第四十話 受難
天明九年一月二十五日。
度重なる飢饉にくわえ、内裏が炎上したことで光格天皇は在位中ながら元号の天明を改められた。
寛政元年である。
改元に先立って、蔦屋重三郎から正月刊行された黄表紙が評判になった。
『鸚鵡返文武二道 全三巻』作 恋川春町、画 北尾政美である。
前年武家を風刺した『文武二道万石通』の作者・朋誠堂喜三二と仲の良かった恋川春町が「万石通」に「鸚鵡返」することで続編として扱われた。
さらに松平定信が記した『鸚鵡言』を茶化し、政治のあり方を「凧揚げ」に喩えた記述を人々が勘違いして天下泰平のために凧を揚げたら、鳳凰が仲間だと思って勘違いして出てきた。と揶揄したり、やりたい放題だった。
これが前作(万石通)に続き、爆発的に売れた。
この時、重三郎も売り方を変えた。本来は三冊売りなのを一冊に綴じ合わせ、袋に入れた「大判紙摺り袋入り」で売り出した。三冊分の値段になるが、正月から売り出され、二月三月になっても市中で販売された。
公儀は、この『鸚鵡返文武二道』に堪忍袋の緒を切った。
発売からわずか三ヶ月で絶版処分を下すと、前編という扱いで刊行されていた『文武二道万石通』も引責という形で絶版処分にした。
さらに前編の作者の朋誠堂喜三二こと久保田(秋田)藩江戸留守居役だった平沢常富は、藩主佐竹義和に直々の叱りを受けて黄表紙からの絶筆を誓約し、国許に異動となった。
そして『鸚鵡返文武二道』の作者・恋川春町こと松平小島藩側用人倉橋格は、幕府から呼び出しを受けた。老中首座である松平定信が自費出版した著作までイジり倒したのだから、被害者が釈明を求めたのは至極真っ当な出頭命令だった。
恋川はここで何を思ったのか、その出頭命令に病を理由に遅延、刊行から七ヶ月後の七月七日に死去する。四六歳。
一般的な憶測では、本作が小島藩主松平信義の手によるもので、恋川の名義を使って刊行したとするものがある。なぜなら恋川春町自身が浮世絵師であり、画が達者だからだ。
『鸚鵡返文武二道』が恋川自身のの自画賛で足り、北尾政美が絵を描く必要がなかったはずである。
また恋川が当初から松平定信の著書『鸚鵡言』を知らなかったとする補強説もある。
このことから、評定所において事情を把握しきれていない恋川に弁明されて困るのは、藩主松平信義だった、という机上推測に至る。この口封じ説を裏付ける証拠はない。
こうして戯作界の二大巨星は、江戸を去ったのである。
「出版差し止めっ!?」
一月下旬。耕書堂蔦屋重三郎。
伝蔵は重三郎から渡された書状に目を通すや、すっとん狂な声をあげた。
『〈飛脚屋忠兵衛仮住居梅川〉奇事中洲話 全三巻』(画・北尾政美)が、町奉行から板元へ刊行禁止処分を通告されたのだ。版木も押収されて焼却される。
下地は近松門左衛門の『冥途の飛脚』だ。この戯作も実話を材に取ってた。伝蔵がそこに材を取ったのも七十年前のもじりだからだ。それが土山様の事件と状況が似ていたが、浄瑠璃や歌舞伎の上演は止められていない。
重三郎は努めて感情を顔に出さず、首をつるりと撫でて低く唸った。
「ひっかかったのは、背景の米俵だ。あれが『冥途の飛脚』とは関係がないし、土山事件をもじってるって言い分だよ」
「素っからの言いがかりじゃねえか!」
顔を真っ赤にして食い下がる伝蔵に、重三郎も顔を近づけて睨みつける。
「御公儀は借金火だるまで女房娘を売って酒をかっくらう情けねぇ旗本、御家人を救うことに躍起だ。一時の借金を棒引きにしてやって仏面しようってんだ。だから惚れた花魁に狂って公金を横領した武士の醜聞まで蒸し返されたかねぇんだよっ」
「だいたい、土山様の事件に材を取ったことが禁制に触れたといってきてるが、実際は中洲新地の取り潰しへの抗議と捉えられたな。公儀は中洲新地に材を取った図画も軒並み発禁処分だ。よほどあそこから冥加金を吸い上げていたことを闇に葬りたいらしい」
悔しさに震える伝蔵の肩を掴んで、重三郎は頭を振った。
「伝蔵、悪いな。おれだってちゃんと裏は吟味したし、行事とも話し合って、中洲新地の地名くらいいけると思ったから町奉行に提出したんだ。刊行日の正月まで年内に修正指示もなく、年明けになっていきなり恋川様ごと発禁を決めたのは、町奉行よりもっと上だろう。おれも予想できなかったんだ」
「奉行所よりも上って?」
「新体制になって町奉行より上の、幕閣の連中が戯作に詳しくなってるんだ」
発禁となれば当然、板元からの恩恵はでない。去年の執筆にかけた月日が、土山宗次郎の無念が水泡に帰した。
「そんな……こんな理不尽があってたまるかよ」
ご免っ。店前から声がして、帯に紫房十手を差した町奉行与力が耕書堂に入ってきた。
「主人はおるか」
「へい。これはこれは秋山様、今日はどのような?」
重三郎の態度を豹変させる早さは、歌舞伎の早替わりなみだ。
「この戯作は、どこの板元から出版されたものか探しているのだが、心当たりはあるか」
与力から差し出された戯作を受け取ってぱらぱらとめくり、重三郎は目をみはった。
「伝蔵っ、おい伝蔵!」
側にいるのに大声で呼びつける。
寄ると見せられたのは表紙ではなく、丁末(最終ページ)だった。
