91話──生二が守った幸せ
冷え切った牢の部屋へと続く、ワーサーをぶつけて作った穴を通り、薬液や血などが染みている床を踏みしめ、ワーサーが自らぶつかって壊した穴を通って通路に出る。
できるだけエンカウントを避けるため、足音に気を付けながらここまで来た道を戻っていく。
手がかりがあればと、目についた部屋へ入り、目ぼしい物がなければ通路に戻って進んでいく。ほとんどはなにもない無意味な部屋ばかりだった。
ワーサーとの戦いでは相当音が出ていたはずだ。それなのに途中で参戦してきたりすることがなかったということは、きっと付近にはいないだろう。
そんな考えの元、慎重に進みつつも勇気を持って探索していた。
──していた時だった。
「──んん」
「……ぁ?」
とある、なんでもない部屋を見つけて、鍵が掛かっているのか開かなかったためセイジが蹴りを入れて扉を破壊して侵入していた時だった。
そこは結局、簡素な寝床と棚。それと、飲料用と思われる、日本で言う水道の蛇口のようなものがあるだけの部屋。セイジは続くなんでもない空間に落胆しつつ、収獲無しで先へ進もうとしていた。
「ん、ぅ……ん」
その声が聞こえた時、セイジの心を占めた、これまでの緊張感が全て泡となって消えていくほどの安心感。
心安らぐ声色と、再び聴くことが叶った多好感。
「……あぁ、よかった」
思わず足の力が抜ける。それでも、腕の中のぬくもりを落とさないよう、片膝、もう片膝と床に落として衝撃を最低限に抑える。
耐えることはできなかった。このまま立ち続けようとしてしまえば、身体の震えを抑えられなくてどう倒れてしまうかわからなかったからだ。
限界ギリギリな己の心を包み隠し、己自身を騙し、それでもセイジは前に進んでいた。
着いた両膝。崩れた、下手な正座のような姿勢でセイジは腰を下ろす。震える喉からは、籠ったため息が漏れた。
へたり込んだセイジは、アリスをゆっくりと床に下ろし、頭だけは手を下に差し込んで支えた。
それから、意識の目覚めを感じよう、その手を優しく添えるようにして握った。
「アリス……?」
「んぅ……」
名前を呼ぶと、無意識な返答。
音が聞こえたことに対するただの反応ともいえる声の弱さ。瞼が僅かに動いていた。
「アリス」
「んー……」
もう一度名前を呼んでみるも、空のように澄んだ色のあの瞳は見えない。
ただ、寝呆けているような甘い反応が返ってくる。
「……」
少しの間ここでゆっくりしていようか。
時間が掛かってもいい。もし敵が来るのなら、アリスが目を覚ますまでこの部屋を死守すればいいだけ……
そう、セイジが心に決めた時。
「……セージ……さん?」
相当重いであろう瞼を上げて、セイジの残った目を見つめてくるアリスがいた。
そして名前を呼ばれたことで、押し上げた覚悟が簡単に吹き崩される。
「ッ……」
緩む涙腺からなにも零さないよう、息を飲んで堪えた。
心配させてしまうことが一番嫌だったからだ。
「アリス、調子はどう……?」
震えを悟られないように、慎重に表情を取り繕い、穏やかな声を装って返事をする。
「苦しいとか、痛いところとかは無い?」
「ぁ……」
虚ろとした思考がまとまってきたのか、その表情からは困惑と恐怖が読み取れた。
だからセイジは、あの時の借りを返すように声を掛ける。
「大丈夫だアリス。大丈夫」
安心してもらえるよう、ギュッとアリスの手を握る。
「セージ、さん……っ」
「まだアリスは状況がよくわからないと思う。なんでここに連れてこられたのか、ここはどこなのか、これからどうなるのか。不安で不安で仕方ないと思う」
「セージさんは、わかるんですか……?」
「……わかる、なんて言えればよかったのかもだけど、情けないことに俺もわからないことだらけなんだ。ごめんね。嘘を吐いて、アリスを騙してまで安心させようとするのは違うって思うんだ。俺の勝手だけど、どうしても不確定なことばかりでさ…………アリス?」
セイジの言葉を聞いたアリスは、握られてない方の手を支えにして体を起こす。
それを見たセイジは、心配そうに声を掛ける。外傷はほとんど見られなくても、毒に侵されていたから心配で心配で、親が我が子を案ずるような気持ちでアリスの行動を見守る。
頭を支えていた手を背中に移し、改めてアリスを支えようとしたセイジだったが、
「っ……」
「アリス!?」
無言で胸に飛び込んできたアリスに表情を一変とさせ、困惑の感情が剥き出しになった表情を浮かべる。
しかし、なんとか冷静さを取り戻し、セイジはゆっくりとその背中に両手を回す。
右手にはまだアリスの体温が残っていたが、ハグをすることで全身が、心までもが温かくなっていく。人肌と触れ合うのは安心感を感じるものだが、アリスに与えるためのそれをセイジが感じるのはどうかのか。そんな疑念もすぐに晴れていく。
こんなこと考えるくらいなら、言葉を尽くしてアリスの不安を晴らしてあげるべきだと。
「俺にもわからないことばかりだけど、それでもアリスだけは絶対に守るから安心してほしい」
今日、命が尽きようとも、アリスだけは無事に送り届ける。せめて外まではこれ以上の怪我を一切負わせない。
その為には、向かう先の敵を全て殺さないといけない。
全て殺せば、今後再び狙われることもなくなる。アリスは安心して生きていける。
