって、周りとか、世間とかさ」


確かに、二人の意識がどうたったかはわからない。だけど、周りっていうやつは、勝手な推測をするものだ。まして、よその研究室の女の子とプライベートでメールのやりとりをする、という事実だけをみれば、誤解されたって仕方が無い。その中身がどれだけ色気がないものであっても。


「だんだん噂になって、それでもうちの先生ってそういうの鈍いだろ?」

「興味ないみたいですからね」


酒の肴のような誰かと誰かがくっついただの離れただの、そういった情報にあの人はまるで興味が無い。だからわざわざ先生の足を止めて耳に入れる人間もいない、反応が無いとおもしろくないから。


「気がついたころには、奥さんの耳に入っちゃってたんだよなぁ、最悪なことに」

「でも、でも、そういう人だって、そういう職業だって知ってたわけでしょ?」

「夜中のメールが?」

「それしか手段がなかったら」

「次の日聞きゃいいだろ、自分とこの親分がいない隙なんていくらでもあるんだから」

「でも」

「まあ、そういうのをあんま気にする人じゃないといえば、ないんだけど」

「だったら問題ないじゃないですか」

「ある日、奥さんが倒れた。それが引き金だ」

「は?」

「連日連夜遅くって、午前零時を越えて夕食、なんていうのにも付き合って、だけど朝は早くて弁当まで作ってって生活が堪えたんじゃないかって噂」


最近の先生は、夕方になると一旦家へ帰って食事をして、また学校に戻ってくる生活パターンだ。もちろん弁当ももってくる。なんか、全部奥さんが把握してるみたいで、なんて心が狭い女だって思ったのは内緒だ。

だけど、私でもその生活パターンは体が壊れそうで、ちょっといやだ。


「もともと体が弱かったみたいだし、それで」

「あれ?でも、奥さん、います、よね?」


恐る恐る尋ねる。


「ああ、もちろん、だけど、一生体はモトにはもどらんらしい」

「……」

「倒れた日もなんだかんだで彼女の世話をしてて、予定の時間より大分遅れて、帰ってみたらってかんじみたい」

「それから、それからどうなったんです?」

「どうもこうも、新しい准教授がそこにきて、それに引き渡して終了。まあ、ちょこちょこ相談には乗ってたみたいだけど、それも昼休みとか、そんなんらしい」


「それって」

「誰も悪くはないわな、学生の指導する先生も、教えを請う学生も、家で待ってる奥さんも」


だけど、壊れてしまった関係。


「先生の奥さんってさ、元学生だって知ってた?」


思い切り顔を左右に振る。

プライベートを知らせない、ということは、公私の区別をつける、ということで、そういうことからは一番遠い先生だと思っていたから。


「付き合ったのは卒業してかららしいけど、でも、まあ、心配、するよな、そういう立場だったら」


静かに頷く。

自分がもし、先生とうまくいって、そうなれたとしても、私は一生心配しなくてはいけない。

私と似た様な立場の子は、後から後からいくらでも出てくるのだから。


「今思えば、ちょっとぐらいそういう気持ちがあったんじゃねーか、って思うしな、どっちにも」

「どっちにも……」


先生が、他の女子学生に気持ちをうつすことを想像して、吐きそうになった。

奥さんの存在はいやだけど、そういうことをする先生はもっと嫌だ。


「つーことで、あきらめとけ、で、真面目に勉強しろ」

「ええ?」

「だから、おまえ先生狙いだろ?あからさまだし」

「そんなことは」

「今更隠すな。学生以上でも以下でもないし、最近はあんま女子には近づかねーけど、勉強ちゃんとしてるやつを嫌うことはないから、あの人」


たくさんの情報と、驚きと、駄目押しを残して、先輩は首にタオルを巻きながら実験室へと帰っていった。

残された私は、なんとなく、何もする気になれなくて、研究室へと戻って机につっぷしてみる。

少しだけひんやりした後、すぐに体温が移ってぬるくなる。


先生が好き。

それは変わらない。

奪いたいほど好き。

それも変わらない。

だけど、そうなった後は想像できなくて、だけれども、諦めるってことも想像できなくて。

いつの間にかこぼれた涙が机の上に伝わっていく。

誰か、私に、未来の方向をおしえてください。

先生が、いなくても大丈夫な未来を。

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