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京橋の伝と本所の銕(てつ)  作者: 泥亀草也
第五章 日光道中膝栗毛
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第三八話 竹ノ塚の血闘 前


 追っ手は栗橋の関所を難なく抜けてきた。

 伝蔵は確信を得た。


「あいつら公儀──関東郡代の手附(てつけ)(巡察官)に化けてあちこち襲っていたんだ」


 関東郡代は、勘定奉行直属の地方機関である。その郡代官に従属し、広域警察の役割を担っていたのが手附だった。のちに天明の飢饉や洪水を受けて治安が悪化した北関東を取り締まる、関東取締出役の前身である。


 手附は犯罪行為に対して風聞だけで逮捕が認められ、御領や私領は言うに及ばず寺社領までの越境行為が許された。そのため辺境駐在官と地元有力者との癒着が慢性化し、専横が始まった。

 神稲徳次郎が義賊ともて囃されたのも、地方領主の無策に加えて、この中央行政の出先機関の腐敗もまたひどかったからだろう。


 手附は、代官所に十年以上勤めた武士二名が主幹し、小者、雇足軽、案内役を二人ずつの計八人で巡視を行っていた。なので本物の手附とは三人足りない。だが五人いれば関所を(あざむ)くことはできるらしい。


「正体見たり枯れ尾花、ってな。神稲徳次郎が江戸で仕事をしなかったのは、手附になりすましてシゴトをしているのがバレるのを恐れたからだ」


 代官を偽証して悪用すれば、公儀は本気で神稲徳次郎たちを追い始めるだろう。


 百樹と滝澤左七郎に目顔を向ければ、二人は心得て脇差と大刀を抜刀し雑木林にひそんだ。伝蔵は先を歩く駕籠に呼びかける。


重三(じゅうざ)、喜右衛門」

「あん、何かいったか? どうした」


「ここから千住の宿まで走ってくれ。追っ手が来てる」

「追っ手? おい、冗談だろ。賭場で三両ぽっち勝ち逃げしただけだろうが」

「重三、その勝ち逃げって草津湯でだよね。もう江戸が目の前なんだけど」


 どんだけ金に困った追い剥ぎなんだよ。喜右衛門が呑気なツッコミを入れた。

 伝蔵はあえて笑っておいた。


「その金目当てかは知らないけど、とにかく走ってくれ。千住まで行けば安全だから」


 そういって伝蔵は、重三郎に書簡を一通おしつけた。


「おい、なんだよ、こりゃ」

「これを千住宿の飛脚問屋、中屋六右衛門さんに渡してくれ」

「おい、これまさか遺書じゃないだろうな。本当に丸腰で大丈夫なのか?」

「いいから早く行って! 斬られてからじゃ遅いから!」


 伝蔵の発破で、重三郎より駕籠かきの三太朗と段平のほうに火がついた。目に見えて速度を上げたので、喜右衛門も急いで駕籠を追いかけていった。


 日光街道唯一の関所・栗橋宿を越えるまではなんの敵意もなかったのに、江戸が遠目に見えてきた頃合いを図って殺気を隠さなくなった。


「神稲徳次郎は兵法でも心得てんのかねえ。こっちの気が緩むのを待ってたみたいだ」


 伝蔵は百樹と左七郎にはまだ合図を出さない。街道を外れ、農道を走った。

 にせ手附(てつけ)五人も街道を折れて、迷いなく農道に入ってきた。


 伏せさせた雑木林から百舌(もず)の金切り声が五回囀さえずった。

 滝澤左七郎が合図の催促か。

 伝蔵はまだ出さない。背負い葛籠つづらの負い紐を両手に掴み、走る速度を上げた。


「やつが例の画師だっ、始末して荷物を取り上げろ!」


 にせ手附たちの号令が殺気を帯びた。しかし伝蔵の逃走にあわせて速度を上げたことで、追っ手の足並みに個人差が生まれ始めた。


 道幅いっぱいの横一列が狭い農道に入った頃には縦一列に変わった。

 ピィーッ!

 伝蔵が息を切らせながら必死で指笛を吹いた。その刹那である。

 雑木林から大刀と脇差が猛然と飛び出して、最後尾の侍が「あっ」と言う間に襲いかかった。


「なんじゃ、こいつらっ!?」


 まず左七郎が行く。長身から大刀が袈裟懸けに斬り下げれば、にせ手附とっさに(しのぎ)で受けるため足を止めた。その横を脇差[水心子正秀]が走り抜ける。にせ手附は左膝のすじはかまごと切り裂かれて重心を失ったところを、左七郎が泥水流れる側溝に蹴落とした。


 百樹はすでに次の背後に襲いかかっていた。相手は背中を斬りつけられてはたまらぬと身を翻して撥ね除けたが、その時にはもう大刀がその膝腱(ひざすじ)を刈っているのである。


 普段は犬猿を自認する百樹と左七郎が、伝蔵を救わんがため阿吽あうん連繫れんけいを見せたが、お互いに合わせたと思われたくないので終始無言だった。


 伝蔵は古河宿で、二人にだけ長谷川平蔵との計画を話した。唖然とする二人にくれぐれも頼んでいた。


「万が一、追っ手が襲ってきても、なるべく殺さないでくれ」


 追い剥ぎの死体など旅の肥やしにもならないからだ。すると左七郎が申し出た。


「では、先生。竹の塚に知り合いの農家があります。逃げの一手を打つなら、そこの狭い農道まで追っ手を引きつけてはいかがでしょうか」


「竹ノ塚……どんな知り合いなんだい?」

「江戸で越谷吾山という文人から、ともに俳諧を習いました。谷古宇(やこう)という老人です」

「俳諧か。なるべく無関係の人間を巻きこみたくないんだけどな」

「大丈夫です、その老人は剣の腕が立ちます」

「えっ、本当かい?」


 谷古宇やこう兵衛といい、武州多摩戸吹村に住む近藤三助の下で修行したが、指南免許が一向に授からず挫折し、現在は竹塚の村名主だった兄の後を継いで百姓をしているという。


「趣味で戯作を書いているらしいので、いつか高名な戯作者と交流を所望しているそうです」

「まあ、添削くらいなら喜んでやるよ」


 ということで、伝蔵みずからが(おとり)となって逃げて敵を誘いこむ反撃の策は決まり、今に至る。


「おいっ。矢島、岡部っ、手を貸せぇ!」

「矢島っ。葛原と忍野がいないぞっ」


 にせ手附てつけが後ろを振り返って、仲間が討ち捨てられていることに焦りだした。


「そこで食い止めろ、児玉。岡部。前を行くヤツは丸腰だ。後ろはその後でいい」


 矢島と呼ばれた侍は人を斬り慣れているのか、逃げる伝蔵が組みしやすいと見たようだ。



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