セイジが居なくとも、アリスの身を護る人は沢山いるだろう。セイジ以上に強く、心強い人だらけだろう。
言ってしまえば、ただの自己満足。
「……」
そう考えると、若干の自己嫌悪に陥ってしまう。だが、よくよく考えてみれば人付き合いも恋愛も自己満足ばかり。
社会で暮らしていくためには必要不可欠。人間として暮らしていくにも必要不可欠。
しかし、ただ生きていくのであれば不必要。自給自足の生活だってやろうと思えばできる。できないんじゃなく、やろうとしないだけ。
他者との付き合いは、自分が生きていくために、幸せになるために持つものだ。
であれば、自己満足と言い切れてしまう。どんな言い訳をしようとも、言葉悪く言えば最終的に自己満足へと行き着く。
「……」
深く考えてしまうのは悪い癖だ。
目の前の少女を蚊帳の外に置いて、一人でぐるぐると考え続けるべきじゃない。
「大丈夫……。きっと大丈夫」
すすり泣く声が聞こえる。セイジは泣き止ませる方法を知らないから、アリスの背中をさすることしかできなかった。
背中をさすって、頭を優しく抱えて、高鳴る鼓動が届かない心配して……
「前はアリスに助けてもらった。だから今度は、俺に助けさせてほしい。アリスからすれば頼りないかもしれない。弱いところしか見せてきてないから」
「そんなっ、こと……!」
「でも、こんな時までアリスに守られていたくない。俺だけじゃなく、アリスも危機的状況だから、俺に戦わせてほしいんだ」
言い訳のように言葉を重ねる。
「正直、アリスじゃなかったら一緒に戦ってって提案したと思う。でも、決してアリスが頼りないわけじゃない。実際アリスには助けられて、アリスのおかげで今を生きれてるからさ。……でも、……そうだな。せめて格好つけさせてほしい」
「……ぅ、ん」
それからアリスが泣き止むまで、しばらくの間抱き締め続けた。頭を撫でてあげて、背中をぽんぽんとしてあげて……
「……ありがとうございます」
顔を上げたアリスの目は、少し腫れぼったい。
「大丈夫?……ごめんねアリス」
「え、な、セイジさんが謝るようなことなんてっ!」
「違うんだアリス。俺、聞いたんだ。あいつら敵の目的は俺なんだって。俺が……稀人だから」
「セイジさん……」
言葉にすれば、それはもうドミノ倒しのように──
「ずっと黙っててごめん。アリスは貴族ってこと言ってくれたのに、俺は秘密にしててごめん。俺が稀人だから、俺と関わってたから、こうして巻き込んじゃってごめん。不安にさせてごめん。怖がらせちゃってごめん。痛い思いさせちゃ──」
「セイジさん!!」
「……ごめん」
「っ!」
アリスは、セイジの頭の後ろに手を回して、勢い良く引き寄せた。
「ッ!?アリス!?」
急な行動に、セイジは思わず驚いて名前を叫ぶ。
今までで一番、アリスとの、顔と顔の距離が近くなる。まつ毛の先まで視認できるほどの近さ。
引き込まれるほど綺麗な瞳に釘付けにされる。潤んだ瞳を見ると、庇護欲が掻き立てられる。
そして、やっぱりアリスが好きだなと、セイジは心の底から、全身全霊で実感した。
「セイジさん。私はセイジさんが好きです」
「俺も……」
「う、嬉しいですけど、そうじゃなくてですね」
アリスは少しテンパっている。
さっきまで泣いていたのに強い子だなと、セイジは思った。
「セイジさんが私を貴族だって知っても、私を好きでいてくれていることはもう十分なほどに思い知らされてます。今助けに来てくれて、こうして抱き締めてくれて……私はわかってますっ!」
「うん……」
「だから、そんなことで嫌いになったりなんでしません!」
「……ありがとうアリス」
「卑下にならないでください。誰もセイジさんを責めたりしません」
「本当?」
「……私は絶対にセイジさんを責めませんっ!」
「そっか。アリスが味方なら、俺はなんだって受け止めるよ」
減衰しつつあった力も、不思議と湧いて出てきていた。今ならなんでもできると錯覚するほどに。
「好きだよアリス」
「わ、わかってますからっ!」
そうやって照れてる姿も、本当に愛おしい。
「ふぅ……そろそろ行こうか、アリス」
「いく?」
騒がしい心臓の鼓動がセイジの体温を上げ、やる気をかき立たせてくれた。
「そう。帰る場所があるんだ。ここで待ち続けるよりは行動した方が希望があるでしょ?だから、そろそろ手を離してほしいかな」
「は、はいっ」
アリスに手を離してもらうと、セイジは片膝を立ててアリスに背を向けた。
「……セイジさん?」
「掴まって。俺に全部任せて欲しい」
「……でも、やっぱり私も戦えますっ!私にできることならなんでもやります!」
「じゃあ、アリスは俺の心を支えてくれないか?側にいてくれるだけでいいんだ。声を聴かせてくれるだけでいいんだ。掴まっていてくれれば、アリスの安全を第一に行動できる。それが一番安心するんだ」
「……わかりました。でも絶対死んじゃだめですよ」
首に手を回してくれながら、アリスはセイジにとってかなり実現が難しい命令を出した。
気が抜けたら今にでも倒れそうなほどだというのに。
「もちろんだよ」
どうかこの嘘が嘘じゃなくなりますようにと、セイジはただ願った。
評価ブクマ感想で速度バフが付くので良ければお願いします!
ちょっとでも続きが気になれば!是非!!




