第六話 京橋番太郎のにせ捻頭(むぎかた)
京橋南・新両替町。
伝蔵が木戸の前を通ると木戸番屋から文吾爺さんが出てくるなり、呆れ顔を浮かべた。
「伝さんも、よく続くねえ」
「そりゃあ、金の方かい。それともアッチのほうかい?」
「はっ。金一分ぽっちじゃ振新(振袖新造)の手を握るのがやっとだろう。昨日は四方赤良先生の還暦を祝う会じゃなかったのかい」
伝蔵は噴き出した。
「四方先生はまだ三十路だよ。還暦は母親の方。なんでそのこと知ってんだい?」
「百の字に聞いたよ」
文吾爺さんは首から提げた送り拍子木を持ち、パキーンパキーンと打ち鳴らした。
「文爺さん。木戸はとっくに開いてんのに、その変な拍子木は何の合図だよ」
「さてねえ。帰ってみてからのお楽しみ。――百の字、兄さんに何かねだるんだろう?」
文吾爺さんが小屋の中に声をかけると、月代の青い少年が伝蔵を見て破顔した。
「お帰りなさい、兄上」
伝蔵の八つ下の弟百樹だ。十四歳になっても駄菓子には目がない。
「お前こんな朝っぱらから、なんでここにっ。加藤先生んとこは?」
「先生の非番は明日です。兄上がお帰りになったら知らせろって。母上が」
まずい。昨晩は吉原に泊まる予定はなかったんだった。
「なあ、文爺さん。ここの番太郎(木戸番小屋の通称)にべっこう飴って置いてる?」
「べっこう、飴? いや浅草から仕入れてくる飴には……」
あんた。番太郎から細君が顔を出して、漉き返し(再生紙)に包んだ黄銅色の飴玉を見せてくる。
「これのことじゃないかい? べっこう色」
「そういや、右の頬にほくろがある、流れの飴売りがまた来てたんだったな」
ここにも流れの飴売り。伝蔵は一つもらって、口に入れる。
「ふーん、麦を煎ってつくった飴、か」
べっこう飴は穀物臭が残り、口溶けも悪い。どこにでもある駄菓子の飴だった。
こんなものが江戸患いに効く。伝蔵もにわかには信じられなかった。
「おばちゃん、これもらうよ。いくつある?」
「一丁五粒はいって、二文。買い取ったのは五丁だけど」
飴売りが番太郎の駄菓子に商品を混ぜるあたり、商売上手なんだか横着者なんだか。
町ごとに仕切る木戸を管理する木戸番屋の給金は、町内の募金徴収によって賄われており、月の生活は苦しい。そのため生計の内職として荒物を売ることが黙認されていた。
荒物は、鼻紙や糊、ろうそく、梱包縄、箒ちりとり、草履に旅わらじなどの生活雑貨だ。
また小屋内で火を使うことも許されており、片手間で作れる一文菓子という駄菓子が子どもに人気だ。あられやかき餅、粟を水あめで固めたおこしや塩煎餅なら三枚で一文(十二円)だ。
「飴を全部と、〝にせ捻頭〟を三丁」
「あいよ、全部で十九文だよ」
にせ捻頭はここ京橋南の木戸番にだけ伝蔵が置かせた駄菓子で、番太郎夫婦が作っている。一丁三文と他より少し値は張るが、手習いから昼飯を食べに戻る子供たちが先を競うように買って行く。
捻頭は、上方の菓子で江戸に流れてきた「下り菓子」と呼ばれる上菓子だ。
江戸では町人が白砂糖を菓子に使用することは公儀から禁止され、黒砂糖の使用は許されていた。そのため上菓子が庶民の口に入ることは祝いの席でも稀であった。
伝蔵が吉原で浅草蔵前の札差・大和屋太郎次(戯名・文魚)から一丁分けてもらったのは白い捻頭だ。美味しかったので木戸番屋でかき餅を揚げていた番太郎夫婦に説明し、「にせ」と冠を着けた黒い捻頭を売らせてみたら、大人にまで引きがあった。
伝蔵は自分が仕掛けたアイディアで人が集まってくると、なんだか胸が躍った。
捻頭がのちに〝花林糖〟と名を変えて庶民に売りだされるのは、ここから五十年後の天保年間、深川六間堀の山口吉兵衛が流行らせるのを待つことになる。
「伝さん、一文多いよ」
文吾爺さんが一文返そうとする。
伝蔵は駄菓子の包み紙を羽織の袖にしまいながら、口許に笑みを浮かべた。
「これは病人の土産だよ、十九で〝重い苦悶〟にしたら験が悪いだろ?」
洒落でうそぶき煙に巻き、にせ念頭を一丁、百樹にほうった。
文吾爺さんはむっつり顔で返す銭を二枚にする。
「なら、十八だ。教わった駄菓子は子供だけじゃなく親たちまで人気だ。毎日拵えても午には売り切れる。こっちは末広がりで稼がせてもらってるんだから。ほれ」
「いーよ、いらねって。十八くずしの八重垣にされちゃあ、あっちのかき餅まで買わなくちゃいけねぇ、そうなったら私の財布も八方破れの百八煩悩ってな。それもそれで験が悪い。んじゃあ今日も一日達者でな。行くぞ、百樹」
弟を連れて歩き出すと、背負っていた三味線に羽織も弟にほうり渡す。
「兄上、裏のお勝手を開けておきますね。ご武運を」
「ったく。吉原遊びの門限破りくらいで、親から勘当より先にお手討ちにされるんじゃたまんねえよ」
とはいえ、伝蔵とていくつになっても、うちのおっ母は、おっかない。