[画工 北尾政演]
『〈世直大明神金塚之由来〉黒白水鏡』
田沼意知と佐野政言の刺殺事件のもじりで、佐野家を世直し大明神、田沼家の凋落をわらうことを揶揄する内容だった。他の発禁処分に並ぶ黄表紙だった。
伝蔵は去年『時代世話二挺鼓』で同事件に材を取り、不問にされているので再版意思がない。
だから他から頼まれても断る案件だ。
著者は石部琴好といい、本名は松崎仙右衛門。本所亀沢町の御用商人という。
板元は不明。草双紙問屋(小売店)へ直接もちこまれた物らしかった。板株認可を受けていない同人誌だったわけである。それがどうして公儀の目にとまったのかも不明のままだった。
二日後。伝蔵は町奉行所に召喚を受けた。
「まことに画を挿した覚えはないのだな?」
北町奉行初鹿野信興。石河政武の後を受けた柳生久通の後任として着任した。四六歳。
「はい、ございませんっ」
伝蔵は黒紋付きを着て、平伏しながら強く返答した。付添人として父伝左衛門がついた。
「こう申しては自縄自縛、馬脚を自ら現す浅慮でございますが、その覚悟で申し上げます。先に起こりました、かの殿中事件においてはすでに『時代世話二挺鼓』にて織込み、刊行となり、御公儀からのお認め済みでございます。なのにどうして今更、あの痛ましい悲惨な事件に二度も材を取りましょうか」
蔦屋重三郎の入れ知恵だった。
『ヘタクソな雑草本で罰せられるくらいなら、公儀が板株検閲の通過を決めたことを逆手にとって山東京伝で罰をもらってこい。そっちで町方の威信を揺さぶるんだ』
『それだと、逆に重三も罪に連座しないか?』
『は、地本問屋は売り場だぞ。内容が悪いのは書家のせいだ』
板元が都合のいいことを言ってる。けれど重三郎の言は真実で、黄表紙における違法図書の責任は書家に重きを置く。挿絵を描いた画師は書家の指示に拠るところ大なので、免責が通例だった。
ところが、
「裁決を言い渡す」北町奉行が立ち上がり、奉書を広げて宣言する。「北尾政演こと新両替町一丁目住、吉川町家主岩瀬伝左衛門倅、伝蔵を無罪とする。ただし、画号を盗用、悪用されし落ち度あり、よって過料 銀四朱(二千五百円程度)に処す」
「お、お待ちください!」
伝蔵っ。父の制止の声を振り切るように、伝蔵は声を張った。
「わたくしは顔も知らぬ人物に名を無断で用られ、お武家の事件から戯作の材を取った廉でここに呼ばれて参ったのです。なにゆえの過料を命じられるのでございましょうか」
初鹿野は、にべもなく言う。
「本件、誰かが責めを負わねばならぬ」
「なれば、石部某こと松崎仙右衛門にこそではございませんか。一町人に過ぎぬわたくしめにどのような廉があるのかと、お尋ねいたしております」
「石部琴好こと松崎仙右衛門は手鎖二十日、身代闕所(家財没収)、江戸所払いが決まっておる」
重い。伝蔵は公事(法律事務)に詳しいわけではないが、罰の数で重さが肌で分かった。
御法度において詐欺に相当する罰だった。たかが戯作一つで身代闕所と江戸追放は、この戯作が板株を得ていたならチェック機関となる行事も不行届で受けるくらいの厳罰だ。だが現実は板株を持たない同人誌。地本問屋株仲間の管理の外、小売店が戯作を買ってしまえばいくらでも現れる雨後の竹の子なのだ。そんな馬の骨のために、なぜ画工がありもしない罪で罰を受けなければならないのか。
「そのほうの名前がある以上、本件の罪に連座するのだ」
「話が違います。先ほど、わたくしめは無罪と聞き及びましたが」
そこまでいって、伝蔵は目を見開いた。察してしまった。
「もしや石部琴好、いまだ見つかっておらぬのではございませんか?」
「現在、捜索中である」初鹿野は毅然としかし、疲れた目で応じた。「だが問題の戯作はここにこうしてある。これが市中で売られた事実も把握している。よって出版を差し止めた。彼の者は逃亡とみなし、探索方で今も行方を追っている」
畜生っ、馬鹿野郎がぁ。伝蔵は目を強く閉じた。
自分の罪から逃れようとして罪を余計に重くした。その加重罰のとばっちりで、本来はお目こぼしにされてきた画師の免責がふっ飛んだらしい。
「しかしながら、無罪のお裁きをいただいてなお、過料とは余りにも」
伝蔵がなおも食い下がると、初鹿野もまなじりを釣り上げた。
「いい加減にせよ、伝蔵。来年には江戸の地本と錦絵の問屋組合を作らせる。かような公儀への批判文書が出回らないよう相互監視させる。よってこたびの過料、神妙にいたせ」
ごりっ。伝蔵は平伏したが、奥歯を強く噛んだためにあごの骨が擦れた。
自分でも驚くほど大きな悔恨だったから、後見役の父に後ろから紋付きの裾を掴まれた。
「これにて、一件落着」
初鹿野は首をつらそうに回しながら、お白州から奥へ引っこんだ。
その後、石部琴好こと松崎仙右衛門の裁きがお触れとして公示された。
もちろんその末尾に、「北尾政演 過料」も書かれた。
初鹿野信興は翌年、自身が伝蔵に宣言した通り江戸地本錦絵問屋組合(東京地本彫画営業組合の前身)を結成させ、いわゆる板元を中心とした互助監視制度を主導した。
それでも、市中に戯作や絵画の贋作盗作品は一向になくならなかったのであるが。




