49話──外の戦い
「……」
ゼットが去ってから、一時間が経過していた。にも関わらず、男は椅子に腰掛けたまま。
男のコップの水には、良く目を凝らせば埃が浮かんでいるのが視認できた。
考えても考えても正解に辿り着けず、時間を浪費するだけ。
「……」
ただ、勘違いしていけないのは、ゼットが来たからではない。
ましてや、セイジやアリスが攫われていることがわかったからでもない。
この事実で落ち込んでいないとは断言できない。しかし、このなにもしないことこそが男の家での日常だった。
男はいつもこうしていた。
いつも、外ではへらへらとした様子で、たまに真剣な中身が垣間見えることもあった。しかし、家では静か。一人なのだから当たり前とも言えるが、マジに独り言すら絶対に喋らない。
聞こえてくるのは無機質な生活音だけ。家での行動は最低限で、普通の一人暮らしよりも寂しさがあった。
家の中から発される音よりも、壁を貫通して聞こえてくる隣接した家の生活音の方が感じ取れるくらいだ。
「……」
片付けようと腰を僅かに曲げて、結局背もたれに身を預ける。その繰り返しだ。
しかし、いつまでもこうしていては生きていけない。生きるには動かなければいけない。
「はぁ……」
力の無い息を吐き出し、片付けるためにコップに手を伸ばした。
しかし──
「なんだ……?」
久々に家の中で喉を震わせまともな言葉を発した男。
その視線の先には、水の入ったコップがある。ゼットに水を出した時に、一緒に用意した自分の分だ。
結局飲まず、捨てるつもりだったもの。そのコップに入った水の水面が小さく波打っていることに気付き、声を出したのだ。
それを見て、男は別のことにも気付いた。
水の水面が振動しているということは、コップが振動しているわけで、コップは机に乗っているのだから机も振動しているということ。更に辿れば、机への振動は床から伝わったもので、床から伝わるということは、地面が振動しているということ。
「……」
その振動は短い時間で収まったが、今度は悲鳴が聞こえてきた。
女性の悲鳴があれば、男性の悲鳴もある。子供の悲鳴も聞こえる。数人単位じゃ数えられないくらいの人数。
外でなにが起こっているのだろうか。今の男に分かるのは、ただ大惨事になっているのだろうなということだけだ。
「俺が……」
ボソッと呟き、だが首を振る。
そんな男の、俺が……という呟きに続く言葉は大体予想できた。
何故なら男はその呟きと共に立ち上がろうと腰を浮かしていたからだ。つまり、俺が助けに行かないと。とか、俺がやらないと。とかだろう。
だが男は動くのを止めた。
自分が行ったところで力になれないと思ったわけではない。
実際に男はBランクだ。グリントの中でもBランクは数少ない。ゼットのパーティーである豊炎と、この男。あともう一人だ。つまりBランクの冒険者は六人しかいないのだ。
だから、例えば猛獣が侵入しているとか、野盗に襲われているとかでも、男は確かな戦力となる。
にも関わらず、男は動かなかった。
「……」
もしここにゼットがいたら、なんで助けに行かねぇんだよと、家を出る寸前の振り向きざまに叫ぶだろう。
そして、もし男がゼットにそう言われたら、俺には関係の無いことだと、冷酷に答えるだろう。
「……」
今の男は、他人の不幸では動かない。情に訴えかける方法は男の心を動かさない。
もし男の心を動かせるのだとしたら、その方法は一つだけだろう。
たった一つしかない。
だから……
「……ッ!」
ドアが開いた音がした。事前にノックは無い、配慮に欠けている者の仕業だ。
男にとって、こんな風に家に入ってくるような知り合いに心当たりは無かった。
その理由は簡単なもので、そもそも誰にも家を教えていないからだ。
ジェルデミアは礼儀正しく、目が合って早々にグリント家の貴族印を見せ、素性を晒した。だから家を知られているのも当然だと思った。ゼットの関しては、話の辻褄が合うから信じた。
家を知る者は、ストーカーか貴族の関係者か偶然男の家を狙った空き巣犯か。
ただ、現状でストーカーや空き巣犯が行動するとは思えない。命知らずの空き巣犯ならこの混乱に乗じて金品を盗もうと企む可能性はあるが、それならもっと高価な家を狙うだろう。
他に考えられるのは、悲鳴を上げている者たちが避難のために逃げてきた可能性だ。
男はゼットが家を出たあと動かなかった。つまり鍵を閉めていなかったから、付近の家がしっかり戸締りしていた場合男の家に流れてきたということは容易に想像できる。
だが、その可能性も排除できる状況証拠があった。それは、家に入ってきた者が悲鳴を上げていないこと。逃げてきた人間が無言で入ってくるなんて、声を無くしている者でない限り考えにくい。
つまり、配慮に欠けた開け方の時点で貴族の関係者ではない。ストーカーでも空き巣犯でもない。逃げている民でもない。
「……ふざけんなよ」
手をグッと、血が出そうなほどの強さで握り締め、静かに立ち上がった。
ゆらりと歩を進める男は震えていた。恐怖ではなく、怒りによる震え。噛み締めた歯が、ギリギリと音を鳴らす。
コップを手に取り、捨てようと思っていた水を一気に飲み干すと、落とさないよう確実に机の上に戻した。
玄関から男の居場所まではドア一枚しかない。言い方を変えると、その薄い板だけしか遮るものがない。
だから男は、歩を進めた。
だから男は、自ら隔てていたドアを開けた。
そして……
「俺たちの家を汚すんじゃねぇ!!」」
だから、そのたった一つの逆鱗に触れてしまったから、偶然男の住居に入ってしまった黒いローブの人間は、胸に大穴を開けることになってしまった。
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