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京橋の伝と本所の銕(てつ)  作者: 泥亀草也
第一章 割り勘を始めた男
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第四話 身軽の折助



『鶴亀』の舞いが終わると拍手の中、舞った遊女二人はお座敷に残り、客たちに酌をして回る。

 伝蔵は太鼓(たいこ)新造(しんぞう)たちと、一度階下の階大広間まで降りて、彼女らにご祝儀を配る。

 新造たちが()けると、ご内所の長火鉢で茶をすする扇屋主人に噛みついた。小声で。


「墨河、なんで今日になって、あんな隠し玉を用意してたんですか」


「念押しだよ。土山様みてぇな太客は怒らせるより喜ばせた方がいいのよ。実際、あのお人の目は()そでに釘付けだったろう?」


「目が釘付けどころか、口に蛸壺を呑みこんでましたよ」

「あれ、もしかして伝さん知らねぇの? 土山様は片道で誰が袖に入れあげてんだよ」


 吉原から聞こえてくる噂だけは聞いていた。

 土山宗次郎は、とある花魁おいらんに何百両という額をつぎ込んでるらしい。

 当の花魁はいまだ真名(まな)を口にするどころか、毎席ごとに肘鉄をくらわせているとか。

 まさかその花魁が、誰が袖とまでは知らなかった。


「それで、土山様のあの焦がれ様だ。これで『木曽』の件はチャラよ」


 墨河の悪知恵は、武士の悪知恵よりも一枚上手だ。

 墨河も伝蔵も稲城が()れてくれたお茶を受け取り、ひと息にすする。


「そんで、伝さん、うちの菊園。どうだった?」

「え。ああ、よかったよ」


 細部を思い出しながら応じると、墨河は野暮天を見るような目で笑った。

 稲城(いなき)が苦笑まじりに言葉を添えた。


「菊園はね、気立ても器量も充分なのに、あの背丈たっぱさ。見た目が花を持たせるより、槍を持たせた方が様になっちまいそうなのがきずでねえ」


「へえ。客つきは?」


「悪くはないよ。物覚えもいいし、根がまっすぐだからね。客の話を親身に聞いてやって手堅くやってる。他の子の面倒見もいいから、他の振新(ふりしん)振袖(ふりそで)新造)や禿かむろたちとも仲良くやってる」


 なんで稲城は、自分に菊園を売り込んでくるんだろう。


「でも三年で部屋持ち(中堅遊女)になれないのは客運がなかったのかもねえ。今年から妹も扇屋(うち)に入ったから、もう芽は出ないかもねえ」


 姉妹で江戸の遊女。家に甲斐性が無く、娘ばかりなら上から順番に働きに出されるのも珍しくはない。江戸の外は内よりも飢えている噂は伝蔵の耳にも入ってきていた。


 稲城は亭主をちらりと見てから声をひそめる。


「妹のほうは五つ下の十四。今、瀧川(たきがわ)禿(かむろ)をやらせてる。うちの人が大層、気に入ってさ。瀧川と同じお師匠さんたちに結構な額の心づけまで出して、厳しくしつけてんだよ」


「ということは、いずれは姉より妹が先に?」


「そ。もうすぐ留新(とめしん)留袖(とめそで)新造)になって、そこから三年もすれば〝呼び出し〟(花魁)になるよ。間違いなくね」


 稲城は朱雀の卵がかえるのを待つような恍惚(こうこつ)とした笑みを浮かべるが、妓楼の中で夢をしゃべりすぎたと思ったのだろう。伝蔵から顔を背けた。


 揚屋で頂点とされる知性と教養、そしてねやの手管を備えた花魁を抱えることは売上や財力だけでなく、揚屋全体の名誉でもあるからだ。その一方で、妓楼亭主と女将から漏れた思惑が遊女たちに知れれば強い嫉妬を生む。大事な金の卵を巣の中で踏み潰されるわけにはいかないのだ。


 入るは(やす)く、出るは(かた)き新吉原には、男の想像を絶する女の闇が拡がっている。と重三郎から聞いた。


「それじゃあ、さっきのそでは土山様から身請けの話があったとしても?」


「お大名を接待なさる器量だぜ、旗本程度の稼ぎじゃ断るんじゃないの?」


 墨河が煙管を吹かしながらずんぐりした肩をすくめた。


「それこそ、千両でも積まれないとさ」



「ここの揚代、頭割りにしませんか」

 伝蔵は、判取帳を土山宗次郎につきつけて言った。

 土山宗次郎は盃に()(そで)の酌をうけながら、鼻でせせら笑った。


「思い上がるなよ。この遊女は大文字屋花魁・誰が袖だぞ? いくらになると思ってる」


「足りなければ、その分こそ土山様がお持ちになればよいではありませぬか。それでみなも感謝のし甲斐があるというものです。ですが、正月の件で土山様が日ごろの支援(紫煙)を強く吹きつけられては些か(いささ)煙たい、そうおいさめ申し上げたいのです」


