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京橋の伝と本所の銕(てつ)  作者: 泥亀草也
第二章 伝蔵とよね
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第十二話 手拭い合わせ 準備



 明けて、天明四年・正月。

 昨年下半期の在庫を一斉放出するように、各板元が様々な戯作が店頭に並んだ。

『天慶和句文 全二巻』板元・仙鶴堂 鶴屋喜右衛門)、「山東京伝妹十四歳少女 黒鳶(くろとび)式部」の序文(前書き)が入った『不案配即席料理 全三巻』板元・鶴屋。そして『他不知思染井ひとしらずおもひそめい 全二巻』板元・鶴屋を伝蔵がよねにかわって代作した。


 また言い出しっぺの重三郎もそれどころではなく、昨年に大好評を博した北尾政演(まさのぶ)(伝蔵の画号)の『吉原傾城美人図』四幅を絵本として一冊にまとめた『吉原傾城(けいせい)新美人(あわせ)自筆鏡』を刊行。序に四方赤良(よものあから)こと四方山人、ばつ(後書き)に朱楽菅江(あけらかんこう)という狂歌界の飛車と角将の二枚を配し、満を持しての刊行となった。


 これに全力を使い果たしたのか、歳末に重三郎がひっくり返った。ひっくり返った先の寝床でも校閲していたので、医塾・天真楼から往診にやって来た杉田玄白から、


「六日間一睡もしてなきゃ誰だって倒れるよ。むしろどうして今まで倒れなかったの」


 不思議そうな顔をされたという。

 年の瀬に伝蔵も見舞ってやる。枕元に座って軽蔑するような眼ざしで、


「よくもまあ、よねを耕書堂の花にするとかなんとか、どの口が叩いたもんかね」


 さすがの悪党・重三郎も決まりが悪かったのか、


「まあ、待て。版木はあるんだ。仙鶴堂に貸しってことで版木を渡すからよ、な?」


 という経緯があって、鶴屋喜右衛門を介して刊行される運びとなったわけである。

 ただ、刊行した『他不知思染井ひとしらずおもひそめい』はあまり評判がよくなかった。


『十四歳の娘が書いたにしては、吉原の事情に精通しすぎている』『十四歳とは思えぬ心情(恋愛)が(こな)れすぎてる』『ほとんど山東京伝の手癖が(以下略)』

 さらに、


「ねえ、よね。最後に花魁と結ばれた若旦那って、伝蔵さんよね?」


 母大森にまで指摘されると、その日一日、よねは納戸なんどを面会謝絶にした。


「もう戯作なんて書くの、いやぁ!」 


 百樹は腹を抱え、身をよじって笑い転げた。


 またこの年、伝蔵が刊行した『小紋裁』という滑稽(こっけい)図本が好評を得た。


 小紋は着物の一種で、生地の模様(小紋)が上下に関係なく入っていることから普段着として着用される。もとは武家の礼装から発祥した小紋は、庶民も真似するようになり、絵柄に生活用品や縁起物、歌舞伎、遊里、野菜や動物などをあしらった遊び心から生まれ、定着した。これを〝いわれ小紋〟という。


 小紋を戯作にしてみよう。伝蔵が思いついたのは、母大森の何気ない一言がきっかけだった。


「こう灰が舞ってくるんじゃ、小紋がいくつあっても足りゃしないわね」


 小紋が足りないわけじゃない。小紋は無地が基本で、礼装の装いしか用がない。一着で充分なのだ。

 であれば小紋をもっと身近に染めたくなる意匠デザインを増やしたら、いろんな小紋が欲しくなるのではないか。〝いわれ小紋〟が染め物職人のささやかな遊び心で終わっていた庶民の〝(いき)〟が本格的に競われ始めたのが、伝蔵の『小紋裁』が始まりではないにしても、この戯作は売れた。


「なあ、伝蔵」

 その年の二月。

 三月に刊行予定の洒落本『二日酔巵觶』ふつかよいおおさかずきの挿絵を描いていると、後ろのちゃぶ台で作者である森島万蔵が声をかけてきた。普段、戯作者と画師が直接顔を合わせることはあまりないが、万蔵が岩瀬家まで駕籠かごで乗りつけてきた。今はその駕籠で、よねが母大森と経過受診をうけに日本橋浜町にある杉田玄白の私塾兼診療所・天真楼へと出かけている。


 万蔵が少しむすっとした顔で茶碗を持って、虚空を見つめている。


「この間、また柳橋河内屋で宝合会やったんだよ」

「あそこで、よくやってますね」


「座敷は広いし、借り代も手頃な料理茶屋だからさ」

「あそこの料理もうまいですよね」


「そう。それで次は、池之端の蓬莱屋にしようかと」

「えっ、池之端っていったら精進料理の? 番付にも載ってる茶屋ですよ」


「うん。この間の宝合会でさ、平秩へづつさんが手ぬぐいを宝として出品してきてね」


「手ぬぐいを、ですか」

「その名も『妹尾(せお)五郎兵衛が産女(うぶめ)からもらった合力手拭い』だ、出羽国(でわのくに)の昔話らしい。聞きたいかい?」


 伝蔵も聞いたことがない話だったので、筆を置いて平秩東作が旅先で拾ってきた物語に耳を傾けた。


〝昔むかし。

 出羽国秋田横手の武士、妹尾五郎兵衛兼忠が、早朝に用事があって(じゃ)ノ崎橋を渡っていると、向こうから赤児を抱いた女が歩いてきて、兼忠にしばらく赤児を抱いていてほしいと頼んできた。

