第二話 江戸狂歌の始まりと妓楼扇屋の亭主
大田南畝。通称は直次郎。戯名を四方赤良と称した。
牛込中御徒町(新宿区中町)の御徒衆七〇俵五人扶持の下級武士の嫡男として生まれ、十五歳で江戸六歌仙の一人とされた内山椿軒に入門する。ここで朱楽菅江と同門になり、唐衣橘洲とは五歳上の同門先輩だった。
十七歳で父親の徒士見習いとなったが、学問を捨てずに狂歌を始めた。そして二年後、平秩東作に励まされてまとめた『寝惚先生文集』は苦学して書きためた狂歌が江戸狂歌の先駆けとして迎えられる傑作となった。
〝為貧為貪奈世何 貧すれば貪する 世を奈何
食也不食吾口過 食ふや食はずの吾が口過
君不聞地獄沙汰金次第 君聞かずや 地獄の沙汰も金次第
于稼追付貧乏多 稼ぐに追ひ付く貧乏多し〟
大田直次郎の「貧鈍行」とよばれる狂詩は、中国の詩人・杜甫の『貧交行』を下敷きにした「もじり(パロディ)」である。
刊行は明和四年(一七六七年)。直次郎、十九歳である。
当時江戸の処士(無仕官の有識者)で有名人だった平賀源内の序文(前書き)もついて評判になった。
折しも、各藩が身分によらない処士の登用が始まっており、その初等試験で「素読吟味」という漢詩の暗誦が課されていた。
杜甫や白居易といった文学性の高い詩歌が難解を極める中、狂歌詩『寝惚先生文集』はその漢詩を学ぶとっかかりになるとベストセラーになった。
天明三年(一七八三年)、現在。
大田南畝は、三五歳。御徒衆として勤めながら、狂歌師としてひと山ふた山越えて狂歌の第一人者となっていた。
伝蔵は、二二歳。十四歳から画師・北尾重政に師事して八年目、黄表紙に挿絵を入れる仕事をしていたが、昨年に刊行した黄表紙『御存知商売物』が四方赤良に認められて評判になった。
あらすじは、下り絵本(大坂京都から下ってくる出版物)に唆された赤本(子供向け絵本)と黒本(挿絵入り演劇物語)は青本(大人向けの現代小説)の妹・柱隠し(柱絵)を誘拐し、青本は赤本と黒本の根性を綴じ直して味方に引き入れ、下り絵本をとっちめて柱隠しを取り戻す。本を擬人化して黄表紙の懲悪という流行支持の趣向が気に入られたようだ。
以降、狂歌会や挿絵仕事が増えた。今回も祝いの席にも招待されて「ゴチにあずかれる」はずなのだが、今回はどうにも内情がきな臭い。置き土産にした平秩東作とは伝蔵も頭の上がらない先輩戯作者だったから、ひと肌脱がねばならないようで、
「面倒くせえや」
頼まれたもう一人の重三郎は営業を続けながら店の移転作業で忙しく、旅杖ほども当てにならない。
企画を思いついてしまった手前、伝蔵だけで義理を通すことになるらしい。
背負った三味線の腰を撫でて、会場となる大見世〈扇屋〉へ顔を出す。
場所は吉原の大門を潜ってすぐ右手の小路、江戸町一丁目の表通りを歩く。
「おや、珍しい。日も高いうちから、伝さんの顔を見るなんてね」
暖簾を払うなり女将の稲城から軽口が飛んできた。
昼間に他の常連客が現れても同じ事をいっているので会釈で応じ、妓楼主人の墨河こと鈴木宇右衛門に挨拶する。
「墨河、調子はどうです?」
「まだ日が高いからな。伝さん、今夜の赤良先生の酒宴に呼ばれたの?」
漁師のような塩辛声に色黒の肌、体はさほど大きくないのに押し出しは大関の貫禄だ。四十路は目前で眼光も力がほとばしっているが、大銀杏には白いものがまじり始めていた。
「大見世〈扇屋〉のゴチだからね。断る理由がないじゃないか」
「はっはっ。うちに他人の金だけで三年通ったんだから、てぇしたタマだよ」
伝蔵は背中の三味線を畳におろしつつ、
「主座が赤良先生の母君だって話は」
「もちろん、聞いてる」
「出し物は?」
「出し物? 座興は……お稲、何かきいたか?」
「いいえ。伺ってないよ。振新(振袖新造/下級遊女)を四、五人酌役って注文は受けてるけど。座興はなにも」
「土山様からは?」
伝蔵がたずねると、扇屋の主人夫婦は一瞬、互いの目線を交わして、
「『木曽』」声を揃えて言われた。
能楽『木曽』は、平氏を討つべく祈願文を書き付けて戦勝祈願する木曽義仲の一場面を演じる能劇だ。歌舞伎にもなっているが、あからさまに勝敗を匂わせる能の演目だ。
伝蔵が思わず額を押さえると、墨河も鼻を鳴らした。
「戦記物をわざわざ吉原の座敷で余興する意味がねえって断ったら、土山様に金春座を紹介されそうになったのよ。まいったぜ」
「金も積まれた?」
「一曲三十両だすってよ。あのお武家もどうかしてんのよ」
「墨河さん、それを受けたのかい?」
妓楼主人は心外そうに逞しい眉をひそめた。
「伝さん。うちにだってできることと、できないことはあるの。この天下泰平に、この扇屋で戦勝祈願する遊女を見て、誰が喜ぶっての」
同感と頷くと、墨河にチロッと睨まれた。
「伝さん、まさかおめぇまで、うちの娘たちに無茶を言う気なの?」
「いや、実は『鶴亀』を長唄で舞をつけて、やってみようかなって」
能楽『鶴亀』が長唄として正式に作曲されたのは、ここから約半世紀後の嘉永四年(一八五一年)の十世杵屋六左衛門の発表を待たなければならない。それまでは歌譜という歌詞だけが出版された。それを持って歌の師匠に弟子入するのだ。
「松永流の『鶴亀』なら、還暦祝いに悪くねぇ。三味線背負ってきたってことは、拍子は伝さんが着けるとして、舞いは?」
伝蔵は無念そうに首を振った。
「宴は明日だし、私は長唄にすることで精一杯だよ」
「そうか。──お稲。伝蔵に囃しと謡を見繕ってやんな」
「はいな」稲城が立ちあがって二階に上がる。
「んで、揚げ代は持ってきたの?」
「蔦重の財布で、六両もってきた」
「よし。なら、あとで舞妓を二人助けよう。赤良先生と母君へのご祝儀だ」
「さすが妓楼扇屋の亭主、抜け目がないね」
墨河は煙管に煙草をつめながら、ニカリと笑った。
「何言ってんの。祝い事はみんなで盛り上げた方が愉しいに決まってんじゃないの」