私は、美しい夜を知っている
私は、美しい夜を知っている。
人が眠り、街がまどろむその隙間にだけ、確かに存在する夜がある。
それは騒がしい酩酊も、街灯の白すぎる光も届かない、音のない時間だった。
私はその夜を、少年のころに拾った。
祖母の家の庭で、枯れた桜の枝に腰かけながら、雲ひとつない空を仰いでいた時だ。
母に叱られ、夕飯も食べずに飛び出した私に、祖母は何も言わず、毛布だけを投げてくれた。
その毛布の重さと、静けさと、遠くでふいに吠えた犬の声を、私は今でも忘れられない。
美しい夜は、怒りも、悲しみも、恥も、すべてを均しく包み込む。
ただそこにあることを赦すように。
それから私はいくつもの夜を見てきた。
東京の屋上で、誰かの名前を呟きながら迎えた夜。
北国の無人駅で、誰とも話さずにいた夜。
見知らぬ女の肩越しに、灰色の月を見上げた夜。
けれど、本当に美しい夜は、決して賑やかではない。
音楽も、笑い声も、言葉すら必要としない。
ただ「ある」だけで、じゅうぶんなのだ。
ある年の冬、私はまた祖母の家を訪れた。
今はもう誰も住んでいない、朽ちた家だった。
玄関の鍵はかかっておらず、床は軋み、部屋には埃の匂いが染みついていた。
けれど、あの庭だけは昔のままだった。
枯れた桜の木。
ひびの入った石畳。
黙ったままの空。
私はまた枝に腰をかけ、夜を待った。
街の灯は遠く、風の音すら途切れたそのとき。
ひとひら、雪が落ちた。
白く、小さく、音もなく。
それは、まるで祖母の手のように優しく、私の肩にふれた。
ああ、と思った。
私はいま、美しい夜に還ってきたのだと。
過去も、未来も、痛みも、赦しも、何もかもを連れて、私はただ、ひとつの静けさのなかにいた。
私は、美しい夜を知っている。
そしてそれはきっと、人生のすべてが過ぎ去ったあとも、私のなかにだけ、そっと残りつづけるのだろう。