 土山も狂歌をたしなむ狂歌師、すぐ狂歌文集の話に気づいたようだ。それに「町人風情がでしゃばるな」と岡惚(おかぼ)れする遊女の前でキレたりもしなかった。


「ふんっ、れ合いでは狂歌の末は先細るわ。競って高め合わねば」


「その結果、『万載狂歌集』が評判になりました。ところが装丁を開けば、大の男が金なし職なし、女なしを嘆いた内容ばかりです。狂歌の真髄の、情けないこと情けないこと」


 参列者や板元から笑いが起こった。それが狂歌の醍醐味だからだ。


「山の手(四方・朱楽)連の貧しさを笑い飛ばすことと、唐衣連の毒にも薬にもならぬ江戸の由無し事をスッパリと正論で混ぜっ返して茶化してやることは、狂歌が進む大八車の両輪だと私は思います。どっちが優っても劣っても輪が小さくなっても江戸の狂歌は前にも後ろにも走れなくなる。そうでしょう?」


「なら、この帳面は、俺にあだ(仇)を討つ連判状か」


 伝蔵はまっすぐ、土山宗次郎をみた。


「忠臣蔵をやるつもりなら、扇屋も土山様お求めの『木曽』をここで披露してますよ。私どももさっさと土山様についえ全部を押しつけてゴチあり、と蜘蛛(くも)の子散らして新吉原を出てます。私どもは主君に忠義をたてる前に、生計を立てなくちゃいけません。狂歌は憂さ晴らし、たしなむものであって競うものではありません」


 土山宗次郎は押し黙る。


「江戸狂歌はようやく江戸の〝粋〟が芽を出したばかりです。商家、町人、処士、武家、遊女の分け隔てなく、ここまで無礼講でやって来れたのです。本席、四方先生の母君様還暦のお祝いがてら、祝宴のついえと狂歌一首を添え書きして母君様に献呈したいと思いますが、いかが」


「説教はもういいっ、貸せっ」


 判取帳をひったくると、小筆で記帳を始めた。


「お前、この会の費えが頭割り勘定と言ったな。一人頭いくらを計上している」


「金三()(一両の四分の三)を四十人分です」


 しめて金一二〇分=三十両ほどになる。新吉原に通って三年、扇屋での揚代の払いは蔦重や鶴喜を介して、どれだけふっかけられるかは見当がついていた。


 だが土山宗次郎は鼻先で一笑に伏すと、伝蔵を睨みつけた。


粗忽(そこつ)者め。お前の目の前にいる太夫が目に入らないのか。それぽっちじゃ足りねぇよ」


「へ……ええっ、そんなにっ!?」


 誰が袖が小首を傾げるようなつやっぽい品をつくって、伝蔵に微笑みかける。


 伝蔵の判取帳は参列した狂歌師に回されていき、ちょっとした狂歌会になった。そして最後に渡ったのは今日の主座である利世様だった。表紙をめくった最初の見開き一丁を見て思わず顔を(ほころ)ばせた。


「あらあら、まあまあ。見事な白梅と老松だこと」


 伝蔵が描いたものだ。頭割り勘定を吝嗇(けち)とか武家の面目潰しとか、頭でっかちに考えてほしくなかったから。頭割りの持ち寄り勘定も、今日の趣向の一つと受け取って欲しかった。


「直次郎(四方赤良の通称)、これほしいわ。北尾葎斎(りっさい)政演(まさのぶ)ですってよ、きっと重政さんのお弟子さんね」


「まあ、そのようで」


 四方赤良が母親から判取帳を取り上げると、そこに小筆で一筆入れて返した。


「一名 身かるの折輔(おりすけ)……あら、これって?」


 (せがれ)は苦笑して、母に紹介する。


「そこの説教坊主の名です。本名を岩瀬伝蔵、戯名を──山東京伝と号します」


「戯作……あら、あなた、狂言師じゃなくて狂歌師なのね?」


 利世様に合点がいった顔をされて、伝蔵も返答に窮した。

 それをみて四方赤良と土山宗次郎が同時に噴き出したので、お座敷が笑いで満たされた。

 芝居口上や三味線を弾いて、画師や狂歌もやる。なんでもござれな身軽の折輔だった。



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