 他に誰もいなかったため、兼忠はやむを得ず赤児を預かった。


 女性が去った後、抱えていた赤ん坊が次第に重くなってきた。さらに赤児が成人のような目つきをし、兼忠の喉元を睨むため、危険を感じた兼忠は小柄こづかを抜いて口にくわえた。

 赤ん坊の重さはいよいよ増し、ついに耐えきれなくなり兼忠は思わず念仏を唱えた。


 小半時(一時間)ほどしてようやく女性が戻ってきて赤ん坊を受け取り、お礼にお金を渡そうとした。兼忠が固辞すると、女性は、


「わたくしはこの土地の氏神で、いま氏子の一人が難産で苦しんでいたので助けを求められたのです。あなたに預けたのはまだ産まれていないその子で段々重くなったのは母が危険だったからです。あなたの念仏のおかげで親子ともども助かりました」


 子々孫々にわたり、力をあげましょう。といって手ぬぐいを差し出した。

 兼忠は受け取って、用事のために急いで橋を去った。


 翌朝、兼忠が顔を洗おうとして前日もらった手ぬぐいを思い出し、それで顔を洗った。手ぬぐいを絞ったところ簡単に切れてしまったので、兼忠は「力をあげます」という女性の言葉の意味を理解した。


 手ぬぐいが弱いのではなく、兼忠の力が強くなっていたのだった。と〟


「で、平秩さんが持ってきた手拭いは切れてましたか?」

「いや、新品だった」


 二人はくつくつと笑って、平秩東作の話のオチに感嘆した。

 手拭いは儀礼的な装束として畏怖畏敬する存在に対し、顔を隠すためにも使われてきた経緯があり、日本各地にその名残として手拭や笠で顔を隠して踊る祭り(神事)が多く存在する。

 手拭(てぬぐ)いの古語は「たのごひ(田の請ひ)」で、神仏に対し物や体を祓う儀礼装身具として使われており、「浄める」という意味が込められてきた。


 また寺社へお参りする際、髪が出ないようにかぶることもあったことから、かぶり物としても使われるようになり、日よけちりよけといった〝遮る〟〝払う〟意味合いからも「厄祓い」に通じ、厄を落とす道具として手拭を使う地方風習もあるそうだ。


「それで手拭いをどうするんです。まさかその手拭いだけの宝合会とか──」

「言うつもりだった。題して〝奉献 手拭い合わせ〟だ」

「奉献……池之端、といったら」

「そう、寛永寺だね」


 伝蔵は疲れた顔をつるりと撫でた。寛永寺は徳川将軍家の菩提寺だ。昨夏の浅間山噴火もさることながら、これからの先行きも含めて御公儀から厄祓いを命じられているに違いない。


「どう考えても、間が悪いでしょうに」


「うん、一等悪かった。寛永寺は今、全僧力を挙げて鎮護国家の護摩焚き祈祷してる最中だったよ。さっき貫主(かんしゅ)に交渉を持ちかけたんだが、けんもほろろに断られたよ」


「さっき? ここに来る前に、頼みにいったのですか」

「ダメ元でね」


 すごい行動力だ。にしても、護摩焚きで殺気立ってる坊さん相手に、よく手ぬぐい合わせなんて冗談めいた提案を申し込んだものだ。万蔵の心臓には毛が生えているのかもしれない。


「それで手拭いだけで、何人分集める気なのですか」


「それを伝蔵と決めようかなってね。蓬莱(ほうらい)屋は旗本や商家の妻子も足を向ける高級料理茶屋だから流行(はやり)(さと)い上客が大勢くる。でも主役は手拭いだから衣桁いこうにでも提げておけば、いいわけだろ?」


 呉服大手の越後屋が反物でやっていそうだが、有志の著名人が持ち合って合会(品評会)は伝蔵も聞いたことがなかった。面白そうだ。


「衣桁なら三十いや四、五十はいけるか。今からだと、ちょうど夏あたりですか」


「うん。手拭いにはまさにちょうどいい時期だしね」


「では手間を考えて、狂歌師だけでなく花魁や役者なんかにも図案だけ聞いて回って、後はこっちで手拭い染屋にまとめて持っていった方が早いです。あと、奉献という体なら、催主はどうしますか?」


 すると万蔵はここが手拭い合わせのキモだと言わんばかりに、獅子鼻を寄せてきた。


「およねちゃんに、やってもらいたいんだよ、いいよな?」


 重三郎の悪ノリを、さらに悪ノリしてくる戯作者がここにもいた。

 万蔵の無神経さに、伝蔵がある種のいら立ちを覚えた頃──。

 江戸城殿中では、大事件が起きていた。



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