89話──勝者とは
ワーサーの意思が働かずとも、未だ硬いその足を引き剥がし、大急ぎでアリスの元へ向かう。
「やばいやばいやばいやばいやばいやばい。どうすればいい。誰か。いや誰も来ない。毒、毒、魔術使えない。スキルも使えない。解毒させるには──」
意識を失って倒れるアリスの横で膝をつき、舌を転がして思考を回す。アリスの顔とナイフが掠めた腕の傷に視線を交互に行き来させ、生きていたらマズいとワーサーにも視線を向け──
『その時はその時ですし、一応解毒薬は持っていますので死なないようにはしてあげますよ。数は少ないのであまり使いたくないですけどね』
極限まで回転したセイジの脳が、靄掛かり始めた会話の中の、たった一つの希望の記憶を掘り起こした。
「ワーサーが……」
死体を振り返る。
もう時間は残されていない。やるしかない。
セイジはワーサーに駆け寄って、そのローブを剥ぎ取った。
そこには注射器やらナイフやら、まだまだ沢山残っている。解毒薬らしきものは無い。
だが、後悔しないためにも可能性は追わなければならない。セイジはローブから一つ注射器を無造作に取って腕に刺す。
「……」
少しだけ注入して一拍の間様子を見る。
「ぅッ……」
これじゃない。
形容しがたい皮膚がイラつく感覚。明らかに害のある薬品。
「次、だ!」
セイジは自分の体を実験台に、解毒薬を探していく。
ほんの少しでも違和感を感じれば、すぐに次の薬品に手を伸ばし、針を刺し、ナイフで傷付ける。
短時間でどんどん蓄積されていく苦しみ。それを無視してナイフを掴む。
解毒薬は液体だという勝手なイメージを持っていたセイジだったが、ワーサーと出会ってそのような固定観念は消さなくてはいけないと、そうひしひしと感じていた。奪われたことも想定して、ワーサー本人にしかわからないように巧みに紛らわせているであろうからだ。
全てに疑い掛かり、効果が表れるまでの時間も無駄にせず、ワーサーの衣服の裏や隙間など、徹底的に探し、飛ばした仮面の内側も確認。
しかしそこまで仕込まれていることはなく、ローブの内側に整頓されて並べられている物だけだった。結局そこまで込んだ細工をしてしまうと戦いの中でスムーズに使用できないから、そして小分けにしないことでワーサー以外が判別できないようにするためなのだろう。
また異常に襲われ、次のナイフで腕に新たな切り傷を作る。
「……ッ、違う!」
別のナイフを取り、横向きに寝かせて刃の側面で傷口を撫でて表面の物質を入れる。
「違う!!」
焦る。焦らなかったせいで間に合わなかった場合が、一番の後悔に繋がる。そう考えると、毒の影響関係なく心臓がバクバクした。
刻一刻と迫るタイムリミット。
もしかしたら既に取り返しが付かない状態にまで達しているかもしれない。
そもそも解毒薬なんて存在せず、無意味な行動を取っているだけかもしてない。
セイジは全てを疑わしく感じていた。
アリスが演技をしていて、実は無事でしたと起き上がってくれないかと、夢でもありえない想像で気を紛らわせる。
「…………ッ!」
一つ、また一つと選択肢が無くなっていく。
正解があるのであれば絞られていくが、このまま見つからないのではないか。もう見逃してしまっているのではないかと、負の想像ばかりしてしまう。
苦しむような荒い息遣いが聞こえていた方がまだマシだ。嫌ではあるが、無反応よりはマシ。
それが生きているということの、なによりもの証明となるからだ。
しかし、セイジの耳にはアリスのささやかな呼吸すら聞こえない。届くのはセイジ自身の呼吸音、心臓音、ローブを漁る布ズレ音。
とにかく間に合ってくれと願って、苦しみを蓄積させていく。
「ぁ、ふ、ッ……う────ッ……!」
痛みなどの感覚だけでなく、猛烈な吐き気に襲われたり、時折世界が暗転したり、意識が一瞬飛んだり、指先に力が入らなくなったり、記憶が飛びかけたりと、これまでの症状よりも一段と酷いものに襲われる。
血液の味がして、震える手で拭ってみれば鼻血が出ていることに気付く。
上手く注射器を刺せなくなってきて、それでもセイジはなんとか体内に取り込み効果を探った。
そして──
「こえぁ、だ……!」
初めての清涼感のある液体。左腕の痺れが僅かに和らいでいき、握ることもできなくなっていた手の指も少し曲げられる。
じわじわと解放されていく心地良さを感じ、確信。一切の害が感じられない薬品。これがワーサーの言っていた解毒薬なのだと。
セイジは苦しみから解放されたいという自己中な欲求を、振るい立てた根性とアリスを助けたいという想いで抑え付けて左腕から針を抜いた。
衛生面どうこう言っている場合ではない。これが原因で死んでしまう可能性があるからと今行動しなければ結局死んでしまうのだ。
ならばやるしかないだろう。
責任は持つ。
払える価値は多くないが全てを投げ出す覚悟でアリスの元へ。
それから一滴だけ出して注射器の状態を改めて確認したセイジは、遂に意を決してアリスの腕に……刺そうとしたが、咄嗟にその手を止めてアリスの袖を捲ると肩の近くに針を刺した。
手首を掴んで血管の位置を指先で抑え、脈拍を感じようとするもわからない。位置が悪いのか止まっているのはわからない。
もし止まっているなら解毒薬が体に巡らないかもしれない。
AEDなんて便利は物はない。
「だからだから!」
無関係だと高を括っていた時の記憶を掘り起こし、アリスの胸の中心に両手を重ねて置いた。
そしてセイジは、力加減を誤らないよう慎重に、一定のリズムで上から胸を圧迫し始めた。
三十回ほど繰り返してから、顎に手を当てて頭を傾けて気道を確保。躊躇無くアリスの口を自らの口で覆うように塞ぎ、息を吹き込む。
ゲロを吐いてなくてよかったと、内心思いながら……
「……」
胸骨圧迫、人工呼吸、胸骨圧迫、人工呼吸。酸素も解毒薬も全身を巡ってくれるよう、何度も何度も繰り返した。
初めての口づけは愛情とは無縁の蘇生作業。
セイジの心の隅は、虚しさに侵されていた。
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